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持続音

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chikugogawa

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たとえばカラオケなどで、学校の音楽の時間以外ではこれといって音楽を学んだことのない人の音楽に接したときに感じる差。
それが音符の長さの処理だ。

クラシックの世界の人にとって、音符を何拍伸ばしているかということは、一般の人が思う以上に重要だということだろう。

ピアノがようやく出てきたところで、合唱は2+8拍「わー」と伸ばしている。
細かく言えばフォルテシモで始まり、それから2拍クレシェンドして、
アルト以外は音を変えてフォルテシモ+αの音量で5拍伸ばし、
残り3拍デクレシェンドして、切る。
ここで親切な指揮者は、ピアニストを放っておいてでもこの指示を出し続けてくれる。
だが、ただなんとなく系の合唱をすると、
まぁまぁ大きく入り、クレッシェンドせず、3拍目で音の高さを変えたときに大きくなって、それから力尽きるようにただなんとなく小さくなり、さみだれ式に切れる。
指揮者抜きのときは、あるいは指揮者なんか見ないでぼうっと楽譜を見ながら歌うひとは、5拍子が数えられずピアノの拍も見えず、みんながやめた頃に適当に切るとか、次の小節のピアノアルペジオを聞いてやめるとか。
差が出やすいので、合唱コンクールのチェックポイントになったりするわけなのだが。

楽譜どおりであれ、といいたいのではない。
本当に欲しいのは、伸びやかで力強い声に始まり、にもかかわらずさらに音量を増していき、ピアノが描く湧き上がるようなうねりに乗ってさらなる高みにのぼり、下流での大潮流を予感させる圧倒的な生命力を見せ付けた後で、やや冷静さを取り戻しながら淡い山間の風景への場面転換を予感させるようにピアノの間奏へ静かにバトンを渡す、
そういう演奏だろう。
(個別の解釈そのものはそのとき指揮者によるべきところであるが、
 たとえばそういうことだという意味で)
そう演奏すれば、そもそも楽譜どおりだ。

ここでのクレシェンドの終了点やデクレシェンドの開始点がどこであるかを覚える、あるいは意識するというのは、ある程度、上級者かもしれない。中学校のクラス合唱レベルは超えているだろう。
ただ、せめて、周りに合わせながら自分で拍を数え、自分の出す音が何拍なのかはわかって歌って欲しいと思う。楽譜があって歌っているのだから、せめてそのくらいはと思う。
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