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徳永直「欲しくない指輪」


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     一


「あがりーいッ」
 お桂《けい》ちゃんは、ハズンだ声でどなりました。
「ホイ、きた、お次ぎ……」
 運搬屋《うんぱんや》の爺《じい》さんが、つぎの口絵のたぱを、ドンと仕事台の上に乗せてから赤い紙を一枚おいて云《い》いました──合わせて三丁──
「あいよ」
 お桂ちゃんは、束にくくったヒモをハサミで切ると、パラパラと、口絵を順々に、仕事台に並べました。キレイな油絵や、美しい洋装の令嬢の写真や、めずらしい動物の画《え》や、赤、緑、セピヤ、紫、とりどりの色が、八通り束にして、ズンと仕事台へひろがりました。
 チャッ、チャッ、チャッ……。
 お桂ちゃんは、肩と頭とで、調子をとりながら、器用に一枚ずつ、八通り拾いあげて、ポンとつきそろえると、片っ方に積みかさねて、また一枚ずつ、チャッ、チャッ、チャッ──
 お桂《けい》ちゃんのしている仕事は、「帳合《ちようあ》い」といって雑誌の口絵を揃えるのです。お桂ちゃんは製本女工さんです。


    二


 お桂ちゃんのうちは、貧乏で、おまけにお父さんが亡くなって、いまは、病身のお母さんと、三人の妹や弟がありました。十六になったばかりのお桂ちゃんは、働いて四人の家族を養わねばならないのです。
 雑誌をつくる製本の仕事はたいてい、うけとりといって、仕上げたタカによって、お金を払うのです。たとえばいまお桂ちゃんのやっている八枚ずつそろえて百通り、八百ぺん身体をうこかして、四銭五|厘《りん》です。お桂ちゃんは熱心で、きようですから、調子のいいときは、十時間のうちに二千冊分を仕上げます。それで丁度九拾銭……。
 チャッ、チャッ、チャッ……。
 お桂ちゃんは、一生けんめいです。
「あらッ、追越されちゃった」
 となりの仕事台のおせいちゃんが、くやしそうに横目でにらみました。
「なに負けるもんか、あの指輪はあたいのものよ」
 向う側の、花ちゃんが、桃割れのあたまをゆすぶって云いました。お桂ちゃんも、おせいちゃんも、仕上げたしるしの赤札が三枚ずつ、花ちゃんが四枚、二十人もいるうちで、四枚仕上げたのは花ちゃんだけ、それに追っつこうとしているのは、お桂ちゃんです。
「あがりーい」
 四枚目の赤札を受取って、息をハズませながらお桂ちゃんが、またどなりました。
「くやしいッ」
 皆は口のうちで、そう叫びました。


     三


 なぜ、この女工さんたちは、こんなに一生けんめいでしょう、いつも熱心だが、今日は格べつです。こんな、敵《かたき》同志のようににらみ合って、競争しているのは──なぜでしよう?
 それは、この工場の一番向うの工長《こうちよう》さんの机のところを見ればわかります。
 「このたび、技術|奨励《しようれい》法として、二千冊分をいちばん先きに仕上げた人へ、金の指輪をあげます。」
 と書いた紙がはってあって、工長さんの机の上に、赤と紫のリボンでかざった指輪の箱が乗せてあるのです。
 誰だって金の指輪は欲しい──まして貧乏な女工さんたちに、金の指輪なんかめったに買えるものでありませんから……。


    四


 チャッ、チャッ、チャッ……。
 皆は一生けんめいでした。わきめもふらず、唄もうたわないで……自分こそ一等になって、あの指輪を──と思いました。
 しかし、そのうちでも、花ちゃん、お桂ちゃん、おせいちゃんは、目立って早かったのでした。
 おひるすぎて二時頃になると、花ちゃんはもう、十六枚目の赤札を受取りました。アト四枚です──おせいちゃんが十四枚、そしてお桂ちゃんが、十五枚目──
 競争は、花ちゃんとお桂ちゃんになりました。ひろい工場ン中は寒くて、紙でガサガサになった指先は、石のように冷めたく、指先のヒビから血が出そうでした。
「アッ」と、そのときお花ちゃんが叫びました。固い紙の切れ口に指がさわって、指先が切れたのです。血がブクンと吹き出しました。お花ちゃんはあわてて、ばんそうこうをバリました。そしてまた、こんどは、お桂ちゃんが指をきりました。
 しかし、二人とも、手を休めませんでした。お桂ちゃんは、歯を喰いしばって、チャッ、チャッ、チャッ……。
「あがりーい」
 お桂《けい》ちゃんは十八枚目で、お花ちゃんと同じになりました。お花ちゃんはあわてました。ちょうど、午後の四時に、眼を赤くしたお桂ちゃんが、息もきれぎれに叫びました。「あがりーいッ」
 おお、それは、いままでにない早いレコードでした。お桂ちゃんが一等になったのです──





 皆は工長さんの机の前にならびました。
 社長さんが来て、紫と赤のリボンで飾った指輪をお桂ちゃんに渡しました。それから社長は、口鬚《くちひげ》を撫《な》でながら云いました。
「皆さんは、非常に仕事が早くなりました。世間は不景気で、会社も困っているので、明日から、うけとり値段の四銭五厘を、四銭に下げます」
 皆はビックリしました。これは大変だ──どんなに仕事が早くなったからって、身体はそれだけ疲れるんじゃないか──
 お桂ちゃんは、指輪を持ってうつむきながら考えました。──会社はあたい達に指輪というエサで、あたい達の賃銀を下げるんだ、これは大変だ──
 お桂ちゃんは、決心すると、ツカツカと社長のまえへすすんで云いました。
「あたいは賃銀値下ははんたいです。こんな指輪なんか欲しかないよッ」
 いきなり指輪を社長の顔へたたきつけました。
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