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第一声の「ま」

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chikugogawa

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軽くテキストを読んでみればわかるとおり、『筑後川』は久留米に生まれ育った詩人によるご当地ソングでありながら方言を使用しないつくり。しかも作曲家の團は多少九州の血が流れていても東京生まれ東京育ち。基本的に九州弁は話せない。そんなわけだからこの曲のイントネーションを考えるときはすなおに標準語をベースに考えるので良い。

冒頭の言葉は「まつり」。単独の言葉でも、文頭で使われてもLHH(音節ごとに低い・高い・高い)のイントネーション。「ま」をアウフタクトにおいてもぼちぼち自然な日本語として作曲することはできる。しかし一方で「ま」にストレスをおいても(音節ごとに強・弱・弱であっても)不自然ではない。というより、「つ」や「り」にストレスをおくと、結構不自然。

東京方言の日本語は高低アクセント(ピッチアクセント)だからアクセントがどこにあるかというと「ま」にはないのだけど、強勢アクセント(ストレスアクセント)のシステムの音楽に当てはめて考えたいときの意味でアクセントのようなものはどこにあるだろうかといえば「ま」にあると思うほうが自然。

5小節め。合唱の冒頭は4拍子の1拍め、タッカのリズムの表に「ま」が置かれている。そこまでピアノパートがフォルテで演奏してきて、フォルテだから、流れどおりの音量。ピアノパートにはその前と同じ動きを続ける形でアクセントがついている。しかし合唱譜にはアクセントもスタッカートもその他複雑な記号もついていない。ritmicoはピアノにしかついていない。ただ、最初のAllegro energicoがあるだけ。

だからただ何となく楽譜づらを追うと、何となく強めの音量で元気よく歌えばそれでいいのか、とも思える。いやそんなはずはない。たしかに2,3ページ先にはむやみに、と思うほどアクセントやsfが多用されていて、でもそこもフォルテ。そこに向けての音楽の盛り上がりを考えれば、ここではじけすぎると曲全体の構成やバランスがつかなくなる。しかし、ピアノが盛り上げてくれていて、祭りの音楽。一つ前の、pp基調のどこまでもteneramenteな音楽と対を成す激しい音楽がここにあるはずで、「このあとのアクセントつきのフォルテのために控えめにやっておきます」などという軟弱な思想が許されるはずがない。
ここは激しい。なぜならenergicoの指示を受けているから。理論武装はそれで充分だろう。先のことは先にたどり着いたときに何らかの現象が起こるはずだ。オプティミストと呼んでくれてもいいが、勢いというものは重要だ。
「銀の魚」で作っていた静かの音楽を切り裂く。先陣はピアノが切ってくれた。いよいよ本陣がこの「ま」の音で聴衆を圧倒しなければならない。幸い、和音はわかりやすい。このホ短調の音楽の主和音。はっきりきれいな音が鳴るはず。いや、きれいである必要はないだろう。ここに飛び込み、音楽を切り開き、寝た子も起こす勢いがほしい。

そんなわけでここにはアクセントのようなものがあるに違いない、と思ってみて欲しい。たぶんある。指揮者しだいだが、あるはず。


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