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永井荷風「あぢさゐ」


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 駒込辺を散策の道すがら、ふと立寄つた或寺の門内《もんない》で思ひがけない人に出逢つた。まだ鶴喜太夫が達者で寄席へも出てゐた時分だから、二十年ちかくにもならう。その頃折々|家《うち》へも出入をした鶴沢宗吉といふ三味線ひきである。
「めづらしい処で逢ふものだ。変りがなくつて結構だ。」
「その節はいろ/\御厄介になりました。是非一度御機嫌伺ひに上らなくつちやな与ないんで御在ますが、申訳が御在ません。」
「噂にきくと、その後商売替をしなすつたといふが、ほんとうかね。」
「へえ。見切をつけて足を洗ひました。」
「それア結構だ。して今は何をしておいでだ。」
「へえ。四谷も大木戸のはつれでケチな芸者家をして居ります。」
「芸人よりかその方がい猿だらう。何事によらず腕ばかりぢや出世のできない世の中だからな。好加減に見切をつけた方が利口だ。」
「さうおつしやられると、何と御返事をしていゝかわかりません。いろ/\込入つたわけも御在ましたので。一時はどうしたものかと途方にくれましたが、今になつて見れば結句この方が気楽で御在ます。」
「お墓まゐりかね」
「へえ、先生の御菩提所もこちらなんで御在ますか。」
「なに。何でもないんだがね。近頃はだん/\年はとるし、物は高くなるし、どこへ行つても面白くないことづくめだからね。退屈しのぎに時々むかしの人のお墓をさがしあるいてゐるんだよ。」
「見ぬ世の友をしのぶといふわけで。」
「宗さん。お前さん、俳諧をやんなさるんだつけね。」
「イヤモゥ。手前なんざ、唯もう、酔つて俳徊する方で御在ます。」
 話をしながら本堂の裏手へ廻つて墓場へ出ると、花屋の婆は既にとある石塔のまはりに手桶の水を打ち竹筒の枯れた樒を、新しい花にさしかへ、線香を手に持つて、宗吉の来るのを待つてゐた。見れば墓石もさして古からず、戒名は香園妙光信女としてあるので、わたしは何心もなく、
「おふくろさんのお墓かね。」
「いえ。さうちや御在ませむ。」と宗吉は袂から数珠を取出しながら、「先生だからおはなし申しますが、実は以前|馴染《なじみ》の芸者で御在ます。」
「さうかい。人の事はいへないが、お前さんも年を取つたな。馴染の女の墓参りをしてやるやうな気になつたかな。」
「へゝえ。すつかり焼きがまはりました。先生お笑ひなすッちやいけません。」と宗吉はしやがむで、口の中に念仏を称へてゐたが、やがて立上り、門先生、この石塔も実は今の嚊には内々《ない/\》で建て丶やつたんで御在ます。」
「さうか。ぢや大分わけがありさうだな。」
「へえ。まんざら無いことも御在ません。親爺やお袋の墓は何年も棒杭のまゝで、うつちやり放しにして置きながら、頼まれもしない女の石塔を建て㌧やるなんて、いゝ年をしていつまで罰当りだか、愛想がつきます。石がたしか十円に、お寺へ五円、何のかのと二拾円から掛つでゐます。」
「どこの芸者衆だ。」
「葭町の房花家《ふさはなや》といふ家にゐた小園《こその》といふ女で御在ます。」
「聞いたことのあるやうな名前だが。」
「いえ。とても旦那方の御座敷なんぞへ出た事のあるやうな女ぢや御在ません。第一看板がよくない家《うち》でしたし、芸もないし、手前見たやうなものでも、昼日中一緒につるんで歩くのは気が引けたくらゐで御在ましたからね。芸者の位といふものは見る人が見るとすぐわかるもので御在ますからね。」
 寺の門前に折好く植木屋のやうな昔風な家《や》づくりの蕎麦屋が在つたので、往来際の木戸口から小庭の飛石つたひ、濡縁をめぐらした小座敷に上つて、わたしは宗吉のはなしを聞いた。
     *         *         *         *
「もうかれこれ十四五年になります。手前が丁度三十の時で御在ました。始めて逢つたのは芳町ぢや御在ません。下谷のお化新道で君香といつて居りました。旦那の御屋敷へ御けいこに上つて御酒をいたゴいた帰りなんぞに逢引をした事が御在ました。その時分には、アノ、旦那もたしか御存じの通り、新橋に丸次といふ色がありましたが、然し何をいふにも血気ざかり。いくら向からやんや言はれても、いやに姉さんぶうた年上の女一人、後生大事に守つちやゐられません。御贔屓の御座敷や何かで、不時の収入《みいり》がありますと、内所で処かまはず安い芸者を買ひ散らしたもんで御在ます。一人きまつたのがあつて、それで方々遊び歩くのは、まつ屋台店の立喰といふ格で、また別なもんで御在ます。ネエ、先生。はじめて湯島天神下の小待合で君香を買つたのもそんなわけで御在ます。何しろ十時頃に上つて←二時過には家へ帰つてゐやうといふんですから、女のよしあしなんぞ択好《よりこの》みしちや居られません。何でも早く来るやつをと、時計を見ながら、時によると、女の来ない中から仕度をさせ、腹ばひになつて巻烟草をふかし、今晩はといつて手をつくやつを、すぐに取《とつ》つかまへるといふやうな乱暴なまねをした事もあります。その晩もまつさういつた調子です。暫くして座敷へ来たのを見ると思つたよりは上玉でした。何も彼も忘れずにおぼえて居ります。衣裳は染返しの小紋に比翼の襟が飛出してゐるし半襟の縫もよごれてゐる。鳥渡見ても、丸抱《まるがゝへ》で時間かまはずかせぎ廻される可哀さうな連中です。つぶしに結つた前髪に張金を入れておつ立てゝゐるので、髪のよくない事が却て目につきました。しかし睫毛の長い一重目縁の眼は愛くるしく、色の白い細面のどこか淋しい顔立。それにまた撫肩で頸が長いのを人一倍衣紋をつくつた着物のきこなしで、いかにもしなやかに、繊細《かぼそ》く見える身体つき。それに始終俯向加減に伏目になつて、あまり口数もきかず、どこかまだ座敷馴れないやうな風だから、いかにも内輪なおとなしい女としか思はれません。長くこんな商売をしてゐられる身体ぢやない。さぞ辛い事だらうと、気の毒な心持になつたのが、そもく問違のはじまりです。人は見かけによらないといふ事がありますが、この女ほど見かけによらないのもまつ少う御在ます。」
「柄にもない。一杯食されたんだね。」
「まアさうで御在ます。後になつて見れば、女の方ぢや別にだまさうと思つてかゝつた訳でも無いんでせうが、実に妙な意地張りつくになつて、先生、わツしや全く人殺をしやうと思つたんで御在ます。思出すと今でもそつといたします。ところが、わたしよりも一足先に殺した奴があつたんで、わたしは無事で助かりました。わたしの名前は好塩梅に出ませんでしたが、その事は葭町の芸者殺しといふんで新聞にも出ました。下谷から葭町へ住替をさせたのは、わたしが女から頼まれてやつた事で、其訳はこの女には〆蔵といふ新内の流しがついてゐました。地体浮気で男にほれつぼい女だとは知らないから、わたしも始めての晩、御用さへ済めば別にはなしのある訳もなし、急いで帰らうとすると、「兄さん、お願ひだから、もう→度お目にかゝらせてね。」と寝乱髪に憂《うれひ》のきく淋しい眼元。袖にすがつていきなり泣落しと来たんだから、こたへられません。全体座敷で口数をきかない女にかぎつて床へ廻つてから殺文句を言ふもんです。それから通ひ出して丁度一月ばかり。逢つた度数《かず》で申さうなら七八遍といふところ。お互に気心が知れ合つて、すつかり打解ながら、まだどこやらに遠慮があつて、お互にわるく思はれまい。愛想《あいそ》をつかされまいといふ心配が残つてゐる。惚れた同士の一番楽しい絶頂です。君香はきかれもしないのに、子供の時からいろ/\と身のヒぱなしをした末に、新内語《しんないかたり》の〆蔵との馴れそめを打明け、あの入はお酒がよくないし、手慰みもすきだし、万一の事でもあると困るから、体好《ていよ》く切れたい。そのために一時この土地をはなれて、田舎へでも行かうかと言ひます。此方《こつち》はのぼせてゐる最中だから、この場合、「うむ。さうか。ぢやア行つてきねえ。」とは云へません。「お前の胸さへきまつてゐるなら、お前のからだはおれが引受けやう。そんな無分別な事をせずと、東京にゐてくれ。」と乗出さずには居られません。芸者の住替をする道は素人ぢやないから能く知つてゐます。周旋屋の手にか」つて手数料を取られ、碌でもない処へはめ込められるより、わたし自身で道をつけてやる方が結句女の為めだと考へ、お参りからすぐに親里ヘドロンをきめさせ、借金もならう事なら今までの稼高だけでも負けさせて住替の相談をつけてやらうと考へました。君香の実家は木更津ださうで、親爺は学校か町役場の小使でもしてゐたらしい。兎に角悪い人ぢやないやうでした。わたしは一先当人を親里へ逃して置いて、芸者家へは当入から病気になつたから、二三日帰れないといふ手紙を出させ、陰に廻つて、そつと東京へ呼戻して、抱主との話がつくまで毎日逢つてゐやうと言ふんです。もとく逢ひたい見吸艶曜第一で、別に女を喰物に牝つ紳うといふ悪い腹は微塵もないんですから、逃す時にも当座の小遣銭、それから往復の旅費、此方へ呼もどしてから、本所石原町に知つてゐる者があつたので、その二階を借りるやら、荷物は残らず芸者家へ押へられてゐるから、さしづめ着がへの寝衣に夜具も買ふ。わたしの身にしては七苦八苦の騒ぎです。何しろ其時分は丸次の家の厄介になつてゐた身ですから、公然《おほびら》に余所《よそ》へ泊るわけには行きません。昼間か宵の中忍んで行くより仕様がないので、自然出稽古はそつちのけ、御贔屓のお客はしくじる。師匠からは大小言《おほこごと》。忽の中に世間は狭くなる。金の工面には困つてくる。さてさうなると、いよくつのるが恋のくせ。二度と芸者には出したくないやうな気がして来ます。いつれは住替と、話はきまつてゐるもの㌦、一日でも長く此のまゝ素人にさして置きたいといふ気になつて、諸所方々無理算談をしながら、若しや、君香がそれと知つたら、済まないと思つて早く住替をしやうといふにちがひない。さう云ふ気にならせまいと、わたしは何不自由もしない顔をして、丁度夏の事でしたから、或日は明石縮一反、或日は香水を買つてやつた事もあります。貸二階にばかり引込んでゐても気が晴れまいからと、人目を忍んでわざ/\場末の活動へ連れて行き帰りには鳥屋か何かで飯をくふ。君香は何も知らないから嬉しがつて、「兄さん、わたしこの壗でかうして素人でゐられたら。」と言つて泣きます。昼間だけ逢つてゐるんぢや、もう、どうしても我慢ができない。一晩はお袋が病気だと、丸次の手前を胡麻化し、その次は時節柄さる御贔屓の別荘へお伴をすると云ひこしらへて、三日ばかりとまつて、何喰はぬ顔で新橋へ帰つて来ますと、イヤハヤ、隠すより顕るゝはなし。世間は広いやうでも狭いもの。丸次の家で使つてゐる御飯焚の婆の家《うち》が、君香のゐる家のすぐ二三軒先で、一伍一什《いちぶしじふ》すつかり種が上つてゐるとは夢にも知らないから、此方はいつもの調子で、「今更切れるの、別れるのと、そんな仲ぢやあるまい。冗談もい、加減にしな。」と甘く持ちかけたから猶更いけない。「宗さん。人を馬鹿にするにも程があるよ。」ときつばり、丸次は長烟管で畳をた」き、「お前さん、それほどあの女が恋しいなら、わたしも同じ芸者だよ。未練らしい事を云って邪魔立てはしないから、立派に世間晴れて添ひとげて御覧。憚0。ながらまだ男ひでりはしないからね。痩せても枯れても、新橋の丸次といへば、わき土地へも知られてゐる顔だよ。さう/\踏みつけにはされたくないからね。'立派に熨斗をつけて進上するから、ねえ、宗さん、後になつていざこざのないやうに一筆書いておくんなさいよ。その代りこれはわたしの志《こゝろざし》さ。」と目の前につき付けたのは後で数へて見れば百円札が五枚。いくら仕がない芸人でも、女から手切を貰つて引込むやうな男だと、高をくゝられたのが口惜しいから、金は突返して、高慢ちきな横面《よこつつら》を足蹴《あしげ》にして飛出さうと立ちかゝる途端、これさへあれば君香の前借も話がつくんだと、卑劣な考がふつと出たばかりに、何にも云はず、おとなしく証文をかいた時は、我ながら無念の涙に目がかすみ、筆持つ手も顫へました。わたくしが其後三味線引をやめたのも、芸人でなかつたらあの耻はか丶されまいと、その時の無念がわすれられなかつたからで御在ますよ。
 然し五百円をふところにして丸次の家を出ると、其場の口惜しさ無念さは忽ちどこへやら。今し方別れたばかりの君香に逢ひ借金を返すはなしをしたら、どんなに喜ぶことだらうと思ふと、もう矢も楯もたまりませむ。電車の来るのも待ちどしく、自動車を飛して埋堀《うめぼり》の家へかけつけて見ると、夏の夜ながら川風の涼しさ。まだ十二時前なのに河岸通から横町一帯しんとして、君香の借りてゐる二階の窓も、下の格子戸も雨戸がしまつてゐます。戸を敲くと下の人が、「お帰んなさい。」と上り口の電燈をひねつて、わたしの顔を見、舳あらお一人。」といふから、「お君は。」と問ひ返すと、圃御一緒だと思つたら、ほゝ、ゝほ。」と何だか雲をつかむやうなはなし。いつものやうに君香は先刻《さつき》わたしの帰るのを電車の停留場まで送つて行き、それなり家へはまだ戻らないのだな。明日《あした》の昼頃までおれの来ないのを承知してゐるからは、事によると今夜は帰るまい。どこへ行きやアがつた。前々から馴染のお客もないことはあるまい。一番怪しいのは新内の〆蔵だ。と思ふと二階へ上つてもちつとしては居られません。何かの手が㌧りをと其辺をさがしても衣類道具は、まだ下谷の芸者家へ置いたま㌧の始末だから、こ㌦には鏡台一ッなく、押入には汚れたメレンスの風呂敷づ」みが一つあるばかり。それらしいものは目につかないので、猶更いらくしてまた外へ出た。
 埋立をした河岸通は真暗で人通りもなく、びた/\石垣を甞める水の音が物さびしく耳立つばかり。御厩橋を渡る電車ももうなくなつたらしく、両国橋の方を眺めても自動車の灯が飛びちがふばかり。ひやくする川風はもうすつかり秋だ。向河岸の空高く突立つてゐる蔵前の烟突を掠めて、星が三ッも四ッもつゴけざまに流れては消えるのをぼんやり見上げながら、さしづめ今夜はこれからどこへ行かう。新橋はもう縁が切れてゐる。こゝに持つてゐる五百円。あんなに耻をかゝされて、手出しもならずF。押しいたゴいて貰つて来たのは、そも/\誰のためだ。玉子の殻がまだ尻ッペたにくつ丶いてゐる不見点《みずてん》のくせにしやがつて、よくも一杯喰はせやがつたな。胸糞のわるいこんな札《さつ》びらは一層《いつそ》の事水に流して、さつばりしてしまつた方がと、お蔵の渡しの近くまで歩いて来て、ぢつと流れる水を見てゐますと、息せき切つて小走りに行過る人影。誰あらう、君香です。
「おい。おれだ。どこへ行く。」と呼留めた声はたしかに顫へてゐました。
「あら。兄《にい》さん。」と寄り添ふのを突放して、「何が兄さんだ。こ」におれが居やうとは思はなかつたらう。ざまア見ろ。男をだますなら、もうすこし器用にやれ。」
 女は砂利の上へ膝をついたま㌦立上らうともせず、両方の袂で顔をかくし、肩で息をしてゐるばかり。何とも言はないから、「おい、好加減にしな。」と進寄つて引起さうとすると、君香は何か手荒な事でもされると思つたのか、その儘わたしの手にしがみつき、
「兄さん。気のすむやうに、どうにでもして下さい。わたし本望なのよ。兄さんに殺されりやアほんとうに嬉しいのよ。どうせ、生きてゐたつて仕様のない身なんだから。」とまた土の上に膝をつき、わたしの袂に顔を押し当てあたり構はず泣きしつむ。
 此方《こつち》はすこし面喰つて、「もういゝ。もういゝ。」と抱き起し背をさすれば、君香はいよく身を顫はし涙にむせび、「兄さん、みんなわたしが悪いんです。打《ぶ》たれても蹴られてもハわたし決して兄さんの事を恨みはしないから、思ひ入れひどい目に会はして頂戴。ヨウヨゥ。」と身を摺りつける様子の、どうやら気味わるく、次第に高まる泣声は河水に響渡るやうな気もしてくるので、始の威勢はどこへやら、此方からあべこべに、「おれがわるかつた。勘忍しなよ。」と気嫌を取りくやつと貸間の二階へつれもどりました。
 一時狂気のやうに上づッた心持がすこし落ちつい「て来ると、乱れた鬢をかき直し、泣脹した眼をしばたゝいて、気まりわるげに、燈火《あかり》を避《よ》けてうつ向く様子のいたくしさも、みんな此方《こつち》の短気からと後悔すれば、いよくいとしさが彌増り、いたはる上にもいたはる気になりますから、女の方では猶更嬉しさのあまり、思出したやうに又しやくり上げる。イヤモウ、手放しの痴言放題《のろけはうだい》、何とも申訳が御在ませんが、喧嘩するほど深くなるとは、まつたく嘘いつはりのない所で御在ます。
 君香は芸者家のはなしが大分むつかしくなつて、親元の方へ弁護士を差向けるとかいふはなしを聞き、以前世話になつた周旋屋の店が、すぐ河向の須賀町なので、内々様子をき」に行つたのだと言ふので、「そんなら早くさう言やアい」のに。」とわたしは百円札を並べて見せ、証文は丸抱の八百円といふのだから、これでどうにか一時話がつくだらうと、その夜は行末の事までこまぐと、抱《だ》き合ひしめ合ひ、語りあかして、翌日《あくるひ》の朝早く、わたしは新橋の方さへ遠慮がなくなれば世の中に怖いものはないのだから、えばつて、下谷の芸者家へ出かけ、きれいに話をつけて来ました。
 さて一月二月は夢中でくらしてしまひましたが、これまでに諸所方々不義理だらけの身ですから、やがて二人とも着るものは一枚残らずぶち殺してしまつて、日にまし秋風が身にしむ頃には、ぶるぐ布団の中で顫へてゐるやうになりました。二人相談つくといつたところで、窘はもともと箱無しの枕芸者ですから、わたし一人覚悟をきめ義太夫の流しとまで身をおとしました。
「お君、お前はよつぼど流しに縁があるんだ。新内と縁が切れたら今度は太棹ときたぜ。然し心配するな。その中先の師匠に泣きを入れて、どうにかするから、もう暫くの問辛抱してくれ。」と毎夜山の手の色町を流してゐる中風邪を引込んでどつと寝ついてしまひました。こゝでいよ/\切破《せつば》つまつて、泣きの涙でお君を手放す。お君は須賀町の周旋屋から芳町の房花家へ小園と名乗つて二度とる褄。前借はほんの当座の衣裳代だけで四分六《しぶろく》の稼ぎといふ話だつたが、病気が直つてから、会ひに行つて見ると大きな違ひで、前借は分《わけ》で七百円。しかも其金の行衛は、一体どうなつたんだときいて見ても、女の返事はあいまいで判然としない。わたしは内心こ、等があきらめ時だ。長くこんな女と腐れ合つてゐちやア到底うだつが上らないと思ひながら、どうもまだ未練が残つてゐます。新橋の女からは其頃詫びの手紙が届いてゐながら、此方《こつち》は落目になつてゐるだけ、フム、人を安く見やアがるな。男地獄ぢやねえ。さんざツばら耻をか」して置きやがつて、今更腹にもない悪体をついたもよく言へたもんだ。それ程おれが可愛《かわい》けりや小色の一人や二人大目に見て置くがいゝ。姉さんぶつた面《つら》は真平御免《まつびらごめん》だと、ますくひがみ根性《こんじやう》の痩我慢。どうかしてもう一度お君を素人《しろと》にして見せつけてやりたいと意地張つた気になります。とは云ふもの玉、わたしは又時々、どうして、あんな働きもなければ、かいしよもない、下らない女に迷込んでしまつたんだらうと、自分ながら不審に思ふこともありました。
 年は丁度|二十《はたち》、十四五の時から淫奔《いたづら》で、親の家を飛出し房州あたりの達磨茶屋を流れ歩いて、十八の暮から下谷へ出た。生れつき水商売には向いてゐる女だから、座敷はいつもいそがしく相応に好いお客もつくのだが、行末どうしやうといふ考もなく、慾もなければ世間への見得もなく、唯愚図々々でれ/\と月日を送つてゐる。どこか足りない処のあるやうな女です。それが却て無邪気にも思はれ、可哀さうにも見えて諦めがつきません。一口に言へばまつ悪縁で御在ます。仕様のない女だと百も承知してゐながら、さて此の女と一緒に暮してゐますと、此方までが、人の譏りも世間の義理も、見得も糸瓜もかまはぬ気になつて、唯|茫然《ぼんやり》と夢でも見てゐるやうな、半分麻痺した呑気な心持になつて、一日顔も洗はず、飯も食はずに寝てゐたやうな始末。成らう事なら、此のまゝ二人乞食にでもなつたら、さぞ気楽だらうと云ふやうな心持になるので御在ます。
 わたしはお君が葭町へ去つた後も、二人一緒に居ぎたなく暮した昨日《きのふ》の夢のなつかしさに、石原町《いしはらまち》の貸二階を去りかね、そのまゝ居残つて、約束通り、月に一度なり二度なりと、お君がおまゐりの帰りか何かに立寄つてくれるのを、この世のかぎりの楽しみにして、待ち焦れてゐました。尤も表向は手が切れた事になつたんで、中に人もはいり、師匠の方も詫が叶ひ、元通り稽古を始めましたから、食ふ道はつくやうになりました。
 お君はその後二一二度尋ねて来て、わたしが気をもむのもかまはず、或晩とまつて、翌朝《あくるあさ》もお午頃まで居てくれた事がありましたが、それなりけり。一月たち二月たち、三の酉も過ぎて、いつか浅草に年の市が立つ頃になつてもたよりが有りません。忘れもしない。其年十二月二十日の夕方、思ひがけない大雪で、兜町の贔屓先へ出稽古に行つた帰り道.、寒さしのぎに一杯やり、新大橋から川蒸汽で家へ帰らうと思ひながら、雪の景色に気が変り、ふら/\と行く気もなく竈河岸《へつつひがし》の房花家をたつねますと、小園《こその》を入れて三人ゐる筈の抱はもう座敷へ行つたと見えて、一人もゐない。亭主もゐなければ女房同様の姉さんの姿も見えず、長火鉢の向に二重廻を着たま㌧煙草をのんでゐるのは、お君の小園をこ㌦の家へ入れた周旋屋の山崎といふ四十年輩の男。その節顔は見知つてゐるので、
「その後《ご》は。」と此方《こつち》から挨拶すると、周旋屋は猫を追ひのけ、主人らしく座布団をすゝめて、
「おいそがしう御在ませう。わるいものが降り出しました。師匠。実はちいッと御相談しなくちや、成らない事があるんで、この間からお尋申さうと思ひながら、今夜もこの雪でかじかんでしまひました。」と薄ッペらな唇からお獅子のやうな金歯を見せて世辞笑ひをする。
「ぢや丁度好い都合だ。御相談といふのは何かあの子のことで。」
「はい。小園さんのことで。丁度誰も家にはゐないさうですから、今の中御話をしてしまひませう。」と切り出した周旋屋山崎のはなしを聞くと、お君は房花家へ抱へられると早々、どつちから手を出したのか知らないが、今では主人の持ものになり、ごたつき返した末女房同様の姉さんは追出されてしまつた。就いてはどうにとも師匠の気がすむやうにしやうから、綺麗に小園さんを下さるやうにと、主人から依頼されてゐるのだと云ふ。事の意外にわたしは何とも言へず山崎の顔を見詰めてゐると、
「師匠、お察し申します、恥を言はねば理が聞えない。実はあの子にか㌦つちや、手前も一杯くつてゐるんで御在ますよ。」
「何だ。お前さんも御親類なのか。」
「手前は、あの子がまだ房州にゐる時分の事で、その後《ご》は何のわけも御在ませんが、何しろ十六の時から知つてゐますから、あの子の気質はまんざら分らない事も御在ません。どうせ、長続きのしつこは無いから、御亭《ごてい》の言ひなり次第、取るものは取つて、一時話をつけておやんなすつたらどうでせう。まつ来年も、桜のさく時分まで続けば見ものだと、わたしは高をくゝつてゐますのさ。」
「お前さん、御存じだらう。〆蔵の方は一体どうなつてゐるんだ。」
「こゝの大将は師匠の事ばかり心配して、〆蔵さんの事は何も言はないから、手前も別にまだ捜つても見ません。あれはまつ、あれッきりで御在ませう。」
「小園はお座敷かしら。」
「二一二日前から遠出をしてゐるさうで。外の抱は二人ともあの子が姉さんになるのなら、わきへ住替へるといふんで、一人は昨日《きのふ》この土地ですぐに話がつきました。もう一人は手前の手で、年内には大森あたりへまとまるだらうと思つてゐます。」
「あゝさうかね。実は一度逢つた上でと思つたが、さうまで事が進んでゐちやア愚図々々云ふ程此方の器量が下るばかりだから、何も云はずに引下りませう。後の事はよかれ悪しかれ、お前さんへおまかせしやう。その中一度石原の方へも来て御くんなさい。」
 わたしは穏に話をして、まだ降り歇まぬ雪の中を外へ出た。周旋屋と話をしてゐる中、いつともなく覚悟がついてしまつたので御在ます。もとく承知の上で二度芸者をさせた女の事。好いお客がついて身受になるといふのなら、いかほど口惜しくつても指を啣へてだまつて見てゐやうが、抱主の云ふがまゝになつて、前借も踏まず、長火鉢の前に坐つて姉さんぶらうと云ふからには、もう此のまゝにはして置けない。人形町の通へ出ると直ぐに目についた金物屋の店先で、メス一本を買ひ、雪を幸今夜の中にどうかして居処をつきつけたいと、手も足も凍つてしまふまで、其辺をうろついてゐましたが、敵《かたき》の行衛がわからないので、一先石原の二階へ立戻り、翌日からは毎日毎夜、つけつ覗《ねら》ひつしてゐましたが姿は一向見当りません。感付かれたと思つたから、油断をさせやうと、二一二日家に引込んでゐますと、其年もいつか暮の二十八日。今夜こそはと、夜店をひやかす振りで様子をさぐりに、灯《ひ》のつくのを待つて葭町の路地といふ路地、横町といふ横町は残りなく徘徊したが、やッぱり隙がない。よく/\生命《いのち》冥加な尼《あまつ》ちよだと、自暴酒《やけざけ》をあふつて、ひよろくしながら帰つて来たのは、いつぞや新橋から手切を貰つて突出された晩、お君に出会つた石原の河岸通。震災後唯今では蔵前の新しい橋がか㌧つてゐるあたりで御在ます。人立ちがしてゐますから、何気なく立寄つて見ると、身投の女だといふもあり、斬られて突落されたのだと云ふもあり、さうちやない、心中で、男ばかり飛込み女は巡査につかまつたのだと云ふもあり、噂はとり/゛\。訳はさつばり分りませんが、何やら急に胸さわぎがして来芒たので、急いで家へ帰って見ますと、稽古につかふ五行本《こぎやうぼん》の上に鉛筆でかいた置手紙。
「急におはなしをしたい事があつて来ましたけれど、あいにくお留守で今夜はいそぎますから、お待ち申さずに帰ります。三十日の晩に髪結さんの帰りにまたお寄り申します。おからだ御大事に。君より。」
 其のまゝ息をきつて警察署へ馳けつけ様子をきくと、殺されたのは、やつぱり虫の知らせにたがはず、お君でした。うしろから背中を一突刺されて川の中へのめり落ち、救上げられたものゝ息はもう切れてゐました。わたしの懐中にメスが在つたので、申訳ができず、御用にならうといふ時、派出所の巡査が自首した男だと云つて連れて来たのは新内流しの〆蔵だ。其の申立によると、〆蔵はお君がわたしと一緒に暮らしてゐた時分にも、一ゴニ度逢引をした事もあつたとやら。殺意を起したわけはわたしの胸と変りは御在ません。抱主の持物になつて姉さん気取りで納《をさま》らうとしたのが、無念で我慢がしきれなかつたと云ふのです。
 お君は実際のところ、さういふ量見で房花家の亭主と好い仲になつたのか、どうだか、死人に口なしで、しかとはわかりません。わたしへの手紙から見れば、さういふ考でした事だとも思はれない。口説かれると、見境ひなく、誰の言ふ事でもすぐきくのが、あの女の病ひでもあり又徳でもあり、其のためにとう/\生命《いのち》をなくした。それにつけても、お君はあの晩わたしの家へ寄りさへしなければ、〆蔵に突かれはしなかつたらう。わたしが家にゐて、一緒に帰りを送つて行つたら無事であつたにちがひはない。それとも〆蔵のかはりに、わたしがとんだお祭佐七になつたかも知れませぬ。人の身の運不運はわからないもので御在ます」
 その後あの辺《へん》もすつかり様子が変つて、埋堀《うめぼり》も御蔵橋《みくらばし》もあつたものちや御在ません。今の女房を持つて大木戸へ引込んだはなしも一通り聞いていたゴきたいと思ひますが、あんまり長くなつて御退屈でせうから、いつれその中、お目にかゝつた時にいたしませう。」
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