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生物の進化を認め、人間の認識能力をもふくめて動物の感覚機能の発達を認めるとしたら、実体とか物自体、因果といった概念をはじめとする形而上学的諸概念、それにそうした概念を駆使して形而上学的認識をおこなう精神とか理性、そしてそれによって把握されうる真理といった概念はことごとく消し去られることになろう。

「精神>も理性も思考も意識も霊魂も意志も真理もありはしない。これらはすべて不要な虚構である。問題は<主観と客観>ではなくて、その処置式がある程度の相対的正しさをもつとき、なかんずくその諸知覚が規則性をもつ(したがって、その経験が蓄積されうる)ときのみ反映する特定種の動物である・・・。
認識は力の道具として働く。それゆえ認識が力の増大とともに成長することは明白である・・・。」(NⅡ11、126)
「真理とは、それなしにはある種の生物が生存しえないであろうような種類の誤謬である。」(NⅡ8、306)


そして、世界はと言えば、力の増大つまり進化のそのつどの段階に見合った知覚能力に現れるそのつどの延期法的展望、つまり「仮象」の世界でしかありえないことになる。ちょうどライプニッツのもなどがそれぞれに、そのつどの意欲に応じた表象の能力によって、それなりの仕方で全宇宙を映し出すように。

木田元、哲学と反哲学、96