アメリカってWW2中には、ジェット機/ロケット機って作らなかったのか?
ジェット機ではP-59Aエアラコメットがあります。
P-80シューティングスターもありますよ。
ガダルカナルのヘンダーソン飛行場にあった米軍機って何ですか?
まず海兵隊がF4F(VMF-223)とSBDドーントレス(VMSB-232)を展開させています。
いわゆるカクタス航空隊ですな。
海軍はVF-5のF4FとTBFアベンジャー。
あとは米陸軍343thFGのP-39(P-400)が展開しています。
変わったところでは、P-70ナイトホーク(A-20の夜戦型)とかPBY-5Aカタリナとか
グラマン J2F-5ダックとか。
第二次大戦終了時、アメリカ海軍はどれぐらいの艦船を保有していたのですか?
戦艦で23隻、大型巡洋艦2隻、正規空母16隻、軽空母8隻、護衛空母が80隻、
練習空母2隻、重巡洋艦23隻、軽巡洋艦56隻、駆逐艦約500隻…。
太平洋艦隊司令部がサンディエゴから真珠湾に移ったのは何年でしょうか?
1941年2月です
同時に大西洋艦隊、アジア艦隊の編成が行われています
WW2時代の米太平洋艦隊と大西洋艦隊、どっちがより強力でしたか?
当然太平洋艦隊。
大西洋にはそもそも強敵といえるような海軍がなかった。
極論すれば大西洋は護衛艦だけあればよかったくらい。
2次大戦の米歩兵の携帯する銃は、M1ライフル、トミーガン、BAR、etcとありますが、自分で選べたんですか?
選べない。
基本的に軍隊では自分の装備を自分で
選ぶことはできない。ごく一部に例外はあるが。
この原則は拳銃から飛行機まで同じ。
M1ガーランドは歩兵一般、トミーガン(トンプソン系サブマシンガン)
- M1カービンは下士官・将校、BARは各分隊に1名と決まってる。
ウインドトーカーズって映画でアメリカ軍が迷彩服着てるんですけど当事ありましたっけ
海兵隊は迷彩服持ってました。
迷彩服はヨーロッパ戦線ではSSの迷彩服と紛らわしいため使用されず、
太平洋戦線のみで使用されました。
アッツ島周辺を経路とするレンドリースの量ってどのくらいのウェイトを占めていたんでしょうか?
少なくとも、極北航路よりは滅失の心配が少なく(日本とソ連は戦争状態にない)、
テヘラン経由よりは輸送距離が短いのですが、ソ連側の輸送インフラ整備が
余り良くなく、主力にはなり得ていなかったはずです。
AlaskaからKamchatkaまでの航空機輸送が主力で、貨物輸送のWeightは低かったような。
「アメリカで、日系人二世の志願兵で作られた部隊が第二次世界大戦中で一番多くの勲章を貰った」って事実なのでしょうか?
442連隊戦闘団でしょうか?
確かそのはずです。
死傷率314%だったかな
ハワイの日系人で構成された第100大隊ってのもあります
マッカーサーについての質問ですが、彼は同時代のアメリカの将軍達に比べると嫌われているような評価が多いようですが、実際に彼は嫌われ者だったのでしょうか?
参謀総長時代には副官のアイゼンハワー、パットンなどをいびって嫌われてます。
自分がなまじエリートである分
「自分以外に有能な人物がいるのが我慢できない性格」といった評価が多いようです。
「ハリカリ」とは、なんなのでしょう?
「ハリカリ」というのは、確か米国の対日プロパガンダ映画に出てきた語句だったかなぁと思いますです。
要は、欧米で一般的に認識されている(そして実体とはかけ離れた)「日本人特有の儀式的なお祭り自殺」
という「おめでたい認識」を揶揄するときに「ハリカリ」とか「ハラキリ」とか使ってますです。
アメのロケット研究家のゴダート博士って戦中戦後は何してたんでしょ?
ニューメキシコ州のロズウェル (Roswell...UFO問題でお馴染み) 付近の砂漠に
実験場を移し、バズーカのロケット、RATOを開発し、自動誘導装置 (ジャイロ)
の研究にも着手しています。
1945年8月10日に没なので、戦後を見ることはありませんでした。
米軍の総兵力数は?
戦争全期間でおよそ1600万人,戦争末期のアメリカ軍の総数が1100万人(いずれも概数)だと,ライフ第2次世界大戦シリーズの『戦時下のアメリカ』に書いてあった.
(軍事板)
第二次大戦時の米軍師団の定員数はどれぐらいなのでしょう?
1944年6月の米軍師団定数は以下のとおり
歩兵師団:14,253
空挺師団:8,596 (1944年12月16日に試験的に定数12,979名の部隊編成を指向)
第2、第3機甲師団:14,488
その他機甲師団:10,937
米軍には黒人兵部隊もあったの?
第二次大戦時米軍には約25万名の黒人兵がいたが、その多くは補給や建設など非戦闘任務についていた。
当時の偏見として戦場は白人の男がその勇気を示す場所だから、臆病で信用できない黒人は後方任務で充分と思われてたわけ。
欧州戦線には黒人兵の師団が派遣されてるが、その戦績は芳しいものではなかった。
ただし、イタリアで爆撃機護衛任務についていた黒人兵の戦闘機隊「ブラックイーグルス」は勇猛さで名高かった。
あと硫黄島では事前に猛砲撃を加えたので、上陸時の日本軍の抵抗は微弱と思われていた。
「黒人兵が弾除け代わりにされた」というのは俗説で、そもそも弾除け代わりの兵士などという発想は負けている側のもので、
優位な状況ならできるだけ強力な兵力を送り込み橋頭堡の迅速な拡大を狙うもの。
実際、黒人運動の指導者が「黒人兵を名誉ある前線任務に就かせろ!」運動を
したぐらい全般的な前線勤務率が低い。
ただ楽だった訳ではなく、危険度や疲労が高い割りに日のあたらない弾薬輸送など
に就いていた割合が高かった。また、(現代のガタイのいいブラザー像からあんまし
想像がつかないが)栄養状態の不良が原因で身体的に徴兵検査を撥ねられる割合が
高かったらしい。以上うろ覚え。
詳しくは『二次大戦下の「アメリカ民主主義」―総力戦の中の自由』
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062581981
参照。日系人問題・黒人問題について詳しく扱われている。
WW2の頃、黒人兵で編成された第99戦闘飛行隊(99th Fighter Squadron)と言うのがありました。
WW2のアメリカで黒人が戦闘職につけなかったのは何で?
当時のアメリカの黒人男性は平均身長が160cmちょいで体重は40kgちょいぐらい
白人は172cmで60kgぐらいあったから体力が大違いで白人と戦闘行動を共にできなかったんだよ
米における人種差別は基本、肌の色より体力的な問題に起因したってことさ
もちろんこの体格差体力差は戦後の好景気で黒人層の栄養環境が飛躍的に改善されたため
急速に消滅していった
この体格差については今は書名は思い出せないが中公新書か講談社新書の人種差別の歴史みたいなのに詳しい
第332戦闘飛行群などは例外ということですか。
第二次大戦中の米軍黒人戦闘部隊としては第92と第93歩兵師団の他に二つの戦車大隊と空挺大隊があり、
海兵隊にも二つほど大隊規模の部隊があった。
この他にD-デイ以降にノルマンディから前線への物資輸送を行った「レッドボール急行」と呼ばれる
後方支援部隊には多くの黒人兵が従軍している。
フランス軍も植民地のアルジェリア人やセネガル人の部隊があったが、こうした植民地の兵士は歩兵として戦ってる。
アメリカの黒人戦闘機パイロットはアメリカ国民だし、英領インド軍は指揮官のほとんどは英国人とはいえ一応は英国軍とは別の組織。
第二次大戦どころか、南北戦争の頃から「バッファロー・ソルジャー」と呼ばれる黒人兵部隊はあった。
たしか大戦中には黒人の戦車隊もあって、大戦末期に米軍に降伏してきたドイツ兵が、ハッチを開けて顔を
見せたのが黒人だったので、野蛮人に殺されるとでも思ったのか踵を返して逃げ出した、という話があった。
アメリカのイタリア系移民は戦時中,イタリア側に味方したりしなかったの?
イタリア移民のファシスト団体とかはあったが、開戦後に解散させられてる。
移民とはいっても二世三世になればアメリカ市民としての意識は確立してるので、祖国をファシズムから解放するために
喜んで戦地に赴いた者も多い。
あと、マフィアはムッソリーニ政権下で厳しく取り締まられていたので、ファシスタ党には激しい敵意を抱いていた。
そのため有名なラッキー・ルチアーノなどは、シチリア島のマフィアに情報提供などで米軍に協力させていた。
そのため一時は衰退しかかっていたマフィアは戦後また勢力を盛り返したりしている。
アイゼンハワーは,中佐から元帥に昇進するまで45ヵ月しかかかっていないと聞きましたが,この異様な早さには何か特別な理由でもあるのでしょうか?
WWⅡが始まるまで米陸軍の規模自体が小さかったから.WWⅠの戦時昇進では大佐になっている.戦争が終わって大尉に戻り,1939年(大戦勃発)まで少佐.
パットンも同様の経歴.
この「戦時昇進」の有名な例では南北戦争時のカスター将軍が挙げられる.南北戦争開戦時が大尉,すぐに義勇騎兵旅団長として准将,リトルビックホーンで第7騎兵連隊が全滅した時は連隊長で中佐.
第二次大戦中の米軍兵器の生産管理手法はどのような物だったのでしょうか?
なるべく具体的に教えて下さい。
戦前の自動車や電化製品の部品の互換性向上、作業標準化を各産業が応用し、
限定された種類の製品を大量生産するシステムが生まれています。
また、工作機械の操作は、単能機械の電化が進んだため、比較的容易になりました。
これを受けて、労働過程の細分化や単純化を進め、時間=動作研究に基づいた作業分析
を行い、労働者の適正な配置を行っています。
具体的には、非熟練労働者を有効活用すべく、可能な限り小さな組立てに分割するサブ組立
方式が発達します。
これにより、組立てに必要とされる熟練のレベルが大きく下がり、労働者の職業訓練期間が
短くなりました。
部分組立はそれぞれ本工場ではないフィーダープラントで行われ、それには本工場から指導員が
派遣されたほか、フォーディズムの導入は積極的に図られる事になります。
また航空機工場の場合、生産に際しての教育は、数週間(日本では1週間ほど)の教育が行われ、
リベット工として作業に従事、その後、溶接工に進む過程と、板金を打ち抜き、ヤスリを掛ける作業から
入り、ドリルプレス工へと進み、更に教育を受ける事で検査工やフライス盤を操作する機械工に進んで
行きます。
メーカー同士も生産ノウハウを共有するため、主要会社同士で構成される生産協議会が設立
され、主要機種の生産融通や、部品の共有化、互換性の向上を図っています。
工場内では、男女混合作業チームを作り、体力を要する「男性の仕事」と、それ以外の「女性の仕事」
を切り離す試みも行われています。
女性の組み立て工のグループに肉体労働専門の非熟練男性労働者を配し、資材運搬や部品運搬を
彼等に担当させ、女性は組立てに専念すると言った手法も採られています。
(初心者スレ476:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
アメリカは不況から脱出するために参戦を望んだという説がありますが、実際に戦争で景気は良くなった、というか儲かったのでしょうか?
この辺、戦費との関係で判断が難しいのかもしれませんが・・
陰謀論の有無は別問題として、戦争特需でアメリカの景気が大幅に拡大したのは事実。
儲かったというより戦時の経済政策が成功して富が増えたというのが正確。
ケインズの理論を元にしたルーズベルトのニューディール政策は、大規模な財政出動の
継続に対して産業界から反対があり、違憲訴訟も度々なされ、途中で財政再建路線に
転換したため失敗する。
この時、ケインズは『ニュー・リパブリック』誌で「私の説の正しさを証明できるに
十分なほどの財政支出は、戦争でもない限り不可能だ」と書いている。
パールハーバーで大義名分を得たことにより、ルーズベルトはヒトラーが実行した
全体主義的経済に近い強権的な経済政策を実行でき、それが成功したといえる。
アメリカの1938年の経済成長率は-3.8% 失業率15.9%
それが戦時体制、統制経済への移行によって1942年には失業率が4%未満に下がり、ほぼ完全雇用を達成。
また経済成長率は1941~1945年平均11%で、実質GDPは5年で70%増大。
戦争費用は膨大で年平均でGDPの30%を超え、トータルでおよそ3300億$と推計。
1933~1940年のニューディール期における公共事業や救済事業などの支出が300億$強だったことと
比較すれば戦争がいかに巨大な公共事業であるかわかる。
その巨額の戦費をアメリカは主に国債発行と増税で賄った。
20万$を超す所得には94%の所得税が課せられる。
財務省はFRBに要請し、国債を発行利率2%台の低金利に抑え、利払い負担を軽減。
並行して主要消費財の価格固定及び、消費財の購入クーポン割当制によって民間消費を
抑制し、かつ標準的な労働者の税率を23%に留めて、国債購入インセンティブを与える。
またキャピタルゲイン課税を25%に留めたことにより、企業は高率の所得税を避け、
配当を抑えて内部留保を増やし、富裕層もまた株や債権などで資産を維持した。
以上のような戦時下の経済政策でアメリカでは富裕層も一般労働者も大幅に貯蓄が増えた。
その巨大な貯蓄が戦後、統制経済の終了と生産体制の民需への移行によって50年代の高度消費社会へと繋がる。
戦時に発行した長期債も50年代に約70%が償還された。
アメリカのいわゆる”黄金の50年代”は戦時の資本蓄積をベースにして生まれた。
大戦期の米国では、被動員人的資源の枯渇は発生しなかったのでしょうか?
新卒でも徴兵猶予でも徴兵逃れでもない、特に不健康等の理由がなく徴兵されなかった人はいるのか?という質問です。
それなりに枯渇は発生しています。
1942年10月の大統領令まで、選抜徴兵制度が戦時人的資源委員会の傘下に収まるまで、
屡々、産業界と軍との間に緊張関係が生まれています。
この戦時人的資源委員会の地方支部が合衆国雇用サービスですが、この機関は、戦時人的
資源委員会の要請に基づき、重点的に労働者を動員する必要のある工場や職種の優先付を
行い、優先順位に基づいて求職者に仕事を斡旋しています。
また、選抜徴兵法の下で登録している18~65歳の男性を分類する権限を持ち、徴兵の対象と
ならない男性には、重点産業を中心に就業を勧めると共に、各地域で食糧生産に従事する農民
の数を調整していました。
また、合衆国雇用サービスは、1942~43年前半まで、全国44箇所で地域雇用安定計画を導入し、
軍需産業の拡大により、労働力の不足が深刻化している地域での雇用調整を行い、危急産業に
従事している労働者は、合衆国雇用サービスの承諾がなければ転職出来ない様になっていきます。
兵員との関係では、当初は重点産業の労働者は徴兵が猶予され、選抜徴兵委員会と交渉して熟練工の
徴兵を見合わせて貰っていましたが、戦争の進展につれて、即ち戦線の拡大につれて、兵士として徴兵
される工員が増え、労働力不足に陥っています。
1942年8月の時点で、カリフォルニアの航空機工場の徴兵数は3,500名に達し、その年の徴兵数は15,000名
に達しており、また、ノースアメリカンの場合、技術者の37%、機械工の24%、検査工の23%が徴兵対象となって
いました。
これに対応する為、陸海軍は30日~6ヶ月の徴兵猶予を決めていましたが、それでも生産ラインの維持には
限度があり、徴兵された男性で妻や娘がいれば、彼女たちに求職票を書かせる慣行が出来ていったりします。
また、女性達や黒人などの求職や徴用も盛んに実施されています。
大戦中、アメリカの石油会社がドイツに石油を供給していた事件がありましたが、アメリカの情報機関は何故見過ごしていたのでしょうか?
スタンダード石油が枢軸側に対し石油関連製品を輸出していたのは事実。
航空燃料用の添加剤をドイツや日本に売っていた。
ただし、ドイツに対して直接に石油を売ってはいない。
中立国だったスペインに対して輸出されている石油の一部が、転売されていたという話はある。
スペイン内戦中からフランコ政権とスタンダード石油の結びつきは強く、供給が続いてた。
なおスペインは連合国側との交易も盛んにやってたので、石油はその一例ともいえる。
スペインの中立維持のために連合国側も気を使ってたのだ。
スタンダード石油のこうした枢軸サイドとの結びつきは、もちろん米政府も把握してて、
イギリスから苦情が出たりと、それなりに問題になってる。
ただ、米軍は枢軸側以上にスタンダード石油に依存していたため、
あまり厳しく追及するとかえって不利益ということで結局うやむやで済まされたという。
先の大戦中の米軍には、米国人以外の将兵はたくさんいたんですか?
日系人部隊ってのは知ってますが、米市民権を持った日系人ですよね。
外国人となると・・・・・・?
二次大戦のアメリカの徴兵制度は1917年の選抜徴兵制に基づきます。
徴兵登録して、名簿にある人を引っ張ると。登録するのはアメリカの国
籍を持つか、永住権のある人です。ですので「滞在しているだけの外国
人」であれば徴兵登録そのものがされません。母国の徴兵義務もあり
ますし。なので「外国人」であれば志願で従軍したことになります。日系
人部隊はみな志願です。なにせ日系人全体が敵性外国人で強制収容
されましたから。
市民権と永住権との区別がありますが、永住権を持っていれば国籍が
なくても徴兵登録の義務がありますので、日本人でも徴兵の可能性は
あります。
米空軍は対日戦と対独戦では、どちらの被害が大きかったか
対独戦で米陸空軍は延べ1,693,565機の出撃で、戦死に負傷と行方不明加えて94,565人。
対日戦で米陸空軍は延べ669,235機の出撃で、戦死に負傷と行方不明加えて27,142人。
朝鮮戦争でFEAFは延べ720,980機の出撃で、戦死に負傷と行方不明加えて1,841人。
ttp://www.usaaf.net/digest/t35.htm
Table 35 -- Battle Casualties in Theaters vs Germany
ttp://www.usaaf.net/digest/t38.htm
Table 38 -- Battle Casualties in Theaters vs Japan
ttp://korea50.army.mil/history/factsheets/air_f_fs.shtml
U.S. Air Force in the Korean War
大戦中アメリカはどんだけ空母を作ったの?またそれを運用する兵隊はどれぐらいいたの?
戦時中就役した艦の内訳を見ると…。
- エセックス級:17隻(戦後さらに7隻完成、8隻建造中止)
- インディペンデンス級:9隻
- ロングアイランド/チャージャー各1隻
- ボーグ級:11隻
- サンガモン級:4隻
- カサブランカ級:50隻
- コメンメント・ベイ級:10隻(+9隻、16隻建造中止)
この他にイギリス海軍向けに建造した護衛空母が38隻あり、戦時中完成した空母の
総合計は141隻になります。
このあとにはミッドウェー級3隻、サイパン級2隻も控えていたわけですが…。
米軍の戦死者数内訳
米軍の戦死者数について調べていたサイトがあったが、太平洋戦線のアメリカ軍死者数は
(%は第二次大戦全体の戦死者に対する太平洋戦域での死者の比率)
陸軍 52475 22.8%
陸軍航空軍 26524 30.1%
海軍 52533 83.9%
海兵隊 24511 100%
沿岸警備隊 1608 83.9%
商船乗組員 7988 83.9%
合計 165639
「あの程度」って程でもないが、現代のアメリカの交通事故死者数は年間4万人近い(笑)。
ちなみにアメリカ人を一番戦争で殺してるのはアメリカ人(南北戦争)、次点ドイツ人、三番目が日本人。
第二次大戦中の米軍での軍馬の使用状況はどのようなものだったのでしょうか?
騎兵部隊のほか、本国の州兵などではまだ使われていたんでしょうか?
1941年の米国陸軍省の報告では、馬匹調達数は南北戦争以来の2万頭に達しています。
前にも書いた覚えがありますが、ライフの1941年4月号表紙は、米国陸軍騎兵を取上げています。
テキサスのフォートブリスで訓練中だった第1騎兵師団は、11,600名の兵員の内、半分以上が騎兵、
その他が車輌を操る兵士でした。
当時、この師団に配備された戦車は僅か13両の軽戦車に過ぎません。
日本が真珠湾を攻撃してアメリカと戦争を始めなければ、アメリカは第2次世界大戦に参戦しなかった、あるいは参戦できなかったのでしょうか?
レンドリース等のイギリス・ソビエトへの大規模な援助を戦争突入以前から続けていたことを考えるに、
たとえ真珠湾奇襲が無かったとしても遅かれ早かれ参戦することになる可能性が高いかと。
また、ドイツがソビエトを攻略するのはタイフーン作戦の失敗から見て
余程の幸運がドイツに齎されない限りありそうにないのはその通りですが、
かと言ってソビエトが(>>216の趣旨だとアメリカ参戦無しで、多分レンドリースもなしということでおk?)
アメリカからの支援(膨大な量の食料・軍靴・各種燃料・資源・トラックetc)と
米英連合軍による西部戦線へのドイツ軍の誘引(ノルマンディー上陸・戦略爆撃)が無い
完全なる独力で赤軍をベルリンまで進撃させることができるかというとこれもまた厳しい。
(少なくとも、1945年までに決着はつきそうにない)
第二次大戦時アメリカが日系部隊を編成したのは有名だが中国系のアメリカ人はどうしてたのでしょうか?
確か、日系人だけが部隊を編成していたのではなかったでしょうか?
確かに当時のアメリカ軍は人種別編成を取っていましたから、中国系アメリカ人などは
独立した部隊を持っても良いとは思いますけど。
欧州戦線では各部隊にアジア系の兵隊が配属されて、442部隊が複数有ったように偽装
したという話があったと思いますけど。
あとWASPにも中国系アメリカ人がいたようです。
アメリカにとって陸戦限定でドイツと日本どちらが辛かったか?
欧州戦線での戦死者は、太平洋戦争での戦死者の2倍
実質的な戦闘期間は、欧州戦線の方がかなり短かったので、どちらが激戦だったかは明らかかと
太平洋の場合は島嶼の争奪戦だから
一度制海権を失うと戦力の投入も移動も困難になる(夜間であったとしても)
アメリカ海軍の護衛空母はどうしてあんなに大量に建造されたのでしょうか?
(質問の続き)大西洋ではエアカバーのギャップは大きくないし、44年には解消されています。
太平洋でも日本潜水艦の戦力では船団に大きな脅威にならないのではないでしょうか?
航空機をアメリカから、ヨーロッパや、太平洋の各戦線へ輸送するのに便利だったのと
大量の船団に護衛としてつけるため。
アゾレスや、アイスランドに基地作ってエアギャップをなくしても常時、船団にエアカバーつけ
られるわけじゃないので。
あと、同盟国(主にイギリス)に提供するためにっていうのもある。
でも貰ったイギリスは「内装が自国の求める仕様に達していない」と、半年あれば
完成するものを3ヶ月掛けて改造するとかいうよく分からんことをやっていた。
WW2近辺の米国の会計ですが、43年あたりになると、歳入と歳出の比がおかしくなっていますが、この極端な出超はどうやってカバーしていたわけですか?
財政年度 歳入 歳出 収支 公債累計(億ドル)
1937 49.8 77.6 -27.8 364.3
1938 56.2 67.9 -11.8 371.7
1939 50.0 88.6 -38.6 404.4
1940 51.4 90.6 -39.2 429.7
1941 71.0 132.6-61.6 489.6
1942 125.6 340.5-214.9 724.2
1943 219.9 794.1-574.2 1367.2
第2次大戦中の財政支出のうち、税でファイナンスされた部分は42%で、1945年の
税収は1939年の8.8倍に達しています。
因みに、第1次大戦や独立戦争時に税でファイナンスされたのは20%程度だったり
しますが。
財政赤字のGDP比は42年度15%、43年度に30%、44~45年度には22%となっています。
これを担保したのが巨額の国債発行で、国債残高のGDP比は1941年の43%から、45年に
117%、46年に120%に達しました。
但し、その時期に発行された満期25年の国債金利は1951年3月まで2.5%以下で推移しました。
国債の巨額発行の可能性を予見し、1942年10月には実は国債発行が失敗しかけたこともありますが、
連銀がTB金利を固定した事で、長期国債の価格下落の懸念は解消に向かって投資家は長期国債
保有志向を強めることになりました。
これらの国債保有は、連銀と商業銀行によりGDP比53%に達しました。
この他、国債所有者の要求に応じて政府が額面で買入れる貯蓄国債が急増し、1946年2月末で21億ドル
になりました。
これは第1次大戦で発行された自由国債や戦勝国債の保有者が金利上昇によって損失を被った反省から、
それを避ける為に換金性のある個人向け国債が導入されたためです。
戦後になると長期金利が大幅に低下します。
それと共に巨額な長期国債は発行されなくなり、1946年には収支均衡、1947~48年には巨額の黒字となり
ました。
また、TB金利の短期債の償還が進み、国債保有残高も減少に向かいました。
消費者物価については、1943~45年に物価統制が行われて年率で卸売物価1.2%、消費者物価0.2%なので、
1946年になると反動で前年比3%超となります。
欧州などの復興需要により輸出は好調で、国内の個人消費や設備投資が旺盛、更に海外からの金流入と
銀行の貸し出し拡大により寧ろ戦後の方が消費者物価が高くなっています。
物価上昇の制限が、年あたり1.2パーセントだったということですか?
1946年になると前年より3パーセント物価が上昇したということですか?
いずれもその通りです。
消費者物価については、対前年比上昇率が1947年以降は10%、1948年は20%と
大幅な伸びになっています。
これは1949年のリセッションまで続いています。
統制に関しては、実は米国でも牛肉など食品などの配給が行われたりしました。
この他、1942年に価格安定法が成立し、全般の上限価格の設定が行われています。
品不足になったり、闇市ができたりはしなかったの?統制価格が、市場価格を無視した場合、そうなるでしょ。
当然、品不足になる可能性はあります。
とは言え、日本の9.18価格統制と違い、緊急価格統制法では、どのような物品を
どのくらいの価格によって統制するかは、行政側(価格統制局(OPA))に決定権は
無く、連邦議会の決定を経なければならなかったりしますので、かなり自由が利く
状態でした。
ただ、日本の様にあれもこれも全くないと言う状況ではなく、消費物資の生産と
ストックは必要を満たしていましたので、闇市が成立する余地がありません。
また、小売店も各都市で平均20%減少していましたが、ロードサイドのチェーンストアが
ガソリンのクーポン制によって人々が車に乗るのを抑制した結果、敗退を余儀なくされた
ことから、それと、戦時産業への動員に伴い、人々が給料のより良いそれらの業界に
転職したことから、減少していました。
逆に、独立自営業の商店はその存在価値を高めています。
クーポンの一人当たりの購入可能量が決まっていた、ということですか?
個人消費者に対しガソリンを一定量購入する事の出来るクーポンが与えられます。
この他に日曜営業の中止、給油所の営業時間の規制、自動車の走行速度低下
運動なんてのもありました。
第二次大戦中のアメリカ海軍の任務部隊(Task Force)のリスト。
http://pacific.valka.cz/forces/index.htm
任務部隊(TF)は、たとえば第3艦隊の
第38任務部隊とその下の任務群(TG)や任務隊(TU)は空母とその護衛艦艇部隊。
第34任務部隊は戦艦部隊
第31任務部隊は海兵隊とその揚陸艦及び護衛艦艇を含む上陸部隊。
というふうに文字通り任務(Task)ごとに編成されている。
その編成内容は作戦や時期ごとに変わる。
蛇足かも知れないが第38任務部隊と第58任務部隊は艦隊司令部が交代して頭の番号が変わっただけで同一の部隊。
WW2アメリカ海軍の戦力割り当てについて。対日:対独 この比率はどれぐらいでしょうか?
1939年時点では、大西洋艦隊224隻に対し、太平洋艦隊159隻です。
但し、太平洋艦隊に加え、アジア艦隊76隻がありますので、ほぼ拮抗していると言えます。
太平洋戦争勃発時もほぼ同じくらいの比率で推移しています。
例えば、戦艦は大西洋9隻に対し、太平洋8隻、航空母艦は太平洋3隻に対し、大西洋4隻
と言った具合。
真珠湾攻撃とその後の喪失で、大西洋艦隊から太平洋艦隊に転出するものが増えていって
いますが、逆に護衛空母、護衛駆逐艦などが大西洋艦隊に重点配備されていきますので、
隻数的には大して変わっていないと思います。
(320:眠い人@風邪っぴき ◆gQikaJHtf2)
レンドリースで、アメリカはソ連に対して最新兵器を供与していたの?
B17はそもそも「米国本土防衛のための兵器」ってことでやっと議会で予算をとりつけた
経緯がある。そして実際に英軍に貸与された少数のB17は機密保持のために照準器をわざわざ旧式のものに
変換してるくらい。ソ連に貸与された機体も殆どが2線級の戦闘機かせいぜい双発爆撃機が限度。
アメリカの世論は参戦には反対だったのか?
大戦時アメリカは日本の飛行機にあだ名を付けたと聞いたのですが、艦船には付けなかったんですか?
数が少ないのと、各艦の名前もそうややこしい名前ではないことから、付けませんでした。
まぁ、日刊輸送船とかになるとそうは言っていられないでしょうが。
太平洋戦争の時にアメリカ兵が日本兵の頭蓋骨とかを家族に送ったりするのが流行ったそうですが
流行ったとかはデマですね。そういう人もいたかもしれませんが
欧州の貴族などには書斎に頭蓋骨などの人骨を飾るという趣味がありました。
これは中世のサロンで流行した博物学の影響やメメントモリという文学趣味の
影響があげられます。
日本人でも渋沢龍彦さんなどは書斎に頭蓋骨を飾ってましたね。
1944.5.24付のLife誌には、「頭蓋骨を眺めながら前線のボーイフレンドに手紙を書く若い女性」
と言うキャプションの付いた写真が掲載されたり(送り主は、海軍大尉、受取人はアリゾナ州に
住むナタリーという20歳の女性だったそうな)、ウォルター上院議員が大統領に贈った贈り物の
中に、日本兵の脚の骨で作ったペーパーナイフを送ったという記事が新聞に掲載されたりしま
したが、前者には非難の投書が殺到したそうです。
ちなみに、南方戦線から帰還する際、Hawaiiの税関では、人骨を持っていないかどうかのチェック
を行なっています。
日本兵の場合は、お土産というか、食糧ですな。
WW2の上陸作戦とかで米兵が首から下げてるあの薄っぺらい四角形の物は何ですか?
ある意味、自分の化身なので、けっこう大事にしたりするもの。
ペアになってるから、触れ合って音がしないよう、ゴム巻いたりするのが
特殊部隊員の基本。本当の特殊作戦なら、ドッグタッグ自体しないけど。
日系人部隊は、消耗扱いの部隊として意図的に激戦地に投入されたのか?
「消耗扱いの部隊と」されていたのは、事実と想像します。
テキサス大隊の救出は、アメリカ本国の政治問題になっていました。
ルーズベルト大統領まで、巻き込んでいました。
「救出は『大統領の個人命令である』との但し書が、付箋として添えられた」。
「小隊単位では激しく抗議する声が記録されている」。
「なぜ、われわれなんだ。どうして141連隊の残余舞台が戦わないのか。まるでわれわれを消耗品扱いする命令ではないか。
白人を救出するために有色人種が狩り出されるということて゜はないか」。
参考図書。
棄民たちの戦場―米軍日系人部隊の悲劇 [単行本] 橋本 明 (著)
「1944年10月24日、第34師団141連隊第1大隊
(通称:テキサス大隊 テキサス州兵により編制されていたため)がドイツ軍に包囲されるという事件が起こった。
彼らは救出困難とされ、「失われた大隊」 (Lost battalion) と呼ばれ始めていた[2]。
10月25日には、第442連隊戦闘団にフランクリン・ルーズベルト大統領自身からの救出命令が下り、部隊は出動した。
休養が十分でないままの第442連隊戦闘団は、ボージュの森で待ち受けていたドイツ軍と激しい戦闘を繰り広げることとなる。
10月30日、ついにテキサス大隊を救出することに成功した。
しかし、テキサス大隊の211名を救出するために、第442連隊戦闘団の約800名が死傷している。」
(660:霞ヶ浦の住人 ◆lkgPhO20MyN8)
米軍は火力に優れていたから日本軍に勝利したんですよね?
火力だけではなく、射撃法にもアメリカ軍は優れていました。
「アメリカ陸軍の強さの秘密、砲兵の射撃、FOとFDCが可能にした柔軟な射撃法、
ドイツ軍や日本軍が恐れた、迅速かつ正確なアメリカ陸軍の集中射撃。
その背景にはフィンランド軍から学んだといわれる画期的な射撃法があった
(中略)
こうした画期的な米軍の射撃法は、ソ・フィン戦争でフィンランド軍が編み出したものだという。
砲兵火力の劣弱な彼らは、一つの火力単位で幾つもの目標を射撃するたための(火力の機動という)、
従来に比べて射撃に携わる各パーツの負担を減らした簡便な射撃法を必要とした」。
『アメリカ陸軍全史』学習研究社刊より引用。
米軍は硫黄島で人道的な理由から毒ガス兵器使用を最後まで躊躇いましたが何故、原子爆弾はいとも簡単に落としたんですか?
その時点において、
毒ガスの使用はハーグ条約・ジュネーブ協約で禁止されとります、
核兵器自体についてはなんの条約も有りませんでした。
毒ガスの使用により同じ兵器で報復される危険はあっても、原爆ではそれが無いので。
アメリカ側は日本の航空機にフランクやらトージョーとか識別名をつけてたわけですが、この命名基準はどのようなものだったんでしょうか?
簡単にいうと情報担当者(実質一人。助手も一人だけ)が、米兵に発音しやすい、耳馴染みの
ある人名をテキトーにつけた
アメリカ第58任務部隊の陣容がすごいんですけど、当時の米海軍はこんな超艦隊を58個も運用してたんですか?
違います!
軍隊の番号は、一種の符号です。
1から始まって、その番号までの部隊があるという意味ではありません。
5とは、第5艦隊の意味です。
8とは、空母機動部隊の意味です。
「第58任務部隊」とは、第5艦隊の、空母機動部隊の意味です。
二次対戦中のアメリカって何歳以上から強制徴収ですか?配属って志願は通りますか?
1940年9月に選抜徴兵法が制定され、制度的な準備が整えられています。
その制定当初は、独立した存在でしたが、1942年4月の大統領令によって、戦時人的資源委員会(WMC)が設置され、
10月に選抜徴兵制度がその下部組織に置かれます。
但し、その実施に際して、毎月の徴兵数は直接軍当局が関与し、地域の徴兵委員会に割り当てられ、戦時生産、民需、
兵員充足の三つの計画がなかなか揃わず、WMCと屡々紛争を起こしています。
結果的に、1943年末から選抜徴兵制度は、WMCの枠を離れた独立機関となりました。
その選抜徴兵法では、18~65歳の男子を登録しており、その中から兵役に適さない人間を重点産業や食糧生産に従事
する農民として調整しています。
配属に関しては、何とも言えません。
必要な所に配分されると言う形を経ているためです。
米軍は旧日本軍の武器や弾薬を個人の土産にすることは認めていたのでしょうか?
ヤンキーの悪い癖のひとつに、戦場からなんでもかんでも持ち帰ってしまうというのがありまして、
武器に限らず敵の国旗やら何やら、いろいろとお土産にしておりました。
(映画「PVライアン」「プラトーン」にも、そういうシーンがありましたね)。
でその悪癖を突かれて、ドイツやヴェトナムが仕掛けたブービートラップで結構な被害を出しております。
例:さりげなく美味しそうなアイテムを置いておく→ヤンキー喜んで手に取る→ドカン!
日本軍もペリリュー以降やってるぞ
正に血の教訓
WW2のアメリカ軍に黒人その他非白人人種のパイロットはいたんでしょうか?
黒人パイロット部隊はありました。欧州戦線で活躍しています。
ネイティブアメリカンの血を引く駆逐艦艦長なども居ました。
黒人パイロットについて。
開戦時の米軍には黒人パイロットはいませんでしたが、議会・世論に配慮して
1941年にアラバマ州のタスキーギ陸軍航空隊基地に黒人パイロット養成コースが
実験的に作られています。
卒業生は43年から第99戦闘機中隊として北アフリカ戦線に、その後4個中隊まで増強されて
第332戦闘機大隊"RED TAILS"としてイタリア戦線に参戦しています。
また45年には477爆撃大隊が創設されていますが、こちらは実戦参加前に終戦を
迎えています。
これらの部隊は黒人パイロットのみで構成されており、この他の部隊には
黒人パイロットはいませんでした。
米ではテレビ映画「Tuskegee Airmen(邦題ブラインド・ヒル)」が放映された
こともあって非常に有名・半ば伝説化されてます。映画はレンタル屋にあると思う。
ネイティブアメリカンやアジア系、ヒスパニック系パイロットも極少数ながら
いて、これらは普通の部隊に配属されてたはず。
米軍は陸軍部隊を派遣するとき、主に陸軍の徴用船を使っていたのでしょうか?
初期の泥縄の時期を除き、兵員輸送に関しては、海軍が専用の軍隊輸送船を建造しています。
例えば、C3型輸送船を基にしたPresident級は80隻以上、General級は10隻使用されています。
前者は1500~2000名、後者は5600名の兵員を輸送出来ます。
また、連合国の亡命政権が援助物資の債務軽減のために、各国が保有して運航していた船舶を
こうした連合国の輸送に差し出すため、例えばノルウェーなんかは、商船会社が共同してノトラ
シップと言う会社を設立し、そこが連合国の要請で、配船業務を行っていました。
このため、戦後のノルウェーは、連合国からの援助物資の返済を行わなくても良かったりします。
こうした1万総トンクラスの客船だけでも連合国は170隻以上確保していました。
勿論、徴用もされましたが、運航や配船は、政府直属の海運機構が借り上げて行っていました。