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押して切るべし

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chikugogawa

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外国語の曲なら、長い曲の最後はかなり高い確率で子音。ところが日本語だと十中八九は母音で終わる。盛り上げて終わろうとすると、フォルテとかそれ以上で母音を切るという処理が発生する。
こういうときの切り方は、
  • ふわっと音を投げてしまう
  • がつっと音を当てて止める
のどちらか。
とくに後者をやりたい場合、小節の最後で切れるようなケースでも、無理やり次の小節で母音を言い直してから切るという念を押す場合もあるくらいだ。そんな編曲をされてしまうくらいなら、熱い作曲家は最初から次の小節に短い音符を用意しておくだろう。
ここでは楽譜を見れば一目瞭然で、ご丁寧にアクセントとスタカートを全パートに重ねているくらいだから、後者の当てて止める方。

やっかいなのは音符の長さだ。最後の小節だけの言い方で言えば、
合唱すべてのパート 四分音符。アクセントとスタカートがついている
ピアノパートの右手 四分音符。前の小節からのタイで、そこにはアクセント。
ピアノパートの左手 16分音符が2つ。両方にアクセントとスタカートがついている。

いずれもその音符が最後でその後休符。

つまりこの3つで、楽譜上、すべて音符の長さが違うわけだ。

さて困った。普通、だいたいこういうときは全パートを同じように切る。ベートーベンの第九も、マーラーの2番(復活)や8番(千人)も、合唱を終えた後で、オケだけの切り方になるものの、最後の小節にかかってそこまで残っている全パートが同じ長さで切れる。もっと新しい作曲家で言えば、プーランクのスタバトマーテルも(小節線をまたぐ形式ではないものの)、最後の音はどの楽器も同じ長さで切っている。
となると、この解釈は
1)どうせこんなところの差に演奏効果があるはずないし、作曲ミスかなにか。
  長さがはっきりしているピアノの左手に全パートがだいたい揃えたらいいのでは?
2)作曲家自身が何度もタクトを持って演奏し、重版を繰り返した楽譜に、
  そんなレベルのミスがあるはずがない。そしてそこには意味があるはず。
  各パートは自分のパートに与えられた音価どおりに延ばすべき。

プーランクの楽譜を見ながら、1)だよねってつまの同意を求めてみました。「マタイにはそういうところがあるよ。」えっ?さっそく、スコアにあたってみると、CDなら3枚組みになるこの曲のちょうど真ん中あたりとなる、第一部の終わりが、たしかに木管はただの8分音符、高弦は8分音符にスタカート、通奏低音はただの4分音符。その後は休符にフェルマータ。何となく聞いた感じだけなら、2,3の演奏をCDで確認してみましたが、楽譜を見ながらでも残響の程度問題くらいにしか聞き分けられない。でも、リリンク著の『マタイ受難曲---解釈と演奏---』の該当ページを見ると、「通奏低音の最後の音は、書かれているとおり他の楽器よりも長く延ばす」とだけある。裏がありまくりの大作曲家バッハのやることだから深読みするべきところなんだけど、とりあえず、つまが今度やる合唱団での見解は、「第二部に続く、」という解釈らしい。

河口のラストを勝手に深読みすると、
演奏会用の曲の宿命として音楽は終わらせなければならなかったものの、決してこれで終わりではないという何かを刻んでおきたかった作曲家が、減衰が激しくて実際のところ悪影響も小さいピアノの右手に半拍前から入らせて、あのバッハが「続く…」の意味で使った終止の手法を適用し、その代わり合唱をリードする役割は左手部分にしっかり書いておいた、
ってことじゃないかと。まぁ、確度は低くて妄想領域でしょうが。

いずれにしても合唱団員は、ここが4拍+押し、であることをよく理解して、フォルティッティッシモからのクレシェンドを存分に聞かせた後でのとどめとして、最高の演奏効果でしめくくりたいところです。


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