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江戸川乱歩「火繩銃」


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(この一篇は、作者が学生時代に試作した未発表の処女作です。当時の日記帳の余白に筋書きが書きつけてあったのを、友人をわずらわして清書してもらいました。筋書きのままですから、組立てや、文章も未熟で、いっこうおもしろくありません。といって、この筋で新しく書き直す元気もありませんでした。


 原作には前置きとして、主人公である橘梧郎《たちばなごろう》というしろうと探偵の人となりを長々と書いてあったのですが、おもしろくもないので削ってしまいました。

 橘は高等学校の学生で、探偵小説や犯罪学の心酔者で、シャーロック・ホームズというあだなをつけられていたような、変わり者です。

『わたし』という人物は橘の同級生で、ワトスンの役割りを勤めているわけです)

 ある年の冬休み、わたしは友人の林一郎から、一通の招待状を受けとった。手紙は、弟の二郎といっしょに一週間ばかり前からこちらに来て毎日狩猟《しゆりよう》に日を暮らしているが、二人だけではおもしろくないから、暇があればわたしにも遊びに来ないか、という文面だった。封筒はホテルのもので、山麓《さんろく》Sホテル、と名まえが刷ってあった。

 長い冬休みをどうして暮らそうかと、ものうい毎日をホトホト持て余していたおりなので、わたしにはその招待がとてもうれしく、渡りに船で、早速招きに応ずることにした。林が日ごろ仲のわるい義弟といっしょだというのが、ちょっと気がかりだったが、ともかく橘を誘って、二人で出かけることになった。なんでも前の日の雨がなごりなくはれた十二月の、小春びよりの暖かい日であった。別に身じたくの必要もないわたしらは、旅行といってもしごく簡単で、身柄一つで列車に乗りこめばよかった。この日橘は、これが彼の好みらしかったが、制服の上にインバネスという変な格好で、車室のすみに深々と身を沈め、絶えずポーのレーヴンか何かを口ずさんでいた。そうやってインバネスの片そでから突き出したひじを窓わくに乗せ、移り行く窓の外の景色をうっとりとながめながら、ものすごい怪鳥《けちよう》の詩を口ずさんでいる彼の様子が、わたしには何かしらひどく神秘的に見えたものだ。

 三時間ばかりの後、汽車はA山麓の停車場に着いた。何の前ぶれもしてなかったことだし、停車場にはもちろんだれも出迎えに来てはいなかったので、わたしたちはすぐ駅前の車に乗ってホテルに向かった。ホテルに着くと、わたしたちを迎えたホテルのボーイが、わたしたちに答えて言った。

「林さんでございますか、弟様のほうはどこかへお出ましになりましたが、にいさまのほうは裏の離れにおやすみでございます」

「昼寝かい」

「ハイ、毎日お昼からしばらくおやすみでございますので。では、離れへ御案内いたしましょう」

 その離れは母屋《おもや》から庭を隔てて十間ほど奥に、一軒ポツンと建っている小さな洋館であったが、母屋からまっすぐに長い廊下が通じていた。

 部屋の前にわたしたちを導いたボーイは「いつもおやすみの時は、内から錠《じよう》をおろしてございますので」と言いながら、閉ざされた戸を軽くたたいた。しかし、よく眠っているとみえて、内部からは何の返事もない。今度は少し強くたたいたが、それでも、林の深い眠りをさますごとはできなかった。

「オイ、林、起きぬか」

 そこで、今度はわたしが、大声にわめいてみた。これならいかに寝込んでいても目をさますだろうと思ったが、どうしたことか、内部からは何の物音も聞こえない。橘もいっしょになって、ドアをいっそう強くたたきながらどなったが、さらに目をさます気配もなかった。わたしはなんだか不安になって来た。非常に不吉なことが想像された。

「オイ、どうも変だぜ。どうかしてやしないか」

 わたしが、橘にそういうと、橘もわたしと同じようなことを想像していたらしく、ボーイのほうを振り返って言った。

「林がこのなかで寝ているのにまちがいはないでしょうね」

「ええ、それはもうーなにしろ、中からカギもかかっていますし」

「合いカギはほかにないですか」

「ございます。持ってまいりましょう」

「これほどたたいても起きないのは、ただごとでないようです。ともかく、合いカギであけて中の様子を見てみましょう」

 そこで、ボーイは引っ返して、母屋《おもや》から合いカギを持って来た。

 ドアが開かれると、まっ先に橘が飛び込んだが、入り口の真正面の壁ぎわにすえてある寝台のほうへ、つかつかと近づいていったかと思うと、そこで棒立ちになり「あッ」と、かすかな叫びをもらした。

 寝台の上には、上着を脱いだチョッキ一枚の林一郎が、左胸に貫通銃創を受けて横たわっていた。なまなましい血潮は、チョッキから流れて白いシーツを紅に染め、まだ乾ききらず血のにおいを漂わしている。わたしはこの意外な林の姿を見ると、もう何を考える力もなく、なかば放心の体《てい》で、ボンヤリ橘の動作を見まもっていた。

 橘はしばらく変わり果てた林の死体をじっと見詰めていたが、やがて、あまりにも不意の血なまぐさいできごとのために、ろくろく口もきけず、ただおろおろ顔の色を変えてふるえているボーイに、ともかく急を警察へ知らせるように言いつけておいて、さて、寝台のそばを離れると、あらためて部屋の内部を克明に見まわしはじめた。

 先にも言ったとおり、この離れは一.軒建ての洋館だったが、部屋の様子を一応申し述べてみると、東と北とは壁、そして、そのすみに寝台が置かれ、それに並んで、洋ダンスがすえてある。その真正面、つまり西側の北寄りのところが、この部屋の唯一の入り口で、長い廊下を通って母屋に通えるようになっていた。南に面したほうには二つの窓があり、その西側の窓の下に大きな机があって、その上にドッシリした本立てが置かれ、それに数冊の洋書が立ててある。その本立てのそばに、台にのせた、花いけだろうが、珍しい形をした、といってもまん丸い球形なんだが、玻璃瓶《はりびん》があって、それにいっぱい水がいれてあった。その前には、きわめて旧式な一挺の猟銃が、むぞうさに、投げ出されてある。そのほかに、ペンとインキ、それから手紙が一通、それが机の上に置かれたすべてのものであった。机の前と横には、型どおり二脚のイスが行儀よくすえてあった。

 窓は両方ともすりガラスだったが、一方の、机の前の窓は、どうしたのか半開きになって、そこから日の光りがまぶしいまでに、机の上いっぱい射し込んでいた。

 橘はしばらく部屋の中を見まわしていたが、机の前の半ば開いた窓に近寄ると、そこからヒョイと首を出して窓の外をながめ、首を引くと机の上の猟銃に、じっと目をそそいだ。次に封筒を手に取って一暼《ぺつ》し、今度は洋服のポケットから時計の鎖についた磁石を取り出し、その磁石を見ては、また窓から首を出して空をながめたり、じっと机の上を見詰めたり、うしろを振り返って部屋のすみの寝台のほうを見たり、そんなことを何べんかくり返していたが、その時、母屋《おもや》のほうから廊下伝いに、あわただしい人の、足音が聞こえて来る。すると何思ったか橘は急にあわてだし、ポケットから取り出した、鉛筆で、そそくさと机の上に猟銃の位置と玻璃瓶《はりびん》の位置との印をつけた。半開きになった窓にもその開き加減を同じように鉛筆でしるした。

 やがて、椿事《ちんじ》の部屋にドカドカとはいって来たのは、ボーイの急報によって駆けつけた、警察官の一行であった。制服の警部に巡査、背広服の刑事に警察医、そしてそのあとには、このホテルの主人と、わたしたちを最初この部屋に案内したさっきのボーイが、青くなって控えていた。

 警察医と刑事は、はいって来るなり、まっすぐに寝台のほうに歩み寄って、何かもぞもぞ調べていたが、見ていると、刑事が死体の胸のあたりから鎖のついた懐中時計を引きずり出した。そしてだれにともなく、

「やられたのは一時半だな」

 とつぶやいた。銃弾《たま》に当たった時、時計の針が一時半で止まっていたらしい。刑事がそうして死体を調べている間に、警部はボーイを招いて尋問を始めていた。

「被害者は昼食を食堂ですましてから、部屋に帰ったというのだな。ウン、それでおまえは、何か鉄砲の音のようなものを聞かなかったか」

「そういえば、お昼過ぎ、なんだか大きな音がしたようにも思いますが、なにぶん、すぐ裏の山で、始終鉄砲の音がしているものですから、別に気にもとめませんでした」

「この机の上の銃はー火繩《ひなわ》銃のようだが、これはどうしたのだ。被害者の物か」

 そう言いながら、警部はその火繩銃を取り上げ、銃口を鼻に近づけたが、思わずつぶやいた。

「フン、まだ煙硝のにおいが残っている」

「ああ、それでございますか、それはこのかたの弟様ので……」

 ホテルの主人が横から口をはさんだ。

「弟?」

「ハイ、二郎様とおっしゃいまして、やはりてまえどもにお泊まりで。ただいまおるすでございますが、母屋のほうにお部屋がございますL

「じや、あれは? あの銃は?」

 警部はなかば向きをかえて、寝台の上を指さした。そこには、最新式の連発銃が、やっと手の届くほどの高さのところに掛かっていた。うかつな話だが、わたしはそれまで、ちっともそれに気がつかなかった。

「あれはおにいさまのでございまして、あれで毎日裏山へ猟においででございました」

 その時、死体から離れて窓の外をながめていた刑事が、何を見いだしたのか、

「あッ、これだ」

 と叫んだ。わたしもその声につられて、刑事のうしろから窓の下を見ると、きのうの雨でしめった、あまり広くもない庭に、ゲタの跡がクッキリしるされていた。それを見きわめた刑事は、さもわが意を得たというふうに、警部のほうに向かって、一席弁じだした。

「犯行の経路はしごく簡単のようです。つまり、犯人は被害者の昼寝の習慣を知っていて、ちょうど被害者が寝ついたころ、この窓の外へ忍び寄り、静かにこの窓をあけてその火繩銃で狙撃《そげき》したのです。そして、銃を机の上に置いたまま逃走したというわけでしょう。ですから、被害者の日常生活をよく知っている者を調べ上げたら、犯人はすぐ知れるだろうと思います」

 その時、廊下にバタバタとあわただしい足音がして、一人の青年が飛び込んで来た。二郎だ。はいって来るなり、寝台の上の兄の死体のほうに目をはせたが、その顔は、恐怖のあまりひどくこわばっていた。わたしはなぜか、二郎の姿を見ると、急に動気がはげしくなって来た。来てはいけないところへ、その人がやって来たように思ったからだ。すべての状況が、一人の人に向かって「おまえが犯人だ」と指さしているではないか。火繩銃は二郎のものだし、窓の外の足跡はグタの跡だが、今目の前にいる二郎は和服を着ている。それに、彼ら兄弟の家庭内のごたごたを、わたしはよく知っていた。

「これは、いったい、どうしたのです」

 肩で息をしながら、はいって来るなり二郎は、だれにともなくどなった。

「きみが二郎君だね」

 刑事が鋭い口調で尋ねた。

「そうです」

 二郎そこに居並んだ緊張しきった人々の顔を見ると、いっそう顔を青くしてふるえ声で答えた。

「じゃ、これは、この火繩銃は、あなたのでしょうね」

 刑事は机の上の猟銃を示して聞いた。それを見ると、二郎はハッと驚いたらしかったが、でも、平然と答えた。

「そうです。しかし、それがどうかしたのですか」

 刑事はそれにかまわずたたみかけた。

「今まであなたはどこへ行っていたのです」

 この質問に二郎はちょっと詰まったが、やっと小さな声でつぶやくように言った。

「それは申し上げられません。また申し上げる必要もないと思います」

「失礼ですが、あなたがたは真実の御兄弟でしょうね」

 そう言った刑事の顔には、皮肉な微笑が浮かんでいた。

「いいえ、そうじゃないんです」

 それからなおいろいろの尋問があったり、警察医の検屍《けんし》があったり、部屋の内と外の現場調べがあったりしたが、そのあげく、二郎はついにその場から拘引されることになった。

 その夕方、橘とわたしとは、同じホテルの一室で、互いに向かい合っていた。死体のあと始末や何かのため、わたしたちはホテルに残っていたのだ。

「きみはしばらく姿が見えなかったが,どこかへ行っていたのかい?」

 まずわたしが口を切った。日ごろ探偵狂の橘が、こんな事件にぶっつかって安閑としているはずがない。ながい問姿を隠していたのは、その間に何か真相をあばく手がかりをつかんだのか、あるいは、証拠がためのために奔走していたに違いない、と思ったので、わたしは橘の探偵談を聞きたくて、話をそのほうに向けてみたのだ。とはいうものの、わたしはまじめに橘…の名探偵ぶりを拝聴しようと思ったのではなく、こんなきまりきった殺人事件を、探偵狂の橘がどうもったいつけて説明するか、それが実は聞きたかったのである。すると、橘は突然大きな口をあけて、

「アッハハハハハ」

 と笑いだした。

 わたしは何が何やらさっぱりわからず、キツネにつままれた形で、ボンヤリ橘の顔をながめていた。ひょっとしたら、林の急死で、頭がどうかなったのではあるまいかとわたしは疑ってみた。

「いなかの刑事にしては、すばやく立ちまわフて、よく調べているようだったが、この事件は、せんさく好きのいなか探偵には、少し簡単すぎるようだ。そうだ、全く単純すぎるくらい単純な事件なんだー」

 橘がなおも語り続けようとした時、ボーイに案内されて、今うわさしていた、その橘のいわゆるいなか探偵が、ヒヨッコリやって来た。

「先ほどは失礼、ちょっとおたずねしたいことがありましてね」

 探偵があいさっした。

「いや、いかがです、二郎君は自白しましたか」

 わたしがこう聞くと、刑事はいやな顔をして、

「それをあなたがたにいう必要はありません」

 と、そらうそぶいた。

「それじゃ何の用で来たのです」

「あの時の模様をもう一度くわしく聞きたいと思うのです」

 刑事がそういって、わたしにつめ寄ると、そばから橘が片ほおに皮肉な、また得意そうな得態の知れぬ笑いを浮かべて、刑事にむくいた。

「くわしくお調べになる必要はないでしょう」この侮辱したようなことばは、明らかに刑事を怒らせた。

「なにッ? 調べる必要がないとは何です。ぼくは職権をもって調べに来たのだ」

「お調べになるのは御自由ですが、ぼくはその必要がないと思うので」

「なぜ?」

「あなたはどうお考えか知りませんが、この事件は犯罪ではないのです。したがって犯人もなく、犯行を調べる必要もないんです」

 この橘の意外なことばに、刑事もわたしも飛び上がるばかり驚いた。

「犯罪でない? フン、じゃ、きみは自殺だと言うんだね」

 刑事のことばには、この若造が何を生意気な.という侮蔑《ぶべつ》の響きがこもっていた。

「いや、もちろん自殺じゃありません」

「それじゃ、過失死とでも言うのかね」

「そうでもないんです」

「アッハヅハハハハハ、これはおもしろい。他殺でもなく、自殺でもなくまた過失死でもないか。じゃアいったい、あの男はどうして死んだのだね。まさか、きみはー」

「いや、ぼくはただ、犯罪でない、と言ったまでです。他殺でないとは言いません」

「わからないね、ぼくにはー」

 口ではそう言ったものの、刑事の顔にはまだ橘を揶揄《やゆ》するような、皮肉な微笑が浮かんでいた。その刑事の顔色を見た橘は、グッとしゃくにさわったらしく、鋭く刑事をにらみつけて言った。

「ここで今わたしが説明しても、あなたには得心できぬかもしれませんから、あしたその証拠をお見せしましょう」

「証拠? ホウ、そんな珍しい証拠があれば、ぜひ見せていただきたいね。だが、あしたとはどうしてなんだね」

「それには重大な意味があるのです。あしたにならなければ、お見せすることができないのです。ともかく、あした一時に、ここへ来てください。きっと、御得心のゆく証拠をお見せします」

「まさか冗談ではあるまいね、よろしい、あした一時だね」

「しかし、もしあした雨天か、少しでも曇っていたらだめだと思ってください」

「ヘェ、曇っていてはいけないのかね」

「そうです。きょうのように晴天でなければ、証拠はお目にかけられないのです。ああ、それから、おいでの時に、必ずあの火繩銃を持って来てください」

「なかなかむずかしい条件だね。では、あしたの日を楽しみにして、きょうはこれで失礼しよう」

 刑事は捨台詞《ずてぜりふ》ともつかず、そう言い捨てると、妙にニヤニヤ笑いながら出て行った。刑事が出て行くと、橘はわたしに向かって、

「いなか刑事め、今度はぼくを疑いはじめたな」

 とつぶやいた。いなか刑事ならずとも、わたしも実は、橘の言動があまりに意表外なので、橘のことばを疑わずにはいられなかった。

 橘のいう証拠とは、いったい何をさしているのだろう。

「きみ、証拠って、いったい何をいうんだい?」そこで、わたしがそのことを聞くと、橘は、さもこともなげにいうのだった。

「あの部屋のテーブルの上に、風変《ふうが》わりな花ビンがあっただろう。あれがつまり証拠さ」

 橘にそう言われても、わたしにはさっぱりのみ込めなかった。だが、それ以上つっ込んで聞くのも、わたしは業腹《ごうはら》だったし、わたしは自分の無能をあわれみ、自己嫌悪《けんお》を感じて黙ってしまった。

 その夜、わたしは床につく前、部屋の窓をあけて外をながめたが、その時、窓に添うてやみの中につっ立っているあやしい男の姿を見た。

 翌日は、幸いに日本晴れの好天気だった。

 きのうの刑事は二人の巡査をともなって、約束どおり一時カッキリにやって来た。右手には問題の火繩銃をしっかり握っている。橘は刑事のうしろからついて来る一人の巡査の姿を見ると、そのほうに近寄り、その巡査の肩を軽くたたいて笑いながら、

「ゆうべは御苦労でした」

 と言った。

 それを聞くと、刑事のほうがドギマギして、

「実は、まだこのホテル内に犯人が隠れていやしないかと思ったので、見張りさせておいたのです」

 と、弁解がましい言いわけをした。すると、わたしの見たあやしい男は、この巡査であったらしい。

 さて、一同の顔が離れにそろうとーこの中にはホテルの主人もボーイもいたのであるが──きょうの主役の橘は、部屋の西南隅にあるテーブルに近寄って、その上の品物を、きのうのとおり置き並べた。刑事から受け取った火繩銃には用意の弾丸と火薬を装填《そうてん》して、印をつけておいた元の位置に正確に置き、花ビンと花ビン台もこれには最も綿密に注意をしたのであるが、前にあった位置どおりにすえた。机の上の品物が、きのうと寸分違わぬ場所に置かれると、今度は机の前の窓を、印をつけてあったところまで開いた。そうしておいて橘は、ボーイに何か耳打ちした。すると、ボーイはうなずいて部屋を出て行ったが、まもなく等身大のわら人形をかかえてもどって来た。わら人形には無格好にチョッキが着せてあった。橘はボーイからそれを受け取ると、部屋のすみの寝台の上に、きのう林が寝ていたとおりに人形を横たえた。

 用意が万端ととのうと、橘は一同の人々を見まわして、おもむろに口をきった。

「これで、この部屋の様子はどの品一つも、きのう椿事《ちんじ》があった時の位置と違っていないはずです。重要な品物の位置には、すべて印をつけておいたのです。さて、わたしはこれから、きのう林君がいかにして殺されたか、いや、いかにして胸に弾丸を受けたか、その時の状況を皆さんにお目にかけようと思うのです」

 この橘のいかにも自信に満ちたことばを聞くと、並居る人々は、何とはなしに緊張した。

「その前に、わたしはこの事件について、わたしの信ずるところを申し述べてみようと思います。その筋の人は、二郎君を犯人と認められているようですが、それは、この事件の真相を見誤まったものと言わなければなりません。二郎君にかぎらず、この事件には、どこにも林一郎を殺害した犯人はいないのです。二郎君に嫌疑をかけた第一の理由は、この火羅銃が彼の所有品であることによるらしいのですが、これは毫も理由にならない、と思います。いかにうかつな人間でも、自分の銃で人を殺し、その上それを現場に置いて逃げるような、ばかなまねはしないでしょう。かえってこのことは、二郎君の無罪を証拠だてるものだと思います。第二の理由は、この庭にある足跡ですが、これもまた反対の証拠を示しているにすぎません。あとでお調べになればよくわかることですが、往復とも同じ歩幅で、しかもその歩幅が非常に狭いのです。殺人罪をおかした人間が、こんなに落ちついて帰れるものでしょうか。なお念のため、ゆうべその足跡をたどって調べてみますと、ばかばかしいことには、それは、このホテルの裏山のきちがい娘が、裏の生垣《いけがき》をくぐって庭に忍び込んだ足跡とわかったのです。第三の理由は、二郎君が椿事《ちんじ》のあった時間に、ちょうど不在であって、その行き先を言わなかったことです。このことについては、わたしはあまりくわしい話は避けたいと思いますが、ただ、ボーイから二郎君が外出するとすぐ、二階に滞在している老紳士の令嬢が外出し、その令嬢は二郎君とほとんど同時に帰られたという事実を聞いたことのみ申し上げておきます。このことは、あるいはもう、二郎君が警察で告白したかもしれませんが」

 そこで橘はことばをきって、刑事のほうをながめた。刑事はうなずいて、暗黙のうちに橘の推察を肯定した。

 橘はふたたび語りはじめた。

「最後に、一郎君と二郎君とが、真実の兄弟でないということも、疑う理由の一つになっているようですが、それは理由とするに足らないほど、薄弱な理由だと思います。それに、もし二郎君が一郎君に殺意を抱いておったとしても、なにもホテルなどという人目の多い場所を選ぶはずはなかっただろうと思います。兄弟は毎日のように裏山へ狩猟に行っていたのですから、もしやろうと思えば、そこでいくらでも機会はあったはずです。もし運わるく現場をだれかに見られたとしても、そんな場所であれば、鳥か獣か何かを射とうとして、誤まって殺したとでも言いのがれるみちがあるのです。こうせんじ詰めて来ますと、どこに一つ、二郎君を疑う理由も見いだせないのです。いかがでしょう。これでも二郎君が殺人犯人でしょうか」

 橘の雄弁と推理のあざやかさには、ただもう感心するばかりで、わたしは心の中で、なるほど、なるほど、と叫び続けていた。橘はことばを改めて、また語り続けた。

「初めはわたしも火繩銃が机の上に置いてあったり、死人のチョッキが煙硝で黒くこげていたりするものですから、あるいは自殺ではないかとも思いましたが、机の上にあった、二つの品の、ある恐ろしい困果関係に気づいて、わたしはすぐ自分の考えのまちがっていたのを悟ったのです。次に、足跡がこの事件に全く関係のないことがわかったので、この事件に犯人のあることを想像することはできないわけになりました。としますと、林君の死は、いったいどう解釈したらいいのでしょう。犯人のない他殺とよりほかに、考えようはないのじゃないでしょうか」

 ああ、犯人のない他殺。そのような奇妙な事実があるであろうか。一座の人々は固唾《かたず》をのんで橘のことばに聞き入っていた。

「わたしの想像にまちがいなければ、林君はきのう正午、中食を終えると、二郎君の部屋から弾丸《たま》の装填《そうてん》してあった火繩銃を持ち出して、この部屋にもどり、それをこの机にもたれながらもてあそんでいたのです。ところが、ふと友人に手紙を書かなければならないことを思い出したので、銃を机の上に置いたまま、手紙を書きはじめたのです。その時、銃の台尻《だいじり》が、ちょうどこの本立てのすみに当たっていたということは、この事件に重大な原因を作ったのです。手紙を書き終えると、すぐ、習慣になっています午睡のために。ヘッドに横たわりました。それからどれくらいたったか、明確ではありませんが、一時三十分になって、実に恐るべき惨事が突発したのです。世にも不思議な、犯人のない殺人が行なわれたのです」

 そう言いながら、橘はポケットから懐中時計を取り出した。

「さあ、今一時二十分です、もう一、二分すれば犯人のない殺人が行なわれるのです。この事件の真相がハッキリわかるのです。机の上の花ビンによく注意してください」

 人々が手品師の奇術を見るような気持ちで、その玻璃瓶《はりびん》に十二のひとみを一斉に注いだ。

 とその時わたしの頭に、あることが稲妻のようにひらめいた。そうだ。手品の種がわかった。---------------------[End of Page 77]---------------------1go事件の真相が明らかとなった。

 ああ、そは太陽と玻璃瓶の、世にも不思議な殺人事件であったのだ。

 見よ、玻璃瓶は、窓から射す強烈な太陽の光りを受けて、炎のようにキラキラと照りかがやき、その満々と水をたたえた球形の玻璃瓶をつらぬいて、太陽の光線はいっそう強烈となり、机の上に置かれた火繩銃の上に、世にも恐ろしい、のろいの焦点を作りはじめた。

 焦点は太陽の移動とともにジリジリ位置を換えて、今や点火孔《てんかこう》の真上にその白熱の光りを投げた。と同時に、鋭い銃声が部屋いっぱいに響きわたり、銃口からは白い煙がモクモクとゆらめいた。人々は一様に視線を寝台に移した。

 そこには胸を撃たれたわら人形が、ブスブス燃えてころがっていた。

    (昭和七年『江戸川乱歩全集』第十一巻に発表)
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