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江戸川乱歩「盗難」

 おもしろい話があるのですよ。わたしの実験談ですがね。こいつをなんとかしたら、あなたの探偵小説の材料にならないもんでもありませんよ。聞きますか。エ、ぜひ話せって。それじゃ、いたって話しべたでお聞きづらいでしょうが、ひとつお話しましょうかね。

 決して作り話じゃないのですよ。と、お断わりするわけは、この話はこれまで、たびたび人に話して聞かせたことがあるのですが、そいつが、あんまり作ったようにおもしろくできているもんだから、そりゃあ、おまえ、なんかの小説本から仕込んできた種じゃないか、なんて、たいていの人がほんとうにしないくらいなんです。しかし、正真正銘いつわりなしの事実談ですよ。

 今じゃこんなやくざな仕事をしていますが、三年前までは、これでもわたしは宗教に関係していた男です。なんていいますと、ちょっとりっぱに聞こえますがね。実は、くだらないんですよ。あんまり自慢になるような宗教でもない。x×教といってね、あんたなんか、たぶんご承知ないでしょうが、まあ、天理《てんり》教や金光《こんこう》教の親類みたいなものです。もっとも、宗旨のものにいわせれば、そりゃいろいろもったいらしい理屈があるのですけれど。

 本山、というほどのおおげさなものでもありませんが、そのお宗旨の本家は××県にありまして、それの支教会が、あの地方のちょっと大きい町にはたいていあるのです。わたしのいましたのは、そのうちのN市の支教会でした。このN市のは、数ある支教会のうちでも、なかなかはぶりのいいほうでしたよ。それというのが、そこの主任  宗旨ではやかましい名まえがついてますけれど、まあ、主任ですね。それがわたしの同郷の者で、古い知り合いでしたが、そりゃ実にやり手なんです。といっても、決して宗教的な、悟りを開いたというようなのではなくて、まあ、商才にたけていたとでもいいますかね。宗教に商才は少し変ですけれど、信者をふやしたり、寄付金を集めたりする腕まえは、なかなかあざやかなものでしたよ。

 今もいったように、わたしはその主任と同郷の縁故で、あれは何年になるかな、エート、わたしの二十七の年だから、そうですね、ちょうど今から七年前ですね、そこへ住み込んだのですよ。ちょっとしたしくじりがありまして、職に離れたものですから、どうにもしようがなくて、いちじのしのぎに、早くいえば居候《いそうろう》をきめ込んだわけですね。ところが、いっこう足が抜けなくて、ゴロゴロしているうちには、だんだん宗旨のことにもなれてくる、自然いろいろの用事を仰せつかる、というわけで、しまいには、その教会の雑用係として、とうとう根をすえてしまったのです。あれで、足かけ五年もいましたからね。

 むろん、わたしは信者になったわけではありません。根が信仰心のとぼしいところへ、内幕を知ってしまって、しかつめらしい顔をしてお説教をしている主任が、裏へ回ってみれば、酒を飲むは、女狂いはするは、夫婦げんかは絶え間がないというしまつでは、どうも信仰も起こりませんよ。やり手といわれるような人には、ありがちのことなんでしょうが、主任というのはそんな舅だったのです。

 ところが、信者となると、ああいう宗旨の信者はまた格別ですね。気違いみたいなのが多いのですよ。普通のお寺のことはよく知りませんが、寄進などでも、なかなかはでにやりますね。よくまあ惜しげもなく、あんなに納められたもんだと、わたしのような無信仰のものには、不思議に思われるくらいですよ。したがって、主任の暮らし向きなんか、ぜいたくなものです。信者からまき上げた金で、相場《そうば》に手を出していたくらいですからね。わたしは、いったいあきっぽいたちでして、これまで同じ仕事を二年と続けたことはないほどですが、そのわたしが、教会に五年しんぼうしたというのは、そういうわけで、わたしなどにも、しぜんみいりがたっぷりあって、いごこちがよかったからでしょうね。では、なぜそんないい仕事をよしてしまったか。さあ、それがお話なんですよ。

 さて、その教会の説教所というのは、もう十何年も前に建てられたもので、わたしがそこへ行った時分には、だいぶいたんでもいて、きたなくもなっていました。それに、主任が替わってから、にわかに信者がふえて、かなり手狭でもあったのです。そこで、主任は、説教所を建て増して広くし、同時にいたんだ個所の手入れをすることを思いたちました。といっても、別に積立金があるわけではなく、本部にいってやったところで、多少の補助はしてくれるでしょうが、とても増築費全部を支出させるわけにはいぎません。けっきょくは、信者から寄付金を募るほかはないのです。費用といっても、増築のことですから、一万円[今の三、四百万円]たらずで済むのですが、いなかの支教会の手でそれだけ寄付金を集めるというのは、なかなかほねです。もし、主任にさっきいったような商才がなかったら、たぶんあんなにうまくはいかなかったでしょう。

 ところで、主任のとった寄付金募集の手段というのがおもしろいのです。こうなるとまるで詐欺ですね。まず信者中第一の金満家、市でも一流の商家のご隠居なんですがね。その老人を、なんでも神様から夢のお告げがあったなどともったいをつけて、うまく説ぎ伏せ、寄付者の筆頭として、三千円でしたか納めさせてしまったのです。そりゃ、こういうことにかけちゃ、とてもすごい腕まえですからね。で、この三千円がおとりになるわけです。主任は、それを現金のまま備えつけの小形金庫の中へ入れておいて、信者の来るたびに、

「ご奇特なことです。だれだれさんは、もうこのとおり大枚の寄進につかれております」

 などと見せびらかし、同時に、例のまことしやかな夢のお告げを用いるものですから、だれしも断わりきれなくなって、応分の寄付をする。中にはとらの子の貯金をはたいて信仰ぶりを見せる連中もあるというわけで、みるみる寄付金の高は増していくのでした。考えてみると、あんな楽な商売はありませんね。十日《とうか》ばかりのあいだに、五千円も集まりましたからね。この分で行けば、ひと月もたたないうちに、予定の増築費はわけもなく手に入れることができるだろうと、主任はもうほくほくものなんです。

 ところがね、たいへんなことが起こったのです。ある日めこと、主任にあてて、実に妙な手紙が舞い込んだじゃありませんか。あなたがたのお書ぎになる小説のほうでは、いっこう珍しくもないことでしょうが、実際にあんな手紙が来ては、ちょっとめんくらいますよ。その文面はね、「今夜十二時のとけいを合い図に、貴殿の手もとに集まっている寄付金をちようだいに推参する。ご用意を願う」というのです。ずいぶんすいきょうなやつもあったもので、どろぼうの予告をしてきたのですよ。どうです、おもしろいでしょう。よく考えてみれば、ばかばかしいようなことですけれど、そのときはわたしなんか青くなりましたね。今もいうように、寄付金は全部現金で金庫に入れてあって、それをたくさんの信者たちに見せびらかしているのですから、今教会にまとまった金があるということは、一部の人々には知れ渡っているのです。どうかして悪いやつの耳にはいっていないともかぎりません。ですから、どろぼうがはいるのは不思議はないのですが、それを時間まで予告してくるというのはいかにも変です。

 主任などは、

「なあに、だれかのいたずらだろう」

 といって平気でいます。なるほど、いたずらででもなければ、こんなわざわざ用心させるような手紙を出すどろぼうがあるはずはないのですから。でもね、理屈はまあそういったものですけれど、わたしはどうやら心配でしかたがないのです。用心するに越したことはない。いちじこの金を銀行へ預けたらどうだろうと、主任に勧めてみても、先生いっこうとりあってくれません。では、せめて警察へだけは届けておこうと、ようやく主任を納得させて、わたしが行くことになりました。

 お昼過ぎでした。身じたくをして表へ出て、警察のほうへ一丁ばかりも行きますと、うまいぐあいに向こうから、四、五日前に戸籍調べに来て顔を見覚えている巡査が、テクテクやって来るのに出会ったものですから、それをつかまえて、実はこれこれだといちぶしじゅうを話したのです。いかにも強そうなヒゲ武者の巡査でしたがね。わたしの話を聞くと、いきなり笑いだしたじゃありませんか。

「オイオイ、きみは世のなかに、そんなまぬけなどろぼうがあると思うのか。ワハハハハハ、一杯かつがれたのだよ、一杯」

 こわい顔をしているけれど、なかなからいらくな男とみえます。

「しかし、わたしどもの立場になってみますと、なんだかうす気味がわるくてしようがないのですが、念のために一応お調べくださるわけにはいぎますまいか」

 わたしが押していいますと、

「じゃね、ちょうど今夜はぼくがあのへんを同ることになっているから、その時分に一度行ってみてあげよう。むろん、どろぼうなんて来やしないけれど、どうせついでだからね。お茶でも入れておいてくれたまえ。ハハハハハ」

 と、どこまでも冗談にしているのです。でもまあ、来てくれるというので、わたしも安心して、くれぐれも忘れないようにと念を押して、そのまま教会へ帰りました。

 さて、その晩です、いつもなら、夜の説教でもないかぎり、もう九時ごろになると寝てしまうのですが、今夜はなんだか気になって寝るわけにはいぎません。わたしは巡査との約束もあったので、お茶とお菓子の用意をさせて、奥の一問でーそれが信者との応接間だったのです。──そこの机の前にすわって、じつと十二時になるのをまっていました。妙なもので、床の間に置いてある金庫から目が離せないような気がするのです。そうしているうちに、スーッと中の金だけが消えていきやしないか、なんて思われましてね。

 それでも、多少心配になるかして、主任もときどきそのへやへやって来て、わたしに世間話などしかけました。なんだかばかに夜が長いように思いました。やがて、十二時近くになると、感心に約束をたがえないで、昼間の巡査がやって来ました。そこで、さっそく奥へ上がってもらって、金庫の前で、主任と巡査とわたしと三人が車座になって、お茶を飲みながら番をすることにしました。いや、番をするつもりでいたのは、たぶんわたしだけだったかもしれません。主任も巡査も、昼間の手紙のごとなんかてんで問題にしていないのです。おまわりさんなかなか議論家で、主任をつかまえて盛んに宗教論を戦わせている。先生まるでそんな議論をやるために来たようなあんばいなのです。そりゃ、テクテク暗やみの町を巡回しているよりは、お茶を飲んで議論をしているほうが、愉快に相違ありませんからね。なんだかわたしひとりくよくよ心配しているのが、ばかばかしくなったものですよ。

 しばらくしますと、しゃべりたいだけしゃべってしまった巡査は、ふと気がついたように、わたしの顔を見ながらいうのです。

「ア、もう十二時半だね。それみたまえ、あれはやっぱりいたずらだったね」

 そうなるとわたしはいささか恥ずかしく、

「ええ、おかげさまで」

 とかなんとかあいまいに答えたのですが、すると巡査が金庫のほうを見て、

「で、金はたしかにその中にはいっているのだろうね」

 と、妙なことを聞くではありませんか。わたしはからかわれたような気がして、いささかむっとしたものですから、

「むろん、はいっていますよ。なんなら、お目にかけましょうか」

 と、皮肉にいいかえしたものです。

「いや、はいっていればいいがね。念のために、一応調べておいたほうかいいかもしれないよ。ハハハハハ」

 と、先方もあくまでからかってきます。わたしはもうしゃくにさわってしようがないものですから、

「ごらんなさい」

 といいながら、金庫の文字合わせをしてそれを開き、中のさつ束を取り出して見せました。すると、巡査がね、

「なるほど、そこですっかり安心してしまったわけだね」

 わたしはうまくまねられませんけれど、そりゃいやないい方でしたよ。なんだか変に奥歯に物のはさまったような調子で、意味ありげにニヤニヤ笑っているのですからね。

「だが、どろぼうのほうにはどんな手段があるかもしれないのだ。きみはこのとおり金があるからだいじょうぶだと思っているのだろうが、これはLそういって巡査はそこにおいてあったさつ束を手にとりながら、

「これは、もうとっくにどろぼうのものになっているかもしれないよ」

 と、妙なことをいうではありませんか。

 それを聞くと、わたしは思わずゾッと身ぶるいしました。こうなんともえたいのしれないすごい気持ちですね。こんなふうに話したんじゃ、ちょっとわからないかもしれませんけれど。何十秒かのあいだ、わたしたちは、物もいわないでじっとしていました。お互いに相手の目の中をみつめて、なにごとかを探りあっているのです。

「ハハハハハ、わかったね。じゃ、これで失敬するよ」

 突然、巡査はそういって立ち上がりました。さつ束は手に持ったままですよ。それから、もう一方の手には、ポケットから取り出したピストルを、油断なくわたしたちのほうへ向けながらですよ。にくらしいじゃありませんか。そんな際にも巡査の句調を改めないで、失敬するよなんていっているんです。よっぽど胆のすわったやつですね。

 むろん、主任もわたしも、声をたてることもできないで、ほんやりすわったままでした。どぎもを抜かれましたよ。まさか、戸籍調べに来て顔なじみになっておくという新手《あらて》があろうとは気がつぎませんや。もうほんとうの巡査だと信じきっていたのですからね。

 きゃつはそのままへやのぞとへ出ましたが、帰るかと思うと、そうじゃないのです。出たあとのふすまをわずかばかりあけておいて、そのすぎまからピストルのつつ口をわたしたちのほうへ向けて、じっとしているのです。長いあいだ、少しも動かないのです。暗くてよくわからないけれど、ピストルの上のすきまからは、くせものの片方の目玉がこちらをにらんでいるような気がします。……え、わかりましたか。さすがはご商売がらですね。そのとおりですよ。鴨居《かもい》のクギから細いひもでピストルをつりさげて、いかにも人間がねらいを定めているように見せかけたのです。しかし、そのときのわたしたちには、そんなことを考える余裕なんかありゃしません。いまにもズドンと来やしないかという恐ろしさでいっぱいですからね。しばらくして、主任の細君が、そのピストルの見えているふすまをあけてへやへはいって来たので、やっと様子がわかったようなしまつでした。

 こっけいだったのは、そうして金を盗んでいく巡査を、いや、巡査に化けたどろぼうを、主任の細君が玄関まで丁寧に送り出したことです。別に大きな声をたてたわけでも、立ち騒いだわけでもないのですから、茶の間にいた細君には少しも様子がわからなかったのです。そこを通るとき、くせものは、

「おじゃましました」

 なんて、平気で細君に声をかけたそうですよ。

「まあ、お見送りもいたしませんで」

 と、細君もちょっと妙に思ったそうですが、とにかく自分で玄関まで見送ったというのです。いや、大笑いですよ。

 それから、寝ていた雇い人なども起きてぎて大騒ぎになったのですが、その時分には、どうぼうはもう十丁も先へ逃げているころでした。皆のものが期せずして門口《かどぐち》まで駆けだしました。そして、暗い町の左右をながめながら、あちらへ逃げた、こちらへ逃げたと、くだらない評定に時を移したものです。夜ふけですから、両側の商家など、戸をしめてしまって、町はまっ暗です。四軒に一つか、五軒に一つくらいのわりで、丸い軒灯がちらほらと寂しく光っているばかりです。するとね、向こうの横町からポッカリと一つの黒い影が現われて、こちらへやって来るのが、どうやら巡査らしいじゃありませんか。わたしはそれを見ると、今のどろぼうがわれわれにはむかうために、もう一度帰って来たのじゃないかと思って、ハッとしました。そして思わず、主任の腕をつかんで、黙ってそのほうを指さしたのです。

 だが、それはどろぼうではなくて、今度は本物の巡査でした。その巡査がわたしたちのガヤガヤ騒いでいるのを不審に思ったとみえて、どうしたのだとたずねるのです。そこで、主任とわたしとが、ちょうどいいところです、まあお聞きください、というわけで、盗難の次第を話しますと、巡査のいうには、今から追っかけてみたところでとてもダメだから、自分がこれから署に帰って、さっそく非常線を張るように手配をする。むろん、それは偽りの警官に相違ないが、そんな服装をしていれば人目につきやすいから、だいじょうぶつかまる、安心しろ、ということで、盗難の金額やどろぼうの風体など詳しく聞きとって手帳に書き込み、大いそぎで今来たほうへ引き返して行きました。巡査の口ぶりでは、もうわけもなくどろぼうをつかまえ、金を取りもどすことができるような話しだったので、わたしたちもたいへんたのもしく思い、ひと安心したことですが、さて、なかなかどうして、そううまくいくものではありません。

 きょうは警察から通知があるか、あすはとられた金が返るかと、その当座は毎日そのことばかり話しあっていました。ところが、五日たっても十日《とうか》たっても、いっこうおとさたがないではありませんか。むろん、そのあいだには、主任がたびたび警察へ出頭して、様子をたずねていたのですけれど、なかなか金は返って来そうもないのです。

「警察なんて、実に冷淡なもんだ。あの調子では、とてもどろぼうはつかまらないよ」

 主任はだんだん警察のやり方にあいそをつかして、司法主任がおうへいなやつだとか、このあいだの巡査が、あんなに請け合っておきながら、近ごろでは自分の顔を見ると逃げまわっているとか、いろいろ不平をこなすようになりました。そうして半月とたち、ひと月と過ぎましたが、やっぱりどろぼうはつかまらないのです。信者たちも寄り合いなどを開いて大騒ぎをやっているのですが、なにぶんそんな宗旨の信者のことですから、さてどうしようという知恵も出ないのです。そこで、とられたもめはとられたものとして、警察にまかせておいて、改めて寄付金の募集に着手することになりました。そして、例の主任の巧みな弁口によって相当の成績を上げ、けっきょく予定に近い寄付金が集まって、増築のほうは、まあ、計画どおりうまくいったのですが、それはこのお話に関係がないから略するとして。


 さて、盗難事件から二《ふた》月ばかりののち、ある日のことです。わたしは少し所用があって、A市から五、六里隔ったところにあるY町まで出かけたことがあります。Y町には近郷でも有名な浄土宗の寺院があるのですが、ちょうどわたしの行った日には、一年に一度の盛大なお説教が始まっていて、七日のあいだとか、その寺院の付近一帯はお祭り騒ぎをやっているのです。軽わざだとか因果者師だとかのかけ小屋がいくつも建てられ、いろいろなたべ物やおもちゃの露店が軒を並べ、ドンチャン、ドンチャンと、たいへんな騒ぎです。

 用事を済ませたわたしぱ、別に急いで帰る必要もなかったものですから、時候はのどかな春のことではあり、陽気な音楽や人声につられて、ついその盛り場へ足を踏み入れ、あちらの見せ物、こちらの物売りと、人だかりのうしろからのぞいて回ったものです。

 あれはなんでしたっけ、確か歯の薬を売っている香具師《やし》の人だかりだったと思います。大きな男が太いステッキを振り回して、なんだかしゃべっているのが、大ぜいの頭のすきまから見えていました。それがいかにもおもしろそうなので、わたしは人だかりの大きな輪のまわりを、あちらこちらと、いちばんよく見えそうな場所を捜し歩きまわっていました。するとね、その見物人の中にまじっていた、ひとりのいなか紳士ふうの男が、ヒョイとうしろをふり向いたのですが、それを見たわたしは、ハッとして、思わず逃げ出そうとしました。なぜといって、その男の顔が、いつかのどろぼうにそっくりだったのです。ただ違うところは、巡査にばけていた時分には、鼻の下からあごから一面にひげをはやしていたのが、今は奇麗にそり落とされていた点です。ひょっとしたら、あれは顔形をかえるための、つけひげだったのかもしれません。実に驚きましたね。

 しかし、 一度は逃げ出そうと身がまえまでしたのですが、よく先方の様子を見ますと、別段わたしに気がついたふうでもなく、また向こうを向いて、じっと中の演説を聞いていますので、まずこれなら安心だと、その場を去って、少し離れたおでん屋のテント張りのうしろから、そっとその男を注意していました。

 わたしはもう胸がドキドキしているのです。ひとつはこわさ、ひとつはどろぼうを見つけたうれしさでね。なんとかして、こいつのあとをつけて、住所を確かめ、警察へ教えてやることができたら、そして、もし盗まれた金が一部でも残っているようだったら、主任をはじめ信者たちもどれほど喜ぶだろう。そう思うと、なんだかこう自分が劇中の人物になったような気がして、異様な興奮をおぼえるのです。だが、もう少し様子を見て、この男がほんとうにあのときのどろぼうかどうかを確かめる必要があります。人違いをやってはたいへんですからね。

 しばらく待っていますと、かれは人だかりを離れてブラブラ歩ぎだしました。が、見ればふたり連れなんです。わたしはそのときまで気がつかずにいたのですが、さっきからその男の隣に同じような服装の男が立っていたのが、友だちだったとみえます。なあに、ひとりでもふたり連れでも、あとをつけるに変わりはないと、わたしは見つからないように用心しながら、人ごみのことですから二、三間の間隔で、かれらのあとからついて行きました。あなたはご経験がありますか。人を尾行するのは、実にむずかしい仕事ですね。用心しすぎれば見失いそうだし、見失うまいとすればどうしても自分のからだを危険にさらさねばならず、小説で読むように楽なもんじゃありませんね。で、かれらが、二、三丁も行ったところで、一軒の料理屋へはいったときには、わたしはホッとしましたよ。ところが、そのときに、かれらが料理屋へはいろうとしたときにですね、わたしはまたもや、たいへんなことを発見したのです。というのは、ふたりのうちのどろぼうでないほうの男の顔が、不思議じゃありませんか、あのときどろぼうをつかまえてやろうといった、もうひとりの巡査にそっくりだったのです。いや、待ってください。それでもうわかったなんて、いくらあなたが小説家でも、そいつは少し早すぎますよ。まだ先があるのです。もうしばらく、しんぼうして聞いてください。

 さて、ふたりの男が料理屋へはいったのを見て、わたしはどうしたかといいますと、これが小説だと、その料理屋の女中にいくらか握らせて、ふたりの隣のへやへ案内してもらい、ふすまに耳をあてて話し声でも聞くところなんでしょうが、こっけいですね、わたしはそのとき料理屋へ上がるだけの持ち合わせがなかったのですよ。サイフの中には汽車の往復切符の半分と、たしか一円足らずの金しかはいっていなかったのです。そうかといって、あまりに不思議なことで、警察へ届けるという決断もつかず、またそんなことをしているうちに、逃げられるという心配もあったものですから、ご苦労さまにも、わたしは料理屋の前に、じっと張り番をしていました。

 そうしていろいろと考えてみますと、どうもこれは、あのとき最初に来た巡査がにせものだったと同じように、あとから来た巡査も、あのどろぼうをつかまえてやるといったほうのですね、それもにせ物だったと見るほかはありません。実にうまく考えたものですね。前の半分はよくあるやつで、さして珍しくもないでしょうが、あとの半分、つまり、にせ物の次にきた同じにせ物を出すという手は、いかにもよくできてますよ。同じからくりが二つも重なっていようとは、ちょっと考えられませんし、それに相手がおまわりさんですから、今度こそ本物だろうと、だれしも油断しまさあね。こうしておけば、ほんとうの警察に知れるのはずっとあとになり、じゅうぶん遠くまで逃げることができますからね。

 ところが、そう考えてふと気がついたのは、もしやつらふたりが同類だとすると、ちょっとつじつまの合わない点があることです。ええ、そうですよ。その点ですよ。教会の主任はあれから警察へたびたび出頭したのですから、あとの巡査がにせ物だったら、すぐわかるはずです。さあ、わたしは何がなんだかさっぱり訳がわからなくなってしまいました。

 一時間も待ったでしょうかね。やがて、ふたりは赤い顔をして料理屋から出て来ました。わたしはむろん、かれらのあとをつけました。かれらは盛り場を離れて、だんだんさびしいほうへ歩いていきましたが、ある町かどへ来ると、ちょっと立ち止まってうなずきあったまま、そこでふたりは別れてしまったのです。わたしは、どちらの跡をつけたものかと、だいぶん迷いましたが、けっきよく、金を持っていったほうの、つまり最初に発見した男を尾行することにしました。かれは酔っているので、いくらかヒョロヒョロしながら、町はずれのほうへと歩いて行きます。あたりはますます寂しくなって、尾行するのがよほどむずかしくなってきました。わたしは半丁もうしろから、なるべく軒下の陰になったところを選んで、ビクビクものでついて行きました。そうして歩いているうちに、いつの間にか、もう人家のないような町はずれへ出てしまったのです。見ると、行く手にちょっとした森があって、中に何かの社が祭ってある、鎮守の森とでもいう分でしょうね、そこへ男はドンドンはいって行くではありませんか。わたしはどうやら薄気味がわるくなってきました。まさか、きゃつの住まいがその森の奥にあるわけでもありますまい。いっそ断念して帰ろうかと思いましたが、せっかくここまで尾行してきたのを、今さら中止するのも残念ですから、わたしは勇気を出して、なおも男のあとをつけました。ところが、そうして森の中へ一歩足を踏み入れたときです。わたしはギョッとして思わず立ちすくんでしまいました。ずっと向こうのほうへ行っているとばかり思っていた男が、意外にも、大きな木の幹のうしろからひょいと飛ぴ出して、わたしの目の前につっ立ったじゃありませんか。かれはずるそうな笑いを浮かべて、わたしのほうをじっと見ているのです。

 そこで、わたしはいまにも飛びかかってきやしないかと、思わず身構えをしたのですが、どぎもを抜かれたことには、相手は、

「やア、しばらくだったね」

 と、まるで友だちにでも会ったような調子で話しかけるのです。いや、世の中にはずうずうしいやつもあったもんだと、これにはあきれましたね。

「一度お礼に行こうと思っていたんだよ」

 と、そいつがいうのです。

「あのときは実に痛快にやられたからね。さすがのおれも、きみんとこの大将には、まんまと一杯食わされたよ。きみ、帰ったらよろしくいっといてくれたまえな」

 むろん、なんのことだか訳がわかりません。わたしはよっぽど変な顔をしていたとみえます。そいつは笑いだしながらいうのです。

「さては、きみまでだまされていたのかい。驚いたね。あれはみんなにせ札だったのだよ。ほんものなら、五千円もあったから、ちょっとうまい仕事なんだが、ダメダメ、みんなよくできたにせ物だったよ」

「エ、にせ札だって? そんなばかなことがあるもんか」

 わたしは思わずどなりました。

「ハハハハハ、びっくりしているね。なんなら証拠を見せてあげようか。ほら、ここに一枚、二枚、三枚と、三百円あるよ。みんな人にくれてしまって、もうこれだけしか残っていないんだ。よく見てごらん、じょうずにできているけれど、まるきりにせ物だから」

 そいつはサイフから百円札を出して、それをわたしに渡しながらいうのです。

「きみはなんにも知らないもんだから、おれの居所をつき止めようとしてついて来たのだろうが、そんなことをしちゃたいへんだぜ。きみんとこの大将の身のうえだぜ。信者をだましてまき上げた寄付金をにせ札とすり替えたやつと、それを盗んだやつと、どちらが罪が重いか、いわなくてもわかるだろう。きみ、もう帰ったほうがいいぜ。帰ったら大将によろしく伝えてくれたまえ。おれが一度お礼に行きます、といっていたとな」

 そういったまま、男はさっさと向こうへ行ってしまいました。わたしは三枚の百円札を手にして、長いあいだぼんやりとつっ立っていました。

 なるほど、そうだったのか。それですっかり話のつじつまがあうわけです。今のふたりが同類だったとしても不思議はありません。主任がたびたび警察へ様子を聞きに行ったなんて、皆でたらめだったのです。そうしておかないと、ほんとうに警察ざたになって、どろぼうがつかまっては、にせ札のことがばれてしまいますからね。予告の手紙が来たときにも驚かなかったはずです。にせ物ならこわくはありませんや。それにしても山師《やまし》だったとは思いましたが、こんな悪事を働いていたとは意外です。先生、ひょっとしたら例の相場に手を出して、しくじったのかもしれません。それで、どこかからにせ札を仕入れてきて──シナ人なんかに頼むと、精巧なものが手にはいるといいますから──わたしや信者の前を取りつくろっていたのかもしれません。そういえば、いろいろ思いあたる節もあるのです。よくいままで、信者のほうから警察へ漏れなかったものですよ。わたしはどろぼうから教えられるまで、そこへ気がつかなかった自分の愚さが腹だたしく、その日は家に帰っても終日不愉快でした。

 それからというもの、なんだか変なぐあいになってしまいましてね。まさか古い知り合いの主任の悪事を公にするわけにもいきませんから、黙っていましたけれど、なんとなくいごこちがよくないのです。いままではただ身持ちがわるいというくらいのことでしたが、こんなことがわかってみると、もう一日も教会にいる気がしないのです。その後まもなく、ほかに仕事が見つかったものですから、すぐひまをとって出てしまいました。どろぼうの下働きはいやですからね。わたしが教会を離れたのは、こういうわけからですよ。

 ところがね、お話はまだあるのです。作り話みたいだというのは、ここのことなんです。例のにせ札だという三百円はね、思い出のために、それからずっとサイフの底にしまっていたのですが、あるときわたしの女房が──こちらへ来てからもらったのです──その中の亠枚をにせ札と知らずに、月末の支払いに使ったのです。もっとも、それはボーナス月で、わたしのような貧乏人のサィフにもいくらかまとまった金がはいっているはずでしたから、女房のまちがえたのも無理はありません。そして、なんと、それが無事に通用したではありませんか。ハハハハハ。どうです。ちょっとおもしろい話でしょう。エ、どういう訳だとおっしゃるのですか。いや、そいつはそののち別に調べてもみませんから、今もってわかりませんがね。わたしの持っていた三百円がにせ物でなかったことだけは事実ですよ。あとの二枚も、引き続いて女房の春着代になってしまったくらいですからね。

 どろぼうのやつ、あのとき実は本物の札を盗んでおぎながら、わたしの尾行をのがれるために、にせ札でもないものをにせ札だといって、わたしをだましたのかもしれません。ああして、惜しげもなくほうり出してみせれば、それも十円や二十円のはした金ではないのですから、だれしもちょっとごまかされますよ。現に、わたしもどろぼうのことばをそのまま信用してしまって、別段深く調べてもみなかったのです。しかし、そうだとすると、主任を疑ったのは実に済まないわけです。それから、もうひとりの、どろぼうをつかまえてやるといった巡査ですね。あれはいったい本物なのでしょうか、にせ物なのでしょうか。わたしが主任を疑った動機は、あの巡査がどろぼうといっしょに料理屋へ上がったりしたことですが、今になって考えてみると、あの男は本物の巡査でありながら、あとになってどろぼうに買収されていたのかもしれません。また、ひょっとしたら、職務上ああしてメボシをつけた男とつきあって、つまり探偵をしていたのかもしれません。主任の日ごろの行状が行状だったものですから、わたしはつい、あんなふうに断定してしまったのですけれど。

 そのほかにも、まだいろいろの考え方がありますよ。たとえば、どろぼうのやつにせ札のつもりで、うっかりほかの本物をわたしに渡した、と考えられないこともありませんからね。いや、結末がはなはだぼんやりしていて、話のまとまりがつかないようですが、なあに、もし探偵小説になさるのだったら、このうちどれかに決めてしまえばいいわけですよ。いずれにしても、おもしろいじゃありませんか。……とにかく、わたしはどろぼうからもらった金で女房の春着を買ったわけですね。ハハハハハ。
                             (「写真報知」大正十四年五月ごろ)

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