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尾崎士郎「桑名の宿」


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     一

 幕府の軍艦、「咸臨丸《かんりんまる》」が品川湾を出航してサンフランシスコに向ったのは、万延元年二月十八日の朝である。艦長は時の海軍奉行木村摂津守ハ指揮官は勝麟太郎(安房)で、九十六名の幕臣が、随従員として乗込んでいた。名目は井伊大老の命を奉じた幕府の遣米使節、新見豊前守を迎えるためにアメリカ本国から特派されたポータハン号の護衛ということになっているが、実情をいえば咸臨丸はイギリスから、ほとんど廃船にちかい老朽船を高く売りつけられたという代ものである。それも沿海航路ならば千石船のあいだに伍して堂々たる威容を示すということになるとしても、百馬……力の補助蒸気機関附きの小帆船を日本人だけで操縦して太平洋横断をするなぞということは開闢《かいびやく》以来の大壮挙というべきものであろう。もちろん誰ひとり自信はなかった。
 幕府の内部にも硬軟両意見が対立して、独立国である日本が使節を派遣するのにアメリカからわざわざ迎えに来てもらうなぞということは国家の威信に関する。日本に軍艦がないわけじゃない。日本の使節なら日本軍艦に搭乗すべしという意見が次第に勢力を占めてすったもんだの揚句、正式の使節だけはアメリカの要請に応じてポータハン号に乗込ませ、随行員一同は咸臨丸に乗込むということでおさまりがついたのである。特に運用方、佐々倉桐太郎をはじめ若手士官、1といっても、旗本の青年の中から希望者を採用したという程度で、遠洋航海に経験のある男なぞは一人もいなかったが、彼等の鼻っ柱はおそろしく強かった。海軍局では尠からぬ不安を感じていたので、その一ト月前、薩摩の大島沖で難破したアメリカ測量船ネモコバラ号のキャプテン、ブルック以下の四五人を咸臨丸に乗せて本国に送還することになった。これも内情をいうと、万一の場合に、この連中が腕を貸してくれるだろうという心|恃《たの》みのためである。
 しかし、それでおさまらぬのは若い士官たちで、冗談じゃない、それではまるで、われわれがつれていってもらったように見えるじゃないか、日本人の恥だ、  なぞといきまいて、出帆間際まで議論百出という状態だったが、肝腎のポータハン号の出帆が都合で四五日おくれることになったので、気負い立っている咸臨丸は一足先きに品川を解纜《かいらん》することになった。ポータハン号の方では、素人乗組員ばかりが勝手な熱をあげている小帆船なぞをひっぱってサンフランシスコまで行くのは容易なことじゃないという見込みをつけていたらしい。日本人の鼻息の荒さをうまく利用して、先きに出発させたと解釈すべきが至当であろう。
 その朝は、からりと晴れて、穏やかな品川の海には太陽が眩しく輝いていた。ほそい一本煙突から黒煙を吐いている威臨丸は、碇をまいて、しずかにうごきだした。
 ポウ、ポウ、ポウと、やるせない汽笛を三度鳴らし、つぎつぎに帆をひらいた船の姿は次第に遠く、小さく沖合に没していった。
「ちえっ、糞、勝手にしゃアがれ」
 品川遊廓、「土蔵相模《どぞうさがみ》」の海に面した二階の部屋の小窓によりかかって、じっと沖を見つめていた柏士二郎は、忌まいましそうに呟いた。
 つめたい潮風の流れ込むのも知らずに、敵娼《あいかた》の女はぐっすりと眠っているコ白粉の剥げ落ちた蒼白い横顔が、うす暗い部屋の中にうきあがっていた。
 柏士二郎は、百二十石取りの吹けばとぶような小旗本の次男坊である。やっと三十をすぎた今日までに、仕度い放題の道楽に身を持ちくずしてしまったのは、いつまで経っても浮ぶ瀬のない下積みの生活にハッキー1見切りをつけていたせいでもある。彼は制剛流の体術では免許皆伝をうけていたが、そんな物も世に出る足しになるべき筈もなかった。
 もっとも悪いのは勝負に強く、盆にあかるいことで、若い上に男っ振りはいいし、金放れもわるくない、おまけに腕っ節がつよいと来ているからこのせつ侍なんぞにしておくのはもったいないーと、十三郎の足を踏み入れる賭場ではみんな噂しあっていた。その柏士二郎を奮起させたのは、今度の咸臨丸の渡航であった。彼は伝手を求めて、あっちこっちと駈けずり廻った。正規の乗組員が駄目なら水夫でもいいし火夫でもいい。それも難かしいというなら炊事係の雑役夫でもいい、とまでいって渡航の一行に加えでもらいたいと必死になって奔走したが、官辺の人物考査は厳重を極めて、どこへいっても日頃の行状がうかびあがると、まるで相手にされなかった。
 半ば自暴自棄になった十三郎は、武術修行のため半歳、関西方面を遊行するという届書をぽんと組頭にたたきつけ、家から盗みだした書画骨董類を資本にして、賭場で三百両ほど稼ぎ、明日はいよいよ咸臨丸出帆という前の晩に、江戸の最後の夜を品川の「土蔵相模」で明かした。
 へっ、馬鹿にするな、アメリカへいってずらかってしまうのも此処から退散するも二度とふたたび江戸へ戻らぬということに変りはねえや、糞でも喰え、小旗本なんかもう真っ平だ。
 あてもなく旅姿で品川へ出た士二郎は、ふらふらと東海道をのぼっていった。途中で体術の道場を見つけたら道場破りもいいし、賭場から賭場へところげ廻ったところで喰いはぐれはない。江戸全市は安政の大獄におびえ立っていたが、地方の空気はおそろしくのんびりしている。



 行く先き先きで女に苦労はしなかった。三島の遊廊で行きずりの若い女が気に入って四五日流連《いつづけ》したが、あとは何の変哲もない旅で鳴海から宮へ入り、宮から桑名へ渡った。舟賃五十七文の七里の渡しである。その船の中で十三郎は妙なものに眼をとめた。十九か二十か、-下ぶくれのした、頬が赤く、ぽうっと夢みるような眼をした女である。
 着ているものは野暮な木綿の縞柄で、帯も田企暑らしい安ものであるが何となく初々しい。そいつが陽よけに手拭をかぶっている姿が妙に色っぽかった。つれの男は一目でわかる人身売買のガ徹である。士二郎にも大体見当はついた。田舎町の小料理屋にでも働いていた女を、欺したのかそれとも相談ずくか、どっちにしたって大差はないが、三年いくらの年期で買い、そいつをどこかへ売りにゆくところであろう。眼を伏せている女は、ときどきそっと涙をふいているらしい。いくら納得して出てきたところで、海の色を眺めていると母親が恋しくもなるだろう。十三郎もそろそろ旅の疲れが身に沁みてきた頃である。漂泊の旅だけに女の姿がひどく哀れなかんじがしてきたのである。士二郎は胴の間の片隅に寝転んで、それとなく女の方を眺めていた。
 女衒は気さくな、明るい気象の男らしく、ほかの客を相手に早口に一人でしゃべっては大声で笑っていた。風はなかったが波はおそろしく高く、帆を張った船は烈しくゆれた。女は船に馴れていないせいか、まもなく女衒の傍に身体をまげぐったりと横になっていた。小犬のようなかんじだった。その恰好がまた哀れを誘うのである。
 十三郎もごろりと横になった。見えるものは空と海の色だけである。さて、このおれは一体、これからどうなるのか、iと、ぼんやりそんなことを考えているうちにぐっすり眠ってしまったらしい。
 その日の夕方、船は桑名に着いた。船改所《ふなあらためじよ》の役人が来て一応の取調べがすむと、船客は踏板を渡って、ぞろぞろと陸にあがった。船酔いで足元がきまらなかったのか、士二郎の前をゆく女が前へよろけて海へ落ちようとしたのを、士二郎がうしろから抱きとめた。あぶないところだった。女は着物の裾と片足が濡れただけである。
「ど、どうしたんだ」
 先きに陸へあがった女衒が慌てて振りかえった。横柄な口の利きかたである。
「仕方がねえなア、すっかり着物を濡らしちまって、え、ぼやぼやしてるからいけねえんだ」
 それから±二郎の方へ眼をうつして、
「旦那、どうもすみませんでした。下手をすると大切な玉を台なしにするところでしたよ。額に瘤なんぞこしらえたんじゃ、こいつは話がまずいからね」
 女衒は、眼を三角にして、まだ女に文句をいっていた。
「こりゃ、ひどくいうな、濡れた着物は乾けばもともとじゃねえか」
 武士らしい口の利き方ではない。着流しの十三郎の恰好から女衒は何かをかんじとったらしい。ふ、ふ、とふくみ笑いをした。
「そうおっしゃればそんなもんですがね、寒空の往来に突立って尻をまくって、乾かしているわけにもゆきませんや」  ・
「ついて来い、そのへんの茶屋で乾かしゃいいんだ、文句をいうねえ」
 士二郎の口を割って出た巻き舌には、ぐっとドスがきいている。女衒もぎょっとしたらしく、もう一度上眼つかいに士二郎の風体を見た。旅支度は武士にはちがいないが、崩れたところは眼つきにもあらわれている。
「でも旦那に御迷惑をかけちゃね」
「いいから来いよ」
「さよですか」
 士二郎が先きに歩きだしたので女衒もあとからついてきた。渡しの前の広場に、お中食としるした看板を出し、軒先きで名物の焼蛤を売る店がならんでいる。同じような店である。その一軒へ、十三郎はのっそりと入っていった。
「ゆるせよ、奥の座敷はあいているか」
座敷といっても帳場と壁ひと重に仕切られた四畳半の離室である。妙な三人つれはその奥座敷に通ると、すぐ女中に火鉢を運ばせた。
「さア、着物を乾かすがいい」
女は十三郎のいうとおり、だまって羽織をぬいだ。
「それから酒だ。ねえさん、蛤と、ほかに二三品見つくろってな」
女中が酒を運んでくると、士二郎はすぐ盃をとりあげた。
「おい、遠慮せずに飲め」
「さよですか、すみませんね、せっかくの旦那の思し召しだ、お前も遠慮なく頂戴するがいいぜ、-旦那、どうもすみません。どうも船に乗っているときから、きっぷのいい方だと睨んでいましたよ」
 女は、羽織の袖口を火の上にかざしていたが、さすがに濡れた着物の裾には手をふれようともしなかった。もじもじしている女を見ると士二郎は、
「こっちは飲んでいるから、遠慮なく乾かすがいいよ」
 一本二本と徳利の数がふえてゆくと、女衒は欄かれもしないのにぺらぺらとしゃべりたてた。女は士二郎の鑑定どおり、名古屋の場末の茶屋に働いていたのをこんど桑名の遊女屋に三年年期の三十両で売られてきたのである。
「どうだな、三十五両で、この女はおれが買おうじゃねえか」
「へつ?」
 ずばりといった士二郎の言葉に、女衒はきょとんと眼を瞠ったが、すぐ軽くうけながして、
「旦那、御冗談でしょう、縁起でもねえ、ひやかさねえで下さいよ」
「冗談じゃない、ほんとうだ」
「まさかね」
 ふっと横を向いて、
「酔狂にも程がありますよ」
「酔狂でもいいんだ、さア買った、おれが買ったよ、三十五両、うけとってくれ」
内ぶところに両手を突っこみ、胴巻の中で数えてだした小判三十五枚、ざらりと畳の上へつみあげた。
「いけませんよ、旦那、さア、三十五両といわれたって、そうばかりもゆかないんですよ」
「どうしてゆかねえんだ?」
「どうしてたって、大将、この女は、もう話がきまっているんですぜ、どうせ女郎に突きだされる女だ、旦那が買おうと請《う》けだそうとそいつは御勝手ですが、一度は先方へ玉を渡さなくっちゃね、第一、私の顔が立ちませんや」
「だから、その骨折賃が五両、ちゃんと加えてあるんだぞ、それで先方にうまく話の出来ねえなんて法があるか、文句はあるめえ」
「旦那、無理ですよ、そいつは」
中年の女衒は、いよいよ十三郎の存在に不安をかんじてきたらしい様子である。彼はもう、女中があたらしく運んできた料理に箸をつけようともしなかった。
「ねえ、旦那、かんべんしておくんなさいよ、ほんとにお見それ申しました、此処の勘定は私が払いますから勘弁しておくんなさいよ」
「おい」
 士二郎の顔が凄味をおびてきた。
「おれは兇状持ちだと思っているのか」
「ちがう、ちがう、私だって眼が見えねえわけじゃねえ、唯ね、はるばる七里の渡しをわたってきて、女は駄目でした、左様ならというわけにはゆきませんや」
「なア、おい」
 士二郎の左手は膝の横においた大刀をひきつけていた。
「疑うのも無理はねえが、おれだってれっきとした幕臣だ。それが、つくづく近頃の時世に愛想をつかして、ぶらぶら歩いているんだ、おれは幕臣だが江戸幕府には啖唾をひっかけて出てきたんだ、だからといって当世流行の勤王もまっぴらだ、金がなかったらお前さんを」
 あごを前へつきだした。
「本気でいっているんだぜ、おれは居合抜きの名人だ、お前さんをたたき斬って、女をつれだしてしまえばそれまでじゃねえか、ところがさ、ふところにはまだまとまった金が、ちゃんと残っていやがる、袖すり合うのも何かの縁じゃねえか、妙なはずみでこんな気持になってしまったんだ。気に入らねえかも知れねえが、その銭だけは早くしまってくれよ、こう口に出した以上は今からあと戻りするわけにもゆかねえ、誰が何と言おうと、おれは向う角の宿屋に泊っているからな、とにかく話だけはしてみろよ、かくかくで、こんな男に会ったといったってかまやしねえや、それで話がつかなかったら、おれのところへやって来い、どんな応対でもしてやるからな」
 無鉄砲な話の中にも、理義がひそんでいるような気もする。何しろ、わるいやつに会ったと思った方があきらめが早かった。
「さア、どうなるか知れねえが、旦那、ちょっと相手がまずいんでね、1しかし、こんな商売はしていてもお前さんのはなしが気に入らねえわけでもねえ、じゃあ、待っておくんなせえ」
 いくぶん酒の余勢もあったが女衒は一応、十三郎のいいなり放題になってやろうという気持になった様子である。
「じゃあ、ちょっとお待ち下さい」
 気さくな態度で、そそくさと出ていった。

     三

 七里の渡しが揖斐川《いびがわ》に変る河岸に四五軒、小さい商人宿がならんでいる。その出はずれにある粉屋という宿屋の二階で、士二郎は女といっしょに女衒の来るのを待っていた。こんなことは彼にとって生れてはじめてである。
 士二郎よりも、女の方は、あまりに意外な、事の成行きに気も顛倒してしまったらしい。売られる方は、とにかく筋みちがとおっているが、こんどは買われた自分がどうなるのか見当もつかぬ。彼女は士二郎の顔を見る勇気もなかった。部屋の片隅に小さくかたまったように坐っていた。
「おい、心配することはねえぜ、腹がへったろう、飯でも喰ったらどうだい」
「いいえ、もう」女は蚊の鳴くような声で答えた。まるで手のつけようもないので士二郎は手酌で、ちびりちびりやりだした。
「御めん下さい」
障子のぞとから太い声が聞えた。さっきの女衒ではない。返事も待たずに障子があいたのは勢いに乗じているかたちである。入ってきたのは三十五六の、色の浅黒い遊び人風の男だった。十三郎は、その男の顔を横眼でちらりと見たが、しかし返事はしなかった。手にした盃を下においたとき、
「あっしは当地の阿濃徳《あのうとく》の身うちで、下山の太吉というもんでござんすが」
「ほう」
 士二郎は膳の上においた盃に酒をつぎいれた。
「実は女衒の甚兵衛にたのまれて、まいったようなわけで」
「そうですかい、何の御用で」
「さっそくですが、いかがでしょう、銭はお返しいたしますから、ひとつ器用に玉をおわたしなすって下さるめえか」
 下山の太吉の話は情理がちゃんと備っている。どうしても玉は一度、約束の女郎屋に渡さなければ女衒としての立場がない。あとの話は女郎屋とお客の関係である。いかに銭を積んだからといって途中で横どりするというのは穏かでない。それを、どうしても渡さないとなると、いやでも阿濃徳が何とか口をきかなければならない始末になる。
「と申しちゃ失礼さんでござんすが、何も、わざわざ土地の顔役の顔をつぶすためにおいでなすったわけでもありますめえ、まア、無茶な横車は押さねえで、どうせ桑名は宿場なんですから、いい気持でゆっくりして下すったらどうかと思うんですがね」
 その男が、敷居際に、どっかりと胡坐をかくのを待って士二郎が口を切った。
「太吉さんとおっしゃったね、わかったよ、お前さんのいうことは、1だがね、理窟は理窟として、何とかいってもつまるところは金じゃあねえか、三十五両のところを五十両、五十両のところを七十両といったら文句はあるまい、おれは、手間、ひまのかかるのがいやだから、こういっているだけだ、何も言いがかりをつけているわけじゃねえ、だから銭が足りなけりゃ出すよ、甚丘ハ衛だか何だか知らねえが、その女衒にしたって、相手の女郎屋にしたって、一度わたしてから改めて請け出せのどうのと手間をかけることはいらねえや、土地の顔役の顔をつぶすなんて、そんな大ゲサな、1だからよ、銭はあるんだ、やろうじゃねえか」
「へえ」
 歯切れのいい士二郎の言葉に下山の太吉は、
「へえ」
 といったまま、おしだまってしまった。
「すると、一体どういうことになりますんで」
「銭をさ、いいかい、明日渡そうじゃねえか、三十五両は返さなくたっていい、あと五両ほしけりゃ五両、十両ほしけりゃ十両、そこで話があるんだ、太吉さん、今晩ひと晩お前さんとこの鉄火場でおれを客扱いにしてくれねえかよ、そこで、そりゃあ、いいなりに払うし、とらなけりゃ女を渡せばいいだろう」
 あくの抜けた士二郎の言葉は太吉に文句をつける余裕をあたえなかった。
「そうですかい、それじゃあ、御案内いたしましょう」
「よし、ゆこう」
古びた黒紋附の着流しに、朱鞘の大刀を片手に持った柏士二郎の姿は、場所が場所のせいでもあろう、見るからにイキのいい旗本くずれ。田舎には惜しい貫禄であった。



 その晩、阿濃徳の経営している伊勢屋の二階でひらかれた鉄火場では十三郎のやり方は水際立ってあざやかだった。彼は、ぽんぽんと立てつづけに十両ずつ張って、二一二度とられると、こんどは一ぺんに五十両、張った。それを瞬くうちに百両にして、その百両が二百両になると、そのうちから小判を三枚、ちゃりんと指ではじいて若い者の方へ、にやにやと笑いかけた。
「おもしろく遊ばせてもらったな」
 言い残しただけで、ついと座を立っていった。
「こりゃ大した代ものだぜ」
 つぎの間で、煙草をすいながら、じっと様子をうかがっていた阿濃徳は、煙管をぽんとはたいて立ちあがった。
 士二郎が宿に戻ると、女は仄かな行燈の灯かげの中に、じっと首をうなだれるようにして坐っていた。片隅に枕を二つならべた夜具が一つだけのべてあった。
「なんだ、まだ起きていたのか、早く寝りゃいいのに」
「でも、わたくし、これで」
「バカをいうねえ、おれは何にもしやしねえよ、安心して横になったらいい」
 十三郎は蒲団の方をちらっと見た。
「だがこれじゃ、ちょっとまずいかな、蒲団がひとつ足りねえや」
「いいえ、もし、わたくし寝ずに起きておりますから、どうぞ、おやすみなすって」
「何をいってるんだ、お通夜じゃあるまいし、夜どおし起きてなんかいられるものか、明日になったら通し駕籠で、お前の家までおくってやるからな、安心して寝るがいい、あの何とかいう、ーそうそう、甚兵衛か、あいつに払ってやる銭は、ちゃんとこの土地の賭博場からもらってきたよ」
 すると女は急に肩をふるわして泣きだした。
「おい、どうしたんだ」
「わたくし、帰るところがございません」
「何だって、おい、おやじやおふくろはいねえのか?」
「はい」
 女のはなしは嘘ではないらしい。ぽつりぽつり話しだしているうちに急にしんみりしてきた。女の名はゆう、1十二のときに、概溜の町で鑽職人をしていた父親に死なれ母親といっしょに父親の友だちをたよって熱田へ出てきたが、まもなく母親が、その父親の友だちといっしょになった。男は大工で、やもめ暮しをしていたのだから、最初から、そういう手順になっていたのかも知れない。十六の年に母親が死ぬと義父の態度が、がらりと変った。ゆうは転々と小料理屋に年期奉公に出され、とうとう今度は桑名の遊廓へ身を沈めることになってしまったのだ。ゆうには帰る家がない。義父のところへ帰るならまだしも桑名の遊女屋で苦労していたほうがいいというのである。
「何だい、そんなわけがあったのか、なるほどね、人間の世の中なんて、そんなものかも知れねえな」
 通し駕籠で送ってやるなぞといったことが急にばかばかしくなってきた。押しつけ親切で功徳《くどく》を施したような気持になっている自分が、みごとに背負い投げを喰ったようなかんじでもある。しかし、女の身の上ぱなしをきくと、不思議に気持がだんだん楽になってきた。
「いや、そうかい、ずいぶん、お前は可哀そうな女だなア、だが、まアいいさ、実をいえば、おれだって広い世間に帰る家なんかねえんだ」
 さっき、船の中で、ごろりと寝そべってぼんやり空を眺めていたときの、切ないような哀愁が、ふたたび士二郎の胸をかすめた。彼はこの女から離れがたい気持になってきたのである。
「よし、わかったよ、これからどうするか明日になってからだ、そんなことを今からくよくよしたって仕方がねえや。おれは一杯飲むからな、お前は風呂にでも入ってぐっすり寝るがいいや」気軽な調子で、ぽんぽんと手を鳴らした。あがってきた女中に、
「おい酒だ、1;二本運んでくれよ、それから、風呂があいていたら、こちらの娘さんを案内してやってくれよ」
無理矢理に、ゆうを障子のぞとに追いだしてしまってから、十三郎は酒を運んできた女中に、
「おい、おい、蒲団が足りねえよ、おれは女のにおいがすると、胸がむかむかして眠れねえタチだからな」
 士二郎は手酌でちびりちびりやりだした。何しろ、ふところの中には金がうなっているし、どこへ行ったって誰に遠慮するところもないと思うと、咸臨丸でアメリヵへ渡った旗本の仲間なんかうらやましくもなかった。
 二本の酒を、瞬くうちに飲んでしまうと、心の底にぽっかりと穴があいたような物足りなさが全身に沁みひろがってきた。蒲団を敷いてくれと頼んだ女中は、なかなか、あがって来なかった。
 ちらっと眼をそらすと壁にくっつけて敷いてある蒲団の上に女の箱枕と男枕のならんでおいてあるのが何とも佗しい気持だった。五六軒ならんでいる宿屋のどこかの部屋では惚れあった男女で、金につまって情死の相談でもしているようなやつがいるような気がする。どうせ、おれの持っているのはあぶく銭だと思うと、そいつの横っ面へ五六枚の小判をたたきつけてやりたいような気もした。
 そこへ、「すみませんでした」
 と、さっきと億まるで人が変ったような明るい顔をしたゆうが湯上りの頬をぽうっと火照《ほて》らして入ってきた。
「おい、やっぱり湯に入りゃ、さっぱりするだろう、1こうやっているうちに、おれもお前がだんだん好きになってきたよ」
 われながら、まずい台詞《せりふ》だと思いながら、しかし、もう一度女中を呼んで、蒲団のことで念を押す気持にもなれなかった。
「さア、もう、そろそろ寝ようぜ。思案のつかねえ話でもねえや」
 照れくさそうに、ハ、ハ、ハ、と笑いながら、士二郎はふっと行燈を吹き消した。



 柏士二郎に桑名にいろ、と本気になってすすめたのは阿濃徳である。
 そういう気になれないこともない。うやむやのうちに、士二郎は阿濃徳の客分みたいになってしまった。それも最初のうちは用心棒みたいな恰好で、二本ぶちこんでいた士二郎も、だんだん浪人風俗が身につかなくなってきた。
 半年経つか経たぬうちに、彼は、綺麗さっぱりと頭を奴髷になおした。「浪人富」という妙な名前で呼ばれるようになった。富というのは、いつでも景気がいいからである。遊廓街の裏小路で、おゆうと張った新世帯は十三郎にとっては至極楽しいものだった。一年あまりが、あっというまにすぎてしまった。
 旗本の昔が、まるで夢のようである。市井任侠の徒と変った浪人富の酒量はめきめきとあがってきた。
 もう桑名から四日市にかけて、阿濃徳の繩張り内で浪人富の声名を知らぬものはなかった。しかし、土地の古い顔役の中には彼に対して蔭口をきくやつもないわけではない。
 ある日の午後、仲間の寄合いがあって、伊勢屋の二階で飲んでいると、エイ、ホウ、エイ、ホウ、下に、下に、-と、東海道の要衝というべき桑名の町では珍らしくもない大名行列が通りかかった。見歩使《けんぶし》を二人先きに立て、それから挾箱が来る。槍が来る。
 十五万石、播州姫路、酒井|下野守《しもつけのかみ》の参覲交替の行列である。
「おう、うるせいから、廊下から覗くんじゃねえぞ」
 顔役のひとりが声をかけた。すると、猪ノ森の久吉という、十年前には大阪相撲で十両までとったことがあるという兄貴株の男が、
「おい富の兄い」
 と呼びかけた。
「お前さんの腕っぷしは金看板だが、まさか大名行列は止められめえ」
酔ったまぎれの冗談であるが、浪人富は、ふふんと鼻先きでせせら笑った。
「うん、そうよなア」
 片手で裾をつかんだと思うと、富はすぐ二階からおりていった。
 五六町はなれた大通りの街角で、大さわぎが起ったのはそれからまもなくである。いよいよ本陣に着こうというので、供奴が勇ましく黒羅紗の毛槍をふるってすすんできた眼の前へ、どこからとびだしたのか褌一貫の素っぱだか、隆々と筋骨のもりあがった男が両手をひろげて立ちふさがった。
「その行列、止めえ!」
 まったく咄嗟《とつさ》のあいだの出来事だった。毛槍を持った男が尻餅をつくと、あとにつづいた挾箱をかついだ男が、わけもわからずに逃げだした。二人の見歩使が、本陣について、行列の間隔が少しとぎれた瞬間の出来事である。
 行列はたちまち大混乱に陥った。途方もない出来事であるが、大名行列の前を突切っただけでも、数年前は斬捨御免が天下通行の法度になっていた。そんな命知らずのいる筈もないし、従って、こういう事件の起ることを予想するものもいなかった。
 片袖をはねた供頭が、
「しずまれい、しずまれい」
 とさけびながら人混みをわけて駈けつけてきたときにはたった今先きまで、行列の鼻先きに仁王立ちになっていた筈の裸の男の姿はもう影もかたちも見えなかった。
 浪人富が、すました顔をして伊勢屋の二階へあがってきた。彼は、だまって大|胡坐《あぐら》をかくと、すぐ酒を飲みだした。
 しかし、大名行列をとめたのが浪人富だという噂は、その日のうちに桑名の町じゅうにひろがっていた。
 名老中のほまれ高かった矢部駿河守が「泉州堺、勢州桑名は二大難治の土地なり」と彼の治政記録に書き残しているほどであるから、関ケ原以来ひと筋繩でゆかぬ住民たちが浪人富の所業を拍手喝采をもって迎えたことは当然であろう。その晩、本陣では供頭と刀番が切腹するのしないのと、どえらい騒ぎが持ちあがっていたが、しかし、これを公儀にもちだして大名の威信を明かにするという時代ではない。浪人富には何のお咎めもなく、酒井下野守の行列は何事もなかったかのように、あくる朝、早立ちの船で、騎馬十人、足軽八十人、仲間人足百人、この無気味な町をあとにして七里の渡しを渡っていった。



 一度この味をおぼえたら、もうやめられるものではない。このことがあってから、小大名の行列をとめるのはいつのまにか浪人富の癖になった。その場でつかまえられないかぎり、町じゅうのものが、みんなで庇うとい"つ習慣がついてしまったのである。
 浪人富はいつのまにか行列富と呼ばれるようになってしまった。
 大名が何だという下心もなかったわけではない。士二郎の「行列富」は物に憑《つ》かれたような気持になっていた。彼はもはや天下におそろしいものはなかった。得意絶頂になった彼は、自分で創案した文身《ほりもの》で下半身をうずめた。自雷也や坂田の金時ではない。夏の陽ざかりに肩をぬいで一杯やっているうちに、だんだん着物が下へ、ずれるにつれて背骨を中心に大名行列が、ゆるゆるとうかびあがってくる。見歩使、挾箱を先登に、長い行列は胴中を三巻き半巻いて、ちょうど臍のところに殿様の駕籠があり、それからだんだん下へさがって尻の上に雲助のかつぐ小荷駄がぬっとあらわれる。士二郎の行列富は滅多に肌をぬぐことはなかったが、ひと眼見たものは、ほんものの大名行列よりも威風凜々たる彼の身体の彫りものに呆然として見惚れてしまった。桑名の町では、たちまち大評判になった。
「ねえ、お前さん、後生だから、そんな無茶はやめて下さいよ」
 おゆうが、ある晩、真剣な表情をして彼の耳にささやいた。やめてくれというのは彫りもののことではなくて大名行列をとめることである。
 士二郎は、にやにや笑っていた。
「心配するねえ、相手の手が一尺伸びりゃ、こっちの身体は一尺一寸さがっているんだ、決してつかまることなんかねえや、それに、いくら酔っぱらったって生酔いの本性というじゃねえか、素っぱだかになることだけは忘れねえから安心するがいいや」
 士二郎の行列富は、商売柄でもあるが一日の大半は外をふらつき歩いている。留守をしているおゆうは淋しさをまぎらすために三味線の稽古をはじめた。案外、筋がいいらしく、これがまた、みるみるうちに上達してきた。
 あっちこっちと、ほっつき歩いて、家へ帰ってきた士二郎は、蛤の生酢で一杯やりながら、おゆうのひく三味線で昔、おぼえた小唄のひとくさりをうたうこともある。そんなときには遠くかすんだ記憶の底から、ちらちらと影を忍ばせてくる若い頃の生活が急になつかしくなることもあった。年増になったおゆうの身体は肉がひきしまって、前よりも、いっそうみずみずしい魅力にみちみちている。十三郎はこの生活に何の不服もなかった。そんのうじようい さばくかいこく
 三年間が夢のようにすぎていった。早くも文久二年である。尊皇擾夷派と佐幕開国派との闘争は日を追って深刻な様相を呈してきた。
 世の中の風潮は、俄かに殺気をおびて、どこへいっても血なまぐさい噂で持ちきりである。正月早々、宇都宮の浪士、大橋訥庵が捕縛されるとまもなく、同じ月の十五日には、井伊に代って台閣にのぼった安藤対馬守が坂下門外で勤王派の浪士に襲われた。四月には寺田屋騒動、六月に入ると、東禅寺、英国公使館の守衛長である松本藩士伊藤軍兵衛が英人二人を斬って自刃した。
 噂がつぎつぎと桑名の町へ流れこんでくるにつれて「行列富」の心中にも微妙な変化が生じてきた。昔の武士の生活がなつかしくなってきたのである。
 彼は、一人でぼんやり朝の海を眺めたり、黄昏れかかる伊吹の山が雲にとざされてゆくのを見つめて、ほっと溜息をつくことが多くなった。一度、自分勝手に捨てた両刀を、ふたたび帯びるというわけにもゆかぬが、風雲に乗じて次第にのさばりかえってくる薩、長、土の態度はわれ知らず全身に湧きたつような反抗に燃え立った。
「畜生め、1ここ二一二年、江戸で、しんぼうしていたら今頃は京都に行ってよ、尊王だか攘夷だか知らねえが、大きな面をしてのさばりかえっているやつ等を撫で斬りにしてやるんだったのに、ああ、田舎の小バクチ打ちじゃあ、まったくどうにもならねえや、なア、おい、おゆう、その半か打《ぷ》ちにゃあ誰がした、手前がすきでなったのよ」
 そんなことを口にして浴びるように酒を飲むのである。
「おい、官田」
 と、あるとき阿濃徳がいった。
「何ですい、親分」
「もう行列止めだけは思いとまった方がいいぜ、行列にだっていろいろあるからなア、それよりも、おれはお前に、そろそろ繩張《しま》を分けてやろうと思っているんだ、その下ごしらえに、しばらく桑名をはなれてみねえか?」
「親分、せっかくですが」
 行列富は、納得のゆかぬような顔をして唇をゆがめた。
「私は、繩張がほしかったり、立派な貸元になりたいと思って此処にいるんじゃありませんよ、ね、そうでしょう、あっしはこの桑名ってところが好きになっちまったんですよ、その手は桑名の焼き蛤」
士二郎は、へらへらと笑った。
「桑名の人間は、こすっからくて、ちょこちょこしていて勘定高くってーと、そりゃ、いろいろいいますよ、だけどさ、こすっからくねえ人間がいたらお眼にかかりてえ、ねえ、そうじゃありませんか、腹の底まで、ほんとうに勘定高くねえ人間がいたら一ぺんでいいからお眼にかかりたいと思っていますよ、それを桑名の人間は、ぽんと自分で割り切って、あけすけにやるだけのことですよ、その代りにゃ、こいつと思ったら親身も及ばねえ、とことんまで世話をしてくれますよ、役に立つうちはね、だが、それでいいんです、あたり前さ、だから、あっしは桑名が好きだ、親分、あっしゃ、お前さんが好きなんです、うちのおゆうが好きなくらいにね」
「おい、富、わかったよ、だが、おれは心配なんだ、大名止めだけはよしてくれよ、こう世間が騒々しくなってくると、行列も気が立ってくるからな」
「わかりましたよ」
「いいかい、くれぐれも注意しておくが薩摩だけは特によくねえ、決して手を出しちゃいけねえぜ」
 阿濃徳は、ぴたりと一本、釘をうちこんだ。



 四五日、炎天がつづいて、野も山も、街道筋もかさかさに乾いていた。
 その八月二十一日の午下り、江戸から帰国の行列を立てて東海道をのぼってきた島津久光の一,行は、相州生麦村で行列を横切った英人一名を斬り、二名を傷けて、生麦事変の噂は行列よりも早く桑名の町につたわっていた。
 薩摩の行列には気をつけろ、ーといった阿濃徳の警告は時を隔てずして実現したのである。東海道では、どの宿場でも、びくびくしているという噂である。異人を斬り捨てて、そのまま帰国の途をいそぐ薩摩の行列が躑旛な殺気にみちていたことだけは確かであった・
 その行列が七里の渡しから桑名にあがり、列を正して整々と進みはじめた。先行の見歩使の役は居合抜の名人といわれた中村半次郎(後の桐野利秋)と、井上進の二人が肩をならべて勤めていた。船着場から、およそ四五町も進んだと思う頃である。
 材木を立てかけてあった並具硝場のかげから、矢庭に行列の前面におどりだした男があった。
「その行列、止れい!」
 両手を左右にひろげて叫んだ。酒臭い息が陽ざかりの、どろんと濁った大気の中を、一間ほどの間をおいて、先きに立つ中村の鼻先きにぶうんと来た。
「こいつ、よいどれめが」
 半次郎が怒鳴った。
「退きおろう!」
 二一二歩前へ歩いたと思うと、その男の顎を目がけて前につきだした中村の握りこぶしが空にすべって、はずみを喰った半次郎はよろよろと前にのめった。
 とたんに、その男がニタリと笑った。間一髪である。半次郎の眼がするどく光ったと思うと、えいっーという、かけ声とともに風を切って流れた白刃は、烈日の下にすうっと血潮の尾をひいていた。眼にもとまらぬ早業である。その男の首が;二間、宙を切って飛んだと見るまに太い胴がずしんと地ひびきを立てて倒れた。乾き切った白い砂がどくどくとあふれる血を吸いあげてゆく。
「何としたか?」
「どぎゃんした」
 叫び声が入りみだれて、薩摩七十七万石の行列がぴたりと止まった。
 町じゅうは、たちまち大騒ぎになった。
「行列富」の柏士二郎が、とうとう薩摩の行列をとめたのである。急を聞いて阿濃徳が駈けつけてきたときには、行列はもう粛々とうごきだしていた。
 時代はおそろしい速さで変ってゆく。幕府が倒れて明治新政府になった。桑名の町にも十二年の歳月が流れ去っていた。明治六年。秋もようやく暮れにちかい十一月はじめのある日の夕方。
 騎馬で名古屋から木曽川を越えて桑名に入ってきた男がある。昔は本陣だったという大塚屋旅館の店先きに乗りつけると、その男は声高に叫んだ。
「こりゃ、誰れかおらぬか、馬の世話の出来るものはおらんか?」
 無造作に紺絣の着物を着ながし、白縮緬の帯をぐるぐる巻きにしたままで、どこから来たのか、ずいぶんひどいよごれ方だったが、態度には毅然《きぜん》とした落ちつきがあった。宿には、ちょうど丘ハ隊あがりで、馬の世話のできる若い衆がいたので、客はすぐ奥まった控えのついた座敷へ通された。入浴がすむと、すぐ馬を見廻り、手入れのことなぞを申しつけてから、若い衆に一円の酒代をくれた。帳場でも金の出しっぷりの派手なことにおどろいたが、客は番頭の持っていった宿帳には右肩のあがった字で、鹿児島県士族中井次郎、職業官員と書きつけた。
 それから酒を三本、茶碗でひと息に呷り、飯も大急ぎで喰べてしまうと、明日は早立ちにするからと、弁当の用意までこまごまと女中に言いつけた。
「じゃが、眠るにはまだ早いのう、話の出来る婆芸妓でもいたら呼んでくれぬか」
 おそろしく性急な男である。女中がさがるとまもなく、おとわという老妓が、
「今晩は」
 といって入ってきた。五十を過ぎているらしいが小柄なせいか、齢よりもずっと若く見える。客は盃をさしながらはなしかけた。
「おはん、土地もんか?」
「いいえ」
 おとわはすぐ首を振った。
「でも、ずいぶん古いんです、それに、もう死ぬまでこの土地をはなれまいときめております」
「そりゃ、また何故じゃい?」
「だって、亭主がここで死んだのですもの」
「ほう、亭主の菩提を弔うのか、そりゃ貞女じゃ、うん一杯ゆこう」
 客は、ひやかしている様子でもない。何か生一本な、ごつごつしたかんじだった。おとわも、とりつく島がないという思いで、
「旦那は薩摩の方ですね?」
「そうじゃ」
「では、桐野さんとおっしゃる方を御存じですか?」
「なに、桐野」
 客の眉がつりあがった。
「桐野というのは、あの」
「ほら、陸軍少将の、1このへんでも、みんな噂しておりますわ」
「うん、桐野か」
早口にいってから、大きくうなずいてみせた。
「桐野どんならよう知っとる、じゃが、何で、おはん、桐野のことをききよるのか?」
「わたしの亭主を斬りなすったのは、その桐野の旦那なんですよ」
「ううん」
と、沈痛な声で、客はおとわの顔をじっと見つめた。
「おはんの亭主はいったい何ものじゃ?」
「亭主はバクチ打ちでしたが、酔うと大名行列をとめるのが癖で」
 客の眼は異様な光りをおびてきた。
「その男、薩州の行列を止めよったのか?」
「はい、古いはなしでござんすが、立派に止めたそうです、そのかわり、その場で斬られました」
「そうか、その男の話なら故郷でも噂ばききおったぞ、うん、よう覚えとる」
 いや、これも話じゃが、と、客は慌てて自分の言葉をうち消した。
「身体じゅうが胆っ玉みたいな男じやったそうな、薩州のもんは、みんな舌を捲いておどろきおった」
「旦那」
 と、おとわがいった。
「桐野さんにお会いになることがございますか?」
「そら、会うこともあろう、何か用があるのか?」
「いいえ、唯、よろしく申上げていただきたいので」
 客は腕を組んで、しばらく考えこんでいたが、
「何で、おはん、桐野によろしくというのじゃ、1あのとき、おはんの亭主を斬ったのは桐野じゃろ、が、その桐野に」
「いいえ、もう、そんなこと、何とも思っておりません、うちのひとは何か無茶なことをして死にたかったのです、今だから申しますが、あのひとは昔、旗本だったのです」
「それが、どぎゃんして博徒になりおったのか?」
「さア、そこまではよく存じませんが、あの行列が来る前の晩、あのひとは、めずらしく家で、わたしを相手にゆっくり酒を飲み、いつ人に斬られて死ぬのかわからないのが渡世人だ、どうせ斬られるなら、やりたいだけのことをやって死にたいと申しておりました、そのときの、淋しそうな笑い顔をいまでもハッキリおぼえております」
「そうか」
 客は、急に坐りなおした。
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