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天へ

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chikugogawa

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「てんへ」の入り:
p.6の下段からディナーミクを確認すると、mf始まりで松葉をもらっている(クレッシェンドしてデクレシェンドする)だけなので、p.7の1小節目の終わりはmfくらいで終わっているはず。すると、「天へ」のfは一ステップ、不連続に大きいことになる。

ここで選択肢が二つ。
冒頭の「て」の子音が破裂系、最初の一拍がタッカのリズム、一段大きなfの指示、わずか一拍で女声から男声への受け渡し、などを思うと、「て」の子音の破裂をやや強調気味に捕らえながら「ん」を抑えて歌うことで、初めて出てきた16分音符のリズムを際立たせる形で曲にメリハリをつけるという手法。
一方、この「て」にはアクセント記号がないことを重視し、あくまでも6ページ目から続くたゆとう音楽の中でやわらかく「て」を処理し、タッカのリズムもむやみに跳ねないという手法。

たしかにこの音楽は日本人詩人と日本人作曲家が日本の自然を描き、それを日本人が日本で演奏する。しかし西洋音楽の様式をとっているのであれば、この音楽作りのベースには西洋音楽の基本である「白黒はっきりした二元論的表現」がそれなりに重要であることは頭の片隅にでも入れておいて欲しい。音楽は大きいか小さいかのどちらかであるし、レガートであるかマルカートであるかのどちらかであるし、描かれるものは善であるか悪であるかのどちらかだ。ただなんとなく歌いましたというのは良しとされない。

もちろん、「て」をたてるにしてもアクセント記号があるほどの音楽とはしないし、柔らかく作るにしても一段大きな音量としてのフォルテでタッカのリズムが3連符のようになめてしまわずに歌われるべきだ。さらに、しかし、であるが、タッカのリズムにはある程度の幅が許容されて、単純計算で出てくるタイミングだけが正しいのではなく、曲想の影響を受け、ある程度の範囲内で鋭かったり甘かったりしてもよい。

結局、指揮者マターではあるのだけれど、ある程度、声を出す側の意識や動機が高くないと、はい、リズムをたてて見ましょう、とかいうだけではお客さんに何も伝わらない音楽ができやすい。

筑後川全曲で男女の掛け合いは2拍ずらしが多い中で、この小節では一拍の流れ、しかもずれた直後に音楽がひとつにまとまるという典型的な対位法の面白さが描かれており、ずれていること揃っていることをお互いに意識しながら音楽を作っていけるようになると、歌うほうも、さらには聴くほうも面白くなってくる。



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