明治期主要道指標 09/08/25創始
この頁は、個々の内容より、経路/主要度の変遷に関連する
事例に注目して集積しています。
個々の事例は 「グローバルな道しるべ」 参照
【広域な呼称】
<因伯街道>
万成(一里) 真金(二) 高松?(三) 下足守(四) 大井(五)
山内(六) 黒乢(七) 小茂田(八) 下田土(九) 下市(拾)
久根坂(十一)どこ? たわ山(十二) 中津井(十三)
十四里は何処? ・・・ 直通路だから 中津井で四里短い
<井笠連絡>
県道34号相当
宮ノ端・つか橋北詰道標 笠岡三里:亡失 【井原市史Ⅳ】
施主末裔が撤収したものが相当か 採録済 09/08/19
岩倉・夫婦池下手に「元禄13年銘石橋」
丸山-才の神連絡 34号改修(M22)以前の道 【市史Ⅳ】
県道3号相当
大江小運動場近くの山裾 笠岡三里(亡失) 【井原市史Ⅳ】
<津山街道>
池田光政以降:半田大坂越え
それまでは笹ヶ迫経由の平地行 富原本村経由
M15 「横井街道」 開通すれど、やく10年は利用するもの少なし
M20年ごろには、箕地峠通るもの少なくなった
※ 金川有漢線 M24~30 改修 以上 【金川町史(S32)】
【ローカルな呼称】
<備前美作道> 賀陽町辺りの呼称
= 因伯街道 と同じか? 有漢では<中津井道>
<雲伯往来> 井原・芳井辺りの呼称
東城道(出雲道) と 吹屋を経由の伯耆道の総称か?