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菊池寛「馬上の美人」


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馬上の美人
 飛鳥山は、今花の盛りであった。徳川実紀に依ると享保五年九月に、八代将軍が植えさせたと云う桜は、その後四十年近い歳月を経てみな相当の大木になって、らんまんと花を咲かせていた。
 近年江戸の花見と云えば、上野よりも飛鳥山の方が、盛んであった。上野と云えば、寛永寺の境内であるだけに、あんまり出鱈目《でたらめ》な花見の趣向などを持ち込むわけには行かないからであった。
 その日は、とかく曇るが春のくせと云われる通り、うすぐもりの空模様であったが、しかし雲を通しての太陽の光がポカ/\と暖く、そよとの風もないため に、ちりもほこりも揚らず、恰好《かつこう》の花見日和であったから、午前中から集る人の数は刻々に殖えて午後になると満山これ人、樹下|悉《ことこと》 く緋《ひ》もうせんと云うありさまで、三絃や鼓の音と人のさゞめきとで、山は一大騒音につゝまれていた。
 当時、江戸の人口は、町方が六十万、武家屋敷が十五万と云われていたが、こう云う花見の人出を見ても、町人が多いが、しかし太平の余徳で武家の妻女なども、近来盛んに花見に出かけるようになっていた。
ところぐ幔幕《まんまく》をはりめぐらしているのは、そうした武家方のお花見であろう.が、(花見る人の長刀)と云われた鎗《やり》を持たせた武士など は、一人も見えない。たゞ肩をいからかして三、四人連で、高声でわめき散らしながら通る連中は、西国辺の勤番武士のお花見であろう。
 五代将軍の頃から、花見小袖と云うのが流行し出したので、花見の町人の女達の風俗は年々美しくなって来た。殊に、近年町芸者が沢山になってからは、こう した人々は、お花見を自分自身の宣伝にも利用し出したので、わざ/丶新調した豪華な振袖を着るようになっていた。従って、樹上の花と地上の花とが、妍《け ん》を競う有様であった。
 桜樹のまばらな丘の上は、一杯の人であった。
 赤い毛氈《もうせん》を敷いて重箱を開いている者、幔幕を張って笛太鼓で、はやしている一団、花莚《はなむしろ》を敷いてその上で踊っている十二、三の少女、茶番をやっている若衆達。それをめぐって見物している人達。
 桜樹の下のやゝ広い道には、菅笠を着て三絃を弾きながら通る仮装の女太夫の人々、目かずらをつけ、揃いの衣裳で練って行く町娘の一団、向う鉢巻のお祭り姿で押し出して来ている阿兄連《あにいれん》。
 お花見は、昔の江戸の人々にとっては、二、三カ月前から趣向をこらす一大行事であった。
 八つを廻った頃であった。江戸の方から、なおも続いている群衆達の問を、かきわけながら、勇ましい馬蹄《ばてい》の音を立てながら、馳けつけた数人の馬上の武士があった。いずれも狩装束に身をかためている。お花見のための旗本達の遠乗である。
 さすがに群衆を避けながら山へ上ったが、やっと駒をつなぐ場所を見つけると各自馬から降りた。付き添っている馬丁達が、咲いた桜に、なぜ駒つなぐ禁を犯して、桜の樹に馬をつないだ。持って来たもうせんを敷いて運んで来た重箱と酒樽をあけて酒宴になった。
 馬上で桜狩をするのは、当時だんノ丶惰弱になった旗本の連中の中では、頼もしい側の人々であった。その首領株と云うのは、三千五百石を取っている近藤| 好母《このも》と云う男で、当代の旗本の士の中では、武芸のほまれを取っている。一刀流の使い手で、しかも大坪流の馬術は師範格である。今日の遠乗も、常 から馬術で彼の指導を受けている旗本の青年達を誘って来たのである。と云うのも、彼はつい先日求めたばかりの乗馬の鞍味をためしたかったし、自慢の愛馬を 衆人環視の間で乗り廻したかったのである。
 彼の愛馬は下総の牧場で育った逸物《いつぶつ》で、八代将軍の時にオランダ人が献納したハルシャ馬の血がまじっている。ハルシャは現代のペルシャだが、ハルシャ馬と云えば現代のアラブ血統であろう。つまり世界的な名馬種の血統である。
 漆黒に光る青毛で、背も十寸《とき》に近い。軍記などで、八寸にあまれる逸物など云うのは、四尺を略してあるので、十寸と云えば五尺である。日本の昔の 馬は、たいてい四尺五寸位であったから、八寸十寸《やきとき》と云えば、人目をそばだてるに足る立派さである。好母はそれを青嵐と名づけていたが、名馬に 特有な悍《かん》のつよい馬で、好母の手にわたるまで三、四人主人を替えたが、その主人達はいずれも二、三度は振り落されたと云われている。
「うん。奴、汗もかいていない。」
 好母は、馬上茶碗になみくとついだ酒をかたむけながら、つい三問ばかり向うの樹につながれた愛馬をしみじみと眺めている。
「いや、御自慢だけある。我々の馬では、ついて歩けませんよ。」
 と、同輩の一人が云った。
「いや、拙者もそれを察したから、ひかえひかえ乗ったのだが、後から馬蹄の音を聞くと奴めいよいよいきり立って充分に抑えきれなかった……ハアハアハア」
 と自慢半分の高笑いであった。
 実際、そこにつながれている他馬に比べると、その高貴な顔と云い、俊敏な目付と云い、すんなりした四肢と云い、殆《ほとん》ど比べものにならなかった。
「いざ鎌倉なぞと云うことは思いも及ばれませぬが、せめて、競馬の催しでもありましたら、この馬に及ぶものはありますまい。」
 と、他の一人が云った。
「それだて……有徳院様(八代吉宗)の御世なら格別、今ではそんな武張った事は一切お取り止めだとさ……」
 と、好母は、やゝ冷笑的に云った。
 盃が廻るにつれて、話題は、いつの間にか彼の愛馬から遠ざかっていた。
 その時である。手古舞《てこまい》姿に扮した二十二、三の美しい女が、十六、七の少女群にかこまれて、通りかゝったが、好母の乗馬に目が止まると、群を離れて惹き寄せられるように近づいて来ると、
「まあ、いゝおん馬……」
 我を忘れて口走ると、背筋から腰、腰からともへと喰い入るように視線を移している。
 それを耳にした好母にとって、これほどの快い挨拶はなかった。先刻から通りすぎる人々は馬を怖れて、近づいて来ようともしない。花見の群衆にとって、名馬は猫に小判であった。好母は町人達にとって自分の名馬の値打が、理解されないのが先刻から不満でたまらなかったのだ。
 それだけに、この女の歎称は相手が美しい女だけに、好母を有頂天にした。
「お女中!」
 彼は、思わず声をかけた。
「はい!」
 と、世馴れた返事で、ふりむいた色白のうりざね顔に、素人ではない愛嬌がたゞよっている。
「そちは、馬が判るのか。」
「あら……」
 女は顔を赤らめながら、
「判るなんて云うほどじゃありませんわ。でも、こんないゝお馬なら、私にも判ります。」
「そうか。うい奴だ。まあ、こちらへおいで  一杯行こう。」
「恐れ入ります。お歴々のお座へは……」
「いゝよ、いゝよ。おいで、一杯行こう。花見の群衆は何万といるだろうが、わしの馬の判るのは、そち一人じゃ。祝儀は、何んでもとらせるぞ。おいで、おいで……」
 少し酒の廻っている好母は、無類の上機嫌である。その上、相手を近頃、全盛の芸妓《はおり》と見たので、つい遠慮はなくなった。
「じゃ、お酌を一ついたしましょう。」
 女はわるびれず、毛せんの上へ上って行った。仲間の武士達は、わっと歓声をあげて彼女を迎えた。
 女はもうせんの上に坐りながらも、まだ、馬から眼を放さず、
「何と云ういゝ毛つやでしょう。岩にぬれがみを被せたようと申しますが、ほんとうにこのお馬の事ですわね。」と云った。
「うゝむ。」と、好母は再び感歎した。
「そちは、大坪流の相馬《そうば》の文句を存じているな。めずらしい女中じゃ、名は何と云うのじゃ、所はどこじゃ、たつみか、それとも近頃は吉原《なか》にも芸妓《はおり》が出来たと申すがそちらかな……とにかく一つ飲んでくれ。」
 好母は上乗の機嫌であった。女は、微笑しながら、好母のさし出した杯を見事に飲みほした。
「御返杯。」と、杯を好母に返しながら馴れた手つきでお酌をした。そして列座の武士達にも、酒をついで廻った。
 一点の紅《くれない》を交えて、一座も忽ち思いがけない興に入った。
「一つ身共の杯を受けてくれ。」
皆、次ぎくに杯をさした。女は、そうした杯を見事に飲みほしたが、やがていずまいを正すと、
「では、お暇《いとま》いたします。連《つれ》もございますから……」
 と、云った。が、好母も連の武士達も、今この女に去られるのは、掌中の珠を奪われるように興ざめることだった。好母は云った。
「今暫く相手をしてくれ。そちに行かれては、折角の酒がまずくなってしまう。祝儀には望みのものをとらす。今しばらく、さあ、もう一つ飲んでくれ。」
 と㍉好母は再び杯をさし出した。
「でも連の者たちが……」
「いや、もう一杯のんでくれ。そして、近づきにもなってくれ。わしは、麹町半蔵御門外に屋敷を持つ好母じゃ、そちの名は……」
 好母は、この女に、軽い恋慕の心さえ持ち始めていた。
「でも連の者が心配致して居りますゆえ。」
 と、女は小娘達が向うの桜の蔭で、自分を待っているのを、ちらりと見た。
「連の者、こゝへ呼べ……。さあ、これは当座の祝儀だ……」
 好母は、懐中の財布から取り出したらしい小判を、二片さし出した。
 二両と云えば、当時では大金である。足軽仲間などにとっては、一年の年俸である。が金で抑えようとする相手の態度が女にはカチッとかんに触ったらしい。
「まあ御冗談を。私は芸妓ではございません。」
 と、ハッキリ云った。
「金は、気に入らぬと云うのか、じゃ品物で望みのものを申せ。」
「望みの物など、ございませんわ。」
「いやそんな事は、あるまい。たとえば、そちはさいぜん《、、、、》身共の馬を賞めただろう。あの馬でもつかわすそ……」
「おん馬を……」
 女は、馬の方を見たが、その眼には愛着の色がハッキリ浮んだ。
「馬をやればいいだろうゆ江戸一の名馬だぞ。」
「ほんとうでございますか。」
「わしも三千五百石の好母じゃ。二言はない。」
「じゃ、お相手いたしますわ。」
 女は立ち上って、連の小娘達に、何か云いふくめて去らせると、好母の前へ帰って、そして云った。
「ではタ刻まで……」
「うゝ。よろし……」
 と、好母は大きくうなずいた。好母はもちろん秘蔵の愛馬を与える気はなかった。とにかく女を引きとめて、酒宴の興を添えさせればよいのであった。その後で、馬の話は、冗談にしてしまって、金の五両もやれば、話はつくと思っていた。
 女は、芸妓ではないと云ったが、酒宴の取持は芸妓以上であった。一座は、すっかり興に入って乱酔した。女も、武士達の杯で相当に酔っていた。
 長い春の日も、ようやく西に傾いた。すると、女は、改めて好母の前に手をつくと、
「お約束通り、お相手をいたしました。では、馬を頂いてもよろしうございますか。」
 好母は、酔眼を見開いて、
「うゝん。その代り、馬丁などはつけてやらぬぞ。そちが、自分で乗って帰れ。」
 と云った。これは、先刻から彼が考えていた難題であった。彼の愛馬青嵐は、かんが強く、この一行の武士達さえ乗りこなせるかどうか分らぬほどのくせ馬で ある。まして、かよわい女性がいくら馬好きでも、たゞ引いて帰ることさえ至難である。まして、馬上で帰れと云うことは、前言をとり消すのと同じだと思って いた。
 が、相手は、たじろがなかった。
「はい。では頂いて帰ります。」そう云うと、彼女は、又もや御意のかわらぬ中にといったように、馬をつないだ桜樹の下にかけよると、手ばやく、手つなをと くと、忽ちに馬上の人となった。好母が、あれよと驚いて見ている中に、今は人もまばらになった桜樹の下の道を、ダクに乗って、山下へ向った。その手つなさ ばきの巧みさに、好母は(アッ)と声を上げた。
 好母も一座の武士もよろめきながら、立ち上った。そして、その主人達とは、又別に花見の
席を設けている馬丁達に叫んだ。
「あの馬を止めろ! あの女をやるな。」
 馬丁達は、事情は分らぬものの、テッキリ馬盗坊とばかり、女の後を追っかけた。
 それと知ってか知らずか、女はダクからカケに変って、下の往来に出ると、いつの間にか折りとった桜の枝を鞭《むち》にして、一むちくれるとさすがは好母が自慢する江戸随一の脚色を見せて、花見がえりの人達の間をぬいながら、風のように馳け去ってしまった。
 好母の失望は、二重であった。愛馬を失ったと共に、青嵐をのりこなせるものは江戸に二人とはあるまいと云う誇りを同時に奪われてしまった。馬の行方を探したが容易に分らなかった。
 半月ばかりたって、好母は将軍家の馬術師範で、大坪流の宗家たる山名備前守に逢ったとき、恥を忍んで、事情を話した。そんな馬術に堪能な女性が、江戸にいるとすれば、それは誰であるか、御存じないかと訊ねた。
 備前守はしばらく考えていたが、ハタと膝を打った。
「貴殿も御存じであろう。先年改易になった高木三九郎と云う旗本がいるだろう。」
「いました。」
「馬術は、わしの師範代まで致した男だ。深川の芸妓《はおり》の小金と云うのとなじんで、町人から金を借り倒して、身代限りとなり到頭改易になった。あの 男が、その女を連れて下総習志野の牧場へ行って、責馬《せめうま》の手伝いなどを致し、居候同様の暮しを数年致して居った。そのうちに、女房の小金も、亭 主の見様見真似でいつとなし馬術に錬達したのじゃ。」
「なるほど……」
「それが、昨年頃から、江戸へまい戻り、両国広小路で曲馬小屋を開いているが大変な人気じゃと云う噂なのじゃ。」
「なるほど、さればその小金と申す女が……」
「それより外に、あの青嵐を乗りこなせる女はあるまいではないか。」
「なるほど、これはしてやられました。」
 好母は苦笑する外はなかった。
 備前守はつゞけて云った。
「高木が改易になった当時、わしは多少の合力もしている。江戸へ帰っても、わしの所へ顔を出さないのは、曲馬などをやり面目がないと思っているからで、昔 の情誼《じようぎ》を忘れたわけではあるまい。わしが、手を廻してその馬をとり返して進ぜよう。でも貴殿がやると仰せられた以上、買い戻すことになります なア。」
「けっこうです、元値の三十両で買い戻しましょう。」
「とんだ御散財じゃ。」
 備前守は、好母をからかうように云った。

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