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三遊亭円朝 怪談乳房榎 七


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 浪江は脂汗をかいてよほど苦しい様子でございますから、おきせとお花が気の毒でなりません。
「さアあなたお奥へおいであそばせよ。」
「いえこれでよろしゅうござります、あゝ苦しい、どうも痛い……いえ先生がおいでならこちらへ一泊願いたいとは存じますが、お留守ゆえやっぱりこれで、いますぐに、|暫時《ざんじ》落ち着きますまで、お置き下さい。」
「あれお物堅い、そんな御遠慮はいりませんよ、あなた。」
「本当でございますよ、お差込みなんぞの時は堪らないもので、ああこれはひどい蚊でございます。」
「それでは、こうあそばせ、ここでは冷えますといけませんから、花や客間へお連れ申して、あの蚊帳を釣ってお上げ申しな、あなた少しお横になってゆっくりあそばせ。」
「いえけっして……あいた……お構いあそばすな、やはりここでお花どんに押してお貰い申すとよほどこらえようござります。」
「あれまだそんなことをおっしゃいますよ、御新造様があんなにおっしゃりますから、あなたいらっしゃいよ。」
「さアせめてあなた客間へ。」
「それではどうも心がすみませんが。」
「さアいらっしゃい、さア私にしっかりお掴まりあそばせ。」
 ふだん鼻薬が飼ってあるからその親切なことは、おきせもともに介抱いたしまして、辞退をいたす浪江を奥の客間へようよう連れてまいり、加花はまめまめしく蚊帳を出しまして釣り、ちょっと郡内縞《ぐんないじま》かなぞの小掻巻《こがいまき》を出して、枕元へは|煙草《たばこ》盆に盆へ|白湯《さゆ》を汲んで持ってゆく、よくお手当が行き届きます。この客間というのは八畳で|花月床《かげつどこ》というやつで、ここから四尺ほどの|栂《つが》の|柾《まさ》で張りました廊下を隔てまして、おきせが寝ております六畳の座敷で、やはりお花は浪江の胸をさすっております。浪江は|暫時《ざんじ》苦しんでおりましたが大きに落ち着いたと見えて、癪の癖で少し落ち着くとすやすや眠るもので、お花はさすっておりましたが.浪江が寝た様子でございますから、
「あの御新造様、落ち着きましたようですやすやお眠りなさいましたよ。」
 と小声でいいます。
「それはまアよかった、そっとしておおき、またお目が覚めでもして差しこむといけない、お前そっと蚊帳を出て表を締めてお前もお寝、御病人がいらっしゃるから、いつものように寝坊をしては困るよ。どうぞ眼敏くしておくれ。」
「なにあなた、今晩は本当に寝はいたしません。」
 と目の覚めぬようにそっと蚊帳から出ました。これから方々の戸締りをいたして、
「さようならお休みあそばせ、御用があったらすぐにお起こしあそばして。」
 とお花は一間隔てましたおのれが部屋へ参りました。おきせも先へ寝かしました真与太郎が今夜はおとなしゅうございますから、これも起すまいと蚊帳の中へそっと入り、
「さア坊や本当に寝んねをおし。」
 と真与太郎を抱いてすやすや眠りに就きました。下女は一日立ち働いて疲れておりますから、床へ入るがいなや、ぐうぐうと高鼾をかいて寝てしまいます。松井町の鐘は空へ雨気をもっているせいか、|十間川《じつけんがわ》の流れへ響いてボーン……、|押上堤《おしあげつつみ》の、露の含んでおります|千草《ちぐさ》のなかでは、いろいろな虫が啼きつれまして、なんとなくもの淋しい……、かの浪江は時分をはかりましてか、むっくりと起き上がりましたが、癪の差し込むと申したのも元より|作病《さくびよう》で、日頃から惚れきっております師匠重信の妻おきせをどうか口説き落そうと思うので、先生は留守なり、今夜こそはと枕元におきました脇差を一本差しまして、そっと蚊帳を這い出しまして、おきせの寝ている蚊帳のうちを覗いて見ますと、有明の|行燈《あんどん》の|灯《あかり》が薄くさして、真与太郎を抱きまして添え乳をしながら眠りましたと見えて、まっ白な、こう乳のところが見えまして、たいていどんなよい女でも口を明けて寝るとか、歯ぎしりをするとかなんとか疵のあるもので、寝顔というものはあんまりよくないもので、ずいぶん首ったけ惚れておりましても、寝た顔を見てから愛想の尽きることがあるものだが、このおきせは三十二相揃っております美人で、別して寝顔が好いそうでござります。柳島路考といわるるほどな器量よしだから、蚊帳越しに見ましたかの浪江、しばらく見とれておりましたが、今夜こそはこの女を抱いて寝ようと思うと、さすがにぶるぶる体が慄えましたが、根が大胆な浪江でございますから、そっと蚊帳を捲りノコノコ中へ入りまして、おきせの寝ております脇の方から、そっと枕と肩の間のところへ男の方からぐっと手を入れましたから、おきせはハッと驚いて目を覚し、飛び起きましてちゃんとかしこまりまして少し声を震わせ、
「あらまア、びっくりいたしましたよ、呆れかえった、あなた、なんでここへ。」
「ああこれ、大きな声だ、静かになさい。」
「いえ静かには申されません、なんであなた私のところへ。」
「これ静かになさい……まことに面目次第もござらんが、私の申すことを。」
「いえあなたなぜ私の。」
「これさ静かになさい、まことに男子たる者が恥入ったわけで……コレサまア静かにして……ござるがじつはこの三月十五日、忘れもいたさぬ梅若の縁日、小梅の|茶店《さてん》に重信殿と御一緒においでなすったところをば、私が床几に掛っておって初めてあなたを見た時、あゝ美しい、綺麗だ、と思いましたがこの身の因果で、命をかけて惚れましたこの浪江、どうかふびんと思し召して、たった一度でよろしゅうござるから望みをかなえて下さい。」
「本当にあなた、まア呆れてものが云えない、どうぞ帰って下さい、花やア。」
「これさ静かになさい、しいしい。」

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