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ボーダーレスな時代だから

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chikugogawa

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あけおめ、ことよろ。

年の変わり目ってはっきりしているよね。時報がポーンという瞬間。
この年越しもそういうのではなかったのだけど、カウントダウンコンサートやってると、何とかぎりぎりの時間に前の曲が終わって、その瞬間に向けてカウントダウンして。ちょっといつもと違う緊張感。営業スマイルでおめでとうございますって感じになって、じゃぁ、新年1曲目は…とか。
今年も、なんか知らないうちに年越えてたなぁ。

一見はっきりしているようで、なんとなく境目が分からないもの。ヒト。服やアクセサリーは人が身につけているもので人でないもの。身近なものだけど自身ではない。髪の毛は、衣服に近いような気もするけど、生物としてのヒトが自然にもともと備えているものだから自分の一部。体を巡る血液は自分のもの。でも献血とかで抜いた血は、かつて自分だったもので今は自分でないもの。同じ類推で口腔に漂う唾液も、瞳を覆う涙も自分の一部。排泄してしまった排泄物はもはや自分の一部ではない。異論はあるかもしれないけど、というかあるだろうけど、とりあえず私の感覚での境目はそこあたりにある。
するとわからないのは頬をつたう涙とか、埋め込み型の人工物、それと腸内細菌。声や言葉とか言うモノとして扱いづらい対象は、今回検討から除外。
法的にどうなのかしらないけど、器物破損や窃盗で扱うか、傷害とするかはっきりさせなきゃいけないから、たぶん基準があるのだろうなぁ。「私の胸の鍵を壊して逃げていったあいつ」が器物損壊で捕まったら大笑いだけど、カリオストロのラスト名台詞によればそんな感じ?

では、川はどこまでが川か。河原は川の一部か。河床や土手やダムや橋は川の一部か。川で遊ぶ子供は川の一部か。そこに棲む魚はどうだろう。川の水にはぐくまれた人たちは川の一部だろうか。

「あなたを信じます」の「あなた」がだれなのか?
「魚たちの鰓呼吸のおだやかさ」を「ごらん」ということは、「あなた」といったそのひとは魚たちと一体の関係ということ?
音楽上では男女の掛け合いで、ひとつの側面として若い男女の愛を描いているのなら、直接描かれているのはなんだろう。男声は川自身だった。
女声も川自身、あるいは川を構成する要素群のだれかかと何となく思っていた。「もっと冷静であるように」といわれて、男声と女声とは並列に落ち着いて見せたって感じ。
もしかすると「あなた」が川で、落ち着いて見せたという川(=男性)を「信じ」た川を愛する流域の人や生き物たちを代表して、川に棲む魚がおだやかな呼吸を披露したって?
でも、渓流で釣られる魚も急流を遡る魚も鰓呼吸でぜーぜー言わんだろ。
ダム湖に棲む魚が“夜明ダムタソ ハァハァ”とか言ってたら、そんな泥臭い魚、佃煮でも喰えんなぁ。

元旦から、いまいちわからんです。『筑後川』の詩の中で一番微妙な言葉「鰓呼吸」。それってどうなんでしょう。
教えて鰓いヒト。

(この文書は、2006年元旦の日記として書かれたものです)



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