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『筑後川』全曲中でアルトがパートソロ、あるいは他パートと明らかに違う動きをして目立ちようがあるのは

  • 「みなかみ」冒頭での「いまうまれたばかりの」
  • 「銀の魚」3小節目の「にーーーー」
  • 「銀の魚」後半のハミングで3小節目と同じ動き
  • 「川の祭」終盤フーガの「まつりよかわをよびおこせ」

の4箇所しかない。それ以外は大抵ソプラノの裏についていて、たまにベースと同じ動きをする。まさに内助の功のパートそのものという書き方をしてくれている。
何も目立つことが音楽のすべてだといいたいわけではないし、奥ゆかしいアルト気質にあって、そんなことに心を奪われたりはしないのだろうけど、しかし人前で歌を歌うという意気込みの芸術家に自己顕示欲がないはずないだろう。

さて、その4箇所をよくよく考えてみると、一つ目は4パート順繰りの2番で中継ぎ。銀の魚のあの動きだけで満足できるとしたら、そのストイックさは奇特過ぎる。その点、このフーガではフーガのテーマの1番目に出てくるという美味しい役だ。しかも迫力のある音楽の中で渋さを同時に演出できる書法になっている。

ちなみにモーツアルトイヤーだからってことでモツレクを例に挙げてみると、対位法の手法が随所に折り込まれた長い曲なのに、アルトが先行するのは唯一Rex tremendaeでテナーより1拍先行するところが一つあるだけ。第九はドッペルフーガがアルトから始まるけどドッペルなのですぐさまソプラノに持っていかれる。ヴェルレクは終曲の大フーガはアルトからだ。アカペラでの静寂をソプラノソロに先導されて突き破る重要な動きとして描かれている。でもこの「川の祭」的な書法で言えば有名曲で思い出されるのがドイツレクイエムの6番終盤の大フーガ。直前のtutti絶唱からアルトパートソロとして神の勝利が描かれ、それがフーガになるという、非常に美味しい書法。
(3大レクイエムでもフォーレクはアルトの位置づけがものすごくありえないくらい低いんだよね。ちょっとかわいそう。)

ともあれこの「まつりよかわを」が、アルトにとってわかりやすい意味での唯一、一番はっきりした見せ場。まさにここが祭りです。じゃぁどうするかは明日以降。