軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)

WW2空母

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ジープ空母とはどのような護衛空母ですか?

ジープ空母(CVE)は「ベビー・フラット・トップ」とも俗称され、護衛空母の事を指します。正規空母より小さく、遅く、武装に劣りましたが、
偵察や船団護衛に大きな役割を果たしました。特に第二次大戦中、ドイツの航空機や潜水艦に対する防衛には欠くことのできない存在でした。

初期のジープ空母は輸送船やタンカーの船体を流用して作られ、1941年から1945年春までの間に78隻のジープ空母が建造されました。

1例を上げると、1942年にジープ空母に改造された、CVE-26, USS Sangamonは元はタンカー。11400トン、18ノット。搭載機数は30でした。
(6:system)

空母の艦載機数についてお聞きしたいのですが、空母の艦載機数とは常用機と補用機を合あわせた合計ですよね?

そのため赤城などは艦載機数91機中、常用機66機が戦闘可能なわけですよね?
ゲームですと91機全機出撃が可能のものがありますが、それって不可能ですよね?
はい、基本的に不可能です。つーか常用の66機を同時に運用するのも不可能です。

 1度にどれだけの航空機を発艦させることが出来るか、それはその空母の飛行甲板の
面積によって決まります。具体的には飛行甲板にどれだけの航空機を一度に上げられるか、
という点です。航空機が発艦するためには揚力を得るために滑走する必要があります。
そのため飛行甲板前方の一定面積は常に空けておかなければいけません。
(大戦初期の機で60m…だったかな?資料見ずに書いてるので怪しいです)
つまり1度に編成できる攻撃隊は飛行甲板全体の面積から滑走に必要な部分を除いた
残りの面積に並べられる数、ということになります。
おおざっぱに言って当時の大型正規空母で30機前後が1度に出せる限界でしょう。
余談ですが日本の場合、軽い方が必要な揚力が少なくすむ為、前から艦戦、艦爆、艦攻
の順で並べました。一方アメリカは航空機の航続距離の制限から一番後ろに戦闘機を
並べたそうです。

さて、補用機は分解格納されているため確かに簡単には使えませんが、
空母というのは行動中は(たとえ戦闘しなくとも)航空機を消耗していくものです。
さらに戦闘ともなれば航空機はいくらあっても足りないものです。
そういったときに備えての補用機ですから、出来る限り少ない手順で
使用可能になるよう配慮されており、実際日をまたいだ海戦などでは
夜間、整備員は損傷機の修理や可動機の整備とともに補用機の準備
にも追われています。
さてアメリカの空母には補用機というものはありませんが、一部天井に吊って
搭載されている機体が存在します。これらは他のものより使いづらく、
補用機と言ってもかまわないとおもいます。
(9:つーか ◆5wd/bYPg)
空母の搭載機数も色々あって、どの飛行機を搭載するかで変わってきます。
赤城の91機にせよ、艦載機は96式トリオでないかと思われます。
真珠湾時には、ほぼ満載であったと思われますが、艦戦18+3、艦爆18+3
艦攻27+3の計72機でした。飛竜も72機くらいMAXで搭載できるはずですが、
予備機を入れて63機でした。
大鳳にせよ、搭載機の大型化の為、飛行甲板上に搭載されてる機体も
多かったと聞きます。
(9:nanasi)

空母の艦橋が右舷にあるのと左舷にあるのとではどう言った違いが発生するのでしょうか。

空母の艦橋に関しては、日本が色々試行錯誤しており、準同型艦の蒼龍、飛龍で、蒼龍が右、飛龍が左に配置しました。
これは煙突が右舷にあることからバランスを考えて配置したのですが、飛龍
の艦橋は着艦の際、航空機の障害になること、また艦後部の気流が乱れる事により嫌われ、
後の日本の空母は全て右配置になっています。
(プロペラの回る方向の偏流とかが左に流れるようになっていたのかもしれない)
(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)

太平洋戦争の終戦時に米国には建造中の空母が100隻近くあったというのは本当でしょうか?

保有空母が100隻の間違いじゃないか?
もちろん正規空母、護送空母合わせての数字だが。

これにもう百隻作るとさすがに維持が困難だろう
45年になると相次いで建造がキャンセルされたのも多いよ
(13:157)

護衛空母って、なんですか?

商船や巡洋艦・潜水母艦等を改装した空母です。
任務は文字通り船団「護衛」ですが、それ以外にも「航空機輸送」等に活躍しました。
特徴は
小型、中速、20~30機程度の搭載能力、でしょうか。
もっとも同じ商船改装でも
中型、高速、30~50機程度の搭載能力があれば準正規空母として使われました。
(15:ulysses)

中継空母の運用に関する資料がなかなか見つからなくて、是非教えていただきたい。

商船改造型の空母は、中継空母に攻撃機を送り出す後方基地用として当初は計画された。

「中継空母」という構想自体、本気ではなかったのかも。
当時の戦術として、軽空母を前衛にして露払い&被害を極限させる陣形がありました。
この戦術の問題は、前衛が軽空母のため、あっけなく撃沈されてしまう点にあります。
(19:175-176)
中継空母の役割ですが、うろ覚えですけれど、確かアウトレンジ攻撃の進化形で、
相手空母の到達範囲外から攻撃隊を出します。
当然、燃料はその出撃空母まで保たない。

そこで、重防御の空母を進出させて攻撃終了後、其処に着艦して燃料、武器弾薬を補給した後、再攻撃を行い、
第二次攻撃隊と合流して攻撃戦力の増加を図る、そして被害機の修理、敵殲滅後に帰投する
機体に対する支援を行う、とこういう感じだったか、と。
(19:眠い人 ◆ikaJHtf2)

エセックス級空母で建造中止になった艦の艦名はどのようなものだったのでしょうか?

イオージマが未成艦。

で、予定艦名だと以下の通り。

CV-10:ヨークタウン(→ボンノム・リチャード)
CV-12:ホーネット(→キアサージ)
CV-14:タイコンデロガ(→ハンコック)
CV-16:レキシントン(→カボット)
CV-18:ワスプ(→オリスカニー)
CV-32:レイテ(→クラウン・ポイント)
CV-37:プリンストン(→ヴァレー・フォージ)
CV-46:イオージマ(未成艦)
CV-47:フィリピン・シー(→ライト)
(21:眠い人 ◆ikaJHtf2)

錬度の高い部隊だとカタパルトより自力発艦の方がトータルでみて早いの?

例えば真珠湾の南雲艦隊は、1番機発艦からわずか15分で空中集合までやってのけました。
つまり10分ちょいで各艦30機前後を空に放ったわけです。しかもあの荒れた海面状態で。

これに対しカタパルトではフルに稼動しても毎分1~2機が限界です。
同じ15分で、なんとか発艦が完了するかどうか、です。

ですから、奇襲を受けて即座に自力発艦可能な体勢が取れないときなどに、
カタパルトは役立ちました。
(45:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

二階建て甲板の空母が失敗だったのは何故ですか?

艦載機が大型化していくにしたがって、離着艦に要する距離も長くなっていったので2・3段式
の甲板では対応が出来なくなってきたんですな。それで2段は廃れました。
それに搭載機数も2面にすると減るし。
(45:446)
当時の艦上機等の発艦に要する滑走距離は十数メートルでした。で、2段目三段目の
短い滑走路から発艦すると云う事は、格納庫からエレベーターを介さないで行けると
云う意味も含めて意味がありました。で、一番上の長い滑走路は着艦用だったのです。
 ですが航空機の進歩・・・高速化・重化 と着艦技術の進歩により、発艦距離こそを
長く取らねば成らなくなりました。ここで艦の形を思い浮かべて欲しいのですが、
2段目より下の滑走路は格納庫の床面積を削って作っている事が其の形から理解出来ると思います。
 よって、2段目以降の発艦甲板を長く取る=搭載機数の大幅な減少、となり、実用的な艦
では無くなります。
 また、着艦甲板を2段目以降に持って行くと云う方法は、空気の流れから無理です。
(45:フェチ ◆kK77XB6/ug)

アメリカ空母のコードで、CV-1は何ですか?

CV-1ラングレーは開戦時には飛行甲板の一部を取っ払って
空母としての機能を喪失していました。
水上機母艦、飛行機運搬艦として裏方で動いていたのですが
開戦早々日本軍によって撃沈されています。
(55:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

軽空母だったコロッサスは最初は正式空母として計画されてたと聞きましたが、マジっすか?

何処から聞きつけたものか存じませんが、コロッサス級は一般的な艦隊任務用でなおかつ、
隻数を揃えるために計画された軽空母です。
従って、短期間に多数建造できることが主眼で、空母としての要求性能は最初から抑えられ、
船形を小さく、構造はLloyd船級規則に従って、装備は簡素にし、
装甲は持たない、また運用できる航空機は9トンまでとし、耐用年数は標準より
短くて差し支えないと言うコンセプトで作られました。
(75:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

空母に着艦する時って今はアレスティングギヤが付いているみたいだけども昔は(第二時辺り)にも付いてたんですか?

何のこと?
アレステイングフック?→横索式アレスティングワイア誕生と同時に装着
ナイロンバリア?→朝鮮戦争直前に導入開始
ミラーボールシステム?→米英は第2次大戦後。日本は戦中から似たシステムあり
自動着艦装置?→ベトナム戦争中に登場
斜め甲板?→概ね朝鮮戦争後に実戦配備
(75:891)
アレスティングギヤ(着艦拘束装置)は空母の登場とさほど間をおかずに出現しています。
初めて着艦拘束装置を装備したのは大型軽巡洋艦を改装した空母「フューリアス」でしたが
ユニークな事に、当初の着艦用の設備は後部に縦索式の着艦制動装置と「ゴールポスト」
と呼ばれた安全バリアを併用して着艦させる方式でした。
機体側についた熊手のようなフックと、縦引きのケーブルを接触させて摩擦で止める方式でしたが、
あまり確実な方法ではなく事故が続発したので、現在のような横に伸びたワイヤーに
機体側のフックを引っ掛けて機体を停止させる方法が開発されました。
第二次世界大戦に参加した空母はそのほぼすべてに着艦拘束装置が装備されていました。
(75:892)

ドイツの空母、グラフツェッペリンは、まじめに作る気がなかったのでしょうか。

空母の必要がそもそもなかったとか・・・
また、この空母のダメな点などあれば教えてください。
そもそも「グラーフ・ツェッペリン」が完成したとして、どのような任務に使うか
独海軍側でも明確な運用思想がなかったようです。
かの艦は英独海軍協定によって対英35%までの海軍保有を認められ、これにより
海軍が47,000tの空母建造枠を得たことから建造が始められたものです。
明確な運用思想(通商破壊用?艦隊防空用?)がないため、中途半端に重武装・重装甲で
艦載機も少なく、(18機のJu-87cと22機のMe-109T)
また、ゲーリングが協力を拒んだため海軍に航空部隊を作る事すら出来ませんでした。

建造時に日本海軍から「赤城」の図面の提供を受けましたが、ほとんど生かされていません。
この艦は独海軍が空母の建造・運用を学ぶための習作だったと思ったほうがいいと思います。
(79:名無し軍曹)
新機構と呼べるようなものではないと思うのですが
「グラーフ・ツェッペリン」が飛行甲板に装備していたカタパルトは
機体を発射用の台車に載せて発射し、台車は飛行甲板先端から
下甲板に降ろし、下甲板に設置された斜路をとおし
再び発射準備位置にリフトであげるという構造になってました
ドイツらしい凝った機能だとは思います
(79:365)

第二次大戦のアメリカの空母(護衛空母とか小さい奴)で、甲板いっぱいに飛行機を並べてる写真って広報用?

どの写真かを特定してもらわないと回答が難しいが、航空機輸送任務中だったと言う可能性は有る。
航空機輸送任務なら飛行甲板上にギッチリ飛行機が載ってます。
(82:241)

太平洋戦争時、米国の空母の中には、格納庫甲板から、真横に射出するカタパルトを複数つけていたものがあると聞きました。

実際の運用はどうだったのか、どなたかご存知ありませんか?
そのカタパルトは、格納庫内にある戦闘機を急速発進させる必要があるとされて
要求されたものです。
この結果ヨークタウン級では格納庫に舷側方向に射出するカタパルトが装備されました。
しかしこれは実用性の無いことが判明したため後に撤去されています。
ttp://www.warbirds.jp/truth/usn_cv.html
(84:名無し軍曹)

開戦時から終戦まで活躍したのに何故サラトガはエンタープライズに比べて影が薄いのでしょうか?

大事な海戦の直前にはなぜか被弾or故障でドック入りしていますから。
逆にエンタープライズは主要な海戦のほとんどに参加している。
(95:277)
なまじ空調があったから、気化したガスが蔓延してしまったとか。
(95:648)
単なるオーヴァーキルかと…
(96:416)

第二次世界大戦中アメリカが大量生産した護衛空母ってコスト的には従来の軍艦の何と同じくらいだったのでしょうか?

Jane's Fighting Ships 1945に依ると、Bay級護衛空母の一隻の建造費用は、
1,100万ドルだったそうです。
Baltimore級重巡洋艦が一隻平均3,934.2万ドル、Cleveland級軽巡洋艦で最も安いのが、3,109万ドル、
Brooklyn級軽巡洋艦が漸く一隻当たり1,800~1,900万ドル、Sumner級駆逐艦では800万ドル、
Gato級潜水艦の初期艦の値段が628.8万ドルなので、軽巡洋艦並ですね。
(100:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ドイツの未完成空母グラーフ・ツェッペリンは、戦後ソビエト軍時代の写真もあるのですか?

ツェッペリンの最後には諸説あります。
  • 回航中触雷沈没説
  • 回航中触雷大破説Ⅰ(その為すぐ解体された)
  • 回航中触雷大破説Ⅱ(しばらく研究材料にされてた)
一定期間存在したならソ連の事だからナチス戦勝記念品として大々的に
PRに使われ記録に残ってそうな物ですが、そのソビエト時代の写真というのは
見た事が無いので途中で沈んだかすぐ解体されたのではないでしょうか。
(102:347)

米空母に付けられた名、ワスプの語源を教えてください。

Wasp のスペルを辞典で引けばわかるが、肉食のハチのこと(特にジガバチを指す)。
初代空母ワスプは初期計画ではホーネット(Hornet、スズメバチの意)の同型艦だったので、
ハチの名前で揃えたのでしょう。

というか、以前の米海軍艦でも同級艦で”ホーネット”と”ワスプ”と言うフネがあるので、
そこからの流れということでしょう。

なんでハチの名前なのかはよくわかんないですが。
(107:512)
アメリカ海軍の艦艇命名基準※現在サイト消滅

そこの中ほどに、こういう記述がある。

大戦間期には、海軍の初めての空母が就役しました。
給炭艦「ジュピター Jupiter」を改装した、わが海軍初めての空母は、
航空技術の先駆者、サミュエル・ピアポン・ラングレーをたたえて、
「ラングレー Langley (CV 1)」と名づけられました。
わが海軍の次の2隻の空母は、巡洋戦艦の未成の船体をもとに建造されました。
これは、建造が中止された6隻の高速な主力艦のうちの2隻で、すでにアメリカ史上の有名な会戦や、
かつての有名な艦艇にちなんで命名されるものと決定していました。
新しい空母は、もとの名前のまま、「レキシントン Lexington」「サラトガ Saratoga」と名づけられました。
もともと巡洋戦艦のものであったこの命名基準は、1934年から41年にかけて就役した
「レインジャー Ranger」、「ヨークタウン Yorktown」、「エンタープライズ Enterprise」、
「ワスプ Wasp」、「ホーネット Hornet」にも引き継がれ、第二次大戦から終戦後まで続いて用いられました。
(107:516)

太平洋戦争で登場した米海軍のエセックス級空母は高性能ということですが

装甲の強化、対空砲の充実以外に、他の空母と比べていい所ってあるのでしょうか?
搭載機が多い。
(111:568)
サイドエレベーターの装備も。
何より排水量に余裕があって、元から専用に設計されてるから転用艦のような無理が少ない。
防御力の充実も、英空母のような装甲をガチガチに張る式でなく、ダメージコントロールを重視した無理の少ない設計。
ようするに、大型で、設計が新しく、空母として全体に無理がなく、バランスが良い。
こんなとこ?
(111:570)

1年間で50隻作ったカサブランカ級空母の品質はどんな具合だったんですか?

カサブランカ級は護衛空母だから、まさに飛行機を運べるだけレベル。
主任務は船団の護送や飛行機の運搬だから、正規空母ほどのものは求められてなかったのよ。

でも数が数だけに、日本軍から見れば大いなる脅威であったことも事実で。
やっぱあの国は敵に回しちゃいけません。
(112:575)
通常の艦船は造船ドックに屋台骨にあたる竜骨(キール)を置きそこから船体をくみ上げていく。
しかしカサブランカ級空母は船体の主要な部分をいくつものブロックに分けて工場で建造し、
最後に造船ドックで組み合わせてから進水・儀装する。
何隻も平行して建造でき、かつ一隻の艦が造船ドックに置かれる期間が短くてすむので短期で大量に建造できた。
いってみればプレハブ建築みたいなものと考えればいいだろう。
カサブランカ級を建造したカイザー造船所は大量の労働者を雇用し、
そのため造船所の近くには病院や映画館を備えた町が一つできたそうだ。
(112:576)
護衛空母は商船構造なので軍艦としては耐候性、防御力、ダメコンなどなど
欠点は多い。
しかし、敵の空母機動部隊とのガチンコ勝負を想定していないので
想定されて運用上に問題はなかった。
(112:577)
護衛空母1隻あたりの搭載機が少ないと言っても、隻数が多いから、
トータルの艦載機の数はすごいことになるわけで。
(112:578)
装甲が薄いというか皆無だったので、レイテ海戦の時日本の戦艦から何発も命中弾を喰らったのに
砲弾の信管が作動せず、そのまま船体を突き抜けてしまったなんて話があるな。
(112:579)
他の方も書いていますが低速、抗堪性、搭載機数と弱点は多々ありますが
元々敵艦隊とのガチンコ勝負のための軍艦ではありませんので十分に活躍しています。

それゆえうっかり日本海軍の主力部隊と会敵してしまったサマール沖海戦などでは散々な目に会っています。

レイテで撃沈された「ガンビア・ベイ」を扱った
「空母ガンビア・ベイ」も学研から出版されているので、参考にされるとよろしいかも。
(112:580)

WW2で、艦載機が出撃した後空母は移動してるんでしょうか?

移動してしまうと自空母を見つけられないことにもなりかねないと思うんですけど。
とりあえず日本海軍機は誘導ビーコンを装備していたはずだけど。
日本海軍機のループアンテナはそれに使うものだったかと。
(118:930)
当時、元の位置に帰ってくるのも困難であったので、元の位置に帰ってくる
技量があれば、空母の移動先を特定するのはそんなに難しくは無い。
ほとんどが自分の位置がわからなくなって母艦に帰れなくなるのであって、
自分の位置がわかっていれば母艦帰り着けるはず。
(118:939)
日米とも基本的には「攻撃からの帰還時には母艦はこの辺にいる」との説明が出撃前に行われました
また、これも日米とも帰還補助用の無線装置がありましたが(米で開発したものを日本が買った)
これを使うと母艦の位置を暴露することになるので実戦ではほとんど使用していません
艦載機は出撃前に教えられた情報を頼りに推測航法で母艦を探すわけですが、万が一帰還前に母艦が
敵と遭遇し位置を変更していたりしたら海に沈む以外道はありません
(118:946)



WW2で米軍が大量に作った小型空母って戦後どうなったんですかね?

船体が小さくてジェット化が進む艦載機が載せられなかったのでほとんどがスクラップ。
少数が短期間ヘリを載せてヘリコプター強襲母艦になったり、広い甲板スペースにアンテナを立てて通信中継艦として使われた。
商船構造だったので、民間に売却の上改造して貨物船として使われたものもある。
(360:818)

アメリカの護衛空母は戦後どうなったのでしょうか?

戦後直ぐの除籍は4,5艦しかありません。
但し、戦後のRecessionのため、大抵の護衛空母は予備役となりました。

Bogue級はCard、Core、Breton、Croatanが1969~71年まで、航空機運搬艦として
稼働していましたし、Casablanca級はCorregidor、Tripoli、Sitkoh Bay、Cape Esperance、
Thetis Bay、Windham Bayが1958~61年まで航空機運搬艦の任にありました。
このうち、Thetis Bayはヘリコプター空母に類別変更され、1955年6月~1956年7月の間に
改装を受け、強襲揚陸艦に再変更されています。

Commencement Bay級はBlock Island、Girbert Islands、Kula Gulf、Salerno Bay、Siboney、
Rendova、Bairoko、Badoeng Strait、Sicily、Point Cruz、Mindoro、Palauの各艦が1947年当時
在籍し、このうち、Salerno Bay、Bairoko、Sicily、Mindoro、Palauの各艦は1960年に除籍され
ましたが、後の諸艦は、Gilbert Islandsを除いて航空機運搬艦の任に就いております。
Gilbert Islandsは、その広い甲板と格納庫を利用して、通信設備の充実を図り、1962~63年に
地上の通信設備が核攻撃で被害を被った時に、核原潜に命令を伝達する、通信中継艦に改造
され、Annapolisと改名して、1969年まで任にありました。
後、Kula Gulf、Point Cruzは、同じ航空機運搬艦でしたが、1965~69年にMSTSに所属が変更
されています。

これらの護衛空母が最終的に退役したのは、1972年になってからです。
(155:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

WWⅡ時の空母は一機飛行機を着艦させるのにどのくらい時間かかりますか?

丸スペシャルの「空母赤城・加賀」によると
アメリカのレキシントン・サラトガは20秒間隔で着艦させる事が出来ると言われていたそうだ
(460:417)

大戦時の空母なんて船の上に板を貼るだけ(?)ですから、大量に生産できますよね?

第2次大戦中のアメリカで生産された護衛空母というのがある。
特にカサブランカ級は1年で50隻というその生産速度から、週刊空母と呼ばれることもある。
君が言っているのはまさしくそれ。
日本やドイツも真似しなかったんですか?
ドイツはそもそも空母の研究開発自体が間に合わなかった。日本は隼鷹級や大鷹級等を
建造運用しているが、これは「普通の輸送船に空母設備を載せて急速建造」じゃなく、
「最初から空母へ改造するための船を商船名目で予め建造」だからニュアンスが少々
異なる。ちなみに、イギリス海軍は「軍艦規格より安く量産できる商船規格でそれなりの空母を
新しく設計」と言うやり方を取っていたりする。

日本は第2次大戦前から民間が建造する客船に海軍が補助金を出し
戦争時に客船をすばやく空母に転用できるように設計するなど、事前準備はしていたが、
実際に転用して作った数は、米英と比較にならない。
日本の商船改造空母は7隻建造
アメリカは70隻以上 イギリスは40隻以上は作っている。
(終戦で建造中止とかまで調べていないので、概数)
ドイツには計画のみ3隻ほどあったといわれている。
連合国(アメリカ)の圧倒的な工業力の前じゃ真似したって、対抗できるだけの生産は無理
(538:601-625)

第2次世界大戦前のイギリス海軍は何を目的として空母を整備したのでしょうか?

日本は漸減作戦の一環として、アメリカは索敵・偵察兵器として空母を建造したと聞きますが
英国の場合は、奇襲兵器として航空母艦を整備しています。
そもそもは、船に飛行機を搭載して、洋上から発艦し、ドイツの軍港を攻撃する意図で建造されています。

即ち、英国海軍の空母は、洋上を自由に移動する航空基地として、敵の意図しない方角から敵の軍港を爆撃する為に
考えられたものです。
それを発展させて行くと、重装甲、重防禦の空母になっていく訳です。
(347:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

なぜホーネット以後米正規空母は沈まないのですか

○ダメコンの徹底
○日本機は250kg爆弾を使用しているので、威力が弱い(アメリカは500kgを使用)
○開放式格納庫だから爆弾が飛行甲板を貫通しても、爆発威力を外に逃がせられる
○対空砲火が充実していいる上に、レーダー管制をしているので、日本機が近づけない
日本が大型艦に使ったのは800kg爆弾だろ
艦爆の急降下爆撃は250kg。
艦攻用の800kg爆弾は限られた状況でしか使用してない。
レキシントン、ホーネット、ヨークタウンもみな魚雷が命中しています。
だから、これが当たらなくなったら、やはり相当厳しいということでしょうか
1945年に硫黄島攻略を支援中特攻の集中攻撃を受けたエセックス級の
フランクリンは総員退艦令が出るほどの被害を受け、沈没は免れた
もののほぼ廃艦状態だったから、艦爆の250kg急降下爆撃でも集中攻撃
できれば・・・要は「当たれば」沈めること自体はそんなに難しくは
なかっただろう。

問題は「投弾するところまで行き着けない」米軍の濃密な防空
体制を突破できないことにあったわけで。
(341:545-554)

WW2空母の艦載機への兵装の搭載は、格納庫で済ませてから飛行甲板に上げるんでしょうか。

それとも未搭載の機体と兵装をそれぞれ上げて、飛行甲板で全て搭載するのでしょうか。
米空母の場合は甲板上で爆装等のほとんどの作業を行う。
格納庫内は狭いし、万が一爆弾等が暴発した場合被害が大きくなる。

日本海軍の場合、ミッドウエー以前は格納庫。
それ以降は弾薬を飛行甲板へ上げるエレベータの設置が終わった艦から
飛行甲板。
(574:931,935)

空母ってどの位弾薬積んでるもんなんですか?

エセックス級(初期)戦闘機*36爆撃機*36攻撃機*18
45kg焼夷*504
45kg通常*296
147kg対潜水*296
227kg通常*296
454k通常*146
454kg徹甲*110
454kg半徹甲*129
726kg徹甲*19
908kg通常*19
航空魚雷*36
後期になると魚雷が50本に増加し(増えなかった場合もアリ)ロケット弾数千発が追加。

翔鶴(要求値)弾種不明
60kg*540
250kg*306
800kg*90
航空魚雷*45
(331:757)

WW2時の独空母ですが、すでに乗員の人事とかは決定してたの?

決定してたとして、空母運用のための訓練とかしてたの?
人事も訓練もやってない。
戦術研究はもちろんしてただろうが、具体的な結論やドイツ海軍における運用思想については
聞いた事がない。

入れ物だけは作ってたが、艦載機は空軍所属になる予定だったんで、例のごとく空海軍のいがみ
合いで具体的に話はちっとも進んでなかったみたいだ。
(331:896)

護衛空母って商船構造やら何やらで作り安くした簡易小型空母なわけですよね?

商船構造ってつまり普通の軍艦とどう違うんです?そんなに作りやすいんですか?
護衛空母ってのは、商船船隊の護衛をするのが目的なので、敵は潜水艦と小型戦闘艦と航空機。
商船船隊の護衛ごときにたくさんの運用機は不要なので、小型になっている。
というか、敵艦隊とガチンコで殴りあう目的で使用するわけではないので、防御面が手薄になってる。
防御面を手薄にしても数が欲しいので、戦時標準輸送艦などの設計をそのまま流用し、細かい不便な
点は見ないことにして、建造が容易なことを優先している。

大戦が始まって大量に護衛空母を建造したら、余ってしまって、最前線まで戦闘機の輸送用に使用
してみたり、どうせならそのまま艦隊決戦に使ってしまえとなったりして、最後は正規空母と同じような
扱われ方をしたけど、ま、それはアメリカが圧倒的に勝っていたからできたこと。

反対概念の正規空母ってのは概念が入り乱れているけど、こちらは敵艦隊・敵陸上基地などを攻撃
する機動部隊での運用を想定している艦なので、もちろん防御面をはじめあらゆる面で、しっかりとした
空母として設計がなされている。ま、戦艦や巡洋艦、あるいは大型客船を流用したりもしてるけどね。

要するに、新しい型を作るたびに、戦訓を取り入れて一からしっかり設計する正規空母に対して、
数が必要だった護衛空母は、その辺で大量に建造している戦時標準輸送艦なんかの設計を流用
してやっつけで大量に数を建造した空母という事になる。
(633:606)

1 「商船構造って」「普通の軍艦」より、簡単に作られています。
2 「作りやすいんです」!

以下引用。
http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000762.html
「商船構造」は「鋼船規則」等の諸法令に基づいて建造された船舶のことを示し、
同規則等は一般海難に遭遇しても被害を極限(沈没させない、積み荷を守る、
油流出を防ぐ等)させるため各国の海事協会(例:日本海事協会 NK)や
海事保険機構(例:ロイド)が定めた
基準が中心です。
「軍艦構造」は商船用の諸規則を参考にしつつも、前述のように防弾、
防水、防火の基準が各国海軍により勝手に決められているものです。
当然の事ながら船体構造の強度が強い場合
が多く、水密隔壁や装甲板の数が非常に多い構造です。」
(633:霞ヶ浦の住人 ◆iQXTBGahk.)

WWIIのころのレシプロ艦載機のころから航行しながらの着艦のほうが良かったのでしょうか?

大戦中の空母は、例外を除き停止状態だと発着艦不能
例外はアメさんのカタパルト付きが、停止状態から発艦できるぐらい
それも、兵装が重い場合には発艦不可能

空母への着艦はアレスティングワイヤにフックを引っ掛けて無理矢理止まる関係上、
どんな艦でも停止状態では概ね不可能
着艦しようにも速度が速すぎて、ワイヤ切りまくって艦首からボッチャンになる
ワイヤを切らない程度まで速度を落とせば、着艦する前に失速して海ポチャ
ワイヤを切らないようにするには、空母が航走して相対速度を下げるしかない訳

ま、着艦するのがソードフィッシュみたいな複葉鈍足機で空身、
空母の飛行甲板が十分に長いってのなら、停止状態でも着艦できるかもしれないけどね
(283:820)

ナチスドイツの空母グラーフツェッペリンの15cm砲16門ですが、どこに装備される予定だったのでしょうか

当初の線図では、まず、ケースメート方式で船体に装備されています。
これが、片舷4門、両舷計8門。
残りは、艦橋の前後に連装砲塔4基8門が装備され、合計16門となりました。

しかし、1942年の設計案になると、艦橋前後の連装砲塔は10.5cm連装高角
砲塔6基に代り、15cm砲はケースメートのものしか残りませんでした。
(274:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

木製甲板だと被弾した時に脆いような気もしますが

木製といっても装甲が足りないので木で間に合わせているというわけではない。
設計上十分と思われるだけの装甲を施してからその上に木を張っているだけ。

ただ火災の原因になるのはたしか>木甲板

でも日本海軍みたいにリノリウム(合成樹脂の一種)貼ったりすると、更に火災の
危険度が…。
日本海軍は戦争後期にはリノリウムは火災時に危険、ということで剥がしてたけど
(そのせいで南方へ派遣された艦は艦内炎熱地獄と化したそうな)

今は鉄板に滑止塗装をするか強化モルタルを塗るようになって、木甲板は廃れたね・・・。

木甲板を用いる目的は防熱、防音、歩行の便利のため(無いと船内が暑くなって大変)

暴露甲板の場合で水密を求める場合はビームとの間にテーパーライナーを入れて「よろい張」するのが標準(リベット構造の場合)
装甲=甲板でないことに注意

上に木甲板を張る場合は「内外張」として甲板鋼に段付加工するのが標準(甲板リベットのコーキングは行わない)
また、ビームの上に直接に木甲板を張る場合も有る(裏に鋼甲板の無いタイプ)
木甲板の厚さは鋼甲板の上に張る場合で50~65mm以上 甲板ビーム上に直接張る場合で50~75mm以上
(厚みの幅があるのは、木材の種類によって違いが有るため)
木甲板の材料として用いられるのはチーク、ケヤキといった硬材、 ヒノキ、杉、米松といった軟材がある
固定方法はボルト止めで、ボルト穴はシールし木材で栓をする
木材の間はOakum(麻縄)を打ち込み、パテかピッチ(Black Marine Glue)を流してコーキングする(寿命は1~2年)
(122:824-826)

WW2米軍の空母に着艦管制を旗を振って行う人間がいると聞きました

その旗の振り方について知りたいのですが。
米空母では、パドルと呼ばれる器具を使用して指示を行いました。
パドルとはアルミで出来たテニスラケットを切り詰めたような形の器具で、
視認しやすいように赤や黄色の布が帯状に貼ってあります。
LSO(着陸信号士官)がこれを振ることで着艦しようとする艦載機を誘導するわけですが、
例えば、進入角が適切であれば腕を左右に延ばしてパドルを水平にします。
進入角が浅く、高度が高ければ両腕を上に伸ばしてパドルを高く掲げます。
逆に進入角が深く、高度が低ければ両腕を下に下ろしてパドルを低く掲げます。
頭の上でパドルを交差させて振ったらウエーブオフ(着艦やり直し)でした。
(218:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

二次大戦中、アメリカは正規空母を造るより小型空母を量産した方が費用対効果がいいと判断したからそうしたんですよね?

なら何故、現代のアメリカは原子力空母みたいなでかい空母を造ってるの?
確かに艦載機も大型化してますが、それに会わせた小型空母ってのも造れると思うのですが
違う、小さな造船所でも建造できるように設計されたのが護衛空母。
なら何故、現代のアメリカは原子力空母みたいなでかい空母を造ってるの?
艦艇は究極的に運用に支障を与えないとこまで大型化した方が効率が良いから。
もちろん現実には予算や造船所なんかの制約、冗長性や数の確保なんかで妥協する。
確かに艦載機も大型化してますが、それに会わせた小型空母ってのも造れると思うのですが
ズムウォルト提督が船団の護衛なんかを目的にある程度の個艦戦闘能力と航空機運用能力を持つ『制海艦』と呼ばれるもを考えた。
ちなみにコイツは米海軍ではコケて、スペイン海軍の軽空母に生かされている。
(338:449)

イギリスの改インプラカブル級空母で、艦名が途中で変わったやつがありますが、なぜでしょう?。

オーディシャスとして起工されたにもかかわらず、1946年1月に艦名がイーグルに改められ、1951年に完成したそうです。
Audaciousは、戦争最盛期の1942年10月24日起工ですが、まだEagleは戦没直後でした。
1943年3月5日に2番艦Ark Royalが起工し、1944年4月19日に3番艦Eagleが起工します。
このまま行けば、3番艦がEagleになるはずでしたが、終戦により1946年1月に3番艦Eagleは
キャンセルされました。
Eagleは英海軍にとって最初のまともな正規空母だったので、本来はその後の新鋭正規空母
に命名する予定でしたが、そうした新鋭正規空母が竣工する状況に無い為、AudaciousをEagleと
改名し、竣工させた訳です。
(703:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

輸送艦に飛行甲板付けたら、とりあえず空母になりませんか?

特TL船がそれ。

1TLと2TLの戦時標準船を改造したもの。

陸軍が2TLの戦時標準船改造で2隻、海軍が1TLの戦時標準船改造で2隻
作る予定やったけど、陸軍の一番艦「山汐丸」のみ完成し、完成直後に米軍
の爆撃で大破着底。

あと、丙型船という強襲揚陸艦の元祖のうち、「あきつ丸」、「熊野丸」が護衛
空母に改造されて完成したけど、前者はすぐに潜水艦に撃沈、後者は
油が無くて動けず。

いずれも10Knot後半~21Knotまでだったので、艦載機なんてもってのほか、
搭載機は和製シュトルヒである、三式指揮連絡機と、カ号オートジャイロ。

ちなみに、米国にはベビー空母よりも小さい「ジープ空母」があったりする。
ベビー空母ってなんだ?
ベビー空母は、商船改造の護衛空母。
(正規空母よりも小さいからそう名付けられたらしい)

ジープ空母は、LST改造の空母もどきです。
Italy戦線で用いられたもので、2~3隻ありました。
尤も、LSTの甲板に鉄板を張ったもので、搭載機は露天繋止のL-4スーパー
カブが2、3機。
当然、後ろに艦橋がありますから、「逝ってこい」な訳です。
(日米英護衛空母を語れ:眠い人 ◆ikaJHtf2)

フランスが計画してた空母ジョッフルについて教えて下さい。

老朽化したベアルンの後継として建造が計画されたものの、フランス敗北
で未成に終る。
英国の初期の空母を参考にしたらしいが、飛行甲板は全長より短い。
竣工してても運用では苦労したろうな。
ジョッフルの完成予想図ってイラストリアス級に似てないかな?
片舷に偏った飛行甲板といい、全長より短い飛行甲板といい、巨大な艦橋といい。
最初はデュケーヌ級重巡の改装型だったのな。
55センチ魚雷発射管4門だから、通商破壊用だろうか。
ただ、14,000トンで搭載機10~14機だったそうな。

ジョッフルは蒼龍並みの船体だったのに、格納庫は二段式だったのに、
搭載機は40機だったそうな。
戦闘機はF4F15機と、爆撃機は無し、雷撃機はTBD25機。
ある意味時代を先取りしてたのかも。
(マイナーな未成艦を語ろう:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ドイツ空母はグラーフ・ツェペリンが有名ですけど、計画として客船改造のザイドリッツとエウロパってのがあったそうですが。

「ザイドリッツ」(「ヴェゼル」という資料もある)
プリンツ・オイゲン級重巡洋艦の2番艦として建造が開始され、大戦勃発で
工事中止。(その時95%まで工事完了)

しかし、グラーフ・ツェペリンの建造再開と同時に、空母改造決定。
上構取り除き、飛行甲板と格納庫を設置。
搭載機はBf-109T×10とJu-87E×10で、カタパルト二基装備。
1942年12月着工するも1943年の大型艦工事中止命令で頓挫。
1945年1月29日、ケーニヒスベルクで自沈。

その後、ソ連が4月10日に引き揚げ、本国に回航。
対ソ戦前に独逸から買い上げた、リュッツォーを竣工させるための部品取りに
使用。

で、「エウロパ」
1928年竣工の北大西洋航路の客船で、客船当時、郵便輸送用に飛行艇と
カタパルトを備えていた。
英国上陸作戦用の兵員輸送艦に使用される予定だったが、無期延期で、
1942年5月に改造計画が練られる。
しかし、1942年に断念され、以降は機甲部隊の輸送船となる。
(マイナーな未成艦を語ろう:眠い人 ◆ikaJHtf2)

イタリアの客船改造空母の計画について教えて下さい。

イタリアには客船「ローマ」改造の「アクィラ」があって、こっちは竣工
寸前まで逝ったのね。(ドイツ接収時に重要部分を破壊し、サボタージュを
行ったので、結局1945年4月に自沈)

で、更にマイナーなのが同じ客船改造だけど、豪華客船「アウグストゥス」
改造の「スパルヴィエロ」。
簡易空母として、客船時代の上構を取っ払って、格納庫を設け、その上を
飛行甲板に。

で、その飛行甲板!
全部で飛行甲板の長さは183メートルあった。
でも、艦幅一杯の飛行甲板は140メートルしかなく、そこから先の43メートルは
発艦専用甲板で、幅僅かに5メートル!
即ち、凸状の飛行甲板で、Elevatorも正方形じゃなくて十字型。

速度!
機関は客船時代と変わらず、従って速度は18Knotな訳で、カタパルト無し。

武装!
15..2センチ単装砲6門と10.2センチ単装砲4門。
但し、何を考えたかこれらは平射砲!!(対空砲は若干の機銃のみ)
おまけに装甲は無し。

お前ら、どういう風に運用するつもりやったんやとイタリア海軍の首脳を
小一時間問い詰めたい。
(マイナーな未成艦を語ろう:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ワシントン条約で空母も制限対象だったのは何で?

航空機は雑魚扱いだった時代なのに
Wikipediaのワシントン条約の所で説明されてる。

条約の抜け穴になると考えられたため
張りぼての外壁の内側に主砲塔を隠した偽空母、主砲山盛りの所に申し訳程度の飛行甲板を備えた航空戦艦(笑)
など、パッと思いつくだけどもこの程度の偽装は予想できる

戦時に空母に改装する前提で建造された商船もあったくらいだし、後のロンドン条約でも抜け穴狙いの船が各国で作られてる
(727:549-550)

CV-6エンタープライズは甲板が茶色と黒色の二種類を見かけますが、途中で材質が変わったのでしょうか?

たしか甲板の使用木材が変わったのではなかったかな
(俺初質スレ2050:835)

空母搭載機数って甲板下の格納庫に詰めた数が基準?

日本空母の搭載定数は格納庫基準
ちなみにアメリカ空母の搭載定数は露天駐機も含む。
WW2なんかでアメリカの搭載数がやたら多い理由の一つがこれ。
(俺初質スレ50501:791)
空母の搭載基数は艦内収容数が基本
甲板搭載がデフォじゃ荒天で荒れてるとき海におっこちて
数を元に作戦立てるのが不安定になるしな
(俺初質スレ50501:792)
日米どっちでもケースバイケース。
艦内収容数の場合もあれば、露天繋止を含むケースもある。
資料によって搭載機数に差があるのもこのため。
日本でも信濃が「格納庫容積を考えるともっと搭載できたのでは」と言われたり、
大鳳が逆にもっと少なかったのではと言われたり、諸説出る原因にもなる。
(俺初質スレ50501:793)
実は違う
日本の定数にも
蒼龍は11、赤城は9、翔鶴が12、隼鷹が9と露天駐機した数が含まれてる
(俺初質スレ50501:794)
実際のとこはいろいろな都合で計画上の搭載機数が載らない事もあるから、
公式の定数は「想定できる最大値」って事で、現実には「積めるだけ」って事になる。
(俺初質スレ50501:798)


日本の空母


太平洋戦争当時の帝国海軍の空母についてですが、当時の空母の飛行甲板にエレベーターはありましたか?

エレベーター3基
赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴
エレベーター2基
上記以外のすべての空母
(4:839)

どうして瑞鶴と翔鶴は「妾の子供」と言われたのですか?

同じ第1航空艦隊に配属されている先輩空母に比べて
戦争直前に竣工したため練度が低かったこと、その2隻が珊瑚海海戦時に備えて
日本海軍でも主力部隊とは程遠い第4艦隊に転属されたためだったと思います。
(9:55)

旧日本海軍の三段式空母、やめた理由は何なのでありましょうか。

飛行機が発達すると共に大きく重くなった結果、着艦用の最上飛行甲板では手狭になってきたことと、
発艦時に屋根のある下部飛行甲板では危険になってきたためです。
それに同じに発進できる航空機の数を増やす為には飛行甲板は出きるだけ広い方が良い事がわかってきたからでもあります。
また中央部の飛行甲板はほとんど使われていませんでした。

いずれにせよ、三段式飛行甲板は航空母艦発達史の中ではかなり初期の試行錯誤の産物と考えて良いでしょう。
(6:211)

雲龍などの日本空母が緑色で表現されているのは事実だからですか?

日本の海を見てみましょう。
結構緑がかってると思いません?
実際に信濃、隼鷹、雲龍は暗緑色で塗装されていました。

大戦後期になると緑の塗装が増えますが、一説には対空砲台として
使用するため、山を背景にとけ込む迷彩として使用したと言う話もありますが、
真偽のほどは不明です。(迷彩検討の試行錯誤の一環と取れなくもないですが)
(12:眠い人 ◆ikaJHtf2)

第二次大戦中のアメリカ空母の飛行甲板は長方形ですが、日本空母は艦首ほど細くなっています。これはなぜですか。

一つは資材節約。
もう一つは重量軽減と重心低下だと思われます。
(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)

【天城】の艦底部分だけは浮桟橋としてそのまま残され、青函連絡船用として函館に回航されたという。

とのことですけど、どなたかその後どうなったかしりませんか?
「終焉の日」からかな。
んでその桟橋は長さ119.92m、幅14.2mの巨大な桟橋だったそうです。
連絡船が廃止されても桟橋は残ってるようだけどこれがソレなのかは不明。

まーもし現存していたとしても周りは完全にコンクリに覆われているでしょう。
(14:787)
浮き桟橋とのことですから、臨時施設でしょう。
従って、青函連絡船が整備された頃には、恒久的なものが整備されています
ので、恐らく海の底ではないでしょうか。
(14:眠い人 ◆ikaJHtf2)

関東大震災で破棄された改装空母天城は赤城と同じ設計なのでしょうか。

天城と赤城は姉妹艦でしたから、若干の差異はあったでしょうが、同じ艦型になっていたはずです。
(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)

何故赤城の艦橋は左に付いているのでしょう?

先に改装した加賀と比較のため
(17:181)

赤城や加賀は90機搭載できるのに、どうして信濃は、47機しか搭載できないのですか?

1)必要とされなかった。信濃は中継空母として計画されたので自身が
 多数の航空機を搭載する必要がなかった。
2)中継空母ゆえ重装甲化する必要があり、その代償として重心位置低下のため
 格納甲板が単段となった。
3)想定された艦載機が、大戦末期に計画された大型機であったため、戦前の
 ものを想定していた初期の空母より見かけ上少なくなった。初期の航空機なら
 もっとたくさん搭載できます。
パッと思いつくところではこんなところ。あと少なく見積もっていたとかいう話も。
(19:137)
とりあえず、福井静夫さんの回顧録を見る限り、格納庫は前部と後部に一つ宛あり、
前方の格納庫の3分の2は開放式で、此処に偵察機7機、艦爆20機を搭載、後部に
は防禦を施して戦闘機20機が搭載できるようになっていました。
但し、この計画数値は、艦爆は流星、艦偵は彩雲、艦戦は烈風を基本に算出してい
ますので、それが無い竣工時の時点では、もう少し搭載できたかもしれません。

当初は2層式を考えていたそうですが、煙路導設方法、中甲板甲鈑の大改正を伴い、
戦時急造の思想からは外れるため、1層になったようです。
(230:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

雲龍型空母は、なぜ艦名が山の名前になってしまったのでしょうか?

昭和17年以降の決定であったと思いますが、空母建造を続けると~龍、~鶴といった
空母系統の名前のネタ切れ(カコワルイ名前しか残らない)を危惧した海軍が~山の名前を採用することとなりました。
(24:762)

改造空母の大鷹や雲鷹から零戦が離陸できたのでしょうか?

今判る範囲で調べてみましたが。

12試艦上戦闘機(A6M1)離陸滑走距離は風速12m/Sで70m以下(試作要求案)
艦上爆撃機「彗星11型」(D4Y1)(無風)199m(風速12m/s)85m
艦上爆撃機「彗星33型」(D4Y3)(無風)240m
艦上偵察機「試製彩雲」(C6N1)(風速13m/s)124m(正規重量)182m(過荷重)

飛行甲板の広さと速力は。

翔鶴 242×29m 34ノット
瑞鳳 180×23m 28ノット
大鷹 172×23m 21ノット

秒速12メートルというのはおおむね24ノットですから、いくらかの風があればOK、
甲板に並べる機体を(つまり同時に発艦する数を)減らして滑走距離を大きく取れば
無風でもなんとか(ただし大型新鋭機は不可)といったところではないでしょうか。
(27:ふみ)

信濃の引き上げは不可能なのでしょうか?

不可能と言いきる事は出来ませんが、
信濃の沈んだ潮ノ岬沖は、海流の早いことで有名な海域ですので、
艦体が見つかったとしても、サルベージは最高級難度でしょう。
(28:43)

日本の空母の艦橋って周りに毛布がついてるけど何で?

戦闘時の防弾用
普段はハンモックとして使用
(32:361)

日本の空母はでかいジャイロみたいな装置を積んで艦の揺れを抑えていたそうですがどれくらい効果があったのでしょうか?

ジャイロ・スタビライザーを装備したのは鳳翔と龍譲だけ。
鳳翔の場合片舷15度の動揺を5度以内に軽減できたそうです。
(40:944)

日本軍の空母の搭載機が米軍に比べて少ないのは何故でしょうか?

日本は露天駐機しないから。
(47:557)
米海軍と日本海軍とでは、格納庫の使用方法が違う事が挙げられるでしょう。
日本の場合、搭載機を全て格納庫に収めて運用しようとしたのに対し、米海軍
の場合、格納庫はメンテナンス・スペースとして使用していました。
で、搭載機の大半は露天駐機にしていた訳なのですが、ここでまた、米空母の
日本空母に対しての特徴である、同排水量艦の比較において、飛行甲板の面積
が大きいと言うメリットが効いてきます。
プラモデルか、同縮尺の平面図で比べると解るのですが、日本の空母と比べると
明らかに米空母の方が広いです。
あと、格納庫の構造の違いもありまして、米空母は開放式の格納庫になっており、
一段式ではあるのですが、幅も艦体の横幅ギリギリまで取っているのに対し、密閉
型の日本空母は、二段式以上ではあっても、格納庫の周りを士官室など、居住区
その他に使用しており、艦体の横幅よりも格納庫の幅はかなり狭いものでした。
(47:569)
日本の空母においても露天係止(露天駐機)は日常的に行われていました。
http://www.warbirds.jp/ansq/11/A2002406.html
米空母の搭載機数の多さはカタパルトの能力も関係してます。
http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000666.html

日本空母の艦尾付近にある耳のような出っ張りが気になるのですが,これはどんな機能があるんでしょうか?

着艦標識のことかな?
この標識を通過したら機体を三点姿勢にしろという目印。
(51:940)

空母赤城は改装で排水量が大きく増加していますが、機関出力に変化がないにもかかわらず速力が落ちていないのは何故なのでしょうか?

赤城の件ですが、機関出力は、重油専焼に換装した際に上昇しています。
131,200hp→133,000hp
それに、速度の方も、若干ですが低下しています。
31.5kt(公証は31.0ですが)→31.2kt
また、排水量の件ですが、ワシントン条約のからみも有り、改装前は26,900t
とされていますが、実は30,000tを越えていました。
それが条約も明け、改装も実施した事により、公証36,500tに改めたのでした。
(52:446)

第2次大戦当時、アメリカの空母には、LSO(着艦管制士官)がいましたが、日本の空母にはそのような担当者がいたのでしょうか?

日本の着艦システムはパイロットの方で修正できるようになってました。
現代空母が装備しているミラー・ランディングシステムの原型と考えてもいいでしょう。
どちらが優れているかというと明らかに日本の方で、
米軍のやり方だとLSOが未熟だったら着艦する機体全てが事故る危険がありますが、
日本のやり方だと全て自己責任で行えます。
実際に着艦事故は米軍の方がはるかに多いのです。
(55:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

重装甲な空母「信濃」にはコンクリートが使われていたって本当ですか?

本当です。

航空燃料の油槽を二重にして、最初の計画では其の外側の部分には水(重油だったかな?)
を入れておく予定でした。しかし其れ迄の事例により不十分だと考え直され、
水の代りにコンクリを流し込む事になりました。
(56:フェチ ◆kK77XB6/ug)

旧日本海軍は何故に飛鷹だけ予備艦にしなかったのですか?(何故、飛鷹が選ばれたのですか?)

戦前にロンドン条約で補助艦の制限を受けた海軍が、有事の際空母にする目的で
建造費用を支弁した商船が多数有ります。
その一つに橿原丸と出雲丸があり、それがそれぞれ隼鷹、飛鷹になりました。
他の商船改造空母と違い、船体が大きく、速度がそこそこ優速な為、予備にならず、
第一線で活躍するようになりました。
(65:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争時の日本の空母には、どうしてカタパルトがないんですか?

旧帝国海軍は、艦隊用空母に適したカタパルトが開発出来ませんでした。
そもそも米海軍も、正規空母でのカタパルト使用は補助的なものでしたし。
さらに護衛空母用のカタパルトも、油圧シーリング等の品質に大きな開き
があり、ものにできませんでした。
ちなみにスチームカタパルトの実用化は、米英でも戦後の話になります。
(79:186)

どうして大鳳には同型艦が無いのですか?

大鳳は同型艦の計画はあったんですが、諸事情により建造中止です。
(58:105)

空母信濃は当初搭載航空機数0にする予定だったってマジですか?

信濃は当初、重装甲によって敵の前線近くまで進出し、後方から飛来する
味方飛行機を着艦させて弾薬と燃料の補給を行う、いわば前線補給基地としての
運用を考えられていました。なので、最初は自衛用の戦闘機だけを専属配備する
つもりだったようです。

さすがに、使う側からは固有の攻撃機も欲しいという意見が出てきて、
結局は戦闘機18機と攻撃機24機を載せ、あわせて他の空母から飛来してきた
機体への補給能力も付与するという、両者をまとめたような形の設計案が
出来上がりました。

竣工10日で撃沈されてしまったので、今となっては夢物語ですが。
(83:262)

日本軍潜水艦の射出カタパルトは空母に使えなかったのでしょうか?

潜水艦搭載カタパルトは火薬カタパルトでしたよね、
ターンアラウンドタイムが大きくて、全力出撃に支障をきたすので嫌われたのでは。
日本海軍も空母搭載カタパルトの研究を続けていましたが(確かスチーム)、
実用化は出来ませんでした。
(88:595)
当時米英軍が実用化にこぎつけた油圧式カタパルトもしくは現在の蒸気式カタパルトと
旧日本軍艦艇に搭載されていた火薬式カタパルトは根本的に違うものです。
火薬式は爆発を利用する危険なものだったので、小型軽量な水上偵察機用にとどまってます。
(艦載機用の開発も試みられたが、戦局悪化で中止に)
質問にあった潜水艦用カタパルトは圧縮空気を用いる特殊なもので、最大5tまで射出可能でした。
しかし、継続的に使われる空母のカタパルトには不向きだと思います
(88:機甲自転車)

千歳は結局空母に改造するんだったら伊勢のように半分滑走路に変えてしまった方がよかったんではないでしょうか?

千歳・千代田は有事のさいに特殊潜航艇母艦、航空母艦、高速給油艦への
改造が可能であることを考慮して設計された水上機母艦です
一方、伊勢・日向は時間・費用の制約から航空機の発艦機能を持たせただけの戦艦です
建造時からあの姿だったわけではありませんし、空母への改造の準備でもありません
比較する意味は無いと思います

千歳・千代田の建造案には帰着甲板を装備する案もあったようですが
有事のさいに他艦種に改造することを重視したためか、装備されませんでした
結果的には水上機母艦や、特殊潜航艇母艦としては戦局に寄与することがなかったために
もっと早くから航空母艦に改造、もしくは改造の準備をしとくべきだとお考えなのでしょうが
こうした戦前の予想が外れるというのは、けっして珍しいことではないと付け加えておきます
(92:330)

ミッドゥエー・珊瑚海・レイテ沖海戦で、空母から索敵機を30機ほど飛ばして先に敵を見つければ勝てる・・素人考え?

空母の搭載機をそんなに索敵に割いたら肝心の作戦行動ができなくなります
(94:731)
目標が雲の下にいる、という可能性は考えないのですか?
(94:ゆうか ◆9a1boPv5wk)

日本海軍の空母は何故、舷側エレベータを導入しなかったのでしょうか?

ちゃんとしたシャッターがない当時、
台風等の暴風雨の被害をおそれたため。
(94:702)
あれは、開放型の格納庫があったことから思いついた物です。
(94:711)
実用化できなかったわけではない。
技術的な問題ではなく、悪天候で海が荒れることの多い日本周辺海域での運用を
考えた場合に、波浪による浸水の危険がある側面シャッター(解放式格納庫)を
採用しなかったということ。

アメリカ海軍も悪天候時の危険については認識はしていたが、搭載機数を増やすことと
設計上の簡易さから解放式格納庫を採用した。

結果、沖縄近海やフィリピン近海で嵐に遭遇してかなりの被害を出してます>アメリカ空母
(94:741)

雲龍級空母の乗員は1101人ですが、天城、笠置の2艦だけ1500人なのは何故でしょうか?

手元資料では葛城、阿蘇、笠置の三艦が1,500名ですね。
葛城と、阿蘇に関しては、機関が他のものとは違うものですから、その操作要員であるとか、
25mm三連装機関砲が増強されていますので、その操作要員であるとか、28連装対空Rocket砲
を追加していますので、その操作要員の分が増えているのではないかと思います。
(95:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

旧海軍の空母大鳳は魚雷を受けて航空燃料タンクにひびが入り、漏れて気化した航空燃料に引火、大爆発を起こし沈没したそうですが、

この爆発は被弾後の応急処置で防げなかったのでしょうか?
燃料が気化してる時点でかなり危険。
(95:646)
応急処置で止めようとしたけどダメだったみたいです
(95:649)

珊瑚海海戦で日本空母最初の喪失艦となった祥鳳は魚雷7本、爆弾13発を受けたそうですが

翔鶴は後に魚雷4本で沈没したのに対しかなり耐えたのではないかと思いました。
何故ここまで耐えられたのでしょうか?
攻撃を受けただけであって、耐えたわけではない。
(96:415)

何故日本の空母は大戦末期まで飛行甲板を塗装していなかったのでしょうか?

多くの艦艇に大戦末期まで迷彩がされなかったのは
日本の迷彩塗装の研究が遅れていたのが原因だと思います。
(103:373)

日本帝国海軍空母の飛行甲板の平面図を見ると、木甲板の横方向に所々灰色の線が描き込んでありますが、

あれは何を目的に描いてあるのでしょう?
おそらく自在継ぎ手と思われ。
船というのは、波浪を受けて意外なほど船体がしなるものです。
そういった場合に、ゆがみを吸収するための継ぎ手が、日本海軍の空母の飛行甲板には設けられていました。
(103:368)
アメリカやイギリスの空母では見かけませんが、それは飛行甲板まで塗装していたからでしょうか。
伸縮継手(自在継ぎ手)は、飛行甲板部分は板で隙間を塞げるように
片側だけ固定してかぶせるように設置してあり
船体の側壁部分はΩ型のフレームで繋いであるような構造だったようです。
ですので金属の強度によって歪みを吸収していたということになります。

飛行甲板を強度甲板とした最初の空母はイギリスのアークロイヤルで1938年に竣工しています。
アメリカ空母の飛行甲板が強度甲板化されるのは1955年竣工のフォレスタルからとなります。
というわけで、第二次大戦中のアメリカ空母とイギリスのアークロイヤル級以外の空母は
伸縮継手を供えているけれども塗装でいまいちわからないということだとと思います。
(103:373)

小豆島の池田湾に雲龍級の何番艦かが建造中止となって複数隻疎開してきたという話は本当ですか?

6番艦生駒だな。
完成度60%の状態で疎開してた(従って船体だけで空母の形してない)。
(110:780)
生駒だけではなかったか?
未成3隻中、笠置(長崎製)は佐世保、阿蘇(呉廠製)は倉橋島に疎開であるから。
生駒は雲竜型6番艦、
川重製の未成艦。18年7月5日起工、19年11月9日工事中止、17日進水。
解体工事は近場の玉野で実施。
(110:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

旧日本海軍は航空母艦にアングルドデッキ、もしくはこれに似たものは考案されなかったのでしょうか?

「似たもの」も考案されていない。以上
(111:236)
かなり外して、似て非なる物なら航空戦艦伊勢・日向のカタパルト発進かな
(111:250)

旧日本海軍の大鳳以前の空母は装甲甲板を使っていなかったそうですが、これはなぜでしょうか。

実際にその時期において装甲飛行甲板持っていた空母の方が少ない。
日本艦以外だとイラストリアス級やインティファティカヴル級くらいだったと思います。
飛行甲板に装甲を張ると重心が上がる上に搭載機が減ります。
(111:607)

日本海軍が重巡洋艦「伊吹」を空母に改造していたというのは本当でしょうか。

未完成だったので改造。
要目は

空母 伊吹

でぐぐれば幾らでも出てくる。

インディペンデンス級も巡洋艦の艦体を使っているしな。
(116:284)

大鳳の水面から航空甲板までの高さを教えてください

中途半端な回答だが、喫水なら9.6メートルだ
図面をみると、水面から飛行甲板までは10メトールはありそう
(122:221)


空母が一隻でも欲しかった帝国海軍ですが、どうして鳳翔を練習空母にしたんでしょうか?

艦が小さすぎて、零戦が運用可能なまで飛行甲板を延長したら、トップヘビーになって
外洋での運用が難しくなったから。
(俺初質スレ20501:257)

軽空母神鷹に改造しちゃったドイツ商船シャルンホルストの代金ってちゃんと払ったの?

無償譲受(但し、勝った暁には戦後支払の約束)としています。
ドイツ側としても、使う当てのない艦船ですし。
(296:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本海軍の空母の艦橋に、戦闘時に括り付けられる白いモフモフは何ですか?

わざわざ燃えやすい物を括り付ける意味がわからない
あれは「マントレット」といって、ハンモックを硬く丸めて縛り付けたもの。
被弾した時に破片が周囲に飛び散るのを防ぐ。
(353:864)

空母赤城の甲板にアって書いてあるのはなんでですか?

上空から空母の艦名が識別できるように書かれた識別記号。
「ア」はアカギのア。
艦隊組んで行動してると間違って別の空母に着艦しちゃう機が続出したので、識別のために描かれた。
日本の他の空母にもそれぞれ艦名を示すカタカナが書いてある。
(364:334)

大戦中の日本の正規空母の速力が34ノットくらいあるのはどういう要求によるものなのでしょうか?

巡洋艦と遭遇した際に逃げられる足と合成風力を作るための高速性が要求されました。

日本はどの空母でも同じように発艦できるよう、合成風力が同じ値になるように速力を調整します。
向かい風が強いときは速力を落し、弱いときは速力を上げます。

零戦は向かい風12m/秒=43.2km/時、つまり合成風力23ノット強での離陸距離70mを要求されています。
九九艦爆は同10m/秒で離陸距離100m(ただし爆弾搭載せず)。
実際には機動部隊所属艦中最も低速な艦の「最大戦速」、つまり過負荷でない戦隊レベルの最高速度での運用が通常。
これ、正規空母なら30ノット。つまり最大34ノットの「4ノット」は余裕分とみていい。
(466:264,268)

帝国海軍の空母のうち、飛行甲板が甲板で覆われていたのは信濃と大鳳だけですよね?他の空母は木製の飛行甲板だったのでしょうか?

甲板がないのに飛行甲板とはこれ如何に
などという突っ込みはともかく、例示された両空母以外は全て木甲板。戦艦もそうだ。
勘違いしているフシが見受けられるが、木の下は鋼の甲板。鉄がむき出しのデッキだと日差しで凄まじく熱くなったり(艦内も)、
乗員の足腰の負担が増えたり歩行の音が下に響いたりするので、それらを和らげるために木を張っている。

材は米松、チークなど。戦艦「長門」には試験的に檜が使われたが、これはあまり宜しくなかったらしい。
厚さは38~100mm、幅は100~229mm。これをデッキにボルト止めし、ボルトの入った孔は木栓を打ち込んで塞ぐ。
#roght

どうして日本の初期空母は、煙突を下向きにしたんですか?

甲板上の気流の乱れとか言いますが、米空母は普通に上向きだし
日本空母は荒波を考えて開放型格納庫を避けたとも聞くので
むしろ日本の場合は下向き煙突だと海水が入り込むリスクがありますよね。
当初計画に於いては、加賀、蒼龍などに於いても煙突を艦上に立てていましたが、
第四艦隊事件の結果、重心位置が高くなることが判明して、舷側煙突を採用しました。
また、赤城が採用した同じ煙突が好成績を上げていたのもあります。

なお、直立煙突を採用した飛鷹、隼鷹は大鳳の事前実験のために採用され、大鳳は、
クローズドバウを採用した関係上、飛行甲板の高さが海面上から低く、艦の被害傾斜
時に煙突先端が海中に没することが懸念されたため、直立煙突が採用されました。
(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
いや気流の乱れを嫌ったから。
あと甲板上にでかい構造物があるとやっぱり甲板上の気流に乱れが
生じて艦上機の離発着に影響を及ぼす。
それを避けた。
ちなみにあの湾曲煙突は上面に蓋がついていて、波がひどい時や艦が
損傷浸水して極度に傾いた時にはその蓋を開けてそこから排煙する。

米空母もレンジャーのように起倒式煙突を採用したりして、初期に試行錯誤はしている。
(349:180,182)

空母信濃の沈没地点はどのあたりですか?

また、その後船体はどうなったのか判っているのでしょうか?
和歌山県は潮岬沖110度55浬の地点で沈没しています。
船体は深海底のため浮かんでいません。
(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

180mしか飛行甲板かない千歳でも彗星とか流星改の運用ってできたんですか?

できません。
(93:918)
でもマリアナの時は何を積んでいたんでしょうか?
零戦 と零戦の爆装 と97艦攻

天山は重いけど97は軽いので運用可能 ただ搭載機数は
かなりすくなかったはず
(93:918)

日本陸軍が空母持ってたというのは事実ですか?

空母擬きが正解でしょう。
元々、これらは特殊船と呼ばれ、上陸用舟艇と飛行機を搭載したものです。
これは上陸作戦の際、戦車、兵士、兵器を搭載した上陸用舟艇を発進させると共に、
搭載機を船上から発進させて、上空の防空、偵察、攻撃に使用する意図がありました。

従って、発艦は出来ますが、着艦は意図していません。

その後、大戦中に護衛船舶の不足から、陸軍徴用船舶が撃沈される事例が多くなり、
丁度実用化されたSTOL機の三式連絡機、オートジャイロのカ号を搭載して護衛空母
として利用されるようになりました。

これらの船舶は10隻以上存在しました。
(71:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
本当です。二種類有るのですが、一つは船団護衛の為の対潜哨戒の為です。
当時、旧帝国海軍は、改装空母も含め、空母は正面兵力(敵の軍と対峙
する)との認識があり、船団護衛と言う後方任務には回さなかったのです
(末期には例外は有りますが)。シーレーン防衛に関して、旧帝国海軍は
熱心では無かったのです。
10,650tの「山汐丸」という船です。
もう一つは上陸用舟艇を搭載した母艦を陸軍は運用していたのですが、
その内の一隻に飛行甲板を張り、支援用航空機を搭載した船が有りました。
現在で言うと、揚陸強襲艦の元祖と言うべき船でした。
9,191tの「あきつ丸」「熊野丸」と言う船です。
(71:569)
とりあえずこのサイトでもどうぞ
http://www.h3.dion.ne.jp/~okumoto/page026.html
(347:842)

瑞鳳級など、飛行甲板の先っちょの方がないのはどうしてですか

結局、改装して延長したそうですが、なぜ最初からそうしなかったんでしょうか。
飛行甲板が長いとその分重量配分がトップヘビーになる。
なので短くて済むならそれに越したことはない。

また、艦体構造と一体化されておらず支柱で支えられている甲板は、
波等で艦体がたわむと艦体本体とは別のねじれ方やたわみ方をする。
結果艦体との境界部に亀裂が入ったり折れたり支柱が曲がっちゃったり
するので、艦の構造上余り好ましくない。

なにより瑞鳳の艦橋は飛行甲板先端の下部にあったわけで。
「ひさし」に当る部分を長くしたら斜め上すら見えなくなるわ支柱が邪魔で
前方視界が妨げられるわで艦の操艦に支障が出る。

実際改装工事後は「艦橋からよく廻りが見ぇねぇ」と激しく不評だった。
(337:76)

CV赤城の三段甲板は一番上の甲板以外からも離陸出来たんですか?

一番下は長さ56.7mの大型機発艦用甲板、その上は長さ15mの小型機発艦用甲板、一番上は長さ190mの発着艦用甲板になっています。
(330:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
下段が大型機発艦用甲板
中段が小型機発艦用甲板
上段が発着艦甲板

の予定でした。が、中段の飛行甲板は艦橋を拡大した結果、
格納庫との連絡が無くなりデッドスペースになりました。
(330:527)
何故一枚甲板にしてしまったんでしょうか?
中段の小型機発艦スペースとかアホみたいに短い。
飛行機黎明期はこれでもよかったんだけど、だんだん大型で高性能な艦載機が
開発されるにつれ発艦時の滑走距離が増加。中段は無理、下段でもどうだろう、という状況になり、
なら広くて大きい飛行甲板があった方が良くね?ってことになって一枚になりました。
英国もフューリアスとかで似たような試行錯誤をしています。
(330:534)

日本空母は爆弾、魚雷の誘爆がなくとも数発の爆弾で使い物にならなくなる脆弱なものだったのでしょうか。

ミッドウェー海戦で加賀4発 蒼龍3発 赤城2発で最終的に沈没になっています。
わずか数発で沈没にまでいたってるのは換装作業中の爆弾や魚雷に誘爆した影響も
大きいということですが、飛龍が3発でやはり沈没しています。
当時の日本空母だけでなく、装甲甲板を充分に施されて無い空母
または巡洋艦以下の航空攻撃への弱さはそんなものだ

もっとも、日本の艦船は総じて攻撃能力偏重とかで
ダメコン能力(被害受けても、火災や乗員の死傷を拡大させずに食い止める能力)は
元々低かったというのもあるんだが…

現代の軍艦でも巡洋艦は対艦ミサイル3発、空母は4発程度で沈むと言われている

とりあえず爆弾が3発当たれば空母は飛行甲板が壊れるので空母としては使い物に
ならなくなる。
後に飛行甲板に急降下爆撃に耐えられるだけの装甲を張る様になるが、そうなると
重くなりすぎて色々と不都合が出た。
イギリスの空母には装甲甲板にして特攻機の直撃に平然と耐えたものがあるが、
装甲化で重くなった分の重心を低くするために格納庫を2段から1段にしなくては
いけなくなり、搭載機数が半分になった。
その辺の事をクリアするために、空母はどんどんデカくなって行く。

あと、日本の空母は基本設計として250kg爆弾(日本の急降下爆撃機が積める爆弾)に
攻撃される事を前提としていたが、アメリカの急降下爆撃機は1000ld、454kg爆弾が
積めるので、想定以上の被害が出た。

3空母の喪失については、転換作業中というのではなく、攻撃隊が発艦開始直後に爆撃を受けたもの。
そのため、飛行甲板上で、艦爆、艦攻に搭載されていた爆弾および魚雷が誘爆を起こし、
ダメコンも有効な手が打てずに、航行不能に至った。
飛龍についても同様で、薄暮攻撃のために甲板上に攻撃機を待機させていたところに、
急降下爆撃を食って、3空母の後を追うハメに陥った。
また、当時の空母は一般的に飛行甲板が弱体で、容易に飛行甲板を爆弾が貫通し、船体内での被害も大きかった。
これに日本空母の場合は、消火設備等のダメージコントロール設備やダメコンの練度度不足などが重なり、
あっけなく航行不能のやむなきに至っている。
(597:131-138)

日本海軍の空母にカタパルトがなかったのはなぜ?

日本海軍は、空母用に油圧カタパルトの実用化に失敗したため,
火薬式のカタパルトを使ってましたが、火薬式だと、
作動時に急激な加速がかかることもあり,
艦攻、艦爆を発進させるだけのパワーのあるものを作ろうとすると装置自体が巨大化するのと、
艦攻、艦爆の構造強化まで手をつけなくなり、断念しています.
(325:112)

日本が第二次世界大戦で、客船を航空母艦に改造した理由

航空母艦には乗組員の数が多いので、客室が多い客船が好都合だったから?
順番が逆。空母に改装できる客船を政府が助成して建造した。

当時は軍縮条約が有効だったので、改造前提の覆面軍艦が必要だった。
当時は貨物船やタンカーでも1万トンで大型と言われており、客船以外に、空母に必要となる容積を
みたす大型民間船は口実とならなかった。

さらに言えば、その「客室」とやらも結局は可燃物で作った仕切りなので、手間をかけた防火対策の
必要があった。

だいたい、上甲板から上は全部撤去で、船体内に弾薬庫だのガソリンタンクだのを増設する大工事
なのに「居住設備」が改装対象の理由になるかよ。
(622:ふみ ◆Y.QUKJBduY)

空母赤城と加賀では何で赤城が旗艦に選ばれたの?

速度以外は加賀のほうが完成度が高いじゃん?
艦橋が小さく、作戦指揮を行うのに不都合があると判断されたから。
(625:426)

旧日本海軍はどこら辺に問題があって空母用カタパルトの開発が出来なかったんでしょう?

ていうか火薬式の連続使用ってどこら辺に問題があるんでしょう?
日本が油圧式のカタパルトを開発できなかったのは、優秀なオイルシールが
生産できなかったから。これがないと油圧駆動なんて無理。
火薬式がダメなのは、白化させたときに急激にGがかかり、機体が持たないから。
あと、重くなる一方の艦載機に合わせて火薬の量を多くするとカタパルト自体が
火薬の爆発に耐えられるように頑丈にする必要があり、そうなると重くなりすぎるから。
(660:223)

日本の空母が湾曲煙突や傾斜煙突なのに対して、他所のは直立煙突ですが、着艦の際に悪影響はなかったのでしょうか?

影響は当然出てるけど、それを許容範囲とみなすか、みなさないかの差というのが、戦鳥さんとこの回答。
http://www.warbirds.jp/ansq/2/B2000830.html
(661:429)
「着艦の際に悪影響は」ありました!
煙突の悪影響を避ける試行錯誤が、「湾曲煙突や傾斜煙突」です。
しかし、どうしても悪影響は出ました。
決定的な方法は存在しませんでした。
原子力になって煙突が無くなり、悪影響が止みました。

「煙突がない 離着艦スペースが広くとれ、排煙が航空機の着艦を阻害することがない」

下記、
ウィキペディアの原子力空母の原子力化のメリットを参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%A9%BA%E6%AF%8D
(661:霞ヶ浦の住人 ◆ORAm06ellg)

しかし艦橋構造物は大型化しているので、着艦に影響する乱流そのものは根絶していない、と。

空母が艦載機の運用を行うことを第一義のフネとするならば、飛行甲板は艦載機の運用の都合だけを
考えたい。それを突き詰めていくと、なるたけ多くの飛行機を並べることで発艦を短時間に行えるように
したい。とくにカタパルトの後方は発艦待ちの艦載機のためのスペースにするのが望ましい。

しかし、通常動力空母の場合、機関室とその煙路の都合もあって、オーバーハングでせり出すにせよ、
場所をあけるためにアイランドを後退させるにせよ限界がある。それを原子力化によってアイランドの位
置はかなり後退させることができた、と。
http://www.globalsecurity.org/military/systems/ship/images/midway.gif
しかしもっと駐機スペースをとりたいので、エレベータの数を減らしてでも場所をつくり、艦橋をさらに後
退させた。エレベータが減っても能力が3割あがれば補いがつくし。乱流については別対処する、と。
http://www.globalsecurity.org/military/systems/ship/images/cvn-78-side.gif
http://www.globalsecurity.org/military/systems/ship/images/cvn-78-deck3.gif
(661:ふみ ◆Y.QUKJBduY)

赤城と加賀をワシントン条約で空母にしていますが、トン数から考えて、赤城と加賀やめて飛龍型5隻にしたほうが得ではなかったでしょうか。

ついでに、龍襄とほう翔もやめれば、飛龍型6隻できたと思うのですが
時系列を完全に無視してる。WW1直後の複葉機の時代に「大型空母」
を造ろうなんてアタマは「軍縮条約で余った戦艦を流用して」って話以外で出てくるわ
けがない。1万t級で十分に運用可能だ。

 ロンドン条約で規制されるまでは1万t以下の空母に枠はなく建造は自由だった。

 公称27000tの赤城、加賀を潰すとなんで飛龍が5隻造れると考えるのかも分からん。
「開戦時に」ってのも実は「後だしじゃんけん」。もし、開戦してなかったら、飛龍級
は1950年代初期にはジェット化に対応できずに除籍されていたろう。

 蒼龍自体が「ワシントン条約の建造枠の残り」に合わせた設計で、赤城、加賀を先に
建造していて、鳳翔と龍ジョウ(当初計画9800t)がロンドン条約で枠に入らなければ
存在しなかった艦形。
(295:533)

タミヤの信濃を買って初めて知ったんですが・・・・空母ってホントに緑色なんですか?

1944年頃の日本空母の塗装は、主戦場の南洋の海の色に合わせる為に、濃い緑色に
塗装したと言う話を何処かで聞いた覚えがあります。
戦艦の場合は、日本近海の海の色に合わせるために、濃い鼠色ですが。
(294:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

呉大空襲で、空母でありながら鳳翔が損傷が小さかったのは何故なんでしょうか?

鳳翔は戦争のほとんどを練習空母として使われ、激戦の前線には出ていない。
戦争後期には航洋を捨てて飛行甲板を拡張して、外洋に出れなくなった。

1945年には飛行甲板に木を載せて島に偽装されるようになり、米軍の攻撃を
逃れた。バレバレだったが・・・。

もっとも、米軍にしてもより攻撃するべき目標があった状況下では、こんな
「小物」には構ってられなかったのだろうというのが真相だろうが。
(294:741)

ミッドウェー海戦後に日本海軍は空母の大量建造計画立ててましたが、比較的な期間が短くて済みそうな金剛型の空母化改装が行われなかったのはどうしてですか

構造物ひっぺ返して格納庫と飛行甲板付けて降着装備を付けて…
と、言った感じで新造と大して変わらない手間が掛かります。
また、金剛級はその空母の貴重な護衛戦力となるので空母化からは除外されています。
検討され、実際に空母化されたのは損傷受けていた伊勢、日向の二隻です。
後部甲板だけの中途半端なものですが。
(286:964)

日本帝国海軍空母の飛行甲板の平面図を見ると、木甲板の横方向に、ところどころ灰色の線が描き込んでありますが、

あれは何を目的に描いてあるのでしょう?
おそらく自在継ぎ手と思われ。
船というのは、波浪を受けて意外なほど船体がしなるものです。
そういった場合に、ゆがみを吸収するための継ぎ手が、日本海軍の空母の飛行甲板には設けられていました。
歪みを吸収、ということは、ゴムかなにかで出来ていたのでしょうか。
アメリカやイギリスの空母では見かけませんが、それはやっぱりあれらは飛行甲板まで塗装していたからでしょうか。
伸縮継手(自在継ぎ手)は、飛行甲板部分は板で隙間を塞げるように
片側だけ固定してかぶせるように設置してあり
船体の側壁部分はΩ型のフレームで繋いであるような構造だったようです。
ですので金属の強度によって歪みを吸収していたということになります。

飛行甲板を強度甲板とした最初の空母はイギリスのアークロイヤルで1938年に竣工しています。
アメリカ空母の飛行甲板が強度甲板化されるのは1955年竣工のフォレスタルからとなります。
というわけで、第二次大戦中のアメリカ空母とイギリスのアークロイヤル級以外の空母は
伸縮継手を供えているけれども塗装でいまいちわからないということだとと思います。

多くの艦艇に大戦末期まで迷彩がされなかったのは
日本の迷彩塗装の研究が遅れていたのが原因だと思います。
(103:368-373)

空母赤城の乗員の内訳は?

赤城型航空母艦定員表
昭和12年4月23日 内令第169号改定
昭和16年 第784号改正

艦長 大佐 1 、副長 中佐 1 、航海長 中少佐 1 、砲術長兼分隊長 中少佐 1、通信長兼分隊長 中少佐 1
運用長兼分隊長 中少佐 1 、飛行長 中佐 1、副砲長兼分隊長 少佐・大尉 1、飛行隊長 中少佐 5 、
分隊長 少佐・大尉 15 、乗組 兵科尉官 12、中・少尉 9 、整備長 機関中佐 1 、機関長 機関中佐 1
工作長兼分隊長 機関少佐 1 、分隊長 機関少佐・機関大尉 9、乗組 機関科尉官 5 、機関中・少尉 5
軍医長兼分隊長 軍医中少佐 1 、乗組 軍医少佐・軍医科尉 3 、主計長兼分隊長 主計中少佐 1
乗組 主計科尉官 1 、乗組 特務中・少尉 4 、飛行特務中・少尉 22 、整備特務中・少尉 9 、機関特務中・少尉 3
工作特務中・少尉 1 、看護特務中・少尉 1 、主計特務中・少尉 2 、兵曹長 4 、飛行兵曹長 33 、
整備兵曹長 14 、機関兵曹長 4 、工作兵曹長 1 、看護兵曹長 1 、主計兵曹長 1 、兵曹 110 、飛行兵曹 145
整備兵曹 131 、機関兵曹 84、工作兵曹 21、看護兵曹 4、主計兵曹 12、水兵 318、整備兵 328、機関兵 211
工作兵 31、看護兵 9、主計兵 49、
合計 1630

赤城
士官 77、特務士官 42、准士官 58、下士官 507、兵 946
合計 1630
(130:156)

日本海軍の主力空母は、艦載機用の銃弾、爆弾、魚雷などを何発ずつ搭載していたのでしょうか?

大型空母ではありませんが、1933年に設定された一万トン級空母艤装方針によると、以下の通り。
太平洋戦争開戦時に関しては資料が手元にないので…。

艦上戦闘機:搭載可能機数の1/3(複座戦闘機搭載のため、全幅11m、全長8m、機高3.5m、重量1.7tとして計量)
        うち、補用機が常用機の1/3
艦上攻撃機:搭載可能機数の2/3(全幅6.2m(折畳時)、全長12m、機高4m、重量5tとして計量し、双発攻撃機なら6機搭載可能)
        うち、補用機が常用機の1/3
爆弾:800kg:常用艦攻1機に付1発(1t爆弾も同様に考慮する)
    500kg:常用艦攻1機に付2発
    250kg:常用艦攻1機に付8発
    60kg:常用艦攻1機に付16発
    30kg:常用艦戦1機に付4発、常用複戦1機に付20発
    30kg煙爆弾:常用艦攻1機に付16発
    焼夷散爆:常用艦攻1機に付4発
    10kg擬爆:常用艦戦1機に付5発、常用複戦1機に付10発、常用艦攻1機に付15発
     4kg爆弾:常用艦戦1機に付10発、常用複戦1機に付20発、常用艦攻1機に付10発
     1kg爆弾:常用艦戦1機に付10発
魚雷:53cm航空機魚雷:常用艦攻1機に付1発
弾薬包:7.7mm機銃弾薬包:常用機銃1に付8,000発(徹甲弾/4,500発、曳光弾/1,250発、焼夷弾/750発、普通弾/1,000発)
(151:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

現代のアメリカ海軍空母艦載機は航空隊毎に独立(海兵隊、海軍所属)しているそうですが、旧日本海軍もそうだったのでしょうか?

空母艦載機は「空母の装備品」なので、それぞれの空母にそれぞれの航空隊が設定されました。
たとえば珊瑚海海戦で翔鶴が大破し、瑞鶴に緊急着艦した翔鶴航空隊のパイロットが
そのまま瑞鶴に居座ることは、辞令が出ない限り不可能で、
翔鶴の修理完了まで岩国で訓練ながら待つか、飛鷹・隼鷹送りの辞令を受けるかです。
また主力の下士官パイロットは、所属鎮守府に在籍するため、
横須賀所管の赤城の場合、蒼龍(横須賀所管)へ転属することはあって、加賀(佐世保所管)へは行けません。
空母がひとたび轟沈すれば、死なばもろとも…なのが空母航空隊員です。
横須賀鎮守府は霞ヶ浦、呉鎮守府は岩国、佐世保鎮守府は大村、舞鶴鎮守府は美保に慣熟訓練航空隊があり
この中から、陸上航空隊行き、または空母航空隊要員を選抜することになり、
不足したパイロットの補充員、新規就役空母の初代スタッフとして引き抜かれることになります。
もっとも、基地航空隊にも宇佐空や佐伯空みたいな艦載機乗りの名手がいる部隊もあり
結局マリアナ海戦に間に合わなかった舞鶴召集パイロットに代わって、
小沢さん直伝のアウトレンジ戦法を伝授された元基地航空隊の艦載機乗りの選抜隊を大鳳に載せた珍しいも存在します。
(217:鷂 ◆Kr61cmWkkQ)

信濃って搭載機が少ないけど、露天に乗せれるだけ乗せても、あんなに少ないの?

信濃は前進洋上補給基地として、本隊の空母に燃料弾薬を補給する役目だから
固有の搭載機が少ないだけで、それしか積めない訳ではないよ
翔鶴型の格納庫床面積5545平方mに対して、信濃は4860平方mで88%あるから、本当は翔鶴型と遜色ない程度に積める
(俺初質スレ2049:14)
信濃も、大鳳も、他空母搭載機の中継基地として使うことを想定していた、みたいな解説を見かけるが、
最近の研究では、計画時に検討された案の一つで、最終的な設計では、
そのような運用は想定していないとするのが通説だな
(俺初質スレ2049:16)

赤城と加賀は3段空母からの改装時、甲板を装甲化する案はなかったんですか?

もともとトップヘビーで復元性に余裕があまりないし甲板の装甲の必要性も認識されてなかったのでない
(俺初質スレ2050:774)
軍艦て機関室や弾薬庫などバイタルパートの保護で、上甲板に装甲はあるけど、飛行甲板に装甲という発想はないから
巡洋艦とか水偵を露天搭載だし
新造時からそういう設計でないと、特に友鶴事件後の日本海軍は重心の上昇を嫌うからな
(俺初質スレ2050:776)
せっかく装甲甲板付けたのに魚雷であっさり沈められたりとか
苦労して装備したからってさほど強くなるもんでもない…空母ってのはしょせん攻撃に対しては脆弱
(俺初質スレ2050:783)

大和級の3番艦の信濃って、どうしてあんなに工期が遅れたんですか?

俺の記憶が正しければ確か戦争始まって急遽作る必要がなくなり
解体するのにも工事が進みすぎていてとりあえずドックから出す為の工事をしたが
前述の通り急ぐ必要が無くのんびり進めていたところで急遽空母への改装案が出て
どんな形にするかの設計変更とか時間かかって本格的に始めたのが遅かったからかと
(俺初質スレ30501:128)




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