太平洋海戦関係


第二次世界大戦中、雷撃の命中率ってどの程度だったのでしょう?

発射した魚雷数って航空機の場合は分からないのです。一番正確だと思われるのはミッドウェイの時かな。10機中5機が雷撃して2発命中で4機が帰還。
(くだらない質問はここに書け!:246)

太平洋戦争中、索敵機が敵の艦隊を発見すると、「速力20ノット」などと報告したようですが、空から見てわかるんですか?

何か測定装置でも使ったんですか?
ウエーキの長さで見当をつけたとか。

(くだらない質問はここに書け!:ZⅡ)

インディアナポリス号って本当に広島原爆を運んだ帰りに日本の潜水艦に沈められて投げ出された船員はみんな鮫に食われちゃったの?

全員ではありませんが、かなりの人数が鮫にやられたようです
捜索が遅れたために被害が拡大しました
この艦の艦長は責任を問われ軍事裁判にかけられ、その後自殺しています
(5:871)
乗員1200人のうち、海に投げ出されたのが900人。その内、3人に2人が鮫に食い殺されたそう。
http://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_10_c.html

レキシントンの甲板に穴あけた人の名前おしえれ

わかった範囲では・・・その日、3機のKamikazeがあり、1機は他の空母、1機がレキシントンの艦橋に突入、1機は対空砲火で撃墜されました。

レキシントンは艦橋の大半が破損、各所で火災が発生しました。破片で甲板に穴が空いたかも知れないし、火災が甲板に及んだかも知れませんね。

火災は鎮圧され、20分後には通常の航空活動が再開されました。レキシントンは1ヶ月弱のドック修理後、現役に復帰しました。

問題はパイロットの氏名ですが、突入後生存していたという記録はなく、またそれは無理だとも思います。
突入時の交信記録なども、私が調べたかぎりでは存在しません。仮にあったとして、大きな問題があります。

突入パイロットが目標空母の名前を知っていたか、それが正しかったかが一つ。もう一つは撃墜された機があること。
つまり、仮に「我、これよりレキシントンに突入す」と名前付きで通信した記録があったとしても、
本当にレキシントンかわからない上に、その直後に撃墜され別の機が突入したかも知れないわけです。

結局、回答は「誰が突入したかわからない、確実に知る方法もないだろう」となるわけです。
(7:system)

太平洋戦争当時の、作戦行動中の艦艇同士(同じ艦隊内)のあいだの距離というのは、一体どの程度離れていたものなのでしょうか?

(単縦陣を組んでいるそれぞれの戦艦同士の間とか…)
一例としてレイテ沖海戦の栗田艦隊は2キロメートル間隔で艦隊を組んで
平均20ノットほどで作戦を行っています。
(9:84)

昭和17年1月11日に伊6潜によってサラトガが雷撃され、魚雷2本が命中した、というのは事実ですか?

モリソン博士の「アメリカ海軍作戦史」では1本命中となっています。

しかし、当時伊6潜艦長であった稲葉通宗氏によれば、聴音で2本命中を確認、
またサラトガ側の調査でも命中箇所の破孔の大きさから、
同じ場所への2本命中と判断されたそうです。

その辺のいきさつについては、佐藤和正「艦長たちの太平洋戦争(続編)」光人社の
稲葉氏のインタビューに載っております。
(10:名無し厨尉)

駆逐艦朝風の戦歴ご存知の方おりませんか?

(初代)
初代神風級の一艦で明治39年神戸川崎で竣工。
日露戦時型ではあるが既に戦争は終了し、第一次大戦時には、第二艦隊第二水雷戦隊の一艦として青島に出動。
大正13年、掃海艇に転籍し、昭和3年除籍廃艦。

(二代)
二代目神風級の二番艦として大正13年に「第三号駆逐艦」と言う名称で、三菱長崎で竣工。
昭和3年、朝風に改名。(当初予定艦名は「軽風」)
太平洋戦争前、神風、春風、朝風、松風で第一駆逐隊を編成し、北方(千島、オホーツク)警備に従事。
開戦後は、朝風、春風、松風、旗風と共に、第五駆逐隊を編成し、第三艦隊第五水雷戦隊に属して、
昭和16年12月フィリピン攻略、その後昭和17年1月までマレー攻略に参加。
昭和17年2~3月にジャワ攻略作戦の船団護衛に就いて、3月1日のバタビア沖海戦に参加し、豪海軍の
軽巡Perth、米海軍の重巡Houstonを僚艦と共に撃沈。
4月、ラングーン侵攻輸送船団を護衛、ついでニコバル諸島攻略、チモール攻略作戦に参加。
以後は内地、フィリピン、ボルネオ、マレー方面の哨戒・護衛任務に従事していたが、昭和19年8月23日、
ルソン島リンガウエン湾付近で米海軍の潜水艦Haddoの雷撃を受けて撃沈。

(ついでに、三代目)
旧米海軍のGleaves級駆逐艦Ellysonで、昭和29年に海上自衛隊に引き渡し。昭和44年に除籍、返還。

(更に蛇足で四代目)
昭和54年に竣工した、たちかぜ級の二番艦。これは、昭和48年度計画であったが、予算削減で断念。
翌年の補正予算で復活したもの。
(22:眠い人 ◆ikaJHtf2)

太平洋戦争時の輪形陣について聞きたいのですが、向きとか速度はどうやって判断してるんですか?

陣形運動は、隊の旗艦が旗旒(キリュウ)信号もしくは発光信号で指示します。
無線は妨害もしくは封鎖されている場合がありますので、多用しません。
輪形陣を組んだまま一斉回頭すると、当然左右の艦ではずれてきますので、
空母を基準艦として進路と速力を調整しなければなりません。
ここは操艦者(例えば航海長)と運動盤で距離と方位を解析している副直士官の
腕の見せ所です。
攻撃されれば回避は当然しますが、可能な限り定位置に戻す操艦をすると思います。
(43:215)

終戦間際になって米海軍の軍艦が何隻か日本の潜水艦に沈められているのは何故ですか

その通り、油断したからです。
原爆をサイパン運んだ帰りに撃沈された重巡インディアナポリスも(極秘作戦だったとはいえ)
護衛は一隻もついておらず、日本の潜水艦にやられました。
(43:732)

真珠湾攻撃の時に輸送船が随伴してたそうですが、機動部隊には、大体いつも随伴してるモノなのでしょうか?

普通は別働隊として後方に控えてます。
言わば洋上に設けられた臨時の補給ステーションとなり、
必要に応じて合流するわけです。
(46:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

サマール沖海戦で大和が、米駆逐艦ホエールを撃沈したのは本当でしょうか?

記録では、戦艦の集中砲火を浴びた後、羽黒の魚雷で沈められたことになっています。
(64:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ミッドウェーで珊瑚海の傷さめやらぬヨークタウンを前衛配置したのは囮的な意味合いがあったのでしょうか?

たんに戦力不足
少なくとも五分の戦力にするために必要だった
(67:295)

太平洋戦争の海戦で一番最初に沈んだ空母の名前は何ですか?

珊瑚海海戦にての、旧帝国海軍の改装空母「祥鳳」です。
正規空母なら、同海戦にての米海軍の「レキシントン」です。
(67:409)
Langlay…は米海軍の元空母ですが、これを含めると、この艦が一番早いです。
(1942.2.27ジャワ島沖にて爆撃で沈没。このときは水上機母艦)
純粋な空母という意味では、英国海軍のHermesが、1942.4.9にセイロン島東方海上
で撃沈されています。
日本の祥鳳は、1942.5.7に撃沈されていますので、それより早いですね。
(67:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本海軍は魚雷を大量にばら撒いて、射線で敵艦隊を包むように撃つことを考えていたそうですがこの際再装填装置を使うことは考えていたのでしょうか?

憶測で言うと、違うと思います。
次発装填装置を積んだのは初春型からですが、水戦は異種混合で編成するので
峯風・神風・睦月・吹雪型が足を引っ張ります。実戦向きではありません。

木俣さんの「駆逐艦入門」の記述を現実として信用するなら、
敵に接近しながらの装填、時間差射出は現実離れしているといえます。
コロンバンガラ海戦の項は典型的な例でしょう。
  • 雪風が逆探で敵艦隊の方位を把握し、神通は被害担当艦となった(p376)
と、時間差射出の絶好の機会でありながら
  • 浜風と清波が18分間退避して第二射を放った(p377)
…というふうに、確実に装填できる後方に退避して再突入…が一般的では?

北上・大井の魚雷は、発射管にセットした40本がすべてです。
井上成美から「撃ち終わったら逃げるしかない」と酷評されてます。
(71:名無しトンボ釣り)

1機の彗星が空母を沈めた話って本当でしょうか?

その通りです。沈められたのはインディペンデンス級軽空母CV-23プリンストン。
レイテ沖海戦さなかの1944年10月24日にフィリピン沖で、
単独で雲間を縫って進入した1機の彗星艦爆が高度1500フィートで投弾。
これが発着甲板に衝突して、エレベータを貫通して爆発しました。
ダメージコントロールに努めましたが、数時間後に搭載弾薬が誘爆、この結果
消火作業に当たっていた僚艦CL-62バーミンガムも損害および死傷者を出しました。

その後消火は困難とされたためDD-794アーウィンの魚雷により撃沈処分されました。
生存者は1,361人。またバーミンガムも負傷者300人を出しています。
(74:502)
その彗星にのっておられた方ってどなたなんでしょうか
所属・搭乗員ともに不明です。
(74:505)

戦艦大和を主力とする艦隊が沖縄に向けて出撃をする時それらの船に補給・事務・炊事をする乗員は乗っていたのでしょうか?

主計兵は戦闘中は弾薬運搬をします。だから降ろす事は考えられません。
(79:173)

海上護衛戦に関する、初心者にお勧め書籍はありますでしょうか。

「海上護衛戦」に関心を持たれたならば、「日本を滅ぼした国防方針」(黒野耐、文春新書)などが良いかも。
明治以降の陸海軍がいかなる仮想敵を想定し、いかにその想定が破綻したかを簡潔に描いています。
また以前立っていた海上護衛戦スレ内で上げられている書籍を探してみるのも良いかも

おすすめ、とおっしゃられても相当漠然としているので分野を限ってお答えしました。
(84:840)
戸部良一、「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」、中央公論社
が良いのでは?「海上護衛戦」を読んだ後なら。
書評はコチラに↓
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053498652/9
あと、角川文庫から出ている、「太平洋戦争-日本の敗因」、NHK取材班編
シリーズ①~⑥が良いかと。
上記、全て文庫本なので、お安く購入出来るかと。
ただ、これら全てを読むと、一部から「自虐史観者」と言われるかも。
どっかでバランス取らないと。
(84:842)

太平洋戦争時、日本は一度も駆逐艦で潜水艦を撃沈できなかったのでしょうか?

そんなことはないですよ。
日本の駆逐艦は爆雷投射器も装備していましたし、対潜作戦の主役でした。
駆潜艇や対潜哨戒機もありました。戦果もそれなりに挙げています。
ただ、米英の先端の対潜作戦に比較すると、戦術、装備共に見劣りするのは
避けられません。他の分野でもそうですが・・・・

日本海軍はアクティブソナーやヘッジホッグを持たず、探知・攻撃能力が
貧弱でしたし、駆逐艦は艦隊護衛にまわされて輸送船・商船の護衛は
なおざりでしたから、なおさらそうした印象があります。

たまに言われますが、日本人が対潜作戦に不熱心な印象を与えたのは、
あきらめが早いという国民性もあるみたいです(w
長くとも数時間の潜水艦掃討でやめてしまう。24時間以上の掃討を平気でこなす
英国人よりは向いていなかったんでしょう。
(84:847)
追加。
太平洋戦争中の米海軍潜水艦喪失は総数で52隻。(事故等も含む)
米潜水艦に返り討ちにあった日本駆逐艦は43隻。
米潜水艦による日本船舶損失総数は2400隻以上。損失人員は11万人以上。

キルレートは46倍以上。
(84:851)

空母に護衛用の戦闘機を満載して戦艦群に基地攻撃をさせることはできなかったのでしょうか?

まず、空母戦が発生するでしょう。攻撃距離が長く、また索敵能力も高い空母同士が、相手の意図をくじくために戦闘するでしょう。
この空母戦で勝てなければ、戦艦も無意味です。ミッドウェーのように。
(85:105)
相手もそうしたら・・・
(85:107)

太平洋戦争時、空母、戦艦は対潜水艦能力が皆無なので、艦隊を組んで戦闘するのですか?

現在でも艦隊、というか戦闘群を組んで戦闘するケースは非常に多いです。
各艦種にはどうしても得手不得手がありますし、
1隻では対応しきれない事態も往々にして発生するからです。
(例えば被弾して通信能力を喪失した場合、単独行動では救援が遅れて致命的な事態になるかもしれません)
(86:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

レイテ沖海戦 半藤一利著によると、羽黒の砲塔はたった一発の爆弾が被弾しただけで天蓋に穴が開き、

熱風で鋼鉄が溶け地獄のようになったようですが、実戦ってこんなに悲惨なのでしょうか?
まだ大人しい描写な方かと。
旧軍従軍経験者の手記を2~3冊読んでみることを奨める。
(86:887)
吉田満氏の「戦艦大和」をよんでみ
黒焦げはまだマシ 最悪五体が四散する
(86:893)

菊水作戦時、大和を戦艦同士で砲戦させようとしたアメリカの将軍がいたってほんとなんですか?

ほんと。
最初、米第五艦隊のスプルーアンス大将は、
大和が沖縄に来れば、第五四砲撃部隊で迎撃しようと考えたのだが、
偵察機からの報告では、日第二艦隊が何処へ向かっているのかはっきりしなかった。
もし、沖縄に来るのではなく佐世保へ回航中ならば、第五四部隊では追い付けない。

結果、砲撃にこだわって大和を取り逃がすぐらいなら、一挙に空襲で沈めてしまおうということになり、
第五八機動部隊に大和攻撃の命令が下りましたとさ。
(87:772)

ミッドウェイ開戦に翔鶴、瑞鶴が、何故参加しなかったのか

当時翔鶴は修理中です。
瑞鶴は珊瑚海での損害で艦載機が足りないと思われ。
日本のレーダーは性能が低いので使っていてもあんまり効果なし。
(87:816)

ミッドウェイ開戦にレーダーはどこで使ったのか?

レーダーはミッドウェーのとき戦艦に試験的に乗せてた。
その後他の艦にも搭載され、ソロモン方面の海戦以降は防空に活用された。

それでもあの程度だった。ということだよ。
(87:819)

アメリカは毎週空母(週刊空母)を作っていたっていうけど、どんなもんだったの?

過去のゆうか氏のレスをそのまま勝手にコピペさせてもらいま。

日米の軍艦生産量・・・

1942年
日:戦艦1、空母2、軽空母2、護衛空母2、駆逐艦10
米:戦艦4、空母1、護衛空母11、軽巡7、駆逐艦81
1943年
日:軽空母1、護衛空母2、軽巡3、駆逐艦12、海防艦15
米:戦艦2、空母6、軽空母9、護衛空母24、重巡4、軽巡8、駆逐艦125、護衛駆逐艦236
1944年
日:空母5、軽空母1、軽巡1、駆逐艦24、海防艦101
米:戦艦2、大巡2、空母7、護衛空母33、重巡1、軽巡11、駆逐艦73、護衛駆逐艦182
1945年8月まで
日:駆逐艦15、海防艦51
米:空母3、護衛空母8、重巡6、軽巡5、駆逐艦56、護衛駆逐艦5

1943年の駆逐艦・護衛駆逐艦なんかほとんど日産1隻ペースです・・・


カサブランカ級空母は戦時標準型貨物船の設計をベースにブロック工法を採用して建造された。
通常船を建造する時は造船台に船の背骨となる竜骨を据え、そこから船体を作り上げていく。
そのため、建造開始から進水までのあいだ、場合によっては数年その船が造船台を占有することになる。
ブロック工法の場合船をいくつかのブロックに分けて工場内で建造し、最後に造船台でブロックを組み合わせて進水可能な状態にする。
複数の船のブロックを並行して作ることができ、1隻が造船台を占有する期間も短くてすむので1年で50隻の大量生産が可能となった。
いわばプレハブ構造の家を建てるようなもの。
カサブランカ級空母は1番艦の起工から竣工までは8ヶ月かかったが、ノウハウの蓄積により19番艦のガンビアベイは6ヶ月で竣工している。

なお1番艦の進水式での命名はエレノア・ルーズベルト大統領夫人が行ったが、数が多かったため後の艦には現場監督の奥さんが名づけたものもある。
(214:370,927)

旭日旗と軍艦旗はどう違うの?


 旭日旗と軍艦旗の違いですが,海軍旗章条例や後継の海軍旗章令を当たってみると,まったく「旭日旗」という文言はありませんでした.
 つまり法的には「軍艦旗」と呼ぶべきもので,「旭日旗」は通称にすぎません.

 言い換えれば,「国旗」と「日の丸」「日章旗」との関係です.まあ同じものですけど….

(鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

太平洋戦争時の日本海軍の観測員の視力はすごいと聞いたんですが,どれくらいすごいんですか?(視力はいくらか?何kmぐらいまで見えたのか?)


 日本海軍の駆逐艦は夜襲を得意としたので,見張員には高い夜間視力が求められた.
 目を闇に慣らすため,見張員は昼間は赤い照明だけをつけた控え室にこもり,ビタミンD錠剤(暗視ビタミンと呼ぶ)を服用したりヤツメウナギの蒲焼を食べたりした.
 本当かどうか知らないが,優れた見張員は視力が4.0あったとか夜間30,000m先の艦影を見つけることができたという話がある.

太平洋戦争の日本潜水艦は,かなりの数が敵護衛艦にやられていますがなんでですか?

浮上しているところをレーダーで探知されてというのは想像つきますが,そもそも敵駆逐艦にそんなに出会うようなものとは思えないので.

 日本海軍での潜水艦運用方法が硬直化していたからです.

 日本では艦隊決戦の前哨戦として,あらかじめ定められた配備線に沿って展開し,主力艦隊の交戦前に少しでも敵艦隊を沈めるという目的のために潜水艦を整備していました.
 つまり,司令部からの指示によって動き,単独での独立した行動は行わないわけです.

 ですので,事前に潜水艦と司令部の交信から配備パターンを読まれ,護衛艦に次々と撃沈されるという悲劇がごろごろ出ています.
 米護衛駆逐艦DE-635イングランドがソロモン方面で1944年5月19日から13日間で実に6隻もの日本潜水艦を撃沈したのが,その際たるものではないでしょうか.

(名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE in 軍事板)

 また,当時の日本の潜水艦は工作が悪くてとてもうるさかったので,ソナーで一発探知できた.
 その辺り,潜水艦の艦長クラスは十分承知していて,特に新造艦を受け取る際にはタンクに木屑や工具が残っていないか神経質に調べたけど,それでも取り除けないのがいっぱいあって,思わぬときに騒音を発して敵に発見されちゃったりする.
 当時のドイツ海軍も日本の潜水艦のうるささにびっくり,なんて記録もある

 で,旧ソ連の退役大将の回想では90年代までの海自の潜水艦も,ソ連の基準でさえ許されないほどうるさかったそうだよ.

(軍事板)

日本潜水艦に技術面で見るべきものはなかったのか?


 幾つかの点では先進的あるいは優れた技術もあった.

 伊361,波101級には,敵のレーダー波をあらぬ方向へ反射させるため,艦橋を上方が広がった構造とした.

 シュノーケルは昭和20年5月以降,装備されている.

 潜水艦は海中の一定の深さにエンジンを止めたまま,いつまでも止まっている事はできないが,日本海軍潜水艦には,それを可能にする自動懸吊(けんちょう)装置があった.

 また,潜水艦にとって重油が漏れる事はしばしば命取りになるが,IJNの潜水艦には重油漏洩防止装置もあった.

 後者2つを発明した技術中佐は,ドイツ海軍にもこの技術を教えるため,伊8に乗って昭和18年,フランスに上陸.
 しかしU234に乗っての帰路,ドイツが降伏したため,艦内で服毒自殺した.

 詳しくは,木俣滋郎著「日本潜水艦戦史」(図書出版社,1993/8/15),p.868を参照されたし.

映画「ローレライ」のような,潜航中の潜水艦相手に魚雷戦やることは不可能だそうですが,なぜできないのですか?


 技術的問題.
 第二次世界大戦時の魚雷は対艦,対船用なので,深いところまで魚雷が潜るようにできていない.
 また,探知技術も精度が低くかなり誤差があったので,雷撃での攻撃は有効性が低い.
 さらに,昔の魚雷は発射する時に,ある程度深度の調節は出来ても3次元の運動はできない.つまり,魚雷で攻撃できるのは同一平面状にいる敵が原則.

(軍事板)

太平洋戦中、2年くらい大きな海戦がなかったけど、連合艦隊はなにしてたの?

1942/10/26 南太平洋海戦。米軍の稼動空母が0隻になる。
から
1944/6/19 マリアナ沖海戦
まで2年くらい、大きな海戦やってないみたいなんですけど
再建。
絶対国防圏策定したんでその構築作業。

ガ島戦は終わったけどその後もソロモンで1年余り、ガチバトルを繰り返してるよ。
(357:514)

日本海軍がレーダー開発を重視しなかった理由として、

「レーダーをつけるのは闇夜に提灯を灯すようなもので、相手にばれてしまうから奇襲ができなくなる」と
主張したという話をいろいろな媒体で見聞きします。
では逆に、「相手(米軍)の提灯(レーダー)を日本側が発見して反撃した事例」もしくは
そのような逆探知装置を開発しようとしたという話はあるのでしょうか?
レーダーの電波を捉えて発振方向を探知する「逆探」という装置を開発して
実戦でも使用しています。
でもそもそもの電子機器の技術で劣っていた上に、射撃に使えるほどの精度が
出せなかったのでたいした役には立ちませんでした。
一応実戦で使用されたものはそれなりには成果を挙げてます。
あくまでそれなりですけど。
(357:770)

第二次世界大戦時の米海軍はやたら対空砲を載せてますが、トップヘビーで問題にならなかったんですか?


もちろん問題になっている。
トップヘビー問題は日本は友鶴事件を契機に収束したがアメリカはまだその怖さを知らなかった。
台風で3隻もの駆逐艦が沈没したのは燃料切れによる重心上昇とあいまってのトップヘビー問題が原因だし、
あまりにも大量に積み込まれた対空火器は、艦そのものの設計まで変更させることになった。

ボルチモア級重巡洋艦に対するオレゴン・シティ級
クリーブランド級軽巡洋艦に対するファーゴ級
アトランタ級防空巡洋艦に対するジュノー級

これらは皆、対空火器の積みすぎによるトップヘビー問題を根本的になんとかしようと
艦級そのものを変えてしまった例。
(477:450)

空母に特攻する時にベストな場所は何処だったんですか?


筑波海軍航空隊 零戦特攻隊戦闘準則より

目標
空母ハ飛行甲板ノ前部寄リニテ「リフト」
其ノ他ハ艦橋ノ付ケ根
輸送船ハ状況ニ依リ船艙口

他の隊の命令文書でも似たようなもので、空母の発艦能力を奪うために中央~前部寄り、
そして強度的な弱点であり航空運用の要であるエレベータが最適目標とされます。
ついでに言うと、複数機による突入の場合は前機突入破口を目指すべし、とあります。

ちなみに目標配分は
正規空母 25番×3    or 80番×1
特空母   25番×1以上 or 80番×1
戦艦    25番×2以上 or 80番×1
其の他   どちらか1

で、正直大型艦の撃沈狙ってません。
この程度で戦艦や空母が撃沈できるはずもなく、むしろ損傷による人的損害を狙っていた傍証といえるでしょう。
特に戦艦はそうで、艦橋スタッフという中核人材を葬ることに重点が置かれてます。
(艦橋は戦艦においてはもっとも防御が軽い割に重要な施設である、ためでもあります)
(初心者スレ482:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

大湊(陸奥湾)が基幹軍港になれなかった理由を教えてください


wikipediaの大湊警備府の項目を見るとわかると思うが、一言で言って、時間不足。
周辺施設などの拡充中に終戦になったため。
(480:805)

これってホントに笑われてるんでしょうか?

手負いの敵を見逃してやる、というのはわが国では 武士の情けとか、美談として語られている。

しかし欧米では、見逃したら次にまた強力な敵として戦う相手だから機会があれば徹底的にやっつけねばならんという思考。

マレー沖で二戦艦を撃沈した後、後続の日本の攻撃機が、残った駆逐艦が救助活動を行うのを見守り、爆弾を捨てて帰還したのは欧米ではお笑い種になっている。
んなわけない。
空軍には「空戦で意図的にコクピットを狙うのはルール違反」という暗黙のマナーすらあった。
(脱出失敗したりパラシュートに不備があったり海や雪原に落ちたりすると死ぬが)
(戦争板初質スレ1:246)
軍人=ジェントルマン、っていうのは欧米の伝統だからね。
(戦争板初質スレ1:248)

戦前の日本の潜水艦建造能力って高かったんですか?

艦隊型潜水艦という建艦思想から速力や航続力に優れる潜水艦が多かった。
偵察機を搭載する大型潜水艦や無音で深度を保つ自動懸吊装置という新機軸も特徴。
長期の作戦でも士気が落ちないように居住性が考慮され、
他国の潜水艦と比べても居住環境は良好だったという。

短所は防音措置が十分施されていないことや
建艦とは別問題だがレーダー等の電子装備ではアメリカに劣った。
まあ一長一短。
(514:267)

雑木林と揶揄された松型駆逐艦ですが、現場の評判はどんなものだったのでしょうか

現場と言っても立場によって違います。
戦前から海軍の王道を進んでいた人たちにとっては、「駆逐艦として不可欠である魚雷兵装も、砲熕兵装も貧弱で、
且つ、駆逐艦の生命とも言うべき速度が全く出ない駆逐艦は駆逐艦ではない」と思っていて、事実、松型に反発する
声は強かったのですが、予備士官、即ち商船出身の艦長から見ると、「武装はそこそこあって、潜水艦や航空機に
ある程度対応出来、万一、艦に被害があっても局限出来る。更に、小回りが利き、機械的に信頼性がある」という訳で、
これに高評価を与える人も多かったりします。

士官だけでなく下士官や水兵でも、「軍艦」上がりの連中は最初は余り良く思って居なかった様ですが、実際に使って
みたら、結構惚れ込んだと言うケースもあったり。
立場や、地位、出身などからも色々印象は変わるので、一概にこれ、とは言えません。
(519:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

輸送船が沈められたら、輸送されていた兵隊の脱出は困難なんですか?

日本軍の輸送船の場合、元々客船の保有が少なく貨物船での兵員輸送となり
蚕棚とよばれる通路が狭く中腰での移動をするような空間に兵員を詰め込む
貨物輸送船の船倉を改造した輸送がほとんどだったので、いったん攻撃を受け、船が損傷すると
通路がふさがり、狭い空間での移動になり脱出が困難だった。
参考資料としては光人社NF文庫の大内建二著 輸送船入門を読むといいかも

光人社NF文庫の大内建二著 輸送船入門に記載の船倉での蚕棚の設置状況だが
貨物輸送船に設けられた兵員用の蚕棚の高さは各段の上下間隔70cm~80cm
船倉よりの脱出用の階段は木造で傾斜角70度 幅1.7m 高さ2.6m
でこれが攻撃を受けると木造なので蚕棚も階段も崩れてしまい脱出が非常に困難になる。

あと、脱出後も救命胴衣や救命艇は搭載人数に対して十分に無く木材や竹筏で漂流という状態だった。
(522:483,488)

日本の駆逐艦が米国の駆逐艦に勝っていたところは雷撃力ぐらいのもんでしょうか

カタログだけ見ると砲撃力、対空戦闘力、レーダー、速度諸々全て劣っているようにも見えますが。
雷撃力のみならず対水上艦砲力でも優位(米駆逐艦の主砲が対空射撃も可能な両用砲だったのに対して
日本駆逐艦は主砲に対艦射撃を重視した従来型の主砲を搭載していた)、速力も実際には優位(凌波性が
米駆逐艦よりも日本駆逐艦の方が優れていた、計測時の基準が日本のほうが実践的だった、等)で、夜戦での
水雷突撃を任務とする本来の駆逐艦としては日本のほうが優れていた。しかし、レーダーの登場で夜戦での
水雷突撃自体が困難になったこと、航空機の発達で水上艦同士の砲雷撃戦が陳腐化したことを考えると
実際の戦力としては米駆逐艦の方が有力だったと言わざるを得ない。
(531:530)

日本の潜水艦は、米軍の駆逐艦に簡単に発見されてポコポコ沈められたんですよね?

第二次世界大戦時と現代の対潜水艦オペレーションを一緒くたにしてはいけない。
戦争してるなら怪しいコンタクトを見つければ一発ぶち込めばそれがなんだか判るわけだが、
冷戦中や現代では、たとえそれが敵性国の艦であるという疑いがあってもそういうわけにはいかない。
だから慎重にコンタクトの元を追跡して、それが鯨だったってのもない話じゃないよ。
あと、大戦中の潜水艦(というか可潜艦)は浮上して目視で敵艦を捜索したり充電を行ったり
してたからそれを見つければよく、現代のレベルから言えば比較的発見は容易といえる。

ドイツもぼこぼこ沈められています。
日独両方とも
1.暗号解読され、居場所や行動予定がわかった
2.潜水艦よりの短波無線発信により居場所が絞り込まれた
3.レーダーにより夜間や視界不良時でも明確に探知された。
4.護衛空母を含むハンターキラーグループにより、潜水艦を追い詰めて攻撃
このパターンは一緒です。
1と2と3にて潜水艦の最大の武器である どこにいるかわからない
という利点が失われています。
構造とか騒音とかそれ以前の問題です。

上の言い草を聞くとまるでドイツのUボートが鎧袖一触で米海軍に消し去られたように
思えるが、オペレーションリサーチによって対Uボート戦術が固まるまで開戦から
数年を要していることは頭の隅に入れてほしい。
つまり日本の潜水艦は対Uボート戦術がほぼ確立されたころに米海軍と戦ったの。
ボコボコにされるのはある意味当然だわな。
(531:828-866)

ソ連の満州侵攻時、日本海軍の艦艇とソ連海軍の艦艇とで戦闘は起きてないんですか?

水上艦艇同士ではありませんが、樺太方面からの疎開船がソ連潜水艦を受けた際に、
疎開船に使われていた特設砲艦が、浮上潜水艦に対して発砲しています。

日本側記録では命中して撃沈したとなっていますが、ソ連側記録では未確認です。
ただ、戦闘翌日に交信をしたあと行方不明の艦があり、公式には機雷で沈没とされています。
なお、ポツダム宣言受諾後のことなので、そもそもロシア側は交戦の事実を認めていません。

日本側は特設砲艦が被雷大破したほか、付近で輸送船2隻が撃沈されています。
(538:981)

日本海軍・海上自衛隊は各国の海軍とは違って軍艦に人名をつけない命名法を採用したのはなぜなんでしょうか?

天皇の聖断と言うこと。いちおう資料から抜粋しておく。

「国名をもって戦艦に命名せらるる現制は、もと明治天皇の叡慮にいでたるものなることは、
かねがね聞き及んでいるが、川村家文書中に左の公文があることを発見した。
                   *
軍艦名号外国の例にならい、御歴代の尊号および武臣の名称相用いられたき御内議の
趣承知つかまつり候。

すなわち相伺い候ところ、歴代の尊号等を相用い候儀は相見合わせ、本邦国名の内を
(武蔵号、大和号の類)相選び候しかるべしとのおぼしめしに候条、この段回答に及び候なり。
明治十六年二月五日 宮内卿徳大寺実則  海軍卿川村純義殿」

(広瀬彦太編『大海軍発展秘史』)
(480:588)

日本海軍で、「第七艦隊」よりも「第八艦隊」の方が先に編成されたのはどうしてなのでしょうか。

「第一一航空艦隊」も「第一航空艦隊」より先に出来てますし、何故こんなおかしなことをしたのでしょうか。
当初、「第六艦隊」(潜水艦隊)の他に、もう一つ潜水艦隊として「第七艦隊」を作るつもりだったので
空けておいたらしい。
「第一一航空艦隊」に関しては、陸上基地航空部隊なので、海上艦隊と区別する意味で二桁(十番台)番号にしていた。
出来たのは一一航艦が先だが、当時、海軍は既に、空母艦隊(一航艦)を創設するつもりだったし。
(352:554)

軍艦は敵の艦爆や艦攻が投弾態勢で向かってきたり、急降下爆撃の態勢を取って降下してきた場合、どのように対処していたのですか?

米軍はオペレーションリサーチの結果、
「大型艦は回避せず射ちまくれ」
「小型艦は逃げ回れ」
となりました。
(521:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

夜間雷撃は照明弾を落としてから攻撃しますが、夜間行動中の艦隊を飛行機から見つけられるようなものなんですか?

レーダーでおおよその位置はわかっても照明弾を落とすためには目視する必要があるでしょうに。
どうイメージしているのかは知らないけど、照明弾で「照らす」わけではない。
先行する機体が敵艦の向こう側で照明弾を投下し、その光源を背に浮かん
だシルエットに対して雷撃をかける。なので照明弾の投下において厳密な位
置確認が必要なわけではない。
(555:916)

阿波丸は米軍内部の連絡ミスで撃沈されたの?

阿波丸は偽装特別船であるから撃沈して当然である、と思っていたのです
橘丸の存在も、そうした米軍の強弁を補強する内容となりました
あんなクソな真似をやってた腐れジャップ、阿波丸だけ違うという確証はどこにもない
ということで無罪放免と相成りました

時系列としては橘丸と交錯するんで
ほんとは大問題になるはずだったのを、弁護人が
「見ろ、やっぱジャップはクソだ! 阿波丸だけ違うっていう確証があるなら見せてみろ」って軍事法廷でやった
当然そんな証拠出せないので、うやむや終了
日本には遺憾の意を伝えたけどね
何運んでたか知らんけど、臨検して確かめたわけじゃないから、いちおう頭下げた
(558:415,422)

伊勢と日向が有効に活用した爆弾回避術ですが、他の大型艦には採用されなかったんでしょうか?


伊勢と日向が小沢中将指揮下で参加したのは、エンガノ沖海戦。で。

伊勢、日向で構成される第四航空戦隊の司令官、松田千秋少将いわく。
  • 標的艦摂津の艦長をやっていた経験から飛行機の爆弾は回避できると確信
  • レポートにまとめて教育局長に提出、局長はこれを印刷して艦長に配布
  • 伊勢艦長中瀬少将はこれを良く研究していた
  • 実際に敵をかわせた艦長は中瀬少将と黛大佐くらいだろう
  • パンフは作ったが、開戦から3年たって艦長のほとんどが配置をかわってしまった
  • 爆弾は回避できないというのが艦長達の一般的な認識になっていたのは残念

伊勢艦長中瀬泝少将いわく
  • 開戦以来始めての艦長配置が伊勢だった
  • 敵機は8000から降下開始、4000で投弾。3000以下はこちらの機銃の射程内
  • 降下に入った瞬間に転舵、弾着と同時に舵を戻す
  • 取舵ばかりなのは言いやすかったから、ただのクセ

日向艦長野村留吉少将いわく
  • 見張りが「突っ込んできます」と言ったら面舵一杯と叫ぶ
  • 爆撃に対しては面舵でも取舵でもどっちでもいい、自分は面舵が言いやすかった
  • 魚雷はそうはいかないが、アメリカの魚雷は泡がはっきり見える
  • 雷撃機は発射するときに爆弾倉をひらくのでよくわかる

サマール沖海戦での長門艦長兄部勇次少将いわく
  • 対空射撃にはまったく自信が持てなかった、1発の爆弾も当たり所が悪ければ誘爆する
  • 爆弾が命中しないようにするには、回避しかない
  • 敵機が爆弾を投下する瞬間には艦が横に向いているよう操艦を心がけた
  • 操艦が上手いといわれたこともあるが、運。ただし艦長と見張りの連係は重要

艦長に対する教育体系にまでは発達しなかった模様。
(560:ふみ)

反跳爆撃は海防艦からみたら敵は低空を真っ直ぐに飛んでくるんですから、狙いやすいんじゃないんでしょうか?

海防艦に反跳爆撃をしている米軍爆撃機の写真を見たことがあるんですが、
反跳爆撃は急降下爆撃と比べると急降下が出来ない中型~大型機でも可能であること、
航空雷撃と比べると魚雷より爆弾が安価なことに加えて攻撃時の速度の制約が緩く
対空砲で撃墜されにくいことで米陸軍の爆撃機が多用した。当時の
日本艦の防空力が低かったこともあって、かなりの損害を出している。
(569:570)

第二次大戦中の日米の海軍艦艇の建造数を知りたいのですが、


日米艦艇建造数比較
      日本     米国
戦艦     2隻     10隻
     128,000㌧   375,000㌧
正規空母   5隻     17隻
     140,000㌧   459,000㌧
軽空母    6隻     9隻
      95,000㌧    99,000㌧
護衛空母   4隻     76隻
      61,000㌧   630,000㌧
重巡洋艦   0隻     11隻
        0㌧   143,000㌧
軽巡洋艦   5隻     36隻
      53,000㌧   690,000㌧
護衛駆逐艦   32隻   412隻
      40,000㌧  510,000㌧
潜水艦    117隻    203隻
      150,000㌧  310,000㌧ 

上の日米の駆逐艦のデータはちょっと不正確かも

日本
駆逐艦:32隻(夕雲型+秋月型+島風)
護衛駆逐艦(松型系列):32隻

アメリカ(1940年計画以降のもの、概算で申し訳ない)
駆逐艦:345隻
護衛駆逐艦(船体流用の高速兵員輸送船含む):560余隻

のほうがより近いかと思われます。
(340:475-481)

朝鮮半島からの徴用者のフェリーは大戦末期の44年9月から45年7月まで運行されましたが、徴用船の損害はどの程度だったんでしょうか?

徴用船の被害は多数有りまして、それをこのスレでやったら可成りの数を消費します。

一例を挙げると、関釜連絡船の場合、新羅丸、景福丸、徳寿丸、昌慶丸、金剛丸、興安丸、
天山丸、崑崙丸が運行されていましたが、新羅丸は1945年に関門海峡で触雷、沈没、景福
丸は最後まで関釜航路に従事していたものの、下関、博多が機雷により封鎖されたので、
青函航路に転属中に敗戦、徳寿丸は生き延びましたが、昌慶丸は宮津に退避した所で、
艦載機の攻撃を受け大破着底、金剛丸は、1945年5月に博多湾で触雷し、水没。
興安丸は、1945年4月に下関で触雷し、修理状態で敗戦時は須佐湾に退避、戦後まで
とりあえず生き延びました。
天山丸は、1943年10月に撃沈されたものの浮揚し、修理の後、再就役しますが、1945年7月に
艦載機によって炎上し、3日後に沈没しています。
(340:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日米戦争では、大和型戦艦よりも、金剛型戦艦が多用されていましたが、

その原因は大和型が最高速度が27ノットしか出ないところにあると聞きましたが、
最高速度が27ノットしか出ない46㎝砲搭載弩級戦艦よりも、
主砲が40㎝しかないが、最高速度が30ノット以上出て機動部隊に随伴できる巡洋戦艦を作り配備するべきだったのでは?
速度よりも、金剛型は古い艦のため失ってもしれほど痛くない、というのが大きいかと
大和型は小規模な戦いで損傷したりしないよう温存されていた


当時の仮想敵であるアメリカ海軍の戦艦は全般的に低速(その代わりに
重装甲)だったので、大和の速力27ktは別に戦艦としては問題ない。

金剛型が多用されたのは、古い艦だから「主力」としてはあまり期待されて
いなかった分使い潰しても惜しくないと思われていたから。

日本海軍にとって太平洋戦争は「本来の本番」たる艦隊決戦がとうとう
起こらないままに終わってしまった(というか、負けが決定した)戦争に
過ぎない。
だから「本番の主役」たる大和型には出番が回ってこなかったというだけの
話で、別に速力が遅いので使われなかったわけではない。

ちなみに「金剛代艦」と呼ばれる40cm砲34ktの高速戦艦を建造する計画は
一応あった。
なんだかんだで建造はされなかったけど。
(579:150-151)

先の大戦で、日本海にも、米軍の潜水艦は多く入り込んで活動していたんですよね?

津軽海峡とか関門海峡とか宗谷海峡とかを必ず通るわけですから、そこらに駆逐艦とか機雷とか集中的に配備して、一網打尽とはいかなかったんですか?
大戦終盤まで集中配備が機能してましたよ
ソナー性能向上などであなたのいう機雷の集中配備なんかを突破できる自信がついたので入り込んで活動し始めた

日本海に米潜水艦が入れるようになったのは、海峡に敷設された機雷を探知できる
高性能ソナーが実用化されたからだ。
(580:647,648)

扶桑と山城ってなんであんなに一方的にボコボコにされたの?

第1の要因としては、戦力が隔絶してた。 日本側は戦艦2隻、巡洋艦1隻、駆逐艦4隻に対して、米側戦艦6隻、巡洋艦8隻、駆逐艦28隻、魚雷艇39隻
第2の要因としては、深夜での待ち伏せと米側はT字の隊形で頭を押さえていた。

第3の要因としては、装備していたレーダーの性能の違い。

他にも細々有りますが、誰が指揮しても日本側に勝ち目は無い戦いでした。
(602:543)

日本の病院船、多量に沈んでいますが、白色塗装の病院船状態で沈んでいったのでしょうか?

一部は資源輸送船団に参加しながら沈められたものもそれなりにあるようです。
これらの沈められた病院船、多くが黒色塗装の輸送船状態で沈んだんでしょうか。
ほとんどは輸送船への転用後に沈没。
1944年ころにフィリピン方面の部隊輸送に使われて沈んだ例が多いようだ。
ゆえに、緑色系統の迷彩色で沈んでるのがほとんどかと思う。

沈没時に白色塗装+通告というルールを充たしていたのは、
海軍1隻、陸軍3隻あるけど、うち2隻は機雷を踏んだケース。
ほかに海軍の「第二氷川丸」は戦犯追及を恐れて自沈させたもの。
「橘丸」は拿捕時に白色塗装だったが、これは違法な軍事輸送に使ってたケース。
致命傷を負わなかったものの、攻撃を受けちゃった例はもう少しある。

なお、陸軍病院船の場合、最初から白色塗装をしてないのが何隻かいる。
日本陸軍部内で病院船扱いしてたのは20数隻いるが、うち白色塗装などをしたのは19隻。
例えば雷撃撃沈された「はるびん丸」は商船塗装だったようだ。
(610:166)

大井や新見政一の意見が取り入れられてもっと海上護衛を重視していたら、戦時中の日本の商船は史実よりも少ない損害で済んでいたでしょうか?

史実以上に護衛戦力を投入したところで
帝国海軍の余裕の無いの戦力からの遣り繰りでは
大井氏のいうような劇的な成果は見込み難かった。

また、日本の船舶喪失量がピークに達するのは
フィリピンに米機動部隊の進出を許し
南方との海上交通路が完全に遮断された段階。

米海軍との正面戦闘に必要な限度を超えて護衛艦を捻出しても
その結果として米機動部隊のフィリピン進出が早まれば
日本の海上交通路は史実以上に早く遮断されることになったと思われる。
(620:484)

何故、旧日本軍は当時の米軍や独軍に比べて潜水艦を使った戦争が下手だったんですか?

艦隊決戦主義にこだわりすぎたゆえ、それが一番の答えだと思います。

第一次世界大戦の延長として通商破壊を目的としてUボートを製造・配備したドイツと違って、
日本では艦隊決戦の前哨戦として、あらかじめ定められた配備線に沿って展開し
主力艦隊の交戦前に少しでも敵艦隊を沈めるという目的のために潜水艦を整備していました。
そのため、通商破壊に向いた中型の潜水艦の配備は少なく、またその硬直した運用のために
配備パターンを読まれて護衛艦に次々と撃沈されるという悲劇に直面してしまいました。
(303:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

対馬丸を護衛していた砲艦、宇治と駆逐艦、蓮は潜水艦を探知していたのでしょうか?

探知も出来ず、不意打ち状態です。
当時、低気圧の影響で海は荒れており、そのため、聴音機などの対潜機器が
使えませんでした。
(298:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

南太平洋海戦後の第3艦隊について、海戦後に99艦爆の機種改変を必要とする中で、選択肢は他になかったのか?

後に見られるように零戦の爆装しかなかったのですか。
後継の彗星が爆装状況で発艦できるのが、昭和19年の大鳳の実戦投入まで
隼鷹型、翔鶴型の4隻しかありません。
瑞鳳や千歳などの小型改装空母を機動部隊に編入して攻撃戦力として使うのには、
いまさら、回せる機体が爆戦しか選択肢がなかったと解釈すべきでしょうね。

追加だが、戦争の中盤以降、艦爆の攻撃方法が、彗星の採用により、
急降下爆撃だと、降下速度が速くなり過ぎ、投下高度がどうしても高くなるので、
命中率が下がり、その命中率の向上ために戦法として、緩降下爆撃が取り入れられ、
艦爆についてるダイブブレーキが不要になった。
それで、緩降下爆撃なら、軽快で、速度の出るゼロ戦でもできるんじゃないかということで、
爆戦採用となったという話もある。
(653:148-151)

台風の脅威を知らなかったアメリカ太平洋艦隊が大損害を受けた件について教えて下さい

「1.昭和19年12月17日~18日
昭和19年12月14~16日にルソン島攻撃を行ったアメリカ海軍第3艦隊は、
補給部隊から燃料補給を受けるためフィリピン東方洋上に集結中、
大型台風の針路予測を誤って針路上にまともに進入、
平均風速37m、最大60mという強風と激しい嵐に翻弄されました。
大型の正規空母以上には損傷はありませんでしたが、駆逐艦3隻が転覆沈没したほか、
軽空母4隻、護衛空母4隻、軽巡1隻、駆逐艦7隻、護衛駆逐艦3隻、
その他補助艦艇などに損傷を受け、航空機146機を失いました。

2.昭和20年6月5日
九州方面の空襲を行っていた第3艦隊は、九州~沖縄間の東シナ海で、米海軍が「ヴァイパー」と名付けた台風に遭遇。
特に単独行動をとって台風の中心に突入してしまった第38.1任務群は、
旗艦である正規空母「ホーネット」の飛行甲板艦首部分が、波浪によって圧潰してしまったほか、
戦艦「インディアナ」は風浪の中で操舵が困難となり、機関の一部が運転不能、
重巡「ピッツバーグ」は、艦首30mの船体がヘシ折られるなど、前回の台風では無事だった大型艦にも被害が生じました。
この台風では、沈没艦はありませんでしたが、戦艦4隻、正規空母2隻、軽空母2隻、護衛空母4隻、重巡3隻、軽巡4隻、
駆逐艦以下17隻の合計36隻がかなりの損傷を受け、航空機142機を失いました。」

下記、「太平洋戦争末期に、台風の脅威を知らなかった、アメリカ太平洋艦隊の護衛空母部...を参照ください。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1241098402

(665:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I*加筆修正)

マル3計画における空母建造の実態は米海軍にどの程度察知されていたんでしょうか?

開戦当時、米空母は太平洋に3隻しかいないけど、対抗艦をもっと置いておかないと軍事バランス的におかしいと思うんですが。
Jane 1939版では日本の新造空母は
 蒼龍型3番艦 翔鶴 1万トン 30~40機搭載

Jane 1941版では同じく
 蒼龍型3番艦 蛟竜 1万トン 30~40機搭載
 翔鶴・瑞鶴       1万7000トン 45機搭載

です。
これ以外に1939~40年にかけて4万トン超の新造戦艦3隻が就役する、と推定しています。

つまり、日本の空母陣は数だけ多く、一隻一隻は小粒と思ってたわけですね。
就役済の艦にしても
龍驤:24機
加賀:60機(最大、通常は30機)
赤城:50機(最大、通常は30機)
鳳翔:26機(最大、通常は20機+)
と推定されてます。

これがアメリカだと
レキシントン:90機
サラトガ:79機
レンジャー:72機(最大120機)
ヨークタウン級:83機(最大100機以上)
ワスプ:75機

ですから日本:200機弱~370機に対して米太平洋艦隊:250~270機という想定になります。
そんな劣勢に見えないでしょう? そういうことなんです。
(672:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

昭和17年ごろ輸送船が米潜水艦を撃退したという事が本に書かれていたのですが、本当でしょうか

昭和17年7月26日、特設運送艦「鹿野丸」は占守島からアッツ島へ向けての輸送任務に付きました。
アッツ島への揚陸任務を終え、キスカ島に向かった7月31日未明のこと、
突然の雷撃のため魚雷1発が命中し、鹿野丸は航行不能になりました。
さらに二度の雷撃を受けた鹿野丸は搭載した8センチ砲と13ミリ機銃により反撃を行いました。
幸い敵潜水艦の再度の雷撃は命中した魚雷の不発に終わります。
さらに浮上して潜望鏡を出して確認を行っていた敵潜に対して鹿野丸は20分間にわたる
砲戦を繰り広げ、ついに命中弾を与えることに成功しました。

戦闘終了後、鹿野丸はいったん乗員が脱出しましたが、翌8月1日に曳航されてキスカ港に入港し、
無事輸送物資の陸揚げが開始されました。
しかし、鹿野丸は9月15日の米軍機の爆撃により擱坐して放棄されてしまいました。

なお、沈められた米潜水艦はグラニオン(艦長M.L.エーブル少佐)であり、
7月15日に第25号、第27号両駆潜艇をキスカ湾外で葬っていました。
(290:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

太平洋戦争中、駆逐艦キラーと呼ばれた米潜水艦「ハーダー」を仕留めた艦艇を教えてください。

潜水艦の最後は、こうであろうというものが多いので一概には言えません。
Harderの場合も、1944.8.24 AM6:47頃、2隻の船を確認中に、掃海艇を発見し、待避にかかった。
その後15発の爆雷により、Harderは破壊されたとしか書かれていません。

掃海艇の艇名は不明、日本側記録では海防艦22号とのことです。
(46:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本軍の病院船が撃沈される事件について詳しく教えて

撃沈した艦長はどうなった?
一般的に「阿波丸撃沈事件」として知られる事件です。
昭和20年4月1日に緑十字船として連合軍から安全を保障されたはずの阿波丸が、
台湾海峡で米潜水艦クイーンフイッシュSS-393に撃沈されたもので、乗員2,005名のうち
わずか1名のみが同艦に救助されたという悲惨な事件でした。

同艦の艦長ラフリン中佐は軍法会議にかけられ、阿波丸の通行に関する命令を受信していながら
その命令に違反したことで「命令遂行の怠慢」について有罪とされ、海軍長官から
戒告処分の判決を受けました。
(58:名無し軍曹)

米海軍航空隊の急降下爆撃機乗りや雷撃機乗りは、日本艦隊の対空砲火の弾幕の濃さなど、どのように感じていたのでしょうか?

第二次ソロモン海戦に参加し、翔鶴を攻撃したSBDのパイロットの回想では、
 「敵空母からの対空砲火は激しかったが、大口径砲は照準が甘く、小口径の方が正確に撃ってきた」
とのこと。
また、摩耶を攻撃した別のパイロットの回想でも、
 「対空砲火は大口径、小口径とも激しかったが、射程が短く余り脅威とならなかった」
しかし、第10偵察飛行隊の電信員の回想では、
 「対空砲火はとても激しく、我々が海面から15~30mにまで急降下し、東に向かって高速で離脱しても止まなかった。
  戦艦(利根のこと)が我々に向かって主砲を撃ち始め、近くに着弾したら大きな水柱でやられてしまうかもしれなかった。
  回避運動を続けたが近くに打ち込まれ危うかった。驚いたことにこの対空砲火は我々が24km離れ、敵の艦橋が水平線下に
  消えるまで続いた」
と述べており、艦長や艦の熟練度によって変わってくる様です。
一方、雷撃機の場合は、マリアナ海戦に参加し、飛鷹に魚雷を当てたTBFパイロットの回想では、
 「対空砲火はとても激しく、撃たれまいと私は出来る限りの回避行動をしました」
とあり、レイテ沖で武蔵と大和に攻撃を行った雷撃飛行隊長の回想でも、
 「高速で敵に向かう最中に浴びた対空砲火は猛烈でした。戦艦は主砲さえ撃ってきました。
  私はこの戦術を戦前に乗り組んでいた初代ヨークタウンにいた頃から知っていましたから、
  驚きはしませんでしたが、やっぱり目玉が飛び出しそうになりますよ」
と述べています。
レイテの頃になると、日本海軍の艦も対空砲火が増強されたので、結構激しい砲火を浴びるように
なったみたいですね。
(246:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本海軍の誤攻撃の一つに「伊25がソ連潜水艦L16撃沈」があるそうですが、

これは本当なのでしょうか?
本当です。
撃沈されたのはソ連のレーニネッツ級のシリーズXIに属するL-16でした。
ソ連では1942年に、欧州戦線の戦況悪化を受けて6隻の潜水艦を太平洋艦隊から
北方艦隊に配置を移すことになりました。
6隻は太平洋を横断し、パナマ運河を抜けるためにアメリカ西海岸沖800キロを航行中に
その1隻であるL-16が偶然伊-25に補足されて撃沈されたのです。
残りの潜水艦は無事パナマ運河を抜け、1943年5月に北方艦隊に到着しました。

伊-25が撃沈した潜水艦がソ連潜水艦であったことは、戦後の調査で判明したことです。

余談ですが、回航された6隻のソ連潜水艦のうちL-16はアメリカ沿岸で失われましたが、
到着直前のバレンツ海で更に2隻(S-54,S-55)が失われており、無事到着したのは
3隻のみでした。
到着した3隻は大戦を生き延びています。
(243:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE )

米軍は日本空母の損失状況をどの程度正確に把握していたんですか?

大鳳や翔鶴なんかは魚雷を受けてからかなり粘った後に沈んだんで、米軍は沈没を直接目撃してないように思えるんですが。
基本的に捕虜情報、戦闘報告、航空写真、無線傍受情報によって、損失状況は
可成り正確に判っていました。

特に、無線傍受情報については、個艦の通信についても悉く解読しています。
即ち、ある艦の無線傍受情報が突然消えたのであれば、その艦は沈没したと判断
出来ますので、その辺の戦力情報分析は正確に出来ていました。
これに、必要とあらば、航空機による泊地偵察情報も補完されますので。
(202:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

映画連合艦隊で発着艦訓練したことない少年飛行兵が出てきました。

あの作戦だと瑞鶴の戦爆隊はベテランだったように聞いてますが、実際は映画のように発艦すら怪しいパイロットも紛れてたのですか?
特攻とか関係ないし、燃料はともかく空母はあるし
それと空母だからベテランを集めるとかもない
搭乗員はみな、定期人事異動で各隊を転勤するんだから
ずっと空母とかずっと基地とかでもないし、空母になったり基地になったり教官になったりを繰り返す
だからベテランの割合とか、空母も基地航空隊も変わらん
真珠湾の時でさえ、隊長級は飛行時間数千時間(数年)でも、ヒラ隊員には搭乗員歴半年(500時間程度)とかがいる
マリアナの生き残りもいれば、他隊からの転勤もいれば、海兵か練習航空隊出たての新米もいる
ごく当たり前の事でしょ
そりゃ中には発艦はともかく、着艦が不安な搭乗員もいるさ
(俺初質スレ2049:609)

野分とかどうして日本駆逐艦って、自慢の魚雷を撃沈される前に撃ってしまわないんですか?

日本の駆逐艦は次発装填できるとは言え、2斉射しかできない(おまけに戦闘中の次発装填なんてまず無理)
実質的には一発勝負の兵器だから使用タイミングは慎重にならざるをえない
魚雷使いきった駆逐艦なんて足の速さだけが頼りの最弱戦闘艦だしな

加えて、魚雷そのものの値段がべらぼうに高いから使い惜しむってのもある
(俺初質スレ40501:126)
コロンバンガラ島沖夜戦の「神通」みたいに、大破炎上・舵故障となった後に、たまたま艦が回頭した方位の関係で
投棄予定の魚雷の射線にたまたま敵艦隊がいたため、その方向に発射したケースはある。

それ以外だと、そもそも誘爆の危険があるような状況で魚雷発射のための操艦なんてできないので、敵艦隊を
射線に収めるのはほぼ無理。

あと、敵艦の猛砲撃で視界が全く効かない中、ほとんど照準もつけられずメクラ撃ちで発射したら見事に米駆逐艦
クーパーを撃沈した「竹」のようなケースもあるが、非常に稀。
(俺初質スレ40501:143)

太平洋戦争時の夜戦において、水偵を発艦させて照明弾を落としたり機銃掃射や爆撃で敵艦隊の照準を妨害する作戦は、行われたのですか?

一応第三次ソロモン海戦では試みられてる・・というか、飛行場に照明弾落とすはずが
結局そうなっただけだが。
でも結局乱戦であまり意味が無かったり。

艦載水偵が水上艦艇の夜戦に使われたのってそのくらいじゃなかろうか。
(俺初質スレ50505:114)

ソロモンで探照灯を付けた比叡は米駆逐艦に至近距離まで接近されたそうですが、なんで護衛の日本駆逐艦はそこまでの接近を許したの?

お互い発見できなかったから
(俺初質スレ50505:916)
サーチライトって、全方位を照射するものじゃないよ。
くらやみで懐中電灯を向けた以外の方向がわからないのと同じこと。
(俺初質スレ50505:918)
アメリカの記録によると発砲時の距離が1500m程度だからな
最初がそこまで近きゃどうしようもないわ

もっとも日本の記録では6000だそうだが
(俺初質スレ50505:919)


通商破壊


第2次世界大戦中、日本海への入口は日本軍により機雷封鎖されていたとのことですが中立国(ソ連を含め)の船舶も通航出来なかったのでしょうか?

「海上護衛戦」によれば、海峡の機雷封鎖は米潜水艦対策であり、
ソ連の船舶はもちろん潜行しないので
「宗谷・津軽両海峡には深深度敷設した」とか。

ちなみに、両海峡を通って送られたアメリカからの対ソ援助物資はその総量の5割にあたる。

ドイツ人にこのあたりの話をすると、怒る人もいたりする。
(25:829)

太平洋戦争で日本海軍の潜水艦隊が通商破壊戦を行っていましたが、連合軍の戦略に何らかの影響を与えたのでしょうか?

また影響を与えなかったとすれば、何が日本軍の間違いだったのでしょうか?

開戦から1年弱ほど仮装巡洋艦まで投入してインド洋でそれなりの成果を上げている。
そんでもって、インド洋に1個潜水艦隊規模を投入しての大々的な通商破壊作戦を行おうとして
準備中にガタルカナルでの戦いが起こり潜水艦がほとんどソロモン海に投入されたがそれでも細々と
1個潜水戦隊規模で通商破壊を行ってたのだが、連合軍の戦略に影響を与える程度の損害を与える
ことが出来なかった。
結局のところ、通商破壊を行うにしろ、太平洋には通商路がほとんど存在せず、前線の兵站への攻撃が
関の山だが、日本軍の方針として、商船よりも軍艦、それも大物狙いを優先した戦略方針にまちがいが
あったとしか。
まあインド洋で大規模な通商破壊をやれればまた違った展開になるだろうけど、その際でも潜水艦の損害が
激増して、先細りになったであろうけどね。
(474:415)

アメリカ西海岸で日本潜水艦が行った通商破壊の成果は?

太平洋戦争開戦時の真珠湾近辺での哨戒後に
第6艦隊の一部伊9.10.15.17.19.21.23.25.26の9隻にて先遣支隊を編成
アメリカ西海岸沖で12/27まで通商破壊戦を実施
成果は撃沈または着底5隻 大破5隻 計6万4669トン
(533:627)

12月20日頃より作戦開始。

21日 『エミディオ』号撃沈(タンカー、6912総トン) 伊17 雷撃による
    『アグィワールド』号大破擱座(タンカー、6771総トン) 伊23 砲撃による
22日 『モンテベロ』号撃沈(タンカー、8272総トン) 伊21 雷撃による
23日 『H・M・ストーレイ』号撃破(タンカー、1万0763総トン) 伊19 魚雷1本命中
    『アイダホ』号撃破(タンカー、6418総トン) 伊21 雷撃による
24日 『ラリー・ドヘニイ』号撃破(タンカー、7038総トン) 伊17 魚雷1本と砲撃による
25日 『アブサロカ』号撃破(貨物船、5695総トン) 伊19 雷撃による
    『ドロシー・フィリップス』号撃破擱座(客船、2119総トン) 伊23 砲撃による
28日 『コネチカット』号撃沈(タンカー、8684総トン) 伊25 雷撃による

残燃料の関係で各艦共23~27日頃までに帰投行動に入っており、わずか10日足らずの作戦期間だった。
通商破壊戦においては1回の出撃1ヶ月前後の作戦期間(戦場に到着して以降帰投に移るまで)で
1隻の潜水艦が3隻も撃沈破すれば大戦果と評価される。
そんな中、9隻がわずか10日でこれだけの戦果を挙げたのは十分に作戦成功と判断された。

なお、作戦期間中に西海岸各地に砲撃を試みたが連合艦隊司令部より一旦命じられたものが撤回・延期された。
これは砲撃期間がクリスマスにかかるために避けられたとされる。

以上『日本潜水艦戦史』(図書出版社)より
(533:700)

ちなみに、1942年1~4月の間に、ドイツ海軍のUボートは、アメリカ近海にて、『太鼓の響き(Paukenschlag)作戦』を決行、
115万tの戦果もおさめています。
これを割り算しますと、ほぼ1日1万トンになります。
しかも、撃沈のみです。

参考図書
『歴史群像』2005年6月号 記事、サブマリナー24H
下記、Der Alteを参照ください。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~PEIPER/page013.html
(533:634:霞ヶ浦の住人 ◆WdKJPq1xgk)

その1942年1~4月のUボート1隻・1日当たりの撃沈戦果ですが
1月 231トン/日・隻(洋上出撃42隻)
2月 296トン/日・隻(50隻)
3月 341トン/日・隻(48隻)
4月 284トン/日・隻(49隻)
にしかなりません。

その1日1万トンという数字は、50隻近いUボートが総がかりでようやく挙げた戦果なのですよ。
(533:978:ゆうか ◆9a1boPv5wk)
上記の(洋上出撃42隻)とは、どこへ出撃した数か教えて頂けましたら幸いです。
ゆうか氏の出した資料によると、その延べ42隻は、前線に移動中もしくは帰投中で作戦を行っってたのは
91隻だね。
        在籍 前線 後方 出撃 戦果
1942/01  262隻 91隻 171隻 42隻 231t/隻・日 (56隻 301,224t)
http://mltr.ganriki.net/unc0533.html#16559
(621:637)
その91隻ですが、

23隻が地中海配備(地中海にいる、という意味で、作戦海域に向かっているものと作戦海域より帰投中のものを含みます)
3隻が母港より地中海に向け出撃中
6隻がジブラルタル西方つまり大西洋側で哨戒中
4隻がノルウェーで作戦行動中
22隻が大西洋で行動中(出撃中並びに帰投中を含む)
33隻は母港で整備中

となります。
「22隻が大西洋で行動中(出撃中並びに帰投中を含む)」の内の、何隻かが、アメリカ近海で、太鼓の響き作戦を実施していたのですね?
この時点でアメリカに向かっていたのは第一グループ5隻です。
概ねアメリカ海域には13~15隻前後が常時作戦行動を行っています。
別に出撃・帰投分を考えれば、洋上出撃50隻前後の内の少なくとも20隻以上はこの海域に投入した計算ですね。

なお、4月以降は「乳牛」が投入される一方で連合軍側の対潜哨戒が遅まきながら強化されたため
アメリカ海域での作戦は様相を変えていくことになります。
「概ねアメリカ海域には13~15隻前後が常時作戦行動を行ってい」たのですね!
勘違いしてますが、あなたがティンパニーの響きと思っている一連の作戦の大半はその管轄外です。
アメリカ東海岸を荒らしまわった「ティンパニー」は5隻+増援で10隻前後が割かれています。

残りはカリブ海からバミューダ諸島に至る海域で、ここには「ティンパニー」以上のUボート群が投入されます。
ドイツ長距離潜水艦Ⅸ型の主たる戦場がここです。

総括しますが、パウケンシュラーク参加の5隻のUボートはざっと50日かけて27隻を撃沈します。
Uボート1隻が、ほぼ10日に1隻のペースで商船を撃沈していたということです。

これと日本が西海岸で挙げた戦果を比較しますと、
9隻が8日で4隻撃沈2隻擱座で6隻の戦果を挙げます。
つまり、伊号が挙げた戦果はパウケンシュラークのUボートに全く引けをとらない撃沈ペースだったのです。
大西洋と太平洋の差はあまりに大きく、日本が対米通商破壊戦を行えたのはこの一度きりだったのですが、
戦果そのものは最盛期のUボートとほぼ同等のものでした。
(621:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

日本海軍は海上通商路の重要性を認識していませんでしたか?

『戦史叢書 海上護衛戦』では、
戦前に海軍が戦時下のシーレーン防衛にどの程度の戦力が必要か
研究班を編成して分析していたことが記載されていますよ。

その研究結果によると台湾海峡以北の海上護衛だけで
膨大な護衛艦隊に航空隊が必要で
日本の戦力ではとても捻出不可能だったとか。

同書では海上護衛に史実以上に戦力を傾注しても
十分な効果が望めたとは考え難いことと
日本の状況では正面戦力による主作戦で成功を続け
シーレンに対する攻撃を直接抑制するしか
通商破壊に対抗する手段が無かったという分析と合わせ
海軍の主作戦重視の判断はそれなりに妥当性があったと結論されいます。
(620:390)

日本はなぜ通商破壊戦に力を注がなかったのか?

ドイツやアメリカは大量の潜水艦を使って通商破壊戦を繰り広げ
イギリスの海上輸送を一時的に不可能にさせ、日本軍の輸送船を撃沈し物資輸送を半分ほど麻痺させました
一方日本軍の潜水艦は敵の主力艦隊に出来るだけ痛手を負わさせる事が主任務ということになっていたので
通商破壊戦には少し関心がなかったようで、大量の潜水艦をアメリカ艦船を沈めるために使われてしまいました
潜水艦の使い方とその予防をおろそかにしたがために太平洋戦線の慢性的な物資不足が発生し
決定的な物量の差が出てしまったのではないでしょうか?
アメリカの通商路は北米大陸沿岸と西海岸~、ハワイにしかなく日本から
通商破壊を仕掛けるには距離がありすぎて、非常に効率が悪い。
日本が見習うのは、ドイツの通商破壊でなく同じ島国であるイギリスの対潜作戦のほう。
(542:274)
付け加えると第一次世界大戦後早い段階で通商破壊の是非は検討されてますが
そういう「攻撃する通商路ねーじゃん」でさっさと諦められてます。

しかし艦隊襲撃の困難さは海大型が完成型に達した昭和14年頃には皮肉にもすでに認識されており、
潜水艦戦略の抜本的見直しが行われてはじめたところで開戦を迎えたタイミングです。

つまり日本潜水艦陣は旧来の戦略が効率的ではないことを認識しつつも
新たな戦略を未だ構築しきれない、非常に中途半端な状態で戦争に突入したのです。
(542:ゆうか ◆9a1boPv5wk)
学研ムック「日米潜水艦」に書かれていることと矛盾すると思われますが、
どのようなところから「中途半端な状態」と評価されるのでしょうか?
昭和15年の段階で軍令部は艦隊決戦への投入を断念し、その運用方針をロンドン条約以前のものに回帰した、と記述されており、
これを中途半端と呼んでいいのか疑問を覚えます。また、開戦直前に着手した○追計画の眼目が
「積極的に通商破壊戦を展開、潜水艦搭載機による要地爆撃で米国世論を刺激し 決戦を誘引する」
とはっきりと示されているにもかかわらず、これを「中途半端」というのでしょうか?
日本海軍は旧来の戦略の過ちを認め、新戦略を構築した上でそれに適した戦力整備に着手した途上で開戦を迎えたように思われるのですが、
中途半端と判断された資料など示していただけないでしょうか?
潜水艦史とか海軍軍戦備とか日本海軍潜水艦史とか、その辺を読み込めば。
後は防衛研究所の史料(訓練所見とか潜水艦隊の戦技研究とか)もありますが。

もっとも事実に対する解釈の相違というのもあるでしょう。
昭和14年時点で潜水艦側の見解は一言でいって「敵艦隊発見でさえ運まかせ、まして攻撃など」とボロクソです。
一方で軍令部の運用方針には未だに潜水艦の決戦投入がうたわれてるんですねこれが。
てかそれしかなかったというか・・・「困難だがやらねばならぬ」が偽らざるところですか。

後○追計画の眼目ですが、正直言って当の海軍があまりあてにしてません。
というより、決戦時期を主導できないことこそが漸減戦略最大の弱点であることは
策定当初からの大問題でして、結局開戦まで海軍はその「決め手」を持つに至らなかったんです。

ま、中途半端と判断してるのは昭和16年度時点に至ってなお潜水艦隊の想定任務について
アレはダメ、コレもダメ・・・と、有効性を否定しまくってる(つまり有効と認めうる段階まで戦略を構築しきってない)のが
上記戦技研究なんかから読み取れるからです。
通商破壊は前述の通り攻撃場所がない、要地偵察は敵戦闘機に食われる、
艦隊攻撃は敵に振り切られるし警戒厳重・・・
利点より欠点を強調する描写がやたらと目立ちます。
(542:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

インド洋での通商破壊は日本海軍がすべき任務だったけど、熱心では無いので仕方なしに、ドイツ海軍がやって来て戦闘をしていたの?

インド洋の作戦海域は最初の作戦協定を締結時から、日独で等分されており、必要性があれば、協議によって
作戦海域を融通していました。
インド洋が日本の担当作戦海域と言うのは、間違いです。
だから、連合軍のマダガスカル攻略戦のときに日本の潜水艦で襲撃するために事前に協議を行い
作戦海域の融通を認めさせてます。
しかしマレーシアのペナン島で、日本海軍に居候しながらは異常です。
米海軍はイギリスの基地に居候しながら欧州で戦っているし、
オーバーロード作戦でもグレートブリテン島を根拠地にしているし、
ドイツの地中海や北アフリカ戦線にしたところでイタリア軍の世話になってるんだが?
(620:518,532)

日本はなぜ『海上護衛戦』に書かれているように敵の通商破壊に対する対策を怠ったのでしょうか?

戦史叢書の『海上護衛戦』では

「イギリスはドイツの水上戦力を完全に無力化した後に戦力を海上護衛だけに集中することができたが、
帝国海軍は強大なアメリカの正面戦力と対峙しつつ海上護衛に戦力を抽出する必要があった点に大きな差があり、
海上護衛が万全でも正面戦力同士の主作戦で敗北すればシーレーンは封鎖されることになるし
そして史実以上の戦力を海上護衛に割いても十分な効果が望めたかは疑わしく
平時から海上護衛を達成できるほどの強大な戦力を持てる国力があったのはアメリカのみであり、
イギリスはその支援の元に海上護衛を行なったもので、事実上日本はイギリスより大規模で困難な海上護衛を行なっていた状況だった」

というような結論が述べられている。
大井篤氏の『海上護衛戦』については、どちらかというと全体的な状況分析より
現場の声を重視した書き方をしているから、その差が戦史叢書との違いに現れているんだと思われる。
(603:556)

アメリカの存立に関わる通商路が太平洋にあったの?

貿易ってのは出す側と受け取る側、双方があってはじめて成立するものです。
つまりアメリカは輸出する側として巨大な通商路を有する大海運国家でもあるわけで、
よってアメリカが相手であっても通商破壊戦は立派に大きな効果を発揮します。

でもね、アメリカが太平洋に持つ通商路って、
本土~ハワイ~グァム~フィリピンの細い一本だけなんですよね。
大戦によってこれが途切れ、替わりに行き先をオーストラリアに変更した、やはり細い一本。

それ以外でアメリカに大ダメージを与えうる航路が太平洋にあるか?
実はあります。
ただし日本の手の届かないはるか遠方に。
大西洋と太平洋をパナマ乃至マゼラン海峡で繋ぐ東西交流路。
これは行き交う船腹量も多く、大戦果が期待できる海域です。
部隊を展開できさえすれば。

日本は開戦直後のただ一回きり、この航路で通商破壊戦を仕掛け、大きな戦果を持ち帰っています
(620:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

日本海軍が米潜水艦による通商破壊を極めて深刻な物と認識したのはいつ頃のことでしょうか?

開戦前は船舶の損失を1年目は100万総トン、2年目は80万総トン、3年目は60万総トンと
年毎に減少すると予想していた
実際には年を経るごとに損失は増加していった

開戦前は日米共に潜水艦の役割は艦隊決戦のうらかたという存在でした。
潜水艦は予め敵の艦隊が通過するだろう場所に待ち伏せし敵艦隊の通過を自軍の艦隊へ連絡する。
偵察の役割を主に担うものでした。
しかし太平洋戦争開戦前に欧州ではアメリカとイギリスを海路で結ぶ商船が次々とUボートの餌食になり、
アメリカは自身の身を持って潜水艦の新たな使い方を学びました。
その結果、アメリカ海軍では潜水艦の使い方を通商破壊に使うための研究をし、その後太平洋戦争に突入しました。

逆に日本海軍にはそのような経験がなく、また開戦前に商船被害は開戦直後から開戦二年後にかけて逓減して
いくと見積もっており。むしろあそこまで被害が拡大するとは考えていなった。
それに作戦に使える駆逐艦の数を減らしたくなかった連合艦隊の反対もあり商船護衛に回せる駆逐艦があまり
なかったことが原因で商船を保護しきれませんでした。

一部の人間を除き、海軍全体的には商船護衛の必要性は結局終戦まで認められませんでした。

最初の兆候は1942年10~11月にかけて
ガタルカナルを巡る戦いの中で空襲等で17万7千トン16万8千トンの損害を出した時だが
日本海軍内では、これはあくまで一時的な損害という認識だった。
日本海軍内では月平均7万トンの損害があり、ガタルカナルさえなければ
損害は月平均内なので問題がないという認識だった

米軍は1942年6月からは潜水艦に水上レーダーを装備させ
1943年4月からは潜水艦戦術を大西洋のドイツ海軍を見習い改善
米軍の潜水艦より発射する魚雷には欠陥があり命中しても不発だったのが
1943年の6月以降に改善された魚雷が米潜水艦に配備され
9月には不発の多い磁気信管の使用が禁止された。

日本軍側は1943年に入ってからの月平均7万トンを超える商船の損害と
損害トン数の増加に対して、護衛艦の増産を予算請求することを決定したのが1943年の6月
その護衛艦が出来上がる1944年ころには、米軍は潜水艦の数が増え、魚雷の欠陥はなくなり
電子装備は優れ、という状態になっていた。

開戦前なら、日本軍は米軍の潜水艦は、日本の潜水艦の戦術と同じように日本の軍艦を標的にするだろう
後方の商船への攻撃はあまりないだろうという認識だった。
(167-183)

日米の潜水艦は、それぞれどれぐらいの戦果を挙げたのか?

  • 日米潜水艦の撃沈戦果比較
     艦艇撃沈 船舶撃沈
日本   15隻   171隻(84.9万トン)
アメリカ 189隻  1150隻(486万トン)

  • 日本潜水艦の艦艇撃沈戦果内訳
撃沈数  艦名
空母 2 ヨークタウン・ワスプ
護衛空母 1 リスカムベイ
重巡 1 インディアナポリス
軽巡 1 ジュノー
油槽艦 1 ミシンネワ
駆逐艦 3
潜水艦 3

  • 日本潜水艦の通商破壊による戦果(太平洋
年度 参加隻数 撃沈
1941 12 11
1942 13 19
1943 15 23
1944 0 1
合計 40 54

  • 日本潜水艦の通商破壊による戦果(インド洋
年度 参加隻数 撃沈
1941 0 0
1942 24 77
1943 8 22
1944 6 16
合計 38 115

日本の通商破壊戦は1944年11月で終了

下記、日本の通商破壊戦 を参照ください。
http://www.geocities.co.jp/eiji96301045/Jsubmarine.htm
(673:霞ヶ浦の住人 ◆1qAMMeUK0I*一部修正)

軍艦が沈没する時に艦長が運命を共にするのは日本だけなんですか?

戦局悪化してからは日本でも人的資源確保の為に、艦長が艦と運命を共にするのは禁止した
戦争前半でももちろん生還する艦長もいたし(ただし艦を沈めた責任で左遷されたが)
駆逐艦綾波艦長なんて、敵駆逐艦3隻と差し違えて撃沈されたから、堂々と生還してきたよ
戦果を挙げた上で撃沈されたなら問題ないんだが、事故で艦を座礁や衝突させたとかなら、米軍でも左遷される
んで外国でもたまに艦と運命を共にする人はいた
マレー沖のプリンス・オブ・ウェールズとか(艦長でなく司令官だが)
(俺初質スレ436:559)
帝国海軍の場合、ミッドウェーで山口司令官や優秀な空母の艦長が軒並み死んで
(それも未来を背負うと目されててレーダーや戦術の献策も先進的だった艦長ほど)
海軍としてはできるだけ将官クラスが死なないよう配慮してる
一方で陣頭指揮しないようではここ一番で押し切れないと反対の言を述べた将官もいる
(俺初質スレ436:562)


各海戦・作戦


レイテ沖海戦での栗田艦隊と米護衛空母群との砲撃戦で日本側の発射した砲弾が徹甲弾であったため命中したが爆発せず素通りしてダメージを与えられなかったという話を再三聞いたがいくらなんでもそれはないのでは?

ありえます。

徹甲弾は、一般に硬いものに一番効力を発揮するものですが、護衛空母は一般的な商船の構造そのままを用いているので、
徹甲弾が威力を発揮する硬さの鋼材ではありません。
従って、徹甲弾が威力を発揮する前に突き抜けてしまうこともあります。
また、戦艦相手だと、装甲を突き破ってから内部で爆発するのが一番効果的なので、遅延信管を用います。
ところが、突き抜けてしまうので、外に出てから爆発し、至近弾程度しかダメージを与えられなかったようです。

こういった商船構造の船に対しては、榴弾でしかも触発信管の方が効果的だったのでしょうが、
「軍艦=装甲しているもの」という観念があったからか、頑迷なまでに徹甲弾を使っていたようです。
(大和の場合、三式通常弾24発に対して91式徹甲弾は100発も使っている)
(20:眠い人 ◆ikaJHtf2)

「ミッドウエーのエース重松大尉のその後」について知っておられる方

ミッドウエー後の経過はわかりませんが、重松大尉は昭和19年7月、サイパン島で戦死なされたそうです。
(21:ベタ藤原 ◆94Ls6/3E)

1945年7月に行われた釜石に対する艦砲射撃に関する日本側および連合軍側よりの戦闘/被害/戦果に関する資料が知りたいのですが

釜石艦砲射撃
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yunta/06.htm
おそらくそれほど詳細な資料は、現地に出向いて市役所や現地図書館で市史やその他
戦災関連資料を閲覧するしかないのでは?
(36:679)

南極観測船〈宗谷〉は、ミッドウェー海戦に一体何をしてたんですか?

測量と輸送任務ですね。
(44:961)

第二次大戦中に日本の潜水艦がドイツに行ったらしいけど燃料とかどこで補給したんですか?

マダガスカル島付近で洋上補給を受けています。
当時の航路は、インド洋からアフリカ南端の喜望峰を回り大西洋を北上してフランスをめざす
航路しかありませんでした。
たとえば伊30潜水艦は昭和17年6月30日に仮装巡洋艦報告丸・愛国丸から補給を受けて
一路フランスをめざし8月2日にフランスのビスケー湾に到達しています。
また伊8潜は昭和18年7月6日にマレー半島ペナン港を出発し、途中伊10潜から補給を受けて
約二ヶ月でブレストに到着しています。
(48:名無し軍曹)

太平洋戦争の天王山はミッドウェー海戦ではなく、マリアナ沖海戦だったというのは本当ですか?

後世の評価は様様ですが、一方の当事者、日本海軍から見た場合。

ミッドウェイで損耗した空母機動部隊をなんとか建て直し数も揃えた。
練度に問題はあるが日本機の特徴である大航続距離というアドバンテージそのものは崩れていない。
小沢冶三郎中将は出撃前の訓示で「この戦いに負ければ海軍に存在意義は無い」と語ったそうです。
実際には諜報、集積戦力、燃料、防空システム、その他もろもろで惨敗しますが、
日本海軍が「戦争そのものに勝つつもりで米海軍に挑んだ」すなわち太平洋の覇権を
争う道具である空母機動部隊を用いた最後の機会だったわけです。
意気込みだけで戦争をするわけではありませんが日本海軍は間違いなく
「天王山」のつもりでいましたし、これを下した米海軍については、
この海戦以降は空母を起工していない…すなわち戦争の帰趨は決したと考えていたと思われます。

ですから主敵たる米軍側呼称「太平洋戦争」の「天王山」がマリアナ沖海戦であるという指摘は間違いではありません。
分析する視点によって変わるのは既に軍板住人諸兄姉の書き込み通りです。
(51:ふみ)

1945年の大和特攻出撃時にアメリカ軍の司令官は当初戦艦部隊に迎撃を命じていたが、大和が本土に引き返すそぶりをしたので航空部隊が大和を攻撃したというのは本当でしょうか。

当初アメリカ側が、戦艦で迎撃しようとしていたのは間違いありません。

しかしながら、大和以下の第1遊撃部隊は、
豊後水道で早くもアメリカ潜水艦に発見されたことを懸念して、
少しでも敵に補足されにくい西の方へ針路を変更しました
決して本土に戻る素振りではないです。

この針路の変更も、アメリカ側の索敵機に補足されることとなり、
戦艦隊による補足が困難と判断され、航空機による攻撃に切り替えられました。
(67:797)

戦艦大和が撃沈された戦いで、米軍側はどの程度の被害があったのでしょうか?

撃墜戦果報告
  「大和」       敵機撃墜3機 撃破20機
  第2水雷戦隊    敵機撃墜19機(沈没艦を含めず)

 沈没艦/収容人員
  第2艦隊司令部 准士官以上4名(参謀長、砲術参謀、副官等)
  第2水戦司令部 異常なし
   ●大和 准士官 副長以下23名 下士官・兵246名
   ●矢矧 准士官 艦長以下37名 下士官・兵466名
   ●礒風 准士官 艦長以下全員  下士官・兵326名
   ●濱風 准士官 艦長以下12名 下士官・兵244名
   ●霞   准士官 艦長以下15名 下士官・兵307名
   ●朝霜 艦長以下全員戦死と推定

 健在
   ○冬月 中破 戦死12名 戦傷12名
   ○涼月 大破 戦死57名 戦傷34名
   ○雪風 少破 戦死 3名 戦傷15名
   ○初霜 被害なし      戦傷 2名

  米側資料
  戦闘機180機 爆撃機75機 雷撃機131機 計386機
  米側被害 撃墜10機

マレー沖海戦の「プリンスオブウェールズ」の戦死者は総員の20%に過ぎなかったが、
大和は90%以上の戦死者を出した。これは残存艦隊に対し日没近くまで攻撃をかけ、
漂流者に対しても機銃掃射を加えたという米軍の徹底した攻撃によるものである。
(87:731)

ミッドウェイ海戦では、爆装と雷装の換装ミスが主たる敗因となりましたが、当時の陸用爆弾と魚雷では、艦船に対して与えられるダメージは、どの程度の差が出るのですか?

ミッドウェー時に97式艦上攻撃機が積んでたのは30~80kg級の小型爆弾複数。
水平爆撃で運良く当っても甲板の掃除ができるくらい。
99式艦爆は陸用250kgだったけど触発信管だから飛行甲板上で爆発。
普通450kg三発喰らって生還した翔鶴よりは被害が少ないと思う。
(369:270)

ミッドウェー作戦では、どうして戦艦部隊は後ろからついていったんですか?

敵艦隊の出現を警戒しているんなら、なるべく前に出て、哨戒機が敵艦隊を発見したら速やかに艦砲で反撃したほうがいいんじゃないですか?
艦隊決戦をするためです。
主力部隊はミッドウェー攻撃を知った米艦隊が真珠湾を出撃し、ミッドウェー来援に到着する頃に
同様に決戦海面に到着することを想定しています。
日本海軍が、その主力部隊(戦艦部隊)を、わざわざ空母機動部隊の後方500kmに位置させた理由は何なのですか?
500kmという数字の意味をよく考えてください。
遠方に見えてわずか300浬弱。
18ノットの艦隊巡航速度で半日強で追いつける距離です(南雲部隊が同一海面に留まる前提ですが)。
これは後方と言えるほど後方ではないのです。
戦略単位として考えるなら半日強の時間差は部隊間距離として十分にアリです。
そもそも戦略機動力では南雲部隊も主力部隊も巡航速度は変わりません。
どちらも足は十分に速いのです。
もっとも実際の戦闘においても日本の戦艦部隊は25ノット前後の高速戦艦部隊であり、
空母部隊が30ノットで動いたとしてもその差は5ノットでしかないのです。
それで、戦艦部隊の存在意義はあったのですか?
あります。
米艦隊は戦艦の出撃も検討しており、
南雲艦隊は戦艦以外にも2隻の米空母(ヨークタウンは想定外)とミッドウェー航空隊を相手取らねばなりませんから、
それに対抗するのには完全に力不足です。
仮に米戦艦が現れないにしても、南雲艦隊の消耗を補うためにはやはり別の艦隊が必要なことに変わりはありません。
ミッドウェー作戦は、どの道南雲艦隊だけで完遂できるようなものではないのです。
(518:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

陸軍はミッドウエー海戦の大敗北等の海軍の失態を把握していたんでしょうか?


少なくともミッドウェー海戦の敗北に関しては、直後に陸軍に伝えられています。

戦史叢書「大本営海軍部・聯合艦隊<3>昭和十八年一月まで」p10から転載
 六月六日午前、軍令部第一課は参謀本部作戦課長以下の来部を求めて、戦況を説明するとともにF・S
作戦を延期すべき意見を述べた。その情況は左のとおりであった。
[出典:「井本日誌」 当時、参謀本部第二課部員井本熊男中佐(のち大佐)の業務日誌]
 海軍ノ面持沈痛也 山本中佐より「ミッドウェー」方面ノ戦況ヲ説明ス 昨五日ヨリ本日ニカケ航空作戦ヲ
実施 戦況不利ニシテ赤城、加賀、蒼龍、飛龍ノ四隻沈没シ 聯合艦隊ハ戦を離脱シテ布哇西方約一千
浬ニ集結中也(中略)F・S作戦ハ一時中止 Fハ少クモ二ヶ月延期スルコトトナル(軍令部一課ノ意見)
 この敗戦は陸軍部にとっても、まさに青天の霹靂であり、田中作戦部長を「思いもかけぬ大敗北、太平洋
の覇業潰えたり」と嘆でしめ、杉山参謀総長は暗然として「永野総長の二年間の保証が破れた。屈敵の方
法を太平洋以外に選ばなければならなくなった」と述べた。
[出典:「田中新一中将業務日誌」 当時、参謀本部第一部長田中新一少将(のち中将)の業務日誌]
(526:918)

マリアナ沖海戦においてなんですが、陸海軍の基地航空隊は米機動部隊を攻撃しなかったんでしょうか?

ビアク方面で消耗していたため、戦力が残っていなかった。
一応出撃しているが、たいした効果がなかった。
2月23日の空襲で120機を喪失。
その後、なんとか600機を整備。
ビアク襲来に反撃のため相当数をパラオ方面へ移動し、その大半である400機以上を失う。
マリアナへの直前空襲で150機を失う。
反撃可能戦力約50機。
(525:948)

アリアナ沖海戦は七面鳥打ちとか一方的に負けてますが、どうしてなんですか?

陸戦・海戦を問わず「ここで負けたら後はない」という戦いだったのに
マリアナの敗戦原因は以下が挙げられると思います
軍人官僚政府にありがちな人命軽視、シビリアンコントロール欠如
 1)ミッドウェーで空母の安全欠陥が判明したが「軍の外からメスが入らなかった」
   米国と違い、議会主導で軍部の外に「ミッドウェー敗戦原因究明委員会」を設けて抜本的に
   軍艦の安全性の総点検をしなかった。従って「ミッドウェーで問題になった箇所」
   しか安全欠陥が改善されず、別の箇所の安全欠陥が露呈して空母大鳳を失った
 2)零戦が燃え易いなど安全性の欠陥があったが改善されなかった
   これは源田など不適切な人間を指導的地位に上げた「上司主観評価」人事制度の欠陥
   と、上記のように「敗戦/問題の官僚組織外からの外部監査」が不徹底だったことによる
   また2.26/5.15のあと軍部を批判した勢力は殺される風潮が広がり、誰も軍部を批判できなくなった
   米国なら戦闘機の防弾不足は新聞に叩かれ、政治家から軍部へ改善への強い指示があった筈
   だが「戦前の日本は現在以上に民主主義国ではなかった」ため軍人の人命軽視文化が支配していた
   その結果、マリアナの頃には多数の熟練パイロットを失っていた
 3)米国と違い、飛行艇によるパイロットの救出を行わなかった
 4)米英独に比べ科学者の地位が低く、軍人の技術や試作の必要性への理解度が低かった
   また、官僚組織は減点主義なので、新兵器を多数試作して技術優位を掴もう
   とするより、会議でケチをつけて自分を賢く見せようする有害な連中が跋扈
   する文化であった。(これは現在にいたるも大して変わっていない)

全般的に、マリアナでは、戦術的には比較的ミスも油断も(ELV覆った事以外)なかったが、日本は米国
より軍人官僚主義の弊害が大きく、この頃になると一気に噴出していたのが国力と並ぶ敗因でしょう

現在も、「飛行機墜落の場合のような原因究明・再発防止委員会」が議会主導で開かれないで
責任はうやむやにされることは多いです。年金問題も薬害問題もそうですね
また現在も、他の先進国が戦車を犠牲にしてもAPC確保している一方で陸自はAPCの装備率が低いです
改革しないとまた同じような過ちを繰り返して恥ずかしい負け方をするであろうと思われ
(532:872)

珊瑚海海戦のときに、日本艦隊の攻撃隊がアメリカ側に比べて少ないのは?

空母の数で上回っていて、日本では最大級の2隻も参加してるのに、どうして少なかったんでしょうか?
空母が3隻といっても1隻は軽空母の祥鳳で戦闘に参加する前に沈められました。
これで隻数は互角。
空母のほうですが翔鶴級よりもレキシントン、ヨークタウンのほうが搭載機数自体が
多かった。さらに航空機が減ってるのは、出撃して帰還時に損傷が大きいと判断された
機体は海中に投棄されてる為。
(526:549)
もともと搭載してる数が少なかったんです。
翔鶴型はたしかに搭載能力が大きく、真珠湾攻撃時には常用72機が定数でしたが、
珊瑚海海戦の際には定数が54機に減らされてしまっていました。
搭乗員が足りなかったようです。
開戦後に空母も陸上航空部隊も増えてますし、よそから借りた乗員は返さなきゃいけないし。
そのうえ戦闘で消耗し、
翔鶴が損傷して2隻分収容せねばならないこともあって、
上のレスのとおり傷ついた機体はどんどん捨てたり。
おかげで昼間の攻撃隊の数も少ないですし、作戦終了時の残存戦力が激減してるんです。
(526:553:◆yoOjLET6cE*一部改編)


連合艦隊は、あ号作戦でサイパン上陸されるのを待ってノロノロし、地上戦開始後も上陸部隊輸送船団を放置して、沖の空母をウロウロ指向したそうですが、

これは犯罪ではないですか
主攻撃目標が敵機動部隊だったから。
まず機動部隊を撃滅してから輸送船団を攻撃するという計画だった。

機密連合艦隊命令第76号
1 連合艦隊は(…)敵進攻兵力、就中敵機動部隊を覆滅し以て敵の反抗
 企図を激摧せんとす
2 本作戦を「あ号作戦」と呼称し作戦要領を別冊第1乃至第3の通定む
別冊第1 「あ」号作戦要領
作戦方針
 (…)本決戦は主として昼間強襲に依り敵機動部隊を攻撃撃滅す 

機動部隊「あ」号作戦計画
機動部隊作戦方針
 (…)敵進攻兵力、就中敵機動部隊を覆滅し以て敵の反抗企図を激摧す

第1機動艦隊戦策
戦闘方針
 (…)航空部隊の全力を挙げ機先を制し先ず敵航空母艦を撃滅し 更に
艦隊の全力を挙げて残敵を追撃し之を殲滅するを本旨とす
(538:125)

大和の沖縄特攻の際、航空機の援護がなかったのは、出さなかったのか、出せなかったのか、どちらなんでしょう?


別の任務、すなわち全力特攻を行っていた。
むしろ大和は囮任務だったのだよ。

菊水1号作戦は、水上特攻と航空特攻を組み合わせたもので、
航空部隊は同時に行われた航空特攻作戦に大半が投入されていた。
それでも、水上部隊には一応の護衛をつけることになっていたが、兵力不足から断念した。

鹿屋から航続距離ギリギリまで援護があったそうだが、なにしろ空母がいないからな。
沖縄はもうほとんど制空権をとられていたし。
(363:326,327,334)

サマール沖海戦で、カサブランカ級護衛空母は最高速でも20kt無かったはずですが、なぜ数時間も追撃しておきながら1隻沈めただけで取り逃がしてしまったのでしょうか?

空母から発艦した攻撃機が、日本艦隊を執拗に攻撃した。
航空機に攻撃された日本艦隊は、どうしても攻撃機に対して回避行動を取らなければならないから、
日本艦隊とアメリカ艦隊との距離は離れていった。

爆弾や魚雷を既に投下した攻撃機も、日本艦隊に何度も擬似反復攻撃を繰り返した為、アメリカ艦隊
との距離は益々離れていった。

アメリカ艦隊を護衛していた駆逐艦も日本艦隊が驚くほど勇敢に戦い、煙幕を張って空母を逃がし、
日本艦隊に突撃して、執拗に砲撃を加えた。

この海戦は、たとえ空母艦隊が戦艦群に襲撃されても、空母側が攻撃機を発艦できたら、ほぼ互角に
戦えることを証明した海戦でした。
(344:826)

レイテ沖海戦では壊滅している海軍航空隊ではなく、陸軍航空隊に栗田艦隊の護衛とかは頼めなかったんでしょうか?

頼むことはできたでしょうけど、拒絶されるのが関の山。
そもそもフィリピンの航空戦で、手一杯。
(俺初質スレ430:656)

坂井三郎氏の「ミッドウェー会戦での急降下爆撃による空母被弾は上空の備えを怠ったから」という指摘は妥当なのでしょうか?

「源田が悪い。空母の上に一機ずつでも戦闘機を上げて待機させておけば防げた。 たとえ一機だけでも、
戦闘機は爆撃機にとって怖ろしい存在なのだから」というような発言をされてたように記憶しているのですが
まあ、後知恵になるけど、考えは正しい。
当時の零戦に搭載していた無線機は劣悪で、ろくに会話もできなかったくらいなので、
効果的な迎撃ができなかった。ようはワーワーサッカーとおなじで、敵を見つけて、誰かが攻撃を始めると
みんなそっちに行って母艦の上空待機に回る人の割り振りができなかったのも事実。
ミッドウェーでは雷撃隊の迎撃に全機が向かってしまい高空から近づいてきた急降下爆撃機に対応できなかった。

上げてた直援戦闘機隊は低空飛行しながら雷撃態勢に入ってたデヴァステーター隊を迎撃していた。
(デヴァステーターは全滅)
なので空母の「上空」はガラ空きで、その隙を突かれた事は失態だが、雷撃機は無視できない脅威だから
一概に失策とも言えない。
ただやはり上空警戒機を残して置くべきであったとは思う。
(582:694,696)

ミッドウェーの敗因は運がとにかく悪かった?

と、よく言われるミッドウェーだが
一番の原因は、何より
「こうなったら、こうする」「そうなったら、そうする」「こうもそうもならなかったら、あぁする」
という事前の作戦の詰めがもうどうしようもないくらいに甘かったこと。

そもそも
「ミッドウェー諸島を攻略すれば敵機動部隊が出張って来るだろう。そうしたらそれを叩く」
という、
「一番肝心なところが相手任せ」
の”決戦”を挑んだ所からして根本が間違ってる。

真珠湾攻撃であれだけ事前に緻密に作戦を詰めた(もっともそれが後々裏目に出た訳だが)のに
ミッドウェー攻略がこうも適当なのは何故だったのか?

考えるべきはそこのところで、「運が悪かった」ではないだろうな。
(582:704)

作戦の実施前に潜水艦部隊と空母部隊よりそれぞれ、作戦延期の提案が出てる。
理由は、潜水艦部隊は作戦決定が急で、索敵線への潜水艦の展開が間に合わない。
空母部隊からは、インド洋から帰ったばかり、さらには、真珠湾作戦の関係で凍結していた人事異動を行ったため、
部隊の休養と再訓練ができてないことが理由。
(582:707)

真珠湾での魚雷発射ですが水深12メートルで魚雷を投下し進ませるには海面より何メートル位で投下したのでしょうか

また魚雷投下の技術?は終戦まで同じようにいったのですか?
真珠湾での魚雷発射はうろ覚えだが、
魚雷が深く沈まないように抵抗板か何かを付けてたような気がする

雷撃の例
①機首を敵艦の艦腹方向に向け、
②高度20メートルほどで水平飛行に入り、
③敵艦との距離が約1000メートルの地点で投下、
④魚雷は一旦水深15メートルほどに潜ってからエンジンを始動。
  水深6~7メートルほどの所を速力30~40ノットで直進、
⑤敵艦に炸裂する!

K(攻撃)501銀河飛行隊の例
攻撃目標に近づくまでは編隊は間隔をとり約3000メートルの中高度を飛ぶ。
オートパイロットを使いながら雲層直下を巡航していた。目標を発見した
直後、巡航高度より高速で迫る。それから各機は増槽(タンク)を捨て間隔
を詰め、時速556キロの緩降下高速で単列一文字に攻撃発起点へと侵入、そのまま
高速緩降下を続け水平巡航に入る。エアブレーキを適宜使いながら魚雷は速度
463キロ、高度50メートル、距離800メートルが基準である。
離脱は全速直進、最短の時間と距離で行うように訓練したが、敵対空砲火により
雷撃機は半数から4分の3を失った。
(584:835)

栗田艦隊のヤキ1カ電とはなんですか?

レイテ沖海戦で、最終的に栗田ターンをするきっかけになったとされる電文の通称。

いわゆる北方機動部隊の出現を、「南西方面艦隊」から通知したもので、
「ヤキ1カ」というのは、スルアン灯台5度113マイル地点を示す暗号。そこに敵がいると。
この情報を受けて、突入しないでその機動部隊を攻撃しようと進路を変えたと言われる。

結果から言うと「ヤキ1カ」に該当する機動部隊は実在せず、誤報だった。

ちなみに、この電文を打ったという記録が南西方面艦隊に残ってないようで、
受信記録はあるが発信元不明という風に言われてきた。
栗田さんは、南西方面艦隊からだったとはっきり言ってる。
(今は判明してるかもしれないが、最近のことはよく知らないので)
(585:64)

エンガノ岬沖海戦で、伊勢日向は適切な航空弾幕を張って敵機を寄せ付けなかったと聞きます。これの発想や指導は誰がしたのですか?

当時の戦隊司令が松田少将で彼は大和の艦長やってたころから
回避運動や対空射撃の研究をしていました。
ちなみに日本で最初にレーダー載せたのも彼です。載せたのは日向と伊勢でした。

かなりの航空機を割いたにもかかわらず大した損害も与えられなかった航空戦艦二隻に対して
ハルゼー提督は忌々しく思っていたらしくレイテ沖海戦が終わった後にも撃沈しようと機動部隊で攻撃を仕掛けますが
日本本土への輸送任務で上手く攻撃を擦り抜けた為、代わりにと言ったら変ですが輸送船団が壊滅してます。
大和特攻の際には、この戦訓は取り入れられなかったと思います。なぜですか?
条件がかなり違うよ。天候が違うし。
空母の護衛艦として戦艦が参加した作戦と、
戦艦が目的地にたどりつくための作戦では、
攻撃側(米艦載機)の集中度もかなり違うから、戦訓だけでは評価はできないよ
(334:53,58)

ミッドウェー作戦がずさんだったのはなぜ?

山本五十六は日米の戦力差が圧倒的になる前に、アメリカ軍の航空戦力を壊滅して早期講和に持ち込むため、
ミッドウェー作戦を強行しましたが、それほど危機感を抱いていたわりに、無計画だったのはなぜでしょうか?
構想こそあったがが、具体化したのが東京初空襲に対抗してのドサクサまぐれだったから。
だから、機動部隊からインド洋作戦から戻り凍結されてた人事異動を行ったので再訓練の時間が欲しいとか、
潜水艦部隊から、哨戒線への潜水艦の展開が間に合わないから最低半月延期しろという要望はすべて却下
して実施したから。
(586:704)

ミッドウェー作戦が帝都空襲を受けて、政治的な要請から発起された作戦だし、
ミッドウェー島の戦略的価値はさほど無かったのは事実。
あくまでも敵の機動部隊をつり出して決戦を図るためのもの。

でも作戦自体は言うほどずさんじゃなかったと思うよ。
帝国海軍の戦力を集結し、米艦隊より大きな戦力でぶつかることに成功してるんだから。
負けたのは情報戦、判断のミス。あと確かに運も悪かった。

あと帝国海軍の決戦思想なんかもあるけど、普通に戦争が長引けば必ず負けるから投機的な作戦に打って出ざるを得ないというのもまた現実だな。
(586:モッティ ◆uSDglizB3o)
珊瑚海海戦に参加した五航戦は
真珠湾攻撃のため開戦少し前に編成されたばかりで練度が比較的低く
ミッドウェーに参加する二航戦航空隊からは「妾の子」呼ばわりされて侮られていた。

その「妾の子」ですら2対2の空母戦で勝てているんだから
ミッドウェーは楽に勝てるという油断があった。
そして海軍は珊瑚海海戦で米空母2隻撃沈と報告を受けていたから
ミッドウェーでは米空母が出てきても2隻が限度だと考えていた。
2隻+ミッドウェー基地航空隊なら、日本の4空母の航空戦力の方が優勢だから
怖るるに足らずという意識。
(588:264)

坊ノ岬沖海戦で大和を含めた全10隻撃沈されなかったのは何故?

大和撃沈で米軍の作戦目敵を達成したからです。
あとの残敵掃討をやってると沖縄上陸軍の支援に支障をきたす事や、
残敵掃討中の隙を突いて特攻機が飛び込んでくる恐れがあったからです。
(333:9)

レイテ沖海戦では、第一遊撃部隊はブルネイからレイテまでの遠距離を踏破しなければいけないわけですが、駆逐艦等の小型艦の燃料が切れたら、戦艦から補給する予定だったんでしょうか?

問題になるとすれば一番航続力の短い松型かと思われますが、
16ノットで3500海里走れますので、ブルネイで燃料満載できれば問題ないかと思われます。
ブルネイ-レイテ-ブルネイの行程は目分量ですがだいたい1400海里程度かと。
戦闘行動その他を見越して航続距離を半分としても、少しばかり余裕があります。
(328:22)

レイテ沖海戦時って日本艦艇の練度は低下していたんか?

面白いぐらい撃沈されてるし
そのころには対艦兵器の攻撃力のインフレが凄まじかった。

たとえば航空魚雷は、マレー沖海戦で陸攻が用いたのが九一式改航空魚雷だったが
これは弾頭炸薬量がTNT250kg相当(当時の英海軍の航空魚雷がTNT170kg相当)で、
POWやレパルスを数発の被雷で沈めたように戦艦を撃沈するのに十分な威力の魚雷だった。

英戦艦はロイヤルオークやバーラムがUボートのTNT300kg相当の魚雷3~4発で轟沈しているから
当時の戦艦はTNT250~300kg相当の魚雷には全く無力だったというべき。

これがレイテ沖で米軍が使用した航空魚雷MK13になると
トルペックス新式炸薬を弾頭に250kg用いたTNT換算400~500kgという
命中したら装甲を隔壁ごと破壊する凄まじいものになる。
潜水艦や艦船用の魚雷になるとさらに強力で、
日本は損傷を元にこれらの魚雷の破壊エネルギーを計算すると
あまりの威力に「同一箇所に2発同時に命中した」んじゃないかと疑うほどだった。
(603:371)

レイテ沖海戦で、何故大日本帝國海軍は、米上陸船団や輸送船団ではなく、主力艦隊を狙ったんですか?

作戦実施前に主目標が上陸部隊の輸送船とGF司令部から指令を受けてる。
もっともその際に、好機があれば米軍の主力艦を攻撃してもよいとの許可も与えてる。
主力部隊を追っかけたのは、上陸開始から時間がかなり経過してるので、上陸部隊の
輸送船はすでに荷揚げを終え、空船だからこれを攻撃するよりはと追っかけただけ。

ソロモン海戦なんかの失敗を繰り返さないために、連合艦隊司令部は珍しく? この点に
関しては気を使った。

もっとも豊田副武は栗田を信用してなかったこともあって艦隊出撃後も何度も「作戦目的について」
再三通信文で念を押し、栗田始め艦隊首脳部にウザがられたけど。

宇垣纏は日記に「過去の失敗を繰り返すなというのはわかるが執拗すぎる」「そんなに中央は現場を
信用していないのか」と何度も書いていたりする。
(609:252,269)

パールハーバー奇襲で燃料補給タンクを破壊しなかったのが問題だったという説

アメリカとしては、空母と巡洋艦戦力が健在なので、たとえ燃料タンクが破壊されても
代替設備を建設する間、ハワイ諸島の他の泊地、港湾を利用して、そこにアメリカの
豊富なタンカーを回し、燃料タンク代わりにするだけなので、あまり意味がない。

またそもそも南雲艦隊が抱えていった爆弾の総量を考えても一部は破壊できても全部の破壊は無理。
何せ、破壊の検討をしたことが無いので、効果的な爆撃コースや目標の選定が出来ない。
さらに言うと第1次攻撃第1波、第2波で湾内が黒煙で爆撃目標確認が困難。
(609:247)

「450万バーレルの根燃料が保存されていた燃料タンク基地が、手つかずのままで残った。これが破壊されていれば、
艦隊は本土西岸へ後退せざるをえなかったあろう。このほか、必要不可欠の修理施設が目こぼしにあずかり、
対日反抗の先陣をうけたまわることになる潜水艦の根拠地が敵の攻撃をまぬかれた」。

上記は、提督ニミッツ (1979年) [古書] (-) E.B.ポッター (著), 南郷 洋一郎 (翻訳)の一節です。
原著の発行元は、アメリカ海軍協会です。
著者は、アメリカ海軍兵学校歴史学部教授です。

450万バーレルの燃料の量の感覚が、霞ヶ浦の住人には掴めません。
検索してみて、日本海軍全体で1942年に消費して重油の約3分の1だと、分かりました。

下記、石油関連データの石油製品消費量推移(本土内、単位:1000バレル、1945年は4-9月)を参照ください。
http://www.geocities.jp/eiji96301045/oil.htm
(609:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)
当時保存されていたのは、450万バーレルです。
太平洋艦隊が保有していたタンカーは、7万バーレルです。
同じ量の燃料を蓄えるためには、64倍のタンカーを必要とします。
(611:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)

開戦当初は、ドイツのUボートの活躍により、タンカー不足になっています。
シマロン級だけで8隻、他にT2型タンカーだけで10隻以上開戦と同時に海軍に買収されてます。
ようは、開戦時真珠湾にいたのが1隻だけだったという話でアメリカには、軍を除いても民間にタンカーが
存在しそれを順次海軍が買収しているので、史実以上に真珠湾の機能麻痺は望めません。

(611:192,210)

真珠湾奇襲攻撃により沈められた米艦船は、その後修理されて戦列に復帰したそうですが、これは日本の想定内だったのでしょうか?

当然、範囲内。真珠湾の水深と港の使い勝手を考えると、引き揚げて放置するなり、
修理して使うなりは想定の範囲内。
あの三笠でさえ沈んだ後引き揚げて使ってたリサイクル戦艦だぞ。
(315:112)

ミッドウェーでは索敵、偵察が不十分だったのがああなった原因の一つって聞いたんですけど、確か日本軍はわざわざ艦上偵察機作ってましたよね?

偵察にはそれなりに力入れてたんじゃないの?
索敵なら、巡洋艦、戦艦から、水上偵察機、空母から、艦攻と合計で、12機ほど出してる。
筑摩機がアメリカの空母を見逃し、カタパルトの不調から発進が遅れた利根機で索敵計画が狂った
コースを進み偶然発見するも機動部隊の位置、構成を間違えて報告した、はっきり言って不運によるもの。
(641:610)
ミッドウェー海戦の敗北は「偵察が不十分だった」ってのは
宇垣連合艦隊参謀長が言ったことだが
敗北そのものは単純に偵察機を飛ばすのが不足してたってだけじゃなく
情報戦からして戦闘前に既に不利な状態にあったことが原因でもあり
同時にこの海戦の作戦自体、強引で無理があるのも指摘されてる
そして、宇垣参謀長は同時に「程度は別としてわが企図が敵に判っていた疑いがある」
と述べており、日本軍の暗号が解読されて米軍に行動が筒抜けだったのも大きい

あと、海戦の前にマーシャル諸島南方で空母を発見しているが
これの所在位置についての判断を誤ったのもある

また、潜水艦索敵網にも日本軍は不備があったし
空母艦載機を索敵に多用すると当然、攻撃機は不足する
偵察専用機を艦載すればやっぱり攻撃機はその分減るし同じ事

それに、元々日本海軍は空母艦載機の偵察機数より
巡洋艦からの水上機による偵察を主にしていたし、空母搭載艦上偵察機は重視して無い
彩雲は一時期思いついてとりあえず作ってみたけど、実際に艦上運用するのはやっぱり取りやめてしまったって事
(641:611)

マレー沖海戦で英国軍が誇る新型の対空火器であるポムポム砲が、低速な上に防弾装備が貧弱な日本の双発爆撃機相手に、ほとんど威力を発揮できなかったのは何故なんでしょうか?

一般に言われてるのは、低速な雷撃機を想定してたせいで、
高速な雷撃機に対しての命中率が低かったからとか。

弾幕射撃は艦艇、砲の数が揃わないと効果が薄い。
マレー沖ではそのどちらも満たしていない。
後、ポムポム砲はでかいから追従性が悪い。

この砲は口径が40mmと一見、強力そうだが有効射程が短く、
弾道特性も悪いために実際は当らなかった。
さらに、射撃中に弾体と薬莢が分解して頻繁に弾詰まりを起こすと言う悪癖を持っていた。
主なデータではマレー沖海戦によるプリンス・オヴ・ウェールズ搭載のポムポム砲は一基だけで12回も故障を起こし、
もう一基も8回も射撃中止に陥った。
(303:522-529)

ビスマルク沖海戦で100機も護衛機を付けてもらったのに輸送船は全滅、護衛駆逐艦の半分は喪失とは、木村昌福は無能では?

ビスマルク沖海戦に関しては、事前に航空優勢を確保できなかったにも拘らず、
運任せで作戦を強行した杜撰な作戦計画が問題。
連合軍の航空戦力が圧倒的に優勢なあの状況なら、誰が輸送船団指揮しても全滅する。
木村昌福が名将と言われるのは、キスカとレイテとミンドロでの困難な作戦を成功させたことによる。
(645:875)

真珠湾攻撃のときの南雲部隊の艦船攻撃なのですが、なぜ日本側の戦果確認の報告と米軍側の発表とが一致しないのですか?

  • 日本側の「確認」は、飛行中の航空機(しかも下方視界はそれほどよくない)からの目視によるもの
であること
  • 米軍側は魚雷に関しては事後の修理の途中で確認が取れているものの、爆弾の投弾数に関しては正確
な記録など望むべくもないこと
  • 戦場に付きものの戦果誤認など

を考え合わせれば、「どれが本当の数字か」なんて神様でもなけりゃ分かりません。まあ被雷数に関し
て言えば米軍側がより信憑性が置けそうという程度でしょう。
(にしても被害程度の算出誤認による被雷数の数え間違いは当然あるはず)
(301:264)

長門はなんで大和と共に海上特攻をしなかったのですか?

何とか自力航行可能な状態ではあったが、とても戦闘可能な整備状態ではなかったよ。
無傷ってわけでもなく、中破に近い状況だったし。

戦後接収後の長門の写真は米軍撮影のものが残っているので、それを見てみれば終戦時期の
長門の状況は把握できるかと。
(298:890)

ミッドウェー海戦では空母4隻沈められましたが、この時点で空母搭乗員の再養成は不可能でしたか?

不可能。てか、手遅れ。

日本海軍の予科練だと、最初は3年、短縮されて2年を養成に費やす。米海軍は12ヶ月で
空母搭乗員にしたらしいけど、あっちは自家用車を乗り回す大学生が大量に志願している
のだから、教育の根本部分での手間数が違う。

予科練だと最初期は年間80名とかの養成人員で、開戦時に搭乗員がひっくるめても5000
名強の規模でしかない。昭和17年で8000名、昭和18年で4万4000名を募集しているが、同
時期に5万人以上のの練習生が在籍しているのに練習機が1000機に満たないとかで、養
成もへったくれもない。

昭和19年になると予科練で12万近い人数を集めているが、それに見合うだけの教育環境が
無い。練習飛行隊を19箇所に増やしても、1箇所あたりで練習生が5000人以上、どんなマン
モス大学だよという話だし、増強されて帳簿上では1600機の練習機でも1機あたりで、70人と
か80人になる。予科練出身なのに穴掘りしかしていなかったと語る人が多いのはそのため。

戦没者で見るなら、一般から集めた甲飛乙飛なら昭和17年までの入隊、海軍内部から丙飛
であれば昭和18年までが多く、それ以降の募集では極端に…6パーセントとか、0.5パーセン
トとか…低くなる。戦場に出るだけの、あるいは特攻に出すだけの訓練でさえできていなかっ
たことの証明ともなる。なので。
(669:ふみ ◆Y.QUKJBduY)

ミッドウェーで受けたダメージはパイロット予備軍となる人材の絶対数が少なかった日本にとっては痛恨だった?

戦間期の航空産業従事者およそ5600人。英伊でもそれぞれ3万2千人だってのに
最近知られるようになってきましたがミッドウェーのパイロット損耗は100名程度で
いかに日本軍であっても補充に苦労する数字ではありません。

決定的に問題だったのはやはり空母という動く飛行場をなくし
柔軟な作戦運用が不可能になったことです。
つまり、戦略的な主導権を握れなくなったのです。
以後の日本軍は歴史が示す通り、連合軍の動向に対応する「受身」の形でしか作戦を展開できなくなります。
(673:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

日本軍がパールハーバーにいると思われた米空母を全艦撃沈出来たとしたら、残りの米空母は何隻あったのでしょうか?

そもそも太平洋艦隊所属の空母が、エンタープライズ、レキシントン、サラトガの3隻。
ハワイで活動してたのがエンタープライズとレキシントンの2隻。
大西洋艦隊に、ホーネット、ヨークタウン、ワスプ、レンジャーの4隻.
というわけで、答えは5隻になります。
(291:476)

FS作戦は1942年7月11日に中止が正式決定されたのですよね?

FSは7月1日をもって「一時取止メ」となります。
具体的には7月6日の「作戦指導砲身変更ノ経緯説明覚」にあり
別紙第三 作戦指導方針

 >F作戦はインド洋方面の積極的交通破壊戦終了し 「モレスビー」攻略後の「ニューギニヤ」方面航空戦進展の状況
 >並に航空機増産の状況を見定め 且当時の敵情を考慮し概ね本年十二月以降之が開始を企図するものとし所要の作戦準備を促進す

また
 >F作戦の必要性は将来減少することなしとの見解にして抜本的に豪州攻略の可能性生ぜざる限り之が攻略の企図は
 >飽迄も之を放棄せざるものなり

として全く諦めてません。
当面はインド洋方面で攻勢を展開し、将来に備えてラバウル周辺の地歩を固めておく、構想の一環がガ島飛行場建設で、
このあたりの経緯・詳細は「SN作戦」を調べるとわかります。
その中でもガ島の飛行場は日本軍前進基地としてのツラギ泊地の防空と、連合軍艦隊への哨戒を主眼とした攻勢的な目的を有しています。
(673:ゆうか ◆u8WC078ef5ch)

ミッドウェーについて、加賀/蒼龍は雷撃処分だったのですか?

戦闘詳報の記述が正しいとすれば、加賀も蒼龍も引火爆発で沈んでおり、雷撃処分はしてません。
詳報そのものの信憑性が疑われている状態なので、
結論は検証を終えないと出そうにありません。
蒼龍の場合は、飛行長さんが何度か決死隊を組んで消火を試みたものの
救助した駆逐艦が認めなかったようです。

米軍記録も、ノーチラスの加賀雷撃など未確認戦果を載せてるあたり
詳報と同様に100%の信憑性はありません。あくまでも有力な情報の一つにすぎません。
(289:携帯鷂 ◆exxupUqotM)

レイテ沖海戦において、日本側の潜水艦が不活発だった理由は何だったのでしょうか?

アメリカの潜水艦は重巡を2隻も撃沈したりして大きな戦果を挙げましたが
日本海軍の潜水艦運用に根本的な欠陥があったのが原因です。
わが海軍において潜水艦は敵艦隊の予想進路上に散開線をはり、敵艦隊の移動に合わせて
水上高速で進出して攻撃を反復する方法が取られていました。

しかしこの作戦は潜水艦の行動をすべて司令部が電報によりコントロールするように
定められており、他国の潜水艦のような艦長の裁量に任せた指揮が取れず
移動中の通信を傍受されて早々に撃沈される悲劇が相次ぐこととなりました。
さらにガ島方面での輸送任務により多数の潜水艦を喪失し、集中運用が難しくなっています。

レイテ沖海戦の際は14隻の潜水艦が参加しましたが、散開線配備方式は続いており、
戦果は伊41潜がルソン東方海面で軽巡レノを雷撃、大破させた程度で我が方は
6隻の潜水艦を喪失しています。
(288:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

19年10月の保有数そのものが、伊号19隻(丁型除く)・呂号8隻しかありません。
実際にフィリピンへ出撃したのが伊号8隻・呂号6隻。
回天訓練中の3隻はともかく、残る8隻は老朽または損傷。
14隻でも目いっぱいの投資です。
そのうち伊号4隻・呂号1隻がフィリピン東海上で喪失。多くはDD・DEの戦果です。
ちなみに、無事に内地へ帰って次の作戦に出られたのは、伊号2隻・呂号5隻に過ぎません。

要は駒そのものが少なく、米軍の対潜能力が高すぎたのですね。
(288:携帯鷂 ◆exxupUqotM)

真珠湾攻撃に置いて民間人が日本軍によって殺されたのは事実ですか?

誰も巻き添えが出ていないかどうかは不明。

ただし、当日真珠湾及び周辺の地域で発生した巻き添え被害のほとんどは
海軍艦艇や高射砲/対空機銃が見境無しにぶっ放した弾の流れ弾。

艦名は忘れたが、低空飛行する日本軍機を対空機銃水平撃ちしてた脇の艦に
銃撃されて上部構造物くまなく”縫われた”駆逐艦があったりして、米軍は
流れ弾で相当の被害を出している。

でもそれらは皆被害報告で「日本軍機の銃撃」とか「日本軍機の爆撃」と
処理されてるので、本当にどこまで日本軍機に攻撃されて被害が出たのかは
今だに不明なまま。

ホノルル市に落ちた不発弾てのも、高射砲のやつだしな
(287:714-717)

大和の特攻の時に、アメリカ海軍には戦艦同士のガチンコ勝負を行うよう命令があったけど、空母機動部隊にフライングされて妨害されたのですよね?

さらに上の司令部から、
「戦艦部隊は間に合わないから、空母部隊が攻撃しろ」
という正式の命令が出ています。
(287:846)

ソロモン海戦において、アメリカ側が新型戦艦を温存して豊富にある旧式戦艦を出動させる方針を取らなかったのはなぜ?

太平洋艦隊配備の旧式戦艦は改装中で新型戦艦しか投入出来なかったから。
(俺初質スレ2048:10)

サマール沖海戦で米空母に最接近できた重巡群は、酸素魚雷を発射しなかったんでしょうか?

第十戦隊の矢矧と駆逐艦は雷撃してる
重巡は砲撃はしてるが、熊野も鈴谷も鳥海も筑摩も落伍して、利根しか残ってない
羽黒の報告から、駆逐艦との距離は8000m程度、護衛空母とは1万6000m程度
まあ1万m以上から雷撃しても、まず当たらない
(俺初質スレ2049:729)

南太平洋沖海戦で米軍が日本側空母を撃沈できなかった原因は何でしょうか?

母艦戦力の不足。
(俺初質スレ2049:855)

太平洋戦線で、魚雷艇を2~3隻搭載できる魚雷艇母艦を駆逐艦隊に随伴させるアイデアはダメでしょうか?

外洋での作戦では使い物にならないし、沿岸部での作戦なら母艦は要らない
(俺初質スレ2050:21)

南太平洋沖海戦で、攻撃隊の護衛の任務よりもアメリカ攻撃機への攻撃を優先した瑞鶴の零戦部隊の判断は、間違っていたんでしょうか?

まず事実関係を整理すると、
第一次攻撃隊は翔鶴から艦攻20機/零戦4機、瑞鶴から艦爆21機/零戦8機、瑞鳳から艦爆1機/零戦9機
、合計62機
米軍はホーネットからF4F8機/SBD15機/TBF6機、エンタープライズからF4F8機/SBD3機/TBF8機、更にホーネットからF4F7機/SBD9機/TBF9機追加
日本軍の攻撃隊は、ホーネットの第一次攻撃隊とすれ違い、次にエンタープライズ隊と遭遇し、瑞鳳零戦隊9機はこれを攻撃した
エンタープライズ隊はF4F3機を撃墜され、1機は被弾帰投、TBFも2機を撃墜され、1機不時着、1機帰投
一方の瑞鳳隊も零戦2機が撃墜され、2機行方不明、被弾大破2機、艦爆1機も未帰還

続き
つまり瑞鳳の零戦9機が抜けても、翔鶴4機と瑞鶴8機の零戦は残るので、瑞鳳隊はこれらに護衛を託したとも見れる
それでも本来は攻撃隊護衛が任務だから、任務放棄になるので間違いは間違いだな
しかしミッドウェーの悪夢があるので、帰るべき母艦喪失を恐れたのだろう
結局日本軍第一次攻撃隊はホーネットに大打撃を与えたが、艦攻10機、艦爆12機、零戦3機を喪失、更に艦攻6機、艦爆5機、零戦2機も不時着喪失している
瑞鳳隊がいれば多少は損害が減ったかもしれないが、確実にはわからない
因みに瑞鳳隊が最初にスルーしたホーネット隊は、翔鶴に爆弾を4発命中させ
瑞鳳隊と戦闘して燃料不足になった、エンタープライズ隊は本隊に到達できずに、前衛の筑摩を攻撃している
(俺初質スレ2050:117-118)

日本海軍は各艦に染料を込めた砲弾を使用して砲撃判別できるようにして主砲はレーダー射撃を可能にしていたのにも関わらず、どうしてサマール沖海戦ではあんなに命中率が悪かったんでしょうか?

使用可能な周波数の限界で、弾を命中させるほど精密な位置測定ができなかった
(俺初質スレ2050:325)

エンガノ岬沖海戦の日本機動部隊は、直衛機がなくても各艦がかなり対空武装を強化していますがそれでも空母を全て沈められたのは、どうしてなんでしょうか?

戦闘機の防空もなしの対空砲火だけなんて、気休めにしかならんよ
数機程度は撃墜できても、1000機で来られたら防ぎようがないだろ?
それと千代田は巡洋艦の砲撃で撃沈されてるから
(俺初質スレ2050:584)

南太平洋沖海戦で処分されたホーネットは米駆逐艦の魚雷では沈む気配がなかったのに、日本側駆逐艦の魚雷であっけなく沈んだのは、酸素魚雷の威力なんでしょうか?

ただたんにダメージの蓄積が臨界を超えたから。
(俺初質スレ30501:234)
酸素魚雷は当時の一般的な魚雷と比べ、雷速(魚雷速度)、炸薬量で勝り、射程は数倍、加えて無航跡という高性能なもの
Mk.14魚雷より九三式魚雷のほうが破壊力は上
(俺初質スレ30501:236)
当時の米魚雷は信菅不良による不発が多発していたが、米海軍が問題の存在を認めたのは1943年になってから
ホーネットのケースも威力云々ではなく、単に不発だった可能性がある
(俺初質スレ30501:237)

南太平洋海戦で偵察機に不意打ちを受けて中破した瑞鳳ですが、日本側には対空レーダーがあったのにどうして不意打ちを受けたんでしょうか?

当時の対空レーダーは連続使用できない(米も同じ)
敵襲があることを事前に掴んで始めてスイッチを入れたので、敵襲の兆候が
つかめていまければないのと同じ
(俺初質スレ30501:990)
日本のレーダーは精度が悪かった
(俺初質スレ30501:991)
当時のレーダーでは1機じゃ探知できない
(俺初質スレ30501:992)

ミッドウェーで鳳翔所属機が撮影した飛龍は全部甲板には大穴が開いていますが、 船体自体はあまり損傷していないように見えます。

なんとか曳航するか、自力での帰還は無理だったんですか?
そう思って探したんだけどその時には沈んで発見できなかった。
(俺初質スレ40501:505)
急降下爆撃の致命打撃で消化しきれずボイラーに火が回って機関が停止、
機関科とも連絡とれず、これで総員退艦命令
(俺初質スレ40501:510)
飛龍は魚雷は受けていないんですよね?
乗組員達はキングストン弁が開かれてから、退艦したんですか?
乗員を駆逐艦に移した後に処分用の魚雷を打ち込んでる。
(俺初質スレ40501:507)

酸素魚雷にドイツ誘導魚雷のソナーを付ければ、潜水艦からはるか遠方の敵にあてずっぽうで撃っても敵に次々と命中して、大勝利?

当時の誘導魚雷はそこまで精度が高くないから酸素魚雷のような遠距離雷撃とは相性が悪く
おそらく大した戦果はあげなかったと思われる。
(俺初質スレ434:365)
魚雷につんであるような小型のセンサーは近距離でしかも限られた角度しか見えない
遠距離からあてずっぽうで撃っても魚雷のセンサーで探知できないので当たらない
(俺初質スレ434:366)
音響誘導魚雷よけのデコイも、すぐに実用化されちゃった
IF世界でも、良くて1回こっきりの大勝利だな
(俺初質スレ434:371)




|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

▼全カテゴリー

■ 総記
├ 戦争全般
├ 軍事用語
├ 軍隊組織
├ 編成
├ 条約
├ 軍法
├ 諜報・情報戦
└ 戦略・戦術
  └ 戦法等
■ 雑学

■ 兵種・兵役等
兵種全般
特殊部隊
傭兵
軍医・衛生兵
パイロット
捕虜
兵役制度
階級

■ 兵器
兵器全般
銃砲全般
├ ▼小火器
| ├ 小火器全般
| ├ 小銃全般
| ├ 突撃銃全般
| ├ 各国の小銃
| | ├ アメリカの小銃
| | ├ ロシアの小銃
| | └ 日本の小銃
| ├ 機関銃全般
| | └ 各種機関銃
| ├ サブマシンガン
| ├ 散弾銃
| ├ 拳銃全般
| | └ 各種拳銃
| ├ 旧式銃
| ├ 銃器関連装備
| ├ 対戦車兵器
| ├ 迫撃砲等
| ├ 射撃技術
| └ 銃弾全般
|  └ 各種銃弾
├ ▼重火器
| ├ 重火器全般
| | └ 各種重火器
| └ 砲弾全般
|  └ 各種砲弾
├ ▼車両
| ├ 車両全般
| | └ 各種車両
| ├ 戦車全般
| | ├ 戦車砲
| | └ 戦車の装甲
| ├ WW2戦車
| | └ WW2各国の戦車
| └ 大戦後の戦車
|  └ 各国の戦車
├ ▼艦船
| ├ 艦船全般
| ├ 艦載兵器
| | └ 艦砲
| ├ 戦艦全般
| | ├ 各種戦艦
| | └ 大和型
| ├ 空母全般
| | ├ WW2空母
| | └ 大戦後の空母
| ├ 潜水艦全般
| | ├ WW2潜水艦
| | ├ 原潜
| | └ その他潜水艦
| ├ 輸送艦・揚陸艦
| ├ イージス艦
| └ その他の艦船
├ ▼航空機
| ├ 航空機全般
| | ├ 航空機技術
| | ├ 空戦技術
| | └ エンジン
| ├ ステルス機
| | └ 各種ステルス機
| ├ 戦闘機全般
| ├ 米軍機全般
| | ├A-10
| | └米軍戦闘機
| ├ ロシア機
| ├ 自衛隊機
| ├ その他戦闘機
| ├ その他航空機
| ├ レシプロ機
| | ├ レシプロエンジン
| | ├ 各種レシプロ機
| | ├ WW2米軍機
| | ├ ドイツ軍機
| | └ 日本軍機
| |  └ 零戦
| └ 軍用ヘリ全般
|   └ 各種軍用ヘリ
├ ▼ミサイル
| ├ ミサイル全般
| ├ 各種ミサイル
| | ├ 弾道ミサイル
| | ├ 対艦ミサイル
| | └ 対空ミサイル
| └ ミサイル防衛
├ ▼爆弾等
| ├ 爆弾全般
| ├ 各種爆弾
| ├ 爆薬・炸薬
| └ 地雷
├ ▼魚雷
| ├ 魚雷全般
| └ 各種魚雷
├ ▼大量破壊兵器
| ├ 核兵器全般
| | └ 各種核兵器
| |  └ 広島・長崎
| └ 生物化学兵器
レーダー全般
| └ 各種レーダー
宇宙
軍用ロボット
動物兵器
未分類兵器
 └ 刀剣弓等

装備
  ├ 防具
  ├ 勲章
  └ 軍服



■ 国家・地域
├ ▼ アメリカ
| ├ アメリカ全般
| └ アメリカ軍全般
|   ├ アメリカ陸軍
|   ├ アメリカ空軍
|   ├ アメリカ海軍
|   └ アメリカ海兵隊
├ ▼ ロシア(旧ソ連)
| ├ ロシア全般
| └ ロシア軍
├ ▼ 欧州
| ├欧州全般
| └ 西欧諸国
├ ▼ 中国
| ├ 中国全般
| └ 中国軍
台湾
├ ▼ 朝鮮半島
| ├ 北朝鮮
| └ 韓国
アジア全般
中東全般
| ├ イラン
| └ イスラエル
中央アジア
| └ アフガニスタン
アフリカ
その他の地域

■ 戦史・戦訓
近代以前
近代
日本史
日清戦争
日露戦争
├ ▼ 第一次世界大戦
| ├ WW1全般
| ├ WW1連合国
| ├ WW1同盟国
| ├ WW1陸戦関係
| ├ WW1海戦関係
| └ WW1空戦関係
日中戦争
| └ 満州国
ノモンハン事件
├ ▼ 第二次大戦
| ├ WW2全般
| ├ 連合国全般
| | ├WW2アメリカ
| | └WW2ソ連
| ▼欧州戦線
|  ├ 欧州戦全般
|  ├ 独ソ戦
|  ├ ドイツ全般
|  | ├ドイツ軍
|  | ├ヒトラー
|  | └ナチス
|  ├ 欧州陸戦関係
|  ├ 欧州海戦関係
|  └ 欧州空戦関係
| ▼太平洋戦線
|  ├ 太平洋戦全般
|  ├ 旧日本全般
|  ├ 旧日本軍全般
|  | ├日本海軍
|  | └日本陸軍
|  ├ 戦前関連
|  ├ 開戦関連
|  ├ 戦中関連
|  ├ 降伏関連
|  ├ 戦後関連
|  ├ 太平洋陸戦関係
|  | └硫黄島
|  ├ 太平洋海戦関係
|  ├ 太平洋空戦関係
|  | └ 空襲
|  └ 特攻
朝鮮戦争
ヴェトナム戦争
├ ▼ 現代戦
フォークランド紛争
湾岸戦争
イラク戦争
低強度紛争
領海侵犯