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リトミック

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chikugogawa

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去年のNコン全国大会の放送を見ていて思ったことですが、全国大会に出てくるような学校だからか、日頃の活動としてミュージカルみたいなことをやったり、踊りながら歌ってみたりという練習を取り入れたりしているところが不思議と多かったですね。不思議、というようりも、ははぁ、なるほど、と思いました。
合唱の演奏をよりよいものに仕上げるには、音やリズムが正確であることや、楽譜から表面的にすぐ読み取れるようなことを一通りやることは大切です。コンクールですからそういうことはかなり大切です。でも、フレージングをうまくまとめるとか、ひとつひとつの音にTPOに応じた緊張感や空気がのっていることが必要です。
ピアノのコンクールなら、小学1,2年生くらいのクラスで、都道府県大会の上位に入るには、”楽譜どおり”を越えた雰囲気を持っていて当然って感じですね。ノーミスで弾けても、技術的には良かったね、で終わる。そういう空気って生まれもってくるものかも、とも思えてしまいますが。
そんなわけで、というとわけがわからないけど、合唱でいい演奏をするには、ある意味、恥ずかしげもなくそういうことができるという意味で、バカになることが必要です。俗世間のしがらみを感じさせない開放された音が必要で、その音は、俗世間を忘れた、あるいはどこか違う世界に入り込んだような呼吸が必要です。

そういうことのための重要なアプローチが酒を飲むこと、ゴホンゴホン。間違えました。体を動かすことです。やや単調な動きでいいから日頃とは違うように体を動かしながら歌を歌おうとすると、だんだん複雑なことができなくなってきて、吹っ切れた延びとつやのある、いい演奏になる。我を忘れても音やリズムを外さないだけの練習をつむことも必要かもしれませんが。バカな自分をこっそり制御する姑息な一面を残してみるのもちょびっと必要かも。

だからミュージカルだとか、ちょっとでも動きながら歌を歌うと、ナチュラルハイな感じになること、体がほぐれること、心技体が一致しようと働いてくれることなどがいい意味でつながって、フレージングや曲全体の構成によく合致した音楽に飛び込みやすくなると思います。だからそういう練習を取り入れているところが、全国大会につながったのかな、と。

そういうのリトミックっていうんですよね。今年はリトミック創始者のエミール・ジャック=ダルクローズがこの理論を世に出してからちょうど100年。日本ではただの幼児教育になりさがって、お遊戯っぽい感じと思われるかもしれませんが、中・高生を全国レベルに引き上げる、重要なメソッドなのでは?

mfで切り裂くように始まったこの曲は3小節目からいよいよフォルテとなり、この小節からはritmicoという指示ももらっている。
ritmico: 律動的に、リズミカルに。
この言葉自体はリトミックと同じ語源の言葉というだけだけど。この音楽作りでは、踊る阿呆に歌う阿呆、ってくらいバカになって欲しいです。


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