47.「手負い」

    

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蒼白な顔で座り込んでいる尾形佳紀(4)の五感は自らを取り巻く情景の全てから断絶されていた。
緑深い山肌にひっそりと建つ古びた民家の八畳間、窓からは仄かに明けた朝日が差し込み、しばらく前まで響いていた今は耳障りなだけの応援歌も既に鳴りやんで久しい。
しかし呆然と見開いた目は何を見るでもなくただ宙を見つめ、耳の奥では1つのフレーズだけが折り重なるように繰り返し響き続けていた。

――『死んだ奴の名前を……10番……死……比嘉……死んだ……比嘉寿光……』

(死……比嘉……?比嘉、が……死んだ……?)
理解する事を拒否し頭の中でバラバラのピースのように散らばった言葉が組み合わさり、自らの中で改めて形になったと同時に周囲の現実が尾形を捉える。
(――比嘉が死んだ)
ざあっと血の気が引き、長い間停止していた思考が堰を切ったように目まぐるしく動き出した。
(そう言っていた。でもまさか。本当に?
 ――いやそんな馬鹿な。そうだ、まだ分からない。
 ――何かの間違いかも知れないじゃないか。そう、そうに違いない)
そう自分に言い聞かせようとするほど、逆に抗いようのない喪失感が心に染み通っていく。
(比嘉が……)
歳こそ3つも下だが、それを感じさせない好漢を絵に描いたような男。
同期入団して以来、寮で、練習場で、誰よりも共に過ごし心を許し合えてきた。親友と言って憚らない仲だった。
次々と思い出される快活なその姿は“死”などと言う言葉とは対極にあり、どうしても結びつかない。
(それなのに、どうして……どうしてお前が!)
悲しみ、困惑、どこに向けていいかも分からない怒りや恨み。そんな感情が身の内に渦巻き、強く握りしめた両拳が白く変色していく。
(どうにかして会えていたら。その手段を探せていたら!)
今更そんな事を考えてもしょうがない。会えた所でどうなっていたかも分からない。そんな事は分かっている。
(けど俺には、出来ることがあったんじゃないか?そう、あれが……)
悲痛な面持ちでゆっくりと首を回した先には握りつぶされた紙片があった。

――昨夜。
尾形はただ焦っていた。何一つ余裕などなかった。
それは他でもなく今年5月に人生2度目となる悪夢のような前十字靱帯断絶に見舞われ、6月に同箇所3度目になる手術を受け今なおリハビリ中の己の右膝に起因する。
殺し合いなんて話を簡単に受け入れられはしないが、ただ一つはっきりとしているのはこの膝があまりに大きなハンデだという事だ。
その思いのみに囚われ、必要以上の焦りだけが心を満たしていた。
日常生活には支障がない程度の回復はしていたが、少しでも無理をするとまだ膝は痛む。
(なのに、まずこの寒空に野宿して足を冷やすなんて冗談じゃない)
どこか屋内に落ち着きたいが集落は危険だ。きっと多くの人間が家屋を目的に集まるに違いない。身体能力が並外れて優れている彼らに対して自分は全力で対抗する事も逃げる事もできない。
全身の感覚を研ぎ澄ませ、背中を伝う冷たい汗を感じながら山の中を休み休み走り、やっとぽつんと三軒並んで建つ民家を見つけたのは午前2時を回った頃だった。

幸い誰かのいる形跡は無く、押入にはカビ臭いながら毛布や布団もあった。疲労困憊した体を投げ出しやっと人心地がついたが楽観できる状況になった訳ではない。むしろ落ち着いて考える事が出来るようになった分、焦燥と憂鬱はより深く心を覆っていくばかりだった。
動くたびに違和感を感じさせるひんやりとした首輪にそっと手をやり、毛布でくるんだ膝に目を落とす。怪我をする前に比べその右足は一回りも細くなりいかにも頼りない。
(首にも、膝にも爆弾とはな)
皮肉も良い所だ。笑い話にもなりゃしない。とにかくこの膝だけは今後のために大事にしなければ――
(――今後、か……まだ帰る気でいるんだな、俺は)
そうだ。膝をかばう自分、それはまだ何も諦めていないという事だ。帰る事を。生き延びる事を。再び野球をする事を。こんな所でこのまま終わってたまるか。
まだ心が折れていない自分を確認できた事に自ら励まされ、そう言えば忘れていた荷物確認をしようとデイバッグを開けると真っ先に意外な物が目に入った。


それは説明された支給品とは明らかに異質の無造作に折りたたまれた一枚の紙片。
この島の地図のコピーのようだが、こちらにはある一点に赤のサインペンで×印がついている。その傍らには『2802-9 田中家 居間 本棚の一番下 3・9・15・21時』という走り書き。
学校を出てからはずっと1人だった。バッグは田村から渡されるまで選手達の手には触れていない。
(すると、これは……)
そう、主催者側にいる人間からの何らかのメッセージに他ならない。

尾形の心は激しく動揺した。
あの教室での奉文や田村の態度、鮮血の海に沈んだ木村一善の姿が蘇り頭を駆けめぐる。
とうてい信じられない。何かの罠かも知れない。
第一、住所らしきものが書いてある事といいこの場所は集落だろう。敢えて避けた場所だ。こんな所にノコノコと出向くなど自らを危険に投じる事に他ならない。とても動く気になどなれなかった。

続けて確認した“武器”は更にその思いを強くさせた。
(これ……?)
水や食料以外にデイバッグに入っていたのは何よりも一番馴染みのあるもの、グローブと硬球。咄嗟に理解できずバッグを引っ繰り返したが他には何も出てこない。
(……これが?野球の道具が?殺戮ゲームの武器として野球の道具を!?まさか)
訝しみ再び手にしたグローブに挟み込まれているメモに気付き慌てて広げてみると
『ラッキー!どんな時にも野球と共に☆ 自主トレは忘れずにネ。硬球は当たり所によって武器にもなるしネ!』
と安っぽい丸文字で印刷された人を食った文字が目に飛び込んだ。
(……っ!)
尾形は言葉を失い、心臓が痙攣するかのような激しい動悸に体を震わせた。
人生を駆け打ち込んできた野球を汚され、愚弄された。
しかも今自分にとってはもっとも遠く、日々その心に渇望してやまないものを。
「馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」
その切なる思いを嘲笑われたかのような不快感にカッと頭に血が上り、怒りに震える声で叫ぶと同時にメモと地図のコピーを握りつぶし投げ捨てた。
続けてグローブも頭上に振り上げたが、これは思いとどまりゆっくりと手をおろす。
そこにどんな悪意があろうとも道具自体に罪はない。野球人として道具を粗末に扱う事などできはしない。


「くそ……っ!」
苛つく気をどうする事もできず、しばらく躊躇したのち乱暴にグローブをその手にはめた。市販の既製品らしいそれは新品でまだ皮が固い。
体が覚え込んでいる習慣で親指の部分を掴んで軽く広げ、拳を打ち付けるとバン、バンと耳慣れた音が響く。それは少し哀しく耳に響いたが、心地良く懐かしい音と馴染みのある皮の感触はゆっくりと、確実に尾形の心を落ち着かせていった。
(こうして馴染ませて柔らかくして……そう、子供の頃からずっと……新しいグローブを手にする度に嬉しくてこうやってたっけな……)
バン……バンッ……
取り囲まれた全ての状況から逃げるように、尾形はただその音だけに心を預け暗い部屋で飽きもせずグローブに拳を打ち付け続けた。

――そして迎えた夜明け。
この朝届いた比嘉の訃報は尾形の心に確かな変化をもたらしていた。波立つ心を抑え立ち上がり、自らが投げ捨てた紙片を拾い上げると丁寧に皺を伸ばし改めて目を落とす。
(俺は昨日から何をしていた?ただ青くなり赤くなり……そうして何もしないでいるうちに比嘉は死んでしまった。
いや比嘉だけじゃない。井生も、永川も、田中も、長年チームを支えた大投手の佐々岡さんまでも……)
地図にオーバーラップして彼らの姿が浮かび上がる。これは現実だ。目を逸らし逃げても、ただじっと考え続けても、この現実は変わらない。
(……行ってみよう)
チームメイト達の哀しい結末に対して自分がどうにか出来たはずなどとおこがましい事は思わない。だが、もしかしたら出来たのかも知れない。今からでも出来るのかも知れない。何もせず後悔だけに苛まれる、こんな事だけはもうごめんだ。
(そうだ、俺は……カープのリードオフマンだ)
動くんだ。動かなければ何も始まらない。今年断絶されたその役割を今ここで果たそう。
必ず乗り越えてみせる。この膝の爆弾からも、首の爆弾からも、悪趣味な選抜からも。

2枚の地図を見比べ、慎重に目的地までの安全そうなルートを捻出し頭にたたき込む。潜伏した民家と両隣の家も家捜ししてみたが特に役に立ちそうな物はなく、支給された分だけの荷物を再びまとめた。
(結局武器は無しか。まあいい、誰にも会わなければいいんだ)
静かだが確かな決意を胸に民家を後にし30分ほど歩いた時、しかし尾形は待ち構えるかのように前方に立ちはだかる人影を認めた。
(しまったな……昨夜はあれほど気をつけていたのに)
一瞬心にそう思ったがこうなってはもう仕方がない。それまで己の行動を縛っていた絶対的不利な条件はかえって尾形をあっさりと開き直らせた。
自分には何もない。武器も、相手を懐柔する策も、逃げる足も。ただこの満足に動かない足で信じた事に向かって歩いていく事しかできない。

第一その人影は尾形が気づいた時から微動だにせずこちらを見ていた。今更逃げ隠れは無意味だ。遠くからでも目と目が合い、誰なのかも分かった。
土と血で汚れ所々穴が開いたユニフォームと冷たくこちらを見据えた目は凄味を発していたが、気の昂ぶっている今の尾形には意味をなさない。目を逸らさず15mほどの距離まで近づき足を止め、短く息を一つ吐くとゆっくり口を開いた。

「……緒方さん……」

【生存者残り34人】



リレー版 Written by ◆uMqdcrj.oo
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