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<!-- 十一 --> <!-- タイトル --> 科学と芸術 <!-- -->  科学と芸術とは一見対蹄的位置に立つごとく見えるものであるから、科学者は芸 術を|遊戯《ゆうぎ》のごとくに|蔑《さげす》み、芸術家は科学をあらずも|哉《がな》の|所作《しよさ》と断ずる。しかし、こ れらはいずれも人間性に|立脚《りつきやく》した|崇高《すうこう》の所作であり、真と美に対する人間の創作た ることを信じて疑わず、かっ尊敬するに|躊躇《ちゆうちよ》しないのである。即ち人間性中、美を 対象として|憧《あこが》れる心も、理性的に自然に即さんとする心も、いかなる外力を以てし ても|圧《お》し|潰《つぷ》すことは出来ないのである。これらはいずれも本能に起因される所作で あるからである。  芸術家の養成については、その才能がまず問題となり、全く好きであるという出 発点があって、音楽家となり、画家となり、彫刻家となる。即ち芸術家になるには、 科学者のそれのごとく外国語を学び、数学を学び、実験方法を学ぶごときいわゆる |方法的《メソデイツク》な修練は見出されないことである。  もちろんいずれの芸術家といえども、その表現方法に熟達するまでには相当の年 月を費して騨れ切る必要があるのであって、たとえば音楽家は一定の音楽教授所に 入って数年の日子を費して勉強し、卒業後といえども練習に練習を重ねなければ、 一流の演奏家として立つことは不可能である。とくにピアノのごときは一日の休怠 が早速演奏上の技術に差支えるとさえ言われている。また画家においても|然《しか》りで あって、日本においても数多の画会があって若い人々の絶えざる技術習得が行なわ れておるが、巴里においてはなおはなはだしく、ドニスのアカデミー、アマンジャ ンのアカデミー、何々のアカデミーと呼ばれて若き男女の修業者が堂に|溢《あふ》れている という。即ち画家に志す人々は適当の年月の苦心を積まなくては、一流の画家と相 伍することは許されないのである。確かに芸術家にならんとする人々の、その道に 捧げる時間は、科学者の研究に充当する時間よりも大でこそあれ、小という事はお そらくないであろう。  しかしながら、ここに問題とすべきは、|方法的《メソデイツク》な|修練《しゆうれん》の有無である。確かに科学 のあまりに発達せざる十七世紀時代においては、以上の修練は多く必要でなかった かも知れぬが、今日においては自然を自ら研究する資格を得るには、相当の年月の |鍛錬《たんれん》を必要とするのであって、大学を出た程度では、未だ一人立ちが出来ず、進ん で数年の日子を費さなければ、研究者としての完成には達しないのである。  この話が芸術家と科学者との鍛錬方法の異る点であるが、それはいかなる原因に 基くかといえば、科学の構成上の性質によるといえるのである。即ち科学は従来よ りの業績を|堆積《たいせき》して一つの体系となす故に、より進んだ体系を構成せんとするに於 ては、その程度までの理解を必要とし、|然《しか》る後に各自の研究に|着手《ちやくしゆ》しなければなら ないのである。  芸術においても、先人の業績を|顧《かえりみ》る必要は絶無であるとはいわない。しかしなが ら、東京美術学校の卒業生が、システン礼拝堂の、ミケランジェロの壁画を研究する 必要もなければ、マネーのオランピアの画の手法を知る必要もないのである。自己 単独に|画刷子《パンソー》に油絵をつけて、|絵面《タブロー》の上になすりつけることの出来る人ならば、一 芸術家と呼ぶ事は出来るであろう。  これに反して科学者は自然を研究すべき方法を充分知っていなくてはならない。 物理学者においては、相当の数学、また物性に対する相当な知識、研究に要する測 定器械、器械の操縦法、従来行なわれたこの方面の業績等を少なくとも知らなけれ ば、極めて簡単と考えられる実験も行なうことは出来ないのである。即ち自然研究 者として修得する予備工作の極めて多いのは申すまでもない。  芸術は人間性の中にある|審美情緒《しんびじようちよ》を基にして生れ来たものであり、科学のなかっ た時代にもすでに|繁栄《はんえい》し、今日の名手でもその程度まで|拮抗《きつこう》し得るもののなきほど 最上級の階位に到達したものが見られる。また皿う禽隊の概伽を榊雛すれば、奈良朝 時代の文物に多く接することが出来るが、今日より以上と思われる工芸品の多くあ ることに驚くほかはないのである。芸術は|温床《おんしよう》あればたちどころに発達するに引替 え、科学の進歩は全く|遅《ちち》々たるものである。芸術は人一代にて最高峰に達するので あるが、科学は一大天才出ずるとも、当時審かにせられたる事実の外には一歩も踏 み出すことは出来ないのである。芸術が万人に訴えてその判断の実を得ることが出 来るのであるに反し、科学はある限られた人の鑑賞に待つほかはないのである。こ の故に、芸術の社会に|伝播《でんば》すること早く、科学のいわゆる|象牙《ぞうけ》の|塔《とう》に|蟄居《ちつきよ》して社会 と|没《ぼつ》交渉となるのである。  芸術家の態度が科学者に必要であるか否か。一般の科学者はなんら必要なきを |異口同音《いくどうおん》に叫ぶのであるが、筆者の考えは衆口とは異なるのである。芸術家は外観現 象に対して極めて感受性に富んだ人間である。また理窟を考えることをしない。こ の中には科学者の大いに学ぶ点もあるのではないであろうか。  画家が|捉《とらえ》る風景は|門外漢《もんがいかん》の全く気の付かぬところにあり、逆に絵によって風景が 教えられるともいえるであろう。また異様の風物に接しても、なんらその理窟をの べるのではなくして、体得の嬉しさをまず語ろうとする。即ち芸術家は自然外観に 対して極めて感じ鋭き存在であり、その見聞を形を変えずに承認する。  科学者は一般に感じの悪いのを常とする。おそらく感じが悪いのではなく、充分 事実の正しさが|切迫《せつばく》して来なければ行動に移さぬのであるかも知れない。科学者の 中にも感じのよき者は|荊棘《けいきよく》の間にこぼれたる種までも拾うのであるが、一般は気が つかずに過ぎ行くのである。芸術家の理窟を考えない点もまた面白いのである。科 学者とてもまず事実の発掘を喜び、|然《しか》る|後《のち》、|徐《おもむろ》に系統づける態度でよいものである のに、初めから系統づくべき理窟が先に立って、結局取り上げる期を逸してしまう のである。筆者はかつて次の句をものしたことがある。 <!-- ここから引用 -->   我らを|囲緯《いじよう》する自然は   美しき調和の対象である   科学者は自然の中にその調和を見出し   人々にこれを知らしむべき天職を有する   かるが故に科学者は自然に対して   あたかも芸術家のそれに比すべき   一種の感受性を必要とする   自然の調和の美を求める心   それは我らをして研究という行動を採らしめ   かくて自然はその|風貌《ふうぼう》をますます美しく   目前に|髪髭《ほうふつ》せしめるのである <!-- ここまで引用 -->  誠に科学者も芸術家も互に分野は異なるけれども、その心底の行動は互に相照す ところがあるのである。芸術家には天動説であろうが、地動説であろうが、関する ところは少ないであろうが、太陽系の調和ある運動を知るに及んでは、またその設 立に多くの人が力を|娼《つく》して働いたことを思えば、自ら|尊敬《そんけい》の|念《ねん》が|湧《わ》くと思われる。 我々は美しきラファエロの|壁画《へきが》の前に立って、いかにも美の|極致《きよくち》であることを考え ずにはいられないのである。限られた|外郭《がいかく》の中に、|躍然《やくぜん》たる人々、相互間の関係、色 彩の調和、誠に美の最高峰に遊ぶ思いをなさしめる。  研究を発達せしめるには質の同じきものをあくまで追求して、いわば幅を拡げる 研究方法もあるが、まるで質の変った|飛躍《ひやく》的前進を試みるものもある。前者は出来 上った器械をどこまでも用いて、種々の物質について実験を行なう態度である。た とえば、磁力計を作り上げると、鉄は|素《もと》よりニッケル、コバルトあるいはそれらの 合金について、温度、器械的取扱等を変じて磁力の変化を測定する。これは素より 磁力性に関して幅を拡げようとする行為であるに相違ない。また後者は一つの性質 が判れば、次にまた他の性質の研究の実験に移るというやり方をなす、磁性ある物 質についていえば、もはや磁性を単なる対象とせず、物質の比重変化を測定すると か、弾性を調べるとかその他異なった方面から追究する。かようの例はもちろん飛 躍的と称するには当らぬかも知れぬが、一つ器械で実験を繰返す者よりは、前進態 度が見られるというために挙げたまでである。  筆者は以上二例の研究方法の優劣をここに挙げようとするのではない。ただ二つ の異なった方法を挙げると同時に、日本の人々によって多くは前者を採用しておる ものが多く、しかもそれが唯一の研究方向である等と考える人がいるならば、少し く目を前方に向けて欲しいと思う|老婆心《ろうばしん》を卒直に申し述べるのみである。  確かに、いわゆる飛躍的研究を行なうものは、芸術的|情緒《じようちよ》を愛する人によってな されることを指摘し、自然研究の中に芸術的情緒を持てる人々が入り込むことが研 究を豊かにすることを考えるのである。筆者は芸術家がただちに自然研究に没入出 来るとは決して述べない。ただ今日、日本の科学者が今少しく芸術を真に理解する 人々が多ければ、今日|等閑《とうかん》に附せられている研究方面の開拓が、よりよく行なわれ 得るであろうと思っているのである。要は今日飛躍的研究が欠けているということ である。この飛躍的研究は初めは従来の系統|将外《らちがい》にあるために、|旧套《きゆうとう》を持する一般 科学者から|白眼《はくがん》を以て見られ、ややもすれば存在性が危ぶまれそうになるのである。 また一面にかかる態度を許すならば当然科学の旧系統が破壊されるものであるから 不安を感ずるからでもあろう。  しかし、科学史を|播読《はんどく》して、古来際立って著名な科学者の行為はいずれもこの道 程を経て来たものが多く、その誕生に当って|誹諺《ひぼう》されぬものはほとんどないのであ る、他人に誹誘されることを恐れてはいけない。誹誇されるものほど、価値多いと 思うべきである。|衆愚《しゆうぐ》の前には宝石も豆粒にしか価しない。確かに常に同じ方法を 用いて自然現象の測定に従事することは全く|無駄《むだ》であるとは言わないが、大学を出 て研究の第一線に立つ最高指揮者の行動であるかと問われる場合には、|然《しか》りと答え ることに大なる|逡巡《しゆんじゆん》を感ずるものである。  要するに最高の研究者は常に思想を養って、飛躍的研究に進展することを心掛け、 自然現象に対してますます理解を深め、自然の|風貌《ふうぼう》をますます|麗《うるわ》しく取り上げ得る 手腕を|発揮《はつき》しなければならぬと考えられる。 <!-- 十一一 --> <!-- タイトル --> 研究と教育 <!-- --> 自然を研究する人を作ることと、 多くの人々に科学教育を|施《ほどこ》して文化人を世の中 に送り出すこととは全く種類の異なったものである。たとえば競技の選手を作って、 人間力量の最高峰を実現することと、体育をさかんにして健康な人々を作ることと の別があると同様である。学校は小学校、中学校、高等学校、大学と分れて順次の 過程を踏みながら、社会人として恥かしからぬ人間が養成されるが、研究者は果し ていかにして作られるか。教育すれば研究者が出来ると一般には思うかも知れぬが、 教育したからといって|優《すぐ》れた研究者が必ず出るものではない。さりとて教育をしな ければ研究者は絶対に出ないのである。|然《しか》らばここに両者の本質とその関係とが問 題となってくるのである。  学校の教育はたんにその定められた|経路《コース》を踏んで行くことであり、正規の試験を 通過すれば、それで資格が与えられ、卒業という順序になる。頭の悪いものでない かぎり、普通の勉強をすれば自然に大学は出られるはずである。もちろんある|組《クラス》に は頭のよいもののみが集り、ある|組《クラス》には頭のあまりよくないものが集る|懸念《けねん》はなき にしも|非《あら》ずである。また時代的に見て頭のよき人々の|輩出《はいしゆつ》することもあれば、さし て感心出来ない人々の輩出することもあろう。いずれにもせよ、組中で落第する人 数は少ないのであるから、|凡庸人《ぼんようじん》も卒業出来ることになる。  教育というものはある一定以上の学力、文化的教養を積めばよいのであって、お そらく|傑出《けつしゆつ》することは要求されていないように見える。体育の問題においても、あ る種の課程をパスすればよいのであって、なにもラジオ体操が人並優れてよく出来 ても、体育という趣意からすれば必要のないことである。学校に於ても学業を教授 するのはいかなる目的をもっているかを考えて見るに、大学は大学令第一条に示すご とく決して職業に携ることとそれに必要な学課を学生に教授しているところではな いが、卒業生の大部分は教わった学問を基とした職業に携って生計をたてているの である。結果はともあれ、大学の教育はむしろ学生に一般的知識を授けて文化的教 養を|漉養《かんよう》せしめると解して|差支《さしつか》えないであろう。  |然《しか》るに研究者の養成はこれと立場を少しく異にするのであって、正当の学課を修 めた上に研究能力の養成、即ち無形の争闘を必要とする。即ちもっとも優秀なる人 士を作って技を競わしめ、優勝劣敗が目の当り見えるのである。一刻の|猶予《ゆうよ》なく自 然研究は進展しているのであって、うっかりしている中に敗残者となってしまうの である。長岡博士は随筆中に、 <!-- ここから印象 -->   世の中にみじめな者は沢山あるが、|憫《あわ》れなものは学問の|落伍者《らくごしや》である。口を開いて議   論を|吐《は》けば|陳腐《ちんぷ》の|誹《そしり》を受け、引き込んでいれば死人同様、せっかく学んだ学問も筋道   を無にして進んでいくことに気づかず、一旦横道に|這入《はい》って|迷児《まいご》となり、これは間違っ   たと気がつく頃には時代の尖端を走る学者の跡を追うても追いつかず、|落担《らくたん》のあまり|辻《つじ》   棲の合わぬ屍理窟を考え、そして再び嘲笑を買うような憂目を見ねばならぬ。現時の   物理学の進歩では|往々《おうおう》この|醜態《しゆうたい》を|暴露《ばくろ》しているが、スポーツに於ける落伍者と|幾何《いくばく》の   差があろうか。 <!-- ここまで引用 -->  確かに研究者はスポーツ選手と同様である。一寸も休むことは出来ない。すぐ後 から追いついて来る人があるからである。また落伍をしてしまえば、またふたたび 先頭に立つことは難かしいのである。スポーツはある期間を限って行なわれるに引 替え、自然研究は春夏秋冬絶えず行なわれており、研究者の数も次第に増加してく るのであるから、一刻の|猶予《ゆうよ》も出来ない。ただし研究者の中には他人の|追従《ついじゆう》をしな い、極めて縁遠い研究に身を|委《ゆだ》ねて|得意然《とくいぜん》たる人も絶無でないが、これは常道から はずれた無風地帯であって、決して学が深遠であるのでもまた高潔であるのでもな んでもない。ただ競争者がないというだけである。研究室は正に競争場裡である。 世界の各人が|腕《うで》に|繕《より》をかけて一番|駈《か》けをしようと思って働いているのである。勝敗 は|立所《たちどころ》でなくとも、幾年かの後には自然に|明瞭《めいりよう》となるのである。自然研究者の養成 は学校教育のみでは出来ないのである。学校教育はその根本をなす場合もあろうが、 研究者の仕事は人間知力の金字塔建設のために働いているのである。功利主義の下 において自然を研究するのではない。自然そのものの構成が明らかとなり、それの 体系を人々に知らしめれば目的は達するのである。美しき調和ある自然、その構成 に対し我々の智識が増すべく努力すれば、それでよろしい。科学を|措《お》いて自然構成 を明らかにするものはないからである。 <!-- ここから引用 -->   太陽は大空に運行し   大河は永久に海に注ぎ入る 厚き地層の音もなく海底に育てば 大地は震いつつ|隆起《りゆうき》す 人々よ何を|想《おも》うて低迷するか 自然永遠の像は 科学者の|倦《う》まざる力もて 目前に展開しつつあるに非ずや <!-- ここまで引用 -->  哲人の教うるものは、自然の構成ではないであろう。これは科学にまって初めて 進展されるものであり、科学は正に自然像と呼ばれて|差支《さしつか》えないものである。  大学を卒業して自然研究に携るものは相当の人数である。しかしながら、|卓越《たくえつ》せ る科学人になるものは極めて少数である。学校において学課の習得に極めて優秀な る成績であったものも、自然研究には適当しないものもあるに引替え、学課成績に ては|頭角《とうかく》を現わさぬものが、三十五、六歳にて初めて優秀性を|発揮《はつき》するものもある。 研究者には特別の勉強があって向上するということはない。研究者がいかに勉強し ても研究の精神は書籍の中には書いてはない。本を読むことによって知識は確かに 増加するであろうが、自然研究の|要諦《ようてい》は結局正しき思想の下に自然現象を自ら探し 出すほかはないからである。もちろん研究者としての生涯の始まるのは大学を出て 研究室に入る時であるが、この時、よき指導者、よき|伴侶《はんりよ》がなければ正しき方向に 進むことは困難である。この時機においてなんら方向づけられずに終ってしまうな らば生涯|無為《むい》の研究者となり終るであろう。  この意味において大学卒業後の三年間の研究生活は確かに人生の危機といわざる を得ない。麻中の|蓬《よもぎ》は助けずして直し、三ヵ年に研究精神を|体得《たいとく》しなければ、地上 を|這《は》いまわる蓬となってしまうのである。  また三十五、六歳になると各人の思想の表現が行なわれる。もしその思想が豊で なければその後の発展は難かしい。思想なければいかに技術を持っていても、一生 技巧を主とした職工然たる研究者が出来上るのである。もちろん優秀な技術は何人 も修得し置くべきものではあるが、これに加えて、その技術に活を入れる思想を必 要とするのである。思想は船の舵のごときものであり、また自然から研究題目を選 択する場合、いずれを|執《と》るか命令するものである。思想は先天的に定まったもので あるかも知れない。しかし、|涵養《かんよう》によってその光を増すと同時に、ある時に|大悟徹 底翻然《だいごてつていほんぜん》として階段的の|進捗《しんちよく》を見せるものである。階段的の|悟《さと》りはその日に出来たの ではない。|平素《へいそ》永年の苦心が一日に報われたのである。この学究の精神を体得して いわば研究者の資格が備わったとも考えられる。  研究の成果の中には偶然的要素もあるであろう。しかし、優れたる技術と科学的 思想の|把握者《はあくしや》こそ、古今東西において|恥《はず》かしからぬ学者の完成であると、豪語して も差支えないものである。  この科学者の思想という問題は、とかく注意されること少なく、人間が生い立つ 中に自然|備《そなわ》るべきもののごとく考える人が多いようであるが、これは先天的仮定に 信を置くものの考え方であって、思想の修養的過程を|忘却《ぼうきやく》した|趣旨《しゆし》に等しい。悪心 を防げば善心に立ち戻る、善心も|磨《みが》かざれば悪心と同等である。心の働きを正しく 持することによって、我々の行動は正しく、進展もし、飛躍もする。自然研究の根 本は心の問題であり、思想の|研磨《けんま》である。  筆者はかつて一友人とともに京都|大徳寺《だいとくじ》に太田老師を訪問したことがある。|折悪《おりあ》 しく老師は不在であったのは|遺憾《いかん》であったが、|襖《ふすま》に、 <!-- ここから引用 -->   仏法は水中の月 <!-- ここまで引用 --> なる句を見出した。なるほどと二人は顔を見合せたのであったが、その後東京に帰っ て来た。それからしばらくしてその同じ友人とあった時に、彼は次のことを筆者に 語るのであった。 <!-- ここから引用 -->   科学というものは人間の人格レンズを通じて、壁上に映じた写像である。   人格が曲っていては正しい写像は得られない。 <!-- ここまで引用 -->  彼は大徳寺で|悟道《ごどう》を得たのである。科学は正に自然の映像である。個々の人間が 作り上げたものである。もし私欲があったり、小利に目をつけると自然は曲ったも のとして映像が作られる。この点は道徳者のそれのごとく、心の持ち方に於てはな んら変りはない。自然から事実を|摘出《てきしゆつ》して科学像を作り上げる場合に正しき思想の 下に、自己を|滅《めつ》した行為で働かなければならぬのである。 <!-- 十三 --> <!-- タイトル --> 研究と読書 <!-- -->  研究者は他人の業績を知るために専門の学術雑誌類を読むことは必要である。ま た専門学の単行本が屡々刊行されるのであるから、それも読むことは必要であ る。これらは研究初心者にはとくに必要なものであろうが、その読み方を見るとど うも|履《は》き|違《ちが》えて、本の中に真理が|伏蔵《ふくぞう》されておるかのような態度で、目を皿のごと くにして読む人を見受けるが、それは考え物である。  いかなる本、たとえば教科書のごときものでも、自然研究の目的に対しては、書籍 は結局案内書のごとき役目しか持っていない。研究の行き道を示してあるまでであっ て、その手引きによって目的地に到達するには便利であるが、実相はその上におい て充分活眼を開いて見ることが必要である。いかに良き本であっても、書いたもの は他人であって見る者は自己である。実物に即しての見方は違うのが当然である。  今、|中禅寺湖《ちゆうぜんじこ》の|華厳《けごん》の|滝《たき》を見物に行こうとするに、それには案内記のあることは 便利である。人に聞き聞き行くよりも、案内記を読めば間違う事なく、|滝壼《たきつぼ》までも 行けるのである。しかし、実際滝の前面に立って、水煙の立ち昇る景色、水が互に |衝撃《しようげき》して百雷のごとき|響《ひびき》を立てる状景は、その場所に行った人でなければとうてい 想像することも|覚束《おぼつか》ないのである。 自然の研究も正にそのとおりである。教科書を非常によく読んだといっても、実 状を体得することにはならない。おそらく本を詣しく読んで教壇上から学生に話を 伝えることは出来るであろうが、実際その有様を体験上から話せることは出来ない。 確かに研究者の話は狭いかも知れぬが、実際に即したものであり、読んだものを伝 えるのとは違うのである。自然研究には多くの書籍を必要としない。各自の手で器 械を作って、それで自然現象を研究し、その中から事実を取り上げればよいのであ る。むしろ研究本旨からすれば本の必要はないのである。  古来日本の学問においては書を読むことに絶大の価値を置いたように見える。読 書酢っ嵐意自ら通ずとか、瞬岩縦翫に機すとか称して、書の中に真理のあるごとくに 教えてきたものである。書を大切にするという考えは、全く|儒教《じゆきよう》の影響、とくに朱 子学派の主張のごとくである。朱子は南宋の学者、四書五経に註するを以て|終生《しゆうせい》の 事業となし、これを|研鐙《けんさん》することによって、聖人の域に達すると考えた。この考え が日本にも|弥漫《びまん》したのであろう。書を読むことが有徳者たるの資格を有するものと 信じ、かつそれを|鼓吹《こすい》したものである。  徳川幕府が朱子学を以て国学と定めたことの一面には四書五経中に示されたこと を|遵奉《じゆんぼう》して、決して異説を立てない方便にも採用したのであろうが、結果学者の盲 目的読書癖をつけるところとなったのである。その結果としてたとえば漢学の試験 のごときも、漢文がいかによく読め、いかによく書けるかというを試みるに非ずし て、|伏字《ふせじ》試験として一字、二字、三字という風にある古き有名な文章中の文字を隠 し、しかも読め得るものをして、及第を決したという。これは正に暗記試験に比適 するのであって、漢学に|暁通《ぎようつう》しているか|否《いな》かを試すのではなく、漢書を暗記してい るか否かを試すものであったのである。  今日かかる試験のあったことを言えば何人も|唖然《あぜん》たるものであるが、自然研究者 にとっては全く不必要な読書方法である。これに反して南宋の学者、|陸象山《りくしようざん》の言句 には極めて適切なるものがある。 <!-- ここから引用 -->   学|筍《いやし》くも本を知れば、六経は皆註脚なり。 <!-- ここまで引用 -->  と|観破《かんば》した意気は、我々をして|粛然《しゆくぜん》たらしむるものがある。象山は朱子と時を同 じゅうして生存した学者であるが、その態度に於ては対蹄的立場にあり、その教え の後継者としては|王陽明《おうようめい》が出で、日本にも陸王学を奉ずる人士中には|卓越《たくえつ》せる人士 の輩出を見、国家を危難から救った例は国史を|繕《ひもと》けば直ちに判ることである。しか もこの思想は革新的思想であるという|廉《かど》で、徳川幕府は国学として採用しなかった ところであるが、維新の大業に|加担《かたん》した人士はすべて陸王学により修養した人のみ であると称して差支えないのである。日本に於て|陽明学《ようめいがく》を初めて|鼓吹《こすい》したものは|中 江藤樹《なかえとうじゆ》であって、その言葉にも、 <!-- ここから引用 -->   天地の間に己れ一人生きてあると思うべし。天を師とし、神明を友とすれば、外人に   頼る心なし。 <!-- ここまで引用 -->  といって、自らの行動に依存的思想を|排除《はいじよ》しているのである。この意気こそ自然 研究者にもっとも大切なことである。いたずらに読書に|没頭《ぼつとう》しても|無駄《むだ》な場合が多 い。自然現象の中、我々が今日知っておることは極めて小量である。その小量を問 題とするよりも、隠れたる大量の解明に|力《つと》むべきである。筆者は過去の成果を整理 して学を講ずるものに対してあえて反対はしない。しかし、自然研究者の態度は自 ら異なったものでなくてはならない。ニュートンの言に、 <!-- ここから引用 -->   余の労作に関して社会は何と見るか知るに由ないが、余自身より見る時は、自分は|海《かい》   |辺《ひん》に遊んでいる子供のごときに過ぎないのであった。ある時には他の石よりも輝いた   小石を見出し、ある時には他の|貝殻《かいがら》よりも美しく色づけられた貝殻を見出したりした   といえども、しかし|涯《はて》の知られない真理の大海はまだ極め尽されないで余の前に拡く   横たわっている。 <!-- ここまで引用 -->  とある。自然研究者は真理の大海に船出しつつあるのである。これにはこの|羅針盤《らしんばん》 と舟の舵とがしっかりしていればよいのであって、なんら書籍は必要ないのである。 書籍は一方に先人の業績を知るに役立つものと、研究に乗り出す案内書および辞書 があればよいのである。  自然研究の|要旨《ようし》は自力的分子の充分含まれているものであって、自分の力で困難 を|克服《こくふく》し進行を継続するところに意義があり、全く依存的思想を|排除《はいじよ》するのである。 この思想から出発するものであるから、ある場合にはその|弊《へい》として自己の考えが最 良なるものとなし、|排他的行為《はいたてきこうい》となる。これは大いに|慎《つつし》むべきものであって、常に 他人の事績に対して注意を|怠《おこた》らぬことは必要であり、これと同時に一層研究史を読 むことが|奨励《しようれい》されるべきであり、科学史の研究が今一層|盛《さかん》になることが望ましい。  しかしながら、今日科学史を研究する人の中には、いわゆる第一線の研究に立っ てもっとも活躍する人士の氏名を|逸《いつ》する傾向があるために、科学史研究団体なるも のが、不活澄の|誹《そしり》を受けぬとも限らないのである。また科学史それ自体がいわば|骨董《こつとう》的存在のごとくに白眼視されるのも事実である。科学者として立つならば自然を 研究すべきであるのに、科学史に|浮身《うきみ》を|扮《やつ》すのは感心出来ないという人がある。ま たこれは第一流学者のなすべき仕事ではないと附言する人もある。  ともあれ、科学史の必要は充分認められ、またこれを読むことによって、|適進《まいしん》自 然研究に携るべき原動力を附与されることは事実である。なかんずく科学者の伝記、 研究の生涯など全く感銘を受けずにはいられないのである。この意味に於ては読書の 価値を充分認める者である。  以上のごとく自然研究者の心を磨き、技術を向上せしめるものは、自然研究にあ るのであって、読書により直接進展が行なわれるということはない。もしありとす れば、これは初学者で未だ技術の習うべき点があるからであろう。研究者はむしろ、 多少方面の異なった本により|稗益《ひえき》されることが多いのである。他学科においては異 なった手法、異なった器械のすでに開発されたものがある。これらを知って自身の 研究方法に資することも出来る。しかしながら、|斬新《ざんしん》のものは、すべて学術雑誌に より報告されておるのであるから、それを読めばよいのである。また英国のある物 理学者は一切学術雑誌も読まなかったそうである。それは雑誌を読む暇に働く方が 先へ進めるという理由であった。|尖端《せんたん》に達すればかようなやり方も|是認《ぜにん》されるので ある。一般読書の要は先入主を作らざることと、案内書程度と思っていることが研 究者には適当のことである。 <!-- 十四 --> <!-- タイトル --> 研究と器械 <!-- -->  自然研究者は自然現象の中に事実を認める行動から出発する。人間の感覚には限 度があり、また数量的に指示することが出来ない関係上、器械の助けを借りなけれ ばならぬ。即ち現今の研究者はほとんどすべての場合、器械を採用して観測、実験 に当るのである。ある学部門では器械を用うることの出来ない性質のものもあるか も知れぬが、器械を使用しないことのために進歩向上が止ってしまったと思えるも のさえある。器械は確かに現今科学の進歩に欠くべからざるものである。即ち、自 然研究は器械製作から始まると考えても過言ではないのである。  今日既製の器械もあるからそれを用いても研究出来ないということはないが、既 製器械は多く現象の研究済みであって、その器械によって新事実の|摘出《てさしゆつ》を多く望む ことは出来ない。新器械は研究者の手で作らなければならぬということにもなる。 もっとも根本的の器械はとうてい研究者の作ることの出来ないものである。かかる 器械に属するものはいわゆる工作機械、尺度類、望遠鏡、顕微鏡、|天秤《てんびん》、電流計類 である。これらを作ることははなはだしき労力を要するものであり、製作専門家が 製作しなければほとんど不可能である。この種の根本器械類は既製品を購入するほ かはないが、その他のものは多く自ら製作すべきである。即ち、かような根本器械は 少なくとも実験を主とする研究室にはぜひ備えて置くべき必要があるであろう。  器械の製作に始って器械の採用は我々の感覚を補助、あるいは新感覚に役立つも のであるから、一面から見れば窓のごときものであり、この窓を通じて我々は自由 に外界の景色を眺めることが出来るのである。筆者は器械を窓として考えたことが あったが、今日では今一歩進んで器械を眼であるとも考えるようになった。これら 器械は正に感覚の一部分とも考えられる仕事をするからである。  しかしながら、器械はあくまで器械で、その働きは正に人的要素が加わらなけれ ば完成されないのである。現今の器械は現象を写真に写し、器械的に記録して、そ の得られた記録を後になって充分の時間をかけて測定する|便宜《べんぎ》が得られると同時 に、当時の有様がそのままに固定されて記録されてあるので後の|証拠《しようこ》ともなるので ある。現象が記録されることは確かに便利である。  地震計を造っておけば、地震学者は安眠することが出来る。地震が夜中に起こっ ても、すべての震動は地震計が記録しておいてくれるのである。温度の記録、圧力 の記録等も器械が絶えず記録してくれるので、人々は後になって検出すればよいの である。  記録し得るものはすべて記録しておくのは全く器械のお蔭であり、これによって 自然研究がますます確かにかつ容易になるのである。  また人間の感覚によってはどうしても検出出来ないものをやりとげるのである。 人間は一ヵ所に位置を占めているほかはないが、器械を二台作って二ヵ所に置けば 二ヵ所の有様が同時に判る。これは記録器械のお蔭である。  |天秤《てんびん》の能力も、これによって始めて|質量《しつりょう》の比較が出来たという歴史をもっている のであって、フロジストン説を永久に|駆逐《くちく》してしまったのである。金箔検電器はラ ジウムを析出するに役立ったこと等は人間の能力以上の働きをしたのである。今日 ではかようの働きは自然研究に欠くべからざるものとなった次第で、これはあたか も眼無くして研究が出来ないということと同じである。  器械の働きが全く我々の感覚を|超越《ちようえつ》して、外界自体に現象のあるということをな したのも大なる功績である。このために初めて物理学の発足が生じたともいえる。 ガリレオは一五九七年に寒暖計を製作して温度の上昇に伴って、液体が管中を上昇 することを認めた。この現象は正に寒暑の差が人間の感覚に訴えて初めて判るもの と信じていた人々を驚かしたのである。即ち我々の感覚に頼ることなく、すでに外 界に温度の差を示すものが、出来上った次第である。これは我々の感覚を通じての み外界があると信じていたことの非なることを教えたのである。ここに物理学の第 一歩が創生されたと考えられるであろう。即ち外界の現象を認めるに我々は感覚を 仲立として認めているのであるから、感覚の|誤差《ごさ》によって、外界がいかにも変化し そうであるが、寒暖計の示すところは我々の皮膚感覚とほとんど平行な液体の昇降 を以て表わせるということである。この点は正に物理学の根本観念を確立したとも いえるのである。  器械の役目は現在ほとんどすべての現象を目の感覚に持ち来すところにあるよう である。本来目に訴えるものとして遠きものは望遠鏡を、小なるものは顕微鏡を採 用する。電流の大きさは電流計の針の振れ、時の長さは振子の振動回数、重さは秤 量器械の示針等いずれも目に訴えた長さの量にて帰着されるのである。目に訴える ことのみが自然現象の測定ではない。音の振動数の判定はよく訓練された耳ならば コンマまでも比較されるというし、指先による振動体の振幅は、〇・一ミクロンま でも達せられるという。あえて視覚に持ち来す必要はないのであるが、現在の物理 学においては視覚に転換せしめることがもっとも|高尚《こうしよう》なことのごとくに信じられて いる。  確かに視覚に持ち来すことは判定方法として安全であり、一船に誤差の少ないこと も事実である。ただし聴覚、嗅覚、味覚に訴えた物理学も出来てよいのである。こ れにも適当の器械を用いて到達することが出来るかも知れぬ。要するに器械の使命 は、外界の現象を単純になして、我々の感覚に訴えしめるものである。  したがって器械は単に我々の感覚延長であって、全く方便に過ぎぬものである。 即ち器械を製作することによって我々の感覚が|精鋭《せいえい》されたと同じ訳である。器械は あくまでかかる意味において製作されるのであって、器械を作る事は未だ研究でな い、その器械を使用して、自然現象の中に事実を認めることから、研究が始まるの である。望遠鏡を作ったり、顕微鏡を作ったりしても、これは科学者といえないの は当然のことである。  科学器械は以上のごとく今日においてはもはや我々の感覚の一部分となったと考 えても差支えないもので、器械を用いたから気分を害すの、器械を用いないから神 秘だとかいうことは科学の領域の中にはないのである。ゲーテは器械の採用を好ま なかったものと見えて、「顕微鏡と望遠鏡とは実は純粋な人間の感覚をかき乱すもの である」といったが、現在そんなことをいう人はないのである。器械はあくまでも 用うべしであり、器械を通じて我々は自然現象を見なくてはならぬとさえ言えるの である。したがって器械の性能の吟味が充分されてなければ、たとえ測定し得た量 であろうとも役には立たぬこととなる。研究者はまず実験器械の性能を調べてから 実験に取りかかることが必要である。

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