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吉川英治・佐藤春夫対談「「太平記」縦横談」


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佐藤 吉川君、実は僕は中学三年ぐらいの時に中学生らしい読み方で読んだきりその後読まないから、とても君のおつきあいできないので、今日は君に主役になってもらって、僕がワキをつとめたいんだから、そのつもりでよろしく。
吉川 主役になれるかどうかわかりませんが、雑淡しましょう。
佐藤 僕は吉川君が、「平家」のあとに「太平記」を書いておられるが、それを「平家」に続いて書く気になった気持を聞きたいと思っている。僕はかってに憶測して、「平家」は平家琵琶があり、「太平記」には太平記読みがあって、国民にもっとも親しまれた国民文学というようなものだから、二つを同じような意向でつづけて雷く気になったのかなあと解釈しているんだけれど、それでまちがえありませんか。
吉川 だいたいそうです、「新・平家」が終わりましたものの、もっと実朝を、それから鎌倉幕府の将来というような点まで書いたらどうかとすすめられたのです。実は藤原定家の「明月記」などを一つの主題にすえますと、実朝からかなり鎌倉時代というものがずっととおして書けますから、それをと思って、自分で気持のうえで仕度していたんですけれども、ちょっとなかなか仕度にまだ時間がかかるんでしてね。「新・平家」の次に書くのが毎日新聞となったもんですから、その期間をとばして、おっしゃるとおりにですね、国民文学の古典の二大支柱みたいな「太平記」を書いた。そしてあとまた将来長いおりがあったら、「明月記」でもいじってみようと思っています。
佐藤 鎌倉時代はおもしろいけど、ちょっと話題が渋すぎるね。
吉川 そうなんです。佐藤 新聞小説にはなりにくいかと思う。
吉川 ええ、ならないですね。純文学的にあつかえばあつかえるんでし,小うが、私たちの書くものには無理なんですね。
佐藤 ちょっと面倒でしょうね。
吉川 「平家」は少年時代から青年期にかけても数度読んだんですがね。「太平記」は考えてみましたら、やっぱり全巻読んでおりませんね。真中ぐらいまでしか、やっぱり若い時分は読んでなかった。だいたい、語り物の文学にしても、どうも「平家」のほうが読みやすいですね。
佐藤 よみやすいですね。「太平記」のほうは漢文が不消化に入ってますね。
吉川 そうそう。ちょっとまだ和漢混清が消化しきれないような文体です。それでついむつかしかったんでしょうね。僕らも。
佐藤 むつかしかったでしょうね。あれは読みにくく訳しにくい文章でしょう。
吉川 ほんとうに、訳しにくい文章ですね。
佐藤 僕はむかし読んだ時でもやっばり「平家」のほうがおもしろかった。僕が「太平記」を読む気になったのはね、明治天皇御愛読の書だというので、僕は明治天皇は今でもそうだけどむかしから崇拝なんでね、それで明治天皇というお方を知るために「太平記」を読む気になった。「太平記」では、若い人が活動している。そういう意味で明治維新に似ているんですね。きっとご自分たちの御事業を思い出されたのだろうと思うね、明治天皇は。
吉川 それは大きにあるでしょうな。正中の変の起こりがそうです。公卿の年齢をできるだけ拾ってみましたがね、実に年齢層が若いんです。みんな二十そこそこからですね、三十をちょっとでたくらいでして、実に若いんです。あの時分の宋学は新しい思想だったんでしょうから、その新しい思想をもって、たいへん気負→、たところがあるんですね。おもしろいことは、あれは一つの日本の世代の中の大きな革新時代ですが、平家の興りと一、太平記」の革命とが、革命を宮中の若い人が起こしているんです。それだけに、世間見ずなところがあるんですね、それがまた、建武の中興の失敗でし.凸うね。ち."っと全学連に毛が生えたぐらいの気負った人が多かったんでしょうね。(笑)
佐藤 学習院が全学連に入っていたわけだよ。(笑)慶応とか早稲田とかが地方の豪族かね。(笑)
吉川 これは基本的に意欲の動機がちがいますね、豪族のほうはね。承久の乱でですね、失敗した宮方に加担したのはみんな逼塞しています。それで北条氏についたものは、時めいて続いているわけですね。だから非常に数代を逆境にいる部族と、時を得ている部族とアンバランスになっている。この時を得ないほうがそれに乗じたわけでしょうね。そのほかに、あの時分の武士というものを分析すると、種々雑多なものがありましてね、いちがいに単純な分類のしかたができないですね。
佐藤 「増鏡」のおしまいが爾北朝につながって終ってるわけだね、なるほど。承久の乱から始まって南北朝に通じている事情が、今よく解った。
吉川 それとやっぱり蒙古の襲来で、とにかく経済的に国内が、全⊥にわたってひっくりかえるような騒ぎをして、武+の窮乏やらいろいろの戦争の後の荒廃というものが、あの時分ですから長い時間をひいていますけども、やっぱり三四十年目になって出て来ていますね。だから「平家」時代の武士とは、武士の姿が全然違いますね。新聞小説なんか書いてます場合、絵なんかどうしても武士は武士の姿、装束衣冠束帯女装みんなたいして時間的差がないでしょう。どうもイメージを読者が「平家」にもっていってしまう。ところが質は全然違うんですよ。たとえば兼好法師なども、ちょうどあの動乱の中の一つのありかたを隠者の姿とすると、西行の行き方と似ているように見えて、その内容は全然違う。考え方、言っていること、社会的なあり方、身の処し方、隠遁の気持のおき方、みな西行とはたいへんな違いがある。兼好のほうがもっと現世的で、はっきりともっと傍観者で、しかもなかなか皮肉をもち、自分の見解を言ったりしている。西行はいっさいさらっとしている。たちきろうとしています。原典の「太平記」では影がさしてるくらいで、あまり書かれてありませんね。文学としては「平家物語」のほうが数段上でしょうね。
佐藤 完成度から見てね。
吉川 まあ、もっと実社会に則した社会小説といった意味になると、「太平記」はうんと生々しいですね。それにしても、昔の人は、それが出版されるわけでも何でもないのに、よく書いたもんだね。(笑)
佐藤 原稿料も貰えないでね。(笑)近代的に取り扱えば「太平記」のほうがおもしろいだろうが、君の行き方では「平家」のほうが読者に同感されやすいだろうね。
吉川 古典の中では珍しくどぎついですね。この言葉ではあたらないかもしれないが、悪の時代と言えるのではないですか。合戦の場合でも、政策でも、人と人との場合でも、一つの悪というものをみとめあっていたのです。婆娑羅なんで言葉があるでしょう。それがもっともシンボライズされたものが佐々木道誉でしょう。「私本太平記」でもずいぶん使っていますが、原典の「太平記」ではあまり顔を出していない。しかし何度も寝返りするところなども、「太平記」では平然と書いていますからね。
佐藤 (うなずく)
吉川 「平家物語」には無いことですよね。明日に寝返って夕には返り忠をするなんていう、そうまでのはないですね。そんな札つきになったら武門の中に入れられないはずですがね、道誉にかぎらず裏切者は堂々と武門の中に存在しますね。
佐藤 そうだね。
吉川 もっとも義貞、高氏、みんな裏切りから立っていることですから。名目はつまりそれぞれの旗挙げの日を期して誕生したようになってますが、それ以前に北条氏というものを裏切ってますから。それがないのは正成くらいですね。
 正成といえば、戦前は神格化されすぎてね、戦後の唯物史観的な畑からは悪党と言われ、(笑)オポチュニストとか言われるが、(笑)どちらも当たってないんじゃないですかね。
佐藤 当たり前の人だろうね。(笑)つまりこの機運に世の中に出ようという野心もあるし、乗りだした以上後には引かない意地とか、そういう普通の動きだと僕は思う。裏切りはしないというのも、裏切りをすれば損だということを知っていた、つまり正成という人は賢い人だと思うね、戦略などを見ても。だから誠実で買ってもいいんだけれど、僕は目先の利いた人と見たほうが解りやすいように思うね。
吉川 つまり現代においても中立ということがよく課題になりますね。可能か不可能か、このごろの新聞によくありますね、ああいう小さな問題ですね。佐藤さんがおっしゃったようにY一生の知能をしぼって、立つか立たないかは沈思したにちがいないんですが、これは自分だけ賭けることじゃありませんからね。少なくともあんな河内の奥の一族でも、数百の家の子をもってます。それにみんな家族があるわけです、これを賭けるわけですから。族長というものの責任ということも僕らが筆の先で動かすように軽々しいものではないと思いますね。自分の一つの決意できまるのですから。正成が笠置の召しに応じたことは、正成の性格なり教養なり家柄なりがいろんな遠因をひいて宮方に厚意をもっているでしょう。あの場合、宮方に味方したら一敗地になることが明らかだったら、それはできないでしょう。それじゃ中立を守れるかといってもそれは守れないでしょう。あの時、召しに応じてなかったら、正成は北条氏から囲まれるにちがいない。それは紀州・和泉その他北条氏ゆかりのものがたくさんいるのですからね、その中にぽつんとしている一家族ですから。俺はここだけの平和を守りたいのだと言っても、それは能わぬことなのです。そこに宿命が出るわけですね。
佐藤 正成は、だからリアリストでアイデアリストではないのですね。今まで理想化してたのが不自然で、僕は聡明なるリアリストと解釈すると一番わかりがよいような気がする。
吉川 またそうかといって、宮方の召しに応じたからって、宮方についてもそのまま寝返っているのもたくさんいますし、よろしく彼方此方に歓を通じているのもいますが、正成にその才覚はないですね。探してもその跡かたもないですね。賢こくありつつも、やっぱりこうと決めたからには信念の人であったでしょうね。
佐藤 そうでしょうね。信念の人でもありますね。自己の智をも信じて。
 それからちょっと話がそれるが、}、日本の誕生Lを書いた時に、国の誕生の歴史というのは、遡れば遡るほど朝廷の権力争いだという気がした。これはどの国でも同じでしょう。アフリカの現状がそれを思わせますね。政権の争いで、それももっとも力の強い一族の中の政権争い、その典型的なものが日本の古代史でしょうね。南北朝がその最後にしてもっとも大仕掛けなものでしょう。
吉川 そのアフリカの血みどろな話も実は笑えないんですね。われわれがやってきたんですから。やってきて卒業してないんだからまだ。(笑)つまり世界史の中において「太平記」というものが、誇りになる時代じゃないんですね。恥しい時代のものですね。「太平記」という名前も、歴史家のあいだにいろいろ解釈がありますが、やはり太平というのは人間の希求なんですね。それの逆ですかね。
佐藤 皮肉につけたかもしれないしね。(笑)動乱記とは書けないから、動乱記という意味で(苦笑しながら) 「太平記」と名づけたのかもしれない。「太平記」は地理的に見るとある意味では関東と関西の争いだね。
吉川 文化史的に、文芸史的に見てね、中央というのはすぐ爛熟しちゃう。そこでいろいろのものが興る。すると野性というものが足りなくなる。野性.そこにかならず野性が注入されてくる。野性というものはまた何か日向《ひなた》を目がけています。花の咲くような土壌をねがい、野望を都に集中してくる。そして一つの交替期がくる。それがまた民族の補強にもなる。ソビエト・ロシアの強さもそれですね。野性が科学をもったというくらいこれ以上完檗なことはありませんね。生命力の強さといいますかね。平家の場合でも、南北朝でも、戦国前期、みんなそうですね。雨と海水の交流のようにね、雲となり海水となり。
 これも「太平記」の特徴ですね。実に女性が少ないですね。勾当内侍、あれは歴史的にうたがわれている。また例のあのカトコ、それからわれわれの少年時代に正行の母と言われている正成の妻のピサコがいるわけですが、「太平記」の中では御主人の正成のほうすらいくらも書かれてない。(笑)つまり筆者が時代の中の影響を受けているわけですね。女性というのは「平家」のころよりも実はもっと乱倫だったのではないか。「平家」の時分のようにあの優雅典礼な話になるほど女性の地位は高いとは思われませんね。女性は戦争の犠牲になったり、ただ慰安になったりして。カトコなんかも「平家」の女性の中にはいない。臣下の内争を政治的に見て後醍醐を陰で動かしたという、歴史的にもあまり評判のよくない人ですね。後醍醐御自身三十何人いるのでしょう。(笑)女院でまあ後醍醐の側室というと名前のわかっているのが十八九人、御子さんがあって名前のわからないのが十三人くらい。(笑)しかし後醍醐天皇の御子さんの中にはいい子がいるなあ。大塔宮はまあ激しくて、二十代の将校みたいだけれど、宗良親王ね。
佐藤 うん。
吉川 しかし皇室御自身、そのたくさんの御子やら多くの女院御家族を流浪させて、それこそ惨風悲風の中に購したのですから、たいへんだったですね。今の宗良親王の「李花集」の中の歌にも、弓矢を手にするとは夢にも思わなかったのを、どうしてこんなに朝夕こういう生活をするのだろうというのがありますね。
 歴史ものをいじくってて、また次に何を書きたいと思うことは、僕の場合だと、答えが出ていることなんですね。現代小説の場合は、答えが出てなくて、答えは読者に委すという、課題としておくことがまたおもしろさでもある。
佐藤 そうですね。
吉川 歴史の場合ではすでに答えが出ている。答えが出ているということの中にいろんなおもしろいことが出てくる。数限りのないことですね、答えはこっちが握ってるんだから、実におもしろい。というのは、平家の時代でも、南北朝でも、ずいぶん有能な人間がいますよね。その勝れた人間がこの時の流れの中で、どうしてこんな間違ったことをするんだろう。どうしてこう見えないのだろう、書きつつそういうことがおもしろいですね。そういう中に、現代を超えた次の将来の僕らに考えさせる題目がたくさん潜んでますね。
佐藤 僕はまた、現代の人間が生活していることは、燈台下暗しかよくわからないけれど、歴史の上では人間の生き方というものは非常にはっきり見えるように思われて、そこに適当な興味があって、自分と関係のない時代のほうがかえってそれがよく見えるような気がする。それでいて結局、昔も今も人間の生き方は同じもんなんだからね。違っていればおもしろくないんだけれど、現代も同じような感じがしながら、昔を見ることができる。僕はつまり遠視眼なのだね。
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