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あのときの声

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chikugogawa

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意外性があるなら、そこは多分何か隠してあるところ。たぶん、もっと深く。

「銀の魚」6小節目。そこまでだんだん大きくなる流れにそむいてなぜ女声だけがpなのか。なぜ歌詞にない「あ」をわざわざ持ってきたのか。男声主体のフレーズの脚色に過ぎないと思うのは少し芸がない。感嘆の声と思ってみるのはすこしまじめすぎないか?

以前にも書いたけど、作曲家、團伊玖磨は初演プログラムにこの曲の紹介として

晩春の筑後川に遡る銀の魚・エツを朝靄の中に漁る人達。静謐の中に息衝
く男女の暮らしの美しさ、大切さを歌う「銀の魚」
という言葉を寄せている。
前半の、漁る人達、までは昨日の「感嘆の声」の話でいいだろう。ただ、この歌の裏に描かれた「静謐の中に息衝く男女の暮らし」について大人の解釈をすると…


ヨーロッパの低予算ながら映像の美しい映画とかを見ていると、以前の日本では上映のできないシーンがあった。猥褻性がほとんどないシーン。私もこの年になって、結婚して10年以上経ってしまったような状態では、朝、ただ着替えているだけのシーンでの裸だとか、つきあっている男女のSEXとか、ごくさらりと自然に描かれていればいちいちどきどきしない。(それでもおいら、スーパーの女性もの下着売り場付近を歩くのは苦手なのだけど)
男女の暮らしなのだから昼もあれば夜もある。付き合う前の、あるいは結婚前のどきどき感とはぜんぜん違うレベルで、普通に展開すること。男性のたくましさに対して女性が「あぁ」と言った、ということをわざわざ歌として描写するならその「あぁ」はあのときの声と考えるのが、大人としては一番自然な答え。じゃないかなぁ。
なぜ女声だけ、なぜp、なぜ「あ」、そしてその後、クレシェンドして「たくましい…」と歌う流れに対してもっとも合致すると思う。

メンタルには、これ以上敢えて何も書きません。まかせます。
テクニカルには、ひとつ、息を混ぜるという方法があるのを知っていてください。感嘆にしろ色っぽい喘ぎにしろ、積極的に息を混ぜるとそれなりな効果があります。どうするかといえば意気を混ぜるだけです。たぶんやればすぐ出来ます。合唱の世界でよく使われるものです。TPOに応じて音色を考えるとき、気持ちや子音のたて具合、母音の深さと並んで、変えやすい部分でもありますし。

ただ、ここをどういう気持ちで歌うか、そのためにどんなテクニックを使うかは指揮者マター、あるいは合唱団の雰囲気による部分です。今後の成り行きを見守りながら、お客さんに何かよいものを伝えるためにどうするのか良いか。みんなで考えてみましょう。


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