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菊池寛「三人法師」

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三人法師

 南北朝の戦乱も、漸く終りに近づいた元中《げんちゆう》年間のことであった。
 その頃、高野山には、半出家と云われる人々が、段々多くなっていた。半出家と云うのは、石童丸のお父さんのように、世の無常やあじきなさを感じて、中年で出家した人々のことを云うのである。
 こう云う人々は、もとどりを払って三衣一鉢《さんえいつばち》の身になって、廻回修業をした後で、高野の山へ上って来る人が多かったが、お経が十分に読 めるわけではない。一寺一坊の住守にはむろんなれない。大抵は、僧坊の役僧をしたり、雑役をしたりして、自分自身修業の道にいそしむわけである。中には採 薪や水利に便利である山ふところや谷間に、ささやかな庵《いおり》を結んで暮している人々もあった。
 武家出身の人々が過半を占めている。不遇な、宮方の武士が多かったが、しかし武家方の武士で、はてしない戦乱の世の中が、馬鹿々々しくなって、出家した人達もまれには交じっていた。
 そう云う中に、自然と知り合いになった三人の半出家がいた。一人は幻松と云う僧名であった。もう一人は、幻竹と名乗っていた。もう一人は幻梅と名乗っていた。
 下の字が、松竹梅で、上の字が同じであることが、お互いに興味を惹き合って、自然に交友関係をむすんだのかも知れない。
 三人が、知り合いになって、二、三年も経った頃だった。幻竹が、高野にいることを聞きつけて、在家の立派な武士が、はるぐ関東から訪ねて来て、幻竹の住 んでいるあばら屋に近い庵を見て、いくら出家の身でも、これでは雨露もふせぎがたいと云って、幻竹が再三拒んだにも拘わらず、小さい堂坊を建ててくれた。 本堂の外に、三間ばかりの庫裡《くり》も付いていた。
 幻竹は、自分一人で住むのは勿体《もつたい》ないと云って悟道の伴《つれ》である幻松、幻梅を勧誘して移りすまわせることになった。
 三人が、一しょに住むことになって、半月も経った。
 折柄夏の初で、お山名物の仏法僧の鳴き声が、おちこちからしきりに聞えて来る満月の夜であった。
 夜の勤行《ごんぎよう》が、済んだ後、三人は小さい灯をかこんで坐っていたが、三人の中で一番年かさである幻松が、しずかに口を開いて、
「今までは、お互いに在俗の時の名前も、なりわいも、素姓も、出家の動機も訊かないでいた。が、これから膂顔をつき合わせて暮すとなると、言葉のはしぐに も、昔の生活の名残りが出ないとも限らない。それを出すまいと、心を使うのも馬鹿々々しいし、お互いにかくし立てするのもいやである。
 今日も、さる上人から聴いたが釈尊のお弟子は布薩と云って、月に二度新月と満月の夜に、一堂に会して懺悔《ざんげ》の式を行ったそうである。今宵は、折 からの満月であるし、こう云う立派な御堂も出来たのだから、お互いの體かたぐ半生の事を話したらどうか.」と、云った。それには、幻梅も幻竹も賛成した。
 すると、幻松はそれなら、自分が云い出したことだから、先ず自分から身の上を語ろうと云って、次ぎのように話した。
「自分は、河内の国の生れで、楠兵衛には一族である、篠崎|掃部助《かもんのすけ》と申すものの子で、篠崎六郎左衛門と云うものである。親にて候ものは、 楠正成のためには、随分のものであった。湊川の戦には、足利殿の勇将と云われた糟屋左近将監を討ち取って敵味方の目を驚かした上で、正成と一緒に腹を切っ た……」
 ここまで話したとき、幻竹坊の顔が、サッと変ったのを話している幻松も気がつかなかったが、幻梅も気がつかなかった。
「正行《まさつら》が、楠の遺跡を継いだが自分の事は疎略なく扱ってくれたので、自分も正行のことを大事と思っていた。その後正行が四条|畷《なわて》で 討死されたとき、自分も一しょに討たれたのが、折柄タ方で深田に落ちていたために、首を取られないで、息が少し通っていたのを、百姓に助けられ、看病を受 けて、不思議な命を拾って、故郷篠崎へ帰ることが出来た。その後、現在の楠|正儀《まさのり》に仕えて、親の掃部助が正成に於けるように、お互いに信頼し 合って来たが、一家の中に誰と云うとなく、正儀がおん敵なる足利殿に降参をすると云う噂が立った。心外千万な噂だと思ったので、ある日正儀に対面して、実 否を訊した。そのとき、正儀が、.云うのには、実は御主君の態度があまりに面白くないので、左様に思い立っているのだと云う返事である。自分は、それはた いへんな考え違いだ、御主君の態度が面白くないのなら、自分の身を捨てて遁世《とんせい》するだけでいゝのではないか、いかに御主君を恨んだからと云っ て、多年おん敵である足利殿に降参して、主君に対して弓を引くと云うことは、それはもう恨みなどと云うことではなく、叛逆である、その上宮方の運が尽きた から、見限って、立身出世のために、降参したと世人が噂をするかも知れない、そうなっては、父上や兄上の名まで汚すことである、この事は、かまえて思い止 り給えと申した。また、第一これほどの大事を、思い立ちながら、たとい甲斐々々しくはなくとも、自分に一応相談してくれない筈はないではないかと云った。 すると、楠は、それは、お手前が不同意であると思ったからだと申したので、自分が不同意だとお分りになりながら、なぜ世の中の諸人が、不同意でやがてこう くと非難するだろうと云うことが、・察しがおつきにならないのか、一代も二代も宮方にあって討死もされて、名を後代に揚げたまうべきおん身で、なぜこんな ことを思い立たれるのかと、再三申したが、その場は肯いていたようであるが、間もなくひそかに上洛して、東寺で管領細川殿と対面したと云う噂が、間違いも ないことが分った。こうなっては、宮方の御運も、これまでだと思ったし、と云って楠に付いて、降参することはいかにも不本意であったので、これこそ善知識 だと思い、もとどりを切り払って遁世したのである。」と、物語った。
 先刻、顔色を変えた幻竹法師は、もうすっかり冷静に帰っていたが、幻松の語り終るのを待って、しずかに膝を進めてから、
「さて/\因縁と云うものは、不思議なものである。最前お話をきいている内に、つい瞋恚《しんい》のほむらが、むら/丶燃え立ったが、これも悟道の浅い故 と思って涼しい気持になったから、安心して貰いたい。実は、自分はおん身の父上が討ち取って、功名を立てたと云う足利殿の身内で糟屋左近将監の弟で糟屋四 郎左衛門と云うものである。」と、先ず名乗った。
 幻松法師は、おどろいて眼をみはったが、幻竹の表情には、怨恨のかげも動いていないので、じっと念珠をかけた手で合掌したまま、聞きつゞけた。
「主君|尊氏《たかうじ》は、兄を討たれた自分を、非常に不憫がってくれて、所領も増してくれたし、近習として自分を朝夕傍から離さないほどに、目をかけ てくれた。礼仏礼社《らいぶつらいしや》の御供、月見花見のお供にはずれ申すことはなかった。だから、自分も、主君のために大事のお役に立つつもりで奉公 していた。
 丁度自分が、二十三の時であった。
 ある日、二条殿へお成りになったとき、例のようにお供をしたが、暮れない裡に、お帰りになる筈の予定が遅くなってしまった。丁度、その晩は、朋輩中の会 合があったので、催促の使が、二、三度も自分の所へ来る始末である。いらノ丶するのだが、宮仕えの悲しさで、どうにもならない。一体主君は何をして居られ るのだろうと思って、そっと御座敷の次ぎの間まで行って、中の容子をのぞいて見た。.酒が始まって二、三献目と覚えたが、丁度引出物と見えて、広蓋にお小 袖をのせて、一人の女房が持って出たところである。ところが、その女房の美しさと云えば、あたりがまばゆいばかりである。年の頃は、二十にはならないと思 われるが、ねり衣の肌小袖に、紅花緑葉の一重を着、紅《くれない》の袴をふみしだいているが、長《たけ》なる髪は肩にかゝり、|面《おもて》はうすもゝい うに光り、眼は黒々とうるみわたっているのである。異国の楊貴妃、わが朝の衣通姫《そとおりひめ》、染殿《そめどのき》の后《さき》も、いかでか之にはま さるべきと思われる姿である。自分は、我を忘れ、その場にはり付いたようになってしまった。引出物を、そこへ置くと、一礼して奥へ引き込まれたが、その後 姿を見送りながら、あわれ人間と生れた甲斐には、かような人と言葉も交え、枕も並べたい、それが、及ばないまでも、せめてもう一度お姿を見奉らばやと思っ たが、それが胸の煙となり心乱れて、忘れんとしても忘られない思いとなった。やがて主君は還御となり、自分も宿所に帰ったが、朋輩の会合へ出ようと云う気 もなくなって、そのまゝ床に就いたが、それ以来一目見ただけの上脇《じようろう》の面影が、まぶたを離れない。こう申すと、田舎武士が初めて見た京女郎の 面影に、魂を飛ばしたと思われるだろうが、自分は十五の時に初めて京へ上って来たのだから、その間に、京を離れていたことが、二、,三年あったとしても、 五年の月日は京都に住んで居り、殊に将軍のお伴でいろ/丶なやんごとなき席にも列なっているから、美しい京女郎も幾百幾千と見ているのだが、この上蒻の美 しさは、星に比べた月のようにも思われたのである。自分は食事も進まず、床を離れる気もしないで、四、五日出仕も怠ってしまった。御所様から(此程、なぜ 糟屋は参らぬぞ。)とお訊ねになったそうで、わざノ丶使が参ったので、違例の由をお答えすると、それではと云うので、医師《くすし》をおよこしになった。 起き上って、烏帽子直垂《えぼしひたたれ》を打ちかぶって対面すると、脈をしばらく取った後、元の座に直って云うのは、(不思議である、別に本病とは見受 けられない。人を恨んでいるのではないか、でなければ何か大事な御思案でもあるのではないか。)と、云うのだ。それで、(いやこれは、自分の持病だ、幼少 の時、二、三度かゝったことがある。気持が、うっとうしくなるだけなのだ。十四、五日も寝ていると、本復するから、御前の方は、よしなに取り計って置いて くれ。)と、答えた。すると、医師は、御所へ帰って将軍に、(いや、あれは病気ではない。身に重大な心配事があるのである。昔であれば恋煩いとでも申すべ きものである。)と申し上げた。すると、将軍は苦笑されて、(今だって恋煩いがないとは限らない。あの男は、まだ二十を越したばかりだから。糟屋の心底を 訊かした方がよい。)と、仰せられて、自分の無二の朋輩であった佐々木三郎左衛門を召されて、(糟屋のところへ参って、看病もし心の中を訊いて参れ。) と、仰せになった。
 佐々木が参って、申すようは(朋輩多き中に、御辺《ごへん》と某とは兄弟の如くに交際《つきあ》っているのに、なぜそれ程の心労を話してはくれぬか。) と、恨んだので、(いや、それほどの心労ではないのだ。たった一人の母にさえ打ち開けていない位である。もっと重大な事であったら、必ず打ち開けるから、 今度はすぐ帰ってくれ。あまりに、事が仰々しくなるから。)と、云ったが、佐々木は帰ろうとしない。四、五日も枕辺に付き添っていろく口説くので、最初は 包んでいたが、あまりにしつこい《、、、、》態度をするのもと思ったので、到頭ありのまゝを打ち開けてしまった。すると、佐々木は笑って、(何だ、御辺 《ごへん》は恋をしているのか、それはいと易いことではないか。)と、云って御所へ帰って行つた。すると、将軍も(それは易いことよ。)と、仰せあって二 条殿へ、お文を遊ばして、佐々木をお使にやった。お返事には、それは尾上と云う女房である、が、武家の屋敷へ遣わすわけには行かないから、その人を此方 へ、給わりたいとの返事である。その二条殿の返事が、すぐ自分の家へ届けられた。御所様の御恩、報ずべきようもないほどである。
 が、その時、自分は考えた。たとい尾上殿に逢い奉っても、たゞ-一夜の夢の契《ちぎり》である。鬼とも組まんずものと覚悟している武士が、一目見ただけ の女の情に、心をみだして、御所様を煩わせ奉るなどは、いかにも不甲斐ないことである。こゝは、そうした煩悩のきずなを絶つために、思い切って遁世すると ころではないかと。が思い返すのには、糟屋こそ二条殿の女房を恋して、将軍のお計いを願いながら、臆して会いもしないで遁世したなどと云われて、生涯の恥 ではないか、せめて一夜だけでも会ってから、兎も角もすべきではないかと。いろく思い迷った末、到頭決心して、ある夜さして結構をこらしたわけではない が、尋常にいでたって、若党三人を召し具し、まず案内者をやった後で、二条殿の御所へ参った。数寄《すき》な座敷を屏風唐絵《びようぶからえ》で飾り立て たところへ通された。美しき女房が、四、五人いた。一目見ただけなので、初はいずれが尾上殿かと思ったが、暫くすると、尾上殿の美しさが、浮び上るように 分って来た。酒二、三献過ぎて後は、茶、香の遊びをした。やがて、尾上殿は、御自分が飲みほした盃を持って、身の傍へ近々と寄って来て、思いざしをしてく れた。その時のうれしさは、まるで夢を見て居るようであった。
さて、その夜を語りあかしてきぬぐの別れを催す寺々の鐘を聞いて、行末久しく契りをこめてから起き別れたが、寝乱れ髪のすき間から見えた花やかな顔《か ん》ばせ、緑のまゆずみ、丹花《あかばな》の唇などは、今でも目の前にあるようである。縁へ立ち出でながら、一首よまれた。
 ならはずよたまに逢ひぬる人ゆゑに
    今朝は置きつる袖の白露
自分も取りあえず、
 恋ひえてはあふ夜の袖の白露を
   君が形身につゝみてぞ置く
 と返した。
 さて、その後は、自分が二条殿へ通って行ったこともあるが、尾上殿が自分の宿へ忍んで来られたこともある。将軍から、いろノ丶糟屋が無造作になると云う ので、二条殿へ近江の国にて、千貫の所を参らせられた。将軍の御恩は、考えれば空恐しいほどである。馴れそめたのは、十月の終りであったが、自分が二条殿 へ通うのは、やはり仰々しいので、尾上殿が、自分の宿へ通うことが多くなっていた。
 その日は、十二月の廿四日であった。その頃、ほとんど毎夜のように逢っていた。その朝も、起き別れて帰るとき、尾上殿は(今宵は、左大臣が、御殿へお見 えになる筈である。だから、来ないものと思ってくれ、が、もしお沙汰止みになれば来るかも知れない。だが酉《とり》の上刻を過ぎたら、もう来ないものと 思ってくれ。)と、云って帰った。
 自分は、その夜|戌《いぬ》の刻まで家にいたが、尾上殿は到頭見えなかった。
 自分は、武士の中でも学問和歌などの道に志があったから、幼少の頃から、北野の天神を信仰していた。そして、毎月廿四日には、参籠することに定めてい た。ところが、十月も十一月も、この恋のために参籠をしなかった。それが、心をとがめていた。幸い、今日は尾上殿も見えないので、歳末でもあるし、この程 の懈怠《けたい》をざんげするためにも、ぜひ参籠しようと思って、戌の刻すぎに宿を出て、北野の天神へお参りした。そして、神殿へおこもりしていると、自 分より少し遅れて参った老人が、自分の隣へ坐りながら(南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏)と、口の中で説《とな》えているのである。場所柄をわきまえぬけしか らぬ振舞だと思ったので、どうしたのかと云って、とがめると、その老人がふるえ声を出して(いずれの方か知らないが、年十七、八になる美しい女房が殺さ れ、衣裳をはぎとられている。)と、云うのである。場所を訊ねると、二条殿から自分の宿へ通う往来の道である。自分は、ハッと胸をつかれる思いで取るもの も取り敢えず、かけつけて行った。
 老人に教えられた場所には、もう人だかりしている。たいまつを持った放免も来ている。その光りで見ると、くびり殺されたので、相好はやゝ変っているが、 まぎれもない彼のお方である。あまつさえ髪まで切り取られて、玉のおん肌さえ、あらわになっている。自分は、おどろいて、着ていた狩衣《かりぎぬ》をぬい で、その上に着せかけると、思わず上からかき抱いて伏したが、夢とも現《うつつ》とも覚えなかった。一体、いかなる罪の報《むくい》であろうか。かかる憂 き目を見る悲しさよ。われゆえに、君はまだ二十にもならぬに、女性の身として邪慳《じやけん》の手にかゝったかと思うと、身も世もない思いであった。君に 刃向う者あらば、いかなる鬼神悪鬼なりとも容赦せず、まして人ならば三百騎五百騎の敵の中へも割って入り、力かぎりの働きをして、棄つる命何惜しからんと 思っていたが、知らぬ事なれば、力が及ばなかった。自分は、泣く/丶そのなきがらを二条殿へかついで行き、二条殿へお目にかゝって仔細を申上げると、その 場でもとゞりを切って出家した。それから、すぐこのお山へ上って二十年来その女房の菩提を弔っているのである。」
と語り終った。
 話の後段になると、幻松も涙ぐんでいたが、殊に幻梅は大粒の涙をバラくと膝の上に落したあと、面《おもて》を伏せてしまって、幻竹が語り終った後も、面を上げないのであった。
 幻竹が、おん身の番であると促したので、やっと面をあげたが、この僧は頸《くび》の骨抜け出で、あご反り返り頬骨荒れ、唇厚く目鼻大きに色黒く極めたる 悪相であるが、その顔を涙にぬらしながら「いざ、その次を某語《それがし》り申そう。その上疆を殺し参らせたのは、某である。」と云った。
 さすがに、幻竹は色が変った。居直ると、今にもつかみかゝらんばかりの体《てい》であった。それを幻梅は、手で制して、「事の仔細を申し上げた上で、御 存分になり申そう。」と云ったので、幻竹も思い返したと見えて、少しく居ずまいを直した。すると、その荒入道が語り出した。
「幻竹殿は、京都に居られたからは、定めし、聞召《きこしめ》して居るだろう。某は、在俗の折は、三条の荒五郎と申す盗賊である。九つの年から、盗みを始 め、十三の年から人殺しを始めた。その上繭までに、三百八十余人を、手にかけたものである。が、その上臈を殺したことが、出家の因縁となったのだから、お 怒りは尤《もつと》もだが、しばらく聞いて頂きたい。その時、自分は丁度三十三であった。年頃夜盗強盗を、身の能と思い、その道では誰にも劣らないと気 負っていたが、この年の十月頃から鬼をあざむく身に、違例を覚えて、盗みの業《わざ》がはかぐしく行かない、押込みをすると手強《てこわ》い武士どもに手 向われて、ほうノ丶の体で逃げのびることになり、追剥《おいはぎ》をして人を殺して見ると、ポロくの衣類を着た乞食同然の旅人であったりした。それで、 二、三人いた手下とも別れ、旅に出て難波の津や奈良の旧都へ立ち廻って見たが、思わしい事もない。また都へ立ち帰って家へ立ち寄って見ると、妻はたいへん な恨みようである。朝タの烟《けむり》もたちかねたと見えて、わずかに在った調度など影も形もない。折柄の寒空に、火の気もない家で、妻は二人の幼児を抱 えながら云うのには、こんなに永い間打ち捨てて置くのなら、一層暇を貰った方がよい。女一人になった方が、また何かと暮しかたもある。正月も近くなつたの に、一体どう云うつもりでいるのか、子供のことを考えないのか、まさか子供のことを考えないわけはないだろうから、自分が気に入らないのだろう、きっと、 外に通う女が出来て、そのために自分も子供もうとんぜられるのだろう、と。それなら、自分も考えようがあると云うのである。
 それで、自分はそんなわけではない。ただ、仕事が悉《ことこと》く手違いになってしまうのである。家つとがなしに帰って来るのは申し訳ないが、子供がゆ かしいから帰って来たのである。今、二、三日待ってくれ。きっと、お前が驚くほどの得をつけて帰って来ると、なだめすかしたのである。そして家を出ると、 二、三日古き御堂の庇《ひさし》、或は社の拝殿などに夜をふかして、懸命に獲物を狙った。たとい、相手が張良、はんかい《、、、、》のような男でも、ただ 一太刀の勝負ぞと、手を握っていた。丁度廿四日の暮れて間もない頃である。とある大路の築地《ついじ》に身をよせて待っていると、若者が三、四人雑談しな がら、行き過ぎた後、一町ばかり上の方から、ほの/゛\とした異香が薫じて来た。すわや、相当な貴人《あてびと》が来るのだ、まだ自分の運はあったと思 い、嬉しく夕闇にすかして見ると、四辺《あたり》も輝くほどの上繭が、下女を二人連れ、一人を先に立て、一人をば包みを持たせて従えながら、歩いて来るの であった。自分の方を見ないような容子をしながら、通りすぎるのを追懸けた。前に立っていた女房は悲鳴を揚げながら、逃げた。後の女房も、包みを捨てゝ (助け給え。)と、泣きながら走り出した。が、この女腦は少しも騒がなかった。自分は太刀をぬきそばめて、つゝと寄って剥ぎ奉った。肌小袖をも給わらんと 云うと、初めて声を出されて(肌小袖は女の恥であるからゆるせ。)と、仰せられて、懐中から金袋をお出しになり(これを代りに)と、仰せられたが、無道の 者の悲しさにはそんな容赦はない。(いや、肌小袖をも)と、手をかけると、(肌着を脱ぎては、命生きて甲斐なし、たゞ命を奪え。)と、仰せられた。それこ そ元より好むところと申し一刀にて刺し殺そうとしたが、肌小袖に血をつけてはと思って、手でくびり奉った。
 衣裳を用意した袋に入れて家に運ぶ間も、異香が薫じて、すれ違う人も怪しむばかりである。家に帰って、妻の前に投げ出すと、妻は袋の口を開けるのももど かしがって、連鎖《つがり》を引きちぎって取り出す有様であるび目もあやな、十二|単《ひとえ》の御装束であった。女房は、肌小袖に手を通して、生れて初 めてだと云って、欣《よろこ》んだ。二人の子供も、九つ七つの女の子だから、皆紅《みなくれない》のお袴などを見て、小おどりしている。かほどの装束を着 給う女房は、おいくつ位かと訊いた。女同士の、さすがに情を知りて訊くのかと思って、まだ十八、九だと答えた。すると、妻はその場所などを、何くれとな く、訊いていたが、何か急用でも出来たように家を出て行った。
 暫くしてから帰って来ると、いかにもほこらしげな顔をして(おん身はお大名か。とても、罪を作るならば、少しでも得があるようにすべきである。自分は、 今行って髪を切り取って来たのだ。こんな美しい髪は二つとあるまい。よいかずらになる。これは小袖にも代えがたいものだ。)と云って、茶碗に湯をうめて振 りすゝぎ、竿《さお》にかけて乾し踊りはねて嬉しがり(さても女の宝もうけた。)と喜ぶこと限りがない。
この女の有様を見ていると、人間のあさましさが、しみぐと身にしみた.この女の無道さは申すも愚かであるが、それにつれて自分の年月《としつき》の悪業 が、思い知られて来た。かような悪業を重ね、露の命をつなぎ、かような女と枕を並べていることが、口惜しくなって来た。それにつけて、あの女繭の、ちっと もさわがれない最期の神々しい有様が、涙のこぼれるほど、ありがたく思われて来た。自分は、恐しい夜叉をよろこぼすために、やんごとなき天人を殺し奉った のだと思った。こう思うと、気も心も消え入る心地がしたが、こうした心が起ったのこそ菩提の善知識だと思い、女が寝しずまるのを待って、家を抜け出で、一 条北小路の玄恵法師の許にかけこんで、お弟子になったのである。それから、このお山へ上って二十年、自分の手にかけた三百八十余人、とりわけ、この女臈の 菩提を弔っているのである。」
 と語り了《おわ》ってから、幻竹に向い「さぞく無念に覚召しているだろう。身を寸々に斬りさいて、お恨みをはらし給え。」と云ったコが、幻竹の顔にたゞよっていた、憎悪怨恨のかげもいつの間にか消えていた。彼はしずかに口を開いて、
「たとい、敵同士でも、互いにこの姿となっては、何の意趣もある筈ぱない。まして、御辺の発心が、この上繭ゆえとあれば、殊更になつかしく思う程である。 あわれ、この上臈は、某とは恋慕の縁に依って、御辺とは怨敵の縁に依って、それぐ発菩提心の因となっている。この人は菩薩の化身であり、われ等両人を済度 してくれたのであろう。また、篠崎入道の父君が、わが兄を討ち取ったと云うのも、これまた一つの宿縁である。この三人が、この御堂に落ち合ったと云うこと が、われ等三人に、悟道の伴たれと云う仏菩薩の大慈大悲の方便であろう。」
と、云った。
 幻梅も幻松も、涙にぬれながら、うなずき合って合掌したのである。

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