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尾崎士郎「ホーデン侍従」」(2015/02/10 (火) 16:54:42) の最新版変更点

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1  ペニス笠持ち  ホーデンつれて  入るぞヷギナの  ふるさとへ  謹厳をもって知られた前の鉄道病院長H博士が晩年、酔余にまかせてつくった即興詩の一節である。おそらく高踏乱舞、談論風発の後、ようやく歓楽極って、成ったものであろう。そのとき、座に今は亡き北原白秋翁あり、詩人白秋は剛直、苟《いやし》くもせざる人柄であるにもかかわらず、おのずからにして湧くがごとき感興を禁じ得ざりしもののごとく、たちどころに筆をとって次韻《じいん》を付した。すなわち次のごときである。    来たかヷギナの  このふるさとヘ  ペニス笠とれ  夜は長い  これを私(作者)に伝えた人は共に席を同じうしていた歌人の岡山巌博士であるが、これを聴いて微吟すること数回。──妖しくも、ほのかなる幻覚の世界はたちまち縹渺《ひょうびょう》として私の眼の前にうかぴあがってきた。読者もまた志あらば端坐して威儀を正し、心しずかに繰返えしてみらる丶がよろしかろう。疑うらくは、月落ち風さわやかなる秋の一夜、ペニスと称し、ホーデンと名乗る世にも奇怪なる相貌《そうぽう》を備えた人物が、蹌々踉々《そうそうろうろう》として、歩むがごとく泳ぐがごとく昂然と肩をそびやかして夜霧の中に没し去る姿が影のごとくうかびあがるであろう。世にこれほど侘しく、切なく、悲しきものはあるまい。古往今来、性器を擬人化して、これに高邁なる形式をあたえ人の世の喜怒哀楽はもとより、盛衰浮沈のあとを象徴した歌詞は少からずあったであろうが、しかし、考えようによっては醜怪見るに堪えず、天下の貴顕淑女をして、軽蔑、憎悪、覚えず眼を反けざるを得ざらしむる異形の怪人物の姿を、かくまでに浩々蕩々たる感情の中に美しく悲しく描きだしたものはあるまい。洋の東西に求めてもこれに比肩し得べきものを見出すことは困難であろう。  ところで、ペニスが主人であり、ホーデンが従者であることは、生れながらにして彼等のあたえられた位置と境遇の示す運命であって、恰かも大石内蔵介のあとに寺西弥太夫がつづき、ドン・キホーテのあとから、サンチョ・パンサが荷物をかついで随従するがごときものである。とはいえ、開闢《かいびやく》以来、ペニス大公の罪業は数知れず、天下の子女の恨はことごとくこの梟雄《きようゆう》の一身に集っているがごとく見ゆるにもかかわらず、しかし、いまだかつてホーデン侍従を憎むものあるを聞かないのは彼が常に利害打算の念に暗く、どことなく間が抜けていて、いつも損ばかりしていながらしかもなお泰然自若として運命に安んじているところにあるらしい。大ブリテンの文豪ジョージ・メレデスは、「トラジック・コメディアン」の一篇によってその文名を不朽ならしめた。あ丶、「トラジック・コメディアン()ー悲劇的な喜劇俳優こそは、「ふぐり」と呼ばれ、俗名、睾丸若しくは「キン玉」と呼ばれるところの、わがホーデン侍従なのである。  巷間に唄われる「サノサ節」の中にも、夜ふかく、ペニス大公が霜を踏んでヴギナの門を潜ろうとする野望をおさえきれず、言葉巧みにホーデンを誘惑する一節がある。「ゆうべのところへゆこうじゃないか」と唆《そそのか》しかける大公に対してホーデンは寒そうに両肩を顫《ふる》わせながら答えて日く「私も御意に従いたいとは思いますが、何しろこの図体では折角お伴をしたところで到底御同席のでぎるという身分ではないし、ましてこの寒空に裏門の戸をたたいて待っているわが身を考えるとあまりにも情のうございます」  ホーデン侍従の嘆きが深ければ深いだけに彼に対する同情と親愛の念はひとしお止みがたきものとなることはもちろんである。杜甫《とほ》は、「夜深うして間道より帰れば故里唯空村」・とうたい、望郷の思い惻々《そくそく》として迫るがごとくであるが、わがホーデンにいたってはどのような天変地異が生じたとしても永遠に「中へはいれる」身ではないのである。石川啄木は、「ふるさとの山に向ひていふことなしふるさとの山はありがたきかな」と詠じているが、啄木もまた、おそらくホーデシの嘆きを不遇な運命に託してうたったものと思われる。  とはいえ、ホーデンが男性の象徴であり活力の源泉であることは私が声を大にして特に説明するまでもあるまい。悪たれ小僧どもが喧嘩をするときに、貴様それでもキン玉があるのかーと怒号する言葉が説明するごとく一朝事あるときに人は必ずホーデンを想い起すのである。今はむかし、戦国の世に、本多平八郎忠勝の親爺が、小桜を黄に返えしたる鎧《よろい》に身をかため、鍬形《くわがた》に金の兎の兜の緒をしめ、いよいよ初陣に立とうとする伜の股倉に手を差しのべた。だらりと下ったホーデンを握りしめ、これなら大丈夫だ、といって呵々大笑したというはなしは絵物語の中にも残されているが、男の度胸はホーデンが縮みあがっているか、それとも、だらりと下っているかということによってのみ決せられる。これはひとり人間だけではなく、もし読者が瀬戸物屋の店頭を飾る狸の置物を御覧になれば立ちどころに納得されるであろう。ひとたび化けるや、その広さは畳八畳敷にひろがると言われるほどであるから伸縮作用の変妙なることは、まことに言語に絶するものがある。されば、過ぐる西南戦争の折、主将西郷南洲の睾丸が炎症のため冬瓜(トしガン)のごとくふくれていたことが敗北の原因であったという珍説が今日伝えられていることにも一応の理窟はあろう。もし、そうでなかったとしたら戦局はどのような変化を示したかわかるまい。かかる俗説に、歴史認識をくつがえすほどの根拠はないとしても、しかしワーテルローの決戦に、前夜雨が降ったか降らなかったかの一事によってのみ、勝敗の運命が定まったという解釈と同工異曲たるべきは言を俟《ま》つまでもないのである。「九月二十三日城山やぶれ、西郷どんな駕籠から、逸見どんな馬から」という自然に出来た俗謡はこの間の消息を如実的確に伝えている。西郷はこのとき睾丸がふくれて行動の自由を失っていた。それ故、止むなく駕籠に乗って戦場を駈けめぐらなければならないような悲境に身を置いていたのである。故に曰く、もし彼が馬上ゆたかに陣頭に立ち全軍を指揮していたとしたら薩摩隼人《さつまはやと》の士気はたちまち奮い立ち、あるいは一挙に熊本城の堅塁を屠《ほふ》って九州一円を席捲《せつけん》し得たかも知れないのである。云々。いずれにせよ、ホーデンの存在が、その悲劇的運命によって、いよいよ重要さを加え、世にも複雑怪奇なる作用を示しつつあるかということは、もはや天下周知の事実である。それにもかかわらず、終戦早くも年古りて、国は破れ山河は存すれども、人はようやくホーデンを忘れ、この愛すべきトラジック・コメディアンの姿を顧みようとするものもない始末である。あ丶ホーデンよ、ふぐりよ、睾丸よ、  故郷の山を遠くはるかに望み見ながら、ヴギナの門前に悄然《しようぜん》として立ちつくす君の姿の哀れさよ。その哀れさこそ、すなわち、われ等の今日の運命でなくて何であろうか。しかし憂うるなかれである。われ等は何れかの日に必ず君を思い、君の存在をたしかめて、ほっと胸を撫でおろすときがあるであろう。私は確信する。救国の英雄たるべき君の姿が必ず脚光を浴びてわれ等の眼の前にどっしりと胡坐《あぐら》をかくべき日の遠からざらんことを。  2  ある朝、私が久しぶりで折山博士を訪れると、博士は、いつものように研究室の、窓に向いた机によりかかって、何か一見して魚の臓腑《ぞうふ》のようなものをガラス板の上に置き、おそろしく厳粛な態度で上体を前屈みにしたまま、旧式の顕微鏡でじっと覗《のぞ》きこんでいた。  私は、博士の研究室を訪れるときには、いつも足音を立てないようにはいってゆく習慣がついているので、その日も入口の扉をそっと押しあけ、泥棒が忍び込むような恰好をしてはいっていった。  だから、もちろん博士は私が博士のうしろの事務椅子に腰をおろしていることなぞを知るよしもなかった。黙っていたのは、もちろん博士の研究を妨げてはならぬという心づかいもあるにはあったが、それよりも、相手をびっくりさせてやろうという悪戯《いたずら》こころの方がはるかにつよかった。  私が博士と知合いになってから、もうそろそろ五年あまりになるであろう。私が伊豆半島の東海岸にあるこのA町に疎開して来てからであるが、博士がこの土地に落ちついたのはやがて二十「年も前で、今こそ一流の温泉地として全国に知られているけれども、その頃のA町は、昔、源頼朝が蛭《ひる》ケ小島へ流された之き、徒然《つれづれ》のあまり、この土地の管領であった伊東祐親の娘と恋愛遊戯に耽《ふけ》っていたというだけで、多少、史実的に知られている古風な一漁村にすぎなかったのである。やがて、丹那トンネルが開通するようになってから貞この町はめきめきと繁栄を示し、宏壮な温泉旅館が、海から山につながる盆地に、軒をならべる時分には、漁村は片隅に追いつめられて、たちまち、絃歌さんざめく歓楽地帯に一変したが、折山博士がこの土地に居を定めたのは、この土地がまだ名もなき一寒村の頃である。  もっとも、博士といったところで、折山医師は、ほんとうの博士ではない。唯、われわれが心からの敬意を表するために博士と呼んでいるだけのことである。  そんなことはどうでもいい。とにかく折山博士は、終生を医学士で推しとおした有名なM先生(東大のM内科といえば今でも人の記憶に残っているであろう)の高弟として、M先生の理想を実現すべく、大学を卒業すると間もなく、丹那トンネルに働く労働者のための健康医としてこの土地に派遣されたのである。そのま丶先生がここにいついてしまったのは、風光明媚《ふうこうめいび》なこの土地が先生の気に入ったからでもあろうが、若き日の先生はおそろしく情熱的でもあり、それに当時は金で買うことのできる博士が濫出《らんしゆつ》している時代だったので、われこそM先生の抱負を実現して、体験を誇る町医者としての最高権威たらんと欲するところに動機があったらしい。人の噂によると、先生はここで煙草屋の娘に惚れ、それが家付の長女なので土地をはなれることができず、ついに意を決して恋愛に殉ずることになったという話でもあるが、およそ人間の決心というものは一つや二つの動機によって定まるものではない。してみれば、それもほんとう、これもほんとうというのが先ず偽らぬ真実であるかも知れぬ。それはそれとして、ある時期、先生の声望はこの小さな漁村を圧倒していた。今は繁栄街からとり残された丘の中腹にぽつんととり残された、見るからに古色蒼然たる廃屋のごとき病院であるけれども、さかんなりし日にこの病院がいかに町民の誇であり、名誉の象徴であったかということ嘆入・に神代杉の大木を組み交わして、遠-から見るとまるで鳥居のような堂々たる門を一暼《いちぺつ》しただけでもそれと納得されるであろう。「上天病院」と書いた門標は、すでに鬱蒼たる夏みかんの葉に掩われて見えなくなっているが、考えてみると呼吸器病患者の多いこの土地で、先生によって命を救われた人間が何人あるか知れないのである。  とはいえ、浮沈転変は人の世の常である。先生が、ふとした機《はず》みで、癌《がん》の研究に没頭し、一切の診察治療を拒絶して、研究室にとじこもるようになってから、この町の人たちは、うす紙をはがすように一日一日と先生の存在をわすれ、いつの間にか折山先生といえば、半ばの軽蔑をひそめて「あの仙人か」というようになってしまった。いや、町の人たちだけではない。末かけて偕老同穴《かいろうどうけつ》と契った糟糠《そうこう》の妻でさえ、ついに愛想をつかして実家へ帰ってしまってから早くも十余年になるのだから、今日にいたってはこの病院が狐狸の棲家と思われるほど荒廃しつくしてしまったことはむしろ当然というべきであろう。  かくのごとく落魄不遇《らくはくふぐう》の境涯に身をさらしている先生ではあったが、しかし、数人の風変りな心酔者は、今日といえども、なお先生の周囲にあつまっていた。実をいえば私もそのひとりなのである。  前置きが、だいぶ長くなったが、私が息をころすようにして先生のうしろに腰をおろしてから、およそ十二三分も経ったであうつか.先生はやっと人のいるちしい気配をかんじたもののごとく、慌て丶くるりとうしろを振り向いた。 「やア、あなたでしたかーこれはどうも」 ふさふさと伸びた白髯《はくぜん》がぶるぶるっとふるえた。「いいところへ来てくれましたな、今日はひとつ底を割って私の秘宝をお伝えしたいと思っていたと.」ろですよ」  先生がこんなに上機嫌で、屈託のない顔をしていることはめずらしい。私がきょとんとして眼げを臘っていると、先生は知麟に、ガラス板の上にある魚の臓腑のようなものをゆびさした。 「これですよ、何だと思います、これを?」 「さア」  といったま丶、私は口を噤《つぐ》んでしまった。見ようによってはボラのへそのようでもあるし、ブりの肝のようでもある。私は魚については相当に該博《がいはく》な知識を持っていたが、しかし、この蒟蒻《こんにやく》玉のように、ぐにゃぐにゃとくずれたものが何であるかということはついに見当もつかなかった。すると、私の呆然として当惑している姿がすっかり先生の気に入ったらしく、いかにもわが意を得たという面構えで、 「狸ですよ」  低いが、自信にみちた声である。 「えっ、狸ですって?」 「そうです、狸の睾丸です」 `私はどきっとして、ガラス板の上に視線を凝らした。「狸の睾丸を一体何になさるんです?」 「いや、それなんですよ」  と、先生は急に厳粛な表情をして、ポケットの中から皺《しわ》くちゃになったピースを一本とりだして口にくわえ、マッチをすった。 「やっと私の研究も思う壺にはまってきたんです」  先生は、それから非常に静かな、ゆとりのある調子でしゃべりだした。  先生が癌の研究に没頭するようになってから早くも十年あまりの年月が経っている。先生の言葉はおそろしく早口な上に、耳馴《な》れない術語が矢継早に出てくるので生理的知識に乏しい私はまったく要領をつかむのに当惑してしまったが、大ざっぱにいうとあらまし次のような話になる。およそ細胞の増殖には一定の方式があるが、癌細胞の分裂する速度とくると、こいつは驚くばかりで、これを方式によって捕捉することのできないほど乱脈迅速を極めている。そして、このような逞《たくま》しい増殖力をもつ細胞の本質を極めるところに先生の研究の目的があった。ところが、先生は細胞分裂の速度を研究しているうちに、やがて分裂の動因をつくるものが染色体の作用にあるということを発見したのである。このへんから私の認識はしどろもどろになってくるが、先生.の意見によると細胞の中には小さな核があり、無数の染色体がその核の内部に浮遊している。細胞は増殖するにつれて分裂し、その分裂の直前になると、染色体が螺旋《らせん》状を描いて核の中心部にあσまってくる。その螺旋体が分れるときは交互に一つ一つ分裂して次第に核の両極にあつまってゆく。すると、いつの間にかまん中に膜が出来て等分に二つの部屋に分離することになる。この染色体の中に性染色体と称するものがあって、その作用如何によって男女の性別が生ずる。  先生は最初その作用を植物の花粉によって実験したところが、性染色体の究明に没頭しているうちに、これこそ人間の活力の原素であるという暗示に到達した。それが機縁となって動物の睾丸の研究にうつり、鼠の睾丸から猫の睾丸、猫から更にイタチに進み、イタチから犬に転じて、幾度となく実験を試みたが、どこかにまだ不明瞭なものがあり、ついに、もっとも人間に近いと推定される意味において狸の睾丸を実験することに希望を持つようになったものの、何しろ当時終戦直後ではあったし、狸を手に入れるなぞということは容易ならざるはなしで、たちまち二三年間が空しく過ぎてしまった。然るに天なるかな、命なるかな、最近この町に住む先生の崇拝者の一人である写真屋の古巻《ふるまき》という男の世話でやっと狸の睾丸を買いとることが出来たので数日前から実験にとりかかったばかりのところであるという・ 「この実験が成功すれば」  先生は、思わず息を呑んだ。「君、期せずして不老不死の薬が完成されることになるんですよ、秦の始皇帝以来、世界の懸案となっていた不老不死の名薬が私の手によって、いよいよこの世の中に形をあらわす日がもう眼の前に近づいているんです」  折山博士の眼は異様な光りを帯び、痩せおとろえた頬がいきいきと輝きだした。もはや癌の研究どころではない。私はきょときょと先生の顔を見据えたま丶茫然自失してしまった。合槌《あいつち》をうつ余裕さえもないのである。しかし、先生はそんなことに無頓着で、一気にまくしたてた。 「その上、君、調子のいいときにはいいもので、これも古巻君の尽力で今度、人間の睾丸が手に入ることになったんだよ、これではじめて画竜点睛《がりようてんせい》ということになるんだ」 「人間ですか?」「そうだよ、それも死んだ人間の睾丸じゃない、健康でぴちぴちしているやつが来る筈だから」  私はもはや狐につままれたような気もちで、絶え間なしに動く折山博士の顔面神経にじっと視線を凝らしたまま声を立てることも出来なかった。そこへ、急にうしろの扉があいて、垢《あか》じみたよれよれの国民服を着た古巻七五郎が、狡猾《こうかつ》そうな愛想笑いをうかべながら入ってきた。  古巻はこの町に住む写真屋であるが、私は彼の店に客の入っているのを、まだ一ぺんも見たことがない。彼についてはいろいろな噂があり、その噂の大半は、それをことごとく信ずると、彼こそ極悪非道の典型的人物のようになってしまうが、私は、はじめて会ったときから、この男は何に対しても一種のマニヤともいうべき凝り性で、狂気じみた情熱的なところがあり、金儲けでも恋愛でも、打ちこんだら最後、底の底まで窮《きわ》めつくさなければ気がすまぬという種類の人物であることを理解した。こういう性格の男は、極端に冷酷であるかと思うと、また途方もなく人情もろく、まったく常識では判断の出来ないような調子はずれなところがあって、そこにまた何とも言えないような味があるものである。  だから、私は、彼が雪舟の偽物を売ってしこたま儲けたとか、陸軍大将の未亡人をだまして金を捲きあげたとか、妾を五人も持っているとかいう話をきいても、それがために彼を批難するという気もちにはならなかった。というのは、彼がどういう風の吹き廻しか私に対しては実に親切で、思いやりがふかく、まだ疎開してきたばかりの頃、この町に知合いもなければ伝手《つて》もなく、どこに何があるのかわからぬようなときでさえ、頼みもしないのに米を運んだり魚を持ってきたりしてくれる。それがいつの間にか私の好きな喰べものまでちゃんと心得てしまって、今日は久しぶりでエビの天ぷらをつくりましたとか、ナマコのいいやつが見つかりましたとか、これは手製のドブロクですとかいって台所口からのっそり入ってくると、もう善悪の判断もなく、たちま.ち人情にほだされてしまう。昔から喰い物の恨みはいちばんふかいと言われているのだから、恨みがふかければ恩もふかいにきまっている。  だから、私はむしろ逆に古巻七五郎の悪態をつく人間の方を警戒する習慣がついてしまっているようなわけで、その古巻が折山諸撃同情し、四面楚歌《しめんそか》の中にある.あ老学究のためにひと肌脱こうという話をきけば、いかにも尤もだと考えざるを得なかった。  古巻は先客である私の顔を見ると、 「これは偶然ですな、お伺いしようと思っていたところです」  と、いかにも機みのついた濁《だ》み声でいった。 「うどん華《げ》の花も咲くと言いますからな、折山先生もついに終りを全うされましたよ」  せっかちの癖で、彼は烈しく貧乏ゆすりをしたと思うと、すぐ老先生の方を向いて、 「お約束のはなしなんですが、実は今朝になってから相手の女房の方から文句が出ましてね」 「じゃあ、駄目なのかい?」 「いや、駄目じゃないんですよ、先方はすっかり乗気になっているんですが、私があれほど女房には内密にしろといっておいたのに、うっかりしゃべってしまったんですね、何でも女房の言い分では、睾丸というものは一つあれば充分用が足りるなぞといったところで、そんなことが当てになるものか、お前さんはそれでなくっても、いざというときにバネの利かなくなってしまう人なんだから、それが、いよいよ一つしかないことになったらわたしがどんなにやきもきしたところで間に合いませんよ、そういって泣きながら口説かれたわけですね、何しろ女房には、から意気地のないやつだもんだから、それでへたへたとまいって、今朝の明けがた、私の家へやってきたんですが、まア、あいつにしてみれば無理もないんですよ、それでいろいろ押問答をした末に、先生から一筆、睾丸は一つあれば男女の交合にいささかも差支えるところなく、また誤って万一のことがあったらいかなる賠償《ばいしよう》にも応ずるという証文を書いていただくということにしてやっ とケリがついたわけですが」 「そんなことはわけのないことだ、早速書こう」  先生がテーブルの抽出《ひきだし》をあけて、十余年前に印刷して、もう灰色にくすんでいる処方箋の用紙 をとりだすと、古巻は、 「それから」  と、たたみかけた調子でいった。「いよいよ現物の取引を行う前に二千円だけ手金としていただきたいといっているんですが」 「そいつは困ったな」  先生の顔には、かすかな哀愁がうかんできた。「もう売るものといっちゃあ、ほら、あの神代杉の門しか残っていないんだが、それにしたって早急においそれと買い手がつくわけもないし」  家屋敷はもとより、庭石から植木の類にいたるまで一本残らず、抵当に入れたり、売りつくしたりしている今日、もはや金の目当になりそうなものは何一つ残ってはいないのである。 「そうですな」  といって、古巻はしばらく考えこんでいたが、すぐ決心したように膝をぽんとたたいた。「事ここにいたっては止むを得ませんからな、じゃあ私がひと先ずあの門を五千円で引きとりましょう、あの男との最初の約束は五千円ですが、あいつには七年前に二百円の貸しがありますから、今の相場に直して、千円だけ差引かせ、残りの金をすぐ先生の方へお届けしましょう」 「いや、そうしてもらえば、実にありがたい。古巻さん、万事あなたにお願いしますそ」 「いいですとも、1そのくらいのことが出来なくっちゃあ、不老不死の名薬の権利をとることは出来ませんよ」  古巻はやっと安心したような落ちつきを示して、にやにやとうすら笑いをうかべた。「それに、あいつにしたって一生に一ぺんくらいは私に対する義理を果さなきゃあ生きてゆかれませんからね」  あいつというのは、この町から一里ほど先きにある炭焼の邑《むら》に住む又狩久太という若い男で通称久さんと呼ばれている。先祖歴代|木樵《きこり》を商売としていたのが、法外な税金を取立てられる上に、この数年のあいだにどの山も材木という材木が片っぱしから伐り倒されてしまったので、だんだん生活に追いつめられ、全村を挙げて今や飢餓に瀕しているような始末なのである。  古巻が久さんの面倒を見るようになってから、もうずいぶん長い年月が経っているが、彼が七年前に二百円貸したのは、町の大地主で、助鉄というあだ名で通っている八十ちかい老人が、たぶん、これも一種の若返り法のためであろう、こっそり古巻を呼んで、何とかして若い男女が合歓を重ねている写真をうつしてもらえまいか、これならいくらでも出すからといって、親指と人差指でつくった丸い輪を何べんとなく彼の眼の先きへ突きつけたそうである。古巻はもとより二つ返事で、老人から手の切れるような百円紙幣を五枚うけとり、帰ってくると、すぐ自転車で山の中の炭焼の邑へ出かけていった。 「まったく、苦労しましたね、早速久さんをよびだして、相談してみたところが、まだ貰ってから三月も経たないような女房だし、  いや実はそこにこっちのつけ眼があるんですがね、ところが、自分はともかく女房が承知しますまいというので、すぐさま二百円握らせたところが、久さんもやっと決心がついたらしく、二日がかりでとにかく女房を納得させることが出来たというわけですよ、そうときまれば善は急げですからね、私はすぐ写真機をかついで駈けつけました」 「それで、首尾よく写したわけですな?」  聴いているうちに私の方がハラハラしてきた。すると古巻は何事かを思いだすように、じっと眼をとじ、  「いや、もう、ひどい目に遭いました、やっぱり、こいつはずぶの素人をいきなり舞台に立たせたようなもので、からっきし役に立ちませんや、久さんは久さんで苛々《いらいら》している、女房だってすっかり観念しきっているんですから、どうにでもなれという気もちになっている託ですが、こっちだって早取写真のようにいきなりパチンとやるわけにはいきませんよ、色々工風《くふう》してみましたが、とうとう仕事は大失敗の上に、今更手金を戻せというわけにも、ゆかないもんだから、そのままになってしまいました」  古巻のことだから、むろん、どこからかわけのわからぬ写真をさがしだしてきて、うまく助鉄老人をゴマ化し、あ紅あまるほどの謝礼をとったにちがいないと思われるが、しかし、結局そのときの手金によって生じた義理がキッカケとなって、久さんはついに睾丸を、一個、四千円で売、らなければならないような結果になったものらしい。古巻はせきこむような調子で一席まくしたてると、  「じゃあ、ひと息に仕事を片づけちまいましょう」  といって立ちあがった。私も彼につづいて先生に別れを告げた。ゆるゆると坂を下り切ったところで「上天病院」の方をふりかえってみると、老先生が、壊れかかった玄関の前に立っている。さすがに名残が惜しいのであろう、じっと空を仰ぐような恰好をして神代杉の門を見あげていた。 4 A町の駅からあふれだした人の波が曲りくねった小路を通りぬけて、街道へ出ようとするすぐ手前のところで道が二つにわかれている。その右側の、うしろが材木置場になっている空地の角に小さな串かつ屋の屋台店が出来たのは、それから十日ほど経った頃だった。  その店は、串かつが安いのと、自家製のドブロクがうまいというのでたちまち町じゅうの評判に訟った。それに、繁華街からちょっとそれたところにあって、両側がよしず張りになっているので人眼を避けて入るのに都合のいいような地の利を占めている。  私が、同じ町に住む洋画家の青貫白水に誘われて、この屋台店の暖簾《のれん》をはじめて潜ったのは、やっと三月になったばかりの、おそろしく風の寒い晩だった。  主人は三十五六の、色の浅黒い、見るからに屈強そうな威勢のいい男で、青貫とはもうすっかり顔馴染になっているらしく、 「やア、いらっしゃい、11今日は昼すぎから邑の連中を招待したもんだから、うっかり飲みすごしちまいましてね、そろそろ店じまいにしようかと思っていたところなんで」  彼は、煮しめたような手拭をとり、器用な手つきでねじり鉢巻をすると、すぐ「串かつ」をあげるために七輪の火を煽ぎだした。 「そいつは大した景気だね?」  青貫が、なみなみとつがれたコップの白馬をぐっとひっかけた。 「いや、おかげさまで」  といってから、串かつ屋の親爺はうれしそうな微笑をうかべた。世の中はまったく何が幸いに馬なるかわかったものじゃありませんよ、この店をはじめる当座なんかときたら、二進《につち》も三進《さつち》もゆかないような貧乏で、仕方がねえから女房を夜の女に出そうなんて、いや笑い事じゃねえ、本気で考えたほどですよ、ところが先生、時世ががらりと変りましたね、男なんてものは行き詰ったが最後、首をくくるか、さもなけりゃ泥棒でもするよりほかに能がないと思っていたところが、売る気になりゃ立派に売れるものがあるんですからね、何も生きるのにくよくよすることはありませんや」 「売れるって、  何が売れるのかい?」  青貫が眼をパチパチとうこかすと心持ちぐっと肩を前へ乗りだすようにして、 「キン玉ですよ」  と噛みつくような声でいった。 「何だって」、 「だから、夢みたいな話じゃありませんか、私もまさかと思ったが、苦しまぎれにたたき売ってみると、何の雑作もありませんや、大体あんなものを二つもぶらさげているのが贅沢なんで、一つだけ残っていりゃあ、それで結構役に立つんですから」  酔った勢いで彼は一気にまくしたてた。「串かつ屋」の親爺が、古巻の話の中にあった炭焼邑の久さんであることはもはや疑うべくもない。私は、ほろ酔い機嫌で、いきいきと冴え返っている久さんの顔を、あたらしい好奇心をもってしみじみと眺めた。彼は睾丸を売った四千円の金を資本にして、この屋台店を開いたのである。 「それも、はじめはやけっぱちで売ったものの、われながら、なさけなくて生きるにも生きられぬような気もちでしたが、今となるとそれどころか、日本じゅうの人間に片っぱしから知らせてやりたいくらいですよ」 「おどろいたな、iそれで、君の方はいいとしても、おかみさんが苦情を言わないのかい?」 「苦情どころか、あんた、大喜びですよ、今までは、あんなものが、どかんと腰をおろしていやがるもんだから何彼《なにか》につけて不自由だったのが、今度はどこへだって気楽にすうっとばいってゆずけるんですから」  彼が声をおとして、何かひそひそと話しかけようとしたとき、裏の方から、 「唯今」  という、弾力のある若々しい声が聞え、束ね髪にした、ほそ面《おもて》の、色っぽいというよりも、ちらっと見ただけでも健康そうな、すべすべした小麦色の皮膚がぴいんと張りきっている、二十二三の女がはいってきた。まこう方なき彼の女房である。一瞬間の印象ではあるが私は久さんの夫婦生活がいかに順調で、愉しく充実しているかということを犇々《ひしひし》とかんじた。 「それで、先生、ひとつ御相談があるんですが」  と、彼は女房の顔をちらっと見てか与、急に声の調子を変えた。「こんど、この屋台を少しひろげることになったんで、あたらしく暖簾を出そうと思っているんですが、それで何とか今の私の気もちにぴったりした名前をつけたいと思っているんですよ、まさか、串かつキン玉ともつけられないし、何かいい名前はありませんかね?」  私は飲み心地のいいにまかせて、すでに三杯の白馬を一気に呷《あお》っていた。下地が入っているところへ立てつづけにひっかけたので、酔いが一ぺんに廻ってきたらしい。青貫がもじもじしているあいだに、私は横合いから大声で叫んだ。「そりゃあ、君、ホーデンにかぎるよ、語呂もいいし、景気もいいし、その上君が旧恩に酬ゆる意味においたって」  何を言っているのか自分にもよくわからなかったが、しかし私はすぐ立ちあがって、感興のうヂ、」くにまかせ、低い調子でうたいだした。  ペニス笠持ち  ホーデンつれて  入るぞヷギナの  ふるさとへ、    痺《しび》れるような酔いは全身に沁みひろがっていた。何時、串かつ屋を出て、何処で青貫と別れたのかハッキリおぼえていない。町中をひとすじの川が流れている。早春のうす月が空にかかり、行手は白い靄《もや》であった。靄に掩われた川ぞいの道を私は、ひとりで微吟低唱をつづけながら歩きだしたのである。すると、夢ともつかず現《うつ》つともつかず、例によってぬっと肩をそびやかしたペニス大公のあとから、せかせかと足どりも軽くすべるように動いてゆくホーデン侍従の姿が影絵のようにうかんできた。  しかし、彼はもはや昨日のホーデンで憾ない。余計な重荷をさらりと捨てた今夜の彼は心も軽く身も軽く、ペニス大公の御意にまかせて、ヴギナの門をすべるがごとく入ってゆくであろう。、ふるさとの山を遠く望んで涙|潸然《さんぜん》たりし日は早くもすぎし日の夢なのである。故山の人情は暖かく、されば、山も川も歓呼の叫びをあげて彼の帰郷を迎えるであろう。 5  あ丶、ホーデンよ、ふぐりよ、睾丸よ、  予が君を救国の英雄に擬《なぞ》らえたことは決して嘘でもなければお世辞でもなかった。何となれば、折山博士による性染色体の研究はいよいよ最後の段階に到達して、不老不死の名薬は日ならずして完成しようとしているからである。  古巻七五郎は、眼が廻るようにいそがしくなってきた。彼はこの秘薬製造の会社を設立するために東奔西走しなければならぬ。何よりも必要なものは資材であり原料であるところの睾丸であるが、運のいいときはいいもので、幸いにも久さんの屋台店の成功したことによって、炭焼邑の住民は老若を問わず、ことごとく符節を合すように睾丸を売ることを志願してきた。今まで火が消えたように萎れかえっていた村民はこれがために活力をもりかえし、隣保班の班長はすでに一同の意見をまとめて、睾丸を売った金の一部をもって、道路の改修と邑の厚生費用に充てようとしているのだ。  だから、いよいよ、正式に会社が設立されることになれば、睾丸の相場はたちまち暴騰《ぽうとう》するであろう。そこに抜目のある古巻ではない。彼は片っぱしから手金を打ち、ひとりひとりに契約書を取交わした。  ところが、睾丸売却の希望者は一日ごとにふえてくる始末で、もう炭焼の邑だけではなく、噂が町全体にひろがるにつれて、大金が入った上に女房を喜ばせることが出来るというなら正しく一挙両得ではないか、こんなうまい話が滅多にあるものではない、おれも売りたい、いや、おれもおれもという人間があとからあとからとふえて、古巻の家はたちまち門前市を成すような形勢を生じてきた。  こうなると、いかに古巻といえども彼の全財産をはたきだしたくらいでは到底足りるものではない。そうかといって、今こそ絶好の買いどきである。それがために彼は土地を売り、家を売り、あらんかぎりの方法で借金をして、資材の蒐集につとめてきたが、しかし勢いの及ぶところは停止する筈もなく、彼のために資本を出そうという男が続出してくるにつれて、いっそのこと、この計画を全国的に拡大したらどうかという意見も生じてきた。  これがキッカケとなって、東京から濡れ手で粟のひと儲けをたくらむ新囲ハ財閥や、大会社の社長たちが続々と乗り込んできて、古巻七五郎と会談を重ね、この名薬を海外に輸出するための大貿易会社を設立する相談がまとまりかけたとき、折山博士が俄かに横槍を入れた。これこそ正しく救国済民の仕事である。もちろん一個人の私すべきものではない、経営は日本国家があたるべきであると言いだしたのである。言い出したら絶対に自説を押しとおす博士の気象を知っている古巻は、博士を納得させるためには私のほかにはないと考えたらしく、ある晩、白馬を二升手土産に持って私の家へやってきた。もちろん私は一言の下に彼の申出を拒絶した。 「こうなったら、もう利権の問題じゃない、折山博士の意見に従って当然国営の事業にすべきものだ、君だっておぼえているだろう、太平洋戦争の真最中、一億一心という標語によってともかくも政府は全国民をおさえつけていたんだからね、しかし、そんな生半ばなものじゃない、今こそ一億一心じゃなくて、一億一丸だよ、日本建国の基礎は必ず此処に築かれる、そうなれば、国家の再建どころか、日本はおそらく世界の財貨を立ちどころに吸収することが出来るだろう、今や祖国の興廃は一丸の左右するところによって決するのだからな、つまらぬ慾を起すもんじゃないよ」 「なるほど、一億一丸ですか、いい言葉ですな」  古巻はしきりに感心している様子だったが、もちろん私の言葉に動かされるような筈もなく、ふふんと小馬鹿にしたようなせせら笑いをうかべ、ちんぷんかんぷんな挨拶をして帰っていった。まったく余計な睾丸があるばっかしに、つまらぬ野心を起したり、戦争をはじめたりするのではないか。これが全国一丸ときまれば、やれ民族だとか伝統だとかと、他愛もないことにくよくよする必要はなくなってしまうのである。いずれにしても問題は折山博士の発明が何時完成されるかという一事にのみかかっている。私はそのことをたしかめるために、翌日、博士を訪問したが、神代杉の門をとり払った病院は荒涼としてうすら寒く、私が玄関を入ろうとすると、古巻がげっそりと痩せおとろえた顔をして、せかせかと出てくるのにバッタリ出会った。  どうしたのかと訊くと、彼はもう生きている心地もないらしく、しどろもどろの調子で答えた。 「大へんなことが出来てしまったんです、博士が昨日から急病になって、ちょっと手のつけられぬ状態になっているので、ーこれでもしものことになったら、私はもう自殺するよりほかに仕方がないんです」  博士は連日の宴会が祟《たた》って、急性の胃潰瘍になり、吐血が烈しすぎた上に、何しろ老体であるし、輸血や注射くらいでは衰弱を支え得るかどうか見当がつかないような状態に陥っているという。  今は絶対安静を保つために一切の訪問客を絶っているというので、私も止むなく引返えしてきたが、なるほど古巻にしてみれば、彼の打った手金と引換にうけとっている契約書が押入の中に山のように積まれている今日、業半ばにして博士が死んでしまうようなことになったとしたら、もはや不老不死の名薬も、一場の夢に終るであろう。  今になって手金の払戻しをするといったところで、現物は向うにちゃんと残っているのだから、これも容易なことでは話がまとまるまい。それにもかかわらず、博士の命はすでに旦タに迫っているのだ。そして町の温泉宿には遠くからやってきた資本家たちが、もう一ト月あまり、酒と女に涵《ひた》りながら名薬の完成するのを今か今かと待ちあぐんでいるのだ。その資本家たちにどうして実状を知らせることが出来よう。いかにすべきか、どうしたらいいか、否々、伸るか反るか、生きるか死ぬかの瀬戸際なのである。  それにしても男は度胸だ。先ず睾丸にさわってみてから悠々と計を立てるよりほかに道はあるまい。とはいえ、此処に思いがけない名薬が見つかって博士が無事に一命をとりとめることにでもなれば、一切の苦労もたちまちにして消え去るわけである。事は古巻の運命に関りがあるだけではない。われ等の運命を決すべき一丸立国の問題を控えている。いや、一丸立国はおろか、この小説も、今後いかなる方向へ発展すべきか、あるいはこのまま中絶するの止むなきにいたるか、それともホーデン侍従の活躍によって一生涯書きつづけてもなお足りないような民族興亡の大き辱な渦の中へ巻き込まれるか  まったくもって見当もつかぬ、まるで雲をつかむような始末なのである。

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