太平洋空戦関係



W.W.2の頃の航空機の風防の材質ってなんですか? アクリル樹脂? ガラス? 国によっても違うのでしょうか?

零戦も一式陸攻も電動慣性機動機です。(もしかしたら九六艦戦も)
風防は防弾ガラス(正面の平面部)以外はプレキシガラスです。プレキシガラスでは透明度や歪に問題があったのは事実のようです。
欧米のように枠無しのバブルキヤノピーも無理でした。それでも疾風のキャノピーなどはなかなかの出来と思っています。
(5:303)

故坂井三郎氏の撃墜記録を教えてください。

大小64機の撃墜と言われています
もっとも本人は撃墜記録よりも列機を一度も失わなかったことの方が、誇りで有ったようです。
(6:215)

ラバウル等の南方で、B-17は何しに来てたんでしょうか?

B-17については、航続力が大きく防御力の強固な爆撃機が太平洋戦線では、
B-17しかなかったので(後にはB-24、B-29も出現しますが)、
南洋諸島に築いた航空基地などの目標を破壊しに来たのが目的です。
別に重爆撃機=戦略爆撃専門というわけではないので。
(44:眠い人 ◆ikaJHtf2)

エーリヒ・ハルトマンの場合は二機一組で僚機被撃墜がなかったそうですが、坂井三郎の場合はどうなんでしょう?

坂井も同様だけど、頼まれて太田を他所に貸し出したら撃墜された。でも自分が編隊を組んだ時にはやられてない。
(526:575)
日本海軍の空戦編隊は3機1組が主流でした。
1944年末頃から、2機編隊、あるいは4機編隊を導入しています。
坂井さんの場合は時期的に3機編隊でしょうね。
なお、日本陸軍ではドイツの影響が強かったため、海軍よりも早く2機編隊へと移行しています。
(526:582:◆yoOjLET6cE)

太平洋戦争時、ボルネオで山尾戦隊って戦闘機隊が大活躍したって話で、その中の金沢というパイロットがB-24を10機も隼で落としたって話を聞いたのですが、

当時の戦況とかと照らし合わせて、これって信憑性のある話なんでしょうか?
一応、伝聞だけど。

B-17よりもB-24の方が落としやすかったらしい。

針鼠のように銃座を設けているB-17(E型以降の話ね)よりも、B-24は
死角が多く狙いやすかったようだ。
特にデービス翼の部分は強度が低く、翼を狙って撃てば、隼程度の機関銃
でもポッキリ折れることがあったとか。

なので、10機撃墜というのはある程度信憑性があると思います。
警戒網に引っかかって、先に日本側が戦闘機を挙げておくという状態であ
ればね。

ラバウルでも、B-17は悩みの種だったそうだけど、B-24の話は聞いたこと
無かったなぁ(祖父談)。
(10:名無しさん@眠い人 ◆ikaJHtf2)

木の葉落としってWWⅡで実際行われてたんですか?また日本航空機の特徴を生かした機動なのでしょうか?

「木の葉落とし」が実在したとしたら、それは失速(ストール)を伴う機動ですが、
失速を伴う機動としては、「ストール・ターン」というのがあります。
もっとも、現代の格闘戦では運動エネルギー(あるいは位置エネルギー)を重視するので、
エネルギーを失う失速のような機動は無用のものになったのではないかと…
(11:113)

民間航空の人間でありながら、戦時中には戦闘機にも乗っていたケースは、日本では実際にありえたのでしょうか。

ドイツ何かだと、爆撃機パイロットの乗る機体が無くなって、
戦闘機に乗せる事があったと思いますけど、日本もそうだったかなぁ。
もし、民間航空の設定なら、新聞社のパイロットにするしかないでしょう。
新聞社の連絡機には(失敗作の)戦闘機も使われているので。

本当の民間航空なら、水上機(飛行艇)か爆撃機で戦闘機パイロットになることは余り無いと思われ。
(25:眠い人 ◆ikaJHtf2)

太平洋戦争中の日本軍パイロットは、日本刀を持ち込んでたって記述が俺の持ってる本に書いてあるんだけど、ホントか?

精神的な支えとか、そんな感じ。
(日本刀には魂が宿っていると信じていたから)
別に持ち込めという規定があったわけじゃないよ。
当たり前だが、持ち込まないほうがいいに決まってるんだけどね。
コンパスが狂うから。
(33:158)
護身用に短刀を持ちこむ事はあっても、日本刀を持って行くと
いう事は殆ど無かったそうです。

あんな長い物を機内に持ちこむと邪魔になるからだったとか。
(33:名無し四等陸士)

台湾沖航空戦に投入された日本軍機はどれくらいだったのでしょうか?

10月12日、1式陸攻、銀河、天山、飛龍の計99機
13日、1式陸攻、銀河の計28機
14日、300機、その他40機が夜間攻撃
15日、177機
16日、165機
(37:851)

ブッシュ前大統領の親父が第二時大戦の時、ゼロ戦に撃墜されて死にかけたって本当ですか?

ブッシュ中尉のアベンジャーは44年に父島空襲に参加。
零戦ではなく、対空砲火を受けて撃墜。
乗員3人のなかで唯一脱出に成功し、潜水艦に救助されました。
なお、父島は食料はあるにもかかわらず米軍捕虜を処刑後、食するという異常行為が行われていて、
戦後に大問題となりました。
(39:98)

太平洋戦争後半で日本軍機が米軍機を撃墜したようなケースでは、いったいどうやって撃墜したのでしょうか。

空中戦は何よりも奇襲で決まります。
(43:595)
大戦中盤より日本陸・海軍でもロッテ戦法が普及し始めました。
対米軍機戦法として、敵機よりやや高い高度で待ち受け、長機が目標にした敵機に
襲い掛かり、僚機はそのままの高度で待機します。
敵機は当然高度を上げて振り切ろうとしますが僚機が頭を押さえているので高度が取れません。
こうしてそのまますり鉢の底に押さえ込むようにして撃墜まで持っていったそうです。

これは302空の赤松中尉が得意とした戦術ですが、彼は驚くべきことに単機で数十機の敵編隊に突入し、
そのうちの一機を撃墜して帰還したこともあるとか。
(43:597)
振り子戦法というのはローヨーヨーなどという空戦機動ではなく、相手が
巡行速度まで機速を落すまであとをついて行くものだと思います。あとを
つけている間、後下方に位置して先行している敵が振り向くたびに振り返
る逆方向に機体を持って行くのが時計の振り子のようだから振り子戦法と
いったはずです。飛行第六四戦隊時代の黒江大尉が考案して、隼より優速
のライトニングやモスキートを撃墜しています。
(43:眠い人 ◆ikaJHtf2)

ミッドウェーで日本側の3隻の空母が大被害を受けた後、無傷で残った空母・飛龍が護衛戦闘機

13機(うち、少なくとも8機は零戦)が飛龍上空にいたのに米空母艦載のドーントレス急降下
爆撃機編隊を全く防げれなかったのはなぜですか?
その8機は低空で雷撃機を追いまわすのに忙しくて
上空には1機もいなかったこと
(45:594)
「飛龍」が第二次攻撃を終えた時点での残存機は、零戦10機、97式艦攻4機
99艦爆5機の合計19機に過ぎなかった。その内、零戦6機は第三次攻撃用に準備中だったので、
直衛は4機であったと推定できる。だから、8機も上空には居なかったのでは。
対する米軍側は、「エンタープライズ」隊が24機、その30分遅れで「ホーネット」
隊が15機発進。「エンタープライズ」隊が17時03分に最初の突撃で「飛龍」に
命中弾を与えているので、24:4では只単に直衛機の数が足りなかった為でしょう。
(45:625)

オレゴン空爆した2人はどうなった、そして、その潜水艦はどうなった?

オレゴン空襲に参加した零式小型水上偵察機の乗員藤田信夫飛曹長と奥田二飛曹のふたりのうち、
奥田二飛曹は戦死されましたが、藤田飛曹長は戦争を生き抜き戦後に爆撃したオレゴンを
表敬訪問しています。1997年9月30日死去。
伊25潜水艦は昭和18年9月3日?フィージー諸島スバへ航行中、消息不明との事です。
(47:名無し軍曹)

先の大戦中、日本上空で撃墜され、脱出したものの日本軍に捕まった米軍兵はどのような待遇を受けていたのでしょうか?

基本的には、犯罪行為があれば、刑法にしたがって処断されていました。
ただし、個別の行為の立証は必要とされており、単にB-29から脱出したからといった理由での有罪判決ではありません。
ドーリットル隊の乗員が中学生を射殺した容疑で死刑執行されております。
(79:712)
遠藤周作の『海と毒薬』には九州大学医学部での生体実験の事実が描かれています。
(79:737)

もし山本五十六が死ななかったら戦況に影響したのだろうか。

山本五十六自身が認識していた通り、大日本帝国の敗北は運命であり
変えることは不可能です
(82:106)
つか、山本五十六が立案、実施した「い号作戦」あたりが、敗戦
を確定したとも言えるしね。
(82:107)

坂井三郎さんが硫黄島から帰ってきた後の戦闘について

坂井三郎少尉は硫黄島より帰還後、横須賀空で教育任務にあたり、昭和19年の12月に
343空付きとなっています。
しかし、343空ではほとんど出撃しなかったようで、20年6月には武藤金義飛曹長と
入れ替わる形で横須賀空に戻りました。
終戦後の8月17日と18日に、写真撮影のため進入してきたB-32ドーミネーターに対して
坂井少尉と小町定飛曹長・大原亮治飛曹長らが迎撃を行い、一機を不時着水させています。
ttp://www.warbirds.jp/ansq/1/A2000660.html
(82:名無し軍曹)
それは徹底抗戦の一貫としてやったんですか?
坂井三郎空戦記録だと、厚木空は徹底抗戦に加わらなかったようですが
坂井三郎氏は徹底抗戦を主張したのでしょうか?
徹底交戦とは関係なく、坂井氏はあくまでも自衛戦闘であるとしています。
また、この攻撃は国際法上合法であると氏は主張しておられました。
もっとも、一緒に出撃した小町氏は米軍の報復を恐れてしばらく隠れていたとか。
(82:名無し軍曹)

少飛13期は何年ごろに入隊して、どんな活躍をされたのでしょうか?

少飛第13期生は昭和15年の初夏から秋にかけて少飛第12期生と同時に募集されています。
募集定員は各1300名。
まず東京陸軍航空学校第8期生として陸軍軍人としての基礎教育を受けた後、
少飛第13期生として熊谷・太刀洗・宇都宮の各飛行学校で基本操縦訓練を受けました。
昭和19年3月飛行学校卒業後兵長に進級し教育飛行隊に配属、その後錬成飛行隊に配属され、
錬成が終わったのが12月。そして伍長に進級し各飛行戦隊に配属されていきます。

少年飛行兵の中では実戦に参加したほとんど最後のクラスになるとおもいます。
(82:名無し軍曹)

B-29が近づいているってのは誰が探知してたんですか?

  • 空襲警報は誰が出してたんですか?

海軍が特設哨戒艇(要は漁船)を太平洋上に広く展開させ、編隊を確認しています。
但し、損耗率はかなりのものだったそうです。

陸上に於いては、陸軍並びに海軍の電波探知機(レーダー)を用いて大まかな方向を
掴みます。
更に聴音機(らっぱの大きなもので、集音のために使います)を用いて、敵機の方向を
探知します。

また、各地には標高の高い山などで、人が住んでいるところに、防空監視哨があります。
これは、哨舎と聴音壕から構成されており、哨舎で空を監視し、聴音壕内で、飛行機の機種、
方向を確認し、各軍管区に電話で報告します。

各地の軍管区がそれらの情報を元に、空襲警報を発令します。

  • 「頭巾をかぶって防空壕へ」ってのは法律で決まってたんでしょうか?
灯火管制に関しては、1938年4月4日に灯火管制規則を定めています。
また、1944年12月29日に灯火管制強化要綱が閣議決定されています。

  • 「頭巾をかぶって防空壕へ」ってのは法律で決まってたんでしょうか?
の部分は、1937年5月に東部防衛司令部、東京市連合防護団、東京市の
三者により決定された、「家庭防火群組織要項」がその萌芽です。
また、1937年4月5日公布、10月1日施行の防空法も根拠になります。
(85:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

太平洋戦争の頃、洋上の空母を発進した航空機はどうやて戻ってきたのでしょうか?

ラジオとコンパス
(85:155)
大戦中の日本海軍機にはクルシー帰投装置(一式空三号無線帰投装置)という装置が装備されていました。
これは、母艦から出した電波を探知してその方向に飛行して帰るための装置でした。
もっとも、母艦から出した電波を敵に探知される危険もありましたが。
真珠湾攻撃の時に、母艦の位置を敵に悟られないよう帰路を失しても母艦に対し
電波輻射を要求せずに自爆していった機もあったそうです。
やはり単発機の長距離洋上航法は至難の技だったようです。
(85:名無し軍曹)

B-29を迎撃に上がった飛燕のパイロットが、敵機の腹の下にもぐりこんで、下から日本刀で切りつけたというのは・・・本当の話?

嘘です。どうやって飛行中の機体から切りつけるのでしょうか?
貴方が騙されているかその友人の思い込みだと思います。

ただし飛燕がB29の下にもぐりこんでプロペラで切り刻んだ事ならあります。
震天制空隊が体当たりを失敗して行いました。
尚、この後馬乗りになってもプロペラで攻撃し続け新聞に載っています。
(87:330)
垂直尾翼やプロペラが敵機の機体に触れず、コクピットから伸ばした腕で
敵機を斬り付ける事が可能か、いくら軍事に疎くても判りそうなものだが。
(87:331)
軍刀も標準的な日本刀も刃渡り60~70cmですが。
大体、届いても斬れるわけなかろう。
(87:335)
なんでそう簡単に言い切るのかな?軽金属製の機体に時速何百キロで鋼の刀身がぶち当たるんだぜ!
プロペラ回転圏外に手を伸ばしてか? 肘がもげるよ。
(87:339)
相対速度しか関係ないよ。
(87:342)
対面で?
B-29が切れるより、刀が折れるより、腕が吹っ飛んで終わり。
衝撃は与えるが、破壊する様なエネルギーは与えきれない。そこまで、腕もたないよ。
真正面からぶつければ(弾かれない様に)まだ破壊できるだろうけど、
はじかれる様な使い方をしたら(斬りつけるとかね)、まぁ、B-29にとってなんてことないな。
あぁ、当然だけど、B-29が受ける力と同等の力が、腕にもかかるんだよ。
(87:351)
それ以前に、全力飛行中の飛行機から刀や腕出せるわけねえだろ!!
風圧で刀が吹き飛んで終了
(87:352)

第2次大戦中のタイ軍航空部隊に実戦経験はあるのでしょうか?

1941年に、タイとフランス領インドシナとの紛争が発生します。
この時タイ空軍は6機のマーチンModel139と4機のHawk75Nをもってハノイを空襲、
フランス側も4機のMS406をもって迎撃、戦果のほどは分かりませんが、タイ側は2機
のMS406を撃墜したと主張しています。
その他、フランス側のポテーズ542やファルマン221のタイ側に対する夜間爆撃や
タイの97軽爆がフランスの戦闘機とドッグファイトが生起するなど、
空中戦がそれなりに発生しています

ttp://en.wikipedia.org/wiki/French-Thai_War
英語版Wikiがわりと詳しいので。ここを見ると、フランス側はタイ空軍のパイロッ
トについて、特に急降下爆撃について優秀と評価しているようですね。

損害はフランス側は1機のファルマンF221と2機のMS406を地上で喪失したことを
認めているが、タイ側は5機の撃墜と17機の地上撃破を主張する一方、3機を空中戦
で、5~10機を地上で喪失した、と主張しているとされてます。
ただフランス側の損害は実際には30%に達していたとも書かれていますが。
(455:726,727)

第二次大戦の時ドイツやアメリカには「空軍」があったのに日本に無かったのはなぜ?日本にも空軍を創設しようという議論はなかったの?


そういう議論もあるにはあったけれど、

  • 大日本帝国憲法に「陸海軍」と明記されているので、空軍創設には憲法改正が必要(これが最大の障害になった)
  • 陸軍航空隊と海軍航空隊のどちらが主導権を握るのかで、縄張り争いが起きる
  • 空母艦載機は海軍と空軍、どちらのものになるのか?

など、様々な問題があって、結局空軍独立論は幻のまま。
あと、アメリカが空軍を陸軍から独立させたのは、第2次大戦後だよ。

当時、独立空軍を持っていたイギリスやドイツでは、空軍と陸海軍の関係は必ずしも良好ではなく、
協同作戦の際に、少なからぬ問題が生じている。
アメリカだって独立空軍は持っておらず、日本が特に遅れていたわけではない。
(466:642,645)

航空機の主要損失要因は?


 主として非戦闘要因.
 以下引用.

 太平洋戦争の特徴の一つは、非戦闘要因で破壊された航空機が多いことだ。
 戦争全体を通して見ると、敵前の行動で失われた航空機は、たったの25%にすぎない。
 残りの原因は天候不順、空母からの発着艦ミス、急造滑空路による事故と、熱帯性気候による航空機の損傷だった。こうした太平洋独特の状況のため、航空機のロスは欧州戦線などよりはるかに高かった。
 アリューシャン作戦では、なんと87%が非戦闘要因による損害だった。
 たしかにアラスカには熱帯性の気候はなかったが、北極の悪天候が航空機の寿命を大幅に短縮したのである。
「第二次世界大戦 あんな話こんな話」 ジェイムズ・F・ダニガン
アルバート・A・ノーフィ 大貫昇=訳 文春文庫,P295

 また,ダニガンは、
「日本軍は航空機輸送での損失が不可解なほど多い」
とも書いている(ソースは失念).

 日本陸軍機損失23,835機中、輸送中の損失は2,015機。

 日本海軍は輸送中の損失は区別されて無いが、でもまあ常識的に考えて陸軍より比率が高いだろう。
 海軍機の統計は、損失27,120機中、作戦消耗10,370機、自然消耗16,750機。

 ちなみに、彼がデザインしたゲーム「WarInThePacific」<SPI/HJ>では10機単位で航空機を管理しており、4週間ごとに作戦配備してある航空機の10%、輸送を行った航空機の20%を損耗する。
 比率はなぜか?日米共通となっている。

(軍事板)

日本に「フリッツX」のような誘導爆弾は存在したのでしょうか?また、それは実用可能な性能を持っていたのでしょうか?

大戦末期陸海軍ではいくつかの誘導弾の開発が行われていた。
B29を撃墜することを目的とし、地上から敵機に照射されたレーダービームを感知し自ら進路を修正しながら飛ぶ地対空誘導弾「奮竜」
飛行機から投下され、赤外線感知機で進路を修正して海上の熱源(敵艦)に向かって無動力で落下する誘導弾ケ(○にケと書く)
飛行機から発射され、ロケット推進で母機の無線誘導で敵艦に突入する空対地誘導弾三菱イ号一型甲および川崎イ号一型乙。
うちイ号一型乙は熱海沖で行われた試験中に誘導不能となり、よりによって温泉旅館の女湯に突入するという事故をおこした。
このためエロ爆弾などというあだ名がついたとも。
いずれも当時の世界水準で見ても非常に性能の高いものであったが、
奮竜は実用型の発射試験前日に終戦。
イ号は戦局の悪化で生産中止。
などの事情で、実用化されたものは存在しなかった。

なお誘導弾ケの開発には当時中島飛行機の設計室にいた糸川英夫も関わっている。
(148:700)

なぜ日本軍戦闘機隊は挌闘戦にこだわったの?


 渡辺洋二によれば,
「数も無線機の性能も劣った日本機では,米側と同じ編隊による一撃離脱を真似しても不利は明白である.
 とる戦法はロッテ式格闘戦であった.
 運動性の良さで敵をとらえ,敵から逃げるのだ.
 ・・・
 軽快性に乏しい4式戦にはこの戦法はむつかしい.
 ・・・
 最適な機体がキ100だった」

(軍事板)

 その評価,明野で隼を使ってロッテ戦の研究やった時にも同じ結論が出たようですね.
 ただ,それが出来るのってベテランだけなんですよ.
 大多数の新米搭乗員には,運動性を武器に単機戦闘で生き残るのは難しいです.

 結局はベテランなんかは隼三型は信頼性があるけどもう少し火力と速度のある機体が欲しい・・・・そこに5式戦が出てきてあれがベストに思えたんでしょうね.
 新米はもうわけも分かんないうちに撃墜されて評価もへったくれもなかったでしょう.

 疾風に関しては信頼性と出力低下で,後半は「ただ重いだけ」の戦闘機になってしまったか.
 (素質がいい戦闘機なのは間違いないんだけど)

(名無し飛行兵曹 in 軍事板)

日本の13ミリ機銃は悲惨だったと聞くけど,どう悲惨だったの?

パワーが悲惨。陸軍の機載13×63mmは、13×99mmの6割程度のエネルギーしかない。
初速も8割しかなく、弾重6割。直進性の悪い弾道で、当たっても効かない弾を撃ってたわけで。

で、13.2×99mm(ブローニング)機載は銃身長が短いし、13.2×99mm(ホチキス)対空は発射速度が遅い。
まあ、20×72mm(エリコン)の初速の悲惨さに比べられるものは少ないが。

で「日本の13mm機銃」に当てはまりそうなものとして、私が知る範囲では、
13×63mm(海軍機、MG-131の雷管発火バージョン。13mm2式?)
13×99mm(海軍対空火器。ホッチキス製。93式?)
13×99mm(海軍機、ブローニング。13mm3式?)
があるわけで、それぞれ前述の通りです。
(377:484)

戦時中の戦闘機乗りはヒロポンとかやってたそうですが?


使われていた。

明治41年に薬理学者長井義博博士が麻黄からエフェドリンを分離。
その後エフェドリンからメタンフェタミンの合成に成功。
昭和16年に大日本製薬から商品名「ヒロポン」として販売開始。

同じく昭和16年、日本国第7陸軍研究所に1日100キロの行軍に耐える体力、
夜間に周囲を見通す視力、3時間の睡眠で事足りる回復力、
寒冷地においても防寒着を必要としない順応力を持たせうる薬品を開発せよ、との任務が授けられる。
研究の結果は「ヒロポンに勝る物無し」との事。

アンフェタミンはアメリカで合成され、ベンゼドリンやデキセドリンなどの商品名で市販された。
メタンフェタミンを軍用として使用した国には他にドイツなどが挙げられる。

単純作業以外にも、例えば余り認められては居ないが意外にも創作や学習などの効率も上げる。
頭の回転が速くなる=スピード、という俗称もこの辺りから来ている。
そして、副作用も主にこの回転が速くなる事から発生する。
減速機がうまく働かなくなってしまう場合も多い。

坂口安吾など、戦後一時期の作家の作品には、
(結果として)ヒロポンによって生み出されたと言えるものも少なくない。

副作用も主に、この思考が速くなる事から発生する。
減速機がうまく働かなくなってしまう場合も多い。

ヒロポンは作用と副作用を比較すれば副作用が大きく、また、耐性の形成も非常に早い。
薬局で売っていたと言う話も、昭和20年の敗戦から昭和25年の覚せい剤取締法の施行まで、
いわゆる「マトモ」な薬局で販売される事は余り無かった。
戦後の大日本製薬製でないヒロポンやそれ以外の覚せい剤はほぼ闇ルートで捌かれている。
(今に至るまで闇で流通する覚せい剤に半島製が多いのは、
寒冷な気候が製造に向いている事に目を付けた日本の製造者によってもたらされた遺産)

「普通」の人は何となくヒロポンのヤバさに気付いていた。
主に不眠から来る錯乱(薬自体の副作用ではない)などを知れば当然ですわな。
(198:337-355)

なんで日本もVT信管作って対抗しなかったの?発想自体がなかった?それとも技術不足?


 数万Gの加速に耐える真空管と電波技術があって、初めてできるのがVT信管.
 技術・発想共に日本は不足していただけ.

 日本でも光学的な近接信管なら開発されました。
 ただ、これは爆撃に使用するもので、アメリカのように対空砲火に近接信管を使用する発想は無かったようです。
 それと、発想や技術力があっても開発できない場合もあります。
 NHK取材班編「電子兵器『カミカゼ』を制す」なんかを読むと分かりやすいんじゃないでしょうか。

戦争の末期に機体全てが竹で出来た戦闘機があったと思うのですが

沖縄の中(嘉手納)飛行場などに、米軍機の襲撃をそらすために竹製のダミー戦闘機が数多く置かれていました。
占領した米兵の中にはこれを本物と思ってあきれた者もいたという話ですから、おそらくその事だと思います。
あるいはジョーク混じりの話なのかもしれません。
竹製オトリ戦闘機は沖縄県平和祈念資料館に写真があったと思います。

(357:135,136)

橘花はネ-20エンジンを始めMe262のコピーといった性格が強いのですが、ネ-20以前の日本独自開発のジェットエンジン、ネ-10その他は搭載する機体のデザインも出来ていたのでしょうか?

海軍は昭和16年12月からジェットエンジンの開発を始め、昭和19年にはTR-10(ネ-10)の
完成にこぎつけましたが、この段階まではエンジン単体の開発でした。
ジェットエンジンを搭載する機体は、昭和19年8月に海軍が提示した「興国二号」計画
によって開発が始まりました。
この機体はネ-10二基を胴体に並べて収納する形式や両翼下のナセルに装備する方法などが
検討されています。
また、暫定案として「初風」発動機を使用したモータージェットを二基ないし四基搭載する
ことも検討されたようです。
しかし、エンジンが決まらなかったこともあって機体の具体的な形状は定まらず、
昭和19年12月に試製「橘花」の計画要求案が中島飛行機に提示されたことでようやく
本格的な機体の開発が始まりました。
(531:608,名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)

B-29がいる飛行場に対する攻撃の計画や実行は有ったのでしょうか?

1944年11月27日に第一御楯特別攻撃隊が12機の零戦でサイパンのアスリート飛行場を銃撃しました。
4機を破壊、6機を大破させたとか

あと陸からの攻撃ですが第一号作戦(大陸打通作戦)や老河口作戦の主目的の一つに
B29を運用する飛行場の奪取というのがあります
(353:622,624)

日本海軍航空隊はなんで急激に、航空隊の練度が低下したんですか?

真珠湾やマレー沖の時は、神の技量を持った搭乗員が敵艦を次々あぼーん
マリアナや台湾沖では、まっすぐ飛ぶのがやっとの搭乗員ばかりで、味方の航空機が次々あぼーん
パイロットを訓練するシステムが働いていなかったんですか?
ソロモンの戦いでざっと1万機を失ってるのが原因。
また日本のパイロット教育が、少数精鋭主義だったのと、予算が少なく、年中晴れてる教育適地がなかったから。

ぎりぎりの数の第一線搭乗員を職人的に育てるシステムになっていたので、予備が無かった。
そのため、航空部隊の増設や消耗に対応できず、最初から搭乗員不足だった。
真珠湾攻撃の頃は教育部隊から引き抜いた教官を実戦部隊に送ったりしてごまかしたが、
珊瑚海海戦の頃にはすでに部隊増設で大幅不足で、空母の搭載定数が削減されてたくらい。

その後、ガダルカナル方面で搭乗員の消耗が激しくなる一方、
搭乗員の大量養成システムが十分に整備できず、どんどん練度が落ちた。
特に開戦前からの搭乗員が職人的に優秀だったので、相対的に落差が激しい。
急に教育課程を拡大しようとしても、教育用機材や教官、飛行場設備など間に合うわけも無く。
目標としては第一線部隊の1.5直分を用意しようとしていたみたいだが、達成できず。

それでも消耗はどんどん激しくなるので、やむなく訓練期間を短縮して教育の量が低下、
燃料不足・教官の実戦投入などで教育の質が低下、卒業時点での錬度が低くなり、
卒業後もすぐに最前線に投入されて経験不十分なまま戦死となる悪循環。

マリアナの時は作戦直前に潜水艦の脅威から訓練が出来ず錬度がさらに低下、
台湾沖のときは悪天候下での夜間攻撃という状況で錬度低下の影響が増幅、
そういう特殊事情もある。
(540:885,886)

風船爆弾によってピクニック中の6人が犠牲になったのは公開されたの?

戦果があったことが日本に知られると、もっと送り込まれてくるし、細菌兵器とか搭載されたら困るので、
厳重な情報統制をしいた。そのため日本側は効果無しかと思って、風船爆弾を送るのをやめた。
(566:200)

山本五十六の乗った一式を撃墜したP-38のパイロット達は、裁判までして自分が墜としたって揉めたそうですが事実ですか?

事実だよ。ランフィアとバーバーね。

(572:45,46)

芙蓉部隊の戦術や戦果は、あくまでイレギュラーな小部隊だからこそできた事なのでしょうか?

小規模であるがゆえに、また指揮系統として特攻部隊と独立していた故に、横槍を排除
しつつ指揮官の意図を搭乗員から整備員に至るまで徹底させることができた。
それともその他の部隊が特攻に固執していただけで、美濃部少佐のような指揮官がいれば
より大規模に実行できたのでしょうか?
美濃部少佐のような指揮官がいっぱいいるだけでなく、美濃部少佐の理論思想を理解
する上層部、兵站、作戦指導がなければ、全軍への波及は無理。練習機を出撃させて
戦果が挙がったと強弁するような官僚化した軍隊を戦時に改革できるくらいなら、そもそ
も戦争なんてやってない。
旧軍自体の構造的な問題ということでよろしいのですか?
日露戦争の勝利から35年、国家予算をがぶ飲みして作り上げ、挙句に維持だけで
手一杯になるまでに肥大化した組織は、国家の利害衝突において「アメリカに勝て
ません」という事実が自己否定に繋がるが故に、あらゆる現実を無視して戦争に突
入することを選んだ。それは当事者たちも認めていることだった。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html
(607:ふみ)
彗星による夜襲という戦法自体には問題がなくて、旧軍の構造的(ソフト面の)欠陥のためにそういった方針が大規模に実施されなかったのか。
夜襲を大々的に行わなかったのは以下のように考えられます。
  • 搭乗員の錬度不足
1944年以降燃料不足が絶望的になりまともな訓練が行えなくなっていました。
夜間に飛行機を飛ばすには計器飛行や航法がしっかりできないと攻撃しても帰って
くることはできません。
  • 海軍の方針との不整合
当時海軍は少しでも連合軍の進撃を遅らせるために空母への攻撃を望んでいました。
夜間攻撃だとレーダーでもない限り、空母は見つけることすら難しいでしょう。
(607:836)

第二次大戦末期に日本に艦砲射撃を行った連合国軍艦船には上空に護衛戦闘機が付いていたんでしょうか?

釜石を砲撃した第34.8.1任務部隊は3隻の高速戦艦、2隻の重巡洋艦、9隻の駆逐艦から
成りますが、その後方には第3空母戦隊と第4駆逐戦隊が控えていました。
また、その目標偵察の為に艦載機を出しています。
(609:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

サイパン爆撃が大きな戦果を挙げたのは米軍側の油断と怠慢だったの?

「油断と怠慢」というよりも、元は敵の領土であった狭隘な島嶼上に
B29のような超重爆を数百機も集中配備して、大編隊による運用を
行っていた事からくる、半ば不可避の損害であったと思われ。

  • 飛行場の詳細な位置情報が日本側に最初から暴露してしまっている。

  • 島嶼上ゆえに他の飛行場適地は極めて限られており、それらも当然尽く
日本側に把握されていて、整備しても囮や退避の目的には利用しづらい。

  • B-29をフルに運用できる滑走路がマリアナ諸島全体でも、そう多くなかった。
隣接するテニアンやグアムのB-29用滑走路の整備が遅れたため、
サイパン島南部のイスリイ及びコブラ、両飛行場に集中配備している期間が長かった。

  • 擬装と分散は、確かに敵から受ける被害を減ずる役に立つが、その反面、
手間の煩雑さから効率的な編隊運用を妨げ、それは数が増えるほど深刻になる。
(だからどこの国の空軍も平時は列線で運用している。)
(対ソ戦に全力を挙げるべきだった:444)

太平洋戦争で、トラック島が艦載機の奇襲を受けて、300機近い航空機を失ったと読みました。

ちゃんと哨戒機を飛ばして哨戒してたら、艦載機の攻撃圏内に入る前に、機動部隊を発見出来ると思うのですが?
そして万が一来るかも知れない敵歓待を発見するために哨戒機を飛ばそうという発想は
当時の日本海軍のエライサンにはなかったのです
(って、おそらく世界中どこ探してもないだろうけど。普通は漁船改造の哨戒船とか潜水艦の役目だ)
(42:647)
大戦中、対潜哨戒以外の意味で航空機を常時飛ばした国はないでしょう
(42:654)
とすると、トラック島にも漁船や潜水艦による哨戒線があったって事ですか?
記憶なので不確かだが、当時は漁船改造哨戒船が3~4隻と
ロ号潜水艦が2隻ほど哨戒に当たっていたはず
米艦隊は海上の天候を伝える無線情報を分析して日本側哨戒船の
位置をつかんでいて、その間をなんなくすり抜けたというのを
何かで読んだ(暗号なんとか、て本だったと思うが
(42:661)

アメリカ映画などに出てくる戦闘機のパイロットって、階級は大尉とか少佐とかが多いですが、上等兵とか軍曹とかのパイロットって少ないのですか?

アメリカはパイロットオフィサー制なので、みんな士官です。

爆撃機なんかの乗員、機銃手とかには下士官もいる。
ちなみに飛行機に載りこむ要員で兵卒はいない。

日本の場合は「叩き上げ以外は士官学校出てない奴は士官にはしない」
に拘ったのでパイロットはほとんどが下士官で、結果指揮を取る将校が
編隊内で一番経験が浅い(士官学校出てからパイロットになるのでその分
部下と差がつく)ので、空戦が始まると誰も指揮官の言うことを聞かず
戦闘指揮が成り立たない、という事態が頻出した。

アメリカの場合はパイロット資格を取った段階で全員士官に任官するので、
そういった問題は起きてない。
この辺もアメリカに日本が勝てなかった原因の一つ。
空戦中に戦闘指揮ができるのですか?
できるよそりゃ。

そもそも、先に敵編隊を発見したときにどの方角からどのタイミングで攻撃をかけるか、
とかだって指揮官のセンス次第でその後の戦闘の有利不利が全然違ってくる。
アメリカの場合は指揮官機はちょっと離れたところから空戦全体を見回して、
どの敵機にどの編隊を割り振るか、ということもやっていた。
決して先頭に立って「攻撃開始! 俺に続け!」とやるのが指揮官の役目ではない。

日本の場合はよほどの人以外指揮官が一番編隊で下手だったりしたので、
敵編隊を発見すると即座に全機がてんでバラバラに自分勝手に攻撃をしかける、と
いう事がよく起こり結果指揮官による戦況の把握どころではなくなった。

時には
「**12より編隊指揮官機へ、3時下方に敵編隊を発見」
「編隊指揮官機より**12へ、……どこだ? 俺には見えんぞ」
「3時やや下方です」
「・・・だからどこだ? 俺には見えんが・・・」
「だから3時の方向ですってば。**12、無線不調。指揮官機の支持見えず。
 我独自の判断で行動す」「**11続く」「**10続きます」「編隊各機、**12に続け」
「ちょっと待てお前等、俺を無視するな!」
というような事も結構頻繁に起こった。
 日本軍の飛行機は無線の調子が悪かったこともあるので尚更。
(297:367-371)

米軍が完全な零戦を鹵獲してテストしてますけど、日本も完動米機ないの?

沢山あるよ。
B-17C/E、P-51、P-40あたりは有名だ。
B-17Eは連山の参考にしたし、対重爆戦のアグレッサーにもなってる。
P-40は実用に使おうとした。
P-51Bは審査部が各飛行隊に出向いて模擬空戦を行ってる。
(662:544)
米機は緒戦においてカーチスP-40を複数機(フィリピン及びジャワにて)
捕獲しており、またシンガポールで英空軍仕様のブルースターバッファローⅠを
捕獲しています。
さらにはB-17Eをも捕獲して、日本に持ち帰ってテストしています。
完動鹵獲機の最後のものは、昭和20年2月に中国湖北省で不時着したP-51Cです。
この機も日本に持ち帰られ、陸軍審査部戦闘機隊により故障で動かなくなるまで
性能テストと戦技訓練に用いられています。
(662:◆YH9/Upkk/2)

大戦末期、日本軍の航空機による反撃が少なかったのはなぜ?

その前に台湾とPhilippinesで多くの航空機を失い、更に本土への艦載機
空襲で、基地の航空機も結構やられているので、夜間攻撃か特攻が精々でした。
(292:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本にも「撃墜王」と呼ばれた空の戦士はいましたか?

居るには居たんだが,各人とも正確な撃墜スコアは不明
海軍航空隊の岩本徹三中尉の例だと,80機~202機説まで幅広い。
(47:635)
陸軍の空中勤務者も
穴吹智軍曹 :ビルマの桃太郎
桧輿平大尉 :片足の撃墜王
黒江保彦少佐:飛行第64戦隊の隊歌を作った人
みなさん著書があります。
(47:638)

フィリピン戦のさい、紫電が出てきたって聞いたが、戦果は

紫電は比島決戦に於いて、第252、341、601、634、762航空隊などに配備されていました。
基地防空、レイテ進攻作戦、船団援護、魚雷艇攻撃、強行偵察などに使用しています。
但し、少数機ずつの投入で、稼働率も良くなく戦果のほどは不明です。
(48:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

沖縄戦で落とされた爆弾はどんなやつ?

色々あります。
250lb(113kg)GP爆弾、500lb(227kg)GP爆弾、1000lb(454kg)GP爆弾。
30lb(13.6kg)クラスター爆弾、5inHVARロケット弾。
後、増槽を改造したナパーム弾がありました。
(101:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

東洋戦線では、ウェリントンやランカスターなど英軍の爆撃機はどの程度投入されたのでしょうか。

また、英軍機の中でアジアで爆撃任務に就いたのは、重爆よりモスキートやブレニムなど軽爆の方が圧倒的多数だったのでしょうか。
大戦初期には、Blenheim爆撃機などの軽爆撃機の方が機数的には勝っています。
例えば、Blenheim Mk.IVは、第11/34/39/45/60/84/113/211の各スコードロンに配備されていましたが、
Wellington爆撃機は、第99/215の2個スコードロンにしか配備されていません。

中期以降ですと、援英機が充当されてきます。
但し、インドなど東南アジア戦線では、運用環境が過酷なため、Mosquitoは偵察機
バージョンが1個スコードロンだけ配備されたに過ぎません。
(豪州空軍配備機は除く)
また、英国空軍機は航続距離が短く、軽爆撃機では奥地までの爆撃が出来ないため、
軽爆撃機は一部を除いて姿を消し、代わってThunderbolt戦闘機やMustang戦闘機と
言った戦闘爆撃機型が投入されています。

一方、純然たる爆撃任務については、これまた英国の重爆撃機では航続距離が短いため、
Lancaster爆撃機の長距離型が開発されていましたが、大戦に間に合いませんでした。
これをカバーしたのが、B-24の英国型Liberatorで、第8/99/159/160/203/215/231/321/354/
355/356/357/358の各スコードロンに配備されています。
(167:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

聴音哨ってのがWW2当時に無かった?

日本の大戦末期では、聴音機等という高級なものはなく、飛行機が来そうな
方向に穴を掘っておいて、その前に人を立たせ、横に電話を置く。
音が聞こえたら、大体の方向を検討付けて、電話で上部機関に連絡する、と

後、日中戦争期の中国では、事前情報が必要ですけど、爆撃機が飛行している
方向に目をこらし、爆撃機が見えたら狼煙を上げて次の監視哨に連絡すると言う
ものもありました。
(187:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

竹槍でB29を撃墜するって話は、どこの誰がどんな経緯で言い出したことなんですか?

竹槍事件の原因になった記事は「敵が海を越えて襲来しようとしてる時に、(本土決戦に備えて)竹槍で訓練してるようじゃだめだ、
航空戦力で敵を洋上で撃破せよ」という内容。
執筆者は竹槍で飛行機を落とす訓練をしていると陸軍を批判しているわけではなく、陸軍も本土決戦への備えとして民間人に竹槍で
訓練させていた。
実際の訓練で教官が「飛行機を落とすくらいの気構えでやれ」と言ったか、陸軍の精神主義を揶揄するものとして戦前もしくは
戦後に作られた話ってところだろう。
(375:153)

1942年3月7日付の朝日新聞に以下の記事が掲載されています。

「一億は全て武装せよ。今日の決戦は要求する。前線の将兵のみに戦いを任せて安閑としている時ではない。
銃後も武装せよ、一億国民は一人残らず「撃ちてし止まむ」突撃に参加しなければならぬ。子らも起、女も武装せよ、
父よ、夫を戦場へ、職場へ送った後、家庭は、郷土は婦女の手によって護られる。
昨年の夏、村で体育錬成の運動会が催された時、千葉県夷隅郡中根村、五百名のお婆ちゃん、お母さんたちが、竹槍
を握って、体操をして見せた。やんやの喝采であった。
それが切っ掛けとなって、銃後の固めはこれで行きましょうとなった。他の女たちも率先して猛練習を開始した。村長さん
が慌てた。郷軍分隊長が眼を回した。あちらの字から、こちらの里から指導員の分会は引っ張りだことなった。体操では
もの足りぬと、竹槍を振るっての銃剣術である。
昨年の暮れには女子竹槍部隊が立派に編成された。女子青年学校の生徒が「えいっ」と呼べば、七十のお婆さんも、炬燵
から飛び出して「サあっ」と応じる。もんぺに鉢巻、きりっと襷を掛けたのが、この部隊の制服、武装の竹槍は、いずれも背後
の山から伐り出したお手製である。集合、行進、散会、突撃、全て実戦場を経験した帰還勇士に依って軍隊式にたたき込まれる。
おなごどもが余りに熱心じゃ、ついつり込まれ男たちも働くわ、働くわ、近頃では田畑の増産目標もぐんぐん上がっとります。
喧嘩も酒飲みも一ぺんに消えてしまった。と村長さんは髭をしごきながら、おなごたちの突撃に眼を細くするのである。」

千葉から始まった竹槍部隊の編成は、大日本婦人会の提唱で、1943年2月から各支部で竹槍部隊の編成が始まっています。
どちらかというと鍛錬のためで、どうしようもないからせめてもの武器として竹槍で自衛しようと言う考えではないか、と思います。
精神的なものが大きいのではないかと思いますね。
後、さる陸軍大将は、「竹槍3000本あれば、ソ連軍をやっつけて見せる」と豪語したそうです。

ちなみに、竹は安価で日本各地で手に入ります。
真竹の場合は、弾力があって粘性があり、槍の代用に適していました。
英国のバヨネットと良い勝負ではありますが。
(222:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

日本は米軍が捕獲ゼロ戦でやった様に、捕獲したF6FやP-51を調べて、弱点を検証しなかったんですか?

鹵獲したP51は福生の陸軍航空審査部で性能調査してるし
同部戦闘機隊の黒江少佐がP51Cを用いての巡回戦技指導を行っている。
対P51の実戦指導を受けた部隊は関東の飛行第244、18、70、51、52戦隊。
さらに中部の明野教導飛行師団、関西の飛行第56、246戦隊と本州各地で指導してるぞ
(716:568)

日米両軍は飛行場を設営するのにどれぐらいの期間を要したのか?

太平洋戦争中期以降、日本軍の飛行場設営能力は可成り改善され、
小型機が離発着する飛行場だけを整備する期間は大体1ヶ月、中攻が
滑走路を飛べる程度に造成し、指揮所などを整備するのに大体2~3ヶ月
もあれば出来るようになった。

とは言え、米軍のConstruction Battalions(通称See-bees)の場合、1943年
11月に行ったギルバート作戦での第一次揚陸部隊の上陸後に機材を揚陸し、
戦闘続行中にも拘らず、工事を続け4日後に滑走路を使用可能にしたり、
ニューギニアのジャングルを切り開いて、13日間で長さ3000ft、幅150ftの滑走路
を完成させた上、5日後には更に1500ft、滑走路長を伸ばしたりしている。
(しょうもない知識を披露するスレ11:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

マウザー砲の量産化に成功して全ての機体をマウザーに更新できていたら、戦局は有利になったんでしょうか?

日本機の性能がもともと米軍と比べて優れてない。優れてたのはパイロットの腕だ
強いパイロットが戦死していなくなれば、マウザーを積んでても負ける
(俺初質スレ2049:105)
マウザー20ミリ2門や4門よりも、ブローニング.50を8門備えた
アメリカ軍機には敵わない。
(俺初質スレ2049:107)

アメリカ艦隊の激しい対空砲火は、シュトルモビクなら突破できたんでしょうか?

マジレスすると、どんな機種でも撃墜されるのもあれば、突破できるのもある
艦隊を視認できる距離まで接近して、護衛戦闘機がないなら、零戦でも普通に多くが突破できるだろう
ほとんどの機体は対空砲火でなく、護衛戦闘機にやられている
(俺初質スレ2049:236)
何機かは撃ち落されるだろうがそれより多くの機数でかかれば突破可能
(俺初質スレ2049:239)

編隊を組んでいる雷撃機や艦爆が後方から戦闘機の急襲を受けた場合、バラバラに逃げるより、編隊を崩さずに後方機銃で応戦した方が良いのですか?

機動力を生かさないと単発機は戦闘機の餌食
編隊で対応できるのは重爆とかでこちらは機動性が劣るので火力をあげるためにも編隊はくずさない

単発機とかの後方機銃は射撃できる範囲が狭いし機銃を撃つために後方のキャノピーを開放すると
抵抗が増して速度が落ちるという問題もある
ので
フルカバー動力銃座とか後下方機銃とか色々思考錯誤されたが
結局はけん制に弾をばら撒ければいい程度のもの
(俺初質スレ2050:319)

台湾沖航空戦で戦死した有馬正文は、指令官なのに攻撃機に乗って出撃しましたが責任ある立場の人間が、上官の命令とか許可なく勝手に出撃できたんでしょうか?

もちろん、勝手に「攻撃」はできないが、有馬に命ぜられていた命令は
「台湾沖に来寇する敵を撃破せよ」なのであって、その攻撃に誰が乗って
行くかは有馬自身の権限で決められる。
もちろん、参謀長は有馬自身が出撃することに絶対反対していたが、
有馬は参謀長がいない日にちゃっかり乗って行ってしまったんだとさ。
(俺初質スレ2050:622)
指揮官先頭が日本海軍の原則だから統率上は別に問題ないよ。
ただ海軍航空隊は戦闘単位が飛行隊で、その指揮は飛行隊長が
トップだから、戦隊司令自らの出撃は求められていないだけでさ。

逆に艦艇だと、ルンガ沖夜戦での二水戦の田中頼三少将が、米側からは
その指揮ぶり絶賛されたものの、座乗艦長波が先頭に立っていなかったことから
日本海軍内部ではかなり批判されてるね。
(俺初質スレ2050:623)

岩本徹三の「零戦撃墜王―空戦八年の記録」という本は読んでおいて損はないですか

岩本さん本人の回想録だから、興味があるなら必読
ただ、内容はかなり誇張が多いので、信じるな
(俺初質スレ50505:558)
とても面白い本だが、信頼性にはやや難がある
(ゴーストが余計な脚色をした可能性がある)ことは念頭に置いて読むといい
(俺初質スレ50505:559)
零戦撃墜王は、話としては大変面白いんだが
回想記の形はとっているけど、岩本さんの死後、遺品の中にあったノートを、ライターが再構成した物なんだよね

  • 元々のノートが岩本さんの記憶だけをソースに書かれたものなので、記憶違いなどが入り込んでいる
  • 再構成したライターが話を盛ったり、元の記述を誤読した可能性がある
というわけで、鵜呑みにするのは危険
(俺初質スレ50505:560)

ガダルカナル攻防戦で遠距離飛行を強いられた日本パイロットはヒロポンを供給することで、パイロットの消耗を抑えられなかったの

ヒロポンの量産が可能になったのはガ島攻防戦が終わってからだったんだ
使えるなら使っていただろう
(俺初質スレ50505:701)
仮にそれで遠距離飛行を起因とする消耗を抑えても、結局他の要因による
消耗は抑えられないし、そうなると補充がどのみち追いつかない。
どっちが先に消耗し尽くすかというチキンレースの時点で、勝ち目は無い。
(俺初質スレ50505:702)
ヒロポンは魔法の薬ではない
疲労を感じなくなるだけで疲労そのものはしてる
(俺初質スレ50505:703)

ミッドウェー海戦後の日本基地航空隊って、どうして アメリカ機動部隊の奇襲があんなにも面白いほど簡単に成功して壊滅するの?

レーダーが未熟だから奇襲効果をもろにくらうせい

あと当時の米海軍の物量攻撃食らったら、迎え撃つのが仮に米海軍でも被害甚大
(俺初質スレ50505:768)
日本に限らず基地航空隊は受けに回ると脆い。
ハワイ作戦でもミッドウェー作戦でも航空基地は早々にやられてただろう?
(俺初質スレ50505:769)

343航空隊に触発されて、陸軍もベテランパイロットと4式戦を集結させた エリート部隊をつくる計画とかなかったんですか?

つ 明野教導飛行師団

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E9%87%8E%E9%99%B8%E8%BB%8D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%AD%A6%E6%A0%A1#.E6.98.8E.E9.87.8E.E6.95.99.E5.B0.8E.E9.A3.9B.E8.A1.8C.E5.B8.AB.E5.9B.A3.E3.83.BB.E5.B8.B8.E9.99.B8.E6.95.99.E5.B0.8E.E9.A3.9B.E8.A1.8C.E5.B8.AB.E5.9B.A3
太平洋戦争の戦況が悪化した1944年(昭和19年)3月、参謀本部では連合軍機の本土襲来に備えて、教官、助教[* 15]などに練度の高い要員を多く有する教育機関等(陸軍航空審査部を含む)を随時防空戦闘体制に移行させる「東二号作戦」が起案された。
>陸軍の学校、官衙[* 16]の初めての戦力化であり、士気高揚策でもあった 
中略
>同戦隊は通常の倍の規模の6個中隊編制であり、操縦者には熟練の教官、助教を含み四式戦闘機約80機を保有していた。
(俺初質スレ434:480)

日本の熟練搭乗員が消耗していなければF6Fとも対等に戦えましたか?

搭乗員が消耗しないって状況が想像しにくいが、結局燃料不足や稼働率低下で数で圧倒されそう
局地的には一部で対等に戦える場面もあるだろうけど、全体的には押されると思うぞ
燃料やエンジンの質、機体性能や機銃や照準器の性能、無線機を活用した編隊戦術や地上からの支援など
搭乗員の練度だけでは補えない要素も多い
(俺初質スレ436:573)







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