宋に行ったことのある道眼上人は、一切経を向うから持って来て六波羅の辺のやけ野という所に安置し、その経中でも、ことに首楞厳《しゆりようごん》経を講じヒ憲の所を、この経(一名中印度那蘭陀大道場経という)に因んで那蘭陀寺と号した。この上人の話では「那蘭陀寺は、大門が北向きであると大江匡房《まさふさ》の説として言い伝えているが、西域《さいいき》伝にも法顕伝にも見えず、その他にもいっこう見当らない。匡房卿はどんな知識で言ったものやら、どうも不確かな話である。支那の西明寺なら北向きなのはもちろんである」と言っておられた。
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