西武引退選手名鑑Part1
ここでは西武ライオンズを引退した選手を紹介して行きます。 以下の条件のうち1つでもあてはまればこのページに収めます。 ・10年以上現役でプレイ。 ・歴代野手・投手ランキングの中に入った。 ・チームのために一生懸命貢献した。 ・ベストナイン、オールスターにかなり選ばれて優秀の成績である。 ただし現役途中で名無しになった選手は例外とします。(特例もあり)
スター 星 |
60 15年 右打振り子 |
いぶし銀の守備職人 241期に西武に入団。入団当初から高い守備を誇ったがタイムリーエラー持ちであったために思うような守備ができないでいた。打撃も2割を超えることが少なく、ロケットへ打法変更したものの思うように伸びなかった。しかし246期に守備職人取得後、除々に打率も上がり、ゴールデングラブ賞を受賞。252期に振り子打法へと変更した所、初の3割突破。そこから攻守ともに西武の中心選手へと成長した。256期に転生の為引退となった。 |
通算 .227 1913 34 426 1155 450 215 7 |
ゴールデングラブ1回 |
荒井翼 能美 |
00 20年 右投スリー |
低迷期を支えたエース 246期に入団。高いコントロールで防御率3点台、二桁勝利目前と好成績を残し見事新人王を獲得。当時の西武は上位争いに加わることが少なく戦力が整っていなかったが途中で腐ることもなく着々と西武に貢献してきた。250期には先発へ転向したものの思うような成績が出せなかった。しかし翌シーズンに防御率2点台、二桁勝利と活躍。その後は西武のエースとして君臨してきた。wikiの更新が厳しいとのことで256期に退団。お疲れ様でした。 |
通算 3.19 102 80 51 797 |
新人王1回 オールスター出場2回 |
赤坂Ⅳ 紅蓮 |
00 20年 左投サイド |
西武を救った大投手 240期に西武に移籍入団。明徳義塾と共に西武の2枚看板として活躍。明徳義塾の引退後は完全にエースとしての地位を確立した。野手の戦力が他と比べ劣っていたがそんなのはお構いなしに最多勝、MVPなどタイトルを欲しいがままに。歴代投手に名を馳せるほどの選手となってくれた。wikiの復興のために入団したこともあり、S評価を取るまでにwikiが整ってきた。最後まで西武のために尽くしてくれた選手。 |
通算 2.32 261 186 0 2282 |
最優秀防御率2回 最多勝利7回 最多奪三振1回 MVP3回 オールスター出場8回 オールスターMVP2回 ベストナイン4回 |
石毛宏典 最強アスリート |
60 19年 両打バスター |
一流街道を走り続けた男 229期に西武に入団。その後は西武一筋で生涯を貫いた。1年目から4番を任され2年目以降は完全に4番に定着。数々のタイトルを手中に収め、西武打線を引っ張ってきた。通算打率では歴代記録を更新しそのポテンシャルの高さを証明した。西武の有人が減り、西武の一番厳しく辛いシーズンも、1人で野手をひっぱり続けるという、西武の冬の時代を経験した。wikiでも陣中で指揮を執ってきており、中心的役割を果たす。西武の黄金・暗黒・復興と経験してきた数少ない選手。 |
通算 .351 3554 589 1786 411 56 177 11 |
首位打者7回,本塁打王3回,打点王3回,MVP6回,オールスター出場6回 |
明徳義塾(土佐)
現役年数22年・引退年齢39歳
西武在籍期間:232期~241期(10シーズン)
全盛期を西武に移籍してき、その生涯を西武に捧げた男。
元々は日本ハムの若きエース候補として君臨していたが、いきなり西武に電撃加入。周囲を驚かせた。
西武に移籍してからはいきなり防御率1点台をたたきだすなど、エースとして君臨。
20勝到達を果たすなどチームがBクラスに低迷していようがお構いなしに最多勝とタイトルを独占。
他チームからはパリーグ№1左腕として恐れられ、その勢いは誰も止めることができないほどだった。
赤坂Ⅳが移籍してからは西武の2枚看板として他チームに恐れられた。まさに晩年まで西武を牽引し続けた男であった。
元々は日本ハムの若きエース候補として君臨していたが、いきなり西武に電撃加入。周囲を驚かせた。
西武に移籍してからはいきなり防御率1点台をたたきだすなど、エースとして君臨。
20勝到達を果たすなどチームがBクラスに低迷していようがお構いなしに最多勝とタイトルを独占。
他チームからはパリーグ№1左腕として恐れられ、その勢いは誰も止めることができないほどだった。
赤坂Ⅳが移籍してからは西武の2枚看板として他チームに恐れられた。まさに晩年まで西武を牽引し続けた男であった。
明徳義塾(土佐) | ||||||||
通算成績 | 防御率 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 奪三振 | フォーム | 利き腕 |
1.82 | 262 | 122 | 41 | .682 | 2582 | UFO | 左 | |
最優秀防御率 | 最多勝 | 最多救援 | 最多奪三振 | 新人王 | MVP | オールスター | オールスターMVP | |
3 | 2 | 0 | 5 | 0 | 6 | 13 | 3 |
きょん子(きょん子)
現役年数13年・引退年齢34歳
西武在籍期間:222期~234期(13シーズン)
西武一筋で西武のために尽力を尽くした名投手。
現役時代はセットモーション投法と言う一見風変わりな投法で盗塁には人一倍うるさかった。
若手時代は抑えや中継ぎを経験し、ベテランになって以降は先発を任されるようになる。
先発に転向以降はその独特のフォームと伸びのあるストレートで奪三振を量産。奪三振王も獲得する。
232期には防御率のタイトルも獲得しMVPにも選ばれる。
西武優勝時代には不感の王、明徳義塾らと共に投手王国西武を築き上げ他チームから恐れられた。
晩年はバランスが変わったという理由と、優勝を請け負う自身が防御率4.52、8勝14敗というエースとして不甲斐なかった自身への責任をとり、突然の現役引退。
転生を示唆するも転生ならず。※理由は不明。
西武をずっと影から支えてきた貴重な選手であり、まだまだ34歳と若かっただけに誰もが思う早すぎる引退となった。
現役時代はセットモーション投法と言う一見風変わりな投法で盗塁には人一倍うるさかった。
若手時代は抑えや中継ぎを経験し、ベテランになって以降は先発を任されるようになる。
先発に転向以降はその独特のフォームと伸びのあるストレートで奪三振を量産。奪三振王も獲得する。
232期には防御率のタイトルも獲得しMVPにも選ばれる。
西武優勝時代には不感の王、明徳義塾らと共に投手王国西武を築き上げ他チームから恐れられた。
晩年はバランスが変わったという理由と、優勝を請け負う自身が防御率4.52、8勝14敗というエースとして不甲斐なかった自身への責任をとり、突然の現役引退。
転生を示唆するも転生ならず。※理由は不明。
西武をずっと影から支えてきた貴重な選手であり、まだまだ34歳と若かっただけに誰もが思う早すぎる引退となった。
きょん子(きょん子) | |||||||
通算成績 | 防御率 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 | 利き腕 | フォーム |
2.97 | 90 | 94 | 59 | 1027 | 左 | セットモーション |
不感の王(ヤス)
西武在籍期間:235期~233期(19シーズン)
西武リーグ優勝の立役者。
当時、下位に低迷していた西武に移籍して西武を奇跡の逆転優勝に導いた。
年老いても衰えない体力で先発完投型として先発ローテーションを守った。
他チームからはきょん子・明徳義塾の3本柱として恐れられた。
セットモーション投法という少し風変わりな投法を用いてランナーの進塁を防いだ。
またクイック○も取得しており、徹底的に盗塁をさせない投法を貫いた。
晩年は連続で20勝をあげるなど勝ち頭としてもチームを引っ張った。
タイトルこそ無冠だったが、西武での活躍には誰もが活躍を認めるリーダー的存在だった。
当時、下位に低迷していた西武に移籍して西武を奇跡の逆転優勝に導いた。
年老いても衰えない体力で先発完投型として先発ローテーションを守った。
他チームからはきょん子・明徳義塾の3本柱として恐れられた。
セットモーション投法という少し風変わりな投法を用いてランナーの進塁を防いだ。
またクイック○も取得しており、徹底的に盗塁をさせない投法を貫いた。
晩年は連続で20勝をあげるなど勝ち頭としてもチームを引っ張った。
タイトルこそ無冠だったが、西武での活躍には誰もが活躍を認めるリーダー的存在だった。
投手 | |
利き腕 | 右 |
フォーム | セットモーション |
現役年数 | 19 |
通算成績 | 防御率 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 奪三振 |
.2.74 | 240 | 182 | 1 | 1692 |
apple(apple)
西武在籍期間:210期~227期(18シーズン)
西武99勝時代の1番ショート
当時、失策数の多さに悩んでいた西武を鉄壁の守備で救った救世主的存在。
打撃もゴロ打ちに徹し、桑原・きょん子・最強アスリート・moemoeの打点を好アシストした。
彼がいないと、打線も守備陣も層が薄く、当時2位のロッテに敗れていたかもしれない。
西武黄金期のメンバーが多数流出する中、西武に残り続けてくれたので特別に表彰します。
当時、失策数の多さに悩んでいた西武を鉄壁の守備で救った救世主的存在。
打撃もゴロ打ちに徹し、桑原・きょん子・最強アスリート・moemoeの打点を好アシストした。
彼がいないと、打線も守備陣も層が薄く、当時2位のロッテに敗れていたかもしれない。
西武黄金期のメンバーが多数流出する中、西武に残り続けてくれたので特別に表彰します。
野手 | |
打席 | 左 |
フォーム | ダウン |
現役年数 | 18 |
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.266 | 2976 | 204 | 805 | 1029 | 15 | 273 | 31 |
デニー(ぐり)
西武在籍期間:205期~217期(13シーズン)
※217期以降は他球団に在籍。
西武の守護神と評される投手、208期から抑えとして定着し、それから217期までの長い間、抑えの切り札として、
チームに大きく貢献し、幾度となく、一点を争う接戦をものにしてきてくれた。
ベストナインに2度選ばれており、パリーグの中でも、そこそこの地位を持つ。
実力はあるのに、先発完投や、後半に相手にリードされる展開などで、登板機会が減った時もあったので、セーブ数を思うようにあげれない時期もあった。もっとタイトルを取れたと思う。
wikiも、ちゃんとやっていて、交流もたびたびあったので、放出はさびしいところ。217期のオフにソフトバンクに移籍
チームに大きく貢献し、幾度となく、一点を争う接戦をものにしてきてくれた。
ベストナインに2度選ばれており、パリーグの中でも、そこそこの地位を持つ。
実力はあるのに、先発完投や、後半に相手にリードされる展開などで、登板機会が減った時もあったので、セーブ数を思うようにあげれない時期もあった。もっとタイトルを取れたと思う。
wikiも、ちゃんとやっていて、交流もたびたびあったので、放出はさびしいところ。217期のオフにソフトバンクに移籍
投手 | |
利き腕 | 右 |
フォーム | スリー |
現役年数 | 13 |
通算成績 | 防御率 | 勝ち | 負け | セーブ | 三振 | 勝率 | 利き腕 | フォーム | タイプ |
3.01 | 11 | 21 | 297 | 277 | .344 | 右 | スリー | 抑え | |
最小防御率 | 最多勝 | 最多セーブ | 勝率 | 最多奪三振 | 新人王 | MVP | オールスター | オールスターMVP | |
0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 |
秋山幸二(最強アスリート)
西武在籍期間:207期~216期(11シーズン)
※216期以降は他球団に在籍。
走攻守3拍子揃ったあけペナ最強クラスの打者。特に本塁打量産の技術は誰にも真似ることのできなほどの高度な打法で、現在もホームランアーチストとして君臨している。
その秋山幸二も転生直後は平凡な成績であったが、西武の野手事情より1年目より4番に座ることが多かった。2年目以降は打率2割そこそこと低いものの、本塁打が20本を超えだし、4番に定着。それ以降若手ながら、不動の4番としてクリーンナップに君臨する。
入団7年目の第212期に.301・37本・94打点と頭角を現すと、第213期には.343・51本・110打点、214期には.341・41本・111打点、215期には.352・50本・128打点、216には期.359・60本、175打点と4期連続で3割4分以上・40本以上・110打点以上と驚異的な数字を残し、4期連続でMVPを獲得する。
またwiki使いとして西武をしきり、西武の黄金時代を築き上げ、wikiをパリーグの最高レベルにまで引き上げた先駆者であった。
その秋山幸二も転生直後は平凡な成績であったが、西武の野手事情より1年目より4番に座ることが多かった。2年目以降は打率2割そこそこと低いものの、本塁打が20本を超えだし、4番に定着。それ以降若手ながら、不動の4番としてクリーンナップに君臨する。
入団7年目の第212期に.301・37本・94打点と頭角を現すと、第213期には.343・51本・110打点、214期には.341・41本・111打点、215期には.352・50本・128打点、216には期.359・60本、175打点と4期連続で3割4分以上・40本以上・110打点以上と驚異的な数字を残し、4期連続でMVPを獲得する。
またwiki使いとして西武をしきり、西武の黄金時代を築き上げ、wikiをパリーグの最高レベルにまで引き上げた先駆者であった。
野手 | |
打席 | 両 |
フォーム | クラウチング |
現役年数 | 11 |
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.288 | 1502 | 356 | 981 | 887 | 19 | 195 | 21 | |
首位打者 | 本塁打王 | 打点王 | 盗塁王 | 新人王 | MVP | オールスター | オールスターMVP | |
0 | 3 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 1 |
きょん子(きょん子)
西武在籍期間:205期~216期(12シーズン)
※196期~204期は他球団に在籍。
ミートの天才と言われた打者で、セリーグで首位打者・盗塁王という経歴をもって西武に入団した。
西武に入団直後からその自慢の足で一番に定着。堅い守備でセンターにも定着した。
常に3割を超えるアベレージを残し、さらに足で相手投手を混乱させ、切り込み隊長としての役割を果たす。
西武の優勝を決めた213期には.352を残し、引退前年の215期には.357を残すなど晩年に華々しい活躍を残した。
ベストナインにも4度選ばれるなど、西武の黄金期を作り上げた立役者としては欠かせない存在であった。
西武に入団直後からその自慢の足で一番に定着。堅い守備でセンターにも定着した。
常に3割を超えるアベレージを残し、さらに足で相手投手を混乱させ、切り込み隊長としての役割を果たす。
西武の優勝を決めた213期には.352を残し、引退前年の215期には.357を残すなど晩年に華々しい活躍を残した。
ベストナインにも4度選ばれるなど、西武の黄金期を作り上げた立役者としては欠かせない存在であった。
野手 | |
打席 | 右 |
フォーム | ノーマル |
現役年数 | 21 |
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.290 | 3566 | 264 | 968 | 1343 | 27 | 457 | 68 | |
首位打者 | 本塁打王 | 打点王 | 盗塁王 | 新人王 | MVP | オールスター | オールスターMVP | |
1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 9 | 1 |
野村克也(最強アスリート)
西武在籍期間:192期~206期(15シーズン)
※185期~192期は楽天に在籍。
あけペナ最強クラスの打者。特に本塁打の量産体制に入った彼は誰にも止めることができないほど、最高クラスのホームランアーチストとして君臨している。
フルスイング打法からの大振りが彼の特徴で、当たればホームラン、他は三振という豪快な打法だった故に、本塁打王の回数はあけペナ史上最高の13回を数えるにも関わらず、首位打者の経験は1回もない。通算打率も.271と歴代ランキング内では低い方だ。
また彼が残した現役通算ホームラン数860本は、王貞治にこそ届かなかったものの、あけペナでは最高記録であり、未だに彼の記録を破られていない。ちなみに現役通算本塁打数の2位の記録もまた彼の転生前の選手である。
彼は西武に移籍直後から4番に定着、その自慢の怪力で本塁打を量産し、万年最下位のチームを一気に2位に引き上げた。
またあまり知れらていないが、守備も手堅く、主に捕手を任されていたが、晩年は遊撃手もこなし無失策で務めあげた。
常に本塁打王と打点王をセットで獲得するなどパリーグの最高レベルのスラッガーとして西武の常勝時代を礎を築きあげた功労者である。
フルスイング打法からの大振りが彼の特徴で、当たればホームラン、他は三振という豪快な打法だった故に、本塁打王の回数はあけペナ史上最高の13回を数えるにも関わらず、首位打者の経験は1回もない。通算打率も.271と歴代ランキング内では低い方だ。
また彼が残した現役通算ホームラン数860本は、王貞治にこそ届かなかったものの、あけペナでは最高記録であり、未だに彼の記録を破られていない。ちなみに現役通算本塁打数の2位の記録もまた彼の転生前の選手である。
彼は西武に移籍直後から4番に定着、その自慢の怪力で本塁打を量産し、万年最下位のチームを一気に2位に引き上げた。
またあまり知れらていないが、守備も手堅く、主に捕手を任されていたが、晩年は遊撃手もこなし無失策で務めあげた。
常に本塁打王と打点王をセットで獲得するなどパリーグの最高レベルのスラッガーとして西武の常勝時代を礎を築きあげた功労者である。
野手 | |
打席 | 左 |
フォーム | フルスイング |
現役年数 | 22 |
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.271 | 3175 | 860 | 2271 | 2538 | 45 | 148 | 13 | |
首位打者 | 本塁打王 | 打点王 | 盗塁王 | 新人王 | MVP | オールスター | オールスターMVP | |
0 | 12 | 10 | 0 | 0 | 7 | 10 | 1 |
vガンダム(サザビー)
西武在籍期間:191期~196期(6シーズン)
※178期~190期は日本ハムに在籍。
低迷していた西武の為に、13シーズン在籍していた日ハムを離れ、西武に移籍してきた。
Wikiには積極的に西武では3番打者として195期には50本塁打を達成するなどのタイ記録を残した。
本塁打王3回、打点王2回、MVP2回、オールスター6回出場、オールスターMVP2回
Wikiには積極的に西武では3番打者として195期には50本塁打を達成するなどのタイ記録を残した。
本塁打王3回、打点王2回、MVP2回、オールスター6回出場、オールスターMVP2回
PW | MT | 走 | 肩 | 守 | |||||
D178 | C5 | D8 | B12 | B11 | |||||
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | |
.261 | 2634 | 471 | 1435 | 1756 | 26 | 234 | 8 |
越智(越智)
西武在籍期間:180期~185期、192期~196期(9シーズン)
※186期~191期は日本ハムに在籍。
西武の1番打者として、2回目の西武在籍期には低迷していた西武の為に懸命に貢献した。
wikiにも懸命に貢献し、自らリーディングヒッターとしてリーグ優勝に導くことができた。
転生してからも、様々な活躍を期待する。
オールスター4回出場
wikiにも懸命に貢献し、自らリーディングヒッターとしてリーグ優勝に導くことができた。
転生してからも、様々な活躍を期待する。
オールスター4回出場
PW | MT | 走 | 肩 | 守 | |||||
C204 | B6 | D8 | A13 | C9 | |||||
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | |
.277 | 2408 | 363 | 1097 | 1371 | 11 | 168 | 27 |
チェロン4(黒兎)
西武在籍期間:178期~193期(15シーズン)
西武の為に懸命に貢献した選手
15シーズンという短い間だったが、2000本安打300本塁打達成という記録を残した。
首位打者(185期)野手新人王(179期)ベストナイン(184期)
15シーズンという短い間だったが、2000本安打300本塁打達成という記録を残した。
首位打者(185期)野手新人王(179期)ベストナイン(184期)
PW | MT | 走 | 肩 | 守 | |||||
B224 | A7 | D7 | D8 | C10 | |||||
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 | |
2.78 | 2215 | 369 | 1206 | 1180 | 34 | 114 | 23 |
彗星(アンドロメダ)
西武在籍期間:159期~179期(21シーズン)
158期のドラフトで入団した投手。
ドラフト時から150kmをこえる速球で期待されていた。
初めは抑えを中心にリリーフで活躍。最優秀救援投手も獲得した。
168期から先発転向。
1度は最多勝のタイトルを獲得したが、多くのシーズンでは防御率が安定していながらも勝ち星に恵まれない面も見せた。
ラスト4シーズンは再びリリーフへ。いずれも安定した成績で田老選手と共に鉄壁の中継ぎを構成した。
先発で最多勝・抑えで最優秀救援を受賞したが、最も安定して力を発揮したのは中継ぎだった。
ドラフト時から150kmをこえる速球で期待されていた。
初めは抑えを中心にリリーフで活躍。最優秀救援投手も獲得した。
168期から先発転向。
1度は最多勝のタイトルを獲得したが、多くのシーズンでは防御率が安定していながらも勝ち星に恵まれない面も見せた。
ラスト4シーズンは再びリリーフへ。いずれも安定した成績で田老選手と共に鉄壁の中継ぎを構成した。
先発で最多勝・抑えで最優秀救援を受賞したが、最も安定して力を発揮したのは中継ぎだった。
通算成績 | 防御率 | 勝ち | 負け | セーブ | 投球回 | 奪三 | 四死 | 被本 |
3.60 | 129 | 103 | 172 | 2276 1/3 | 1558 | 1337 | 232 |
チェロン3(黒兎)
西武在籍期間:158期~178期(21シーズン)
堅い守備を見せたチェロン2選手の後継ということで入団当初から守備力があった。
しかしなんといっても1年目からBランクのミートを持つ巧打型選手。
7年目の164期に初めての打率三割を達成すると、177期に打率.296となるまで13シーズン連続の三割越えを達成。
ラストシーズンの178期も三割を大きく超える打率を残した。
打撃だけではなく足もある選手で、169期には盗塁王も獲得。その169期は打率・安打数もリーグトップで野手MVPを獲得した。
通算打率・通算安打数で歴代野手ランキングにランクイン。
西武史だけではなくあけペナ史に残る選手となった。
しかしなんといっても1年目からBランクのミートを持つ巧打型選手。
7年目の164期に初めての打率三割を達成すると、177期に打率.296となるまで13シーズン連続の三割越えを達成。
ラストシーズンの178期も三割を大きく超える打率を残した。
打撃だけではなく足もある選手で、169期には盗塁王も獲得。その169期は打率・安打数もリーグトップで野手MVPを獲得した。
通算打率・通算安打数で歴代野手ランキングにランクイン。
西武史だけではなくあけペナ史に残る選手となった。
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.314 | 3894 | 290 | 1244 | 1367 | 26 | 664 | 61 |
田老(はいこう)
西武在籍期間:157期~177期(21シーズン)
156期オフに入団した選手。
21シーズンを中継ぎ一本で通した名リリーフ。
入団時からBランクの高い制球を持っていたが、チャンス×の影響などがあり本格的な活躍は中堅世代に入ってから。
165期に威圧感を習得すると高い安定感を持つようになり、172期の中継ぎでの最優秀防御率など西武のリリーフ陣の看板選手となった。
オールスター出場は8回。中継ぎ専任投手としては異例の人気を持った選手だった。
21シーズンを中継ぎ一本で通した名リリーフ。
入団時からBランクの高い制球を持っていたが、チャンス×の影響などがあり本格的な活躍は中堅世代に入ってから。
165期に威圧感を習得すると高い安定感を持つようになり、172期の中継ぎでの最優秀防御率など西武のリリーフ陣の看板選手となった。
オールスター出場は8回。中継ぎ専任投手としては異例の人気を持った選手だった。
通算成績 | 防御率 | 勝ち | 負け | セーブ | 投球回 | 奪三 | 四死 | 被本 |
3.61 | 145 | 112 | 74 | 2404 0/3 | 1440 | 1126 | 276 |
祈2(alate)
西武在籍期間:156期~177期(22シーズン)
155期のオフに入団の選手。
打撃型の選手だが守備でも大きな貢献を残し、二度の野手MVPを獲得した名選手。
入団当初はファーストを中心に守っていたが、堅実な捕球が評価されて二遊間を晩年まで守った。
ショートのゴールデングラブを二度獲得している。
打撃は好不調の波が激しく率は安定しなかったが、三度の本塁打王を獲得するなどハマった時の長打力は飛びぬけていた。
12回の球宴出場など人気も高く、間違いなく160期台を代表する選手の一人。
打撃型の選手だが守備でも大きな貢献を残し、二度の野手MVPを獲得した名選手。
入団当初はファーストを中心に守っていたが、堅実な捕球が評価されて二遊間を晩年まで守った。
ショートのゴールデングラブを二度獲得している。
打撃は好不調の波が激しく率は安定しなかったが、三度の本塁打王を獲得するなどハマった時の長打力は飛びぬけていた。
12回の球宴出場など人気も高く、間違いなく160期台を代表する選手の一人。
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.281 | 3458 | 554 | 1900 | 1801 | 45 | 224 | 48 |
欧米か!3(タカ&トシ)
西武在籍期間:154期~171期(18シーズン)
153期オフに打撃型選手として入団。
若手~中堅の年齢の時にはなかなか打率が安定せず2割前半の打率が続いてしまった。
しかし30歳後半に入り覚醒。大ベテランの年齢でありながら2割後半の打率と30本近い成績を残す。
打撃では苦労人の印象が強いが、守備の面では捕手や外野手として強肩を活かしたプレーを続けた選手でもあった。
若手~中堅の年齢の時にはなかなか打率が安定せず2割前半の打率が続いてしまった。
しかし30歳後半に入り覚醒。大ベテランの年齢でありながら2割後半の打率と30本近い成績を残す。
打撃では苦労人の印象が強いが、守備の面では捕手や外野手として強肩を活かしたプレーを続けた選手でもあった。
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.254 | 2498 | 320 | 1189 | 1578 | 15 | 177 | 32 |
チェロン2(黒兎)
西武在籍期間:142期~157期(16シーズン)
中日で5シーズン経験した後、142期に西武へ移籍してきた選手。
移籍当初から守備力が高く、西武の穴となっていた遊撃のポジションを埋めた。
移籍直後こそ守備の選手であったが、左投手を克服してからは打撃も開花。打率三割を8回マーク。
クリーンアップ後に控える打順が中心だったが、その高打率から三番をつとめたこともある。晩年は打撃の安定性から一番が定位置となった。
引退まで西武の二遊間を守り、西武での16シーズンでわずか8失策の鉄壁の守備を誇る名手だった。
移籍当初から守備力が高く、西武の穴となっていた遊撃のポジションを埋めた。
移籍直後こそ守備の選手であったが、左投手を克服してからは打撃も開花。打率三割を8回マーク。
クリーンアップ後に控える打順が中心だったが、その高打率から三番をつとめたこともある。晩年は打撃の安定性から一番が定位置となった。
引退まで西武の二遊間を守り、西武での16シーズンでわずか8失策の鉄壁の守備を誇る名手だった。
通算成績 | 打率 | 安打 | 本塁 | 打点 | 三振 | 犠打 | 盗塁 | 失策 |
.280 | 3395 | 197 | 1125 | 1397 | 18 | 395 | 45 |