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詩が、何かかわいらしいものや、やさしいものをただただ列挙していたとしたら、逆の意味を疑ったほうがいいかもしれない。
愛を連呼するなら、そこには何か厳しく辛い裏事情があるかもしれない。
#すみませんねぇ。育ちが貧しいもので、そのまま受け入れることに抵抗があるんです。

筑後川流域の年間降水量は約2000mm。降雨は梅雨の季節に集中し、さらに数日続く長雨と集中豪雨が重なると洪水を引き起こす。筑後川の洪水は台風の季節よりも梅雨の6、7月に集中している。

ときは昭和28年6月。例年よりも半月はやく5月下旬に入梅した九州北部では、まず、6月4~7日に長崎県北部および熊本県中部を中心に、続いて17~20日には熊本県中部に、400ミリ前後の降雨があった。また、梅雨前線の活動地域が、九州南部よりも中部以北に集中したこと、多雨陽性型で平年の4~5倍の降雨量を記録したことなどが特徴的であった。

6月24日午後から25日早朝にかけて、中国東北部から中部へ南西に延びる気圧の谷が次第に深まり、山東半島の南に998hPaの低気圧を伴って接近したため梅雨前線が北上し、筑後川流域では6月25日朝から雨が激しく降りはじめた。上流部で9時ごろから降り出した雨は日雨量400mm、時間雨量はときに80mm以上を記録し、26日にかけ300ミリ前後の集中豪雨となった。その後5日間の連続雨量は多いところで900mmを越え、下流部でも600mmを記録した。筑後川の堤防は26カ所が決壊し、死者147名、家屋の流失、全半壊が12,801戸、床上浸水49,201戸、床下浸水46,323戸、被災者は実に54万人を越えるという(平成2年の流域人口は106万人)。完成間近だった夜明ダムも決壊し、浮羽郡の集落を濁流に沈めた。ようやく大雨注意報が解除されたのは29日19時のこと。

6月28日付けの西日本新聞を見ると“久留米、今や「死の街」”だとか、“無残!!”、“水地獄”、“水没”、“圧死”などという見出しの文字が躍っている。

この大雨は福岡、熊本、大分、佐賀を中心に九州7県で死者763人(熊本県の被害が甚大)、行方不明者236人、負傷者11,161人、損壊・流失家屋29,810戸、浸水家屋427,363戸。

後に西日本大水害と呼ばれることとなった災害である。昨年が災害から50年の節目であったことがら、ネット上にこの災害を振り返った資料は多い。

自然の激しい試練を受けると、むしろ単純で素朴な結論に行き着くように思う。具体的な記述には出会っていないけれど、当時約39歳の開業医だった丸山豊は「死の街」と形容された久留米市でこの水害を被災したはず。