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吉川英治・五島慶太対談「文学と事業」


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吉川 相変らずお元気のようで結構ですね。健康法としてはどのようなことをなさっておりますか。
五島 毎朝六時半に起きまして九時まで歩きます、多摩川ぶちを……。帰ってきて、樫の棒を百回振るのです。
吉川 そうですか。
五島 それから昼寝をするのです。
吉川 昼寝はいいですね。しかし、樫の棒を振るというのは長く続いておりますか。
五島 百回毎日振ります。そうでなければ手が弱ってくるし、また歩かないと足が弱る。われわれぐらいになると、歩く以外に健康法はありません。樫の棒は必ずしも振らなくてもいいかもしれないが、しかし、振ったほうがいいですな。
吉川 昼寝は……これは久原さんがそうです。昼寝自慢みたい。
五島 昼寝自慢と熊胆《くまのい》を飲むことです。私も教わって熊胆を毎日飲んだ。あれを飲みますと、まず第一に澱粉の消化を助ける。だから胆汁が多少少くてもいい。肝臓及び胆嚢の弱ったのを助ける。また肝嚢と胆汁に大きな負担をかけないですむ。腎臓というやつは心臓と同じです。心臓はきれいな血の循環、腎臓は血を清める。心臓、腎臓がなければ人間はすぐ死んじゃう。心臓、腎臓さえ強くしておけばいくらでも生きるわけです。
吉川 ぼくらも運動不足になるのがいちばんいけない。頭は何といいますか、輪転機のように動いて、からだはちっとも動かさない。ですから長いこと仕事を夢中にやっておって、気がついて、こうやって脈をみると、ずっと坐っているのですが、マラソンをしたようにドキドキしている。われわれは妙な使い方をしやすいのです。近年は少しゴルフを始めました。おっしゃる通り歩くことが……。
五島 あれは目的がある散歩ですからな。
吉川 それと、たまたま蒸し風呂に入る。頭から水をかぶっているのです。めちゃだというのですがね。これはまた爽快です。
司会 水をかぶるのは血液の循環にいいようです。
吉川 慣れないとできないです。
五島 いまお住居は松濤《しようとう》……?
吉川 松濤に借りているのです。赤坂の昔おりましたところにちょっと建てかけております。それができるまで松濤におります。渋谷の住人になったものですから、よく渋谷を……。
五島 吉野のほうはあのままですか。
吉川 あのままです。戦争中、百姓がやたらに麦畑にするので、梅の木を切ったりしちゃうのですよ。そんなのを薪代みたいに買って、家の囲りに植えていた。いまや家の囲りがいちばんきれいなんです。そこへ観光バスが降ろすらしいです。
五島 名所旧蹟になった。(笑)
吉川 この富士(五島邸の応接間にかけられた絵を指しながら)は大観さんP
五島 大観でないのです。古径でして珍しくこんなものがあったのです。こんな大きなものは古径には珍しい。
吉川 古径にすると本当に珍しい。大観氏もだいぶこの頃はあれでございしょうが、去年、おととしあたりは、まだ朝二時間か三時間くらいは絵筆をとっていたそうです、えらいですな。(この対談があって旬日後、大観氏は亡くなられた)
五島 全く気力ですな。
吉川 おととしですか。大観の画業五十年記念を朝日新聞でやりました。あのときにぼくとテレビをとってくれと放送局で頼まれましてね。「大観氏はどうなんだ」二ぺんやっておこう……L「それじゃやりましょうか」で、時間を約束しまして、午前中ー十時半ごろでしたか、そのころはテレビが珍しくてね。そうすると"酔心"という酒屋の主人が……。
五島 矢野……。
吉川 それが土瓶に酒を入れておいた。テレビをやっているうちに、ぼくは番茶と思って、これを飲んだら"酔心"です。(笑)これを飲みながらすっかりぼくのほうが酔っちゃいましてね。大観氏も御気嫌なんです。藪うぐいすが鳴きまして、それが録音に入ったのです。これは美術学校と博物館にコッピーして残っております。
五島 戦争中、酒は輸送は一切禁制でした。ところが大観氏は、どうしても飲まなければ生きていられないというのです。それで矢野氏が、運輸大臣用として私のところに送ったそのうちの何本かを届けた。始終送りました。
(大観の絵を床に掛ける)これは古いのです。これは珍しい。おもしろいと思って手に入れておきました。海、山十題と同じです。
吉川 二十年くらい前になりますか。
五島 十六、七年です。戦争の末期です。
吉川 なるほど大観氏の特長がよく出ております。
五島 向うから陽の出るところです。その岩の向のとこっちと波がまるで違っているですな。大観の面目躍如としております。
吉川 ちょっとああいう日本画家は……。
五島 ございません。
吉川 ちょっと古武士みたいな風がありまして、大体日本画というものがこのごろあやしくなりましたね。
五島 洋画と区別ができない。日本画プロパーのものはありません、みんな洋画に近いもので……。
吉川 何か日本画が自分を失っちゃって、実際嘆かわしいことと思うのです。すっかり洋画にのっとられちゃいましたね。
司会 会長は吉川先生の書かれた本は大がいお読みなられたようですが……。
五島 私は大がい読んだつもりです。"新書太閤記""梅里先生行状記""黒田如水""宮本武蔵"……そして"新・平家"に至っては二度か三度、"太閣記"も三度ぐらいは読んでいる。
吉川 それはどうも……。
五島 吉川さん、いまの人はどうでしょう。戦後の教育を受けた人は、あなたの"新・平家"でも"宮本武蔵"でも、あるいは"黒田如水"でも、ああいうのを読んでわかりましょうか.
吉川 わかりますね。
五島 やはりわかりますかね。
吉川 ですから、"宮本武蔵"なんか書いてから二十年くらい……もちろん「太閤記」もそうですが、まだ読まれていると見えて、いつまでもいつまでも始終出ているのですね。どっかで読んでくれている。おっしゃるようにだれかわかってくれる。それが最大の報《むく》われですね。よく人に会ったりしますね。「自分は実は事業のあれでこうなったとき、どうしようと思っていたのだけれども、"武蔵"を見て卒然と気をとり直した」とかそういう話を聞きます。
 それから若い人にも読まれておりますね。いまの世相とか、あるいは学校教育ですとか、いろいろな表面の現象を見ますと、とてもおっしゃる通り私の書くようなものは届かないのじゃないか、おそれてしまうのじゃないか、と思われるのですがそうでもないのですね。たとえば、学校の生徒から特殊のアンケートをとります。そうすると、依然として"武蔵" "太閤記"、ああいうものはトップに近いところに出てくるのです。ああ、読んでいるのかなあと思う。というのは、あれが全然昔の講談みたいなものではない、そうかといって歴史のような固いもののままではない。多少ぼくが自分のこの年まで通ってきた人生観なり、自分の苦労というほどのこともありませんが、体験などを匂わして、小説として書いている。それが通ずるのじゃないかと思います。
五島 そうかもしれないな。つまり、富士山でいうと、八合目から上を見る。八合目以下はよくわからないが、そういう層がちゃんとあるに相違ない。八合目以下がなければ富士山はない。日本国民というものは八合目以下には何か外で見えないような精神がつもっているに相違ない。
吉川 だから、ジャーナリストというのは、非常にものを敏感に汲みとるようでいて、案外、上澄《うわず》みのみとって底のものを見逃しちゃう。
 たとえば、銀座にしても、あすこらにごろごろしている女というのは、どうもと思ったりするのです。がそうではありませんね。あれはフラッパーでウイスキーなんかがぶがぶ飲んで酔っぱらっているのですが、ほんとうに洗ってみると、働いていて、実はうちにおとっつあんがいる、弟を学校に通わしている、といったのが相当いるんですね。
 ぼくは感心したことがあります。これはちょっと前なんですが、"サロン春"というのがありまして、そこにフラッパーで、またおかしいやつがいたのです、酔っぱらいで……。あるとき、看板近く外へ出ますと、小雨が降っているのです。これは降っていると思って、ぼくも車を拾おうと辻に立っていた。終ったものですから、"サロン春"の女たちがみんな帰ってくる。そうすると、こっちのほうから、紺絣を着た中学生みたいな子が傘をかざして「姉ちゃん、姉ちゃん」と呼んで、そうして番傘をさして、二人よりそうようにして小雨降る深夜の街路へ消えていった。あれが酔っぱらってあんなことを言った女かと、感心したことがあります。だから決して表面だけを見たのじゃわからない、その世相が……。むしろ間違いやすいのです。
五島 女性で吉川さんの書いたものを愛読しているというのはおりますか。
吉川 自分の口から言うのもおかしいのですが、"新・平家"の場合は非常に女の読者が多い。おかしいですよ。あんな長いもの、ぼくのは多少むずかしいところもありますが、それを読むかなあと思うが、女の人も読んでおります。
 毎日新聞で、年一回全国的に読者からとって十位まできめております。しかしその場合でも、「武蔵」「太閤記」などは、しばしば男性の側では一位になる。女性の側では、十位のうちで八番目か七番目になったのが二、三年ありました。しかし、女性の場合はやはり、数から言えばその年のベストセラーというものですね。読者の選択なんかも、自分で選択するというより、なんか囲りの流行的なものにとっつきやすいですね、女性は。ですから、ベストセラーの数の売れるのは、女性が買うのが七十パーセントかもしれません。たとえば原田康子の"挽歌"ですか、自分も買わないと悪いように買いますね。(笑)
 いまは女の人の生活といい考え方といい、非常にゆれているときですね。一つの過渡期ですね。まだ本当の落ちつきを得ていないですね。それを女の化粧でたとえていいますと、女というものほど流行に敏感なものはないですね。これはコレットのなんだ、これはなんだというようなものがありますが、白粉であれ、ルージュであれ、立ちどころにみんな自分の顔につける、あたまからくっつけたがる、だからはなはとっ拍子のないものができ上ります。ですけれども、だんだん自分でおのずから調和をもって、いつの間にか、やはり日本の女の顔だというメークアップを作っていくのですね。それと同じで一つの揺籃期なんです。
 しかし、どうかして、日本の女というのは……ぼくは実に日本に生れて、日本の女がよかったと思うのは、これは一つの生れ甲斐ですか、五島さんもそう思うでしょう、奥さんをごらんになってもそう思うと思う。(笑)生れ甲斐だと思う。これが変テコレンのものにならず、日本らしくいい女であってほしい。日本らしいというのは何も古い形でなくてもいいのです。
五島 そうですね。
吉川 丁度正月に女の人が春という感じで寛いで日本髪を結いたくなる。心のどこかにやはり日本の女には日本の女らしさというものを吸収しておりますね。
五島 そうですかな。
吉川 やはりぼくはこの風土とこの国柄というか、そういう中で男は本質的にはそういうものが好きじゃないのですか。この間、座談会で石原裕次郎が  いま人気では上にいるのでしょうー撮影所の女なんか一人もほしくない、やはり日本の女らしいのが好きだということを、もっとほうり出した言葉で言っておりました。
 ぼくがおかしいと思うのは、自分の作品のことを言うようですが"宮本武蔵"ではいろいろな女が出てきます。あの中で、二つの女のタイプーお通《つう》と朱実《あけみ》、二つの代表的なタイプをあの中でおいてみているわけなんですが、よく何か酒場で酒を飲んだりしているのを聞いてみると、朱実が好きだという女性は少いですね。
五島 そうかな。
吉川 「お前は朱実そっくりだ」というと怒ります。(笑)そこのところが甚だ……。
五島 そうですかな。ふつうの女は朱実のような気がしますが……。(笑)そうですか、お通がやはり……。そうかもしれないな。
吉川 男女の恋愛的なことでも、とんでもないことをやるように、よくニュースの上やジャーナリストの話は浮いて出るのですけれども、やはりそこはかとなくやっている恋愛なんかは、みんな日本人らしいのじゃないですか。ただこのごろは一つの事件が出ますと、マスコミというか、大きく映りますからね。底流に日本人らしさがあるというと、私のあまりに古い、またあまりに楽観かもしれませんけれども、そんな気がするのです。
五島 お通と朱実を比較すれば、お通は耶蘇教の宣教師のような風格だ、それは禅坊主のような感じがするですよ。朱実はどっかの日本の芸者ーi芸者じゃ少し悪いが、それに近いようなもので、深みがない、重みがない。
吉川 そうですな。だからああいうのは嫌いなんです。だからそこのところがおかしい。
五島 人間、向上心がみんなあるのだから、深みのあるやつのほうが好きなんでしょう。
吉川 そうでしょうね。日本人は、だれかが何かしても、端的にアメリカ人みたいじゃ満足しない。余韻《よいん》とか味とかーこれは庶民の中でも知っているのですよ。
司会 先生は人間的にも非常な御苦労を重ねてこられたことを伺っているのですが、そういった御体験から人生観といったものを……。
吉川 あまり苦労なんかしていない。よく人が「吉川さん、大へん御苦労なさって」とおっしゃるのですが、ぼくはそんなに思っていないのです。むしろこう思っているのです。人間はだれでもいちばん苦労したと思いやすい。私ほど苦労したものはないーという思いを銘々が持つ。まだまだ苦労している人はたくさんあると思うのです。
五島 吉川さんなんかがお書きになっていることは道楽で(笑)、自分がおもしろくなければ書けない。
吉川 おっしゃる通り。
五島 書いているのは何よりおもしろいに相違ないのだ。そうでなければあんなものは書けはしません。
吉川 そうです。要するに業《ごう》です。五島さんでもそうですね。もう、何にもしないで、何のわずらいもなくて暮せるわけです。ところが、おもしろいのですね。それからそれへといろいろな着想が湧き、構想が湧き、希望に希塁を持って事業を推進されていく―一種の業です。
五島 業です。道楽です。
吉川 業すなわち道楽です。
五島 これがなければ生きていられないようなものです。
吉川 お前はそれだけのことをやってこい,iとどっかで言っておられるわけです。ぼくもそう思っております。この年でも、どうしても、書き上げる最後の夜なんか徹夜になります。寒夜にひとりで、冷い指で、溜息をつきながらとつこうつしている。考えてみると、今ごろ、だれも起ぎていない、おれはどうして起きていなければならないかと思う。しかし、それはおもしろいのです。ぼくは一言にして五島さんに看破されたようなものです。それは原稿を取る者はいろいろ言いますが、実は自分自身がおもしろいやむにやまれない。
司会 先生の文学の着想と申しましょうか、ああいった歴史物を作られるチャンスはどういうところから……?
吉川 これはどういうところといっても、中篇とか短篇ですと、何かいわゆるヒントみたいなものがあって、これはおもしろい、一つ書こうというようなことになるのですけれども、ぼくは大体、長篇が多いのです。ですから、戦国時代は秀吉を書き、"新・平家"は藤原末期、鎌倉時代の初期、こんど毎日に"私本太平記"、そうすると、ほぼ時代がつながってくるのです。自分がいくつまで生きているかわかりませんけれども、そういう日本の長い歴史というものですね、これをだんだんと綴っていこうと思っているのです。
 たとえばここに、五島さんと吉川というものがいるでしょう。この血を上に遡っていけば、日本の上代までいくわけです。この血は断絶したことがないのだから……。人間の肉体の中で断絶したことがないから上代までつながっているわけです。上代に今日の五島慶太という種を残した人間が明かにいたわけです。吉川という何かがいるわけです。そういう祖先があります、平易にいえば……。この国の歴史というものをだんだんとこつこつと、あなたを書き、こなたを書き、一貫したあれを書いていきたいと思います。
五島 "私本太平記"、ああいうものがありますか。
吉川 従来はだれかの"吉野朝物語"というのと何かがあったのですが、大体はあの時分はこわがって手をつけなかった。ひょっと書き間違えたら学者が馘でした。立ちどころにえらい目に遭っちゃいます。
五島 すぐ憲兵に引っぱられちゃう。"私本太平記"(毎日新聞連載)は吉川さん初めてお書きになるのですか。
吉川 初めてです。で、正成、後醍醐天皇、足利尊氏というものは  自分のところの子供は、慶応大学に行っているのと成蹊の高校生と女子大学の附属高校へ行っているのと、こういるのですが、ちょっと聞いてみると、どういうわけか三人とも知らない。それで愕然《がくぜん》としたのです。
 それからこんどはそれを知っているほうは、尊氏は逆賊一本槍です。正成といえば徹頭徹尾、神さまということになっちゃう。それ以外は混沌としているのです。ところが六、七十年にわたる南北朝のころは、あすごは日本の歴史の胴中です。ジャングルみたいにだれにもわかっていない。学者の書いたものはどうかというと、従来は、おっしゃる通りちょっと書き違えれば憲兵に引っぱられちゃう。こわがって型のものしか踏襲して書いていない。これをこころみるのはジャングルに入っていくようなもので、はなはだキミが悪くて冒険なんですが、ぼくはいま多少健康がありますから、自分の健康のあるときにいちばん至難な時代を書いておかなければと、こんどは腰をすえて書きにかかったのです。もとより都合の悪い資料は湮滅されております。多くの想像がたくさん入っているわけですが、やはり相当厄介な仕事です。五島 尊氏の経文というものがあってあれは戦争前でしたか、国宝に指定したのですが、それがために、時の文部大臣はだれだったか、えらく議会で問題になりました。それを商工大臣の中島久万吉君がちょっと弁護した、尊氏を弁護した。それで責任を負うて閣外に放り出された。そのあとで松本蒸治君が商工大臣になりましたが、そんなことになりました。
吉川 尊氏は気の毒ですね。実際、朝廷に抵抗したことは事実なんですけれども、あんなに数百年の後まで、墓石まで荒らされる、どうもやはり日本人というものは非常に偏しますからね。逆賊なら逆賊にきめすぎちゃう。よく洗ってみると、おもしろいところもあるのですね。
 尊氏は地蔵菩薩が信仰なんです。これはお母さんから言われたのか、生涯、地蔵菩薩を信仰した。だから晩年の尊氏が自筆の日課地蔵という地蔵の絵などもあります。
 地蔵菩薩を調べると、ちょっとおもしろいのです。地蔵菩薩というのは両面のつまり一仏二体なんですね。一面は不動一面は地蔵なんですね。あの不動のこわい姿、それと地蔵、そういうものを生涯の信仰としている、おもしろい。人間となればおもしろい。
五島 私が、いちばん吉川さんに感謝することは"新書太閣記"によって、非常に秀吉の旺盛なる事業欲を見て、秀吉にかぶれたわけですが、秀吉のやったことがおもしろかったし、こっちもやってみたいような気がして、だんだん秀吉のようなことをー片端から一城々々を片づけてきて、今日のようなことになったということですね。
吉川 五島さんは秀吉をお好きとおっしゃったけれども、たしかに秀吉的ですね。
 ぼくは秀吉という人間は書きましたがつまり、自分が秀吉が好きなんです。これのどういうところが好きだと聞かれると困るのです。あの何となく明るい、いわゆる夢たっぷりなんですね。これはいいですね。
五島 陽気ですわね。暗い面がちっともない。
吉川 そうですな。それでいて、秀吉の少年期から青年期を洗ってみると、どこを見ても、生い立ちから、暮しから、周囲の環境から、時代の要件から、まるで不良少年ができるようにできております。明るい環境は何にもないのです。そういう中に育ってきながら、ちっともひがみというものがないですね。すくすくとあの個性が伸びていって、何んら暗い影を持たない。
五島 それだから政治の悪いことを言う余地がない。
吉川 もっとも感心するのは、あの時分は戦国時代ですから、戦争ものべつあったわけです。"信長が攻めた跡は草木も枯れる"というのです。叡山であろうとどこであろうと、草木も枯れるほど徹底的にやる。ところが秀吉の陣を結んでいくところは、すぐ市(いち)が立っていく。これがぼくの秀吉が好きなところです。
 あの人にはおのずからの天性、人がよくて、そこに市が立ってともに生活し、働くという天性が何かあるのですね。これは何ともいえないものですね。
五島 そうですね。大体そういうことだな。
吉川 そうだから、あの大きな事業ができてくるのですな。人がわっしょわっしょと一緒に作っていくのですね。
五島 そうですな。秀吉が攻めてもすぐ市ができるということが彼が大をなすゆえんだ。信長は反対だ。草木も棺れるから、中途にしてあんな不幸になった。
司会 そういう問題と結びつけて、会長の事業観ですね。それをちょっとお話しを願いたいと思うのですが。
五島 事業観ー事業というものは秀吉の事業と同じようなものだよ。さっき言ったように、いまぼくのやっているというものは、"太閤記"を読んで、"太閤記"の真似をしているようなものだ。(笑)
吉川 ぼくは、五島さんを前において言うのもおかしいけれども、あなたに対して同じようなことを感ずるのです。たとえば、デパートならデパートをやると、ああいうふうに……。その他、私どもにはわからないけれども、あらゆる大きな事業に手を打っていかれるでしょう。これには都合の悪い人もたくさんいるから、おのずから敵も生じたり、おのずから悪口も出たり、風当りも強かったりするでし."うけれども、日が経って、あなたの仕事を見ると、結果を見て、おのずから黙ってしまう。おのずから一緒に働くようになってくるのは、それはどっか秀吉的なものがあります。
五島 いまおっしゃる通り、やはり攻めた跡に直ちに市ができるようなふうでなければダメです。
吉川 そこを生かしてやらなければ……。
五島 事業をのっとって、それを殺してしまうことをやったらダメです。だから過去を見て悪口を言うのです。百いくつかの会社をのっとったとか、"強盗慶太"とか言うけれども、(笑)過去を見ると、のっとられた人は決してそう不満に思っていない。
吉川 不満に思っていたら信長みたいに本能寺になる。なにか身を固めて用心しないわけにいかない。そうでない、ともに働いて市の立つ雰囲気ができてくるところは、現代に移して何か事業性の上に五島さん的な特殊の味があるのでしょう。五島 私はいま、毎朝五時に眼が覚めるというと、すぐラジオをかける。人生読本を必ず聞いております。いま立教大学の仏教の先生の西なんという人の浬槃《ねはん》の講義を聞いております。浬槃はどういうことかというと、"私"のないこと、無我になって、社会とあるいは大我に徹底する。自分というものはない。全社会と一つになることが、すなわち涅槃だというのです。涅槃というものはあながち死じゃない。大我に徹する、社会と自分が全然同一になることだ。死んでしまうと社会、宇宙と一緒になっちまう。ごく通俗にいえば、自分の住んでいる社会と同じになることが涅槃だ。究極としていえば、宇宙の土や灰となることだ。その意味においては同じだ。そういうふうにならないと、健康も維持できない、事業も必ず成功しないということを聞いたのです。全くその通りだと思いますね。
吉川 そうですか、それはぼくも涅槃の講義を伺って、ちょっと眼が開く気がしますのは、ぼくらが原稿紙に向って仕事をしているのも、これも涅槃になったときがほんとうにいいものが書けますね。つまり、文学者というのは、従来は大学を出て、書斎で、自分の持っている限界のある知識をもって、民衆になんか与えるのだ、読者はおれについてくるのだ、高いところからそういう気持で書いているという態度が多かったのです。自分はそれでは、たくさんな、教育の程度のまちまちのものにどうだろう、たくさんの庶民に対してどうだろう。で、いま話を聞いて思いあたるのですが、つまり、大衆の中に自分の机を持っていくという気持なんです。一段降りて大衆の中に机を持っていく。ほんとうに自分も群衆のひとりみたいになって書く、これが何んかいちばんアッピールするような気がしますね。
 ですから、私の書いたものに何か教えられるところがあったとかいうのは、これは表現が間違っているので、決して人に教えるという気持で書いたことはないのです。ただその人間のだれの中にも持っているけれども、自分で気がつかないものがある。それに呼び水をかけていく、と、何んか古い歴史の物語を読んでいて読者自体のものが呼び水で呼び出されるというあれですね。それはやはり涅槃の業に近いものがある。涅槃はなるほどそういう積極的な大きな考え方……なるほどおもしろかった。
 早朝にそういうのを聞いていらっしゃるのですな。だからいくつになっても育っていらっしゃるのですな。五島さんは……。(笑)そうです、育っております。
 人間は年をとると育たなくなるらしい。あれは嫌いなんです。自分が至らないくせにぜいたくを言っているのですが、育たない人と話していると、五分間話していると倦きちゃう。ぼくは人というものは何歳になっても育つものだと思います。五島 しかし、だんだん年をとってくると夢が少くなりますな。エジソンがあれだけのいくつかの大発明をした。何によってヒントを得たかということです。自分のラボラトリーの中に、若い少年……学生ですか、学校を出たばかりの幾人かをおく。それがエジソンに対して、パリの芝居をいながら見る方法がありませんか、pンドンと話ができないでしょうか、世界を一日か二日で回ってみたいが、そういう方法がありませんかということを言う。それをノートに書いておいて、それをとにかく実現することに努めたものが、マイクロウェーブであり、テレビであり、映画であり、ラジオである。こういうのですね。やはり自分から研究するほか、そのヒントを得ることに多少努力するということがなければ、夢は出てこないですな。
吉川 そうですね。
五島 しかし、だんだん年をとると、社会に出ないで家にばかり引っ込んでいるし、従って夢を描くヒントがなかなか出てこないのです。
吉川 ですから五島さんの囲りには常にフレッシュな若い人たちが必要ですな。
五島 それが始終きて話してくれるというより、話にくるのでなく、何か頼みにくるのです。(笑)その頼む中にこっちが得るヒントがある。
吉川 なるほど。
五島 毎日十人か十五人かいろいろなことを頼みにくる。それから大体知識を得るのですが……外にあまり出ないものですから、それからヒントを得る以外に方法はないのですがね。やはり人に接することが必要ですな。
吉川 五島さんは長く世間の巷を歩いて、いまは夢のヒントをつかむあれがなくなったというのですが、そういう夢のありそうな若いのと何かとお遊びになる。そうしてあなたのいわゆる創造力と造型力ですか、一致していくようになったら理想的ですな。
五島 そういうように努めて、若い人間に会うことを考えているのですが、このヒントを得てエジソンのようにそれを実現することは、若い人よりはこちらのほうが実現する方法は知っているですわ。経験でわかるのです、考えつくのです。それだから人も相談にくるようなものだろうと思うのです。
吉川 その点は芸術家は自分で夢を持ち、自分で立ちどころに実行しますからやりいいですな。
五島 その夢をあなたの場合なら、たくさんの著書によって画かれる。
 最近、日本国民というものに、政治家でも実業家でも何でもそうですが、夢を持っている人が少い。
吉川 それはおっしゃる通りですな。
五島 やはり夢を持っている人は深く見えるのです。重み、貫禄があるのですな。夢のない人間は実に薄っぺらで、さっきのお通と朱実みたいなもので、朱実は夢を持っていない。お通は夢を持っている。そういう感じがしますがな。将来やはり夢を持った国民でなければ、私は滅びると思う。えらくならないと思う。
吉川 そうですな、いまの青年なんかを見ましても、なにもいまの青年がアルバイトして、金に乏しくて、生活が楽でない、スカンピン、というのを見ても、少しも同情もしませんし、気の毒とも思いません。なぜならば、自分もそういう中を通ってきた。しかもそういう時代が愉快だったのですからね。
 どうしてぼくらの青年時代は愉快かというと、おっしゃる通りに夢があった。その時分の阪井久良岐という人の川柳ですが、「今にみろ、みうと歩く永田町」(笑)よくわれわれの青年時代の気持を現わしている。「今にみろ、みうと歩く永田町」……ところがいまの青年にはそれがないから、その点は同情にたえないし、全く気の毒ですね。
五島 だからその日その日が辛いに違いない。そういう夢を持っておればつまらなくない、愉快だ。その実現に向って一歩でも進んでいるということが愉快なんだね。
吉川 青年たちが数名いる中で、この話がよく出るのですよ。青年たちの言うのは軌を一にしております。ということは、それは政治が悪いのだ、こうくる。つまり、社会あるいは政治のほうに転嫁していくのですよ。これも違っているのです。いつの時代でも、石垣に穴があっても入る隙がない、上の壁は……。どっちを見てもがっちり社会ができていて、城乗り一番の功名を立てさせないように、できているのです。
 しかし、いつの時代でも夢を持つ者は持っておりますね。
 それから夢は人から与えられるものでなくて、やはり自分で醸して自分で夢を見なければ……。その点がちょっと情けないのです。
司会 最近は終戦後の混乱からだいぶ立直っているのじゃないですか。やはり終戦直後の飲まず食わずの頃には、夢をもてといっても仲々無理だったとは思いますが……。
吉川 そんなことを云えば、ぼくらは青年時代、全く食うや食わずの生活の連続だったのですが、どうしてあんなに呑気に……始終愉快でした。何か漠としていたが、夢があった。
 今の青年は非常に賢いし、現実的です。ですがその反面に、あまりにものの考え方がドライですから、夢というのが持てないのですね。
 あなた方(司会者など)は始終そばにいるのでしょうが、いつまでも夢を持ち、常に育っていられる五島さんは現代の秀吉ですよ。
司会 私ども、ついていくのに息が切れます。
吉川 それはとてもとても……。カントに言わせると、生殖の根元は女性、事業・創造力の根元が男性、それが人類の長い歴史で両方まポ、cりあってくるのです。ですからお互いに現代人には、M何パーセント、W何パーセント、これが普通になってきているのです。五島さんは典型的な男性です。実際、ついていこうとしたら息が切れるでしょう。
司会 ちょうど、山にかけ上っているようなものです。(笑)
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