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ノリック逝く

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divadiva

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ノリックを追悼します。

(このページにはノリック関連の商品などの情報リンク等がありますが、販促などの商業・経済目的はいっさいありません)

ノリックが。。

信じられないことが起きてしまった。2輪レースファンのHeroであり、憧れであり、日本2輪レース界の宝である、ノリック(阿部 典史、1975年9月7日東京生まれ)が、事もあろうに一般道の交通事故で亡くなってしまった。

2007年10月7日18時20分頃、川崎市川崎区大島1丁目付近で片側2車線の追い越し車線を走行中、Uターン禁止の左側車線を走行中の4トントラックが突然Uターンし接触、反対側斜線の歩道まで20mほど飛ばされ、病院に運ばれたが2時間ほどして死亡したという。

TVのインタビューを受けた人によると、倒れて起きあがれないノリックは「痛い、痛い」と苦しそうにしていたと。。
悲しみとともに、悔しい気持ちでいっぱいだ。

私が今でも忘れられない印象的なシーン、500ccで初めて優勝した1996年の日本GPだ。チェッカーを受けてピットに戻ったノリックは、ヘルメットを脱ぐことも忘れ、子供のようにヒクヒクと泣き、しばらくすると「ヤッター!」と叫んだ。あまりに素直すぎる感情表現に周りの外国人スタッフたちはちょっと困ったように、でも息子を見るようなとても暖かい目で笑顔で見守っていた。
そんなノリックはみんなから愛されていた。

また、単に速いというだけではなく、気さくでやさしい人柄でもみんなから愛され、近年は子供のためのバイク教室などもはじめていた。
また、最近はMotoGPなどの2輪レースの解説者としても活躍していた。私がすごいと思うのは、解説という、どちらかというと引退者が引き受ける仕事であっても、彼はこれまで例がなかったほど、詳しく、わかりやすく、全力で成し遂げていたということだ。レーサーでしか語れない話。
「なぜここまで一生懸命するのか?」と、ずっと不思議に思っていたが、あらためて考えると、おそらくファンのためだったのだろう。または、2輪レースを盛り上げるためなのだろう。

こんなことで死んではならない、本当に大切な大切な人だった。。

加藤大治郎、沼田憲保、前田淳と、ここ最近、日本を代表するようなライダーが相次いで亡くなっている。

残された我々には何ができるのだろうか?今はただノリックを忘れないこと、ただそれだけだ。せめて、このページを追悼の一表現として公開させて頂きたい。

ノリックの主な戦績

1993 全日本500cc最年少チャンピオン
1994 WGP500デビュー
1995 WGP500 ランキング9位
1996 WGP500 ランキング5位(日本GP優勝)
1997 WGP500 ランキング7位
1998 WGP500 ランキング6位
1999 WGP500 ランキング6位(ブラジルGP優勝)
2000 WGP500 ランキング8位(日本GP優勝)
2001 WGP500 ランキング7位
2002 MotoGP ランキング6位
2003 MotoGP ランキング16位
2004 MotoGP ランキング13位
2005 WSB ランキング13位
2006 WSB ランキング13位
2007 全日本JSB1000 ランキング3位(Round 6終了時点)

ノリックの事故を伝えるHPリンク



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