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佐藤春夫訳「徒然草」二百二十六」(2015/02/20 (金) 01:41:47) の最新版変更点

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 後鳥羽院のおん時、信濃前司行長は学問において名誉のあった人であったが、この人が楽府の御議論の中に召し加えられた際、七徳の舞の中の二徳を忘れたので、五徳冠者という仇名をつけられた。それを苦にして学問をやめて出家したのを叡山の慈鎮和尚は一芸のある者は、たとい下僕でも召し抱えて寵遇したのでこの信濃入道行長をも養っておかれた。この行長入道が平家物語を作って、これを生仏《しようぶつ》という盲人に教えて語らせた。それで自分の世話になった延暦寺のことをとくべつに立派に書いているのである。九郎判官のことはくわしく知って記載してある。蒲冠者《がまのかんじや》のことはじゅうぶん知らなかったものを書き洩らしている事蹟が多い。武人、兵馬のことは生仏が関東の出身者であったので、武士に問わせて記入したのである。あの生仏の性来の音声を、現代の琵琶法師はまねているのである。

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