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織田作之助「人情噺」

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amizako

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 年中夜中の三時に起こされた。風呂の釜を焚くのだ。毎日毎日釜を焚いて、もうかれこれ三十年になる。
 十八の時、和歌山から大阪へ出て来て、下寺町の風呂屋へ雇われた。三右衛門という名が呼びにくいというので、いきなり三平と呼ばれ、下足番をやらされた。女客の下駄を男客の下駄棚にいれたりして、随分まごついた。悲しいと思った。が、直ぐ馴れて、客のない時の欠伸のしかたなどもいかにも下足番らしく板について、やがて二十一になった。
 その年の春から、風呂の釜を焚かされることになった。夜中の三時に起こされてびつくりした眼で釜の下を覗いたときは、さすがに随分情けない気持になったが、これも直ぐ馴れた。あまり日に当らぬので、顔色が無気力に蒼ざめて、しょっちゅう赤い目をしていたが、鏡を見ても、べつになんの感慨もなかった。そして十年経った。
 まる十三年一つ風呂屋に勤めた勘定だが、べつに苦労し辛抱したわけではない。根気がよいとも自分では思わなかった。うかうかと十三年経ってしまったのだ。
 しかし、三平は知らず主人夫婦はよう勤めてくれると感心した。給金は安かったが、油を売ることもしなかったのだ。欠伸も目立たなかった。鼾も小さかった。けれども、べつに三平を目立って可愛がったわけでもない。
 たとえば、晩菜に河豚汁《ふぐじる》をたべるときなど、まず三平に食べさせて見て中毒《あた》らぬとわかってから、ほかの者がたべるという風だった。
 これにも三平は不平をいわなかった。
「御馳走《ごつと》さんでした」
 十八のときと少しもかわらぬ恰好でぺこんと頭を下げ、こそこそと自分の膳をもって立つその様子を見ては、さすがにいじらしく、あれで、もう三十一になるのではないかと、主人夫婦は三平の年に思い当った。
 あの年でこれまで悪所通いをしたためしもないのは、あるいは女ぎらいかも知れぬが、しかし国元の両親がなくなったいまは、いわば自分たち夫婦が親代りだ。だから、たとえ口には出さず、素振りにも見せなくても、年頃という点はのみこんでやらねばならぬ。よしんば嫌いなものにせよ、一応は世話してやらねば可哀相だと、笑いながら嫁の話をもち掛けると、
「   」
 ぷっとふくれた顔をした。案の定だと、それきりになった。
 三年経った。
 三人いる女中のなかで、造作のいかつい顔といい、ごつごつした体つきといい、物言い、声音など、まるで男じみて、てんで誰にも相手にされぬ女中がいた。些か斜視のせいか、三平を見る眼がどこか違うと、ふと思ったお内儀さんが、
「あの娘《こ》三平にどないでっしゃろ。同じ紀州の生れでっさかい」
 主人に言うと、
「なんぼなんでも……」
 三平が可哀相だとは、しかし深くも思わなかったから、三平を呼び寄せて、こんどは叱りつけるような調子で、
「貰ったらどないや」
 三平はちょっと赧くなったが、直ぐもとの無気力に蒼い顔色になり、ぺたりと両手を畳の上について、
「俺《うら》の体は旦那はんに委せてあるんやさけ、旦那はんのいう通りにします。どなえな女子《おなご》でもわが妻《かか》にしちゃります」
 と、まるで泣き出さんばかりだった。
 そして、三平と女中は結婚した。
 が、婚礼の夜、三平は夜中の三時に起きた。風呂の釜を焚くのだ。花嫁は朝七時に起きた。下足番をするのだ。
 三平は朝が早いので、夜十時に寝た。花嫁は夜なかの一時に寝た。仕舞風呂にはいって、ちょつと白粉などつけて、女中部屋に戻って、蒲団を敷いて寝た。三平は隣りにある三助の部屋で三助たちと一緒に寝ていた。三平の遠慮深い鼾をききながら、彼女は横になった。直ぐ寝入った。ひどい歯軋りだった。
 その音で三平は眼がさめる。もう三時だ。起きて釜を焚くのだ。四時間経つと花嫁は起きて下足番をした。
 三平はしょっちゅう裏の釜の前にいた。花嫁はしょっちゅう表の入口にいた。話し合う機会もなかった。
 主人は三平に一戸をもたしてやろうかといったが、三平はきかなかった。
「せめてどこぞ近所で二階借りしイな」
 断った。
 月に二度の公休日にも、三平はひとりで湯舟を洗っていた。花嫁が盛装した着物の裾をからげて、湯殿にはいって来て、
「活動へ行こら、連れもて行こら」
 と、すすめたが、
「お主やひとりで行って来やえ」
 そこらじゅうごしごしと、たわしでやっていた。
 そして十五年経った。夫婦の間に子供も出来なかったが、三平は少し白髪が出来た。五十に近かった。男ざかりも過ぎた。
 夫婦の仲はけっして睦まじいといえなかったが、.べつに喧嘩もしなかった。三平はもともと口数が少なく、女中もなにか諦めていた。雇人たちが一緒に並んで食事のときも、二人は余り口を利かなかった。女中が三平の茶碗に飯を盛ってやる所作も夫婦めいては見えなかった。ひとびとは二人が夫婦であることを忘れることがあった。
 しかし、三平があくまで正直一途の実直者だということは、誰も疑わなかった。
 ある日、急に大金のいることがあって、三平を銀行へ使いに出した。三平のことだから、吩附けられて銀行から引き出した千円の金を胴巻のなかにいれ、ときどき上から押えて見ながら、立小便もせずに真直ぐ飛んでかえるだろうと、待っていたが、夕方になっても帰って来なかった。
 今直ぐなくては困る金だから、主人も狼狽し、かつ困ったが、それよりも三平の身の上が案じられた。
 まさか持ち逃げするような男とは思えず、自動車にはねとばされたのではなかろうかと、夕刊を見たが、それらしいものも見当らなかった。六ツの子供がダットサンにはねとばされた記事だけが、眼に止まった。
 あるいはどこかの小僧に自転車を打っつけられ、千円の金を巻きつけてある体になんちゅうことをするかと、喧嘩を吹っかけ、挙句は撲って鼻血を出したため交番へひつばられた……そんな大人気ないことをしたのではないかと、心当りの交番へさがしにやったが、むなしかった。
 銀行へ電話すると、宿直の小使いが出て、要領が得られなかったが、たしかに金はひき出したらしかった。それに違いは無さそうだった。
 夜になっても帰らなかった。
 探しに出ていた女中は、しょんぼり夜ふけて帰って来た。
「ああ、なんちゅうことをして呉れちゃんなら、えらいことをしてくれたのし。てっきり、うちの人は持ち逃げしたに決っちゃるわ。ああ、あの糞たれめが。阿呆んだらめが……」
 女中は取乱して泣いた。主人は、
「三平は持ち逃げするような男やあらへん。心配しイな」
 と、慰め、これは半分自分にいいきかせた。
 しかし、翌朝になっても三平が帰らないとわかると、主人はもはや三平の持ち逃げを半分信じた。金のこともあったが、しかしあの実直者の三平がそんなことをしでかしたのかと思うのが、一層情けなかった。
 人は油断のならぬ者だと、来る客ごとに、番台で愚痴り、愚痴った。
 昼過ぎになると、やっと三平が帰って来た。そして千円の金と、銀行の通帳と実印を主人に渡したので、主人はびつくりした。ひとびとも顔を赧くして、びつくりした。三平の妻は夫婦になってはじめて、三平の体に取りすがって泣いた。
「なんでこないに遅なってん?」
 と、主人がきくと、三平はいきなり、
「俺《うら》に暇下さい」
 といったので、主人はじめ皆一層びつくりした。
「なんでそないなことをいうのよう?」
 三平の妻は思わず、三平の体から離れた。
 三平は眼をばちくちさせながら、こんな意味のことをいった。
 1今後もあることだが、どんな正直者でも、われわれのような身分のものに千円の金を持たせるような使いに出すのは、むごい話だ。
 自分はかれこれ三十年ここで使うてもらって、いまは五十近い。もう一生ここを動かぬ覚悟であり、葬式もここから出して貰うつもりでいたが、昨日銀行からの帰りに、ふと魔がさしました。
 つくづく考えてみると、自分らは一生貧乏で、千円というような大金を手にしたことがない。此の末もこんな大金が手にはいるのは覚つかない。この金と、銀行の通帳をもって今東京かどこかへ逐電したら一生気楽に暮らせるだろう。
 そう思うと、ええもうどうでもなれ、永年の女房も置き逃げだと思い、直ぐ梅田の駅へ駆けつけましたが、切符を買おうとする段になって、ふと、主人も自分を実直者だと信じて下すったればこそ、こうやって大事な使いにも出してくれるのだ。その心にそむいては天罰がおそろしい。女房も悲しむだろうと頭に来て、どうにも切符が買えず、帰るなら今のうちだと駅を出て、それでも電車に乗らず歩いて一時間も掛って心斎橋まで来ました。
 橋の上からぼんやり川を見ていると、とにかくこれだけの金があれば、われわれの身分ではもうほかにのぞむこともないと、また悪い心が出て来ました。
 そして梅田の駅へ歩いて引きかえし、切符を買おうか、買うまいか、思案に暮れて、たたずむ内に夜になりました。
 結局、思いまどいながら、待合室で一夜を明かし、朝になりました。が、心は決しかね、梅田のあたりうろうろしているうちに、お正午のサイレンがきこえました。
 腹がにわかに空いて、しょんぼり気がめいり、冥加おそろしい気持になり、とぼとぼ帰って来ました……。
「俺《うら》のような悪い者には暇下さい」
 泣きながら三平がいうと、主人はすっかり感心して、むろん暇を出さなかった。
 三平の妻は嬉しさの余り、そわそわと三平のまわりをうろついて、傍を離れなかった。よそ眼にも睦まじく見えたので、はじめて見ることだと、ひとびとは興奮した。
 が、どちらかというと、三平は鬱々としてその夜はたのしまず、夜中の三時になると、起きて釜を焚いた。女中は七時に起きて下足の番をした。
 少しも以前と変りはなかったから、ひとびとは雀百までだといって、嘆息した。
 ところが、入浴時間が改正されて、午後二時より風呂をわかすことになった。三平は夜中の三時に起きたが、なんにもすることがないので、退屈した。間もなく、朝七時に起きることにした。妻と一緒に起きることになったのだ。従って寝る時間も同じだった。
 朝七時に起きたが、釜を焚くまでかなり時間があった。妻も下足番をするまでかなり時間があった。随分退屈した二人は、ときどき話し合うようになった。三平は五十一、妻は四十三であった。
 いまでは二人はいつ見てもひそひそと語り合っていた。
 開浴の時間が来て、外で待っている客が入口の障子をたたいても、女中はあけなかった。両手ともふさがっているのだ。三平の白髪を抜いてやっているのだ。客は随分待たされるのだった。

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