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尾崎士郎「落葉と蝋燭」


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1

 泥溝《どぶ》のような川の水が日ましに澄んできて、朝、二階の雨戸をあけると落葉の沈んだ川床がはっきり見えるのであった。それもほんの朝のうちの数時間だけで午後になると八方からながれおちる下水のためにすっかり濁ってしまうのであるが、それがひと晩でまたこんなに澄みとおってくるのも大気の爽かなせいであろう。夜中に小さい女房が眼をさまして、「だれかきたような気がする」とふるえ声でささやくことがある。じっと耳をすましていると、ささやかなせせらぎが人のあし音のように聞えるかと思うと、こんどは忍びやかなひそひそ声のようにちかづいてくるのである。晴れた日には榎《えのき》の老木の梢からすけて見える空の、キメのこまかさが眼にしみとおるような蒼《あお》さにかがやいている。川向うの街すじをとおる荷車のひびきや自動車の警笛にまじって、からんからんと鳴る下駄の音がまるで大気の底へ吸いこまれてゆくようだ。ホテル、アパート、下宿屋と次から次へ追われるように移動してあるいた流寓の生活にともかくも一段落を告げて、今年三十三歳の椎名源六が愛欲につかれた身体をこの仮住居に落ちつかせたのは夏のはじめであったが、今は青葉に照りかえす陽のひかりさえだんだん影をうしなってゆくように見える。夕方になると遠い空には秋の雲が残光のようにうかび、夜は樹の問をもれる月の影が遠く冴えているのを見るとああもう半歳ちかく経ったのかとしみじみふりかえってみる気もちにもなるのである。「小さい川にそった古い家で、二階が六畳に三畳、階下が玄関と八畳二間、ほかに三畳の女中部屋がありますが女中部屋はねだがくさっているので使えません。家全体が大分まがっていますが、地震に倒れなかったほどですから大丈夫でしょう。屋根には草が生えています。すぐとなりが大家ですが家ぬしは五十ちかい男で女房も子供もないひとりぐらしのように見うけられます。家賃は六十円だと言っていましたが、四十円ぐらいにならぬかと言ったらすぐまけました。はなしのしようによってはもっとまかるかも知れません。南向きの陽あたりのいいうちです。駅から別封の地図のとおりで、あるいて、五六町のところと思われます。いちどやってきてごらんになりませんか」
 椎名源六は借家さがしをたのんでおいた知人からの手紙を霊南坂の上のホテルの一室でうけとった。そのあくる日の午後、彼は雨の中を出かけていったのである。その郊外の駅を下りて通りを左の方へあるいてしばらくゆくと水のせせらぎが聞え、簡単な地図に示されている酒屋が右側にあった。コンクリートでかためた小さい橋のてすりは半ば朽ちかかっていたが、川の水面は上から下った樹木にかくれて見えなかった。しかし水音には急流のようなひびきがこもっているのは雨のせいであろう。橋をわたると空気ががらりと変ってつきあたりに大きい屋敷の門が見え、その前から右に榎の老木が太い幹をならべている。ちょっと山のおくへ入ったような静けさにみたされた一郭であるが、古い冠木門《かぶきもん》のうちが二三軒ならんでいて、手紙に書かれた借家はその一ばん隅の川ぶちの断崖の上にあった。家は手紙のとおりといってもいいほど右の方にまがってるが(戸がしめてあるのでその曲り方がはっきりわかった)どこか老人の頑丈な骨組を思わせるような落ちつきがある。そのせいか家の古さに伴う妖怪味はみじんもなく、低い屋根に草が生えているのもなかなかいい。門をはいると裏のあき地から川に下る傾斜面には葉蘭が生いしげって苔に掩《おお》われた土の肌がなまなましく見えた。こわれかかった垣根のあいだからのぞくと、十坪ほどの庭の隅に梅の老木が一本だけ根元が二つにさけて左右にひろがっている。ほかに何の風情もない庭であるが、梅の木の古さがおのずからにして一つの雰囲気をつくりあげているのであった。それが、今の椎名源六の心に何かぴったりとした感じをあたえた。彼はもう家の中なぞは見ないでもよいと思ったほどである。これは彼が途方もない呑気坊主の故でもあろう。彼はいつのまにかこのうちの二階にねころんで水の音をきいているような気やすさになっていたのである。まったく晴れた日に屋根の上に布団を敷いてその上にながながと寝そべりながらのびのびとした気もちで蒼天を仰いでいたらどんなにいいであろう、そんなことを考えているうちに、彼の心はひと息にあたらしい情感の中にかたむいていった。雨はもうあがっていたが、彼が川ぞいの傾斜面をおりてゆくと、葉蘭のあいだから大きなガマが一ぴきのそのそと這い出てきた。すると、また一ぴき、また一ぴきという風に五六ぴきのガマが蘚苔の上をゆるゆるとうごきはじめた。葉蘭の中の道が川ぶちまでつづいていて、その上をあるいてゆくと足駄の下からバッタのようにとびだした毛のがある。よく見ると五分にも足らぬ小さいガマだった。してみるとどこかにガマの巣があるのかも知れぬ。椎名源六はこんなにたくさんのガマを見たのは生れてはじめてであるが、小さいやつは小さいながらにガマのかたちをそなえているのが不思議に思われた。彼はうっかリガマをふみつけてしまいそうになるのを慌てて避けねばならぬような始末だったが、ガマの方は悠々としてまるで人間のあし音なぞに気をとめてはいないようである。彼は川ぶちまでゆかないで門の方へひっかえした。となりの家も二階の窓がしまっているのでひとり者だという家主は今日は留守なのかなと思いながら榎の並木の前に立ちどまってもう一度まが.った家の格好を眺めていると、こんどはだしぬけに琵琶の撥音《ばちおと》がひびいてきた。歌詞はよくききとれないが、高く冴えた撥の音がまるで土にしみとおるようだ。琵琶をひいているのはとなりの家主のうちらしかった。すがれたような声も古さびた琵琶の撥音にふさわしくじっと耳をすましていると心が遠くすみとおるようであった。冠木門の下の標札には小森|鯤太郎《こんたろう》と書いてある。それが家主の名前であろうか、格子戸になった門の中は石畳のほそい道が玄関までつづいていて、道の両側には雑草が伸び放題になっている。風にもぎおとされた落葉のしめやかなにおいがどこからともなくながれてきた。そこからみると玄関の格子戸がなかばあけはなしたままになっているので、椎名源六は琵琶のぬしが小森鯤太郎にちがいないと思いながら門をはいっていった。すると玄関の左手に柴折戸《しおりど》があって、そこから見えるうす暗い部屋の中でかすかに人のうごく気配がしたのである。椎名源六はしばしためらったあとで格子戸をあけた。敷石の上には歯のゆがんだ足駄が一そくとその横にゴムの長靴がぬいである。「こめんください」と声をかけると、「おう」という返事が聞えて襖《ふすま》のあいだから姿をあらわしたのは五十格好の古い紺サージの上衣の下に鼡色のよれよれになったズボンをはいた、いかにも几帳面らしい一見して税務官吏という様子の男だった。彼が来意をつたえると、男はぴょこんとお辞儀をして中へはいっていったが横からみるとその男の大きい後頭部がやせて小さい身体におそろしく不調和な印象を残した。(琵琶はそのときまだ鳴りつづけて、深いひびきにみちた声が噛みつくように聞えてきたのである)
 その撥音が急におさまったと思うと、こんどは丈の高い骨格のすぐれた、1年は前の男よりは二つ三つ若いと思われる眼鏡をかけた男がセルの着物の上に三尺帯をぐるぐるとまきつけその帯のはしを前の方へだらりと垂らしたままのどことなくとぼけた姿で椎名源⊥ハの前に突っ立った。そこで彼がとなりの借家を借用に及びたいが家賃の方はもっと何とかならぬものであろうかというと、その男は、にやにやと笑いながら、「いぐらでもいいですよ、とにかくおはいりになったらどうです。たぶん今日あたりお見えになるかと思って待っていました。わたしが小森です」と屈託のない声でそう言ってから、「さあ、どうぞ、どうぞ」とせきたてるようにしてむりやりに彼をおくの部屋へ招じ入れたのである。そこは中庭に面した八畳で、床の間の前には古い経机が置いてあり㍉今まで彼がそこに坐っていたと思われるうすい座布団の横の柱には鬼蔦の蒔絵《まきえ》の紋をうかばせた黒塗の大きい琵琶が撥をはさんだまま立てかけてある。そのほかに小さい瀬戸物の火鉢が一つだけ灰落しがわりに置いてあるきりでほかには何もないがらんとした部屋だった。さっき出てきた洋服を着た頭の大きい男はあけはなした障子に背をもたせかけて敷居の上に胡座《あぐら》をかいていたが、彼が入ってゆくと慌てて縁側の方へ腰をずらしてきちんと坐りなおした。主人の小森鯤太郎は今まで自分で敷いていた座布団を椎名源六の方へすすめながらその男の方をちらっと見て(それは上役が下僚にはなしかけるときの熊度であった)客人を紹介するとその男は丁寧に両手をついて、「わたくしは××商事会社の会計主任を・やっております上島佐一というものであります」としずかな切口上で挨拶した。その言葉が客人に対してよりむしろ主人の小森鯤太郎に対する敬意を反映しているように思われた。それは、椎名源六が小森に向って、「琵琶をおやりになりますか?」と言ったときに経机の前に端座してもじもじしている小森よりもさきに、上島佐一が膝をのりだしたのでもわかるであろう。

「玉仙先生は薩摩琵琶の宗家であります。先生のお父さんが小森流を編みだされてからはじめて、薩摩琵琶が,….」と彼はいかにも心外に堪えぬという態度でやりだした。それは彼がおしゃべりであるせいでなく何か一つの正義にみちみちている感情を訴えなければいられないという風に見えたのである。玉仙というのは琵琶師としての小森鯤太郎の雅号であろう。そう言えば、暗い部屋の中に坐っている小森鯤太郎のすみとおった眼の光にも深い寂寥が輝き、どこか飄々《ひようひよう》とした温容ではあったが、胸の底には人の世のそびえ立つ烈しい思いをおさえかねているという感じをひそめていると思われた。雨にぬれた庭にはところきらわずはびこっている雑草のあいだにいろいろな花が雨にうたれてしおれかかっている。小森鯤太郎はその方へ眼をおとしてから、太い声でからからと笑いだした。それが上島佐Uの言葉を肯定するでもなく否定するでもなく自嘲的な感情でしっかりとうけとめているように見えたのである。そして、じっと庭を見つめている椎名源六にi
「死んだ女房がすきでしてね、よく丹精してつくりましたよ」
 と低い声で言った。庭に咲いている花はどれもこれも雑草のたぐいで丹精を必要とするようなものではなかったが、しかし小森玉仙はたぶん、そのときそんな風な言い方がしたかったものと思われる。あとになって上島佐一が説明するところによると、彼は今住んでいるこの家とそれから椎名源六の借りうけたとなりの家とを一日も早く売りはらって郷里鹿児島へかえりたいという希望をもっていたにもかかわらず、(この二軒の家は彼の亡妻の実母が所有するもので彼は今その管理をしているにすぎなかったのである)此処でくらした彼の妻との数年間の生活がわすれがたく、そのために未だにこの家を去りかねているのだという。これは「×x商事会社」の会計主任としては少しくうがちすぎ址解釈であるが、しかし、椎名源六の眼にうつった小森玉仙の風貌にはそんな宿命観の中に落ちついているというかんじは少しもなかった。椎名源六もとなりの借家に住むようになってから玉仙が経机の前に坐ってノート五六冊にうずまっている彼の亡妻の歌稿を「小森とき子詠草」と表紙に書いた厚い画帳に一つ一つたんねんにうつしかえているのを見たことがあるが、それさえも彼の亡妻を偲《しの》ぶというかんじよりもむしろ烈しい怒りをふくんだ孤独をまぎらすための一っの手段であるという風に思われたほどである。
 そこで、椎名が、大へん失礼であるがもし琵琶を聴くことができるならばと所望すると、小森玉仙はもったいぶった調子も見せず、何をやろうかなぞということを問いかえしもしないで、「では  」と言いながらうしろの柱に立てかけてあった琵琶を軽く膝の上へ抱きあげたのである。それは非常に自然でやすらかな自信にみちた姿であった。彼は膝の上で琵琶の姿勢をさだめると、しばらく弦の調子を合せていたが、やがて撥をにぎりしめたままで眼を瞑《と》じた。それが二三分間つづいたと思うと撥をもった指さきがかすかにふるえて、全身の力が次第に撥にあつまってゆくように思われた。琵琶の音は低かったが、しかし、撥のさばきに空虚を残さぬ心構えのするどさが椎名源六の胸に迫るようであった。妙なうそ寒さが彼の胸をかすめたのである。古さびた声は枯れつくしていたが全身の力が額の筋肉にあつまってそれは唄っているというよりも何かおさえきれぬ憤りをそのままたたきつけているというかんじであった。歌詞は聴いているうちにそれが平家物語の一節であるということがだんだんわかってきた。雨の日の午後の空は夕方のように暗かった。眼をとじてきいていると歌詞の中の、ほのぼのと漂ってくる夕闇を縫って行方も死れず落ちてゆく敗軍の鎧《よろい》武者の姿がはっきりと椎名源六の幻覚の上にうかびあがってくるのであった。馬のたてがみが風にもつれ、汀づたいに枯蘆《かれあし》をふみならすひづめの音がどこからともなく聞えてくる。そのとき上島佐一は両手を膝の上できちんとくみあわせていかにも感に堪えぬという思いでじっと耳をすましている様子であったが、小森玉仙の底に、高いひびきをふくんだ声がくずれるようにどっと落ちてくると、彼は両肩をぶるぶる顫わせ、「よいしょ!」と力一ぱいの声でだしぬけにさけんだ。椎名源六がびくっとして彼の方を見ると上島佐一はもう前の姿勢にかえってつつましやかに坐っているのであった。しかし歌詞が要所要所にくるごとに彼はきまって、「よう!」とか、「よいしょ!」とか叫びつづけるのであったが、琵琶をきいているというよりも、そう言って叫びだす機会をつかむことが、いかにもたのしそうに見えたのである。やっと一曲が終ると小森鯤太郎は無雑作に琵琶を畳の上に置き袂《たもと》からとりだしたハンカチで額の汗をぬぐったが、頬の肉はいきりたったあとの興奮を残して顫《ふる》えているのであった。一曲を奏し終ったというたのしさもなくとげとげしく輝いている眼の光が何か無気味なものを感じさせる。しかし、その表情が示す悲劇的印象はやがてじりじりと彼の顔から消え去って、まもなくさっき玄関で会ったときそっくりのどこかとぼけて捕捉することのできない家主の表情になった。結局家賃は三十五円ということになって、その次の日から、長い放浪生活の中でいつの問にか女房になった二十一歳のトキ子と、それから、去年田舎の中学を卒業したという彼女の弟の小助を合せた三人の、ーとにかくかたちだけは安定をもった椎名源六の風変りな生活がはじまったのである。(もっとも弟の小助は一週間ほど経って急に田舎からよびよせたのであるが)

2

 電灯の下で本を読んでいると落葉がしきりに畳の上へ吹きながされてくる。となりの家では小森鯤太郎の弾く琵琶の音が秋の夜空に沁みるようにひびく、ー月の冴えた晩であった。月かげをたよりに庭へ出ると彼の足元から石のかけらほどの黒いものがうごきだした。一ぴきのガマであった。ガマは月あかりの中へ姿をあらわすとぱくりと口をあけた。小さい蚊のような虫がすうとひと息にガマのロへ吸いこまれた。椎名源六がこわれかかった庭の木戸をあけてそとへ出ようとすると、榎のかげから黒い影がちかづいて、
「今晩は  」
 上島佐一の顔がすうっとちかづいて親しそうに笑いかけたのである。彼はうしろの通りをへだてた露地の入口に住んでいるので、ときどき玉仙を訪問したついでにつれだってたずねてくる習慣がついていたが、その謹厳なものこしに小さいながらも功成り名遂げた人間の落ちつきというべきものがあった。(彼は同じ会社で事務員からたたきあげて二十年ちかいあいだに今日の地位にたどりついた男なのである)
「今夜はちょっとおねがいがあってまいりました」
 上島佐一は二階の書斎(といっても一閑張の机が一つおいてあるきりの部屋であるが)で向いあって坐ると急にいずまいをなおしたのである。「わたくしが前にお世話になったことのあります郷党の先輩でありまして、半田鉄五郎という方のことでありますが、わたくしがこんど先生(彼が椎名源六に対してそんな呼びかたをするのははじめてであった)とおちかづきになっているというはなしをいたしますとそれでは是非おねがいしてくれということでありまして」
 上島佐一の言葉には調子にだけ鹿児島|訛《なまり》が残っていた。彼はそれを無理にうち消すためにわざとバカ丁寧な言葉をつかっているようにも思われたが、しかし、そのために素朴な人柄が一層つよく感ぜられた。彼は郷党の先輩である半田鉄五郎の父親が改進党時代の有名な代議士であることから説きたてて彼が今|畢生《ひつせい》の事業として、日本の思想界を今日の混乱から救うような大著述を計画していることをこまごまとはなしたあとで、
「それで」
 と、ちょっと頭をかくまねをしてから(彼にはいよいよこれからはなしが本式になるというときにきまって頭をかく癖があった)「ひとつお知合の製本屋へ御紹介願いたいと思いまして」
「製本屋?」
「そうです、つまりその版元であります」
 と、上島佐一が答えた。彼は長い説明をおそろしく気ばってしたためであろう、額にびっしょり汗をかいていた。そこで、椎名源六が製本屋というのは出版屋のまちがいではあるまいか製本屋はただ本をつくるだけのところだというと、彼は「そうです」「そうです」といかにも感心したようにうなずきながら、
「どうもそういう仕事には未熟でありまして」
 と言って頭をかいた。「その適当の出版屋へ是非とも御紹介が願いたいのであります」
 椎名源六がどぎまぎしながら自分はやっと生活がほそぼそとできる程度の文筆業者で、とてもそんな大著述を出版しそうな本屋とは何の交渉もないということを説明すると、彼はいかにも困ったという顔をして(椎名の言葉を上島佐一は体のいい断りだという風に解釈したらしい)
「それはごもっともでありますが、もし先生が半田鉄五郎先生にお会い下すったらきっとわたくしがいいかげんなことをいうものでないということがおわかり下さると考えます。どうか近いうちに半田先生がまいりましたら何とかよろしく……」
 そう言って口をもぐつかせている様子をみるとだんだん椎名源六の方がとりつく島のないような気もちになってきたのである。二階から見ると、垣根をへだててとなりの家の中庭に電灯の光がゆれている。小森玉仙はこの十日あまり、平家物語の申の「大原御幸」の節づけに心を砕いているのであった。落葉の音や風のひびきがやっと撥のさばきに一つの調和をつくりはじめたと彼がしみじみはなしたのは前の日の夕方であったが、しかしそのとき縁ばたに腰をおろして退屈そうに煙草をふかしている玉仙の耳の上に白さの目立つ髪の毛がたれ下っているのを見ると椎名源六に肌寒さを覚えたのである。上島佐一の説明によると玉仙の生活はほとんどゆきつまって、今彼の収入と言えば椎名源六の住んでいるこの家からあがる三十五円の家賃だけであった。言ってみれば小森玉仙はもはや琵琶を弾くことよりほかには生きるべき道をうしなっている人間なのである。彼が世の琵琶師のむれをはなれてからもう二十年ちかくも経っているのであった。撥の音は一日一日と冴えてきたが落葉の音が彼の音にしみとおる頃には彼はすでにこの世から置きわすれられたのである。それも十年前にはまだ大勢の弟子が彼をとりまいていたのに今はことごとくはなれ去って残っているのは上島佐一一人きりであった。
 が、しかし、そうかといって彼は玉仙の琵琶に絶対的な評価を置いているわけではなく、彼の人物に心服しきっているという風にも見えなかった。彼の心に映る玉仙の姿はおそらく一人の零落した琵琶師にすぎなかったであろう。彼は数カ月前にも玉仙が郷党の名士のあつまる会合で弾奏を依頼されたにもかかわらず(それは上島佐一の奔走にもとつくものであった)どうしても応じなかったということを、口惜しそうな表情ではなすのであった。彼にとってみればそんないい機会をみすみす逃してしまうことが不明だったにちがいない。玉仙は青年時代にも弾奏にかけては郷党随一と言われていたが、悲しむべきことには彼の声帯に欠陥があってそれが琵琶師としての彼の運命を悲劇的な方向へみちびいたことは弾奏がいつの間にか薩摩琵琶にとって第二義的なものになってしまっている今の世においてはどうすることもできないことであった。玉仙の孤独も寂寥もおそらくそこに端を発しているように思われる。唯、上島佐一にとっては世にそむくことによっておのれの高さをまもろうとしている玉仙の姿ほど悲しいものはなかったにちがいないのである。それ故彼の感情をありていに言えば、上島佐一は玉仙に陶酔していたというよりもむしろ落ちぶれた師匠につかえている彼自身の姿に陶酔していたということにもなるのである。日曜日の午後が上島佐一の稽古日にあたっていたが二階の書斎から見とおしになっている榎の並木の下の道を黒い袋にはいった琵琶を肩にかついで、痩せた丈の低い父っちゃん小僧のような上島佐一が昂然としてあるいてくる姿をみると微笑がこみあげてくるのであった。玉仙にとっても今やこの男の存在は彼の生活から切りはなすことのできないものになっているらしい。ときどき上島佐一が調子のはずれた大声で同じ歌詞を幾度びとなくくりかえしてうたっているのが聞えてくることがある。すると椎名源六は思わず原稿を書いている手をやすめてすぐそのあとから叱りつけるようにひびいてくる玉仙の皺がれた声に耳をすますのであった。そのときほど玉仙の心を領している孤独が彼の胸にちかちかと迫ってくることはなかった。今玉仙がひとりで弾いているのはやっと節づけの終ったという「大原御幸」の新曲なのであろう。やがて撥をおさめる音が聞えて人の影がすうっと庭の雑草の上をかすめたと思うとすぐ玄関の格子があいたらしく石畳を踏む玉仙の下駄の音が門の方へ消えていったのである。
 上島佐一はちらりと腕時計を眺め、慌ててかえり仕度をしたが、やがて思い出したようにもう一度きちんと坐りなおして「それではくれぐれも半田先生のことをよろしくお願いいたします」というのであった。椎名源六が、自分にはとてもそんな能力はないからいずれ適当な人物を紹介しましょう、といったような逃口上をならべると、彼はうやうやしくお辞儀をして「では及ばずながら御尽力を、1」と、とんちんかんな挨拶をしてそんな言葉にさえ何の不安もなく階段を下りていったのである。その夜、小森玉仙はいつまで経ってもかえって来なかった。風が出たらしく、裏のトタン屋根に落ちてくる榎の枯枝が絶え間なしに高い響を立てるのであった。その音で眠っていたトキ子がぎくりと肩葬顛わせた。
「ねえ」
 と、おびえるような声が椎名源六の耳元で聞えたのある。「何でしょう、ーほら裏の戸をこじあけるような音が」
「風だよ」
 しかし、そう答えたあとで、不吉な予感が彼の頭にチカチカとひらめくと、彼はこっそり起きあがって暗い廊下を台所の入口まで忍び足にあるいていってからじっと耳をすますのであった。台所の雨戸は木材がほとんど腐りつくしてどこもかしこもすき間だらけになっている。女中部屋(そこは使用していなかったがしかし台所へゆくにはどうしても通らねばならなかった)は足をふみつけるごとに畳がふいふいと下へ沈んでいった。電灯をつけると流し場の横にある破《や》れ戸が風のために敷居からはずれてばたんばたんと音を立てて鳴っているのであった。そのたびごとに落葉が砂埃といっしょに流れこんでくる。そとがあかるいのは月のせいであるにちがいない。流し台の下に黒いものがうずくまっている。よくみると胴の長さが三四寸たしかにあると思われるガマだった。椎名源六は中から錠をはずして雨戸をあけた。すっかり腐って木質をうしなった雨戸は吹きつける風に舞いあがるように思われたがそれを中の壁にもたせかけておいてから棒ぎれでガゴをそとへ追いだし、戸袋の前にぬぎすててあった鼻緒の切れた草履をつっかけてそとへ出ると、川の流れが夜になって急に水かさを加えたものか堰を切ってあふれるように落ちてくる音が彼の足の下からどっとひびいてくる。彼は裏をひと回りしてとなりの家との境になっている庭の木戸の前に立った・玉仙のいる部屋に脚あかりがついている。いつの間にかかえったものらしく玉仙はまだ起きている様子である。彼はすぐおもてへ回ってとなりの門の格子戸をあけた。部屋の中はしんとしている。玄関の右手の柴折戸を押すとすうっと前にあいて、電灯のほかげの中にひとむらの野菊の萎《しお》れかかったのがぼうっとうかびあがった。部屋の中は襖《ふすま》も障子もあけはなされているが、しかし、玉仙の姿は見えなかった。経机の上には皿にながしこんだ墨汁と、たぶん手習でもしたのであろう黒くぬりつぶした半紙がかさねておいてある。そこからのぞきこむと黒塗の琵琶が床の間の壁にもたせかけてあった。琵琶の面にういている鬼蔦の紋の金箔のところどころはげ落ちているのが今夜にかぎって何となく無気味でなまなましくしずまりかえった夜ふけの部屋の中で撥をにぎらずとも琵琶は悲しき息づかいをしているように見える。それにしても玉仙はどこへいったのであろうか、ーそのとき椎名源六の耳にはさっき荒々しく石畳をふんで出ていった彼の下駄の音があやしくうかんでくる幻影の中からしっとりとひびいてきたのである。

3

 上局佐一が郷党の先輩であるという半田鉄五郎をつれてやってきたのはあくる日の夕方だった。彼は会社からのかえりらしく洋服を着て鞄をもっていたが、半田鉄五郎は古い鉄無地の羽織に仙台平の袴《はかま》を胸高にはいていた。ほそ面の、半白の髭がとがった鼻の下にちょこんと伸びて! というよりもたれ下っているのが小ちんまりと整った顔の造作といかにも調和している。五十をすぎたこの老人が上島佐一とならんで坐っていると、落ちぶれた華族の三太夫というかんじだった。彼は上眼つかいに椎名源六の顔をじろりと見あげて、今日は上島からいろいろ話をききまして早速伺いましたような次第で、と言いながら横に置いてあった風呂敷包をとりあげたのである。中から出てきたのは同じほどの厚さで一綴がすくなく見つもっても五六百枚はあろうと思われる原稿の束だった。
「これですが」
 と、半田鉄五郎はその二つをかさねたまま大事そうに椎名源六の方へ押しやった。
「何とか一っ適当の本屋へ御紹介が願いたいのですが」
「これを?」
 椎名源六はたじたじとなりながら、思わず頓狂な声をあげた。「つまりこれを出版したいという御意向なので?」
「ええ」
 と、半田鉄五郎は鼻につまるような声で言った。
「出来ることなら政治上の意見の方はどこか大新聞に連載したいと考えているんです。それから一つの方は数年前にひどい神経衰弱で二年ばかり脳病院にいたことがあるんですが、iーそのとき実に奇妙な空想になやまされましてな、そのときの空想を骨子にして書きあげた小説です。つまり一口に言えば一種のわたくしの自叙伝というようなわけで」
 椎名源六の顔には一瞬間、どうにも当惑しきったという表情がうかんだが、しかし彼は上島佐一の方をちらっと見ただけで二綴の原稿をとりあげそれを一閑張の机の上へ置いた。原稿の上には右肩のおそろしくはねあがった文字で、「日本をいかにして救うべき乎《か》」という標題が書いてある。その下には十数章にわかれた目次が小さい字でぎっしりと書きならべてあるが、このこけおどかしの憂国慨世の文字は筆者である半田鉄五郎とはおよそ不調和な印象をあたえるものであった。半田鉄五郎はしょぼしょぼとうるんだ眼を絶えずパチパチやりながら、もし紹介してもらえるなら自分はすぐさま出版屋の主人に会って説き伏せる自信をもっていると言ったかと思うと急に言葉をあらためて、実は自分は長いあいだ新聞の経営に志をもっているのであるが、どこかに経営困難に陥ってつぶれかかっているような新聞社はあるまいか、そんな新聞社があったら自分はたちどころに財政の立てなおしをしてみせるというようなことを何の連絡もなくしゃべりつづけるのであった。しゃべるにつれて半田鉄五郎の言葉はだんだん横柄《おうへい》になり、烈しい貧乏ゆすりをしながらしきりに咳きこむ調子が一刻もこうしてはいられないという風に見えた。しかし、上島佐一はきちんと膝の上に両手をくんで、じっと聴き入っている姿は小森玉仙の琵琶をきいているときの格好と同じであった。唯、ちがうのは彼が要所要所へきて「よいしょ!」とか、三う三とか声をかけるかわりに黙として大きくう跏なずいてみせるだけのことで、つまり彼にとっては小森玉仙が薩摩琵琶の宗家であるということが彼をひきつけるのと同じ理由で、半田鉄五郎が名門の生れであるということにおのずから尊信の情が湧いてくるのであろう。'
 そこで椎名源六がむかつくような感情をおさえながら、今の出版界はとても不景気でこれだけの大著述を進んでひきうける本屋もあるまいし、よしあったとしたところで自分の紹介なぞはかえって邪魔になるくらいなものであろう。それよりもむしろ貴下の政治的意見を天下につたえるためには自費を投じて出版されたらどんなものであろう、というと、半田鉄五郎は不意に老人特有の人の善さそうな微笑をうかべて、
「それなんですよ、君、i僕もそれを考えないことはないんだが万事これの世の中でね」
 と言いながら右手の親ゆびと人さしゆびで丸い輪をつくってみせるのであった。それから彼は「ちょっと失礼」と言って立ちあがると二階の縁側に出て、「これはいい」「これはいい」と言ってそとを眺めていたがまもなく席へ落ちつくと上島佐舶の方を向いて、
「どうだろう、君、1この家は小森君から買いとってアパートに建てなおしたら。此処ならば場所はしずかだしそれに停車場からもちかいし」
 半田鉄五郎の眼が異様な輝きを帯びてきたのである。
「なるほど」
 と、上島佐一が大きくうなずいてみせた。
「そうすれば君ーi」
 半田鉄五郎はしきりに眼をしばたたいた。「小森君だって生活の安定が得られるわけじゃないか、1場合によったらあのひとにアパートの管理者になってもらってもいいわけだからな。小森君の芸術を擁護する意味から言っても、それに第一、これだけの敷地をほったらかしておくのはもったいないよ」
「そうです」
 上島佐一はわが意を得たりというかんじで膝の上においた手をにぎりしめた。「それは何よりもよいことだと考えますが、ただ玉仙先生が承知されますかどうか?」
 彼はちらっととなりの庭の方へ眼をうつして、(玉仙のいる部屋からは今夜にかぎって琵琶の音は聞えて来なかったが障子があけはなしてあると見えて電灯のほかげが庭一ぽいにひろがっていた)
「わたくしもひそかにそのことを考えておりました。このままにしておいてはどうなるかと思うことがあります」
 彼は急に前かがみになり、声の調子をおとして、近ごろの玉仙の生活はまったくすさみきって深酒を呷《あお》っては一日一日をまぎらしているようなありさまなので、もしそんなことが彼の義母の耳へはいったら立つ瀬はあるまいと言うのであった。
「そいつは困るね」
 と、半田鉄五郎が言った。「あの人を救済する意味からいってもどうにかしなくっちゃあ!」
 それから彼は浮きたつような調子で、
「どうだろう、iかえりにちょっと寄ってみては」
「それは」
 上烏佐一が慌てて頭をかきながら、ちらっと椎名源六の方を見て、
「半田先生からおはなし下されば」
 と言うと、半田鉄五郎は何べんとなく水洟《みずばな》をすすりあげた。「むろん僕がはなすよ、何にしたって小森君のためだからな」
「ついでに一っ、玉仙先生の琵琶を聴いていただければと思いますが」
「久しぶりだね、薩摩琵琶は、-それに僕も玉仙君のを聴くのは初めてだから、今夜は常陸《ひたち》丸か石童丸でも」
 半田鉄五郎は鼻につまったような声でくっくっと笑った。何となくたのしそうで前のようにせかせかした調子はどこにも残っていないのであった。これは後になってわかったことであるが、半田鉄五郎はそのとき、彼の大著[述の標題である「日本をいかにして救うべき乎」よりもむしろ彼自身をいかにして救うべきかということに迷いぬいていたのである。それ故、アパートの計画が彼の頭にひらめくとたちまち一つのきずなを得たようなあたらしい希望に唆《け》しかけられたものと思われる。とにかく、半田鉄五郎はもはや、出版屋のことも、つぶれかかった新聞社のこともけろりとわすれ去った竜ののようであった。袴と帯のあいだにはさんである大きい旧式の銀側時計を膝の上においてパチンとはじくと彼は上島佐一の方を向いた。
「じゃあ、君」
 と、うながすような声で言う半田鉄五郎の鼻の下の半白の髭には水洟の雫《しずく》が光って見えたのである。それが不意にこの老人のさびれた生活のすがたを感じさせるのであった。上島佐一はかえり際になってきちんと坐りなおし、くどくど長い挨拶をしたあとで立ちあがった。二階から見ると家の前の空地に立ってしきりにあっちこっちと見回している半田鉄五郎の、やっと羽織だけがかくれるほどの短い外套をひっかけて前屈みになっている姿がとなりの門灯の光の中にうかびあがっているのであった。

4

 しかし、小森玉仙がそんな計画に賛成する筈はなかった。数日経ってから、上島佐一がやってきてのはなしによると、その晩玉仙は一升徳利を経机のそばに置き、冷酒を大きい湯呑でぐいぐい呷《あお》っていたそうである。半田鉄五郎は玉仙の芸術のためにというたて前で口説きにかかったのであるがはなすにつれて玉仙はだんだん不興気に顔をしかめて、たとえばそういう意志が自分にあるとしても自分は唯、家の管理人、にすぎないのだし、それに現在椎名源六の住んでいる家をそんな風にするわけにはゆかぬといってがんばりとおしたという。酒のせいでもあろうが、あのひとがあんなすてばちな気もちになっているのは長くひとりでくらしているためではあるまいか、その晩も半田先生がくりかえしくりかえし所望されたにもかかわらず玉仙先生は琵琶をかえりみようともしなかったほどであると上島佐一は残念そうに言うのであった。そのはなしのあとで彼は、
「いよいよわたくしも」
 と誇らしげな表情を示したのである。「一人立ちのできる人間になれそうであります」
「何かやるんですか?」
「そうであります」
 上島佐一は深い決意をこめた声で言った。「いずれはっきり決定してからあらためて参上するつもりでありますが、そうなると当然社をやめることになると思います、二十年の雇人生活から足を洗うことを考えると感慨無量であります」
「何をおやりになるんです」
「これはー」
 と、上島佐一は頭をかくまねをしてからぐっと唾液を呑みこんだ。「社の方へはまだ公けに発表していないのでありますが、雑誌の経営をひきうけることになったのであります、これからは原稿の方で先生にもきっといろいろ御無理を申上げることになると思っています」
「雑誌ですか、i雑誌というと」
 椎名源六がぴくっと眉を顫わせた。二体何の雑誌です?L
「それが、ちょっと風変りでありますが、神官の雑誌であります、会員組織で全国の神官に配布する雑誌でありまして、今まで充分基礎が出来あがっているのを今度わたくしがあたらしく経営することになったのであります」、
「神官の、1ああそうですか、じゃあ、つまりあなたが社長というわけですね?」
「いや、1」
 上島佐一は社長という言葉に対して彼の今の境遇から来る羞恥と誇とをだしぬけにかんじたらしい。急にぼうっと顔を赧《あか》らめて、
「1つまりわたくしが出資者として経営の責任を負うことになるのであります。幸いに半田先生が編集の任にあたられることになりましたので」
「ああ、そうですか」
 椎名源六は何かしら眼に見えない不安がじかに迫ってくるのを覚えた。何故か理由はわからなかったが、やがて、それは彼の頭の中で数日前の晩に苛立《いらだ》たしそうに眼をしばたたいている半田鉄五郎の顔になったのである。それにしても、会社の方はやめない方がよいではないかと椎名源六が言うと、上島佐.一はハッキリした声で答えた。 「やはり自分で出資する以上は他人まかせにしていられません、私も、もう一人あるきをしていいときだと考えます」
 しかし、これも後になってわかったことであるが、そのとき彼が自発的にやめないとしても当然会社をやめねばならぬような時禦ちかづいていたのである・跚そして上島佐一もいくぶんそういう不安をかんじていたにちがいないのである。半田鉄五郎がそのはなしをもちだしたのは玉仙を訪問した夜のかえりみちであったが、上島佐一がそんなはなしに乗る気になったのはこの平凡な会計係の胸にあたらしい情熱がわき起ったからではなく、もう決して誰れからも首を切られたり整理されたりしないでもいい生活の中にゆっくり落ちつきたいと思ったからであろう。言うまでもなく、上島佐一は半田鉄五郎に一杯食わされたかたちになったのである。神官の雑誌の経営者があたらしい出資者をもとめて事業の拡張を図ろうとしていたこともそれから半田鉄五郎がその経営者に出資を申込んでいたこともたしかな事実であるが、しかし、上島佐一が五千円の貯金(それは彼が二十年間に一銭一厘をつみあげてつくったものである)の中からひき出して半田鉄五郎にわたしたという二千円の金は鐚《びた》一文も経営者の手にわたってはいないのであった。それのみか上島佐一が経営の任にあたるなぞということはまったくの大うそで、半田鉄五郎は最後のどたん場まで上島佐一をあざむ責らづけていたのである。しかしそうは言っても半田鉄五郎にしたところでそんなカラクリがかくし終《おお》せるものだと考えていたわけではあるまい。上島佐一が、後になって興奮して椎名源六にはなすところによると、二百枚の十円紙幣の束をわたすとき、それを一枚一枚と数える半田鉄五郎の指先は、わなわなと顫えていたそうである。その二千円の金は上島佐一が女房に内密でこっそりひき出したものであった。それをあとから知った彼の女房が気ちがいのようになってこの町はずれに小さい八百屋をやっている彼女の兄貴に訴えたので、真っ蒼になった兄貴が着物を着かえるひまもなく自転車で一里ちかくはなれている半田鉄五郎の家へ駆けつけたのであったが、そのときはもう⊥島佐一が二千円を手渡してかえったあとであった。僅か一ト月たらずのあいだに起った出来事であるが、上島佐一はそのために見ちがえるほどすっかり老《ふ》けてしまった。彼は早速知合いの弁護士に依頼して半田鉄五郎と交渉をはじめたが、彼の方にも手落があり、それに相手が捨身になっているだけに今となってはどうにも手の下しようがなくなっているような始末であった。唯せめてもの幸いとすべきことは彼が自発的に会社をやめなかったことくらいのものであろう。琵琶をかついでやってくる彼の楽しそうな姿が椎名源六の視野の中から消え去ったのはそれからまもなくであった。ある夜、椎名源六は思いだしたように押入をあけ、知らぬ問にうすい埃のうかんで見える半田鉄五郎の原稿をとりだした。そして電灯の下で「日本をいかにして救うべき乎」と大きく書いてある右肩を怒らした文字を長いあいだ見つめていたのである。

5

 風の強い日がつづく。榎の梢はすっかり骨組だけになってうす曇った空がムキ出して見える庭の隅にはいつの間にか落葉の山ができた。掃いても掃いても朝になると庭一ぱいの落葉である。二階で机の前に坐っていると椎名源六の眼に郭落《かくらく》とした風景がとげとげしく映った。玉仙は琵琶を弾かない日が多くなった。そんなときにはとなりの家は人がいるのかいないのかわからぬほど朝から晩までしいんとしている。ときどき聞えてくる琵琶の音にももはややすらかな静けさはなく、聴いていても心が苛立つようであった。落葉を焚く煙がどこからともなく風に煽《あお》られて部屋の中へ吹きつけてくることがある。その年の秋が押しつまっているのであった。しかし押しつまっているのは気候だけではない。何とも知れず重苦しいものが椎名源六の胸の底に深くたれ下っているのであった。
 ある日の夕方縁側に腰かけている彼の耳へ、
「椎名さん」 「椎名さん」
 と呼ぶ太い声が聞えた。となりの庭との境になった垣根のあいだから玉仙の顔がにやにや笑いながら覗いているのである。「酒があるんですが、どうです、いらっしゃいませんか?」
 落葉の煙が中庭の方からながれてくるのであった。あけはなした木戸から入ってゆくと燃えている落葉の下に三方から棒きれを組み合せそのまん中に一升徳利がぶら下げてあり、横には下の方がもう半ばくすぶっている棒きれのはしに大きくむしりとった鳥の肉が焦げついているのであった。玉仙は巧みな手つきで徳利をおろすと口のところを手拭でおさえながら縁側に置いてある湯呑茶碗に酒をついだ。
「どうです?」
 玉仙は鳥の肉を皿にうつしながら淋しそうな微笑をうかべたのである。酒が回ってくると玉仙の顔が落葉の火の照りかえしをうけていきいきと輝いて見えた。
「今夜からいよいよ」
 そう言いかけて彼は大声に笑いだした。「電灯が点かなくなるんですよ」
「電灯がー?」
「ええ」
 と、玉仙は落ちついた声で答えてから湯呑茶碗の申の酒をぐっと飲みほした。「だから蝋燭の用意をしているんです」
 なるほど縁側の隅には板っぺらの上に青竹の切ったのをうちつけ、竹のふし釘をうちこんだ俄《にわか》仕立の燭台が置いてあった。椎名源六は慌てて何か言おうとしてしきりに口をもぐつかせていたが、しかし結局何を言う必要もないような気もちになっていた。その晩、二階からみるとたよりなくゆれている蝋燭の灯が椎名源六の心に、昨日までの電灯の光よりも一層すがすがしい感銘を残したのである。蝋燭の灯が風にはたかれるごとに、枯草の上に伸びた翳《かげ》がすうっとおとろえてゆく。その中に端座している玉仙の姿が今はじめて自然のやすらかに落ちついた人間をかんじさせるのであった。
 小森玉仙が郷里へかえる決心をしたのはそれから一週間ほど経ってからであった。いよいよ明日発とうという前の晩、この荒れはてた僧房のような部屋には青竹に釘をうった燭台が両はしに立てられ、蝋燭の灯が煤けた障子の上にゆれていた。吹きつける夜風の中に落葉の鳴る音が聞えた。正面の床の間をうしろにして撥をにぎる玉仙の胸を張って坐っている姿が古畳の上に黒い影をおとしているのであった。壁をうしろにしている椎名源六の横にはトキ子と弟の小助が坐りその前には椎名の若い友人が二人|胡座《あぐら》をかいていた。(彼等はその夜ちょうど彼の家へ来合せたのを玉仙の弾奏をきくために無理矢理につれてきたのであった) 、.
 上島佐一だけは少しはなれて左側の燭台とすれずれに坐っていた。玉仙は琵琶を抱えたまましばらく心をしずめるために眼を瞑《と》じていたが、やがて撥が軽くうこいたと思うと、一瞬間彼の顔には一種名状することのできない若々しさがひらめいた。曲は白楽天の「琵琶行」で、「潯陽江頭夜客を送る。秋風荻花秋瑟々」と、遠くすみとおった声が撥のひびきの中から聞えてきたのである。水のながれるような静けさであった。琵琶らしい節調はどこにもなく、歌詞の文句が一語一語と哀傷を加えてくるにつれて、次第に高まってくる玉仙の声は烈しい怒りに顫えているようであった。それはもはや孤独の底ふかくかくされた秘密のささやきではない。悲しみもなけれぱ憧れもなく、全身の力で孤独をつきぬけようとする情熱がみるみるうちに撥のひびきの中に溶けてゆくように思われたのである。椎名源六は何かうす気味わるいものが気流のように伝ってくるのをかんじた。部屋のぞとでは落葉の鳴る音が絶え間なしに聞えてきたが、しかし、それさえも撥音の中から泌みひろがってくるようであった。と、琵琶の音が急にみだれはじめた。すると玉仙の身体が前後に大きくうねって彼はもう唄っている.ので蛤弾いているのでもない、  彼の心は絶対の深淵を前にしてさて飛び込もうか飛び込むまいかとあせっているようである。椎名源六の胸の底をすみきったひとすじの蒼い色がかすめ去った。
 玉仙の姿勢が旧に復して、彼はしずかに撥をおさめたのである口落葉の膏が不意に高いひびきを伝えてきた。玉仙は一礼するとすぐ横の方へあとずさりして、ゆっくり胡座をかいた。それからじっとうつむいている上島佐一の方を向いて、1-
「どうです」と低い声で言った。「一つやりませんか?」
 上島佐一は何時ものとおり、「やっ!」とか「よいしょ!」とかいう機会をねらっていたにちがいがないのであるが、しかし結局しまいまでかすかに唇を動かしただけに過ぎなかったのである。
「どうです?一
 玉仙がうながすようにくりかえすと、彼は、
「はア」と言いながら前へ進み出てきた。「では、何をやりましょうか」
 彼が玉仙の顔を見あげたのは琵琶を膝の上へ抱きあげてからであった。
「台湾入がいいでしょう」
 と玉仙が言った。四十を越した上島さんが琵琶をかかえて気取すましている格好をみると椎名源六の横に 絣いた小助が急に畳の⊥にうつ伏せになった。と思うとくっくっとこみあげてくる笑いをこらえるために必死になって唇を噛みしめるのであった。上島佐一は心持ち首を右にかたむけ顔を上向きにしてうたいだす姿がいかにもたのしくてたまらぬという風に見える。やがて精一ぱいの声でうたいだした。椎名源六は頭の上をかすってゆく様な彼の声を聴いているうちに、不思議に妙な悲しさが湧いてきた。玉仙との別離の感情が今になって彼の心によみがえってきたのである。そして再び玉仙に会う機会はあるまいという感じがひしひしと迫って来た。すると彼はもう座にいたたまれないような気もちでそっと障子をあけて外に出た。月夜である。彼の住んでいる家のかたむきかかった屋根が明るい空にうきあがって見えた。すると椎名源六は此処でくらした半年あまりの生活をまるで狐に化かされたあとのような味気ない気もちの中に思いうかべたのである。
 小森玉仙が家の管理を上島佐一に託して郷里の鹿児島へ出発したのは次の日の朝であった。椎名源六はそれから間もなくそこからあまり遠くない郊外の新居へ移った。半月ちかく経って(もう十二月の末であったが)玉仙の送ってくれた雲仙嶽の絵葉書が彼の新居へ転送されてきたのである。それには玉仙独特の角ばった文字で、「満目すべて雲、身は天上にあるがごとし。雲仙にて玉仙」と書いてあった。
                  (昭和九年)
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