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江戸川乱歩「二廃人」

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amizako

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 ふたりは湯から上がって、一局囲んだあとをタバコにして、渋い煎茶《せんちや》をすすりながら、いつものようにポッリポッリと世間話を取りかわしていた。おだやかな冬の日光が障子いっぱいにひろがって、八畳の座敷をほかほかと暖めていた。大きな桐《きり》の火バチには銀瓶《ぎんびん》が眠けをさそうような音をたててたぎっていた。夢のような冬の温泉場の午後であった。

 無意味な世間話がいつのまにか、懐旧談にはいって行った。客の斎藤氏は青島役《ちんたおえき》の実戦談を語りはじめていた。部屋のあるじの井原氏は火バチに軽く手をかざしながら、だまってその血なまぐさい話に聞き入っていた。かすかにウグイスの遠音が、話の合の手のように聞こえて来たりした。昔を語るにふさわしい周囲の情景だった。

 斎藤氏の見るも無残に傷ついた顔面はそうした武勇伝の話し手としては、しごく似つかわしかった。彼は砲弾の破片に打たれてできたという、その右半面のひっつりを指さしながら、当時のありさまを手にとるように物語るのだった。そのほかにも、からだじゅうに数ヵ所の刀傷があり、それが冬になると痛むので、こうして湯治に来るのだといって、膚をぬいでその古傷を見せたりした。

「これで、わたしも若い時分には、それ相当の野心を持っていたんですがね。こういう姿になっちゃおしまいですよ」

 斎藤氏はこういって長い実戦談の結末をつけた。

 井原氏は、話の余韻でも味わうように、しばらくだまっていた。

「この男は戦争のおかげで一生台なしにしてしまった。お互いに廃人なんだ。が、この男はまだ名誉という気安めがある。しかし、おれには……」

 井原氏はまたしても心の古傷に触れてヒヤリとした。そして、肉体の古傷に悩んでいる斎藤氏などは、まだまだしあわせだと思った。

「こんどは一つ、わたしのざんげ話を聞いていただぎましょうか。勇ましい戦争のお話のあとで、少し陰気すぎるかもしれませんが」

 お茶を入れかえて一服すると、井原氏はいかにも意気込んだように、こんなことをいった。

「ぜひ伺いたいもんですね」

 斎藤氏は即座に答えた。そして、なにごとかを待ち構えるようにチラと井原氏のほうを見たが、すぐ、さりげなく目を伏せた。

 井原氏はその瞬間、おやッと思った。井原氏は今チラと彼のほうを見た斎藤氏の表情に、どこか見覚えがあるような気がしたのだった。彼は斎藤氏と初対面の時からーといっても十日ばかり以前のことだがー何かしら、ふたりの間に前世の約束とでもいったふうのひっかかりがあるような気がしていた。そして、日がたつにつれて、だんだんその感じが深くなっていった。でなければ、宿も違い、身分も違うふたりが、わずか数日の間にこんなに親しくなるはずがないと井原氏は思った。

「どうも不思議だ。この男の顔は確かどこかで見たことがある」しかしどう考えてみても思い出せなかった。「ひょっとしたら、この男とおれとは、ずっと昔の、たとえば、もの心つかぬ子どもの時分の遊び友だちででもあったのではあるまいか」そんなふうに思えば、そうとも考えられるのだった。

「いや、さぞかしおもしろいお話が伺えることでしょう。そういえば、きょうはなんだか昔を思い出すようなひよりではありませんか」

 斎藤氏はうながすようにいった。

 井原氏は恥ずかしい自分の身の上を、これまで人に話したことはなかった。むしろ、できるだけ隠しておこうとしていた。自分でも忘れようとつとめていた。それが、きょうはどうしたはずみか、ふと話してみたくなった。

「さあ、どういうふうにお話ししたらいいか……わたしは××町でちょっと古い商家の総領に生まれたのですが、親に甘やかされたのが原因でしょう、小さい時から病身で、学校などもそのために二年おくれたほどですが、そのほかにはこれという不つごうもなく、小学から中学、それから東京の××大学と、人様よりはおくれながらも、まずまず順当に育っていったのでした。東京へ出てから、からだのほうも順調に行ぎますし、そこへ学科が専門になるにつれて盟ハ味を生じてぎ、ぼつぼつ親しい友だちもできて来るというわけで、不自由な下宿生活もかえって楽しく、まあなんの屈託もない学生生活を送っていたのでした。今から考えますと、ほんとうにあのころが、あたしの一生じゅうでの花でしたよ。ところが、東京へ出て一年たつかたたないころでした。わたしはふと、ある恐ろしい事柄に気づくようになったのです」

 ここまで話すと、井原氏はなぜかかすかに身ぶるいした。斎藤氏は吸いさしの巻きタバコを火バチに突ぎ差して、熱心に聞きはじめた。

「ある朝のことでした。わたしがこれから登校しようと、身じたくをしていますと、同じ下宿にいる友だちが、わたしの部屋へはいって来ました。そして、わたしが着物を着替、兄たりするのを待ち合わせながら『ゆうぺはたいへんな気炎だったね』と、ひやかすように言うではありませんか。しかし、わたしにはいっこうその意味がわからないのです。 『気炎って、ゆうぺぼくが気炎を吐いたとでもいうのかい』わたしがけげん顔に聞き返しますと、友だちはやにわに腹をかかえて笑いだし『きみはけさは、まだ顔を洗わないんだろう』とからかうのです。で、よく聞きただしてみますと、その前の晩の夜ふけに、友だちの寝ている部屋へわたしがはいっていって、友だちをたたき起こして、やにわに議論をはじめたそうです。なんでも、プラトンとアリストテレスとの婦人観の比較論か何かをとうとうと弁じたてたそうですが、自分が言いたいだけいってしまうと、友だちの意見なんか聞きもしないで、サッサと引き上げてしまったというのです。どうもキッネにでもつままれたような話なんです。 『きみこそ夢でも見たんだろう。ぼくはゆうべは、早くから床にはいって、今しがたまでぐっすり寝込んでいたんだもの、そんなことのありそうな道理がない』といいますと、友だちは『ところが、夢でない証拠には、きみが帰ってからぼくが寝つかれないで、長いあいだ読書していたくらいだし、なにより確かなのは、見たまえ、このハガキをその時書いたんだ。夢でハガキを書くやつもないからね』と、むきになって主張するのです。

「そんなふうに押し問答をしながら、結局あやふやで、その日は学校へ行ったことですが、教室へはいって講師の来るのを待っている間に、友だちが考え深そうな目をして『きみはこれまでに寝とぼける習慣がありはしないか』とたずねるのです。わたしはそれを聞くと、なんだか恐ろしいものにぶつかったように、思わずハッとしました。

「わたしにはそういう習慣があったのです。わたしは小さい時分から寝言をよく言ったそうですが、だれかがその寝言にからかいでもすると、わたしは寝ていてハッキリ問答したそうです。しかも、朝になっては少しもそれを記憶していないのです。珍しいというので、近所の評判になっていたほどなんです。でも、それは小学校時代のできごとで、大きくなってからは忘れたようになおっていたのですが、今友だちにたずねられると、どうやらこの幼時の病癖とゆうぺのできごととに、脈絡がありそうな気がするのです。で、そのことを話しますと、『では、それが再発したんだぜ。つまり、一種の夢遊病なんだね』友だちはきのどくそうに、こんなことをいうのです。

「さあ、わたしは心配になって来ました。わたしは夢遊病がどんなものか、ハッキリしたことはむろん知りませんでしたが、夢中遊行、離魂病、夢中の犯罪などという熟語が、気味わるく浮かんで来るのです。だいいち、若いわたしには、寝とぼけたというようなことが恥ずかしくてならなかったのです。もし、そんなことがたびたび起こるようだったらどうしようと、わたしはもう気が気でありません。そのことがあって二、三日してから、わたしは勇気を鼓して、知り合いの医者のところへ出かけて相談してみました。ところが、医者のいいますのには『どうも夢中遊行症らしいが、しかし、いちどぐらいの発作でそんなに心配しなくともよい。そうして神経を使うのがかえって病気を昂進《こうしん》させる元だ。なるべく気をしずめて、のんきに、規則正しい正活をして、からだをじょうぶにしたまえ。そうすれば、自然そんな病気もなおってしまう』というしごく楽天的な話なんです。で、わたしもあきらめて帰ったのですが、不幸にして、わたしという人間は生まれつき非常な神経病みでして、いちどそんなことがあると、もうそれが心配で心配で、勉強なども手につかぬというありさまでした。

「どうかこれきり再発しなければいいがと、その当座は毎日ビクビクものでしたが、しあわせとひと月ばかりというものは、なにこともなく過ぎてしまいました。ヤレヤレ助かったと思っていますと、どうでしょう、それもつかのまのぬかよろこびで、まもなく今度は以前よりもひどい発作が起こり、なんと、わたしは夢中で他人の品物を盗んでしまったのです。

「朝目をさましてみますと、わたしはまくらもとに、見知らぬ懐中時計が置いてあるではありませんか。妙だなと思っているうちに、同じ下宿にいた、会社員の男が『時計がない、時計がない』という騒ぎなんでしょう。わたしは『さては』とさとったのですが、なんともきまりが悪くて、あやまりに行くにも行けないという始末です。とうとう以前の友だちを頼んで、わたしが夢遊病者だということを証明してもらって時計を返し、やっとその場はおさまったのですが、さあそれからというものは、『井原は夢遊病者だ』といううわさがバッとひろがってしまって、学校の教室での話題にさえ上るというありさまでした。

「わたしはどうかして、この恥ずかしい病をなおしたいと、その方面の書物を買い込んで読んでみたり、いろいろの健康法をやってみたり、もちろん数人も医者をかえて見てもらうというわけで、でぎるだけ手をつくしたのですが、どうして、なおるどころか、だんだん悪くなって行くばかりです。月にいちど、ひどい時には二度ぐらいずつ、必ず例の発作がおこり、少しずつ夢中遊行の範囲が広くなって行くという始末です。そして、そのたびごとに、他人の品物を持ってくるか、自分の持ち物を持って行った先へ落としてくるのです。それさえなければ、他人に知られずに済むこともあったのでしょうが、悪いことには、たいてい何か証拠品が残るのです。それとも、もしかしたら、そうでない場合にもたびたび発作を起こしていても、証拠品がないために、知られずにしまったのかもしれません。なんにしても、われながら薄気味のわるい話でした。ある時などは、真夜中に下宿屋から抜け出して、近所のお寺の墓地をうろついていたことなどもありました。拍子のわるいことには、ちょうどその時、墓地の外の往来を、同じ下宿屋にいる、ある勤め人が宴会の帰りかなんかで通り合わせて、低いいけがぎ越しにわたしの姿をみとめ、あすこには幽霊が出るなどと言いふらしたものですから、実はそれがわたしだったとわかると、さあ、たいへんな評判なんです。

「そんなふうで、わたしはいいもの笑いなんです。なるほど、他人から見れば曽我廼家《そがのや》以上の喜劇でもありましょうが、当時のわたしの身にとっては、それがどんなにつらく、どんなに気味のわるいことだったか、その気持ちは、とても当人でなけりゃわかりっこありませんよ。はじめのあいだは、今夜も失策をしやしないか、今夜も寝とぼけやしないかと、それが非常に恐ろしかったのですが、だんだん、単に眠るということが恐ろしくなって来ました。いや、眠る眠らないにかかわらず、夜になると寝床にはいらなければならぬということが、脅迫観念になって来ました。そうなると、ばかげた話ですが、自分のでなくても、夜具というものを見るのが」いうにいわれぬいやな心持ちなんです。普通の人たちには一日じゅうでもっとも安らかな休息時聞が、わたしにはもっとも苦しい時なのです。なんという不幸な身の上だったのでしょう。

「それに、わたしにはこの発作が起こり始めた時から、一つ恐ろしい心配があったのです。というのは、いつまでもこのような喜劇が続いて、人のもの笑いになっているだけで済めばいいが、もしこれが、いつの日か、取りかえしのつかぬ悲劇を生むことになりはしないか、という点でした。わたしは先にも申し上げましたように、夢遊病に関する書物はできるだけ手をつくして収集し、それをいくどもいくども読み返していたくらいですから、夢遊病者の犯罪の実例なども、たくさん知っていました。そして、その中には、数々の身ぶるいするような血なまぐさい事件が含まれていたのです。気の弱いわたしが、どんなにそれを心配したか、フトンを見てさえ気持ちがわるくなるというのも、決して無理ではなかったのです。やがて、わたしもこうしてはいられないと気がつきました。いっそ学業をなげうって、国もとに帰ろうと決心したのです。で、ある日、それは最初の発作が起こってからもう半年あまりもたったころでしたが、長い手紙を書いて、親たちのところへ相談してやりました。そして、その返事を待っている間に、どうでしょう、わたしの恐れに恐れていたできごとが、とうとう実現してしまったのです。わたしの一生涯をめちゃめちゃにしてしまうような、とり返しのつかぬ悲劇が持ち上がったのです」

 斎藤氏は身動きもしないで謹聴していた。しかし、彼の目は、物語の興昧に引きつけられているという以上に、何事かを語っているように見えた。正月の書き入れ時もとっくに過ぎた温泉場は湯治客も少なく、ひっそりとして物音一つしなかった。小鳥の鳴き声ももう聞こえて来なかった。実世間というものから遠く切り離された世界に、ふたりの廃人は異常な緊張をもって相対していた。

「それは忘れもしない、ちょうど今から二十年前の秋のことです。ずいぶん古い話ですがね。ある朝目をさましますと、なんとなく家の中がざわついていることに気づきました。傷持つ足のわたしは、また何か失策をやったのではないかと、すぐいやな気持ちに襲われるのでしたが、しばらく寝ながら様子を考えているうちに、どうもただごとでないという気がしだしました。なんともいえぬ恐ろしい予感が、ゾーッと背中をはい上がって来るのです。わたしはおずおずしながら、部屋の中をずっと見まわしました。すると、なんとなく様子が変なのです。部屋の中に、ゆうべわたしが寝た時とは、どことなく変わったところがあるような気がするのです。で、起き上がってよく調べてみますと、案の定、変なものが目にはいりました。部屋の入口のところに見覚のない小さなフロシキ包みが置いてあるではありませんか。それを見たわたしは、何ということでしょう、やにわにそれをつかんで押入れの中へ投げ込んでしまったのです。そして、押入れの戸を締めると、ぬすぴとのようにあたりを見まわして、ほっとため息をつくのでした。ちょうどその時、音もなく障子をあけて、ひとりの友だちが首を出しました。そして、小さな声で『きみ、大変だよ』と、いかにもことありげにささやくのです。わたしは今の挙動をさとられやしなかったかと気が気でなく、返事もしないでいますと、『老人が殺されているんだ。ゆうべどろぼうがはいったんだよ。まあ、ちょっと来てみたまえ』そういって、友だちは行ってしまいました。わたしはそれを聞くと、のどがふさがったようになって、しばらくは身動きもできませんでしたが、やっと気を取りなおして、様子を見に部屋を出て行きました。そして、わたしは何を見、何を聞いたのでしょう。……その時のなんともいえぬ変な心持ちというものは、二十年後のただいまでも、きのうのことのようにまざまざと思い出されます。ことに、あの老人のものすごい死に顔は、寝てもさめても、この目の前にちらついて離れる時がありません」

 井原氏は恐れに耐えぬように、あたりを見まわした。

「で、そのできごとを、かいつまんで申し上げますと、その夜、ちょうどむすこ夫婦が泊まりがけで親戚《しんせき》へ行っていたので、下宿の老主人はただひとり、玄関わきの部屋に寝ていたのですが、いつも朝起きの主人が、その日にかぎっていつまでも寝ているので、女中のひとりが不審に思って、その部屋をのぞいてみますと、老人は寝床の中に仰臥《ぎようが》したまま、巻いて寝ていたフランネルのえりまきで、絞め殺されて冷たくなっていたのです。取り調べの結果、犯人は老人を殺しておいて、老人のキンチャクからカギを取り出し、タンスの引き出しをあけ、その中の手さげ金庫から多額の債券や株券を盗み出したことがわかりました。なにぶんその下宿屋は、夜ふけに帰って来る客のために、いつだって入り口の戸にカギをかけたことがないのですから、賊の忍び入るにはおあつらえ向ぎなんですが、そのかわりによくしたもので、殺された老主人がばかに目ざとい男なので、めったなこともなかろうと、皆安心していたわけなんです。現場には別段これという手がかりも発見されなかったらしいのですが、ただ一つ、老主人のまくらもとに一枚のよごれたハンカチが落ちていて、それをその筋の役人が持っていったといううわさなんです。

 しばらくすると、わたしは自分の部屋の押入れの中には、そら、例のフロシキ包みがあるのです。それを調べてみて、もし殺された老人の財産がはいっていたら……まあ、その時のわたしの心持ちをお察しください。ほんとうに命がけのどたんばです。わたしは長い間、そうして寿命の縮む思いをしながらも、どうしても押入れがあけられないで立ちつくしてしまいましたが、ついに意を決して、フロシキ包みを調べてみたのです。そのとたん、わたしはグラグラとめまいがして、しばらく、気を失ったようになってしまいました。……あったのです。そのフロシキ包みの中に、債券と株券がちゃんとはいっていたのです……。現場に落ちていたハンカチもわたしのものだったことが、あとになってわかりました。

「結局、わたしはその日のうちに自首して出ました。そして、いろいろの役人にいくたびとなく取り調べを受けた上、思い出してもゾッとする未決監へ入れられたのです。わたしはなんだか白昼悪夢にうなされている気持ちでした。夢遊病者の犯罪というものがあまり類例がないので、専門医の鑑定だとか、下宿人たちの証言だとか、いろいろ手数のかかる取り調べがありましたが、わたしが相当の家のむすこで金のために殺人をおかす道理がないこともわかっていましたし、わたしが夢遊病者だということは友人などの証言で明白なことですし、それに、国の父親が上京して三人も弁護士を頼んで骨折ってくれたり、最初夢遊病者を発見した友だちーそれは木村という男でしたが  その男が学友を代表して熱心に運動してくれたり、そのほか、いろいろわたしにとって有利な事情がそろっていたためでありましょう、長い未決監生活のうち、ついに無罪の判決が下されました。さて、無罪になったものの、人殺しという事実は、ちゃんと残っているのです。なんというへんてこな立ち場でしょう。わたしはもう無罪の判決をうれしいと感じる気力もないほど疲れきっていました。

「わたしは放免されるとすぐさま、父親同行で郷里に帰りました。が、家の敷居をまたぐと、それまででも半病人だったわたしは、ほんとうの病人になってしまって、半年《はんとし》ばかり寝たきりで暮らすという始末でした。……こんなことで、わたしはとうとう、一生を樺にふってしまったのです。父親の跡は弟にやらせて、それからのち二十年の長い月日を、こうして若隠居といった境遇で暮らしているのですが、もうこのごろでは、はんもんもしなくなりましたよ。ハハハハハ」

 井原氏は力ない笑い声で長い身の上話を結んだ。そして、

「くだらないお話で、さぞご退屈でしたろう。さあ、熱いのをひとつ入れましょう」

といいながら、茶道具を引き寄せるのだった。

「そうですか。ちょっと拝見したところは、けっこうなお身分のようでも、伺ってみれば、あなたもやっぱり不幸なかたなんですね」斎藤氏は意味ありげなため息をつきながら「ですが、その夢遊病のほうは、すっかりおなおりなすったのですか」

「妙なことには、人殺しの騒ぎののち、忘れたように、いちども起こらないのです。おそらく、その時あまりひどい刺激を受けたためだろう、と医者はいっています」

「そのあなたのお友だちだったかた……木村さんとかおっしゃいましたね。……そのかたが、最初あなたの発作を見たのですね。それから時計の事件と、それから、墓地の幽霊の事件と、・….・そのほかの場合はどんなふうだったのでしょうか。ご記憶だったらお話しくださいませんか」

 斎藤氏は、突然少しどもりながら、こんなことを言い出した。彼の一つしかない目が異様に光っていた。

「そうですね。皆似たり寄ったりのできごとで、殺人事件をのけては、まあ、墓地をさまよった時のが、いちばん変わっていたでしょう。あとはたいてい、同宿者の部屋へ侵入したというようなことでした」

「で、いつも品物を持って来るとか、落としてくるとかいうことから発見されたわけですね」

「そうです。でも、そうでない場合もたひたびあったかもしれません。ひょっとしたら、墓地どころではなく、もっともっと遠いところへさまよいだしていたことも、あったかもしれません」

「最初木村というお友だちと議論をなすった時と、墓場で勤め人のかたに見られた時と、そのほかに、だれかに見られたというようなことはないのですか」

「いや、まだたくさんあったようです。よなかに下宿屋の廊下を歩きまわっている足音を聞いた人もあれば、他人の部屋へ侵入するところを見たという人などもあったようです。しかしあなたは、どうしてそんなことをお尋ねになるのです。なんだか、わたしが調ぺられているようではありませんか」

 井原氏は無邪気に笑って見せたが、その実、少し薄気味わるく思われてならなかった。

「いや、ごめんください。決してそういうわけではないのですが、あなたのようなお人柄なかたが、たとい夢中だったといえ、そんな恐ろしいことをなさろうとは、わたしにはどうも考えられないものですから。それに一つ、わたしにはどうも不審な点があるのです。どうか怒らないで聞いてください。こうしてかたわ者になって世間をよそに暮らしていますと、ついなにごとも疑い深くなるのですね。……ですから、あなたはこういう点をお考えなすったことがありますかしら。夢遊病者というものは、その徴候が本人にも絶対にわからない。夜中に歩きまわったり、おしゃべりをしていても、朝になればすっかり忘れている。つまり、他人に…教えられてはじめて『それは夢遊病者なのかなあ』と思うくらいのことでしょう。医者にいわせると、いろいろ肉体上の徴候もあるようですが、それとても実に漠《ばく》としたもので、発作がともなってはじめて決せられる程度のものだというではありませんか。わたしは自分が疑い深いせいですか、あなたはよくむぞうさに自分の病気をお信じなすったと思いますよ」

 井原氏は、何かえたいの知れぬ不安を感じはじめていた。それは、斎藤氏の話から来たというよりは、むしろ相手の見るも恐ろしい容貌《ようぼう》から、その容貌の裏にひそむなにものかから来た不安であった。しかし、彼はしいてそれをおさえながら答えた。

「なるほど、わたしどても最初の発作の時にはそんなふうに疑ってもみました。そして、これがまちがいであってくれればいいと祈ったほどでした。でも、あんなに、長い間、たえまなく発作が起こっては、もうそんな気休めもいっていられなくなるではありませんか」

「ところが、あなたは一つのたいせつな事柄に気づかないでいらつしゃるように思われるのです。というのは、あなたの発作を目撃した人が少ない。いや、せんじつめれば、たったひとりだったという点です」

 井原氏は、相手がとんでもないことを空想しているらしいのに気づいた。それは実に、普通人の考えも及ばぬような恐ろしいことだった。

「ひとりですって。いや、決してそんなことはありません。先ほどもお話ししたように、わたしが他人の部屋へはいるうしろ姿を見たり、廊下の足音を聞いたりしている人はいくらもあるのです。それから墓場の場合などは、名まえは忘れましたが、ある会社員が確かに目撃して、わたしにそれを話したくらいです。そうでなくても、発作の起こるたびにきっと、他人の品物がわたしの部屋にあるか、わたしの持ち物がとんでもない遠方に落ちているかしたのですから、疑う余地がないじゃありませんか。品物がひとりで位置をかえるはずもありませんからね」

「いや、そういうふうに、発作のたびごとに証拠品が残っていたという点が、かえってあやしいのです。考えてごらんなさい。それらの品物は、必ずしもあなた自身の手をわずらわさなくても、だれかほかの人がそっと位置をかえておくこともできるのですからね。それから、目撃者がたくさんあったようにおっしゃいますが、墓場の場合にしても、そのほかのうしろ姿を見たとかなんとかいうのは、皆あいまいなところがあります。あなたでないほかの人を見ても、夢遊病者という先入主のために、少し夜ふけにあやしい人影でも見れば、すぐあなたにしてしまったかもしれません。そういう際に、まちがったうわさをたてたからとて、少しも非難されるうれいはありませんし、その上、一つでも新しい事実を報告するのを、てがらのように思うのが人情ですからね。さあ、こういうふうに考えてみますと、あなたの発作を目撃したという数人の人々も、たくさんの証拠の品物も、みな、あるひとりの男の手品から生まれたのだ、といえないこともないではありませんか。それはいかにもじょうずな手品には相違ありません。でも、いくらじょうずでも、手品は手品ですからね」

 井原氏はあっけにとられたように、ぼんやりして、相手の顔をながめていた。彼はあまりのことに、考えをまとめる力をなくした人のように見えた。

「で、わたしの考えを申しますと、これはその木村というお友だちの深い考えから編み出された手品かもしれないと思うのです。何かの理由から、その下宿屋の老主人をなきものにしたい、そつと殺してしまいたい。しかし、たといいかほど巧妙な方法で殺しても、殺人が行なわれた以上、どうしても下手人が出なければ、おさまりっこありませんから、だれか別の人を自分の身がわりに下手人にする。しかも、その人には、できるかぎり迷惑のかからぬような方法で……もし、もしですよ、その木村という人が、こんな立ち場にあったと仮定しますならば、あなたという信じやすい、気の弱い人を夢遊病者に仕立てて一狂言書くということは、実に申し分のない考えではないでしょうか。

「こういう仮定をまずたててみて、それが理論上なりたつかどうかを調べてみましょう。さて、その木村という人は、ある機会を見て、あなたにありもしない作り話をして聞かせます。と、つこうのいいことには、あなたが少年時代に寝とぼける癖があったことが一つの助けとなって、そのこころみが案外効果をおさめたとします。そこで木村氏は、ほかの下宿人の部屋から時計そのほかのものを盗み出して、あなたの寝ている部屋の中に入れておくとか、気づかれぬようにあなたの持ち物を盗み出して、ほかの場所へ落としておくとか、自分自身があなたのようによそおって墓場や下宿の廊下などを歩きまわるとか、種々さまざまの機知をろうして、ますますあなたの迷信を深めようとします。また一方、あなたの周囲の人たちにそれを信じさせるためにいろいろの宣伝をやります。こうして、あなたが夢遊病だということが、本人にも周囲にも完全に信じられるようになった上で、もっともつごうのいい時を見はからって、木村氏自身がかたきとねらう老人を殺害するのです。そして、その財産をそっとあなたの部屋に入れておき、前もって盗んでおいたあなたの所持品を現場へのこしておくと、こういうふうに想像することが、あなたは理論的だとは思いませんか。一点の不合理も見いだせないではありませんか。そしてその結果は、あなたの自首ということになります。なるほど、それはあなたにとってずいぶん苦しいことには相違ありませんが、犯罪という点では無罪とはいかずとも、比較的軽くすむのはわかりきったことです。よし、多少の刑罰を受けたところで、あなたにしてみれば病気のさせた罪ですから、ほんとうの犯罪ほど心苦しくはないはずです。少なくも木村氏はそう信じていたことでしょう。別段あなたに対して敵意があったわけではなかったのですからね。ですが、もし彼があなたの今のような告白を聞いたなら、さぞかし後悔したことでしょう。

「いや、とんだ失礼なことを申し上げました。どうか気を悪くしないでください。これというのも、あなたのざんげ話を伺って、あまりおきのどくに思ったものですから、ついわれを忘れて、変な理屈を考え出してしまったのです。ですが、あなたのお心を二十年来悩まして来た事柄も、こういうふうに考えれば、すっかり気安くなるではありませんか。いかにも、わたしの申し上げたことは当て推量かもしれません。でも、たとい当て推量にしろ、そう考えるほうが理屈にもかない、あなたのお心も安まるとすれば、けっこうではありますまいか。

「木村という人が、なぜ老人を殺さねばならなかったか。それは、わたしが木村氏自身でない以上、どうもわかりようがありませんが、そこにはきっと、いうにいわれぬ深いわけがあったことでしょう。たとえば、そうですね、かたき討ちとかいったような……」

 まっさおになった井原氏の顔色に気づくと、斎藤氏はふと話をやめて、なにごとかをおそれるようにうなだれた。

 ふたりはそうしたまま、長い間対座していた。冬の日は暮れるにはやく、障子の日影も薄れて部屋の中にはうそ寒い空気がただよいだしていた。

 やがて、斎藤氏はおそるおそるあいさつをすると、逃げるように帰って行った。井原氏はそれを見送ろうともしなかった。彼は元の場所にすわったまま、こみ上げて来る忿怒《ふんぬ》をじっとおさえつけていた。思いがけぬ発見に思慮を失うまいとして、全力をつくしていた。

 しかし、時がたつにつれて、彼のすさまじい顔色がだんだん元に復していった。そして、ついに苦いにがい笑いが、彼の口辺にただようのだった。

「顔かたちこそ変わっているが、あいつは、あいつは……だが、たといあの男が木村自身だったとしても、おれは何を証拠に復讐《ふくしゆう》しようというのだ。おれというおろかものは、手も足も出ないで、あの男のてまえかってな憐憫《れんびん》をありがたくちょうだいするばかりじゃないか」

 井原氏は、つくづく自分のおろかさがわかったような気がした。と、同時に、世にもすばらしい木村の機知を、にくむというよりは、むしろ賛美しないではいられなかった。
                             (『新青年』大正十三年六月号)

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