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佐藤春夫「散文精神の発生」

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amizako

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佐藤春夫
散文精神の発生

 新潮の九月号で広津和郎君が書かれた「散文芸術の位置」といふ文章は多少不備で、散漫で、然も尽くさないところがあったやうに思ふが、それでも
  「沢山の芸術の種類の中で、散文芸術は。直ぐ人生の隣りにゐるものである。右隣りには、詩、美術、音楽といふやうに、いろいろの芸術が並んでゐるが、左隣りは直ぐ人生である。」
といふ結論は確かな真実で
  「認識不足の美学者などに云はせると、それ故散文芸術は、芸術として最も不純なものであるやうに解釈するが、しかし人生と直ぐ隣り合せたといふところに、散文芸術の一番純粋の特色があるのであって。それは不純でもない、さういふ種類のものであり、それ以外のものでないといふ純粋さを持ってゐるものなのである。」
と看破したのは達見である。まさしく吾々が知らず識らずのうちに陥ってゐる散文芸術を律するに、詩によって立てられた美学を襲用してゐる迷妄を痛快に指摘してくれた。
 私がここに草しようとする小論は、広津君のあの一文に負ふものである。さうして同じことをもう一ぺん私の流儀で書き直さうとするだけのことである。つまり広津君が述べてくれた結論の真実を、私は私流にどう納得したかを書くだけのことである。さうして諸君は諸君の流儀で読まれたがいい。

 一体散文芸術といふものは、その形式は、言葉とともに古いものだと言へるに相違ない。しかしその散文芸術的精神の根源は割合に極く新らしいところに発生してゐるのではないだらうか。
 散文といふ形式が、文字で書かれたものとしても亦古代からあったといふ歴史的の炳乎たる事を、もとより私は否定出来ないが、私のいふのは、それらの散文は寧ろ一つの散文詩であった──無韻の叙事詩だっただけだといふのである。叙事詩の多少複雑なものであり、複雑なるが故に散文で扱はれたかに見える。要するに昔は散文は詩の畸形児にしか過ぎなかった。
 さうして真の散文芸術は、その精神はその形式より心ずっと後に、やっと近代になって生れたものであり、散文といふとも昔は寧ろ詩の一体であったその形式に一つの新らしい精神が吹き込まれた。さうしてそこに初めて散文芸術が全く詩と並立するものとして生れたと私は思ふのである。さうしてそれの発生は或ひは自然主義の発生、と同時にオノレ・ド・バルザックあたりからだといっでいいかも知れない。そんな難かしい学者的のことをいふょりは、寧ろ物語の中へ、その主人公が何によって飯を食ってゐるのか、恋人とそんな嬉しい逢引をするやうな金をどうして持ってゐるかといふやうなことを話の中に収り入れるやうになって以来だと云ふ方がいいかも知れない。いや〳〵、もっと新らしく、つまり今日、未だ発生しつつあるといふ方が正しいかも知れない。さうして散文芸術の精神は。詩的精神とはまったく別個の独立した人生観にまで根を下ろしたものであることを、私は考へる。

 アリストテレスに「詩学」があった。しかも「散文孛」は何人によっても書かれなかった。さうして「詩学」とはつまり古代の全文芸論であった。また。「散文的」といふ言葉が一種の辱しめの意味を持ってゐる事実を考へてみれば、昔──或ひは今日も尚詩がいかに無意識のうちに重んぜられてゐるかに気づく筈である。

 しかし「散文的」といふ言葉は、さういふ事実を呼ぶにこの言葉を以ってすることは、今日では寧ろ意味のないことであって、「散文的」といふ言葉はそのやうに「詩的」といふ言葉に隷属する対照語ではなく、私は寧ろ、「詩的」に対して堂々と対峙するところの一敵国でなければならないと信じてゐる。
 「古典的」と「浪漫的」と──普通、二つの大きな傾向を定義するために使用されてゐるこの二つの言葉同様に、いや、もっと大きな対立として「詩的」に対して「散文的」といふことは立派な対峙的な精神であるやうに私は思ふ。また見方によっては、近代の浪漫主義運動さへも、私が今言はうとする散文的精神の自党せざる一先駆であつたかも知れないのである。──最も詩を高唱したところの浪漫主義をまで散文的と呼ぶことに就いては無論多少の説明を要するのであるが。

 それよりも先に、一たい「詩的」精神といふものが何であるかを知ることが必要である。詩に於ては、その形式が示すとほりその精神も亦、一つの秩序ある均衡、調和、統一などといふところのものがその原則的な美であった。たとひそれに相反するやうな何者かがあった場合にでも、それはその均衡、調和、統一などを常に眼中に置いてそれらの効果を強めるための一手段であって、即ち変則的調和であるところの対照の美であった。詩の生命は、この混沌の世界が詩人の一つの心臓を中心にして支配され、即ち詩人の心臓を通過する時に世界は一つの統一調和あるものになって浄化されてゐることから生ずる美であった。詩的といふことは、たとひそれをどう解釈するとも広い意味での統一調和の美から来る悦び以外の何ものでもなかった。この意味では詩は一つの宗教的な信仰などと相似たものである。この詩的精神が唯一の文芸精神であった。さうしてすべての文芸は、たとひどのやうな個性があって多少の例外があったにしても、その主潮に於いて自づと常に古典主義であった。
 古典主義に対抗するところの浪漫主義は、きまり切った調和統一に反逆した。さうして好奇心といふ溌刺な実生活的活動をその武器にして、彼等は古典的な調和統一に対して別の新奇なものを創造しようとした。さうして古典主義にあっては変則的の美であった対照や誇張をその原則的な美にした。さうして時には自分の築いたところの調和的創造をわざとぶち壊すやうなことを敢てしたやうな例は。ティークの童話劇などに於てその適例を見る筈である。
 詩的精神に新らしい生気を吹き込み、その新らしい詩的精神によって人生を見なほさうとしたところは浪漫主義運動の詩的運動たると同時に、彼等はその間に期せずして、混沌そのものの美をさへ発見しかかった。──私が近世浪漫主義運動のなかに、散文的精神の自覚せざる前駆があるといふのはこの謂である。

 詩的精神の伝統は秩序ある均衡、統一、調和だと云ふことはすでに言った。さうしてそれに対抗するところの散文的精神とは、詩的精神とは全く反対なものである。無秩序、無統一、無調和、即ち混沌そのものである。詩の宗教的なのに比べてこれはまた、科学的で、懐疑的で、より多く悪魔に近いかも知れない、しかもその混沌のなかに我々は美そのものを発見するのである。
 詩に対抗するところの散文、即ち近代の散文に於ては、我々は詩的価値から言って何の統一をも調和をも見出され得ないやうな芸術で、しかも我々にアピールすることの詩的なもの以上な何物かがある事を屢々経験する。さうして具さにそれを見る時にそれは混沌そのものを、それの真実を、又それを散逸的なものたらしめたいやうに支持してゐるところの或る力を、混沌のままに捉へ得て来てゐることにあるのを知る。さうしてそれが美以外に、先づ真実として我々を動かすことももとよりであるが、また美としてさへ心十分に感ぜられるのである。しかも前述のやうな詩的の美とは甚だ相遠いものである。この見なれないところの美を私は散文精神のそれと呼び即ち又それは混沌の美だと言ひ切っても差支ないと思ってゐる。


 混沌の美は一面に於ては懐疑的な深さの美であるし、また不調和無統一をそれ自身がより大きな調和のほんの断片として感じて認めるやうな、さういふ人生観的な根拠によって成り立ったものと見ることが出来る。
 何れにせよ、この混沌の美が発見されると同時に、散文はその形式に対して、甚だふさはしい一つの精神を発見したのである。この散文精神は言ひ換へれば、あらゆる近代主義の精神とも言ひ得る。即ち主観に即した統一や調和から解放されて、主観が文芸の天地を支配する代りに、観察が混沌たる実生活を混沌のまゝで認めたものが即ち自然主義精神であり、自然主義の勃興はやがて散文精神の全盛になった。浪漫主義のなかにすでに胚胎してゐた散文精神は、自然主義の洗礼によって完全に誕生した。一時、文芸の世界を支配した詩は、新しく勃興した精神のために、昔の王冠を毮がれてしまった。事実に於て近代散文の発達は詩を全く文芸の片隅へ追ひやったではないか。さうして今日あるところの詩、就中、近代主義の詩なるものは、善い意味でも、悪い意味でも、実は散文的な詩にしか過ぎないではないか。──昔あったところの散文は、単に詩的な散文にしか過ぎなかったやうに。
 しか心吾々は永い因襲に従って、詩が文芸、いやすべての芸術の上に君臨してゐた当時の前代の学者によって樹立されたところの美学によって、事実が全く逆になってしまった今日の芸術世界を往々にして律し去ってゐるではないか。さうして吾々の胸に強くひびく生きた美は単にそれを判断し是認するに適当な理由がないがために、事実に於ては生きて吾々に迫るところのすべての美を、吾々は時として受け入れることを躊躇するではないか。広津君の文中に現はれた有島武郎氏の如きがこの一例であっだのではないかと思ふ。しかも実感の方を重ずることなく、因襲の方を重じたがために、完全に調和を得てその調和によって世界を見るところの詩人的作家を尊重することは知ってゐても混沌を混沌のまゝとし懐疑を懐疑のままとして投げ出し、しかも安然としてゐるところの散文精神の芸術──即ち近代主義の芸術家を十分に認めることが出来なかったのかも知れない。
 それとも又、有島氏の場合は、遂に散文精神と相容れないやうな気質であっだのかも知れない。さういふ古典的な詩的な気質も亦あり得る。

 詩的精神といひ、散文的精神といひ、この澎湃たる潮流も亦、所詮は、一つが理想主義的所産であり、他の一つは現実主義的所産である。

 何人も散文精神の芸術に対して正当なる美学を与へてくれないうちに、吾々は早くも混沌そのものを詩にしようとする一見甚だ矛盾したところの人人に遭遇する。同時性といふ言葉を発見したダダイスト。また立体的といふ効果を案出した美術家。混沌を支持してゐるところの活動性を主張する未来派。彼等は調和と統一とを生命としてゐたところの詩的専横の芸術の世界に対抗して、宇宙そのものと類似したやうな、いやそれ以上の混沌を、その美を芸術の世界に齎し、力説的散文的精神を一つの詩のやうな主観をもって高潮してゐる。これら時代的な特種の芸術家の謎は、散文精神とそれの両極をなすところの詩的精神とを無造作にひっくるめてしまったところにある。
 このやうな時代に、必ずし広く古来の美学を全く棄て去らないまでも、散文精神を中心とするところの新美学が発生しないことは怪しむべきことである。

 詩的精神は人類がまだ年若かく一つの主観に陶酔した時分の産物であるならば、これらの散文精神は人類が壮年期に達して、自己を知り、更により深く世界を視で現実の洗礼を経た後にやうやく現れ来ったところのものと言ふ可きであらうか。それとも私が、青年期を脱して単に自分の胸裏に一つの散文的世界を持つことになったに就いてかういふ思想を抱いただけのことであらうか。
                                       (十三年十月)

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