|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|

火野葦平「石と釘」

火野葦平「石と釘」



|鍛冶犀《かじや》はいそがしかった。汗を垂らしてまっ赤に|灼《や》けた鉄を打った。火花が散った。|鞴《ふいご》が喘息のような声で鳴り、小さい空気窓を、ばくりぱくりと動かしていた。
「ごめんよ。たのみごとがあるんじゃが」
一人の乞食のような山伏が表に立った。
「たのまれんよ。いま仕事がいっぱいだ」
鍛冶屋はふりむきもせず答えた。
「釘を一本つくって貰いたいのじゃが」
「釘なら釘屋に行きなさい」
「そんな釘じゃない。一尺くらいの大釘じゃが」
鍛冶屋はふりむいた。
「なんするんじゃ」
「河童を封じるんじゃが」
「ほうろく言うとけ」
鍛冶屋は唾を吐いた。まっ赤な鉄を打った。火花か散った。



「ごめんよ、たのみごとがあるんじゃが」
その翌日も山伏は一本歯をひきずって来て、鍛冶屋の表に立った。赤鼻に水ばなを垂らして山伏は|嗄《しやが》れ声で言った。鍛冶屋は相手にしなかった。その翌日も山伏はやって来た。その翌日も山伏はやって来た。鍛冶屋は灼けた鉄を冷やすよごれた水をぶっかけた。その翌日も山伏はやって来た。鍛冶屋は灼けた鉄を埋める砂を浴びせた。その翌日も山伏はやって来た。鍛冶屋は立ち上り、向こう槌をふり上げて山伏を打った。打とうとした。すると彼の手は痺れて向こう槌はかえって彼の頭を打った。鍛冶屋は水ばなを垂らした蒼白の山伏のために、丹念に鍛えた一本の釘を作った。



喊声をあげて、河童の群は香木川の土堤のかげから、手に手に葦の葉を太刀のごとくひらめかして飛び立った。天に高く上るにつれてそれは無数の|蜻蛉《とんほ》の群のごとく見えた。やがて星のない夜空の申に吸いこまれ見えなくなった。まもなく空間にあって異様な物音が起った。ひょうひょうと風の音のごとく、藤の実の|啄《ついば》まれて裂ける音のごとく、硝子のかち合って破れる音のごとく、鳥の羽ばたきのごとく、さまざまの音が起った。地上にあってこの物音を聞いた人々は、そらガアッパさんの合戦だといって、仕事をしているものは仕事をやめ、話をしているものは話をやめて、その音の止むのを待った。
|島郷《しまこう》の河童群と|修多羅《すたら》の河童群とが時折縄張争いのため空申で戦闘をまじえた。征覇の心に燃える伝説の動物達は、その果敢なる攻撃の精神をみなぎらせて、空間を飛び、ひるがえり、たたかった。
「またやられているそや」
朝になって、百姓達はきまってそう呟きながら、彼等の耕地にやって来る。
田や畠の中に、例のごとく点々と青苔のようなかたまりが出来ていた。折角丹精こめて作った野菜畑の中の各所に、どろどろの占い液体が一間四方位に流れ淀み、鼻をさす臭気を放っていた。それは昨夜の空中戦闘で戦死した河童が地上に落ち、青い水になって溶けてしまったあとである。かくして河童の合戦のたびに農作物の被害はおびただしいものであった。



「申しあげます。申しあげます」
一匹の河童が|嘴《くちばし》を鳴らし息を切って注進して来た。当時、島郷軍の部隊長は筑後川に棲んでいた頭目九千坊の二十七騎の旗頭であった。彼は九州永遠の平和のためには、どうしても修多羅軍を圧倒|殲滅《せんめつ》しなければならないと確信しているのである。
「なにごとじゃ」
「実はたいへんなことを聞き及びました。|堂丸総学《とうまるそうがく》という破れ山伏が、小癪にも、我々河童を法力をもって地中に封じてしまう|祈祷《きとう》をはじめたそうでございます」
「それは大変だ。あいつは先年|日向《ひゆうが》の名貫川で、我々一族の|目痛坊《めいたぼう》をちまの葉でまきこんだ男だ.同文同種の河童同士で戦争をしている場合でない」
そこで、修多羅、禹郷、両河童軍の和平連合が成立した。彼等は大根と|胡瓜《きゆうり》と|茄子《なす》とをさかなにその和睦の式典をすませ、彼等の新しい共同の敵への闘志をはらんで、おのおのの頭の鋸にまんまんと水を満たした。



|高塔山《たかとうやま》の頂上に風が荒れた。雨に朽ちた御堂の中に石の地蔵尊があった。山伏堂丸総学はその前に端座し、|護摩《ごま》をたき、狂人のごとく身体をうちふるわせながら、高らかに経文を|誦《ず》した。この赤鼻の|修験者《しゆげんじや》は石の地蔵の冷たい体躯を豆腐のごとく柔軟にするために祈祷をしているのである。彼は汗にぬれ、眼は血走った。彼は立ち上り、地蔵尊に手をふれた。地蔵尊は冷たく堅かった。彼は吐息をついてまた坐った。またはげしい祈りが始まった.しばらくしてまた立ち上り、地蔵にふれた。地蔵は柔くなっていなかった。このようにして山伏の祈祷はくりかえされ尽きることがなかった。日は上り、沈み、また上り、また沈み、彼はなにも食べなかった。



河童の中から優秀なる連中が選抜され、祈祷の妨害が始まった。経文の威力にとりまかれている総学に対して、河童達は手をふれることが出来なかった。術を好くするものが|窈窕《ようちょう》たる美女となり、ふくらはぎをあらわにして山伏の面前を徘徊した。金銀を積み立ててその黄金の光を山伏の目の前に浴びせた。怪異なるものの形になり、山伏の|周《まわ》りを飛び交うて|恫偈《とうかつ》した。はては、数百の河童が山伏の周囲にくまなく糞尿を垂れながし、そのたえがたき臭気の中に山伏をつつんだ。しかしながら、堂丸総学はみじんも動揺せず、祈祷をつづけたのである。



何日かが過ぎ、山伏は線香のごとく痩せ細ったが、そのはげしい祈祷の精神は|毫《ごう》もひるまなかった。また河童たちの必死の妨害も止むことがなかった。
何千べん目かに堂丸総学が立ち上って石の地蔵の肌にふれた時、石は山伏の指の下にへこんだ。山伏の顔が朝日のごとくかがやいた。彼は膝の前においてあった一本の釘と金槌とを取り上げた。そうして、地蔵の背後に回り、その釘を背にあてた。この時、今まで彼の手から離れることのなかった経文が下に置かれた。経文を持っていたために近づくことの出来なかった河童たちが、その隙をうかがって山伏のからだに群がり
ついた。山伏は金槌をふるって釘を打ちこんだ。その手に河童たちはすがり、他の河童は山伏の身体にするどい爪を立てた。或る者は嘴をもってその肉を|啄《ついば》んだ。山伏は血にまみれ、傷だらけになりながらも、必死に経文を唱え、釘をちょうちょうと打った。一尺の釘がようやく半分入った時、山伏は力つきてそこにたおれた。しかしながら、もはや彼の一念は|成就《じようじゆ》していたのである。山伏がたおれるとともに、多くの河童たちも地蔵尊のまわりにはらはらと木の葉のごとく落ちてたおれ、青いどろどろの液体となって溶けながれた。



私は高塔山に登り、その頂上の石の地蔵尊の背にある一本のさびた釘に手をふれる時には、奇妙なうそざむさを常におぼえるのである。そうして、その下に無数の河竜が永遠に封じこめられているという土の上
に、ようやく|萌《も》えはじめた美しい青草をつくづくながめるのである。
(昭和十五年)
 


メニュー

更新履歴
取得中です。