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太宰治「お伽草紙」

最終更新:

amizako

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だれでも歓迎! 編集
青空文庫の「新字旧仮名」をもとに、新仮名に改めました。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card307.html

その際、講談社文庫を参照しました。


お伽草紙
太宰治


【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)間《ま》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)約百万|山《やま》くらい

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定



「あ、鳴った。」
 と言って、父はペンを置いて立ち上る。警報くらいでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかえて防空壕にはいる。既に、母は二歳の男の子を背負って壕の奥にうずくまっている。
「近いようだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「そうかね。」と父は不満そうに、「しかし、これくらいで、ちょうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでしょう。」
「うむ、まあ、そうだが、いまは土が凍って固くなっているから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言って、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
 母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ましょう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
 この父は服装もまずしく、容貌も愚なるに似ているが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するというまことに奇異なる術を体得している男なのだ。
 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 などと、間《ま》の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのずから別個の物語が醞醸せられているのである。


瘤取り

 ムカシ ムカシノオ話ヨ
 ミギノ ホホニ ジャマッケナ
 コブヲ モッテル オジイサン
 このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでいたのである。(というような気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発しているものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思う浦島さんの話でも、まず日本書紀にその事実がちゃんと記載せられているし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などというものに依っても、それらしいものが伝えられているようだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かったかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやったり、また売り払ったりする癖があるので、蔵書というようなものは昔から持った事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよって、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむずかしいだろう。私は、いま、壕の中にしゃがんでいるのである。そうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられているだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだろう。いや、かえってそのほうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たような自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
  ムカシ ムカシノオ話ヨ
 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
 このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みというものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらわれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていずれの掌が鳴ったかを決定しようとするような、キザな穿鑿に終るだけの事であろう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在っては、つねに浮かぬ顔をしているのである。と言っても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であったそうである。若い時から無口であって、ただ、まじめに家事にいそしんでいる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしゃいでも、
「そうですか。」と興の無いような返辞をして、「ちょっと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言う。
 お爺さんは浮かぬ顔になる。
 また、このお爺さんには息子がひとりあって、もうすでに四十ちかくになっているが、これがまた世に珍しいくらいの品行方正、酒も飲まず煙草も吸わず、どころか、笑わず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑われるくらい、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言わざるを得ない種類のものであった。
 けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。そうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないような気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いっそう浮かぬ気持になるばかりであった。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだって、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやっている傍で、黙ってごはんを食べている。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔って来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言い出す。「いよいよ、春になったね。燕も来た。」
 言わなくたっていい事である。
 お婆さんも息子も、黙っている。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言わなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向いうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
 うちでお酒を飲むと、たいていそんな工合いである。
  アルヒ アサカラ ヨイテンキ
  ヤマヘ ユキマス シバカリニ
 このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾い集める事である。いい加減、たきぎ拾いに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉そうに咳ばらいを一つして、
「よい眺めじゃのう。」
 と言い、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しそうな顔をしている。うちにいる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらいのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなって、むずかゆく、そのうちに頬が少しずつふくらみ、撫でさすっていると、いよいよ大きくなって、お爺さんは淋しそうに笑い、
「こりゃ、いい孫が出来た。」と言ったが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言い、また、お婆さんも、
「いのちにかかわるものではないでしょうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かえって、近所の人が、同情して、どういうわけでそんな瘤が出来たのでしょうね、痛みませんか、さぞやジャマッケでしょうね、などとお見舞いの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑ってかぶりを振る。ジャマッケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のように思い、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗う時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗い清めているのである。きょうのように、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなわぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こわい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔うべしじゃ。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだってねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、そうして、えへん! と高く咳ばらいをするのである。
  ニワカニ クラク ナリマシタ
  カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
  アメモ ザアザア フリマシタ
 春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このような天候の異変も、しばしばあると思わなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱっぱっと飛び立って矢のように早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
 と言い、なおもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めていたが、雨はいよいよ強くなり、いっこうに止みそうにも見えないので、
「こりゃ、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなった。」と言って立ち上り、大きいくしゃみを一つして、それから拾い集めた柴を背負い、こそこそと林の中に這入って行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちょっと、ごめんよ。」
 とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚《うろ》になっているのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もいませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしゃいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまった。酒飲みというものは酔ってつまらぬ事も言うけれど、しかし、たいていは、このように罪の無いものである。
  ユウダチ ヤムノヲ マツウチニ
  ツカレガ デタカ オジイサン
  イツカ グッスリ ネムリマス
  オヤマハ ハレテ クモモナク
  アカルイ ツキヨニ ナリマシタ
 この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいうのか、水のような空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のように一ぱいこぼれ落ちている。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠っている。蝙蝠が、はたはたと木の虚《うろ》から飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になっているので驚き、
「これは、いけない。」
 と言い、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になった、あの人たちは未だ私を叱った事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰ったのでは、どうも気まずい事になりそうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチャピチャという音がする。
「あるわい。」と、にわかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔い、「や、月が出ている。春宵一刻、——」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚《うろ》から這い出ると、
  オヤ ナンデショウ サワグコエ
  ミレバ フシギダ ユメデショカ
 という事になるのである。
 見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思えぬ不可思議の光景が展開されているのである。鬼、というものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらいたくさんお目にかかって来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴していないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思っていると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などという文句が新聞の新刊書案内欄に出ていたりするので、まごついてしまう。まさか、その何某先生が鬼のような醜悪の才能を持っているという事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などという怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到っては、文学の鬼、などという、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしていて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだろうと思うと、また、そうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容しているらしいという噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑うばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、そうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持った鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考えられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのという難解な言葉は、あまり使用しないほうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案していた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であって、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちょっと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りというものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあろうが、生憎と私は壕の中にしゃがんで、そうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依って、論断せざるを得ないのである。
 見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言うのか、十数匹と言うのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作って坐り、月下の宴のさいちゅうである。
 お爺さん、はじめは、ぎょっとしたが、しかし、お酒飲みというものは、お酒を飲んでいない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔っている時には、かえって衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔いである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやというようなかなりの勇者になっているのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどという醜態を示す事は無かった。虚《うろ》から出た四つ這いの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よさそうに、酔っている。」とつぶやき、そうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みというものは、よそのものたちが酔っているのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであろう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるというような博愛心に似たものを持っているのかも知れない。自分も酔いたいが、隣人もまた、共に楽しく酔ってくれたら、そのよろこびは倍加するもののようである。お爺さんだって、知っている。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼というおそろしい種族のものであるという事は、直覚している。虎の皮のふんどし一つに依っても、それは間違いの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔っている。お爺さんも酔っている。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這いの形のままで、なおもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言っても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有している種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のようだ、とお爺さんは見てとった。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中していた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるっきり種族が違っているのである。だいいち、鉄棒などという物騒なものを持っていない。これすなわち、害心を有していない証拠と言ってよい。しかし、隠者とは言っても、かの竹林の賢者たちのように、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだというようなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙という字は山の人と書かれているから、何でもかまわぬ、山の奥に住んでいる人を仙人と称してよろしいという、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従うなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じているこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するほうが妥当のようなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言ったが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑い、または立ち上って矢鱈にはねまわり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがって行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいう言葉は、まるで無意味なものだということを証明できるように思われる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考えられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑い、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげましょうかい。」とつぶやく。
  オドリノ スキナ オジイサン
  スグニ トビダシ オドッタラ
  コブガ フラフラ ユレルノデ
  トテモ オカシイ オモシロイ
 お爺さんには、ほろ酔いの勇気がある。なおその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いているのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊って、
  むすめ島田で年寄りゃかつら[#「かつら」に傍点]じゃ
  赤い襷に迷うも無理やない
  嫁も笠きて行かぬか来い来い
 とかいう阿波の俗謡をいい声で歌う。鬼ども、喜んだのなんの、キャッキャッケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑いころげる。お爺さんは調子に乗って、
  大谷通れば石ばかり
  笹山通れば笹ばかり
 とさらに一段と声をはり上げて歌いつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
  オニドモ タイソウ ヨロコンデ
  ツキヨニャ カナラズ ヤッテキテ
  オドリ オドツテ ミセトクレ
  ソノ ヤクソクノ オシルシニ
  ダイジナ モノヲ アズカロウ
 と言い出し、鬼たち互いにひそひそ小声で相談し合い、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光って、なみなみならぬ宝物のように見えるではないか、あれをあずかって置いたら、きっとまたやって来るに違いない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでいるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでいたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取った。
 お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言えば、鬼たち、得意そうにわっと歓声を挙げる。
  アサデス ツユノ ヒカルミチ
  コブヲ トラレタ オジイサン
  ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
  オヤマヲ オリテ ユキマシタ
 瘤は孤独のお爺さんにとって、唯一の話相手だったのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなった頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短というようなところか、久しぶりで思うぞんぶん歌ったり踊ったりしただけが得《とく》、という事になるかな? など、のんきな事を考えながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばったり出逢う。
「おはようござります。」と聖人は、頬被りをとって荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついている。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失しているのを見てとって、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言うのは、聖人の道にそむくと思い、気附かぬ振りして黙って別れたのである。
 家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言い、昨夜はどうしましたとか何とかいう事はいっさい問わず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひっからまって何も言えない。うつむいて、わびしくごはんを食べている。
「瘤が、しなびたようですね。」お婆さんは、ぽつんと言った。
「うむ。」もう何も言いたくなかった。
「破れて、水が出たのでしょう。」とお婆さんは事も無げに言って、澄ましている。
「うむ。」
「また、水がたまって腫れるんでしょうね。」
「そうだろう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかったわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジャマッケな瘤を持ってるお爺さんがいたのである。そうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジャマッケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまおうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のようにあざやかにあらわれ、かえって天下の奇観を呈するようになったのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だって、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるそうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらいどっさりあるとかいう話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目《いちもく》置いて、「旦那」あるいは「先生」などという尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあったが、どうもその左の頬のジャマッケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに美人でもないが色白くぽっちゃりして、少し蓮葉なくらいいつも陽気に笑ってはしゃいでいる。十二、三の娘がひとりあって、これはなかなかの美少女であるが、性質はいくらか生意気の傾向がある。でも、この母と娘は気が合って、いつも何かと笑い騒ぎ、そのために、この家庭は、お旦那の苦虫を噛みつぶしたような表情にもかかはらず、まず明るい印象を人に与える。
「お母さん。お父さんの瘤は、どうしてそんなに赤いのかしら。蛸の頭みたいね。」と生意気な娘は、無遠慮に率直な感想を述べる。母は叱りもせず、ほほほと笑い、
「そうね、でも、木魚《もくぎょ》を頬ぺたに吊しているようにも見えるわね。」
「うるさい!」と旦那は怒り、ぎょろりと妻子を睨んですっくと立ち上り、奥の薄暗い部屋に退却して、そっと鏡を覗き、がっかりして、
「これは、駄目だ。」と呟く。
 いっそもう、小刀で切って落そうか、死んだっていい、とまで思いつめた時に、近所のあの酒飲みのお爺さんの瘤が、このごろふっと無くなったという噂を小耳にはさむ。暮夜ひそかに、お旦那は、酒飲み爺さんの草屋を訪れ、そうしてあの、月下の不思議な宴の話を明かしてもらった。
  キイテ タイソウ ヨロコンデ
  「ヨシヨシ ワタシモ コノコブヲ
  ゼヒトモ トッテ モライマショウ」
 と勇み立つ。さいわいその夜も月が出ていた。お旦那は、出陣の武士の如く、眼光炯々、口をへの字型にぎゅっと引き結び、いかにしても今宵は、天晴れの舞いを一さし舞い、その鬼どもを感服せしめ、もし万一、感服せずば、この鉄扇にて皆殺しにしてやろう、たかが酒くらいの愚かな鬼ども、何程の事があろうや、と鬼に踊りを見せに行くのだか、鬼退治に行くのだか、何が何やら、ひどい意気込みで鉄扇右手に、肩いからして剣山の奥深く踏み入る。このように、所謂「傑作意識」にこりかたまった人の行う芸事は、とかくまずく出来上るものである。このお爺さんの踊りも、あまりにどうも意気込みがひどすぎて、遂に完全の失敗に終った。お爺さんは、鬼どもの酒宴の円陣のまんなかに恭々粛々と歩を運び、
「ふつつかながら。」と会釈し、鉄扇はらりと開き、屹っと月を見上げて、大樹の如く凝然と動かず。しばらく経って、とんと軽く足踏みして、おもむろに呻き出すは、
「是は阿波の鳴門に一夏《いちげ》を送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給いたる所なれば痛わしく存じ、毎夜此磯辺に出でて御経を読み奉り候。磯山に、暫し岩根のまつ程に、暫し岩根のまつ程に、誰が夜舟とは白波に、楫音ばかり鳴門の、浦静かなる今宵かな、浦静かなる今宵かな。きのう過ぎ、きょうと暮れ、明日またかくこそ有るべけれ。」そろりとわずかに動いて、またも屹っと月を見上げて端凝たり。
  オニドモ ヘイコウ
  ジュンジュンニ タッテ ニゲマス
  ヤマオクヘ
「待って下さい!」とお旦那は悲痛の声を挙げて鬼の後を追い、「いま逃げられては、たまりません。」
「逃げろ、逃げろ。鍾馗かも知れねえ。」
「いいえ、鍾馗ではございません。」とお旦那も、ここは必死で追いすがり、「お願いがございます。この瘤を、どうか、どうかとって下さいまし。」
「何、瘤?」鬼はうろたえているので聞き違い、「なんだ、そうか、あれは、こないだの爺さんからあずかっている大事の品だが、しかし、お前さんがそんなに欲しいならやってもいい。とにかく、あの踊りは勘弁してくれ。せっかくの酔いが醒める。たのむ。放してくれ。これからまた、別なところへ行って飲み直さなくちゃいけねえ。たのむ。たのむから放せ。おい、誰か、この変な人に、こないだの瘤をかえしてやってくれ。欲しいんだそうだ。」
  オニハ コナイダ アズカッタ
  コブヲ ツケマス ミギノホホ
  オヤオヤ  トウトウ コブ フタツ
  ブランブラント オモタイナ
  ハズカシソウニ オジイサン
  ムラヘ カヘッテ ユキマシタ
 実に、気の毒な結果になったものだ。お伽噺に於いては、たいてい、悪い事をした人が悪い報いを受けるという結末になるものだが、しかし、このお爺さんは別に悪事を働いたというわけではない。緊張のあまり、踊りがへんてこな形になったというだけの事ではないか。それかと言って、このお爺さんの家庭にも、これという悪人はいなかった。また、あのお酒飲みのお爺さんも、また、その家族も、または、剣山に住む鬼どもだって、少しも悪い事はしていない。つまり、この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かったのに、それでも不幸な人が出てしまったのである。それゆえ、この瘤取り物語から、日常倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になって来るのである。それでは一体、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだ、と短気な読者が、もし私に詰寄って質問したなら、私はそれに対してこうでも答えて置くより他はなかろう。
 性格の悲喜劇というものです。人間生活の底には、いつも、この問題が流れています。

浦島さん

 浦島太郎という人は、丹後の水江《みづのえ》とかいうところに実在していたようである。丹後といえば、いまの京都府の北部である。あの北海岸の某寒村に、いまもなお、太郎をまつった神社があるとかいう話を聞いた事がある。私はその辺に行ってみた事が無いけれども、人の話に依ると、何だかひどく荒涼たる海浜らしい。そこにわが浦島太郎が住んでいた。もちろん、ひとり暮しをしていたわけではない。父も母もある。弟も妹もある。また、おおぜいの召使いもいる。つまり、この海岸で有名な、旧家の長男であったわけである。旧家の長男というものには、昔も今も一貫した或る特徴があるようだ。趣味性、すなわち、之である。善く言えば、風流。悪く言えば、道楽。しかし、道楽とは言っても、女狂いや酒びたりの所謂、放蕩とは大いに趣きを異にしている。下品にがぶがぶ大酒を飲んで素性の悪い女にひっかかり、親兄弟の顔に泥を塗るというような荒《すさ》んだ放蕩者は、次男、三男に多く見掛けられるようである。長男にはそんな野蛮性が無い。先祖伝来の所謂恒産があるものだから、おのずから恒心も生じて、なかなか礼儀正しいものである。つまり、長男の道楽は、次男三男の酒乱の如くムキなものではなく、ほんの片手間の遊びである。そうして、その遊びに依って、旧家の長男にふさわしいゆかしさを人に認めてもらい、みずからもその生活の品位にうっとりする事が出来たら、それでもうすべて満足なのである。
「兄さんには冒険心が無いから、駄目ね。」とことし十六のお転婆の妹が言う。「ケチだわ。」
「いや、そうじゃない。」と十八の乱暴者の弟が反対して、「男振りがよすぎるんだよ。」
 この弟は、色が黒くて、ぶおとこである。
 浦島太郎は、弟妹たちのそんな無遠慮な批評を聞いても、別に怒りもせず、ただ苦笑して、
「好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。人には、宿命というものがあるんだよ。」と何の事やら、わけのわからんような事を悟り澄ましたみたいな口調で言い、両腕をうしろに組み、ひとり家を出て、あちらこちら海岸を逍遙し、
  苅薦《かりごも》の
  乱れ出づ
  見ゆ
  海人《あま》の釣船
 などと、れいの風流めいた詩句の断片を口ずさみ、
「人は、なぜお互い批評し合わなければ、生きて行けないのだろう。」という素朴の疑問に就いて鷹揚に首を振って考え、「砂浜の萩の花も、這い寄る小蟹も、入江に休む鴈も、何もこの私を批評しない。人間も、須くかくあるべきだ。人おのおの、生きる流儀を持っている。その流儀を、お互い尊敬し合って行く事が出来ぬものか。誰にも迷惑をかけないように努めて上品な暮しをしているのに、それでも人は、何のかのと言う。うるさいものだ。」と幽かな溜息をつく。
「もし、もし、浦島さん。」とその時、足許で小さい声。
 これが、れいの問題の亀である。別段、物識り振るわけではないが、亀にもいろいろの種類がある。淡水に住むものと、鹹水に住むものとは、おのずからその形状も異っているようだ。弁天様の池畔などで、ぐったり寝そべって甲羅を干しているのは、あれは、いしがめとでもいうのであろうか、絵本には時々、浦島さんが、あの石亀の背に乗って小手をかざし、はるか竜宮を眺めている絵があるようだが、あんな亀は、海へ這入ったとたんに鹹水にむせて頓死するだろう。しかし、お祝言の時などの島台の、れいの蓬莱山、尉姥の身辺に鶴と一緒に侍って、鶴は千年、亀は万年とか言われて目出度がられているのは、どうやらこの石亀のようで、すっぽん、たいまいなどのいる島台はあまり見かけられない。それゆえ、絵本の画伯もつい、(蓬莱も竜宮も、同じ様な場所なんだから)浦島さんの案内役も、この石亀に違いないと思い込むのも無理のない事である。しかしどうも、あの爪の生えたぶざいくな手で水を掻き、海底深くもぐって行くのは、不自然のように思われる。ここはどうしても、たいまいの手のような広い鰭状の手で悠々と水を掻きわけてもらはなくてはならぬところだ。しかしまた、いや決して物識り振るわけではないが、ここにもう一つ困った問題がある。たいまいの産地は、本邦では、小笠原、琉球、台湾などの南の諸地方だという話を聞いている。丹後の北海岸、すなわち日本海のあの辺の浜には、たいまいは、遺憾ながら這い上って来そうも無い。それでは、いっそ浦島さんを小笠原か、琉球のひとにしようかとも思ったが、しかし、浦島さんは昔から丹後の水江の人ときまっているらしく、その上、丹後の北海岸には浦島神社が現存しているようだから、いかにお伽噺は絵空事《えそらごと》ときまっているとは言え、日本の歴史を尊重するという理由からでも、そんなあまりの軽々しい出鱈目は許されない。どうしても、これは、小笠原か琉球のたいまいに、日本海までおいでになってもらはなければならぬ。しかしまた、それは困る、と生物学者のほうから抗議が出て、とかく文学者というものには科学精神が欠如している、などと軽蔑せられるのも不本意である。そこで、私は考えた。たいまいの他に、掌の鰭状を為している鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいうものが無かったか。十年ほど前、(私も、としをとったものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送った事があったけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがったといって、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、という名前だったと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがったのならば、まあ、ぐるりと日本海のほうにまわって、丹後の浜においでになってもらっても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだろうと思われる。それでも潮流がどうのこうのとか言って騒ぐのだったら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言って澄ます事にしよう。科学精神とかいうものも、あんまり、あてになるものじゃないんだ。定理、公理も仮説じゃないか。威張っちゃいけねえ。ところで、その赤海亀は、(赤海亀という名は、ながったらしくて舌にもつれるから、以下、単に亀と呼称する)頸を伸ばして浦島さんを見上げ、
「もし、もし。」と呼び、「無理もねえよ。わかるさ。」と言った。浦島は驚き、
「なんだ、お前。こないだ助けてやった亀ではないか。まだ、こんなところに、うろついていたのか。」
 これがつまり、子供のなぶる亀を見て、浦島さんは可哀想にと言って買いとり海へ放してやったという、あの亀なのである。
「うろついていたのか、とは情無い。恨むぜ、若旦那。私は、こう見えても、あなたに御恩がえしをしたくて、あれから毎日毎晩、この浜へ来て若旦那のおいでを待っていたのだ。」
「それは、浅慮というものだ。或いは、無謀とも言えるかも知れない。また子供たちに見つかったら、どうする。こんどは、生きては帰られまい。」
「気取っていやがる。また捕まえられたら、また若旦那に買ってもらうつもりさ。浅慮で悪うござんしたね。私は、どうしたって若旦那に、もう一度お目にかかりたかったんだから仕様がねえ。この仕様がねえ、というところが惚れた弱味よ。心意気を買ってくんな。」
 浦島は苦笑して、
「身勝手な奴だ。」と呟く。亀は聞きとがめて、
「なあんだ、若旦那。自家撞着していますぜ。さっきご自分で批評がきらいだなんておっしゃってた癖に、ご自分では、私の事を浅慮だの無謀だの、こんどは身勝手だの、さかんに批評してやがるじゃないか。若旦那こそ身勝手だ。私には私の生きる流儀があるんですからね。ちっとは、みとめて下さいよ。」と見事に逆襲した。
 浦島は赤面し、
「私のは批評ではない、これは、訓戒というものだ。諷諫、といってもよかろう。諷諫、耳に逆うもその行を利す、というわけのものだ。」ともっともらしい事を言ってごまかした。
「気取らなけれあ、いい人なんだが。」と亀は小声で言い、「いや、もう私は、何も言わん。私のこの甲羅の上に腰かけて下さい。」
 浦島は呆れ、
「お前は、まあ、何を言い出すのです。私はそんな野蛮な事はきらいです。亀の甲羅に腰かけるなどは、それは狂態と言ってよかろう。決して風流の仕草ではない。」
「どうだっていいじゃないか、そんな事は。こっちは、先日のお礼として、これから竜宮城へ御案内しようとしているだけだ。さあ早く私の甲羅に乗って下さい。」
「何、竜宮?」と言って噴き出し、「おふざけでない。お前はお酒でも飲んで酔っているのだろう。とんでもない事を言い出す。竜宮というのは昔から、歌に詠まれ、また神仙譚として伝えられていますが、あれはこの世には無いもの、ね、わかりますか? あれは、古来、私たち風流人の美しい夢、あこがれ、と言ってもいいでしょう。」上品すぎて、少しきざな口調になった。
 こんどは亀のほうで噴き出して、
「たまらねえ。風流の講釈は、あとでゆっくり伺いますから、まあ、私の言う事を信じてとにかく私の甲羅に乗って下さい。あなたはどうも冒険の味を知らないからいけない。」
「おや、お前もやっぱり、うちの妹と同じ様な失礼な事を言うね。いかにも私は、冒険というものはあまり好きでない。たとえば、あれは、曲芸のようなものだ。派手なようでも、やはり下品《げぼん》だ。邪道、と言っていいかも知れない。宿命に対する諦観が無い。伝統に就いての教養が無い。めくら蛇におじず、とでもいうような形だ。私ども正統の風流の士のいたく顰蹙するところのものだ。軽蔑している、と言っていいかも知れない。私は先人のおだやかな道を、まっすぐに歩いて行きたい。」
「ぷ!」と亀はまた噴き出し、「その先人の道こそ、冒険の道じゃありませんか。いや、冒険なんて下手な言葉を使うから何か血なまぐさくて不衛生な無頼漢みたいな感じがして来るけれども、信じる力とでも言い直したらどうでしょう。あの谷の向う側にたしかに美しい花が咲いていると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがって向う側に渡って行きます。それを人は曲芸かと思って、或いは喝采し、或いは何の人気取りめがと顰蹙します。しかし、それは絶対に曲芸師の綱渡りとは違っているのです。藤蔓にすがって谷を渡っている人は、ただ向う側の花を見たいだけなのです。自分がいま冒険をしているなんて、そんな卑俗な見栄みたいなものは持ってやしないんです。なんの冒険が自慢になるものですか。ばかばかしい。信じているのです。花のある事を信じ切っているのです。そんな姿を、まあ、仮に冒険と呼んでいるだけです。あなたに冒険心が無いというのは、あなたには信じる能力が無いという事です。信じる事は、下品《げぼん》ですか。信じる事は、邪道ですか。どうも、あなたがた紳士は、信じない事を誇りにして生きているのだから、しまつが悪いや。それはね、頭のよさじゃないんですよ。もっと卑しいものなのですよ。吝嗇というものです。損をしたくないという事ばかり考えている証拠ですよ。御安心なさい。誰も、あなたに、ものをねだりゃしませんよ。人の深切をさえ、あなたたちは素直に受取る事を知らないんだからなあ。あとのお返しが大変だ、なんてね。いや、どうも、風流の士なんてのは、ケチなもんだ。」
「ひどい事を言う。妹や弟にさんざん言われて、浜へ出ると、こんどは助けてやった亀にまで同じ様な失敬な批評を加えられる。どうも、われとわが身に伝統の誇りを自覚していない奴は、好き勝手な事を言うものだ。一種のヤケと言ってよかろう。私には何でもよくわかっているのだ。私の口から言うべき事では無いが、お前たちの宿命と私の宿命には、たいへんな階級の差がある。生れた時から、もう違っているのだ。私のせいではない。それは天から与えられたものだ。しかし、お前たちには、それがよっぽど口惜《くや》しいらしい。何のかのと言って、私の宿命をお前たちの宿命にまで引下そうとしているが、しかし、天の配剤、人事の及ばざるところさ。お前は私を竜宮へ連れて行くなどと大法螺を吹いて、私と対等の附合いをしようとたくらんでいるらしいが、もういい、私には何もかもよくわかっているのだから、あまり悪あがきしないでさっさと海の底のお前の住居へ帰れ。なんだ、せっかく私が助けてやったのに、また子供たちに捕まったら何にもならぬ。お前たちこそ、人の深切を素直に受け取る法を知らぬ。」
「えへへ、」と亀は不敵に笑い、「せっかく助けてやったは恐れいる。紳士は、これだから、いやさ。自分がひとに深切を施すのは、たいへんの美徳で、そうして内心いささか報恩などを期待しているくせに、ひとの深切には、いやもうひどい警戒で、あいつと対等の附合いになってはかなわぬなどと考えているんだから、げっそりしますよ。それじゃ私だって言いますが、あなたが私を助けてくれたのは、私が亀で、そうして、いじめている相手は子供だったからでしょう。亀と子供じゃあ、その間にはいって仲裁しても、あとくされがありませんからね。それに、子供たちには、五文のお金でも大金ですからね。しかし、まあ、五文とは値切ったものだ。私は、も少し出すかと思った。あなたのケチには、呆れましたよ。私のからだの値段が、たった五文かと思ったら、私は情無かったね。それにしてもあの時、相手が亀と子供だったから、あなたは五文でも出して仲裁したんだ。まあ、気まぐれだね。しかし、あの時の相手が亀と子供でなく、まあ、たとえば荒くれた漁師が病気の乞食をいじめていたのだったら、あなたは五文はおろか、一文だって出さず、いや、ただ顔をしかめて急ぎ足で通り過ぎたに違いないんだ。あなたたちは、人生の切実の姿を見せつけられるのを、とても、いやがるからね。それこそ御自身の高級な宿命に、糞尿を浴びせられたような気がするらしい。あなたたちの深切は、遊びだ。享楽だ。亀だから助けたんだ。子供だからお金をやったんだ。荒くれた漁師と病気の乞食の場合は、まつぴらなんだ。実生活の生臭い風にお顔を撫でられるのが、とてもとても、いやなんだ。お手を、よごすのがいやなのさ。なんてね、こんなのを、聞いたふうの事、と言うんですよ、浦島さん。あなたは怒りやしませんね。だって、私はあなたを好きなんだもの、いや、怒るかな? あなたのように上流の宿命を持っているお方たちは、私たち下賤のものに好かれる事をさえ不名誉だと思っているらしいのだから始末がわるい。殊に私は亀なんだからな。亀に好かれたんじゃあ気味がわるいか、しかし、まあ勘弁して下さいよ、好き嫌いは理窟じゃ無いんだ。あなたに助けられたから好きというわけでも無いし、あなたが風流人だから好きというのでも無い。ただ、ふっと好きなんだ。好きだから、あなたの悪口を言って、あなたをからかってみたくなるんだ。これがつまり私たち爬虫類の愛情の表現の仕方なのさ。どうもね、爬虫類だからね、蛇の親類なんだからね、信用のないのも無理がねえよ。しかし私は、エデンの園の蛇じゃない、はばかりながら日本の亀だ。あなたに竜宮行きをそそのかして堕落させようなんて、たくらんでいるんじゃねえのだ。心意気を買ってくんな。私はただ、あなたと一緒に遊びたいのだ。竜宮へ行って遊びたいのだ。あの国には、うるさい批評なんか無いのだ。みんな、のんびり暮しているよ。だから、遊ぶにはもって来いのところなんだ。私は陸にもこうして上って来れるし、また海の底へも、もぐって行けるから、両方の暮しを比較して眺める事が出来るのだが、どうも、陸上の生活は騒がしい。お互い批評が多すぎるよ。陸上生活の会話の全部が、人の悪口か、でなければ自分の広告だ。うんざりするよ。私もちょいちょいこうして陸に上って来たお蔭で、陸上生活に少しかぶれて、それこそ聞いたふうの批評なんかを口にするようになって、どうもこれはとんでもない悪影響を受けたものだと思いながらも、この批評癖にも、やめられぬ味がありまして、批評の無い竜宮城の暮しにもちょっと退屈を感ずるようになったのです。どうも、悪い癖を覚えたものです。文明病の一種ですかね。いまでは私は、自分が海の魚だか陸の虫だか、わからなくなりましたよ。たとえばあの、鳥だか獣だかわからぬ蝙蝠のようなものですね。悲しき性《さが》になりました。まあ海底の異端者とでもいつたようなところですかね。だんだん故郷の竜宮城にも居にくくなりましてね、しかし、あそこは遊ぶには、いいところだ、それだけは保証します。信じて下さい。歌と舞いと、美食と酒の国です。あなたたち風流人には、もって来いの国です。あなたは、さっき批評はいやだとつくづく慨歎していたではありませんか、竜宮には批評はありませんよ。」
 浦島は亀の驚くべき饒舌に閉口し切っていたが、しかし、その最後の一言に、ふと心をひかれた。
「本当になあ、そんな国があったらなあ。」
「あれ、まだ疑っていやがる。私は嘘をついているのじゃありません。なぜ私を信じないんです。怒りますよ。実行しないで、ただ、あこがれて溜息をついているのが風流人ですか。いやらしいものだ。」
 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなった。
「それじゃまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随って、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言う事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみる[#「みる」に傍点]か、とは何事です。腰かけてみる[#「みる」に傍点]のも、腰かけるのも、結果に於いては同じじゃないか。疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちゃんときめられてしまうのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やってみる[#「みる」に傍点]のは、やったのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思っている。」
「わかったよ、わかったよ。それでは信じて乗せてもらおう!」
「よし来た。」
 亀の甲羅に浦島が腰をおろしたとみるみる亀の背中はひろがって畳二枚くらい敷けるくらいの大きさになり、ゆらりと動いて海にはいる。汀から一丁ほど泳いで、それから亀は、
「ちょっと眼をつぶって。」ときびしい口調で命令し、浦島は素直に眼をつぶると夕立ちの如き音がして、身辺ほのあたたかく、春風に似て春風よりも少し重たい風が耳朶をなぶる。
「水深千尋。」と亀が言う。
 浦島は船酔いに似た胸苦しさを覚えた。
「吐いてもいいか。」と眼をつぶったまま亀に尋ねる。
「なんだ、へどを吐くのか。」と亀は以前の剽軽な口調にかえって、「きたねえ船客だな。おや、馬鹿正直に、まだ眼をつぶっていやがる。これだから私は、太郎さんが好きさ。もう眼をあいてもよござんすよ。眼をあいて、よもの景色をごらんになったら、胸の悪いのなんかすぐになおってしまいます。」
 眼をひらけば冥茫模糊、薄みどり色の奇妙な明るさで、そうしてどこにも影が無く、ただ茫々たるものである。
「竜宮か。」と浦島は寝呆けているような間《ま》伸びた口調で言った。
「何を言ってるんだ。まだやっと水深千尋じゃないか。竜宮は海底一万尋だ。」
「へええ。」浦島は妙な声を出した。「海ってものは、広いもんだねえ。」
「浜育ちのくせに、山奥の猿みたいな事を言うなよ。あなたの家の泉水よりは少し広いさ。」
 前後左右どちらを見ても、ただ杳々茫々、脚下を覗いてもやはり際限なく薄みどり色のほの明るさが続いているばかりで、上を仰いでも、これまた蒼穹に非ざる洸洋たる大洞、ふたりの話声の他には、物音一つ無く、春風に似て春風よりも少しねばっこいような風が浦島の耳朶をくすぐっているだけである。
 浦島はやがて遥か右上方に幽かな、一握りの灰を撒いたくらいの汚点を認めて、
「あれは何だ。雲かね?」と亀に尋ねる。
「冗談言っちゃいけねえ。海の中に雲なんか流れていやしねえ。」
「それじゃ何だ。墨汁一滴を落したような感じだ。単なる塵芥かね。」
「間抜けだね、あなたは。見たらわかりそうなものだ。あれは、鯛の大群じゃないか。」
「へえ? 微々たるものだね。あれでも二、三百匹はいるんだろうね。」
「馬鹿だな。」と亀はせせら笑い、「本気で云っているのか?」
「それじゃあ、二、三千か。」
「しっかりしてくれ。まず、ざっと五、六百万。」
「五、六百万? おどかしちゃいけない。」
 亀はにやにや笑って、
「あれは、鯛じゃないんだ。海の火事だ。ひどい煙だ。あれだけの煙だと、そうさね、日本の国を二十ほど寄せ集めたくらいの広大の場所が燃えている。」
「嘘をつけ。海の中で火が燃えるもんか。」
「浅慮、浅慮。水の中だって酸素があるんですからね。火の燃えないわけはない。」
「ごまかすな。それは無智な詭弁だ。冗談はさて置いて、いったいあの、ゴミのようなものは何だ。やっぱり、鯛かね? まさか、火事じゃあるまい。」
「いや、火事だ。いったい、あなた、陸の世界の無数の河川が昼夜をわかたず、海にそそぎ込んでも、それでも海の水が増しもせず減りもせず、いつも同じ量をちゃんと保って居られるのは、どういうわけか、考えてみた事がありますか。海のほうだって困りますよ。あんなにじゃんじゃん水を注ぎ込まれちゃ、処置に窮しますよ。それでまあ時々、あんな工合いにして不用な水を焼き捨てるのですな。やあ、燃える、燃える、大火事だ。」
「なに、ちっとも煙が広がりゃしない。いったい、あれは、何さ。さっきから、少しも動かないところを見ると、さかなの大群でもなさそうだ。意地わるな冗談なんか云わないで、教えておくれ。」
「それじゃ教えてあげましょう。あれはね、月の影法師です。」
「また、かつぐんじゃないか?」
「いいえ、海の底には、陸の影法師は何も写りませんが、天体の影法師は、やはり真上から落ちて来ますから写るのです。月の影法師だけでなく、星辰の影法師も皆、写ります。だから、竜宮では、その影法師をたよりに暦を作り、四季を定めます。あの月の影法師は、まんまるより少し欠けていますから、きょうは十三夜かな?」
 真面目な口調でそういうので、浦島も、或いはそうかも知れぬとも思ったが、しかし、何だかへんだとも思った。でもまた、見渡す限り、ただ薄みどり色の茫洋乎たる大空洞の片隅に、幽かな黒一点をとどめているものが、たといそれは嘘にしても月の影法師だと云われて見ると、鯛の大群や火事だと思って眺めるよりは、風流人の浦島にとって、はるかに趣きがあり、郷愁をそそるに足るものがあった。
 そのうちに、あたりは異様に暗くなり、ごうという凄じい音と共に烈風の如きものが押し寄せて来て、浦島はもう少しで亀の背中からころげ落ちるところであった。
「ちょっとまた眼をつぶって。」と亀は厳粛な口調で言い、「ここはちょうど、竜宮の入口になっているのです。人間が海の底を探険しても、たいていここが海底のどんづまりだと見極めて引上げて行くのです。ここを越えて行くのは、人間では、あなたが最初で、また最後かも知れません。」
 くるりと亀はひっくりかえったように、浦島には思われた。ひっくりかえったまま、つまり、腹を上にしたまま泳いで、そうして浦島は亀の甲羅にくっついて、宙返りを半分しかけたような形で、けれどもこぼれ落ちる事もなく、さかさにすっと亀と共に上の方へ進行するような、まことに妙な錯覚を感じたのである。
「眼をあいて、ごらん。」と亀に言われた時には、しかし、もうそんな、さかさの感じは無く、当り前に亀の甲羅の上に坐って、そうして、亀は下へ下へと泳いでいる。
 あたりは、あけぼのの如き薄明で、脚下にぼんやり白いものが見える。どうも、何だか、山のようだ。塔が連立しているようにも見えるが、塔にしては洪大すぎる。
「あれは何だ。山か。」
「そうです。」
「竜宮の山か。」興奮のため声が嗄れていた。
「そうです。」亀は、せっせと泳ぐ。
「まっ白じゃないか。雪が降っているのかしら。」
「どうも、高級な宿命を持っている人は、考える事も違いますね。立派なものだ。海の底にも雪が降ると思っているんだからね。」
「しかし、海の底にも火事があるそうだし、」と浦島は、さっきの仕返しをするつもりで、「雪だって降るだろうさ。何せ、酸素があるんだから。」
「雪と酸素じゃ縁が遠いや。縁があっても、まず、風と桶屋くらいの関係じゃないか。ばかばかしい。そんな事で私をおさえようたって駄目さ。どうも、お上品なお方たちは、洒落が下手だ。雪はよいよい帰りはこわいってのはどんなもんだい。あんまり、うまくもねえか。それでも酸素よりはいいだろう。さんそネッと来るか。はくそみたいだ。酸素はどうも、助からねえ。」やはり、口では亀にかなわない。
 浦島は苦笑しながら、
「ところで、あの山は、」と云いかけると、亀はまたあざ笑い、
「ところで、とは大きく出たじゃないか。ところであの山は、雪が降っているのではないのです。あれは真珠の山です。」
「真珠?」と浦島は驚き、「いや、嘘だろう。たとい真珠を十万粒二十万粒積み重ねたって、あれくらいの高い山にはなるまい。」
「十万粒、二十万粒とは、ケチな勘定の仕方だ。竜宮では真珠を一粒二粒なんて、そんなこまかい算え方はしませんよ。一山《ひとやま》、二山《ふたやま》、とやるね。一山は約三百億粒だとかいう話だが、誰もそれをいちいち算えた事も無い。それを約百万|山《やま》くらい積み重ねると、まずざっとあれくらいの峰が出来る。真珠の捨場には困っているんだ。もとをただせば、さかなの糞だからね。」
 とかくして竜宮の正門に着く。案外に小さい。真珠の山の裾に蛍光を発してちょこんと立っている。浦島は亀の甲羅から降りて、亀に案内をせられ、小腰をかがめてその正門をくぐる。あたりは薄明である。そうして森閑としている。
「静かだね。おそろしいくらいだ。地獄じゃあるまいね。」
「しっかりしてくれ、若旦那。」と亀は鰭でもって浦島の背中を叩き、「王宮というものは皆このように静かなものだよ。丹後の浜の大漁踊りみたいな馬鹿騒ぎを年中やっているのが竜宮だなんて陳腐な空想をしていたんじゃねえのか。あわれなものだ。簡素幽邃というのが、あなたたちの風流の極致だろうじゃないか。地獄とは、あさましい。馴れてくると、この薄暗いのが、何とも言えずやわらかく心を休めてくれる。足許に気をつけて下さいよ。滑ってころんだりしては醜態だ。あれ、あなたはまだ草履をはいているね。脱ぎなさいよ、失礼な。」
 浦島は赤面して草履を脱いだ。はだしで歩くと、足の裏がいやにぬらぬらする。
「何だこの道は。気持が悪い。」
「道じゃない。ここは廊下ですよ。あなたは、もう竜宮城へはいっているのです。」
「そうかね。」と驚いてあたりを見廻したが、壁も柱も何も無い。薄闇が、ただ漾々と身辺に動いている。
「竜宮には雨も降らなければ、雪も降りません。」と亀はへんに慈愛深げな口調で教える。「だから、陸上の家のようにあんな窮屈な屋根や壁を作る必要は無いのです。」
「でも、門には屋根があったじゃないか。」
「あれは、目じるしです。門だけではなく、乙姫のお部屋にも、屋根や壁はあります。しかし、それもまた乙姫の尊厳を維持するために作られたもので、雨露を防ぐためのものではありません。」
「そんなものかね。」と浦島はなおもけげんな顔つきで、「その乙姫の部屋というのは、どこにあるの? 見渡したところ冥途もかくや、蕭寂たる幽境、一木一草も見当らんじゃないか。」
「どうも田舎者には困るね。でつかい建物《たてもの》や、ごてごてした装飾には口をあけておったまげても、こんな幽邃の美には一向に感心しない。浦島さん、あなたの上品《じょうぼん》もあてにならんね。もっとも丹後の荒磯の風流人じゃ無理もないがね。伝統の教養とやらも、聞いて冷汗が出るよ。正統の風流人とはよくも言った。こうして実地に臨んでみると、田舎者まる出しなんだから恐れいる。人真似こまねの風流ごっこは、まあ、これからは、やめるんだね。」
 亀の毒舌は竜宮に着いたら、何だかまた一段と凄くなって来た。
 浦島は心細さ限り無く、
「だって、何も見えやしないんだもの。」とほとんど泣き声で言った。
「だから、足許に気をつけなさいって、云ってるじゃありませんか。この廊下は、ただの廊下じゃないんですよ。魚の掛橋ですよ。よく気をつけてごらんなさい。幾億という魚がひしとかたまって、廊下の床《ゆか》みたいな工合いになっているのですよ。」
 浦島はぎょっとして爪先き立った。どうりで、さっきから足の裏がぬらぬらすると思っていた。見ると、なるほど、大小無数の魚どもがすきまもなく背中を並べて、身動きもせず凝っとしている。
「これは、ひどい。」と浦島は、にわかにおっかなびっくりの歩調になって、「悪い趣味だ。これがすなわち簡素幽邃の美かね。さかなの背中を踏んづけて歩くなんて、野蛮きわまる事じゃないか。だいいちこのさかなたちに気の毒だ。こんな奇妙な風流は、私のような田舎者にはわかりませんねえ。」とさっき田舎者と言われた鬱憤をここに於いてはらして、ちょっと溜飲がさがった。
「いいえ、」とその時、足許で細い声がして、「私たちはここに毎日集って、乙姫さまの琴の音《ね》に聞き惚れているのです。魚の掛橋は風流のために作っているのではありません。かまわず、どうかお通り下さい。」
「そうですか。」と浦島はひそかに苦笑して、「私はまた、これも竜宮の装飾の一つかと思って。」
「それだけじゃあるまい。」亀はすかさず口をはさんで、「ひょっとしたら、この掛橋も浦島の若旦那を歓迎のために、乙姫さまが特にさかなたちに命じて、」
「あ、これ、」と浦島は狼狽し、赤面し、「まさか、それほど私は自惚れてはいません。でも、ね、お前はこれを廊下の床《ゆか》のかわりだなんていい加減を言うものだから、私も、つい、その、さかなたちが踏まれて痛いかと思ってね。」
「さかなの世界には、床《ゆか》なんてものは必要がありません。これがまあ、陸上の家にたとえたならば、廊下の床《ゆか》にでも当るかと思って私はあんな説明をしてあげたので、決していい加減を言ったんじゃない。なに、さかなたちは痛いなんて思うもんですか。海の底では、あなたのからだだって紙一枚の重さくらいしか無いのですよ。何だか、ご自分のからだが、ふわふわ浮くような気がするでしょう?」
 そう言われてみると、ふわふわするような感じがしないでもない。浦島は、重ね重ね、亀から無用の嘲弄を受けているような気がして、いまいましくてならぬ。
「私はもう何も信じる気がしなくなった。これだから私は、冒険というものはいやなんだ。だまされたって、それを看破する法が無いんだからね。ただもう、道案内者の言う事に従っていなければいけない。これはこんなものだと言われたら、それっきりなんだからね。実に、冒険は人を欺く。琴の音《ね》も何も、ちっとも聞えやしないじゃないか。」とついに八つ当りの論法に変じた。
 亀は落ちついて、
「あなたはどうも陸上の平面の生活ばかりしているから、目標は東西南北のいずれかにあるとばかり思っていらっしゃる。しかし、海にはもう二元の方向がある。すなわち、上と下です。あなたはさっきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。ここにあなたの重大なる誤謬が存在していたわけだ。なぜ、あなたは頭上を見ないのです。また、脚下を見ないのです。海の世界は浮いて漂っているものです。さっきの正門も、また、あの真珠の山だって、みんな少し浮いて動いているのです。あなた自身がまた上下左右にゆられているので、他の物の動いているのが、わからないだけなのです。あなたは、さっきからずいぶん前方にお進みになったように思っていらっしゃるかも知れないけれど、まあ、同じ位置ですね。かえって後退しているかも知れない。いまは潮の関係で、ずんずんうしろに流されています。そうして、さっきから見ると、百尋くらいみんな一緒に上方に浮きました。まあ、とにかくこの魚の掛橋をもう少し渡ってみましょう。ほうら、魚の背中もだんだんまばらになって来たでしょう。足を踏みはずさないように気をつけて下さいよ。なに、踏みはずしたって、すとんと落下する気づかいはありませんがね、何せ、あなたも紙一枚の重さなんだから。つまり、この橋は断橋なのです。この廊下を渡っても前方には何も無い。しかし、脚下を見よです。おい、さかなども、少しどけ、若旦那が乙姫さまに逢いに行くのだ。こいつらは、こうして竜宮城の本丸の天蓋をなしているようなものです。海月《くらげ》なす漂える天蓋、とでも言ったら、あなたたち風流人は喜びますかね。」
 さかなたちは、静かに無言で左右に散る。かすかに、琴の音が脚下に聞える。日本の琴の音によく似ているが、しかし、あれほど強くはなく、もっと柔かで、はかなく、そうしてへんに嫋々たる余韻がある。菊の露。薄ごろも。夕空。きぬた。浮寝。きぎす。どれでもない。風流人の浦島にも、何だか見当のつかぬ可憐な、たよりない、けれども陸上では聞く事の出来ぬ気高い凄《きび》しさが、その底に流れている。
「不思議な曲ですね。あれは、何という曲ですか。」
 亀もちょっと耳をすまして聞いて、
「聖諦。」と一言、答えた。
「せいてい?」
「神聖の聖の字に、あきらめ。」
「ああ、そう、聖諦。」と呟いて浦島は、はじめて海の底の竜宮の生活に、自分たちの趣味と段違いの崇高なものを感得した。いかにも自分の上品《じょうぼん》などは、あてにならぬ。伝統の教養だの、正統の風流だのと自分が云うのを聞いて亀が冷汗をかくのも無理がない。自分の風流は人真似こまねだ。田舎の山猿にちがいない。
「これからは、お前の言う事は何でも信じるよ。聖諦。なるほどなあ。」浦島は呆然とつっ立ったまま、なおもその不思議な聖諦の曲に耳を傾けた。
「さあ、ここから飛び降りますよ。あぶない事はありません。こうして両腕をひろげて一歩足を踏み出すと、ゆらゆらと気持よく落下します。この魚の掛橋の尽きたところから真っすぐに降りて行くと、ちょうど竜宮の正殿の階段の前に着くのです。さあ、何をぼんやりしているのです。飛び降りますよ、いいですか。」
 亀はゆらゆら沈下する。浦島も気をとり直して、両腕をひろげ、魚の掛橋の外に一歩、足を踏み出すと、すっと下に気持よく吸い込まれ、頬が微風に吹かれているように涼しく、やがてあたりが、緑の樹陰のような色合いになり、琴の音もいよいよ近くに聞えて来たと思ううちに、亀と並んで正殿の階段の前に立っていた。階段とは言っても、段々が一つずつ分明になっているわけではなく、灰色の鈍く光る小さい珠の敷きつめられたゆるい傾斜の坂のようなものである。
「これも真珠かね、」と浦島は小声で尋ねる。
 亀は、あわれむような眼で浦島の顔を見て、
「珠を見れば、何でも真珠だ。真珠は、捨てられて、あんなに高い山になっているじゃありませんか。まあ、ちょっとその珠を手で掬ってごらんなさい。」
 浦島は言われたとおりに両手で珠を掬おうとすると、ひやりと冷たい。
「あ、霰《あられ》だ!」
「冗談じゃない。ついでにそれを口の中に入れてごらん。」
 浦島は素直に、その氷のように冷たい珠を、五つ六つ頬張った。
「うまい。」
「そうでしょう? これは、海の桜桃です。これを食べると三百年間、老いる事が無いのです。」
「そうか、いくつ食べても同じ事か。」と風流人の浦島も、ついたしなみを忘れて、もっと掬って食べようという気勢を示した。「私はどうも、老醜というものがきらいでね。死ぬのは、そんなにこわくもないけれど、どうも老醜だけは私の趣味に合わない。もっと、食べて見ようかしら。」
「笑っていますよ。上をごらんなさい。乙姫さまがお迎えに出ています。やあ、きょうはまた一段とお綺麗。」
 桜桃の坂の尽きるところに、青い薄布を身にまとった小柄の女性が幽かに笑いながら立っている。薄布をとおして真白い肌が見える。浦島はあわてて眼をそらし、
「乙姫か。」と亀に囁く。浦島の顔は真赤である。
「きまっているじゃありませんか。何をへどもどしているのです。さあ、早く御挨拶をなさい。」
 浦島はいよいよまごつき、
「でも、何と言ったらいいんだい。私のようなものが名乗りを挙げてみたって、どうにもならんし、どだいどうも、私たちの訪問は唐突だよ。意味が無いよ。帰らうよ。」と上級の宿命の筈の浦島も、乙姫の前では、すっかり卑屈になって逃支度をはじめた。
「乙姫さまは、あなたの事なんか、もうとうにご存じですよ。階前万里というじゃありませんか。観念して、ただていねいにお辞儀しておけばいいのです。また、たとい乙姫さまが、あなたの事を何もご存じ無くったって、乙姫さまは警戒なんてケチくさい事はてんで知らないお方ですから、何も斟酌には及びません。遊びに来ましたよ、と言えばいい。」
「まさか、そんな失礼な。ああ、笑っていらっしゃる。とにかく、お辞儀をしよう。」
 浦島は、両手が自分の足の爪先にとどくほどのていねいなお辞儀をした。
 亀は、はらはらして、
「ていねいすぎる。いやになるね。あなたは私の恩人じゃないか。も少し威厳のある態度を示して下さいよ。へたへたと最敬礼なんかして、上品《じょうぼん》もくそもあったものじゃない。それ、乙姫さまのお招きだ。行きましょう。さあ、ちゃんと胸を張って、おれは日本一の好男子で、そうして、最上級の風流人だというような顔をして威張って歩くのですよ。あなたは私たちに対してはひどく高慢な乙な構え方をするけれども、女には、からきし意気地が無いんですね。」
「いやいや、高貴なお方には、それ相当の礼を尽さなければ。」と緊張のあまり声がしゃがれて、足がもつれ、よろよろと千鳥足で階段を昇り、見渡すと、そこは万畳敷とでも云っていいくらいの広い座敷になっている。いや、座敷というよりは、庭園と言った方が適切かも知れない。どこから射して来るのか樹陰のような緑色の光線を受けて、模糊と霞んでいるその万畳敷とでも言うべき広場には、やはり霰のような小粒の珠が敷きつめられ、ところどころに黒い岩が秩序無くころがっていて、そうしてそれっきりである。屋根はもちろん、柱一本も無く、見渡す限り廃墟と言っていいくらいの荒涼たる大広場である。気をつけて見ると、それでも小粒の珠のすきまから、ちょいちょい紫色の小さい花が顔を出しているのが見えて、それがまた、かえって淋しさを添え、これが幽邃の極というのかも知れないが、しかし、よくもまあ、こんな心細いような場所で生活が出来るものだ、と感歎の溜息に似たものがふうと出て、さらにまた思いをあらたにして乙姫の顔をそっと盗み見た。
 乙姫は無言で、くるりとうしろを向き、そろそろと歩き出す。その時はじめて気がついたのであるが、乙姫の背後には、めだかよりも、もっと小さい金色の魚が無数にかたまってぴらぴら泳いで、乙姫が歩けばそのとおりに従って移動し、そのさまは金色の雨がたえず乙姫の身辺に降り注いでいるようにも見えて、さすがにこの世のものならぬ貴い気配が感ぜられた。
 乙姫は身にまとっている薄布をなびかせ裸足で歩いているが、よく見ると、その青白い小さい足は、下の小粒の珠を踏んではいない。足の裏と珠との間がほんのわずか隙《す》いている。あの足の裏は、いまだいちども、ものを踏んだ事が無いのかも知れぬ。生れたばかりの赤ん坊の足の裏と同じようにやわらかくて綺麗なのに違いない、と思えば、これという目立った粉飾一つも施していない乙姫のからだが、いよいよ真の気品を有しているものの如く、奥ゆかしく思われて来た。竜宮に来てみてよかった、と次第にこのたびの冒険に感謝したいような気持が起って来て、うっとり乙姫のあとについて歩いていると、
「どうです、悪くないでしょう。」と亀は、低く浦島の耳元に囁き、鰭でもって浦島の横腹をちょこちょことくすぐつた。
「ああ、なに、」と浦島は狼狽して、「この花は、この紫の花は綺麗だね。」と別の事を言った。
「これですか。」と亀はつまらなさそうに、「これは海の桜桃の花です。ちょっと菫に似ていますね。この花びらを食べると、それは気持よく酔いますよ。竜宮のお酒です。それから、あの岩のようなもの、あれは藻です。何万年も経っているので、こんな岩みたいにかたまっていますが、でも、羊羹よりも柔いくらいのものです。あれは、陸上のどんなごちそうよりもおいしいですよ。岩によって一つずつみんな味わいが違います。竜宮ではこの藻を食べて、花びらで酔い、のどが乾けば桜桃を含み、乙姫さまの琴の音に聞き惚れ、生きている花吹雪のような小魚たちの舞いを眺めて暮しているのです。どうですか、竜宮は歌と舞いと、美食と酒の国だと私はお誘いする時にあなたに申し上げた筈ですが、どうですか、御想像と違いましたか?」
 浦島は答えず、深刻な苦笑をした。
「わかっていますよ。あなたの御想像は、まあドンチャンドンチャンの大騒ぎで、大きなお皿に鯛のさしみやら鮪のさしみ、赤い着物を着た娘っ子の手踊り、そうしてやたらに金銀珊瑚綾錦のたぐいが、——」
「まさか、」と浦島もさすがに少し不愉快そうな顔になり、「私はそれほど卑俗な男ではありません。しかし、私は自分を孤独な男だと思ってみた事などありましたが、ここへ来て真に孤独なお方にお目にかかり、私のいままでの気取った生活が恥かしくてならないのです。」
「あのかたの事ですか?」と亀は小声で言って無作法に乙姫のほうを顎でしゃくり、「あのかたは、何も孤独じゃありませんよ。平気なものです。野心があるから、孤独なんて事を気に病むので、他の世界の事なんかてんで問題にしてなかったら、百年千年ひとりでいたって楽なものです。それこそ、れいの批評が気にならない者にとってはね。ところで、あなたは、どこへ行こうてんですか?」
「いや、なに、べつに、」と浦島は、意外の問に驚き、「だって、お前、あのお方が、——」
「乙姫はべつにあなたを、どこかへ案内しようとしているわけじゃありません。あのかたは、もう、あなたの事なんか忘れていますよ。あのかたは、これからご自分のお部屋に帰るのでしょう。しっかりして下さい。ここが竜宮なんです、この場所が。ほかにどこも、ご案内したいようなところもありません。まあ、ここで、お好きなようにして遊んでいるのですね。これだけじゃ、不足なんですか。」
「いじめないでくれよ。私は、いったいどうしたらいいんだ。」と浦島はべそをかいて、「だって、あのお方がお迎えに出て下さっていたので、べつに私は自惚れたわけじゃないけど、あのお方のあとについて行くのが礼儀だと思ったんだよ。べつに不足だなんて考えてやしないよ。それだのに私に何か、別ないやらしい下心でもあるみたいなへんな言い方をするんだもの。お前は、じっさい意地が悪いよ。ひどいじゃないか。私は生れてから、こんなに体裁《ていさい》の悪い思いをした事は無いよ。本当にひどいよ。」
「そんなに気にしちゃいけない。乙姫は、おっとりしたものです。そりゃ、陸上からはるばるたずねて来た珍客ですもの、それにあなたは、私の恩人ですからね、お出迎えするのは当り前ですよ。さらにまた、あなたは、気持はさっぱりしているし、男っぷりは佳し、と来ているから。いや、これは冗談ですよ、へんにまた自惚れられちゃかなわない。とにかく、乙姫はご自分の家へやって来た珍客を階段まで出迎えて、そうして安心して、あとはあなたのお気の向くままに勝手に幾日でもここで遊んでいらっしゃるようにと、素知らぬ振りしてああしてご自分のお部屋に引上げて行くというわけのものじゃないんですかね。実は私たちにも、乙姫の考えている事はあまりよく判らないのです。何せ、どうにも、おっとりしていますから。」
「いや、そう言われてみると、私には、少し判りそうな気がして来たよ。お前の推察も、だいたいに於いて間違いはなさそうだ。つまり、こんなのが、真の貴人の接待法なのかも知れない。客を迎えて客を忘れる。しかも客の身辺には美酒珍味が全く無雑作に並べ置かれてある。歌舞音曲も別段客をもてなそうという露骨な意図でもって行われるのではない。乙姫は誰に聞かせようという心も無くて琴をひく。魚どもは誰に見せようという衒いも無く自由に嬉々として舞い遊ぶ。客の讃辞をあてにしない。客もまた、それにことさらに留意して感服したような顔つきをする必要も無い。寝ころんで知らん振りしていたって構わないわけです。主人はもう客の事なんか忘れているのだ。しかも、自由に振舞ってよいという許可は与えられているのだ。食いたければ食うし、食いたくなければ食わなくていいんだ。酔って夢うつつに琴の音を聞いていたって、敢えて失礼には当らぬわけだ。ああ、客を接待するには、すべからくこのようにありたい。何のかのと、ろくでも無い料理をうるさくすすめて、くだらないお世辞を交換し、おかしくもないのに、矢鱈におほほと笑い、まあ! なんて珍らしくもない話に大仰に驚いて見せたり、一から十まで嘘ばかりの社交を行い、天晴れ上流の客あしらいをしているつもりのケチくさい小利口の大馬鹿野郎どもに、この竜宮の鷹揚なもてなし振りを見せてやりたい。あいつらはただ、自分の品位を落しゃしないか、それだけを気にしてわくわくして、そうして妙に客を警戒して、ひとりでからまわりして、実意なんてものは爪の垢ほども持ってやしないんだ。なんだい、ありゃ。お酒一ぱいにも、飲ませてやったぞ、いただきましたぞ、というような証文を取かわしていたんじゃ、かなわない。」
「そう、その調子。」と亀は大喜びで、「しかし、あまりそんなに興奮して心臓痲痺なんか起されても困る。ま、この藻の岩に腰をおろして、桜桃の酒でも飲むさ。桜桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂いが強すぎるかも知れないから、桜桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゅっと溶けて適当に爽涼のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に変化しますからまあ、ご自分で工夫して、お好きなようなお酒を作ってお飲みなさい。」
 浦島はいま、ちょっと強いお酒を飲みたかった。花びら三枚に、桜桃二粒を添えて舌端に載せるとたちまち口の中一ぱいの美酒、含んでいるだけでも、うっとりする。軽快に喉をくすぐりながら通過して、体内にぽっと灯《あか》りがともったような嬉しい気持になる。
「これはいい。まさに、憂いの玉帚だ。」
「憂い?」と亀はさっそく聞きとがめ、「何か憂鬱な事でもあるのですか?」
「いや、べつに、そんなわけではないが、あははは、」とてれ隠しに無理に笑い、それから、ほっと小さな溜息をつき、ちらと乙姫のうしろ姿を眺める。
 乙姫は、ひとりで黙って歩いている。薄みどり色の光線を浴び、すきとおるようなかぐわしい海草のようにも見え、ゆらゆら揺蕩しながらたったひとりで歩いている。
「どこへ行くんだろう。」と思わず呟く。
「お部屋でしょう。」亀は、きまりきっているというような顔つきで、澄まして答える。
「さっきから、お前はお部屋お部屋と言っているが、そのお部屋はいったい、どこにあるの? 何も、どこにも、見えやしないじゃないか。」
 見渡すかぎり平坦の、曠野と言っていいくらいの鈍く光る大広間で、御殿《ごてん》らしいものの影は、どこにも無い。
「ずっと向う、乙姫の歩いて行く方角の、ずっと向うに、何か見えませんか。」と亀に言われて、浦島は、眉をひそめてその方向を凝視し、
「ああ、そう云われて見ると、何かあるようだね。」
 ほとんど一里も先と思われるほどの遠方、幽潭の底を覗いた時のような何やら朦朧と姻ってたゆとうているあたりに、小さな純白の水中花みたいなものが見える。
「あれか。小さいものだね。」
「乙姫がひとりおやすみになるのに、大きい御殿なんか要らないじゃありませんか。」
「そう言えば、まあ、そうだが、」と浦島はさらに桜桃の酒を調合して飲み、「あのお方は、何かね、いつもあんなに無口なのかね。」
「ええ、そうです。言葉というものは、生きている事の不安から、芽ばえて来たものじゃないですかね。腐った土から赤い毒きのこが生えて出るように、生命の不安が言葉を醗酵させているのじゃないのですか。よろこびの言葉もあるにはありますが、それにさえなお、いやらしい工夫がほどこされているじゃありませんか。人間は、よろこびの中にさえ、不安を感じているのでしょうかね。人間の言葉はみんな工夫です。気取ったものです。不安の無いところには、何もそんな、いやらしい工夫など必要ないでしょう。私は乙姫が、ものを言ったのを聞いた事が無い。しかし、また、黙っている人によくありがちの、皮裏の陽秋というんですか、そんな胸中ひそかに辛辣の観察を行うなんて事も、乙姫は決してなさらない。何も考えてやしないんです。ただああして幽かに笑って琴をかき鳴らしたり、またこの広間をふらふら歩きまわって、桜桃の花びらを口に含んだりして遊んでいます。実に、のんびりしたものです。」
「そうかね。あのお方も、やっぱりこの桜桃の酒を飲むかね。まったく、これは、いいからなあ。これさえあれば、何も要らない。もっといただいてもいいかしら。」
「ええ、どうぞ。ここへ来て遠慮なんかするのは馬鹿げています。あなたは無限に許されているのです。ついでに何か食べてみたらどうです。目に見える岩すべて珍味です。油っこいのがいいですか。軽くちょっと酸っぱいようなのがいいですか。どんな味のものでもありますよ。」
「ああ、琴の音が聞える。寝ころんで聞いてもいいんだろうね。」無限に許されているという思想は、実のところ生れてはじめてのものであった。浦島は、風流の身だしなみも何も忘れて、仰向にながながと寝そべり、「ああ、あ、酔って寝ころぶのは、いい気持だ。ついでに何か、食べてみようかな。雉の焼肉みたいな味の藻があるかね。」
「あります。」
「それと、それから、桑の実のような味の藻は?」
「あるでしょう。しかし、あなたも、妙に野蛮なものを食べるのですね。」
「本性暴露さ。私は田舎者だよ。」と言葉つきさえ、どこやら変って来て、「これが風流の極致だってさ。」
 眼を挙げて見ると、はるか上方に、魚の天蓋がのどかに浮び漂っているのが、青く霞んで見える。とたちまち、その天蓋から一群の魚がむらむらとわかれて、おのおの銀鱗を光らせて満天に雪の降り乱れるように舞い遊ぶ。
 竜宮には夜も昼も無い。いつも五月の朝の如く爽やかで、樹陰のような緑の光線で一ぱいで、浦島は幾日をここで過したか、見当もつかぬ。その間、浦島は、それこそ無限に許されていた。浦島は、乙姫のお部屋にも、はいった。乙姫は何の嫌悪も示さなかった。ただ、幽かに笑っている。
 そうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかも知れない。陸上の貧しい生活が恋しくなった。お互い他人の批評を気にして、泣いたり怒ったり、ケチにこそこそ暮している陸上の人たちが、たまらなく可憐で、そうして、何だか美しいもののようにさえ思われて来た。
 浦島は乙姫に向って、さようなら、と言った。この突然の暇乞いもまた、無言の微笑でもって許された。つまり、何でも許された。始めから終りまで、許された。乙姫は、竜宮の階段まで見送りに出て、黙って小さい貝殻を差し出す。まばゆい五彩の光を放っているきっちり合った二枚貝である。これが所謂、竜宮のお土産の玉手箱であった。
 行きはよいよい帰りはこわい。また亀の背に乗って、浦島はぼんやり竜宮から離れた。へんな憂愁が浦島の胸中に湧いて出る。ああ、お礼を言うのを忘れた。あんないいところは、他に無いのだ。ああ、いつまでも、あそこにいたほうがよかった。しかし、私は陸上の人間だ。どんなに安楽な暮しをしていても、自分の家が、自分の里が、自分の頭の片隅にこびりついて離れぬ。美酒に酔って眠っても、夢は、故郷の夢なんだからなあ。げっそりするよ。私には、あんないいところで遊ぶ資格は無かった。
「わあ、どうも、いかん。淋しいわい。」と浦島はやけくそに似た大きい声で叫んだ。「なんのわけだかわからないが、どうも、いかん。おい、亀。何とか、また景気のいい悪口でも言ってくれ。お前は、さっきから、何も一ことも、ものを言わんじゃないか。」
 亀は先刻から、ただ黙々と鰭を動かしているばかり。
「怒っているのかね。私が竜宮から食い逃げ同様で帰るのを、お前は、怒っているのかね。」
「ひがんじゃいけねえ。陸上の人はこれだからいやさ。婦りたくなったら帰るさ。どうでも、あなたの気の向いたように、とはじめから何度も言ってるじゃないか。」
「でも、何だかお前、元気が無いじゃないか。」
「そう言うあなたこそ、妙にしょんぼりしているぜ。私や、どうも、お迎えはいいけれど、このお見送りってやつは苦手だ。」
「行きはよいよい、かね。」
「洒落どころじゃありません。どうも、このお見送りってやつは、気のはずまねえものだ。溜息ばかり出て、何を言ってもしらじらしく、いっそもう、この辺でお別れしてしまいたいようなものだ。」
「やっぱり、お前も淋しいのかね。」浦島は、ほろりとして、「こんどはずいぶん、お前のお世話にもなったね。お礼を言います。」
 亀は返事をせず、なんだそんなこと、と言わぬばかりにちょっと甲羅をゆすって、そうしてただ、せっせと泳ぐ。
「あのお方は、やっぱりあそこで、たったひとりで遊んでいるのだろうね。」浦島は、いかにもやるせないような溜息をついて、「私にこんな綺麗な貝をくれたが、これはまさか、食べるものじゃないだろうな。」
 亀はくすくす笑い出し、
「ちょっと竜宮にいるうちに、あなたも、ばかに食い意地が張って来ましたね。それだけは、食べるものでは無いようです。私にもよくわかりませんが、その貝の中に何かはいっているのじゃないんですか?」と亀は、ここに於いて、かのエデンの園の蛇の如く、何やら人の好奇心をそそるような妙な事を、ふいと言った。やはりこれも、爬虫類共通の宿命なのであろうか。いやいや、そうきめてしまうのは、この善良の亀に対して気の毒だ。亀自身も以前、浦島に向って、「しかし、私は、エデンの園の蛇ではない、はばかりながら日本の亀だ。」と豪語している。信じてやらなけりゃ可哀想だ。それにまた、この亀のこれまでの浦島に対する態度から判断しても、決してかのエデンの園の蛇の如く、佞奸邪智にして、恐ろしい破滅の誘惑を囁くような性質のものでは無いように思われる。それどころか、所謂さっきの鯉の吹流しの、愛すべき多弁家に過ぎないのではないかと思われる。つまり、何の悪気も無かったのだ。私は、そのように解したい。亀は、さらにまた言葉をつづけて、「でも、その貝は、あけて見ないほうがいいかも知れません。きっとその中には竜宮の精気みたいなものがこもっているのでしょうから。それを陸上であけたら、奇怪な蜃気楼が立ち昇り、あなたを発狂させたり何かするかも知れないし、或いはまた、海の潮が噴出して大洪水を起す事なども無いとは限らないし、とにかく海底の酸素を陸上に放散させては、どうせ、ろくな事が起らないような気がしますよ。」と真面目に言う。
 浦島は亀の深切を信じた。
「そうかも知れないね。あんな高貴な竜宮の雰囲気が、もしこの貝の中にひめられてあるとしたら、陸上の俗悪な空気にふれた時には、戸惑いして、大爆発でも起すかも知れない。まあ、これはこうして、いつまでも大事に、家の宝として保存して置くことにしよう。」
 既に海上に浮ぶ。太陽の光がまぶしい。ふるさとの浜が見える。浦島はいまは一刻も早く、わが家に駈け込み、父母弟妹、また大勢の使用人たちを集めて、つぶさに竜宮の模様を物語り、冒険とは信じる力だ、この世の風流なんてものはケチくさい猿真似だ、正統というのは、あれは通俗の別称さ、わかるかね、真の上品《じょうぼん》というのは聖諦の境地さ、ただのあきらめじゃ無いぜ、わかるかね、批評なんてうるさいものは無いんだ、無限に許されているんだ、そうしてただ微笑があるだけだ、わかるかね、客を忘れているのだ、わかるまい、などとそれこそ、たったいま聞いて来たふうの新知識を、めちゃ苦茶に振りまわして、そうしてあの現実主義の弟のやつが、もし少しでも疑うような顔つきを見せた時には、すなわちこの竜宮の美しいお土産をあいつの鼻先につきつけて、ぎゃふんと参らせてやろう、と意気込み、亀に別離の挨拶するのも忘れて汀に飛び降り、あたふたと生家に向って急けば、
  ドウシタンデショウ モトノサト
  ドウシタンデショウ モトノイエ
  ミワタスカギリ アレノハラ
  ヒトノカゲナク ミチモナク
  マツフクカゼノ オトバカリ
 という段どりになるのである。浦島は、さんざん迷った末に、とうとうかの竜宮のお土産の貝殻をあけて見るという事になるのであるが、これに就いて、あの亀が責任を負う必要はないように思われる。「あけてはならぬ」と言われると、なお、あけて見たい誘惑を感ずると云う人間の弱点は、この浦島の物語に限らず、ギリシャ神話のパンドラの箱の物語に於いても、それと同様の心理が取りあつかわれているようだ。しかし、あのパンドラの箱の場合は、はじめから神々の復讐が企図せられていたのである。「あけてはならぬ」という一言が、パンドラの好奇心を刺戟して、必ずや後日パンドラが、その箱をあけて見るにちがいないという意地悪い予想のもとに「あけるな」という禁制を宣告したのである。それに引きかへ、われわれの善良な亀は、まったくの深切から浦島にそれを言ったのだ。あの時の亀の、余念なさそうな言い方に依っても、それは信じていいと思う。あの亀は正直者だ。あの亀には責任が無い。それは私も確信をもって証言できるのであるが、さて、もう一つ、ここに妙な腑に落ちない問題が残っている。浦島は、その竜宮のお土産をあけて見ると、中から白い煙が立ち昇り、たちまち彼は三百歳だかのお爺さんになって、だから、あけなきゃよかったのに、つまらない事になった、お気の毒に、などというところでおしまいになるのが、一般に伝えられている「浦島さん」物語であるが、私はそれに就いて深い疑念にとらわれている。するとこの竜宮のお土産も、あの人間のもろもろの禍《わざわい》の種の充満したパンドラの箱の如く、乙姫の深刻な復讐、或いは懲罰の意を秘めた贈り物であったのか。あのように何も言わず、ただ微笑して無限に許しているような素振りを見せながらも、皮裏にひそかに峻酷の陽秋を蔵していて、浦島のわがままを一つも許さず、厳罰を課する意味であの貝殻を与えたのか。いや、それほど極端の悲観論を称えずとも、或いは、貴人というものは、しばしば、むごい嘲弄を平気でするものであるから、乙姫もまったく無邪気の悪戯のつもりで、こんなひとのわるい冗談をやらかしたのか。いずれにしても、あの真の上品《じょうぼん》の筈の乙姫が、こんな始末の悪いお土産を与えたとは、不可解きわまる事である。パンドラの箱の中には、疾病、恐怖、怨恨、哀愁、疑惑、嫉妬、憤怒、憎悪、呪咀、焦慮、後悔、卑屈、貪慾、虚偽、怠惰、暴行などのあらゆる不吉の妖魔がはいっていて、パンドラがその箱をそっとあけると同時に、羽蟻の大群の如く一斉に飛び出し、この世の隅から隅まで残るくまなくはびこるに到ったという事になっているが、しかし、呆然たるパンドラが、うなだれて、そのからっぽの箱の底を眺めた時、その底の闇に一点の星のように輝いている小さな宝石を見つけたというではないか。そうして、その宝石には、なんと、「希望」という字がしたためられていたという。これに依って、パンドラの蒼白の頬にも、幽かに血の色がのぼったという。それ以来、人間は、いかなる苦痛の妖魔に襲われても、この「希望」に依って、勇気を得、困難に堪え忍ぶ事が出来るようになったという。それに較べて、この竜宮のお土産は、愛嬌も何もない。ただ、煙だ。そうして、たちまち三百歳のお爺さんである。よしんば、その「希望」の星が貝殻の底に残っていたとしたところで、浦島さんは既に三百歳である。三百歳のお爺さんに「希望」を与えたって、それは悪ふざけに似ている。どだい、無理だ。それでは、ここで一つ、れいの「聖諦」を与えてみたらどうか。しかし、相手は三百歳である。いまさら、そんな気取ったきざったらしいものを与えなくたって、人間三百歳にもなりゃ、いい加減、諦めているよ。結局、何もかも駄目である。救済の手の差伸べようが無い。どうにも、これはひどいお土産をもらって来たものだ。しかし、ここで匙を投げたら、或いは、日本のお伽噺はギリシャ神話よりも残酷である。などと外国人に言われるかも知れない。それはいかにも無念な事だ。また、あのなつかしい竜宮の名誉にかけても、何とかして、この不可解のお土産に、貴い意義を発見したいものである。いかに竜宮の数日が陸上の数百年に当るとは言え、何もその歳月を、ややこしいお土産などにして浦島に持たせてよこさなくてもよさそうなものだ。浦島が竜宮から海の上に浮かび出たとたんに、白髪の三百歳に変化したというのなら、まだ話がわかる。また、乙姫のお情で、浦島をいつまでも青年にして置くつもりだったのならば、そんな危険な「あけてはならぬ」品物を、わざわざ浦島に持たせてよこす必要は無い。竜宮のどこかの隅に捨てて置いたっていいじゃないか。それとも、お前のたれた糞尿は、お前が持って帰ったらいいだろう、という意味なのだろうか。それでは、何だかひどく下等な「面当《つらあ》て」みたいだ。まさかあの聖諦の乙姫が、そんな長屋の夫婦喧嘩みたいな事をたくらむとは考えられない。どうも、わからぬ。私は、それに就いて永い間、思案した。そうして、このごろに到って、ようやく少しわかって来たような気がして来たのである。
 つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとって不幸であったという先入感に依って誤られて来たのである。絵本にも、浦島は三百歳になって、それから、「実に、悲惨な身の上になったものさ。気の毒だ。」などというような事は書かれていない。
  タチマチ シラガノ オジイサン
 それでおしまいである。気の毒だ、馬鹿だ、などというのは、私たち俗人の勝手な盲断に過ぎない。三百歳になったのは、浦島にとって、決して不幸ではなかった[#なかった」に傍点]のだ。
 貝殻の底に、「希望」の星があって、それで救われたなんてのは、考えてみるとちょっと少女趣味で、こしらえものの感じが無くもないような気もするが、浦島は、立ち昇る煙それ自体で救われているのである。貝殻の底には、何も残っていなくたっていい。そんなものは問題でないのだ。曰く、
  年月は、人間の救いである。
  忘却は、人間の救いである。
 竜宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依って、まさに最高潮に達した観がある。思い出は、遠くへだたるほど美しいというではないか。しかも、その三百年の招来をさえ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到っても、浦島は、乙姫から無限の許可を得ていたのである。淋しくなかったら、浦島は、貝殻をあけて見るような事はしないだろう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救いを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよそう。日本のお伽噺には、このような深い慈悲がある。
 浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたという。

カチカチ山

 カチカチ山の物語に於ける兎は少女、そうしてあの惨めな敗北を喫する狸は、その兎の少女を恋している醜男。これはもう疑いを容れぬ儼然たる事実のように私には思われる。これは甲州、富士五湖の一つの河口湖畔、いまの船津の裏山あたりで行われた事件であるという。甲州の人情は、荒っぽい。そのせいか、この物語も、他のお伽噺に較べて、いくぶん荒っぽく出来ている。だいいち、どうも、物語の発端からして酷だ。婆汁なんてのは、ひどい。お道化にも洒落にもなってやしない。狸も、つまらない悪戯をしたものである。縁の下に婆さんの骨が散らばっていたなんて段に到ると、まさに陰惨の極度であって、所謂児童読物としては、遺憾ながら発売禁止の憂目に遭わざるを得ないところであろう。現今発行せられているカチカチ山の絵本は、それゆえ、狸が婆さんに怪我をさせて逃げたなんて工合に、賢明にごまかしているようである。それはまあ、発売禁止も避けられるし、大いによろしい事であろうが、しかし、たったそれだけの悪戯に対する懲罰としてはどうも、兎の仕打は、執拗すぎる。一撃のもとに倒すというような颯爽たる仇討ちではない。生殺しにして、なぶって、なぶって、そうして最後は泥舟でぶくぶくである。その手段は、一から十まで詭計である。これは日本の武士道の作法ではない。しかし、狸が婆汁などという悪どい欺術を行ったのならば、その返報として、それくらいの執拗のいたぶりを受けるのは致し方の無いところでもあろうと合点のいかない事もないのであるが、童心に与える影響ならびに発売禁止のおそれを顧慮して、狸が単に婆さんに怪我をさせて逃げた罰として兎からあのようなかずかずの恥辱と苦痛と、やがてぶていさい極まる溺死とを与えられるのは、いささか不当のようにも思われる。もともとこの狸は、何の罪とがも無く、山でのんびり遊んでいたのを、爺さんに捕えられ、そうして狸汁にされるという絶望的な運命に到達し、それでも何とかして一条の血路を切りひらきたく、もがき苦しみ、窮余の策として婆さんを欺き、九死に一生を得たのである。婆汁なんかをたくらんだのは大いに悪いが、しかし、このごろの絵本のように、逃げるついでに婆さんを引掻いて怪我させたくらいの事は、狸もその時は必死の努力で、謂わば正当防衛のために無我夢中であがいて、意識せずに婆さんに怪我を与えたのかも知れないし、それはそんなに憎むべき罪でも無いように思われる。私の家の五歳の娘は、器量も父に似て頗るまずいが、頭脳もまた不幸にも父に似て、へんなところがあるようだ。私が防空壕の中で、このカチカチ山の絵本を読んでやったら、
「狸さん、可哀想ね。」
 と意外な事を口走った。もっとも、この娘の「可哀想」は、このごろの彼女の一つ覚えで、何を見ても「可哀想」を連発し、以て子に甘い母の称讃を得ようという下心が露骨に見え透いているのであるから、格別おどろくには当らない。或いは、この子は、父に連れられて近所の井の頭動物園に行った時、檻の中を絶えずチョコチョコ歩きまわっている狸の一群を眺め、愛すべき動物であると思い込み、それゆえ、このカチカチ山の物語に於いても、理由の如何を問わず、狸に贔屓していたのかも知れない。いずれにしても、わが家の小さい同情者の言は、あまりあてにならない。思想の根拠が、薄弱である。同情の理由が、朦朧としている。どだい、何も、問題にする価値が無い。しかし私は、その娘の無責任きわまる放言を聞いて、或る暗示を与えられた。この子は、何も知らずにただ、このごろ覚えた言葉を出鱈目に呟いただけの事であるが、しかし、父はその言葉に依って、なるほど、これでは少し兎の仕打がひどすぎる、こんな小さい子供たちなら、まあ何とか言ってごまかせるけれども、もっと大きい子供で、武士道とか正々堂々とかの観念を既に教育せられている者には、この兎の懲罰は所謂「やりかたが汚い」と思われはせぬか、これは問題だ、と愚かな父は眉をひそめたというわけである。
 このごろの絵本のように、狸が婆さんに単なる引掻き傷を与えたくらいで、このように兎に意地悪く飜弄せられ、背中は焼かれ、その焼かれた個所には唐辛子《とうがらし》を塗られ、あげくの果には泥舟に乗せられて殺されるという悲惨の運命に立ち到るという筋書では、国民学校にかよっているほどの子供ならば、すぐに不審を抱くであろう事は勿論、よしんば狸が、不埒な婆汁などを試みたとしても、なぜ正々堂々と名乗りを挙げて彼に膺懲の一太刀を加えなかったか。兎が非力であるから、などはこの場合、弁解にならない。仇討ちは須く正々堂々たるべきである。神は正義に味方する。かなわぬまでも、天誅! と一声叫んで真正面からおどりかかって行くべきである。あまりにも腕前の差がひどかったならば、その時には臥薪嘗胆、鞍馬山にでもはいって一心に剣術の修行をする事だ。昔から日本の偉い人たちは、たいていそれをやっている。いかなる事情があろうと、詭計を用いて、しかもなぶり殺しにするなどという仇討物語は、日本に未だ無いようだ。それをこのカチカチ山ばかりは、どうも、その仇討の仕方が芳しくない。どだい、男らしくないじゃないか、と子供でも、また大人でも、いやしくも正義にあこがれている人間ならば、誰でもこれに就いてはいささか不快の情を覚えるのではあるまいか。
 安心し給え。私もそれに就いて、考えた。そうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だという事がわかった。この兎は男じゃないんだ。それは、たしかだ。この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。そうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。ギリシャ神話には美しい女神がたくさん出て来るが、その中でも、ヴィナスを除いては、アルテミスという処女神が最も魅力ある女神とせられているようだ。ご承知のように、アルテミスは月の女神で、額には青白い三日月が輝き、そうして敏捷できかぬ気で、一口で言えばアポロンをそのまま女にしたような神である。そうして下界のおそろしい猛獣は全部この女神の家来である。けれども、その姿態は決して荒くれて岩乗な大女ではない。むしろ小柄で、ほっそりとして、手足も華奢で可愛く、ぞっとするほどあやしく美しい顔をしているが、しかし、ヴィナスのような「女らしさ」が無く、乳房も小さい。気にいらぬ者には平気で残酷な事をする。自分の水浴しているところを覗き見した男に、颯っと水をぶっかけて鹿にしてしまった事さえある。水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。こんな女に惚れたら、男は惨憺たる大恥辱を受けるにきまっている。けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危険な女性に惚れ込み易いものである。そうして、その結果は、たいていきまっているのである。
 疑うものは、この気の毒な狸を見るがよい。狸は、そのようなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せていたのだ。兎が、このアルテミス型の少女だったと規定すると、あの狸が婆汁か引掻き傷かいずれの罪を犯した場合でも、その懲罰が、へんに意地くね悪く、そうして「男らしく」ないのが当然だと、溜息と共に首肯せられなければならぬわけである。しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天であったというに於いては、その悲惨のなり行きは推するに余りがある。
 狸は爺さんに捕えられ、もう少しのところで狸汁にされるところであったが、あの兎の少女にひとめまた逢いたくて、大いにあがいて、やっと逃れて山へ帰り、ぶつぶつ何か言いながら、うろうろ兎を捜し歩き、やっと見つけて、
「よろこんでくれ! おれは命拾いをしたぞ。爺さんの留守をねらって、あの婆さんを、えい、とばかりにやっつけて逃げて来た。おれは運の強い男さ。」と得意満面、このたびの大厄難突破の次第を、唾を飛ばし散らしながら物語る。
 兎はぴょんと飛びしりぞいて唾を避け、ふん、といったような顔つきで話を聞き、
「何も私が、よろこぶわけは無いじゃないの。きたないわよ、そんなに唾を飛ばして。それに、あの爺さん婆さんは、私のお友達よ。知らなかったの?」
「そうか、」と狸は愕然として、「知らなかった。かんべんしてくれ。そうと知っていたら、おれは、狸汁にでも何にでも、なってやったのに。」と、しょんぼりする。
「いまさら、そんな事を言ったって、もうおそいわ。あのお家の庭先に私が時々あそびに行って、そうして、おいしいやわらかな豆なんかごちそうになったのを、あなただって知ってたじゃないの。それだのに、知らなかったなんて嘘ついて、ひどいわ。あなたは、私の敵よ。」とむごい宣告をする。兎にはもうこの時すでに、狸に対して或る種の復讐を加えてやろうという心が動いている。処女の怒りは辛辣である。殊にも醜悪な魯鈍なものに対しては容赦が無い。
「ゆるしてくれよ。おれは、ほんとに、知らなかったのだ。嘘なんかつかない。信じてくれよ。」と、いやにねばっこい口調で歎願して、頸を長くのばしてうなだれて見せて、傍に木の実が一つ落ちているのを見つけ、ひょいと拾って食べて、もっと無いかとあたりをきょろきょろ見廻しながら、「本当にもう、お前にそんなに怒られると、おれはもう、死にたくなるんだ。」
「何を言ってるの。食べる事ばかり考えてるくせに。」兎は軽蔑し果てたというように、つんとわきを向いてしまって、「助平の上に、また、食い意地がきたないったらありゃしない。」
「見のがしてくれよ。おれは、腹がへっているんだ。」となおもその辺を、うろうろ捜し廻りながら、「まったく、いまのおれのこの心苦しさが、お前にわかってもらえたらなあ。」
「傍へ寄って来ちゃ駄目だって言ったら。くさいじゃないの。もっとあっちへ離れてよ。あなたは、とかげを食べたんだってね。私は聞いたわよ。それから、ああ可笑しい、ウンコも食べたんだってね。」
「まさか。」と狸は力弱く苦笑した。それでも、なぜだか、強く否定する事の能わざる様子で、さらにまた力弱く、「まさかねえ。」と口を曲げて言うだけであった。
「上品ぶったって駄目よ。あなたのそのにおいは、ただの臭《くさ》みじゃないんだから。」と兎は平然と手きびしい引導を渡して、それから、ふいと別の何か素晴らしい事でも思いついたらしく急に眼を輝かせ、笑いを噛み殺しているような顔つきで狸のほうに向き直り、「それじゃあね、こんど一ぺんだけ、ゆるしてあげる。あれ、寄って来ちゃ駄目だって言うのに。油断もすきもなりゃしない。よだれを拭いたらどう? 下顎がべろべろしてるじゃないの。落ついて、よくお聞き。こんど一ぺんだけは特別にゆるしてあげるけれど、でも、条件があるのよ。あの爺さんは、いまごろはきっとひどく落胆して、山に柴刈りに行く気力も何も無くなっているでしょうから、私たちはその代りに柴刈りに行ってあげましょうよ。」
「一緒に? お前も一緒に行くのか?」狸の小さい濁った眼は歓喜に燃えた。
「おいや?」
「いやなものか。きょうこれから、すぐに行こうよ。」よろこびの余り、声がしゃがれた。
「あしたにしましょう、ね、あしたの朝早く。きょうはあなたもお疲れでしょうし、それに、おなかも空《す》いているでしょうから。」といやに優しい。
「ありがたい! おれは、あしたお弁当をたくさん作って持って行って、一心不乱に働いて十貫目の柴を刈って、そうして爺さんの家へとどけてあげる。そうしたら、お前は、おれをきっと許してくれるだろうな。仲よくしてくれるだろうな。」
「くどいわね。その時のあなたの成績次第でね。もしかしたら、仲よくしてあげるかも知れないわ。」
「えへへ、」と狸は急にいやらしく笑い、「その口が憎いや。苦労させるぜ、こんちきしゃう。おれは、もう、」と言いかけて、這い寄って来た大きい蜘蛛を素早くぺろりと食べ、「おれは、もう、どんなに嬉しいか、いっそ、男泣きに泣いてみたいくらいだ。」と鼻をすすり、嘘泣きをした。

 夏の朝は、すがすがしい。河口湖の湖面は朝霧に覆われ、白く眼下に烟っている。山頂では狸と兎が朝露を全身に浴びながら、せっせと柴を刈っている。
 狸の働き振りを見るに、一心不乱どころか、ほとんど半狂乱に近いあさましい有様である。ううむ、ううむ、と大袈裟に捻りながら、めちゃ苦茶に鎌を振りまわして、時々、あいたたたた、などと聞えよがしの悲鳴を挙げ、ただもう自分がこのように苦心惨憺しているというところを兎に見てもらいたげの様子で、縦横無尽に荒れ狂う。ひとしきり、そのように凄じくあばれて、さすがにもうだめだ、というような疲れ切った顔つきをして鎌を投げ捨て、
「これ、見ろ。手にこんなに豆が出来た。ああ、手がひりひりする。のどが乾く。おなかも空《す》いた。とにかく、大労働だったからなあ。ちょっと休息という事にしようじゃないか。お弁当でも開きましょうかね。うふふ」とてれ隠しみたいに妙に笑って、大きいお弁当箱を開く。ぐいとその石油鑵ぐらいの大きさのお弁当箱に鼻先を突込んで、むしゃむしゃ、がつがつ、ぺっぺっ、という騒々しい音を立てながら、それこそ一心不乱に食べている。兎はあっけにとられたような顔をして、柴刈りの手を休め、ちょっとそのお弁当箱の中を覗いて、あ! と小さい叫びを挙げ、両手で顔を覆った。何だか知れぬが、そのお弁当箱には、すごいものがはいっていたようである。けれども、きょうの兎は、何か内証の思惑でもあるのか、いつものように狸に向って侮辱の言葉も吐かず、先刻から無言で、ただ技巧的な微笑を口辺に漂わせてせっせと柴を刈っているばかりで、お調子に乗った狸のいろいろな狂態をも、知らん振りして見のがしてやっているのである。狸の大きいお弁当箱の中を覗いて、ぎょっとしたけれども、やはり何も言わず、肩をきゅっとすくめて、またもや柴刈りに取かかる。狸は兎にきょうはひどく寛大に扱われるので、ただもうほくほくして、とうとうやっこさんも、おれのさかんな柴刈姿には惚れ直したかな? おれの、この、男らしさには、まいらぬ女もあるまいて、ああ、食った、眠くなった、どれ一眠り、などと全く気をゆるしてわがままいっぱいに振舞い、ぐうぐう大鼾を掻いて寝てしまった。眠りながらも、何のたわけた夢を見ているのか、惚れ薬ってのは、あれは駄目だぜ、きかねえや、などわけのわからぬ寝言を言い、眼をさましたのは、お昼ちかく。
「ずいぶん眠ったのね。」と兎は、やはりやさしく、「もう私も、柴を一束こしらえたから、これから背負って爺さんの庭先まで持って行ってあげましょうよ。」
「ああ、そうしよう。」と狸は大あくびしながら腕をぽりぽり掻いて、「やけにおなかが空《す》いた。こうおなかが空くと、もうとても、眠って居られるものじゃない。おれは敏感なんだ。」ともっともらしい顔で言い、「どれ、それではおれも刈った柴を大急ぎで集めて、下山としようか。お弁当も、もう、からになったし、この仕事を早く片づけて、それからすぐに食べ物を捜さなくちゃいけない。」
 二人はそれぞれ刈った柴を背負って、帰途につく。
「あなた、さきに歩いてよ。この辺には、蛇がいるんで、私こわくて。」
「蛇? 蛇なんてこわいもんか。見つけ次第おれがとって、」食べる、と言いかけて、口ごもり、「おれがとって、殺してやる。さあ、おれのあとについて来い。」
「やっぱり、男のひとって、こんな時にはたのもしいものねえ。」
「おだてるなよ。」とやにさがり、「きょうはお前、ばかにしおらしいじゃないか。気味がわるいくらいだぜ。まさか、おれをこれから爺さんのところに連れて行って、狸汁にするわけじゃあるまいな。あははは。そいつばかりは、ごめんだぜ。」
「あら、そんなにへんに疑うなら、もういいわよ。私がひとりで行くわよ。」
「いや、そんなわけじゃない。一緒に行くがね、おれは蛇だって何だってこの世の中にこわいものなんかありゃしないが、どうもあの爺さんだけは苦手だ。狸汁にするなんて言いやがるから、いやだよ。どだい、下品じゃないか。少くとも、いい趣味じゃないと思うよ。おれは、あの爺さんの庭先の手前の一本榎のところまで、この柴を背負って行くから、あとはお前が運んでくれよ。おれは、あそこで失敬しようと思うんだ。どうもあの爺さんの顔を見ると、おれは何とも言えず不愉快になる。おや? 何だい、あれは。へんな音がするね。なんだろう。お前にも、聞えないか? 何だか、カチ、カチ、と音がする。」
「当り前じゃないの? ここは、カチカチ山だもの。」
「カチカチ山? ここがかい?」
「ええ、知らなかったの?」
「うん。知らなかった。この山に、そんな名前があるとは今日まで知らなかったね。しかし、へんな名前だ。嘘じゃないか?」
「あら、だって、山にはみんな名前があるものでしょう? あれが富士山だし、あれが長尾山だし、あれが大室山だし、みんなに名前があるじゃないの。だから、この山はカチカチ山っていう名前なのよ。ね、ほら、カチ、カチって音が聞える。」
「うん、聞える。しかし、へんだな。いままで、おれはいちども、この山でこんな音を聞いた事が無い。この山で生れて、三十何年かになるけれども、こんな、——」
「まあ! あなたは、もうそんな年なの? こないだ私に十七だなんて教えたくせに、ひどいじゃないの。顔が皺くちゃで、腰も少し曲っているのに、十七とは、へんだと思っていたんだけど、それにしても、二十も年《とし》をかくしているとは思わなかったわ。それじゃあなたは、四十ちかいんでしょう、まあ、ずいぶんね。」
「いや十七だ、十七。十七なんだ。おれがこう腰をかがめて歩くのは、決してとしのせいじゃないんだ。おなかが空《す》いているから、自然にこんな恰好になるんだ、三十何年、というのは、あれは、おれの兄の事だよ。兄がいつも口癖のようにそう言うので、つい、おれも、うっかり、あんな事を口走ってしまったんだ。つまり、ちょっと伝染したってわけさ。そんなわけなんだよ、君。」狼狽のあまり、君という言葉を使った。
「そうですか。」と兎は冷静に、「でも、あなたにお兄さんがあるなんて、はじめて聞いたわ。あなたはいつか私に、おれは淋しいんだ、孤独なんだよ、親も兄弟も無い、この孤独の淋しさが、お前、わからんかね、なんておっしゃってたじゃないの。あれは、どういうわけなの?」
「そう、そう、」と狸は、自分でも何を言っているのか、わからなくなり、「まったく世の中は、これでなかなか複雑なものだからねえ、そんなに一概には行かないよ。兄があったり無かったり。」
「まるで、意味が無いじゃないの。」と兎もさすがに呆れ果て、「めちゃ苦茶ね。」
「うん、実はね、兄はひとりあるんだ。これは言うのもつらいが、飲んだくれのならず者でね、おれはもう恥づかしくて、面目なくて、生れて三十何年間、いや、兄がだよ、兄が生れて三十何年間というもの、このおれに、迷惑のかけどほしさ。」
「それも、へんね。十七のひとが、三十何年間も迷惑をかけられたなんて。」
 狸は、もう聞えぬ振りして、
「世の中には、一口で言えない事が多いよ。いまじゃもう、おれのほうから、あれは無いものと思って、勘当して、おや? へんだね、キナくさい。お前、なんともないか?」
「いいえ。」
「そうかね。」狸は、いつも臭いものを食べつけているので、鼻には自信が無い。けげんな面持で頸《くび》をひねり、「気のせいかなあ、あれあれ、何だか火が燃えているような、パチパチボウボウって音がするじゃないか。」
「それやその筈よ。ここは、パチパチのボウボウ山だもの。」
「嘘つけ。お前は、ついさっき、ここはカチカチ山だって言った癖に。」
「そうよ、同じ山でも、場所に依って名前が違うのよ。富士山の中腹にも小富士という山があるし、それから大室山だって長尾山だって、みんな富士山と続いている山じゃないの。知らなかったの?」
「うん、知らなかった。そうかなあ、ここがパチパチのボウボウ山とは、おれが三十何年間、いや、兄の話に依れば、ここはただの裏山だったが、いや、これは、ばかに暖くなって来た。地震でも起るんじゃねえだろうか。何だかきょうは薄気味の悪い日だ。やあ、これは、ひどく暑い。きゃあつ! あちちちち、ひでえ、あちちちち、助けてくれ、柴が燃えてる。あちちちち。」

 その翌る日、狸は自分の穴の奥にこもって捻り、
「ああ、くるしい。いよいよ、おれも死ぬかも知れねえ。思えば、おれほど不仕合せな男は無い。なまなかに男振りが少し佳く生れて来たばかりに、女どもが、かえって遠慮しておれに近寄らない。いったいに、どうも、上品に見える男は損だ。おれを女ぎらいかと思っているのかも知れねえ。なあに、おれだって決して聖人じゃない。女は好きさ。それだのに、女はおれを高邁な理想主義者だと思っているらしく、なかなか誘惑してくれない。こうなればいっそ、大声で叫んで走り狂いたい。おれは女が好きなんだ! あ、いてえ、いてえ。どうも、この火傷《やけど》というものは始末がわるい。ずきずき痛む。やっと狸汁から逃れたかと思うと、こんどは、わけのわからねえボウボウ山とかいうのに足を踏み込んだのが、運のつきだ。あの山は、つまらねえ山であった。柴がボウボウ燃え上るんだから、ひどい。三十何年、」と言いかけて、あたりをぎょろりと見廻し、「何を隠そう、おれあことし三十七さ、へへん、わるいか、もう三年経てば四十だ、わかり切った事だ、理の当然というものだ、見ればわかるじゃないか。あいたたた、それにしても、おれが生れてから三十七年間、あの裏山で遊んで育って来たのだが、ついぞいちども、あんなへんな目に遭った事が無い。カチカチ山だの、ボウボウ山だの、名前からして妙に出来てる。はて、不思議だ。」とわれとわが頭を殴りつけて思案にくれた。
 その時、表で行商の呼売りの声がする。
「仙金膏はいかが。やけど、切傷、色黒に悩むかたはいないか。」
 狸は、やけど切傷よりも、色黒と聞いてはっとした。
「おうい、仙金膏。」
「へえ、どちらさまで。」
「こっちだ、穴の奥だよ。色黒にもきくかね。」
「それはもう、一日で。」
「ほほう、」とよろこび、穴の奥からいざり出て、「や! お前は、兎。」
「ええ、兎には違いありませんが、私は男の薬売りです。ええ、もう三十何年間、この辺をこうして売り歩いています。」
「ふう、」と狸は溜息をついて首をかしげ、「しかし、似た兎もあるものだ。三十何年間、そうか、お前がねえ。いや、歳月の話はよそう。糞面白くもない。しつっこいじゃないか。まあ、そんなわけのものさ。」としどろもどろのごまかし方をして、「ところで、おれにその薬を少しゆずってくれないか。実はちょっと悩みのある身なのでな。」
「おや、ひどい火傷ですねえ。これは、いけない。ほって置いたら、死にますよ。」
「いや、おれはいっそ死にてえ。こんな火傷なんかどうだっていいんだ。それよりも、おれは、いま、その、容貌の、——」
「何を言っていらっしゃるんです。生死の境じゃありませんか。やあ、背中が一ばんひどいですね。いったい、これはどうしたのです。」
「それがねえ、」と狸は口をゆがめて、「パチパチのボウボウ山とかいうきざな名前の山に踏み込んだばっかりにねえ、いやもう、とんだ事になってねえ、おどろきましたよ。」
 兎は思わず、くすくす笑ってしまった。狸は、兎がなぜ笑ったのかわからなかったが、とにかく自分も一緒に、あははと笑い、
「まったくねえ。ばかばかしいったらありゃしないのさ。お前にも忠告して置きますがね、あの山へだけは行っちゃいけないぜ。はじめ、カチカチ山というのがあって、それからいよいよパチパチのボウボウ山という事になるんだが、あいつあいけない。ひでえ事になっちゃう。まあ、いい加減に、カチカチ山あたりでごめんこうむって来るんですな。へたにボウボウ山などに踏み込んだが最期、かくの如き始末だ。あいててて。いいですか。忠告しますよ。お前はまだ若いようだから、おれのような年寄りの言は、いや、年寄りでもないが、とにかく、ばかにしないで、この友人の言だけは尊重して下さいよ。何せ、体験者の言なのだから。あいてててて。」
「ありがとうございます。気をつけましょう。ところで、どうしましょう、お薬は。御深切な忠告を聞かしていただいたお礼として、お薬代は頂戴いたしません。とにかく、その背中の火傷に塗ってあげましょう。ちょうど折よく私が来合せたから、よかったようなものの、そうでもなかったら、あなたはもう命を落すような事になったかも知れないのです。これも何かのお導きでしょう。縁ですね。」
「縁かも知れねえ。」と狸は低く呻くように言い、「ただなら塗ってもらおうか。おれもこのごろは貧乏でな、どうも、女に惚れると金がかかっていけねえ。ついでにその膏薬を一滴おれの手のひらに載せて見せてくれねえか。」
「どうなさるのです。」兎は、不安そうな顔になった。
「いや、はあ、なんでもねえ。ただ、ちょっと見たいんだよ。どんな色合いのものだかな。」
「色は別に他の膏薬とかわってもいませんよ。こんなものですが。」とほんの少量を、狸の差出す手のひらに載せてやる。狸は素早くそれを顔に塗らうとしたので兎は驚き、そんな事でこの薬の正体が暴露してはかなわぬと、狸の手を遮り、
「あ、それはいけません。顔に塗るには、その薬は少し強すぎます。とんでもない。」
「いや、放してくれ。」狸はいまは破れかぶれになり、「後生だから手を放せ。お前にはおれの気持がわからないんだ。おれはこの色黒のため生れて三十何年間、どのように味気ない思いをして来たかわからない。放せ。手を放せ。後生だから塗らせてくれ。」
 ついに狸は足を挙げて兎を蹴飛ばし、眼にもとまらぬ早さで薬をぬたくり、
「少くともおれの顔は、目鼻立ちは決して悪くないと思うんだ。ただ、この色黒のために気がひけていたんだ。もう大丈夫だ。うわっ! これは、ひどい。どうもひりひりする。強い薬だ。しかし、これくらいの強い薬でなければ、おれの色黒はなおらないような気もする。わあ、ひどい。しかし、我慢するんだ。ちきしょうめ、こんどあいつが、おれと逢った時、うっとりおれの顔に見とれて、うふふ、おれはもう、あいつが、恋わずらいしたって知らないぞ。おれの責任じゃないからな。ああ、ひりひりする。この薬は、たしかに効《き》く。さあ、もうこうなったら、背中にでもどこにでも、からだ一面に塗ってくれ。おれは死んだってかまわん。色白にさえなったら死んだってかまわんのだ。さあ塗ってくれ。遠慮なくべたべたと威勢よくやってくれ。」まことに悲壮な光景になって来た。
 けれども、美しく高ぶった処女の残忍性には限りが無い。ほとんどそれは、悪魔に似ている。平然と立ち上って、狸の火傷にれいの唐辛子《とうがらし》をねったものをこってりと塗る。狸はたちまち七転八倒して、
「ううむ、何ともない。この薬は、たしかに効く。わああ、ひどい。水をくれ。ここはどこだ。地獄か。かんにんしてくれ。おれは地獄へ落ちる覚えは無えんだ。おれは狸汁にされるのがいやだったから、それで婆さんをやっつけたんだ。おれに、とがは無えのだ。おれは生れて三十何年間、色が黒いばっかりに、女にいちども、もてやしなかったんだ。それから、おれは、食慾が、ああ、そのために、おれはどんなにきまりの悪い思いをして来たか。誰も知りやしないのだ。おれは孤独だ。おれは善人だ。眼鼻立ちは悪くないと思うんだ。」と苦しみのあまり哀れな譫言を口走り、やがてぐったり失神の有様となる。

 しかし、狸の不幸は、まだ終らぬ。作者の私でさえ、書きながら溜息が出るくらいだ。おそらく、日本の歴史に於いても、これほど不振の後半生を送った者は、あまり例が無いように思われる。狸汁の運命から逃れて、やれ嬉しやと思う間もなく、ボウボウ山で意味も無い大火傷をして九死に一生を得、這うようにしてどうやらわが巣にたどりつき、口をゆがめて呻吟していると、こんどはその大火傷に唐辛子をべたべた塗られ、苦痛のあまり失神し、さて、それからいよいよ泥舟に乗せられ、河口湖底に沈むのである。実に、何のいいところも無い。これもまた一種の女難にちがい無かろうが、しかし、それにしても、あまりに野暮な女難である。粋《いき》なところが、ひとつも無い。彼は穴の奥で三日間は虫の息で、生きているのだか死んでいるのだか、それこそ全く幽明の境をさまよい、四日目に、猛烈の空腹感に襲われ、杖をついて穴からよろばい出て、何やらぶつぶつ言いながら、かなたこなた食い捜して歩いているその姿の気の毒さと来たら比類が無かった。しかし、根が骨太《ほねぶと》の岩乗なからだであったから、十日も経たぬうちに全快し、食慾は旧の如く旺盛で、色慾などもちょっと出て来て、よせばよいのに、またもや兎の庵にのこのこ出かける。
「遊びに来ましたよ。うふふ。」と、てれて、いやらしく笑う。
「あら!」と兎は言い、ひどく露骨にいやな顔をした。なあんだ、あなたなの? という気持、いや、それよりもひどい。なんだってまたやって来たの、図々しいじゃないの、という気持、いや、それよりもなおひどい。ああ、たまらない! 厄病神が来た! という気持、いや、それよりも、もっとひどい。きたない! くさい! 死んじまえ! というような極度の嫌悪が、その時の兎の顔にありありと見えているのに、しかし、とかく招かれざる客というものは、その訪問先の主人の、こんな憎悪感に気附く事はなはだ疎いものである。これは実に不思議な心理だ。読者諸君も気をつけるがよい。あそこの家へ行くのは、どうも大儀だ、窮屈だ、と思いながら渋々出かけて行く時には、案外その家で君たちの来訪をしんから喜んでいるものである。それに反して、ああ、あの家はなんて気持のよい家だろう、ほとんどわが家同然だ、いや、わが家以上に居心地がよい、我輩の唯一の憩《いこ》いの巣だ、なんともあの家へ行くのは楽しみだ、などといい気分で出かける家に於いては、諸君は、まずたいてい迷惑がられ、きたながられ、恐怖せられ、襖の陰に箒など立てられているものである。他人の家に、憩いの巣を期待するのが、そもそも馬鹿者の証拠なのかも知れないが、とかくこの訪問という事に於いては、吾人は驚くべき思い違いをしているものである。格別の用事でも無い限り、どんな親しい身内の家にでも、矢鱈に訪問などすべきものでは無いかも知れない。作者のこの忠告を疑う者は、狸を見よ。狸はいま明らかに、このおそるべき錯誤を犯しているのだ。兎が、あら! と言い、そうして、いやな顔をしても、狸には一向に気がつかない。狸には、その、あら! という叫びも、狸の不意の訪問に驚き、かつは喜悦して、おのずから発せられた処女の無邪気な声の如くに思われ、ぞくぞく嬉しく、また兎の眉をひそめた表情をも、これは自分の先日のボウボウ山の災難に、心を痛めているのに違い無いと解し、
「や、ありがとう。」とお見舞いも何も言われぬくせに、こちらから御礼を述べ、「心配無用だよ。もう大丈夫だ。おれには神さまがついているんだ。運がいいのだ。あんなボウボウ山なんて屁の河童さ。河童の肉は、うまいそうで。何とかして、そのうち食べてみようと思っているんだがね。それは余談だが、しかし、あの時は、驚いたよ。何せどうも、たいへんな火勢だったからね。お前のほうは、どうだったね。べつに怪我も無い様子だが、よくあの火の中を無事で逃げて来られたね。」
「無事でもないわよ。」と兎はつんとすねて見せて、「あなたったら、ひどいじゃないの。あのたいへんな火事場に、私ひとりを置いてどんどん逃げて行ってしまうんだもの。私は煙にむせて、もう少しで死ぬところだったのよ。私は、あなたを恨んだわ。やっぱりあんな時に、つい本心というものがあらわれるものらしいのね。私には、もう、あなたの本心というものが、こんど、はっきりわかったわ。」
「すまねえ。かんにんしてくれ。実はおれも、ひどい火傷をして、おれには、ひょっとしたら神さまも何もついていねえのかも知れない、さんざんの目に遭っちゃったんだ。お前はどうなったか、決してそれを忘れていたわけじゃなかったんだが、何せどうも、たちまちおれの背中が熱くなって、お前を助けに行くひまも何も無かったんだよ。わかってくれねえかなあ。おれは決して不実な男じゃねえのだ。火傷ってやつも、なかなか馬鹿にできねえものだぜ。それに、あの、仙金膏とか、疝気膏とか、あいつあ、いけない。いやもう、ひどい薬だ。色黒にも何もききゃしない。」
「色黒?」
「いや、何。どろりとした黒い薬でね、こいつあ、強い薬なんだ。お前によく似た、小さい、奇妙な野郎が薬代は要らねえ、と言うから、おれもつい、ものはためしだと思って、塗ってもらう事にしたのだが、いやはやどうも、ただの薬ってのも、あれはお前、気をつけたほうがいいぜ、油断も何もなりゃしねえ、おれはもう頭のてっぺんからキリキリと小さい竜巻が立ち昇ったような気がして、どうとばかりに倒れたんだ。」
「ふん、」と兎は軽蔑し、「自業自得じゃないの。ケチンボだから罰が当ったんだわ。ただの薬だから、ためしてみたなんて、よくもまあそんな下品な事を、恥ずかしくもなく言えたものねえ。」
「ひでえ事を言う。」と狸は低い声で言い、けれども、別段何も感じないらしく、ただもう好きなひとの傍にいるという幸福感にぬくぬくとあたたまっている様子で、どっしりと腰を落ちつけ、死魚のように濁った眼であたりを見廻し、小虫を拾って食べたりしながら、「しかし、おれは運のいい男だなあ。どんな目に遭っても、死にやしない。神さまがついているのかも知れねえ。お前も無事でよかったが、おれも何という事もなく火傷がなおって、こうしてまた二人でのんびり話が出来るんだものなあ。ああ、まるで夢のようだ。」
 兎はもうさっきから、早く帰ってもらいたくてたまらなかった。いやでいやで、死にそうな気持。何とかしてこの自分の庵の附近から去ってもらいたくて、またもや悪魔的の一計を案出する。
「ね、あなたはこの河口湖に、そりゃおいしい鮒がうようよいる事をご存じ?」
「知らねえ。ほんとかね。」と狸は、たちまち眼をかがやかして、「おれが三つの時、おふくろが鮒を一匹捕って来ておれに食べさせてくれた事があったけれども、あれはおいしい。おれはどうも、不器用というわけではないが、決してそういうわけではないが、鮒なんて水の中のものを捕える事が出来ねえので、どうも、あいつはおいしいという事だけは知っていながら、それ以来三十何年間、いや、はははは、つい兄の口真似をしちゃった。兄も鮒は好きでなあ。」
「そうですかね。」と兎は上の空で合槌を打ち、「私はどうも、鮒など食べたくもないけれど、でも、あなたがそんなにお好きなのならば、これから一緒に捕りに行ってあげてもいいわよ。」
「そうかい。」と狸はほくほくして、「でも、あの鮒ってやつは、素早いもんでなあ、おれはあいつを捕えようとして、も少しで土左衛門になりかけた事があるけれども、」とつい自分の過去の失態を告白し、「お前に何かいい方法があるのかね。」
「網で掬ったら、わけは無いわ。あの鸕鷀島《うがしま》の岸にこのごろとても大きい鮒が集っているのよ。ね、行きましょう。あなた、舟は? 漕げるの?」
「うむ、」幽かな溜息をついて、「漕げないことも無いがね。その気になりゃ、なあに。」と苦しい法螺を吹いた。
「漕げるの?」と兎は、それが法螺だという事を知っていながら、わざと信じた振りをして、「じゃ、ちょうどいいわ。私にはね、小さい舟が一艘あるけど、あんまり小さすぎて私たちふたりは乗れないの。それに何せ薄い板切れでいい加減に作った舟だから、水がしみ込んで来て危いのよ。でも、私なんかどうなったって、あなたの身にもしもの事があってはいけないから、あなたの舟をこれから、ふたりで一緒に力を合せて作りましょうよ。板切れの舟は危いから、もっと岩乗に、泥をこねて作りましょうよ。」
「すまねえなあ。おれはもう、泣くぜ。泣かしてくれ。おれはどうしてこんなに涙もろいか。」と言って嘘泣きをしながら、「ついでにお前ひとりで、その岩乗ないい舟を作ってくれないか。な、たのむよ。」と抜からず横着な申し出をして、「おれは恩に着るぜ。お前がそのおれの岩乗な舟を作ってくれている間に、おれは、ちょっとお弁当をこさえよう。おれはきっと立派な炊事係りになれるだろうと思うんだ。」
「そうね。」と兎は、この狸の勝手な意見をも信じた振りして素直に首肯く。そうして狸は、ああ世の中なんて甘いもんだとほくそ笑む。この間一髪に於いて、狸の悲運は決定せられた。自分の出鱈目を何でも信じてくれる者の胸中には、しばしば何かのおそるべき悪計が蔵せられているものだと云う事を、迂愚の狸は知らなかった。調子がいいぞ、とにやにやしている。
 ふたりはそろって湖畔に出る。白い河口湖には波ひとつ無い。兎はさっそく泥をこねて、所謂岩乗な、いい舟の製作にとりかかり、狸は、すまねえ、すまねえ、と言いながらあちこち飛び廻って専ら自分のお弁当の内容調合に腐心し、夕風が微かに吹き起って湖面一ぱいに小さい波が立って来た頃、粘土の小さい舟が、つやつやと鋼鉄色に輝いて進水した。
「ふむ、悪くない。」と狸は、はしゃいで、石油鑵ぐらいの大きさの、れいのお弁当箱をまず舟に積み込み、「お前は、しかし、ずいぶん器用な娘だねえ。またたく間にこんな綺麗な舟一艘つくり上げてしまうのだからねえ。神技だ。」と歯の浮くような見え透いたお世辞を言い、このように器用な働き者を女房にしたら、或いはおれは、女房の働きに依って遊んでいながら贅沢ができるかも知れないなどと、色気のほかにいまはむらむら慾気さえ出て来て、いよいよこれは何としてもこの女にくっついて一生はなれぬ事だ、とひそかに覚悟のほぞを固めて、よいしょと泥の舟に乗り、「お前はきっと舟を漕ぐのも上手だろうねえ。おれだって、舟の漕ぎ方くらい知らないわけでは、まさか、そんな、知らないと云うわけでは決して無いんだが、きょうはひとつ、わが女房のお手並を拝見したい。」いやに言葉遣いが図々しくなって来た。「おれも昔は、舟の漕ぎ方にかけては名人とか、または達者とか言われたものだが、きょうはまあ寝転んで拝見という事にしようかな。かまわないから、おれの舟の舳を、お前の舟の艫《とも》にゆわえ附けておくれ。舟も仲良くぴったりくっついて、死なばもろとも、見捨てちゃいやよ。」などといやらしく、きざったらしい事を言ってぐったり泥舟の底に寝そべる。
 兎は、舟をゆわえ附けよと言われて、さてはこの馬鹿も何か感づいたかな? とぎょっとして狸の顔つきを盗み見たが、何の事は無い、狸は鼻の下を長くしてにやにや笑いながら、もはや夢路をたどっている。鮒がとれたら起してくれ。あいつあ、うめえからなあ。おれは三十七だよ。などと馬鹿な寝言を言っている。兎は、ふんと笑って狸の泥舟を兎の舟につないで、それから、櫂でぱちゃと水の面を撃つ。するすると二艘の舟は岸を離れる。
 鸕鷀島《うがしま》の松林は夕陽を浴びて火事のようだ。ここでちょっと作者は物識り振るが、この島の松林を写生して図案化したのが、煙草の「敷島」の箱に描かれてある、あれだという話だ。たしかな人から聞いたのだから、読者も信じて損は無かろう。もっとも、いまはもう「敷島」なんて煙草は無くなっているから、若い読者には何の興味も無い話である。つまらない知識を振りまわしたものだ。とかく識ったかぶりは、このような馬鹿らしい結果に終る。まあ、生れて三十何年以上にもなる読者だけが、ああ、あの松か、と芸者遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思い出して、つまらなそうな顔をするくらいが関の山であろうか。
 さて兎は、その鸕鷀島の夕景をうっとり望見して、
「おお、いい景色。」と呟く。これは如何にも奇怪である。どんな極悪人でも、自分がこれから残虐の犯罪を行おうというその直前に於いて、山水の美にうっとり見とれるほどの余裕なんて無いように思われるが、しかし、この十六歳の美しい処女は、眼を細めて島の夕景を観賞している。まことに無邪気と悪魔とは紙一重である。苦労を知らぬわがままな処女の、へどが出るような気障ったらしい姿態に対して、ああ青春は純真だ、なんて言って垂涎している男たちは、気をつけるがよい。その人たちの所謂「青春の純真」とかいうものは、しばしばこの兎の例に於けるが如く、その胸中に殺意と陶酔が隣合せて住んでいても平然たる、何が何やらわからぬ官能のごちゃまぜの乱舞である。危険この上ないビールの泡だ。皮膚感覚が倫理を覆っている状態、これを低能あるいは悪魔という。ひところ世界中に流行したアメリカ映画、あれには、こんな所謂「純真」な雄や雌がたくさん出て来て、皮膚感触をもてあまして擽ったげにちょこまか、バネ仕掛けの如く動きまわっていた。別にこじつけるわけではないが、所謂「青春の純真」というものの元祖は、或いは、アメリカあたりにあったのではなかろうかと思われるくらいだ。スキイでランラン、とかいうたぐいである。そうしてその裏で、ひどく愚劣な犯罪を平気で行っている。低能でなければ悪魔である。いや、悪魔というものは元来、低能なのかも知れない。小柄でほっそりして手足が華奢で、かの月の女神アルテミスにも比較せられた十六歳の処女の兎も、ここに於いて一挙に頗る興味索然たるつまらぬものになってしまった、低能かい。それじゃあ仕様が無いねえ。
「ひゃあ!」と脚下に奇妙な声が起る。わが親愛なる而して甚だ純真ならざる三十七歳の男性、狸君の悲鳴である。「水だ、水だ。これはいかん。」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかったの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たぬ。それは御無理というものだ。お前はまさかこのおれを、いや、まさか、そんな鬼のような、いや、まるでわからん。お前はおれの女房じゃないか。やあ、沈む。少くとも沈むという事だけは眼前の真実だ。冗談にしたって、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当がむだになるじゃないか、このお弁当箱には鼬の糞《ふん》でまぶした蚯蚓のマカロニなんか入っているのだ。惜しいじゃないか。あっぷ! ああ、とうとう水を飲んじゃった、おい、たのむ、ひとの悪い冗談はいい加減によせ。おいおい、その綱を切っちゃいかん。死なばもろとも、夫婦は二世、切っても切れねえ縁《えにし》の艫綱《ともづな》、あ、いけねえ、切っちゃった。助けてくれ! おれは泳ぎが出来ねえのだ。白状する。昔は少し泳げたのだが、狸も三十七になると、あちこちの筋《すじ》が固くなって、とても泳げやしないのだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、としが違いすぎるのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あっぷ! ああ、お前はいい子だ、な、いい子だから、そのお前の持っている櫂をこっちへ差しのべておくれ、おれはそれにつかまって、あいたたた、何をするんだ、痛いじゃないか、櫂でおれの頭を殴りやがって、よし、そうか、わかった! お前はおれを殺す気だな、それでわかった。」と狸もその死の直前に到って、はじめて兎の悪計を見抜いたが、既におそかった。
 ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
「あいたたた、あいたたた、ひどいじゃないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。」と言って、ぐっと沈んでそれっきり。
 兎は顔を拭いて、
「おお、ひどい汗。」と言った。

 ところでこれは、好色の戒めとでもいうものであろうか。十六歳の美しい処女には近寄るなという深切な忠告を匂わせた滑稽物語でもあろうか。或いはまた、気にいったからとて、あまりしつこくお伺いしては、ついには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭うから節度を守れ、という礼儀作法の教科書でもあろうか。
 或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌いに依って世の中の人たちはその日常生活に於いて互いに罵り、または罰し、または賞し、または服しているものだという事を暗示している笑話であろうか。
 いやいや、そのように評論家的な結論に焦躁せずとも、狸の死ぬるいまわの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。
 曰く、惚れたが悪いか。
 古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君に於いても。後略。

舌切雀

 私はこの「お伽草紙」という本を、日本の国難打開のために敢闘している人々の寸暇に於ける慰労のささやかな玩具として恰好のものたらしむべく、このごろ常に微熱を発している不完全のからだながら、命ぜられては奉公の用事に出勤したり、また自分の家の罹災の後始末やら何やらしながら、とにかく、そのひまに少しずつ書きすすめて来たのである。瘤取り、浦島さん、カチカチ山、その次に、桃太郎と、舌切雀を書いて、一応この「お伽草紙」を完結させようと私は思っていたのであるが、桃太郎のお話は、あれはもう、ぎりぎりに単純化せられて、日本男児の象徴のようになっていて、物語というよりは詩や歌の趣きさえ呈している。もちろん私も当初に於いては、この桃太郎をも、私の物語に鋳造し直すつもりでいた。すなわち私は、あの鬼ケ島の鬼というものに、或る種の憎むべき性格を附与してやろうと思っていた。どうしてもあれは、征伐せずには置けぬ醜怪極悪無類の人間として、描写するつもりであった。それに依って桃太郎の鬼征伐も大いに読者諸君の共鳴を呼び起し、而してその戦闘も読む者の手に汗を握らせるほどの真に危機一髪のものたらしめようとたくらんでいた。(未だ書かぬ自分の作品の計画を語る場合に於いては、作者はたいていこのようにあどけない法螺を吹くものである。そんなに、うまくは行きませぬて。)まあさ、とにかく、まあ、聞き給え。どうせ、気焔だがね。とにかく、ひやかさずに聞いてくれ給え。ギリシャ神話に於いて、最も佞悪醜穢の魔物は、やはりあの万蛇頭のメデウサであろう。眉間には狐疑の深い皺がきざみ込まれ、小さい灰色の眼には浅間しい殺意が燃え、真蒼な頬は威嚇の怒りに震えて、黒ずんだ薄い唇は嫌悪と侮蔑にひきつったようにゆがんでいる。そうして長い頭髪の一本一本がことごとく腹の赤い毒蛇である。敵に対してこの無数の毒蛇は、素早く一様に鎌首をもたげ、しゅっしゅっと気味悪い音を立てて手向う。このメデウサの姿をひとめ見た者は、何とも知れずいやな気持になって、そうして、心臓が凍り、からだ全体つめたい石になったという。恐怖というよりは、不快感である。人の肉体よりも、人の心に害を加える。このような魔物は、最も憎むべきものであり、かつまたすみやかに退治しなければならぬものである。それに較べると、日本の化物は単純で、そうして愛嬌がある。古寺の大入道や一本足の傘の化物などは、たいてい酒飲みの豪傑のために無邪気な舞いをごらんに入れて以て豪傑の乙夜丑満の無聊を慰めてくれるだけのものである。また、絵本の鬼ケ島の鬼たちも、図体ばかり大きくて、猿に鼻など引掻かれ、あっ! と言ってひっくりかえって降参したりしている。一向におそろしくも何とも無い。善良な性格のもののようにさえ思われる。それでは折角の鬼退治も、甚だ気抜けのした物語になるだろう。ここは、どうしてもメデウサの首以上の凄い、不愉快きわまる魔物を登場させなければならぬところだ。それでなければ読者の手に汗を握らせるわけにはいかぬ。また、征服者の桃太郎が、あまりに強くては、読者はかえって鬼のほうを気の毒に思ったりなどして、その物語に危機一髪の醍醐味は湧いて出ない。ジイグフリイドほどの不死身《ふじみ》の大勇者でも、その肩先に一箇所の弱点を持っていたではないか。弁慶にも泣きどころがあったというし、とにかく、完璧の絶対の強者は、どうも物語には向かない。それに私は、自身が非力のせいか、弱者の心理にはいささか通じているつもりだが、どうも、強者の心理は、あまりつまびらかに知っていない。殊にも、誰にも絶対に負けぬ完璧の強者なんてのには、いま迄いちども逢った事が無いし、また噂にさえ聞いた事が無い。私は多少でも自分で実際に経験した事で無ければ、一行も一字も書けない甚だ空想が貧弱の物語作家である。それで、この桃太郎物語を書くに当っても、そんな見た事も無い絶対不敗の豪傑を登場させるのは何としても不可能なのである。やはり、私の桃太郎は、小さい時から泣虫で、からだが弱くて、はにかみ屋で、さっぱり駄目な男だったのだが、人の心情を破壊し、永遠の絶望と戦慄と怨嗟の地獄にたたき込む悪辣無類にして醜怪の妖鬼たちに接して、われ非力なりと雖もいまは黙視し得ずと敢然立って、黍団子を腰に、かの妖鬼たちの巣窟に向って発足する、とでもいうような事になりそうである。またあの、犬、猿、雉の三匹の家来も、決して模範的な助力者ではなく、それぞれに困った癖があって、たまには喧嘩もはじめるであろうし、ほとんどかの西遊記の悟空、八戒、悟浄の如きもののように書くかも知れない。しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかかろうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲われたのである。せめて、桃太郎の物語一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌い継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があったって、かまわぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いじくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一という旗を持っている男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思い浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 そうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思い直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いずれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言う事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言う事になると、いくらお伽噺だからと言っても、出鱈目な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言ったら、その口惜しさはどんなだろう。だから、私はここにくどいくらいに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、そうしておれはその桃太郎を書かなかったんだぞ、だから、この「お伽草紙」には、日本一なんか、もしお前の眼前に現われたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかったか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰という作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。これらの諸人物を以て、ただちに日本人の軽重を推計せんとするのは、それこそ刻舟求剣のしたり顔なる穿鑿に近い。私は日本を大事にしている。それは言うまでも無い事だが、それゆえ、私は日本一の桃太郎を描写する事は避け、また、他の諸人物の決して日本一ではない所以をもくどくどと述べて来たのだ。読者もまた、私のこんなへんなこだわり方に大いに賛意を表して下さるのではあるまいか、と思われる。
 さて、この舌切雀の主人公は、日本一どころか、逆に、日本で一ばん駄目な男と言ってよいかも知れぬ。だいいち、からだが弱い。からだの弱い男というものは、足の悪い馬よりも、もっと世間的の価値が低いようである。いつも力無い咳をして、そうして顔色も悪く、朝起きて部屋の障子にはたきを掛け、箒で塵を掃き出すと、もう、ぐったりして、あとは、一日一ぱい机の傍で寝たり起きたり何やら蠢動して、夕食をすますと、すぐ自分でさっさと蒲団を引いて寝てしまう。この男は、既に十数年来こんな情無い生活を続けている。未だ四十歳にもならぬのだが、しかし、よほど前から自分の事を翁と署名し、また自分の家の者にも「お爺さん」と呼べと命令している。まあ、世捨人とでも言うべきものであろうか。しかし、世捨人だって、お金が少しでもあるから、世を捨てられるので、一文無しのその日暮しだったら、世を捨てようと思ったって、世の中のほうから追いかけて来て、とても捨て切れるものでない。この「お爺さん」も、いまはこんなささやかな草の庵を結んでいるが、もとをただせば大金持の三男坊で、父母の期待にそむいて、これという職業も持たず、ぼんやり晴耕雨読などという生活をしているうちに病気になったりして、このごろは、父母をはじめ親戚一同も、これを病弱の馬鹿の困り者と称してあきらめ、月々の暮しに困らぬ小額の金を仕送りしているというような状態なのである。さればこそ、こんな世捨人みたいな生活も可能なのである。いかに、草の庵とはいへ、まあ、結構な身分と申さざるを得ないであろう。そうして、そんな結構な身分の者に限って、あまりひとの役に立たぬものである。からだが弱いのは事実のようであるが、しかし、寝ているほどの病人では無いのだから、何か一つくらい積極的仕事の出来ぬわけはない筈である。けれども、このお爺さんは何もしない。本だけは、ずいぶんたくさん読んでいるようだが、読み次第わすれて行くのか、自分の読んだ事を人に語って知らせるというわけでもない。ただ、ぼんやりしている。これだけでも、既に世間的価値がゼロに近いのに、さらにこのお爺さんには子供が無い。結婚してもう十年以上にもなるのだが、未だ世継が無いのである。これでもう完全に彼は、世間人としての義務を何一つ果していない、という事になる。こんな張合の無い亭主に、よくもまあ十何年も連添うて来た細君というのは、どんな女か、多少の興をそそられる。しかし、その草庵の垣根越しに、そっと覗いてみた者は、なあんだ、とがっかりさせられる。実に何とも、つまらない女だ。色がまっくろで、眼はぎょろりとして、手は皺だらけで大きく、その手をだらりと前にさげて少し腰をかがめていそがしげに庭を歩いているさまを見ると、「お爺さん」よりも年上ではないかと思われるくらいである。しかし、今年三十三の厄年だという。このひとは、もと「お爺さん」の生家に召使われていたのであるが、病弱のお爺さんの世話を受持たされて、いつしかその生涯を受持つようになってしまったのである。無学である。
「さあ、下着類を皆、脱いでここへ出して下さい。洗います。」と強く命令するように言う。
「この次。」お爺さんは、机に頬杖をついて低く答える。お爺さんは、いつも、ひどく低い声で言う。しかも、言葉の後半は、口の中で澱んで、ああ、とか、うう、とかいうようにしか聞えない。連添うて十何年になるお婆さんにさえ、このお爺さんの言う事がよく聞きとれない。いわんや、他人に於いてをや。どうせ世捨人同然のひとなのだから、自分の言う事が他人にわかったって、わからなくたってどうだっていいようなものかも知れないが、定職にも就かず、読書はしても別段その知識でもって著述などしようとする気配も見えず、そうして結婚後十数年経過しているのに一人の子供ももうけず、そうして、その上、日常の会話に於いてさえ、はっきり言う手数を省いて、後半を口の中でむにゃむにゃ言ってすますとは、その骨惜しみと言おうか何と言おうか、とにかくその消極性は言語に絶するものがあるように思われる。
「早く出して下さいよ。ほら、襦袢の襟なんか、油光りしているじゃありませんか。」
「この次。」やはり半分は口の中で、ぼそりと言う。
「え? 何ですって? わかるように言って下さい。」
「この次。」と頬杖をついたまま、にこりともせずお婆さんの顔を、まじまじと見つめながら、こんどはやや明瞭に言う。「きょうは寒い。」
「もう冬ですもの。きょうだけじゃなく、あしたもあさっても寒いにきまっています。」と子供を叱るような口調で言い、「そんな工合いに家の中で、じっと炉傍に坐っている人と、井戸端へ出て洗濯している人と、どっちが寒いか知っていますか。」
「わからない。」と幽かに笑って答える。「お前の井戸端は習慣になっているから。」
「冗談じゃありません。」とお婆さんは顔をしかめて、「私だって何も、洗濯をしに、この世に生れて来たわけじゃないんですよ。」
「そうかい。」と言って、すましている。
「さあ、早く脱いで寄こして下さいよ。代りの下着類はいっさいその押入の中にはいっていますから。」
「風邪をひく。」
「じゃあ、よござんす。」いまいましそうに言い切ってお婆さんは退却する。
 ここは東北の仙台郊外、愛宕山の麓、広瀬川の急流に臨んだ大竹藪の中である。仙台地方には昔から、雀が多かったのか、仙台笹とかいう紋所には、雀が二羽図案化されているし、また、芝居の先代萩には雀が千両役者以上の重要な役として登場するのは誰しもご存じの事と思う。また、昨年、私が仙台地方を旅行した時にも、その土地の一友人から仙台地方の古い童謡として次のような歌を紹介せられた。
  カゴメ カゴメ
  カゴノナカノ スズメ
  イツ イツ デハル
 この歌は、しかし、仙台地方に限らず、日本全国の子供の遊び歌になっているようであるが、
  カゴノナカノ スズメ
 と言って、ことさらに籠の小鳥を雀と限定しているところ、また、デハルという東北の方言が何の不自然な感じも無く挿入せられている点など、やはりこれは仙台地方の民謡と称しても大過ないのではなかろうかと私には思われた。
 このお爺さんの草庵の周囲の大竹藪にも、無数の雀が住んでいて、朝夕、耳を聾せんばかりに騒ぎ立てる。この年の秋の終り、大竹藪に霰が爽やかな音を立てて走っている朝、庭の土の上に、脚をくじいて仰向にあがいている小雀をお爺さんは見つけ、黙って拾って、部屋の炉傍に置いて餌を与え、雀は脚の怪我がなおっても、お爺さんの部屋で遊んで、たまに庭先へ飛び降りてみる事もあるが、またすぐ縁にあがって来て、お爺さんの投げ与える餌を啄み、糞をたれると、お婆さんは、
「あれ汚い。」と言って追い、お爺さんは無言で立って懐紙でその縁側の糞をていねいに拭き取る。日数の経つにつれて雀にも、甘えていい人と、そうでない人との見わけがついて来た様子で、家にお婆さんひとりしかいない時には、庭先や軒下に避難し、そうしてお爺さんがあらはれると、すぐ飛んで来て、お爺さんの頭の上にちょんと停ったり、またお爺さんの机の上をはねまわり、硯の水をのどを幽かに鳴らして飲んだり、筆立の中に隠れたり、いろいろに戯れてお爺さんの勉強の邪魔をする。けれども、お爺さんはたいてい知らぬ振りをしている。世にある愛禽家のように、わが愛禽にへんな気障ったらしい名前を附けて、
「ルミや、お前も淋しいかい。」などという事は言わない。雀がどこで何をしようと、全然無関心の様子を示している。そうして時々、黙ってお勝手から餌を一握り持って来て、ばらりと縁側に撒いてやる。
 その雀が、いまお婆さんの退場後に、はたはたと軒下から飛んで来て、お爺さんの頬杖ついている机の端にちょんと停る。お爺さんは少しも表情を変えず、黙って雀を見ている。このへんから、そろそろこの小雀の身の上に悲劇がはじまる。
 お爺さんは、しばらく経ってから一言、「そうか。」と言った。それから深い溜息をついて、机上に本をひろげた。その書物のペエジを一、二枚繰って、それからまた、頬杖をついてぼんやり前方を見ながら、「洗濯をするために生れて来たのではないと言いやがる。あれでも、まだ、色気があると見える。」と呟いて、幽かに苦笑する。
 この時、突然、机上の小雀が人語を発した。
「あなたは、どうなの?」
 お爺さんは格別おどろかず、
「おれか、おれは、そうさな、本当の事を言うために生れて来た。」
「でも、あなたは何も言いやしないじゃないの。」
「世の中の人は皆、嘘つきだから、話を交すのがいやになったのさ。みんな、嘘ばっかりついている。そうしてさらに恐ろしい事は、その自分の嘘にご自身お気附きになっていない。」
「それは怠け者の言いのがれよ。ちょっと学問なんかすると、誰でもそんな工合に横着な気取り方をしてみたくなるものらしいのね。あなたは、なんにもしてやしないじゃないの。寝ていて人を起こすなかれ、という諺があったわよ。人の事など言えるがらじゃ無いわ。」
「それもそうだが、」とお爺さんはあわてず、「しかし、おれのような男もあっていいのだ。おれは何もしていないように見えるだろうが、まんざら、そうでもない。おれでなくちゃ出来ない事もある。おれの生きている間、おれの真価の発揮できる時機が来るかどうかわからぬが、しかし、その時が来たら、おれだって大いに働く。その時までは、まあ、沈黙して、読書だ。」
「どうだか。」と雀は小首を傾け、「意気地無しの陰弁慶に限って、よくそんな負け惜しみの気焔を挙げるものだわ。廃残の御隠居、とでもいうのかしら、あなたのようなよぼよぼの御老体は、かえらぬ昔の夢を、未来の希望と置きかえて、そうしてご自身を慰めているんだわ。お気の毒みたいなものよ。そんなのは気焔にさえなってやしない。変態の愚痴よ。だって、あなたは、何もいい事をしてやしないんだもの。」
「そう言えば、まあ、そんなものかも知れないが、」と老人はいよいよ落ちついて、「しかし、おれだって、いま立派に実行している事が一つある。それは何かって言えば、無慾という事だ。言うは易くして、行うは難いものだよ。うちのお婆さんなど、おれみたいな者ともう十何年も連添うて来たのだから、いい加減に世間の慾を捨てているかと思っていたら、どうもそうでもないらしい。まだあれで、何か色気があるらしいんだね。それが可笑しくて、ついひとりで噴き出したような次第だ。」
 そこへ、ぬっとお婆さんが顔を出す。
「色気なんかありませんよ。おや? あなたは、誰と話をしていたのです。誰か、若い娘さんの声がしていましたがね。あのお客さんは、どこへいらっしゃいました。」
「お客さんか。」お爺さんは、れいに依って言葉を濁す。
「いいえ、あなたは今たしかに誰かと話をしていましたよ。それも私の悪口をね。まあ、どうでしょう、私にものを言う時には、いつも口ごもって聞きとれないような大儀そうな言い方ばかりする癖に、あの娘さんには、まるで人が変ったみたいにあんな若やいだ声を出して、たいへんごきげんそうに、おしゃべりしていらしたじゃないの。あなたこそ、まだ色気がありますよ。ありすぎて、べたべたです。」
「そうかな。」とお爺さんは、ぼんやり答えて、「しかし、誰もいやしない。」
「からかはないで下さい。」とお婆さんは本気に怒ってしまった様子で、どさんと縁先に腰をおろし、「あなたはいったいこの私を、何だと思っていらっしゃるのです。私はずいぶん今までこらえて来ました。あなたはもう、てんで私を馬鹿にしてしまっているのですもの。そりゃもう私は、育ちもよくないし学問も無いし、あなたのお話相手が出来ないかも知れませんが、でも、あんまりですわ。私だって、若い時からあなたのお家へ奉公にあがってあなたのお世話をさせてもらって、それがまあ、こんな事になって、あなたの親御さんも、あれならばなかなかしっかり者だし、せがれと一緒にさせても、——」
「嘘ばかり。」
「おや、どこが嘘なのです。私が、どんな嘘をつきました。だって、そうじゃありませんか。あの頃、あなたの気心を一ばんよく知っていたのは私じゃありませんか。私でなくちゃ駄目だったんです。だから私が、一生あなたのめんどうを見てあげる事になったんじゃありませんか。どこが、どんな工合いに嘘なのです。それを聞かして下さい。」と顔色を変えてつめ寄る。
「みんな嘘さ。あの頃の、お前の色気ったら無かったぜ。それだけさ。」
「それは、いったい、どんな意味です。私には、わかりゃしません。馬鹿にしないで下さい。私はあなたの為を思って、あなたと一緒になったのですよ。色気も何もありゃしません。あなたもずいぶん下品な事を言いますね。ぜんたい私が、あなたのような人と一緒になったばかりに、朝夕どんなに淋しい思いをしているか、あなたはご存じ無いのです。たまには、優しい言葉の一つも掛けてくれるものです。他の夫婦をごらんなさい。どんなに貧乏をしていても、夕食の時などには楽しそうに世間話をして笑い合っているじゃありませんか。私は決して慾張り女ではないんです。あなたのためなら、どんな事でも忍んで見せます。ただ、時たま、あなたから優しい言葉の一つも掛けてもらえたら、私はそれで満足なのですよ。」
「つまらない事を言う。そらぞらしい。もういい加減あきらめているかと思ったら、まだ、そんなきまりきった泣き言を並べて、局面転換を計らうとしている。だめですよ。お前の言う事なんざ、みんなごまかしだ。その時々の安易な気分本位だ。おれをこんな無口な男にさせたのは、お前です。夕食の時の世間話なんて、たいていは近所の人の品評じゃないか。悪口じゃないか。それも、れいの安易な気分本位で、やたらと人の陰口をきく。おれはいままで、お前が人をほめたのを聞いた事がない。おれだって、弱い心を持っている。お前にまきこまれて、つい人の品評をしたくなる。おれには、それがこわいのだ。だから、もう誰とも口をきくまいと思った。お前たちには、ひとの悪いところばかり眼について、自分自身のおそろしさにまるで気がついていないのだからな。おれは、ひとがこわい。」
「わかりました。あなたは、私にあきたのでしょう。こんな婆が、鼻について来たのでしょう。私には、わかっていますよ。さっきのお客さんは、どうしました。どこに隠れているのです。たしかに若い女の声でしたわね。あんな若いのが出来たら、私のような婆さんと話をするのがいやになるのも、もっともです。なんだい、無慾だの何だのと悟り顔なんかしていても、相手が若い女だと、すぐもうわくわくして、声まで変って、ぺちゃくちゃとお喋りをはじめるのだからいやになります。」
「それなら、それでよい。」
「よかありませんよ。あのお客さんは、どこにいるのです。私だって、挨拶を申さなければ、お客さんに失礼ですよ。こう見えても、私はこの家の主婦ですからね、挨拶をさせて下さいよ。あんまり私を蹈みつけにしては、だめです。」
「これだ。」とお爺さんは、机上で遊んでいる雀のほうを顎でしゃくって見せる。
「え? 冗談じゃない。雀がものを言いますか。」
「言う。しかも、なかなか気のきいた事を言う。」
「どこまでも、そんなに意地悪く私をからかうのですね。じゃあ、よござんす。」矢庭に腕をのばして、机上の小雀をむずと掴み、「そんな気のきいた事を言わせないように、舌をむしり取ってしまいましょう。あなたは、ふだんからどうもこの雀を可愛がりすぎます。私には、それがいやらしくて仕様が無かったんですよ。ちょうどいい案配だ。あなたが、あの若い女のお客さんを逃がしてしまったのなら、身代りにこの雀の舌を抜きます。いい気味だ。」掌中の雀の嘴をこじあけて、小さい菜の花びらほどの舌をきゅっとむしり取った。
 雀は、はたはたと空高く飛び去る。
 お爺さんは、無言で雀の行方を眺めている。
 そうして、その翌日から、お爺さんの大竹藪探索がはじまるわけである。
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
 毎日毎日、雪が降り続ける。それでもお爺さんは何かに憑かれたみたいに、深い大竹藪の中を捜しまはる。藪の中には、雀は千も万もいる。その中から、舌を抜かれた小雀を捜し出すのは、至難の事のように思われるが、しかし、お爺さんは異様な熱心さを以て、毎日毎日探索する。
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
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  オヤドハ ドコダ
 お爺さんにとって、こんな、がむしゃらな情熱を以て行動するのは、その生涯に於いて、いちども無かったように見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされていた何物かが、この時はじめて頭をもたげたようにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にいながら、他人の家にいるような浮かない気分になっているひとが、ふっと自分の一ばん気楽な性格に遭い、之を追い求める、恋、と言ってしまえば、それっきりであるが、しかし、一般にあっさり言われている心、恋、という言葉に依ってあらわされる心理よりは、このお爺さんの気持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
 まさか、これを口に出して歌いながら捜し歩いていたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのようにひそひそ囁き、そうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その変てこな歌ともお念仏ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を踏みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、というような工合いなのである。
 或る夜、この仙台地方でも珍らしいほどの大雪があり、次の日はからりと晴れて、まぶしいくらいの銀世界が現出し、お爺さんは、この朝早く、藁靴をはいて、相も変らず竹藪をさまよい歩き、
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
  シタキリ スズメ
  オヤドハ ドコダ
 竹に積った大きい雪のかたまりが、突然、どさりとお爺さんの頭上に落下し、打ちどころが悪かったのかお爺さんは失神して雪の上に倒れる。夢幻の境のうちに、さまざまの声の囁きが聞えて来る。
「可愛そうに、とうとう死んでしまったじゃないの。」
「なに、死にやしない。気が遠くなっただけだよ。」
「でも、こうしていつまでも雪の上に倒れていると、こごえて死んでしまうわよ。」
「それはそうだ。どうにかしなくちゃいけない。困った事になった。こんな事にならないうちに、あの子が早く出て行ってやればよかったのに。いったい、あの子は、どうしたのだ。」
「お照さん?」
「そう、誰かにいたずらされて口に怪我をしたようだが、あれから、さっぱりこのへんに姿を見せんじゃないか。」
「寝ているのよ。舌を抜かれてしまったので、なんにも言えず、ただ、ぽろぽろ涙を流して泣いているわよ。」
「そうか、舌を抜かれてしまったのか。ひどい悪戯をするやつもあったものだなあ。」
「ええ、それはね、このひとのおかみさんよ。悪いおかみさんではないんだけれど、あの日は虫のいどころがへんだったのでしょう、いきなり、お照さんの舌をひきむしってしまったの。」
「お前、見てたのかい?」
「ええ、おそろしかったわ。人間って、あんな工合いに出し抜けにむごい事をするものなのね。」
「やきもちだろう。おれもこのひとの家の事はよく知っているけれど、どうもこのひとは、おかみさんを馬鹿にしすぎていたよ。おかみさんを可愛がりすぎるのも見ちゃおられないものだが、あんなに無愛想なのもよろしくない。それをまたお照さんはいいことにして、いやにこの旦那といちゃついていたからね。まあ、みんな悪い。ほって置け。」
「あら、あなたこそ、やきもちを焼いているんじゃない? あなたは、お照さんを好きだったのでしょう? 隠したってだめよ。この大竹藪で一ばんの美声家はお照さんだって、いつか溜息をついて言ってたじゃないの。」
「やきもちを焼くなんてそんな下品な事をするおれではない。が、しかし、少くともお前よりはお照のほうが声が佳くて、しかも美人だ。」
「ひどいわ。」
「喧嘩はおよし、つまらない。それよりも、このひとを、いったいどうするの? ほって置いたら死にますよ。可哀想に。どんなにお照さんに逢いたいのか、毎日毎日この竹藪を捜して歩いて、そうしてとうとうこんな有様になってしまって、気の毒じゃないの。このひとは、きっと、実《じつ》のあるひとだわ。」
「なに、ばかだよ。いいとしをして雀の子のあとを追い廻すなんて、呆れたばかだよ。」
「そんな事を言わないで、ね、逢わしてあげましょうよ。お照さんだって、このひとに逢いたがっているらしいわ。でも、もう舌を抜かれて口がきけないのだからねえ、このひとがお照さんを捜しているという事を言って聞かせてあげても、藪のあの奥で寝たまま、ぽろぽろ涙を流しているばかりなのよ。このひとも可哀想だけれども、お照さんだって、そりゃ可哀想よ。ね、あたしたちの力で何とかしてあげましょうよ。」
「おれは、いやだ。おれはどうも色恋の沙汰には同情を持てないたちでねえ。」
「色恋じゃないわ。あなたには、わからない。ね、みなさん、何とかして逢わせてあげたいものだわねえ。こんな事は、理窟じゃないんですもの。」
「そうとも、そうとも。おれが引受けた。なに、わけはない。神さまにたのむんだ。理窟抜きで、なんとかして他の者のために尽してやりたいと思った時には、神さまにたのむのが一ばんいいのだ。おれのおやじがいつかそう言って教えてくれた。そんな時には神さまは、どんな事でも叶えて下さるそうだ。まあ、みんな、ちょっとここで待っていてくれ。おれはこれから、鎮守の森の神さまにたのんで来るから。」
 お爺さんが、ふっと眼の覚めたところは、竹の柱の小綺麗な座敷である。起き上ってあたりを見廻していると、すっと襖があいて、身長二尺くらいのお人形さんが出て来て、
「あら、おめざめ?」
「ああ、」とお爺さんは鷹揚に笑い、「ここはどこだろう。」
「すずめのお宿。」とそのお人形さんみたいな可愛い女の子が、お爺さんの前にお行儀よく坐り、まんまるい眼をぱちくりさせて答える。
「そう。」とお爺さんは落ちついて首肯き、「お前は、それでは、あの、舌切雀?」
「いいえ、お照さんは奥の間で寝ています。私は、お鈴。お照さんとは一ばんの仲良し。」
「そうか。それでは、あの、舌を抜かれた小雀の名は、お照というの?」
「ええ、とても優しい、いいかたよ。早く逢っておあげなさい。可哀想に口がきけなくなって、毎日ぽろぽろ涙を流して泣いています。」
「逢いましょう。」とお爺さんは立ち上り、「どこに寝ているのですか。」
「ご案内します。」お鈴さんは、はらりと長い袖を振って立ち、縁側に出る。
 お爺さんは、青竹の狭い縁を滑らぬように、用心しながらそっと渡る。
「ここです、おはいり下さい。」
 お鈴さんに連れられて、奥の一間にはいる。あかるい部屋だ。庭には小さい笹が一めんに生え繁り、その笹の間を浅い清水が素早く流れている。
 お照さんは小さい赤い絹布団を掛けて寝ていた。お鈴さんよりも、さらに上品な美しいお人形さんで、少し顔色が青かった。大きい眼でお爺さんの顔をじっと見つめて、そうして、ぽろぽろと涙を流した。
 お爺さんはその枕元にあぐらをかいて坐って、何も言わず、庭を走り流れる清水を見ている。お鈴さんは、そっと席をはずした。
 何も言わなくてもよかった。お爺さんは、幽かに溜息をついた。憂鬱の溜息ではなかった。お爺さんは、生れてはじめて心の平安を経験したのだ。そのよろこびが、幽かな溜息となってあらわれたのである。
 お鈴さんは静かにお酒とお肴を持ち運んで来て、
「ごゆっくり。」と言って立ち去る。
 お爺さんはお酒をひとつ手酌で飲んで、また庭の清水を眺める。お爺さんは、所謂お酒飲みではない。一杯だけで、陶然と酔う。箸を持って、お膳のたけのこを一つだけつまんで食べる。素敵においしい。しかし、お爺さんは、大食いではない。それだけで箸を置く。
 襖があいて、お鈴さんがお酒のおかわりと、別な肴を持って来る。お爺さんの前に坐って、
「いかが?」とお酒をすすめる。
「いや、もうたくさん。しかし、これは、よいお酒だ。」お世辞を言ったのではない。思わず、それが口に出たのだ。
「お気に召しましたか。笹の露です。」
「よすぎる。」
「え?」
「よすぎる。」
 お爺さんとお鈴さんの会話を寝ながら聞いていて、お照さんは微笑んだ。
「あら、お照さんが笑っているわ。何か言いたいのでしょうけれど。」
 お照さんは首を振った。
「言えなくたって、いいのさ。そうだね?」とお爺さんは、はじめてお照さんのほうを向いて話かける。
 お照さんは、眼をぱちぱちさせて、嬉しそうに二三度うなずく。
「さ、それでは失礼しよう。また来る。」
 お鈴さんは、このあっさりしすぎる訪問客には呆れた様子で、
「まあ、もうお帰りになるの? こごえて死にそうになるまで、竹藪の中を捜し歩いていらして、やっときょう逢へたくせに、優しいお見舞いの言葉一つかけるではなし、——」
「優しい言葉だけは、ごめんだ。」とお爺さんは苦笑して、もう立ち上る。
「お照さん、いいの? おかえししても。」とお鈴さんはあわててお照さんに尋ねる。
 お照さんは笑って首肯く。
「どっちも、どっちだわね。」とお鈴さんも笑い出して、「それじゃあ、またどうぞいらして下さいね。」
「来ます。」とまじめに答え、座敷から出ようとして、ふと立ちどまり、「ここは、どこだね。」
「竹藪の中です。」
「はて? 竹籔の中に、こんな妙な家があったかしら。」
「あるんです。」と言ってお鈴さんは、お照さんと顔を見合せて微笑み、「でも、普通のひとには見えないんです。竹藪のあの入口のところで、けさのように雪の上に俯伏していらしたら、私たちは、いつでもここへご案内いたしますわ。」
「それは、ありがたい。」と思わずお世辞で無く言い、青竹の縁側に出る。
 そうしてまた、お鈴さんに連れられて、もとの小綺麗な茶の間にかへると、そこには、大小さまざまの葛籠《つづら》が並べられてある。
「せっかくおいで下さっても、おもてなしも出来なくて恥かしゅう存じます。」とお鈴さんは口調を改めて言い、「せめて、雀の里のお土産のおしるしに、この葛籠のうちどれでもお気に召したものをお邪魔でございましょうが、お持ち帰り下さいまし。」
「要らないよ、そんなもの。」とお爺さんは不機嫌そうに呟き、そのたくさんの葛籠には目もくれず、「おれの履物はどこにあります。」
「困りますわ。どれか一つ持って帰って下さいよ。」とお鈴さんは泣き声になり、「あとで私は、お照さんに怒られます。」
「怒りゃしない。あの子は、決して怒りゃしない。おれは知っている。ところで、履物はどこにあります。きたない藁靴をはいて来た筈だが。」
「捨てちゃいました。はだしでお帰りになるといいわ。」
「それは、ひどい。」
「それじゃ、何か一つお土産を持ってお帰りになってよ。後生、お願い。」と小さい手を合せる。
 お爺さんは苦笑して、座敷に並べられてある葛籠をちらと見て、
「みんな大きい。大きすぎる。おれは荷物を持って歩くのは、きらいです。ふところにはいるくらいの小さいお土産はありませんか。」
「そんなご無理をおっしゃったって、——」
「そんなら帰る。はだしでもかまはない。荷物はごめんだ。」と言ってお爺さんは、本当にはだしのままで、縁の外に飛び出そうとする気配を示した。
「ちょっと待って、ね、ちょっと。お照さんに聞いて来るわ。」
 はたはたとお鈴さんは奥の間に飛んで行き、そうして、間もなく、稲の穂を口にくわえて帰って来た。
「はい、これは、お照さんの簪《かんざし》。お照さんを忘れないでね。またいらっしゃい。」
 ふと、われにかえる。お爺さんは、竹藪の入口に俯伏して寝ていた。なんだ、夢か。しかし、右手には稲の穂が握られてある。真冬の稲の穂は珍らしい。そうして、薔薇の花のような、とてもよい薫りがする。お爺さんはそれを大事そうに家へ持って帰って、自分の机上の筆立に挿す。
「おや、それは何です。」お婆さんは、家で針仕事をしていたが、眼ざとくそれを見つけて問いただす。
「稲の穂。」とれいの口ごもったような調子で言う。
「稲の穂? いまどき珍らしいじゃありませんか。どこから拾って来たのです。」
「拾って来たのじゃない。」と低く言って、お爺さんは書物を開いて黙読をはじめる。
「おかしいじゃありませんか。このごろ毎日、竹藪の中をうろついて、ぼんやり帰って来て、きょうはまた何だか、いやに嬉しそうな顔をしてそんなものを持ち帰り、もったい振って筆立に挿したりなんかして、あなたは、何か私に隠していますね。拾ったのでなければ、どうしたのです。ちゃんと教えて下さったっていいじゃありませんか。」
「雀の里から、もらって来た。」お爺さんは、うるさそうに、ぷつんと言う。
 けれども、そんな事で、現実主義のお婆さんを満足させることはとても出来ない。お婆さんは、なおもしつっこく次から次へと詰問する。嘘を言う事の出来ないお爺さんは、仕方なく自分の不思議な経験をありのままに答える。
「まあ、そんな事、本気であなたは言っているのですか。」とお婆さんは、最後に呆れて笑い出した。
 お爺さんは、もう答えない。頬杖ついて、ぼんやり書物に眼をそそいでいる。
「そんな出鱈目を、この私が信じると思っておいでなのですか。嘘にきまっていますさ。私は知っていますよ。こないだから、そう、こないだ、ほら、あの、若い娘のお客さんが来た頃から、あなたはまるで違う人になってしまいました。妙にそわそわして、そうして溜息ばかりついて、まるでそれこそ恋のやっこみたいです。みつともない。いいとしをしてさ。隠したって駄目ですよ。私にはわかっているのですから。いったい、その娘は、どこに住んでいるのです。まさか、藪の中ではないでしょう。私はだまされませんよ。藪の中に、小さいお家があって、そこにお人形みたいな可愛い娘さんがいて、うっふ、そんな子供だましのような事を言って、ごまかそうたって駄目ですよ。もしそれが本当ならば、こんどいらした時にそのお土産の葛籠とかいうものでも一つ持って来て見せて下さいな。出来ないでしょう。どうせ、作りごとなんだから。その不思議な宿の大きい葛籠でも背負って来て下さったら、それを証拠に、私だって本当にしないものでもないが、そんな稲の穂などを持って来て、そのお人形さんの簪だなんて、よくもまあそのような、ばからしい出鱈目が言えたもんだ。男らしく、あっさり白状なさいよ。私だって、わけのわからぬ女ではないつもりです。なんのお妾さんの一人や二人。」
「おれは、荷物はいやだ。」
「おや、そうですか。それでは、私が代りにまいりましょうか。どうですか。竹藪の入口で俯伏して居ればいいのでしょう? 私がまいりましょう。それでも、いいのですか。あなたは困りませんか。」
「行くがいい。」
「まあ、図々しい。嘘にきまっているのに、行くがいいなんて。それでは、本当に私は、やってみますよ。いいのですか。」と言って、お婆さんは意地悪そうに微笑む。
「どうやら、葛籠がほしいようだね。」
「ええ、そうですとも、そうですとも、私はどうせ、慾張りですからね。そのお土産がほしいのですよ。それではこれからちょっと出掛けて、お土産の葛籠の中でも一ばん重い大きいやつを貰って来ましょう。おほほ。ばからしいが、行って来ましょう。私はあなたのその取り澄したみたいな顔つきが憎らしくて仕様が無いんです。いまにその贋聖者のつらの皮をひんむいてごらんにいれます。雪の上に俯伏して居れば雀のお宿に行けるなんて、あははは、馬鹿な事だが、でも、どれ、それではひとつお言葉に従って、ちょっと行ってまいりましょうか。あとで、あれは嘘だなどと言っても、ききませんよ。」
 お婆さんは、乗りかかった舟、お針の道具を片づけて庭へ下り、積雪を踏みわけて竹藪の中へはいる。
 それから、どのようなことになったか、筆者も知らない。
 たそがれ時、重い大きい葛籠を背負い、雪の上に俯伏したまま、お婆さんは冷たくなっていた。葛箱が重くて起き上れず、そのまま凍死したものと見える。そうして、葛籠の中には、燦然たる金貨が一ぱいつまっていたという。
 この金貨のおかげかどうか、お爺さんは、のち間もなく仕官して、やがて一国の宰相の地位にまで昇ったという。世人はこれを、雀大臣と呼んで、この出世も、かれの往年の雀に対する愛情の結実であるという工合いに取沙汰したが、しかし、お爺さんは、そのようなお世辞を聞く度毎に、幽かに苦笑して、「いや、女房のおかげです。あれには、苦労をかけました。」と言ったそうだ。



元データ
(入力:八巻美惠
校正:高橋じゅんや
2000年1月13日公開
2000年12月8日修正
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