交戦勢力



アメリカ側

ベトコンをなぜチャーリーと呼ぶのでしょうか?

チャーリーは本当はアメリカ兵のことを指すアメリカ兵自身の隠語。
で、ヴェトコンを更に略してVCといってたのを、
Victor CharlieとNATOの識別コードで言うようになったとか。
頭文字に適当な語句を当てはめるジョークの1つ。

有名なのは、「Meal, Ready-to-Eat」っていう携帯食料を略したMREを、
「Meals Rejected by Ethiopians」と呼んだり、とか、ね。
(11:415)

NAM戦時に存在したPRUについて知ってる人いたら教えてください。

ベトナム戦争当時、米軍が使った無人機はファイアビーシリーズだけですが
これがまた、試作段階にあるものをごく少数、投入してたりで、バリエーションが膨大でして…
まとまった日本語の活字資料としては80年代に発行された「エアコンバット」の
特集ぐらいしか記憶にありません
(33:752)

「ベトナム戦争での米軍の死者のかなりの割合が味方に撃たれたもの」というのは本当でしょうか。

偶発的、意図的を問わず、統計は取れませんが、
無視できない割合であったものと考えられます。

「意図的」に、あえて絞るならば、
「フラギング」という俗称がありましたが、気に食わない上官を、
戦闘中に始末してしまう、という例がありました。
中国大陸の日本軍でも、同様の例があったという風聞がありますが、
無茶な命令、資質不足の上官に耐えかね、など、
「軍規の乱れ」だけでは片付かない問題のようです。
(50:215)

アメリカがベトナム戦争に介入した理由は本当に、「資本主義国家のプライド」だけだったのでしょうか?

インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)はフランス植民地時代から
民族独立闘争がチョコチョコ起き、WW2後は活発化してインドシナ戦争が
始まってます。民族闘争も共産主義教育を受けた指導者が入り込んで
来ます。時代の流れですね。同時期に朝鮮戦争が始まってます。
50年代終わりにフランスが手を引いた後は、米国が引き継いで65年からは公に干渉してます。
一説にはカムラン湾の石油問題などを聞きましたが本当は不明です。
ラオスでもカンボジアでも失敗しましたが、タイでは成功したようです(w
(55:一等自営業 ◆JYO8gZHKO.)

ベトナム戦争の「トンキン湾事件」は本当にアメリカの自作自演なのでしょうか?

トンキン湾事件には第1次と第2次があり、両方を分けて考える必要があります。
まず、1964年8月2日の第1次トンキン湾事件ですが、トンキン湾で、アメリカの駆逐艦が、北ベトナム海軍(当時)の攻撃を受けたのは事実です。
ただし、その前に、アメリカの駆逐艦は、北ベトナムの領海内で作戦行動をしており、さらに、北ベトナム側の警告も無視していました。
国際法上、北ベトナムの行為は正当なものだったのですが、アメリカ側はこれらの事実を伏せ、「北ベトナムから攻撃された」ということのみを公表しました。

8月4日の第2次トンキン湾事件については、北ベトナム海軍による攻撃そのものがでっち上げだったというのが、現在の定説です。

ベトナム戦争でアメリカ軍が、ハノイを攻めなかったのはなぜでしょう?

インドシナ半島全体に戦争が拡大してしまったのなら、ハノイを攻めて占領した方が良かったのでは?
戦争というのは、戦場しか見ていては見誤るモノ、実は政治の一手段に過ぎない。
戦場を拡大するのが政治的に得策で無いという当時の判断があった。
(米)国内での反戦・厭戦ムードも、大いに関係しているだろうし、費用的にも厳しい状況も。

また、当時公式、非公式に、大陸中国とソビエトからは
「北ヴェトナム領への侵攻は、我らが同盟国への侵攻であり、同盟国への侵攻は自国への直接攻撃と見なす」
と宣告されており、アメリカ軍が北ヴェトナム領へ侵攻することは、ヴェトナムの地域を越えて世界規模で戦争が拡大する危険があった。
ソビエトも大陸中国も核兵器を持っていたわけで、つまりそれは核戦争の危機が発生する、ということ。
北ヴェトナム領内への航空攻撃-いわゆる「北爆」-が実行までにあれほど躊躇され、北爆が決断された後も様々に軍事行動に政治的制約が掛けられたのもそのため。

ホーチミンルート遮断のための越境攻撃と、それに伴って周辺諸国へ戦禍が拡大したのは「公然の秘密」であり、ヴェトナム戦争中に米軍が越境攻撃をしていた事実は、少なくとも公的には認められていない。

そもそも、南ヴェトナムの領内での戦闘だけでも莫大な兵力を必要としており、それでも尚兵力の不足を感じていた遣越米軍と派遣軍司令部からの増派要求に頭を悩ませていた米政府にとって、更なる兵力を必要とする北ヴェトナム侵攻作戦など、絶対に避けたいところだっただろう。

なにゆえ米軍は北爆で爆弾を落としてもいい地帯を制限していたわけですか?

当時北ベトナムには中国軍やソ連軍、他共産主義圏の国々から軍事顧問が派遣されていたとされる。
これら顧問団は前述の重要拠点に駐留しており、アメリカとしては爆撃でこの顧問団に死傷者が出ると、
南北ベトナム以外で重大な国際問題を抱えることになるため、エリアに制限を設けたわけだ。

北爆は基本的に制限付けまくり。
空港はダメ、工場もダメ、精油施設もダメ、港もダメ、ハノイ中心から**km以内もダメ。
状況によっては解禁される時もあったが、戦略爆撃のターゲットになるものが無かったのではなく爆撃許可が下りなかった
(ベトナム戦争2:634,629)

ベトナム戦争に従軍した米兵は、有色人種の若者ばかり、って本当?

あと米兵の平均年齢が二十歳を下回っていたのは本当ですか?
ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵の平均年齢は確かに低かった。
ただ時期によってばらつきがあるので、一概に「平均で20歳だった」とは言えない。
ただし、兵卒に限ればベトナム派遣者の平均年齢が25歳を越えた年は一度もない。

それと、士官や下士官はともかく兵卒でいわゆる「白人」はベトナムではほとんど
いなかったと言われる(これも時期によるが)。
黒人と有色人種(日系とヒスパニック)がほとんどで、ついで南米系のラテン系が多く、
いわゆるWASPは「物好きな志願兵の大学生」くらいしかいなかったらしい。
映画監督のオリバー=ストーンのようにエリートコースを放り投げてわざわざ志願した
変わり者もいたが。
もちろん白人だからといって徴兵されないわけではないが、そういった人たちは
後方任務や欧州方面に廻されていた。
(222:227)

ヴェトナム戦争で、なぜ米軍兵士にヘロインが広まったのか?

インドシナには古くから阿片が安定供給されていたという素地が存在したからだという。
以下引用。

「古くからインドシナには、中国人が多数定住していた。
彼らの多くが阿片愛飲者であることはよく知られている。〔略〕17世紀頃から中国人の間に、煙草にインド産阿片を混ぜ、パイプで吸う習慣が広まった。当初は上流階級だけのものだったが、やがて19世紀中期になると労働者にも及んだ。
この阿片の安定供給もまた、インドシナを支配する政府の重要課題となった。供給量減少が高値を呼ぶと、それは即、反政府暴動にと発展する。事実、これは再三に渡り生じた。
やがてフランスがインドシナを植民地化すると、フランスのインドシナ総督府は、この問題に腐心する。阿片が品不足に陥ったら、多くを占める中国系住民による暴動すら予測されたからだった。
そこでトルコからの輸入に頼っていた阿片だけでなく、中国雲南省産のものをも輸入するようになる。
サイゴンに置かれた「阿片専売公社」では、あたかも煙草を販売するような形で、中国人に阿片を販売していた。

もちろん儲かる商品だから、密売商人の暗躍もあった。彼らは中国雲南省から阿片を直接運ばせ、密輸商人に頼った商売を始める。
品質は粗悪だ。専売公社のものとは比較にならない。けれど十二分に商売として成り立った。何故ならその顧客層は、裕福な商人ばかりでなく、貧しい肉体労働者もいた。彼らは安価なものを当然のこととして求める。

〔略〕
第1次大戦で主たる供給国だったトルコからの輸入が途絶えると、フランスの阿片専売公社では自給自足せねばならなくなった。
阿片専売公社とは、19世紀のタイにおいて、阿片を吸引する中国人が増加したことで、国家管理の阿片専売公社が煙草のように流通を管理した。
この方式はビルマなどにも広がり、やがてフランスはインドシナの植民地に採用した。これは中国人が居住するアジア地域特有のものとなったのである。

雲南種の芥子が注目され始めたのは、この頃である。これを華僑の阿片中毒患者に安定供給するため、フランス領インドシナで栽培しようと計画が進められた。
ところが涼しい土地に適した雲南種だと、暑いインドシナでの栽培は不向きである。
僅かに、標高が1000m以上の、山岳部の石灰岩地帯にだけ栽培可能なことが分かった。南に面した斜面、つまり水はけの良いアルカリ性の土地でのみ生育できるのである。
そうした山岳地帯には、メオ族を始めとする山岳民族が居住していた。とりわけメオ族が雲南種の栽培に熱心に取り組んでいく。
メオ族は元来、中国四川・雲南・湖南・貴州などの省に古くから住んでいた民族で、今日も3000万近い人口をこれら地域に有している。
17世紀に清朝政府は弾圧開始、2世紀に亘り、7度の叛乱が生じた。多くのメオ族が敗北して南下、インドシナの山岳地帯に住みついた。彼らは焼き畑農業を営み、芥子栽培によって暮らしを立てることになる。

そうした経緯と雲南産芥子の特性から、栽培地域が、「黄金の三角地帯」と呼ばれるラオス、ビルマ、そしてタイの接する辺りに集中したのだ。〔略〕1939年以前は専ら密輸されたが、世界大戦によりトルコやインドからの阿片輸入が減少の一途を辿ると、インドシナの需要に応じるため、一気に栽培が盛んになったのである。

現地の人間より懐に余裕ある外国人、それも、戦場に立って死の恐怖に晒され、現実逃避したい若者達がいたら、麻薬はたちどころにそこへ流入する。
最高の条件にある消費者が、やがてこの地に大量に派遣されてきた。ヴェトナム戦争でのアメリカ軍がそれだ。
アメリカ軍のヘロイン禍は、既にインドシナに派兵した時点において、全ての面で下地ができていたのである。
(柘植久慶「麻薬戦争地図」、銀河出版、'93,P.13-16)

ヴェトナム戦争の初めの頃、米軍戦闘機には機関砲積んでなかったってホント?

初期型F-4は機関砲積んでんなかったが、他の大半の機種は積んでいた。

ヴェトナム戦争中、M-16になされた改良はどんなものだったか?

主な改良点は以下のとおり。

ボルトの閉鎖不良対策として、機関部右側面後方に強制閉鎖用のレバー(ボルトフォワードアシストノブ)追加。
マガジンキャッチ周辺に、間違ってマガジンキャッチを押さないようリブを追加。
銃口のチューリップ形消炎器が補強され、更に後のタイプでは鳥篭形に変更。
ストック底部がゴム製から金属製になり、整備器具を収納するための蓋を追加。
ストック側のスリング取付金具が可動式から無可動に。

ベトナム戦争で米軍の士官の戦死者の5人に1人は実は部下に殺されているというのは本当?

まず
"friendly fire casualties vietnam"
というキーワードでググってみるべし。

その次に
"fragging"
というキーワードでググってみる。
(493:762)

ベトナム戦争時には230名の士官が自分の兵に殺されている。fraggingは、fragment grenade、つまり
手榴弾を投げて殺すことを意味するが、ふつーにM16で殺された士官も多い。
もちろん、味方に殺されたかどうか不明な例も多く、他に1500名近くいる、原因不明の士官死亡者も、
その少なからぬ部分(あるいはかなりの部分)が自軍兵士によるものと考えられている。

ベトナム戦争による米軍兵士の死者は6万人近いが、士官の死者は約6600名。従って、全期の詳細不明な死者が
全部味方に殺されたものと仮定すると、はっきりしている230名と合わせて士官死者の4名に1名は自軍に殺されたことになる。
実際には、詳細不明の中にはブービートラップにかかったもの、誤射(本当の)、はたまた自殺なども含まれるだろうから、
いい加減に半数が自軍兵士に故意に撃たれたと仮定すると、およそ6人に1人という割合になる。
1/4だけと仮定しても10人に1人。

5人に1人、は正確ではないかもしれないが、極端に誇張された数字でもないことになる。
(493:764)

映画「地獄の黙示録」に登場するカーツ大佐のモデルは?

1961年にCIAからラオスに派遣されて、現地のモン族の王になったトニー・ポーがモデル。
http://www.kriegsreisende.de/soeldner/geschichte.php?artikel=relikte/apocalypse.htm&td=1142004

アメリカ州兵は第2次大戦や朝鮮戦争あるいは湾岸戦争・イラク戦争では参戦しているのに、ベトナム戦争には不参加だったようです。なぜベトナム戦争だけ不参加だったのでしょうか?

州兵の指揮権は基本的に州知事にあり、有事以外は大統領が動員することはできない。
ヴェトナム戦争はあくまで「南ヴェトナム政府を支援するための軍事介入」であって、
北ヴェトナムとアメリカが戦争していたわけではない(公式には)ので、州兵の動員はできない。

ただし、州兵の大規模な一斉動員(連邦軍への編入)こそなかったが、
各州の州兵航空隊(Air National Guard)などの個別部隊への動員はおこなわれたようだ。
(276:826-832)

アメリカはいつ頃からヴェトナムからの撤退を考えていたのか?

2006年に公開されたところによると、北爆の最中の1972年6月22日に、ニクソン大統領の安全保障担当補佐官だったキッシンジャーは、周恩来首相に対し、北ヴェトナムが南を併合してもかまわない、と示唆したような発言をしているから、その頃からだろう。

ベトナム戦争がアメリカの侵略だったとして、何故北ベトナムはパリ協定後、攻撃を続けたのですか?

ヴェトナムは本来一つであるべきで、南はフランスの作った傀儡政権だから。というのが北ヴェトナムの主張。

本来なら自分たちがヴェトナム全土を統治する筈なのに、フランスは共産主義勢力がヴェトナムを支配するのを
嫌って南半分に勝手に傀儡政権を作った。
そしてアメリカはフランスから南の支配権を引き継いで傀儡政権を支援し続けてきた。
そしてそのアメリカも撤退する。
ならば今度こそ、ヴェトナム全土は自分たちが統治する。なので南が併合を拒否した以上、実力での併合を目指す。
北ヴェトナム政府的にはそういうこと。
(194:558)

戦後、アメリカが米兵や南ベトナム軍の現地の軍属や協力者のために救出作戦をしたそうですが、

具体的にどの範囲までの人が救出の対象にされたのでしょうか?
"Sensitive"な人達、米軍、CIA及び諜報機関、USAID(アメリカ国際開発局)に属していた人々までです。
これが最低限度の要保護者。
後は、金の力で座席を買った人々になります。

こうした要保護者の撤退は、1日目までは何とかなりますが、2日目から混乱が始まり、3日目には収拾が付かなくなって、
必要な人々の搭乗が不可能な場合も屡々でした。

例えば、Danangの場合は、「要保護」の人員は、領事館の米国人職員50名とその現地スタッフ1,000名になります。
しかし、その家族を含めると1万人以上に膨れあがったりしています。
彼等は1ヶ月掛けて撤退させる予定でしたが、進撃が急で、それどころではなかったりします。
(252:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナム戦争で米海軍艦艇は被害を受けなかったんでしょうか?

http://en.wikipedia.org/wiki/USS_O'Brien_(DD-725)
損害を受けた米駆逐艦の例です。シードラゴン作戦というのをやっていて沿岸砲兵の
射撃を受けて死傷者がでています。フィリピンのスービック湾で修理したそうです。

ベトナム戦争は実際に従軍した世代がネットに色々体験談と写真を上げていますので
調べると結構でてきます。
空母からスカイレーダーが飛んで来て沿岸を南下する補給舟艇を発見したら
沖合いで待機している駆逐艦がダッシュして目標目掛けて砲撃し、切り上げるや
煙幕を張りつつ高速で避退するという話などがみつかります。
(507:346)

アメリカ軍がホーチミン・ルート爆撃の精度を上げるために、上空から振動感知センサーをばらまいたと、聞いた事がありますが

どの辺を人や車が移動しているか調べるために、
振動や音声などを検知するセンサーを怪しい所にばら撒きました。
発見されるといけないというのでアンテナ部分を木の枝のように似せ、
本体部分が根になるように(着地のスピードで地面に刺さる)投下したが、
着地の衝撃で故障する事も多く、イマイチ頼りにならないものだったと聞く。
そのほかにも地上の特殊部隊が発見したルートに直接センサーを仕掛けることもあったようです。
(349:642)

ドイツ軍が小火器でシュトルモビクを大量に撃墜したという話は聞いたことがありませんが、ベトナムではどうして小火器で大量のジェット戦闘機が撃墜されたんでしょうか?

IL-2(シュトルモビク、というのは特定機種だけのあだ名ではないので注意。
まぁ事実上ある1機種のあだ名と化してるが)は「空飛ぶ戦車」と呼ばれた
くらい徹底的な装甲に囲まれていた。

対して、現代の普通の航空機は特殊なものを除いて装甲が全くない。
それこそ「思い切り蹴飛ばせば穴が空く」程度のペラペラの鉄板(鉄じゃない
ものもあるが・・・)でしかないので。

あと、ジェット時代になると「エアインテークから弾を吸い込んでエンジンが壊れる」
という形で墜ちた物も結構多い。
(577:621)

サイゴン陥落時(1975年)に米軍がサイゴンに残っていたのはなぜ?

ひたすら在留米国人と協力者の南ベトナム国民の脱出に専念してただけで、防衛戦には参加してない。
つーかしてたらパリ和平協定違反だ。
後は大使館の警備とかね。
(ベトナム戦争2:410)

ベトナム戦争で米軍が枯葉剤を散布しましたが、これには何か作戦名(コードネームみたいな)はあったのですか?

ヴェトナム戦争で行われた枯葉剤散布作戦の名称は「ランチ・ハンド作戦」
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Ranch_Hand

エージェント・オレンジは同作戦で使用された枯葉剤の一つ
http://en.wikipedia.org/wiki/Agent_Orange
(この記事には枯葉剤の影響を受けて生まれた人物の写真があるので注意)
(602:442)

ベトナム戦争中、アメリカ軍はバッテリーの切れた通信機ってどうしたんでしょうか?

やたら重かったと聞きますが、やっぱり持ち帰ったんでしょうか?
ヴェトナム戦争においては無線機は生命線、
予備のバッテリーを幾つかは携帯するのが常識、
バッテリー1個で7~8時間の連続受送信ができる
もしバッテリーが切れたとしても重いからなんて理由で捨てる
訳が無いでしょう、
(324:762)

ベトナム戦争に参加した米軍の輸送機改造の対地攻撃機とその装備部隊名を教えて

AC-47(FC-47)が1stACGを皮切りに配備され、AC-119Gは、71SOSから後に17SOSに、
AC-119Kは、18SOSと14SOSに配備され、ホーチーミンルートのトラック攻撃に従事して
います。
AC-123K(NC-123K)は3機が改造され、実戦テストに投入、AC-130Aはテストの後、
JC-130Aから改造された機体が、16SOS/8TFWに配備され、後に改造されて1980年代に
AFRES/711SOSに配備されています。
AC-130Eも、同様に16SOS/8TFWに配備され、AC-130Hが1980年代には16SOS/1SOWに
配備されていました。

このほか、雑用機からの改造として、SwissのPC-6をLicence生産したFairchildの機体を
米軍が採用したAU-23Aがあり、これらは一時使用した後、Thailandに引渡し、同じくHerioの
H-550A STOL機を改造した機体をAU-24Aとして採用し、これも一時使用した後、Cambodia
に引き渡しています。
(321:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナム戦争でスパローが活躍しなかった理由は?

ベトナムではBVRミサイル(スパロー)であろうと敵を目視確認してからでなくては発射は許されず
また、当時のスパローは、たとえば67年の例では発射ボタンを押してもほぼ半数はモーターに点火せず
そのまま落下した(製造後の保管方法に問題があった)
さらに付け加えるならどこの国のレーダーにも敵味方識別機能はない
それはIFFという専用装置が行う
(309:212)
,>>212
ベトナム戦争でF-4が味方のF-4をAIM-7で撃ち落してる。
最初から禁止されていたわけではない。
(309:213)
ベトナム戦争でのスパローは、製造後の保管方法だけでなく、熱帯における電子機器の信頼性の低下も大きい
米海軍が甲板でミサイルにフィンを取り付ける際に粗末な扱いをしての破損させたのに放置したり、
数回の飛行のたびに実施されるはずの点検を数十回飛行しても実施していないなんてこともあった。
味方の誤撃墜で目視外戦闘を禁止され、発射の大半が最低射程距離以下だったせいで命中率は1割切ってる。
(309:221)

ベトナム戦争当時、海兵隊が地雷探知のためにダウジングを導入して成果をあげたという話を聞きました。

ダウンジングが科学的な方法だとは思えないので、俄かには信じがたいのですが、事実でしょうか?
ヴェトナム戦争でダウジングが地雷発見に使われたというのは実際にアメリカの新聞の記事になっているが、
これも米軍がダウジングを正しく認めたという意味にはならない。実際にやった人間がいた、という程度だろう。

似たような有名な話に防衛医大の教授が海自潜水艦乗組員との間でESP実験をやった、というものがある。
確かに実験は行われたが、その教授が有志とともに「趣味」でやっただけの話で、自衛隊が組織として関与
したわけではない。
ちなみにこの実験でも、有意な結果は出なかった。
(305:665)

ベトナム戦争などの映画で兵士がヘリで運ばれるシーンがよく見られますが、彼等は足などを外に投げ出しています。

振り落とされたりする事故は無かったのでしょうか?
通称モンキーストラップというベルトを腰に巻いている
でも、けっこう恐かったな
(298:893)

ベトナム戦争において枯葉剤を散布した事で、戦局はどの程度米軍に有利になったんでしょうか?

余り意味はありませんでした。
元々、オレンジ剤は、特定種の植物を枯れさせて取り除くことを目的とした訳で、植生が合ってない
部分に撒いても然程効果はありません。

逆にこうした行為を、Norhern-Vietnam側が利用して巧妙な宣伝を行い、毒ガスの誤報もあって、
世界の反戦運動に火をつけてしまう結果になりました。
(289:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

ベトナム戦争時、F-4Eの機銃を撤去した為に被撃墜率が跳ね上がったというのは本当でしょうか?

事実ではない。
F-4Eのバルカン砲を外してレーダー警戒装置を搭載したF-4Gと言うのがあって、
これはSEAD(敵防空網制圧)に特化したワイルドウィーゼル専用機です。
このGが出る前は敵SAMによる損害が大きかった為、その辺りの話とごちゃ混ぜになって広まった話です。

(287:782)

テト攻勢でサイゴン米国大使館が一時ベトコン部隊に占領されましたが、そもそもなぜ防御に不利な市街地の真ん中に大使館を置いておいたのでしょうか?

この事件の後もこの大使館は使われ続けられました様ですが
そう言う状況(基地内に要塞のように防備された大使館から装甲車、ヘリなどの
護衛付きで政府に向かう)で彼の地の国民がどう思うか考えてみましょう。

少々襲撃されただけで、要塞みたいな所に篭もっている状況では、敵(この場合
はヴェトミン)を勢いづかせるだけですし、彼の地の市民は、米国が追いつめられ
ている、怖がっていると感じ、その国が支持している現政府を支持する気は起きま
せん。

非常時だからこそ、大使館は動かすことはありませんし、寧ろ平静を装わないと
いけないわけです。
(105:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

B52がベトナム北爆をした際、一機あたり通常爆弾を何トンくらい落としたの?

たとえば、オペレーション・ラインバッカーⅡで出撃したビッグ・ベリー改修を受けた
B-52Dの搭載のパターンとして、胴体内の爆弾倉に750ポンドのMk-117爆弾42発、
さらに外部パイロンに500ポンドのMk-82爆弾24発と言う組み合わせがありました。
500ポンド爆弾だけだと実に108発が搭載可能でした。
あとは1000ポンド爆弾を機外に24発、爆弾倉に27発というパターンもあります。

ヴェトナムにおけるB-52は、南爆・北爆合わせて124,532ソーティーをこなして
2,674,745tの爆弾を投下しています。
つまり、一機あたりの平均投下量は21.5tにも及びます。
(209:93)

ベトナム戦争でレイ○しまくって性病感染者が続出したのはマジな話なんですか?

マジよ
ちなみに現代にも、アンチレイプコンドームという物がある
挿入すると棘が刺さるという代物
(俺初質スレ2049:109)


ベトナム側

南ベトナム解放戦線(ベトコン)はハーグ陸戦法規違反ではないでしょうか?

見分けられる徽章を付けず、武器を公然と携帯してもいないので、交戦者資格は与えられませんよね?
ハーグ陸戦条約を持ち出すのであれば、むしろ第二条に注目してください。
「敵が接近するにつれて、未だ占領されていない地区において軍民が急遽抵抗軍を結成する場合において、1※を満たすことができないとき戦争の規則と慣習を尊重する範囲で、交戦団体として認められる」※武器の公然携帯や戦争法規を順守する等の条項

つまり、すでに特定の勢力に支配された地域で結成された不正規兵の交戦は、陸戦規定を満たしていない犯罪行為であると解釈できるわけです。

これではいわゆるパルチザンは交戦者資格(捕虜資格)を充たすことが出来ないため、1949年のジュネーヴ第三条約では、捕虜の規定の中に、
「紛争当事国に属するその他の民兵隊及び義勇隊の構成員(組織的抵抗運動団体の構成員を含む)で、その領域が占領されているかどうかを問わず、その領域の内外で行動するもの」(第四条〔捕虜〕A第2項)
という規定が追加されました。

さらに、1977年のジュネーブ第一追加議定書43条1項では
「紛争当事国の軍隊は、部下の行動についてその国に対して責任を負う指揮の下にある、すべての組織された武装の兵力・集団及び団体から成る」
同第44条3項では、
「戦闘員は(略)敵対行為の性格のために武装紛争がそのように区別しえない状況が武装紛争中に存在することが認められるので、そのような状況においてその者が、次の場合に武器を公然と携行しているのならば、戦闘員としての地位を保持するものとする」
と、明確な指揮下にあることと、武器の公然の携行が最低条件とされました。

ただし、この追加議定書にはアメリカを始め批准していない国家もいまだ多数あります。
当然ながら、当時米軍はベトコンには交戦者資格は無いとみなしていました。

(名無し軍曹◆Sgt/Z4fqbE)

歴史の話でベトナム戦争ののことになると、しばしば米軍の虐殺なんかがクローズアップされますが、逆に北ベトナム側はそういう虐殺虐待みたいなことを起こしたりしなかったんでしょうか?


テト攻勢の際のフェ攻防戦で、南ヴェトナムの役人や富裕階級の人間が多数処刑されている
(善良な人民を苦しめた、と言うのが罪状)。
正確な統計が無いが、処刑された人間はかなりの数に上っている。

また、1968年のテト攻勢のとき、ベトコンは一時占領したフエで、南ベトナム政府を支持していた一般市民を1000人以上殺害している。

写真で有名な、サイゴン警察署長による捕虜射殺は、実は部下とその家族を殺害したベトコン・ゲリラに対する復讐だったという話もある。

さらに、北ベトナム軍やベトコンの捕虜となった米軍兵士は、地面に穴を掘った牢獄で雨ざらしにされたり拷問を受けるなど虐待されるケースも多かった。

どちらかが倒れるまでのガチンコ・バトルだったからなあ。

映画「ワンスアンドフォーエバー」冒頭、ベトミン軍がバズーカーらしきものを持ち出してフランス軍を攻撃するシーンがあったのですが、ベトミン軍はバズーカなんて持っていたんでしょうか?

岡村昭彦「続・南ヴェトナム戦争従軍記」に輸送トラックごと横流しされる模様があるが、南ベトナムに対するアメリカの軍事援助物資は相当な量が解放戦線や、解放戦線経由で北ベトナム軍に横流しされており、およそ南ベトナム軍の持っている小火器のほとんどは、解放戦線や北正規軍も持っていた。

また、北ベトナムはベトナム戦争中期、ソ連からの大量の軍事援助を受け取っているが、その中にはWW2ドイツ軍からの分捕り品が少なからずあり、MG34を対空射撃に使う、北ベトナム民兵の写真も実際に残っている。
ただし、弾薬やスペアパーツの供給には限りがあり、ベトナム戦争中期以降は、ソ連や中国から供給される東側規格の火器に置き換えられてゆく。

ヴェトナム戦争では、北ヴェトナム軍側の対空兵器で活躍したのはSAMだけ?

B-52の名前は「ストラトフォートレス」=成層圏の要塞。B-29の思想をさらに推し進め、高速・高高度からの爆撃を行えば、高射砲や対空機関砲の射程外にいられるという考えで作られている。
迎撃戦闘機もすぐには上ってこれないから、俺様無敵という感じで。

だからこそ、わざわざ二段式のロケットまでつけて、上空1万メートル超の上空まで一気に上昇するような、SA-2を始めとする長距離SAMが発達した。

B-52は、このSAMでしか迎撃できなかったから、SAMしか活躍してないような印象を受けるけど、実際はS-60やZSU-57のような高射機関砲も使われてる。
ECMでレーダー射撃が出来なかったとはいえ、SAM制圧に使われたF-105とかは、結構な数がやられてるはず。
ベトナム戦時の北ベトナム側の対空火器は、小は12.7mm級から大は200mmクラスまで、さながら対空火器の見本市の様相を呈していた。

ベトナム戦争でも戦後、元南ベトナム兵への粛清などはあったのですか?なんとなく、共産主義=虐殺ってイメージがあるので、出来たら詳しい数字等を教えてくれないでしょうか?

南政府・軍の高級士官・高級官僚に対する粛清のようなものはありました。
といっても、ありがちな逮捕→即銃殺という流れではなく、再教育キャンプに収容して、一般社会から隔離する、という感じです(収容中に事故死・病死といったパターンも結構あった)。
南政権に対する南側の野党指導者(≠解放戦線関係者)も再教育キャンプ送りになっています。

また、それ以外の一般の旧南市民にも、新経済区送りという一種の強制収容がありました。
これは元々は、ベトナム戦争末期にかけて急増した旧サイゴン市民を開拓にあてる、といった目的で始まったのですが、希望者が少なかったため、人数合わせとして、反革命的と当局から睨まれた市民を名目志願、実質強制という形で開拓地(実態は開拓に不向きな荒れ地、ジャングルであることが多かった)に送りつけていました。

ボート・ピープルの発生の原因として、共産党政府の汚職や華僑の迫害と共に、この新経済区送りから逃れるために脱出した、というケースが多いです。

サイゴン陥落後、世界各地の南ベトナム大使館と外交官はどうなったのですか?

新政府の権威を認め忠誠を誓った連中はまもなく呼び戻され、短期間の再教育キャンプに送られ、シャバに戻ってほっとした途端に、また適当な理由をでっちあげて再教育キャンプ送り、と無間地獄の苦しみを味わっている。
近くの図書館でベトナム関連のコーナーを探すと、元南外交官の回想録がいくらも見つかるはずだ。
ついでながら、南の解放戦線に加わっていたゲリラたちも、ほとんど全員再教育キャンプ送りになり、多数がいじめ殺された。

なにゆえベトコンが勇者扱いされるどころか、その様な虐待を受ける事になってしまったのですか?

ベトナム政府(元北ベトナム)とベトナム解放戦線(南ベトナムの反政府組織)は、元々別組織。
解放戦線はベトナム労働党が主導してたものの、構成員にはいわゆる民族主義者も多く、必ずしも共産主義者というわけではなかった。
米帝、フランス、南ベトナム政権といった共通の敵がいればこそ共闘路線も歩めるが、それが無くなれば競争相手でしかない。

社会主義政権下で、共産党政府以外の政治勢力など認められるわけもない。

「狡兎死して走狗煮られ、飛鳥尽きて良弓蔵わる」

『ブラザー・エネミーサイゴン陥落後のインドシナ』ナヤン・チャンダ著に詳しく載ってます。

ベトナム戦争当時、NVAは朝鮮戦争の時の中国義勇軍のような人海戦術で戦争してたように認識していたのですが、あるいは精強な特殊部隊も存在していたのでしょうか?

北ベトナムの特殊部隊/精鋭としては、決死隊、工作隊と呼ばれる部隊が有名。
決死隊は米大使館に突っ込んだような特攻隊。
工作隊(sapper unit、sapper battalion)ってのは強襲的なゲリラ戦の為に組織訓練された部隊で、大隊規模で集中投入される他、小~分隊規模で他の歩兵部隊に臨時編入されたりしてた。
んでこの工作隊の戦法として有名なのが、米の偵察/浸透部隊狩や後の対クメールルージュ戦で多用された。
  • 敵発見→追尾しつつ歩兵部隊呼寄せ、先回りさせてキルゾーン形成→工作隊奇襲・退却→追ってきた敵はキルゾーンに嵌ってウマー
  • 工作隊奇襲→敵の退路にはあらかじめ歩兵部隊+地雷のキルゾーン作っといてウマー
  • 工作隊は偵察追尾のみ、連絡して砲撃加える→もちろん退路はキルゾーンでウマー
あと普通?に一撃離脱の奇襲したりテロったりもする

これらの場合でも北越部隊全体の錬度は高いわけじゃないし、北越側の死傷者数の方が多かったりするんだけど。

ベトコンは、何の略ですか?(ベトナム・コンバットかな?)

ヴェトコンはヴェトナムコンサン(越南共産)の略です。
(9:642)
Vietnam Communistの略だったかな。
これは米軍側からの名称で、
自分たちは南ヴェトナム解放民族戦線(NATIONAL LIBERATION FRONT:NFL)と自称していました。
つまり、ヴェト=ナム傀儡政府(北緯17度線から下側を支配)を倒し、
ヴェト=ナム社会主義共和国(北緯17度線から北側)と統一して、
統一ヴェト=ナムを作ろうと米軍、政府軍相手にゲリラ戦を行った集団です。
(36:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ベトコンとベトミンて何の略なんでしょうか?

1935年に独立運動が始まってまして、その後に日本統治時代を経て
1945年にベトナム独立宣言。その前の41年に越南独立同盟が結成され、これが略語でベトミンです。
一説にこの呼び方は体制側が呼んだ呼称だとされてます。
で、この軍事組織がベトミン軍と呼ばれます。
1954年に17度線DOZを境に北と南ベトナムに別れ、南ベトナムにはベトナム民族解放戦線が結成されます。
これがベトコン(VC)と呼ばれます。これも同様に体制側の呼び方のようです。
(33:一等自営業 ◆O8gZHKO.)

ベトナム戦争時、ソ連は北ベ側に各種武器を供与してたと思うんですが、ヘリコプターって供与されてたんでしょうか?

ヒップが供与されていますよ
数は少ないけど、これはソ連の武器供与は基本的に有償であるため
ベトナム側に購入余力がなかったからです
(42:565)

ベトナム戦争の時にアメリカは何故北ベトナムに進攻してハノイを占領しようとしなかったのですか。

中国参戦を恐れたため。
(52:733)
それをやると,中国の大規模な介入は不可避ですし,
ソ連もより公然と軍を派遣してきたでしょう.

アメリカも(と同時にソ連も)ベトナム戦争が米ソ間の直接戦争へと
エスカレートすることを非常に警戒していましたので,
これを引き起こすことが必至となる,北ベトナムへの侵攻は起こりえませんでした.

そもそも北ベトナムのカムラン湾に軍需物資を満載して入港する,
ソ連の貨物船の阻止すら行ってませんでしたし.
(52:予備語学陸曹見習い)

解放戦線のテロの成果はどれぐらい?

ちなみに1964年のNLF側のテロ(彼らにとっては「攻撃」)の数字がある。
      殺害    誘拐
政府役人  436人  1131人
一般市民 1356人  8423人

NLFは、米軍人、南ベトナム役人やARVN将兵の集まるレストラン、映画館で
爆弾攻撃を行い、その際、一般市民の巻き添えも多かった。
対敵通報者と見なせば、一般市民でも暗殺、誘拐もためらわない。
一方で、ARVN側も、「ベトコン」「コミー」と見なせば、裁判無しの処刑も行った。
民間人への「誤爆」「誤射」を含めれば、ARVNの方の殺傷数の方が、多いと思う。

「愛国心に燃えて自発的に解放戦線に加わったというところからして幻想的」

イデオロギーを「幻想」というのは自由だが、いつの時代、どの地域でも、
「国を愛する」「民族のため」に命を賭ける人々がいることは、事実だ。
アメリカ軍にも、「自由世界のために」というイデオロギーを信じて戦ったものも多かったはずだ。
ARVNにさえ、カトリック信者の将兵は、確信的な「反共主義」を持って戦った。
一般的にNLFには、「支給物」のためでなく、愛国心から戦ったものが多いと思う。
(ベトナム戦争2:ヤシン市場)

ディエン・ビエン・フ-では人海突撃やって陥落さしてるわけでしょう?

ディエン・ビエン・フ-ではNVAの方が仏軍より火力で優勢だけど

攻撃準備射撃に膚接し歩兵攻撃を行うのはどこの国の軍隊でも行うことですが
北ベトナム軍はただやみくもに旧日本軍のような無謀な突撃は行わない軍隊です
基本はあくまでゲリラ戦です
正規戦を挑むときはそれなりの準備と理由があります
ディエン・ビエン・フ-の場合は間近に迫ったジュネーブ和平会議の前に
どうしても大きな勝利という既成事実が必要なためにやや無理をしたのであり
ケ・サンではテト攻勢の一貫としてアメリカ世論に心理的インパクトを与えるのが目的です

準備もディエン・ビエン・フーでは大口径砲を48門(仏軍は28門)、中口径砲を80門(仏軍は40門)を集結し
対航空機用対空砲を100門も準備してます
ケ・サンでも全般的火力は米軍に劣るとはいえ北ベトナム軍は最多で一日1307回も砲撃
さらに軍の対戦車火器が僅かな無反動砲と携帯対戦車RLしかない陣地に対し
歩兵連隊とともにPT-76軽戦車中隊を投入したりています
(ベトナム戦争2:894,907)

解放後の南ベトナム軍人や旧政府関係者らの扱いはどんなものだったか?

ベトナムでは新しく成立した共産主義政府によって、約10万人にのぼる南ベトナム軍と
旧政府関係者らに当局への出頭が命ぜられ再教育キャンプと呼ばれた強制収容所に送られ、
階級や地位に応じてそれぞれ数週間から10年以上をキャンプで過ごした。
1992年時点で10万人のうち9万4000人は釈放されて社会に復帰していたが、残る6000人は
まだ再教育キャンプに収容されていた。
米越間協議で9万4000人のうち3年間以上キャンプに収容されていた4万5000人については
本人の希望した場合アメリカが家族とともに受け入れる事を同意した
(当時国内の窮乏と異常な失業率の高さに悩むベトナム側は、アメリカへ9万4000人
全員とその家族を引き取るよう要求した)
(ベトナム戦争スレ2:718)

クチの村民たちは、ずっとトンネルの中に潜みながら生活していたの?

そのクチトンネルって、要は昼間の退避壕だよ。
夕方になると米軍が基地に帰っていくので、住民は、畑に行って畑仕事してたと
書かれてるページもあるけど。
結局のところ、硫黄島と比べるものじゃないけど。
http://homepage3.nifty.com/asia-kenbunroku/CuChi.htm
(639:482)


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