当時の戦況とかと照らし合わせて、これって信憑性のある話なんでしょうか?
13機(うち、少なくとも8機は零戦)が飛龍上空にいたのに米空母艦載のドーントレス急降下
爆撃機編隊を全く防げれなかったのはなぜですか?
それは徹底抗戦の一貫としてやったんですか?
坂井三郎空戦記録だと、厚木空は徹底抗戦に加わらなかったようですが
坂井三郎氏は徹底抗戦を主張したのでしょうか?
- 空襲警報は誰が出してたんですか?
- 「頭巾をかぶって防空壕へ」ってのは法律で決まってたんでしょうか?
- 「頭巾をかぶって防空壕へ」ってのは法律で決まってたんでしょうか?
なんでそう簡単に言い切るのかな?軽金属製の機体に時速何百キロで鋼の刀身がぶち当たるんだぜ!
真珠湾やマレー沖の時は、神の技量を持った搭乗員が敵艦を次々あぼーん
マリアナや台湾沖では、まっすぐ飛ぶのがやっとの搭乗員ばかりで、味方の航空機が次々あぼーん
パイロットを訓練するシステムが働いていなかったんですか?
それともその他の部隊が特攻に固執していただけで、美濃部少佐のような指揮官がいれば
より大規模に実行できたのでしょうか?
旧軍自体の構造的な問題ということでよろしいのですか?
彗星による夜襲という戦法自体には問題がなくて、旧軍の構造的(ソフト面の)欠陥のためにそういった方針が大規模に実施されなかったのか。
ちゃんと哨戒機を飛ばして哨戒してたら、艦載機の攻撃圏内に入る前に、機動部隊を発見出来ると思うのですが?
とすると、トラック島にも漁船や潜水艦による哨戒線があったって事ですか?
空戦中に戦闘指揮ができるのですか?
また、英軍機の中でアジアで爆撃任務に就いたのは、重爆よりモスキートやブレニムなど軽爆の方が圧倒的多数だったのでしょうか。
太平洋戦争の戦況が悪化した1944年(昭和19年)3月、参謀本部では連合軍機の本土襲来に備えて、教官、助教[* 15]などに練度の高い要員を多く有する教育機関等(陸軍航空審査部を含む)を随時防空戦闘体制に移行させる「東二号作戦」が起案された。
>陸軍の学校、官衙[* 16]の初めての戦力化であり、士気高揚策でもあった
>同戦隊は通常の倍の規模の6個中隊編制であり、操縦者には熟練の教官、助教を含み四式戦闘機約80機を保有していた。