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シリアス7」(2005/12/17 (土) 22:38:20) の最新版変更点

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銃弾がいくつも背を追い越していく。 目の前で次々と弾ける樹皮を横目に、ステラは全力で走った。 膝上まで生い茂る草と、緩んだ地面がまとわりつくように足を重くする。犬のように荒くなった呼吸が、喉の奥をひりつかせて痛い。乳酸過多で物理的に足が動かなくなるのが先か、それとも銃撃が心臓を捉えるのが先か――頭の片隅でそんなことを考えた瞬間、視界の中に都合の良さそうな巨木を見つけ、彼女は心の中で快哉を叫んだ。 (間に合え……!) ほとんど転げ落ちるように、ゆるやかな傾斜を駆け下りる。追撃してくる発砲音は、最早軽やかと言ってもいい程に軽快だ。仮に例えるなら、殺人のビート。 勿論それで殺されてはたまらないので、こちらも必死に足を動かす。目当ての巨木まで後一歩、というところでステラは足元を蹴って地面にダイブした。 そのまま前のめりに突っ込み、飛び込み前転の要領で巨木の裏側に回り込む。 カウントする――1、2、3。銃声が止まった。緊張に震える身体を堪える。腕に抱えたサブマシンガンを握り締め、ステラは耳を澄ませた。 こちらに近付いてくる、複数の足音。草をかきわけながら寄ってくるそれらが、いかにもおっかなびっくりといった様子であることを確信して、ステラは更に神経を尖らせる。 (あと3秒――2、1) ゼロ、と脳裏で数えた瞬間、木に背をつけたまま銃口を120度ほど旋廻させて、 ステラは引き金を押し込んだ。一瞬、目前に迫った敵兵の、驚愕に歪んだ顔が見えた。 両腕に衝撃がくると共に、だだだだだ、と発砲音が直接頭蓋に響く。 不用意にも無防備な姿を晒していた数名が、まともに鉛玉をくらってのけぞりながら倒れていく。慌てて身を隠そうとする生き残り目がけて、ステラは扇状に銃撃を放った。 だが何人か低い呻き声を上げた者はあったものの、最初に倒れた数名を除き、ほとんどは再び樹木の裏などに隠れてしまう。しまった、とステラは歯噛みした。 (失敗した!) 戦慄に脂汗が吹き出すのを感じながら、彼女はすぐさま踵を返すとまた走り出した。 敵の数が多すぎる。全部で何人いるのかも分からない。一箇所にとどまっていては、あっという間に包囲される危険があった。蜂の巣などごめんだった。 走る。再び大勢の足音と銃声が追いかけてくる。肺と心臓が大声で酸素不足を訴えてくるが、無視するしかない。足がもつれ、もう地面の感触さえあやふやだ。 歯を食いしばる。一度足を止めて振り返り、背後を銃弾で牽制する。2人ほど倒れたのが見えたが、残りがまだ追ってくる。きりがないようだった。 駄目かも知れない、とステラは思った。 (どうしよう、どうしたらいいの?) どうやって切り抜けたらいいのか分からない。訓練で大勢と戦ったことはあったが、その時は全員お互いが敵だった。皆が揃って自分を追ってくるなどということはなかったのだ。今のような時、どうすればいいのかを、ステラは教わっていない。 息苦しさを押し殺しながら自問する。答えは返らない。何も分からない。 (ああ……!) 自暴自棄のような思考を振り払うようにして、ステラはもう一度立ち止まって振り返り、牽制の銃弾をばら撒こうとした。脇を絞め、そしてそのまま引き金を引く―― 銃声が1発鳴って、サブマシンガンの正面に居た男が吹き飛んだ。 「――え?」 ステラは驚愕に目を見張った。 何故ならその男は、彼女から見て「真横」に倒れたからだ。 というか、そもそも彼女はまだ撃っていない。そして当惑したのは敵兵たちも同じことだったらしい。意味の分からない怒号が叫ばれ、銃声の主を探すように彼らの視線が右往左往する。だが、それもわずか一瞬のことだった。 唐突にステラから見て左側の草陰が割れ、そこから迷彩服の人影が飛び出してくる。 シャニだった。彼は片手に警棒のような物を携えて兵士の1人に肉薄すると、踏み込みの勢いを乗せてその男を殴り倒した。男は一撃で地に沈み、動かなくなる。 「――!」 仲間をやられて怒ったのか、口々に罵りの言葉を――全く意味は分からないのに、何故かそれが罵倒であることだけは理解できた――喚きながら、敵の男たちが発砲する。 だがシャニは、その直前にぐっと腰を沈めると、勢いよく空中に飛び上がった。銃弾の上を更に越え、敵の頭上さえ飛び越えて、そのうち1人の背後に着地する。 強化兵士ならではの離れ業だが、敵にそんなことは分からない。急に消失した相手に驚いたように、彼らの動きが鈍った隙に、シャニは目の前の男の後頭部を警棒で一撃した。 短い悲鳴を漏らして、その男が白目をむく。先手を打たれっぱなしの敵たちが、それでもどうにか反応してシャニを狙おうとするが、 「チビ!」 そう、一言だけ叫んでその場に身を伏せるシャニに、ステラは応えてサブマシンガンの弾丸を存分に男たちに叩き込んだ。駒のように回転すらしながら、5、6人がその餌食になってひっくり返る。運良く回避に成功した者が、意味のない咆哮と共に性懲りもなくシャニを撃とうとするが、それよりもシャニが撃ち返す方が速かった。 警棒とは逆の手に例の45口径を――最初に撃ったのはこれだろう――構え、片手のまま発砲すること3回。弾は実に無駄なく敵を捉え、更に3人が倒れふした。 手際の良さに思わず呆気に取られて、一瞬、ステラの意識が手元の機銃からそれる。 するとそれを狙っていたかのように、彼女の視界に一本の太い腕が闖入した。 「……う!?」 腕はあっという間にステラの首に巻きついて、そのまま締め付けてくる。突然のことに訳が分からないままぎょっとして、絶叫しながら彼女は暴れようとしたが、すると別の方向からまた腕が伸びてきて、横合いからサブマシンガンがもぎ取られる。 耳のすぐ近くで、ひどく興奮した人間の息遣いが聞こえた。視界の端にわずか、彼女の機銃を手にした男の姿が見えた。こめかみに何か、冷たい感触が押し付けられる。銃。 誰かに捕まったのだ、とステラが遅まきながら自覚した瞬間、背後に居る男が叫んだ。 「You, stop it, don’t move! Or I’ll kill――(お前、やめろ、動くな! さもないと――)」 下手な発音は最後まで続けられることなく、即座に振り返ったシャニの発砲に遮られた。 2発の銃声が轟いて、ステラの頭に当たっていた銃が吹っ飛び、マシンガンを奪った男が血の泡を吹いて転倒する。その拍子に首を絞める腕が緩んだので、ステラは全力でそれを振りほどいた。そのまま後ろに飛び退いて、腕の主と距離を取る。 (武器を――) 探すが、奪われた機銃とはいささか離れている。それならばと彼女が腰のベルトからサバイバルナイフを引き抜いた瞬間、大声を上げて腕の男が飛びかかってきた。 手に何か――よく分からないがとにかく棒状の物体を持って、それを振りかぶりながら突進してくる。ステラは浅くナイフを突き出したまま、姿勢を低くして男を待ち構えた。男が棒を振り下ろす。横っ飛びに跳んでそれをかわし、すれ違いざまステラは相手の 脇腹に切りつけた。男は悲鳴を上げたが、しかし手応えは浅い。 ぎっと首だけ男が振り向いて、血走った目がステラに向けられる。 その時、何故か、訳もなくステラは動揺した。 薄暗い中、ぎらぎらと眼光を発する黒い目。汗と土と油脂で汚れた顔に、引きつって痙攣する唇。それがこちらに向けられていくのを、スローモーションのようにステラは見た。 だからどういうものでもない。どこにでも居そうな、だが歳はよく分からない男の顔だ。 だが、何故かそれを、ステラは両目が縫い付けられたように凝視していた。 「チビ、切るな、突け!」 そこへ、どこからともなくシャニの怒号が飛んできた。 はっとして我に返る。男は脇腹を押さえながら、それでも棒を振りかざしてこちらへ突っ込んでこようとしていた。突け、と脳裏でもう一度シャニの声がする。 息を止める。男が横薙ぎに振り回した棒をかわして、ステラは彼の胸に狙いをつけた。 「ああああ!」 踏み込むと同時に腕をいっぱいに伸ばし、男の胸元目がけてナイフを繰り出す。 どん、と鈍い手応えがあった。 悲鳴はなかった。男は一度、ぶるりと痙攣するように全身を震わせると、そのまま背中から仰向けに倒れた。即死である。もがく様子もない。 ――ふとステラが気付くと、銃声がいつの間にか止んでいた。 顔を上げる。倒れた男の死体の向こうに、シャニがこちらに半ば背を向けて立っていた。 その更に向こうには、3人ほど敵の兵士が銃を構えたまま対峙している。 シャニは例の45口径を彼らに突きつけ、平坦な声で言った。 「Hey, do you understand me?(よう、俺の言ってること分かる?)」 男たちが、怪訝そうな感情に顔を歪める。彼らは一瞬だけ目配せをすると、真ん中に立っていた1人を代表にして、ゆっくりと首を縦に振った。 ぐ、とシャニが銃を握っている手に力が篭もった、ように見えた。 「You ought to know you have to retreat. Most of your comrades were dead over there.(お前ら退いた方がいいぜ。お仲間はほとんど向こうで死んでる)」 言いながら首をひねり、顎でどこかを示すような仕草をする。 男たちは、右側の1人が顔色を変えて発砲するような動作をしたが、真ん中がそれを手で制止した。そうして左側と顔を見合わせ、何かを示し合わせるように頷き合う。 「…Yeah, OK, sir.(……ああ、了解だ、だんな)」 と、両腕を上げて「降参」のポーズを取ってから、ゆっくりと後ずさって草陰に姿を紛れさせていく。その姿が完全に闇に溶け、木々をかき分ける音すら聞こえなくなってからも、シャニはしばらくずっと銃を構えたまま静止していた。 そのまま更に沈黙が落ち――ステラはほっと息を吐いて肩の力を抜いた。 ナイフを服の裾で拭ってしまい直すと、悠然とこちらへ歩いてくるシャニと目が合った。彼が立ち止まるのを待って、ステラは訊ねた。 「……あいつらは?」 「だいたい倒したから、逃げた。……こけ脅しだったんだけど」 淡々とシャニは答え、それから手にした45口径の引き金を引いてみせた。 かちんと乾いた音がして、それだけだった。突きつけておきながら弾切れだったらしい。 思わず、まじまじとステラは彼を見つめた。 彼が手にしているのはあの45口径と、警棒が一本のみである。 まさか全員をいちいち殴打して回った訳ではあるまいが、彼の背後に目をやれば確かに何人か人間が転がっている。一見して生死は定かではないが、動かないところを見ると、全員少なくとも戦闘不能ではあるらしい。 もっとも、強化兵士の膂力で殴られて、無事でいられる人間が居るとも思えない。 ステラのそれさえ例外ではないが、彼女には体格というどうしようもないハンデがある。シャニが機銃を自分に譲ったのは、単に戦力のバランスを取ろうとしたが故だろう。 漠然と、この男は自分より強いのだ、とステラは感じた。 だから揺るがないし、彼女より余裕もあるから彼女を気遣ったりする。 不思議な気分だった。自分より強い存在が、自分の味方をすることは今までなかった。 ステラがじっと彼の隻眼を見ていると、視線に気付いてシャニが見返してくる。 すると何故か、彼の無表情に驚きの色が差したので、ステラは自分が驚いた。 彼は頭のてっぺんからつま先までまじまじとステラを眺め、それからふいと視線をずらした。何を見ているのだろう、とステラがその先を追うと、例の男の死体が転がっていた。 ステラが再びシャニに顔を向けると、彼は死体を見たままぽつりと呟いた。 「お前、人を刺すの、気持ち悪くないの?」 意外だ、という気配が口調にはにじんでいた。 「気持ち悪い?」 虚をつかれてステラは目を瞬いた。咄嗟にベルトに差し込んだナイフに目をやる。 返答は単純だ。否である。そんな感情は覚えなかった。先程もそうであるし、今までもそうであった。そもそも、気持ち悪がっていては戦えない。 「ステラは……別に」 釈然としないながら、ステラはゆるゆると首を振った。 シャニの隻眼が細まった。彼は緩やかな動作でその長い前髪に指を差し入れると、顔を押さえて動きを止めた。そうして、ふう、と長い息を吐く。 彼は相変わらず死体を眺めたまま、 「――そう。俺と一緒だね」 と呟いて、ひどく皮肉めいた笑みを浮かべた。
銃弾がいくつも背を追い越していく。 目の前で次々と弾ける樹皮を横目に、ステラは全力で走った。 膝上まで生い茂る草と、緩んだ地面がまとわりつくように足を重くする。 犬のように荒くなった呼吸が、喉の奥をひりつかせて痛い。 乳酸過多で物理的に足が動かなくなるのが先か、それとも銃撃が心臓を捉えるのが先か――頭の片隅でそんなことを考えた瞬間、視界の中に都合の良さそうな巨木を見つけ、彼女は心の中で快哉を叫んだ。 (間に合え……!) ほとんど転げ落ちるように、ゆるやかな傾斜を駆け下りる。追撃してくる発砲音は、最早軽やかと言ってもいい程に軽快だ。仮に例えるなら、殺人のビート。 勿論それで殺されてはたまらないので、こちらも必死に足を動かす。目当ての巨木まで後一歩、というところでステラは足元を蹴って地面にダイブした。 そのまま前のめりに突っ込み、飛び込み前転の要領で巨木の裏側に回り込む。 カウントする――1、2、3。銃声が止まった。緊張に震える身体を堪える。腕に抱えたサブマシンガンを握り締め、ステラは耳を澄ませた。 こちらに近付いてくる、複数の足音。草をかきわけながら寄ってくるそれらが、いかにもおっかなびっくりといった様子であることを確信して、ステラは更に神経を尖らせる。 (あと3秒――2、1) ゼロ、と脳裏で数えた瞬間、木に背をつけたまま銃口を120度ほど旋廻させて、ステラは引き金を押し込んだ。一瞬、目前に迫った敵兵の、驚愕に歪んだ顔が見えた。 両腕に衝撃がくると共に、だだだだだ、と発砲音が直接頭蓋に響く。 不用意にも無防備な姿を晒していた数名が、まともに鉛玉をくらってのけぞりながら倒れていく。慌てて身を隠そうとする生き残り目がけて、ステラは扇状に銃撃を放った。 だが何人か低い呻き声を上げた者はあったものの、最初に倒れた数名を除き、ほとんどは再び樹木の裏などに隠れてしまう。しまった、とステラは歯噛みした。 (失敗した!) 戦慄に脂汗が吹き出すのを感じながら、彼女はすぐさま踵を返すとまた走り出した。 敵の数が多すぎる。全部で何人いるのかも分からない。一箇所にとどまっていては、あっという間に包囲される危険があった。蜂の巣などごめんだった。 走る。再び大勢の足音と銃声が追いかけてくる。肺と心臓が大声で酸素不足を訴えてくるが、無視するしかない。足がもつれ、もう地面の感触さえあやふやだ。 歯を食いしばる。一度足を止めて振り返り、背後を銃弾で牽制する。 2人ほど倒れたのが見えたが、残りがまだ追ってくる。きりがないようだった。 駄目かも知れない、とステラは思った。 (どうしよう、どうしたらいいの?) どうやって切り抜けたらいいのか分からない。 訓練で大勢と戦ったことはあったが、その時は全員お互いが敵だった。皆が揃って自分を追ってくるなどということはなかったのだ。 今のような時、どうすればいいのかを、ステラは教わっていない。 息苦しさを押し殺しながら自問する。答えは返らない。何も分からない。 (ああ……!) 自暴自棄のような思考を振り払うようにして、ステラはもう一度立ち止まって振り返り、牽制の銃弾をばら撒こうとした。脇を絞め、そしてそのまま引き金を引く―― 銃声が1発鳴って、サブマシンガンの正面に居た男が吹き飛んだ。 「――え?」 ステラは驚愕に目を見張った。 何故ならその男は、彼女から見て「真横」に倒れたからだ。 というか、そもそも彼女はまだ撃っていない。そして当惑したのは敵兵たちも同じことだったらしい。意味の分からない怒号が叫ばれ、銃声の主を探すように彼らの視線が右往左往する。だが、それもわずか一瞬のことだった。 唐突にステラから見て左側の草陰が割れ、そこから迷彩服の人影が飛び出してくる。 シャニだった。彼は片手に警棒のような物を携えて兵士の1人に肉薄すると、踏み込みの勢いを乗せてその男を殴り倒した。男は一撃で地に沈み、動かなくなる。 「――!」 仲間をやられて怒ったのか、口々に罵りの言葉を――全く意味は分からないのに、何故かそれが罵倒であることだけは理解できた――喚きながら、敵の男たちが発砲する。 だがシャニは、その直前にぐっと腰を沈めると、勢いよく空中に飛び上がった。銃弾の上を更に越え、敵の頭上さえ飛び越えて、そのうち1人の背後に着地する。 強化兵士ならではの離れ業だが、敵にそんなことは分からない。急に消失した相手に驚いたように、彼らの動きが鈍った隙に、シャニは目の前の男の後頭部を警棒で一撃した。 短い悲鳴を漏らして、その男が白目をむく。先手を打たれっぱなしの敵たちが、それでもどうにか反応してシャニを狙おうとするが、 「チビ!」 そう、一言だけ叫んでその場に身を伏せるシャニに、ステラは応えてサブマシンガンの弾丸を存分に男たちに叩き込んだ。 駒のように回転すらしながら、5、6人がその餌食になってひっくり返る。 運良く回避に成功した者が、意味のない咆哮と共に性懲りもなくシャニを撃とうとするが、それよりもシャニが撃ち返す方が速かった。 警棒とは逆の手に例の45口径を――最初に撃ったのはこれだろう――構え、片手のまま発砲すること3回。弾は実に無駄なく敵を捉え、更に3人が倒れふした。 手際の良さに思わず呆気に取られて、一瞬、ステラの意識が手元の機銃からそれる。 するとそれを狙っていたかのように、彼女の視界に一本の太い腕が闖入した。 「……う!?」 腕はあっという間にステラの首に巻きついて、そのまま締め付けてくる。 突然のことに訳が分からないままぎょっとして、絶叫しながら彼女は暴れようとしたが、すると別の方向からまた腕が伸びてきて、横合いからサブマシンガンがもぎ取られる。 耳のすぐ近くで、ひどく興奮した人間の息遣いが聞こえた。視界の端にわずか、彼女の機銃を手にした男の姿が見えた。こめかみに何か、冷たい感触が押し付けられる。銃。 誰かに捕まったのだ、とステラが遅まきながら自覚した瞬間、背後に居る男が叫んだ。 「You, stop it, don’t move! Or I’ll kill――(お前、やめろ、動くな! さもないと――)」 下手な発音は最後まで続けられることなく、即座に振り返ったシャニの発砲に遮られた。 2発の銃声が轟いて、ステラの頭に当たっていた銃が吹っ飛び、マシンガンを奪った男が血の泡を吹いて転倒する。 その拍子に首を絞める腕が緩んだので、ステラは全力でそれを振りほどいた。 そのまま後ろに飛び退いて、腕の主と距離を取る。 (武器を――) 探すが、奪われた機銃とはいささか離れている。それならばと彼女が腰のベルトからサバイバルナイフを引き抜いた瞬間、大声を上げて腕の男が飛びかかってきた。 手に何か――よく分からないがとにかく棒状の物体を持って、それを振りかぶりながら突進してくる。ステラは浅くナイフを突き出したまま、姿勢を低くして男を待ち構えた。 男が棒を振り下ろす。横っ飛びに跳んでそれをかわし、すれ違いざまステラは相手の脇腹に切りつけた。男は悲鳴を上げたが、しかし手応えは浅い。 ぎっと首だけ男が振り向いて、血走った目がステラに向けられる。 その時、何故か、訳もなくステラは動揺した。 薄暗い中、ぎらぎらと眼光を発する黒い目。 汗と土と油脂で汚れた顔に、引きつって痙攣する唇。 それがこちらに向けられていくのを、スローモーションのようにステラは見た。 だからどういうものでもない。どこにでも居そうな、だが歳はよく分からない男の顔だ。 だが、何故かそれを、ステラは両目が縫い付けられたように凝視していた。 「チビ、切るな、突け!」 そこへ、どこからともなくシャニの怒号が飛んできた。 はっとして我に返る。男は脇腹を押さえながら、それでも棒を振りかざしてこちらへ突っ込んでこようとしていた。 突け、と脳裏でもう一度シャニの声がする。 息を止める。男が横薙ぎに振り回した棒をかわして、ステラは彼の胸に狙いをつけた。 「ああああ!」 踏み込むと同時に腕をいっぱいに伸ばし、男の胸元目がけてナイフを繰り出す。 どん、と鈍い手応えがあった。 悲鳴はなかった。男は一度、ぶるりと痙攣するように全身を震わせると、そのまま背中から仰向けに倒れた。即死である。もがく様子もない。 ――ふとステラが気付くと、銃声がいつの間にか止んでいた。 顔を上げる。倒れた男の死体の向こうに、シャニがこちらに半ば背を向けて立っていた。 その更に向こうには、3人ほど敵の兵士が銃を構えたまま対峙している。 シャニは例の45口径を彼らに突きつけ、平坦な声で言った。 「Hey, do you understand me?(よう、俺の言ってること分かる?)」 男たちが、怪訝そうな感情に顔を歪める。彼らは一瞬だけ目配せをすると、真ん中に立っていた1人を代表にして、ゆっくりと首を縦に振った。 ぐ、とシャニが銃を握っている手に力が篭もった、ように見えた。 「You ought to know you have to retreat. Most of your comrades were dead over there.(お前ら退いた方がいいぜ。お仲間はほとんど向こうで死んでる)」 言いながら首をひねり、顎でどこかを示すような仕草をする。 男たちは、右側の1人が顔色を変えて発砲するような動作をしたが、真ん中がそれを手で制止した。そうして左側と顔を見合わせ、何かを示し合わせるように頷き合う。 「…Yeah, OK, sir.(……ああ、了解だ、だんな)」 と、両腕を上げて「降参」のポーズを取ってから、ゆっくりと後ずさって草陰に姿を紛れさせていく。 その姿が完全に闇に溶け、木々をかき分ける音すら聞こえなくなってからも、シャニはしばらくずっと銃を構えたまま静止していた。 そのまま更に沈黙が落ち――ステラはほっと息を吐いて肩の力を抜いた。 ナイフを服の裾で拭ってしまい直すと、悠然とこちらへ歩いてくるシャニと目が合った。彼が立ち止まるのを待って、ステラは訊ねた。 「……あいつらは?」 「だいたい倒したから、逃げた。……こけ脅しだったんだけど」 淡々とシャニは答え、それから手にした45口径の引き金を引いてみせた。 かちんと乾いた音がして、それだけだった。突きつけておきながら弾切れだったらしい。 思わず、まじまじとステラは彼を見つめた。 彼が手にしているのはあの45口径と、警棒が一本のみである。 まさか全員をいちいち殴打して回った訳ではあるまいが、彼の背後に目をやれば確かに何人か人間が転がっている。一見して生死は定かではないが、動かないところを見ると、全員少なくとも戦闘不能ではあるらしい。 もっとも、強化兵士の膂力で殴られて、無事でいられる人間が居るとも思えない。 ステラのそれさえ例外ではないが、彼女には体格というどうしようもないハンデがある。シャニが機銃を自分に譲ったのは、単に戦力のバランスを取ろうとしたが故だろう。 漠然と、この男は自分より強いのだ、とステラは感じた。 だから揺るがないし、彼女より余裕もあるから彼女を気遣ったりする。 不思議な気分だった。自分より強い存在が、自分の味方をすることは今までなかった。 ステラがじっと彼の隻眼を見ていると、視線に気付いてシャニが見返してくる。 すると何故か、彼の無表情に驚きの色が差したので、ステラは自分が驚いた。 彼は頭のてっぺんからつま先までまじまじとステラを眺め、それからふいと視線をずらした。何を見ているのだろう、とステラがその先を追うと、例の男の死体が転がっていた。 ステラが再びシャニに顔を向けると、彼は死体を見たままぽつりと呟いた。 「お前、人を刺すの、気持ち悪くないの?」 意外だ、という気配が口調にはにじんでいた。 「気持ち悪い?」 虚をつかれてステラは目を瞬いた。咄嗟にベルトに差し込んだナイフに目をやる。 返答は単純だ。否である。そんな感情は覚えなかった。先程もそうであるし、今までもそうであった。そもそも、気持ち悪がっていては戦えない。 「ステラは……別に」 釈然としないながら、ステラはゆるゆると首を振った。 シャニの隻眼が細まった。彼は緩やかな動作でその長い前髪に指を差し入れると、顔を押さえて動きを止めた。そうして、ふう、と長い息を吐く。 彼は相変わらず死体を眺めたまま、 「――そう。俺と一緒だね」 と呟いて、ひどく皮肉めいた笑みを浮かべた。

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