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ここまでの私の指摘を読んでみれば、この曲が不自然な拍の上に成り立っていることはだいたい分かって頂けると思う。珍しい拍子、珍しいフレーズ当たりの小節数。それも定式化された2+3のリズムを持っているとかでなく、どことなく、なんとなく。

團伊玖磨は『筑後川』の詩について
「今生まれたばかりの川、とまったく普通の言葉で書いてある。しかも、律もそろっていない。しかしよく読むと詩人の考えたフォルムが底にある」
と語っている。

話すように、語りかけるように自然な音楽。歌は語りと違う定式化されたものとして存在しているもののようにも思うけど、西洋音楽の長い歴史はまるで話しているような抑揚とリズムを持った音楽を生み出すにも至った。そういう音楽は、現代音楽の複雑何とかを目指すわけでもなく淡々と2,3,4拍子が入り乱れる。
すでにオペラ『夕鶴』を書き上げていた團にとって、この自由詩による素材を前にしてやるべきことが見えたのではないだろうか。それも、素人合唱団が短期間に仕上げられるレベルでという制約付きで。

つまり、この曲は聴く分にも歌う分にも、何となく自然な日本語の語感を感じていればそれでいい。まじめに自分で数えようなんて思っていなければ難易度は低い。ところがこれを振ろうと思うととたんに難しい。言葉の自然な流れを見せるバトンテクって結構、ハイレベルな部類。